今回は、記憶が完全に抜け落ちていた。
ワルド卿に相談を持ちかけて、森の中へ案内されて。
自分が頼ったワルド卿の手にかかり、自分が“殺された”ことは、はっきりと覚えている。
だけど、その後の記憶が、まったく思い出せなかった。
どうやって生き返ったのか。
ワルド卿が、何故私を殺したのか。
今、私の周囲に広がる惨状が、どのようにして作り出されたのか。
それらのことが、どうしても分からない。
分からないことだらけだった。
「っ、く、ぁ……」
全身を激痛が駆け抜ける。
死の淵より這い戻ってきた代償だろうか。
未来のイメージが浮かぶ時よりもさらに凄まじい苦痛が、目覚めてからずっと続いている。
魔法を唱えるどころか、立ち続けていることもできずに、地面に倒れた。
木漏れ日が射し込む森の中。
友達といっしょにピクニックでもすれば、とても楽しいだろうなって思う、そんな穏やかな場所。
けど、おそらくは意識がない時の私が作り出した惨状は、平和な光景を台無しにしていた。
散乱する、狼や動物達の死体。抉り取られた木々と地面。ぶちまけられた血痕。
何故こんなことになっているのか、分からない。
だけど、ここに私しかいない以上、犯人は私なんだろう。
(……人間の死体がないことが、せめてもの救いかな)
動物達の命を軽んじるつもりはない。
けど、もし罪のない人間……例えば狩人や子供の死体が転がっていたら、私はもう耐え切れなかっただろう。
木々の隙間から垣間見える青空を眺める。
本当はすぐにでも起き上がって、みんなの安否を確かめに行動するべきなんだろう。
しかし、全身に広がる激痛と、自分自身への恐怖に、私の心は折れていた。
(父さんは、すごいや。私が本当に化け物だって、見抜いてたんだ)
死は全ての人間に平等に与えられるという。
王も、貴族も、平民も、蛮人も、悪魔と言われるエルフにだって、個々の違いはあれど、死は絶対だ。
だったら、私は……死を否定して生き返った私は、やっぱり化け物なんだ。
(しかも、僅かだけど未来まで見えてるのに、みんなの手助けができない。
それどころか、足手纏いになってる。
役立たずの化け物。それが私なんだ……)
むしろ私がいない方が、上手く事は進むのかもしれない。
それは、全部投げ出して逃げたいという願望から生まれた言い訳だと思いながらも、私は『もう関わるべきではないのかもしれない』と考え始めていた。
未来のイメージも、異常な力のことも全部忘れて。
どこか山奥にでも引きこもって誰にも関わらず静かに生きていく。
その方が、みんなのためで、自分のためなのかもしれない。
そんな風に言い訳を並べる私を『逃がすものか』と責めるように。
激痛と共に脳内に浮かぶイメージ、イメージ、イメージ……!
「……もう、いや。いやだぁ……!」
頭を両手で押さえて、のたうち回りながら、激痛が早く去るように祈る。
この痛みから逃れる術は、ない。
自分の喉を引き裂き心臓を潰し脳漿をぶちまけようと、化け物な私の身体は、死を否定して蘇るのだろう。
私の身体なのに。私の命なのに。
私の意志なんて何もかも無視して。
この肉体は私から、死すらも奪っている。
「わた、わたしは……友達と、いっしょに」
声を出すだけで身が裂けそうな痛みに襲われる。
けど、叫ばずにはいられなかった。
「普通に、生きたいだけなのに――!」
イメージは、私の叫び声なんて意に介さず、脳内に流れ込んでくる。
礼拝堂らしき場所で、ワルド卿と対峙するサイトとルイズ。
そして、冷たい床に倒れ伏す金髪の青年。その顔は、子供の頃に肖像画で見た、アルビオンの王子・ウェールズ殿下のものを思い起こさせた。
圧倒的な実力を誇るワルド卿に、ルーンの力とデルフリンガーの助言を得て、なんとか対抗するサイト。
そこに、ルイズが助太刀しようと飛び出して――ワルドの放つ風の凶刃に、倒れた。
「……う、くぅぅ……!!」
逃げ出したい。
もうこんなの嫌だ。
何もかも投げ出してしまいたい。
――だけど。
大切な友達を。
普通じゃない私を、当たり前のように友達として見てくれたルイズ達を。
彼女達を見捨てるのだけは、絶対に、何よりも、嫌だ。
「――!!」
歯を食いしばる。
腕をなんとか動かして、身体を起こす。
立ち上がろうとして、眩暈がして転ぶ。
だけど、もう一度、起き上がろうとする。
食いしばりすぎた奥歯が、ひとつ、砕けた。
地面に奥歯の破片を吐き捨てて、今度こそ立ち上がる――!
