大軍を単身で蹴散らせてしまう、戦闘力。
頭と心臓を潰されても蘇生できてしまう、再生力。
そして今、学んだ覚えのない文字が、拙いながらも読み解けてしまった。
普通ではありえないことばかりなのに、何故私には出来てしまうのか。
自分自身のことのはずなのに、分からないことばかりだ。
「サイト……この文字のこと、知ってるの?」
サイトに尋ねる。
彼は、シエスタの曽祖父の墓石に刻まれた文字が何なのかをよく知っている様子だった。
先程のサイトの『この文字が読めるのか』という私への質問に対して質問で返してしまう形になった。
だが、それを気にしている余裕は私にはなかった。
そもそも、サイトへの質問には『そんなの私が知りたい』としか返せそうにないのが現状だ。
何故読み取れたのか、自分でも分からない文字。
けどサイトは、その文字が何なのかはっきりと理解している様子だった。
彼の知識の中に、何か手掛かりがあるのでは――そう考えると、落ち着くことはできなかった。
「これは、俺の故郷の文字なんだ」
「あんたの故郷って、たしか……東方のロバ・アル・カリイエよね?」
サイトの言葉に、ルイズが呟く。
――ロバ・アル・カリイエ。
人類の天敵である、エルフの支配する土地を越えて、さらに東へ進んだ先にあると言われている東方の国。
商人達の独自のルートにより、“お茶”などの東方独特の品物が輸入されることが時々はあるが、決して気軽に踏み込めるような場所ではない。
サイトはサモン・サーヴァントの召喚門を潜ることで、遙か遠くの東方から国境を越えてトリステインにやってきたのだと、前に本人から聞いた覚えがあった。
彼の返答を聞いても、やはり訳が分からなかった。
私は、東方の文字なんて学んだことも見たこともない。それなのに、読めてしまった。
「なあリース。日本のこと、知ってるのか?」
「ごめん、知らないよ。ニホン、だっけ。それがサイトの故郷の名前?」
「ああ。発音が微妙に違うけど、俺の住んでた国の名前が日本なんだ。
で、そこで使われてるのがこの日本語で、トリステインとかじゃ全然知られてないんだよな?
それを知ってるってことは、リースは何か知ってるんじゃないかって……」
「……何度聞かれても、分からないよ」
サイトの質問に、何一つ答えを返せない。
何故ニホン語が私に読めたのか、まったく分からない。その理由を知りたいのは、私自身なんだ。
もう一度、シエスタの曾祖父の墓石に刻まれた文字を見てみる。
海軍少尉、佐々木武雄。異界ニ眠ル。
やはり、読める。
知らないはずの異国の文字なのに……何故か、懐かしさすら感じる。
もっと手掛かりはないのかと思い、私はシエスタに訊ねた。
「シエスタ。他には、ひいおじいさんの形見はない?」
○
「ええと、ひいおじいさんの形見は、これだけのようです」
生家に戻って、ひいおじいさんの形見を持ってきてくれたシエスタ。
彼女が両親から受け取ってきた品物は、古ぼけたゴーグルだけだった。
「ひいおじいさん、日記とかは残さなかったそうで。
ただ、父が言っていたのですが、遺言を残したそうです」
「遺言?」
「ええ。あの墓石の銘が読めたものが現れたら、その者に『竜の羽衣』を渡すようにって」
「となると、俺とリースにその権利があるってことか」
サイトがそう言うと、シエスタは「そうですね。そのことを話したら、お渡ししてもいいって言ってました」と答えた。
その言葉を聞いて、私は再び『竜の羽衣』を見つめて、軽く手で触れてみる。
先程の墓石の銘と同じく、見たことのないはずの存在だ。
こうして間近で見て、触れている今でも、これが何なのかは分からない。
ただ、何故だかすごく懐かしい気分になった。
『竜の羽衣』は全体的に深緑色の塗装がされている。
その塗装の中に、赤い丸が描かれてた箇所があった。
サイトによると、それは彼の国の国際標識で、本来は白い縁取りが成されていたらしいが、今は赤い丸を残して深緑に塗り潰されている。
聞いた情報を元にして、その国旗を思い浮かべてみる。
真っ白な旗の中心に塗られた、赤い真円。
見覚えがあるはずがないのに。脳内で描いた想像でしかないのに。
とても、とても懐かしい。そんな気持ちになる。
異国の文字。『竜の羽衣』。サイトの国の国際標識。
どれもが見覚えないはずの物ばかりなのに、とても懐かしいと感じてしまう。
その不思議な懐かしさが、落ち着くような、気味悪いような……すごく複雑な気持ちだった。
「サイト。結局これは、いったい何なの?」
とても懐かしそうな表情で『竜の羽衣』を見つめているサイトに、私は訊ねる。
サイトにとっては故郷の品物であるそうなので、懐かしいと思う気持ちは私よりよっぽど強いのだろう。
しばらく黙って『竜の羽衣』を見ていたサイトが、言った。
「ゼロ戦。俺の国の、昔の戦闘機」
「ぜろせん? せんとうき?」
聞いたことのないはずの名前。