「いか、なきゃ」
ふらふらとした足取りで、それでも港へ向かう。
イメージの中には見えなかったタバサ達の安否も気になる。
だけど私は、一刻も早く、アルビオンへ向かわなければならない。
未来のイメージが見える時は、今までのパターンではその光景が現実となるまで長くても1日程しか時間がなかった。
ルイズ達があの夜、襲撃をなんとかしのいで港からフネで出発したとして、アルビオンまでは一日は掛かるはずだ。
あくまで仮定に過ぎないが、時間から考えてルイズ達はまだフネで渡航中のはず。
だから、ワルド卿との対峙はおそらくは明日の朝。それが、タイムリミットだ。
先を急ぐ私の意志に反して、身体は思うように動かない。
まだ森を抜けてもいないのに、太陽は頭上へと移動していた。
そして鳴り響く、ラ・ロシェールの鐘。
おそらくは昼の時間を知らせるものだ。
(もう昼……!? まだ、森の中なのに……!)
目覚めた時間は、早朝とは言えなかったかもしれない。
だけど、それにしたって、移動に時間がかかりすぎている。
そもそもこの森へは、ワルド卿の案内で来たから、出口への道も分からない。
徒歩では、限界があった。
(“フライ”で飛べれば、なんとか……けど)
マシになってきてはいるが、まだ激痛は続いている。
倦怠感も滲み出しており、本調子とは程遠い。
こんな状態で魔法を使えるのか、分からない。
(……悩んでいる時間もない。やれそうなことは、全部、試さないと)
“フライ”の詠唱を開始する。
ずきり、と。頭に鋭い痛みが走る。
それでも、苦痛を噛み殺して呪文を唱えきる。またひとつ、奥歯が砕けた。
だけど魔法は成功した。身体が浮力を得て、宙に浮かび上がる。
(とにかく、街中へ――できれば港まで一気に!)
まずは森を越えるために、まっすぐ上昇して木々の間を抜ける。
空から周囲を見渡せば、ラ・ロシェールの街が一望できた。
その光景から港を見つけて、そこを目指して飛ぶ。
アルビオンは常に、空を移動している。
だからまずは現在の航路を確認してからでないと、目指すことすらできない。
できればフネを確保できればいいんだけど、まだフネが出せる程アルビオン大陸は近づいていなかったはずだ。
第一、お金もそんなに持っていない。乗船することは難しいだろう。
巨大な木に設けられた、空飛ぶ船の港。
その港上空まで近づいた時……気が緩んだのだろうか、“フライ”の効力が消えた。
空中に投げ出される身体。運悪く、落下地点には港の桟橋はなく、地面まで真っ逆さま。
慌てて、もう一度“フライ”を唱えようとする。
けど、無茶を重ねた反動だろうか。身体中の激痛はよりひどくなり、詠唱が唱えきれない。
このままでは地面に叩きつけられる――そう覚悟を決めた時、私の身体を何かが受け止めた。
「リース! あなた無茶しすぎよ、もう……!」
「ミス・リロワーズ! 無事で何よりだよ」
「危機一髪」
私を受け止めたのは、タバサ達が乗ったシルフィードだった。
落下の衝撃は“レビテーション”で緩和してくれたようで、痛みもなかった。
「みんな、無事だったんだ……よかった」
「あなたも無事……とはいえないみたいね。
すごい格好じゃないの。美人が台無しよ?」
「い、いったい何があったんだい?
昨夜は突然いなくなるし、服は血だらけだし……」
キュルケとギーシュに指摘されて、自分の格好を思い出す。
動物達の返り血と、私が“殺された”時の血。
両方の血で染められた服は、もう元の色が分からないぐらい赤黒くなっていた。
自分が殺されて、生き返ったことは秘密にしないと――そう考えながら、説明する。
「ワルド卿に、森の中で襲われて……えっと、なんとか逃げたんだけど、今度は狼達に囲まれて。
狼達は倒したんだけど、暗くて道が分からないし怪我も負ったから、身動きが取れなくなって隠れてたんだ」
こんな時にまで嘘をつく罪悪感と、自分への嫌悪感。
それをなんとか飲み込んで、嘘と真実を混ぜた情報を伝える。
「ワルド卿が!? な、何故そんなことに……」
「ロリコン卿?」
「タ、タバサ。この場合の『襲われて』は、そういう意味じゃないと思うわよ?」
「……間違えた」
戸惑うギーシュ達。
心強い協力者だと信じていた人物が凶行におよんでいたなんて、急に言われても納得できないのは自然な反応だと思う。
だけど、私ははっきりと覚えている。彼が突然、私に刃を向けたことを。
「証拠はないけど、本当なんだ!
ワルド卿は裏切り者で、このままだと……」
「ちょ、ちょっと待ちたまえ! ワルド子爵はルイズ達と共にアルビオンへ向かったはずだ。
彼が本当に裏切り者だったら……」
「彼女達が、危ない」
「……なるほど。それであんな無茶してまで、急いでいたわけね」
キュルケが納得したように頷く。
「そ、その……信じてくれるの?」
「あら、不満?」
「そ、そうじゃないけど……証拠もないのに、こんな話」
私の言葉に、キュルケは呆れたように溜め息をつく。
そして、私をまっすぐに見つめて。
「友達の必死の言葉を信じるのに、証拠なんて必要ないわよ」
当然のことのように、そう言った。
○
私を探しながらアルビオンへ向かう準備をしていたというタバサ達。
キュルケから着替え(彼女には珍しく、派手な衣装ではない)をもらい、私も準備完了。
もう出発の準備は整っていたらしく、そのままアルビオンへ向けて出発することになった。
力強く羽ばたくシルフィードの背中で、私達は状況を確認する。
「アルビオンは現在、ひどい内乱状態よ。おそらく、王宮周辺も大変なことになっている。
正面から乗り込むわけにはいかないわね」
「こっそり忍び込む」
「避難経路も確保しとかないとね。そして、ルイズ達を探して脱出。
私達の戦力でできそうなのは、これぐらいね」
タバサとキュルケが意見を出し合って、方針は決まった。
展開しているだろう軍隊の死角からアルビオンに近づき、ギーシュの使い魔であるジャイアントモールに穴を掘ってもらう。
そのトンネルから王宮近くへ侵入して、なんとかルイズ達を連れて脱出する。
一介の学生にできることは、それぐらいだ――化け物な私を、除いて。
(本調子なら、正面からでもいけるだろうか……)
アルビオンまでは、まだだいぶ距離がある。
シルフィードがどんなに速く飛べても、やはり限界はある。今日中に到着することは難しいだろう。
それまでの間、休息を取って……全快したのなら、私はまた、戦えるだろうか。
(軍隊と1人で戦う、なんて経験があるはずがない。
しかも、戦えたとして……その時はまた、人を殺すことになるかもしれない)
相手が歩兵だけなら、“フライ”で飛び越えてしまえば戦わなくてもいい。
だけど竜騎兵がいたのなら空中戦になる。そうなったら、逃げ切れるか分からない。
その時、私は、戦えるのだろうか。戦っても、いいのだろうか。
(……無茶かもしれない。無理かもしれない。後悔するかもしれない。
それでも、急がなきゃ、ルイズが死ぬ)
あのイメージの中では、救援は間に合わなかった。
致命傷なのかどうかは、イメージでは分からなかった。
だけど、あのイメージの登場人物はサイト、ルイズ、ワルド……そして、殺されたウェールズ王子(と思われる人)。
タバサ達の姿は、どこにもなかった。
「……夢を見たんだ」
私の呟きに、キュルケ達が私を見る。
「礼拝堂らしき場所で、サイトとルイズが、ワルド卿と戦っていて……。
ルイズが、“エア・カッター”で斬られる。そんな、夢を」
「ちょ、ちょっと、不吉なこと言わないでよ……」
キュルケの批難に、私は「ごめん……」と返す。
「大丈夫」
だが、タバサはいつもの無表情で、そう呟いた。
今度は私達がタバサを見る。
青髪の少女は、アルビオンへ続く空を見つめたまま。
「私達が、正夢にさせなければいい」
決意に満ちた言葉を、静かに宣言した。