だけど何故か感じる懐かしさ。
その感覚に戸惑いながら、サイトの言葉の続きを聞く。
「つまり、ひこうきだよ。これは本当に、空を飛べるんだ」
「こないだ、サイトさんが言っていた、ひこうき?」
訊ねるシエスタの声に、サイトは頷いた。
○
「……ふぅ」
夜遅く。私は寝床を抜け出して、屋根の上で夜風に当たっていた。
私達はしばらくシエスタの実家に滞在させてもらう予定だったけど、明日の朝にはタルブ村を出発することになっている。
『竜の羽衣』を学園に持ち帰ることにしたからだ。
サイトの話では、『竜の羽衣』を動かすためには『ガゾリン』という特別な油や、機体の修理が必要らしい。
以前コルベール先生が授業で見せた発明品の原理が、『竜の羽衣』に使われている仕組みに近いらしく、コルベール先生に相談すればなんとかなるかもしれない、とのことだった。
ギーシュの父のコネで竜騎士とドラゴンを借り受け、明日の朝に『竜の羽衣』を運搬してもらうことになっている。
『竜の羽衣』に合わせて巨大な網を作ったりしたので、運送代がとんでもない金額になってしまっているけど……そこは、私も協力して、借金してでも払うつもりだ。
私もサイトと同じく、『竜の羽衣』を再び動かせるようにしたかった。
あれを見ているだけで込み上げてくる、あの懐かしさ。
子供の頃に遊んだ玩具や、机の奥に仕舞い込んでいた昔の持ち物。そういう物を見つけた時のように、心に染み込んでくるような、あたたかい感情。
何故、見たことのないはずのものに、そんな感情を覚えるのかは分からない。
分からないからこそ、知りたかった。
サイトが言うように『竜の羽衣』が魔法を使わずに空を飛べる品物なら、『竜の羽衣』が大空に舞い上がる光景を見れば、何か分かるかもしれない。
ただの期待でしかなく、何の保障もない。
そもそも、何か分かったとして、それが自分にとって幸せなことなのかも、分からない。
後になって、後悔することだってあるかもしれない。始める前から、不安を拭いきれない。
けど、少しでも可能性があるなら、確かめたかった。
もしかしたら……本当に、もしかしたら、だけど。
この懐かしさを追いかけた先に、私が『普通』になるための答えが、あるかもしれないと思ってしまったから。
そう考えたら、もう止まることなんて、できなかった。
「……よぉ。月でも見てたのか?」
ふと、サイトの声が聞こえた。
どこに、と彼の姿を探していると、サイトは目の前の屋根の縁からよじ登ってきた。
「サイト、どうしてここに?」
「なんか目が覚めてさ。夜風にでも当たろうと思ったら、屋根の上に誰かいるみたいだから来てみた」
となり、いいか? とサイトは私の横に座った。
二人で並んで、なんとなく夜空を見上げてみる。
今日も双子月は綺麗に輝いて、その周囲には星の光が瞬いていた。
「ごめんな」
「……え? 何のこと?」
突然、サイトは謝ってきた。
何を謝られたのか分からなくて聞き返すと、サイトは話し始める。
「リースが日本語を読んだ時、もしかしてリースは日本に帰る方法を知っているのかもって思ってさ。
知らない、分からないってリースは言ってるのに、しつこく何度も日本のこと知らないかって聞いちまって……。
全然、リースの気持ちを考えてなかった。だから、ごめん」
「ううん、気にしなくていいよ。けど、本当に何も知らないんだ。ごめんね」
「リースが謝る必要なんてないって! 俺の方こそ……」
「いやいや、私の方こそ……」
しばらく、俺の方が私の方が、とお互いに謝りあう。
そんなやり取りが続いていたけど、ふいに二人して笑い始めた。
「なんか終わりそうにないね。この話はこれでおしまいにしよう」
「ああ、そうだな」
ふと、会話が途切れて、しばらく沈黙が続いた。
耳をすませば風が優しく草木を撫でていく音が聞こえる。
頭上には星と月が輝いていて、私達以外は周囲に誰もいない。他の人達はきっと、それぞれの夢の中にいるのだろう。
とても静かで、心休まる夜だった。
「……ねえ、サイト。ゼロ戦が直って、空を飛ばせるようになったら、どうするの?」
「ええっと、そうだな。とりあえず東に行ってみたいな。
ルイズとの契約とかもあるし、すぐには無理だろうけど……故郷に帰るためのヒントとか、探したい」
あまり深く考えずにした質問だったけど、サイトはしっかりと自分の目標を答えた。
それを聞いて、彼がいつか故郷に帰ってしまう日がきたら、もう会えないのかな……なんて、考えてしまう。
ロバ・アル・カリイエは、とても遠いそうだ。
私達にとって未知の土地であるから詳しくは分からないけど、サイトの話を信じるなら、ハルケギニアとはまったく違う文明を築き上げているらしい。
ハルケギニアのどんな地図にも載っていない国、ニホン。
どんなところなのだろうか。
サイトはどんな風景の中で育ち、どんな環境で生きてきたのだろう。
私の記憶や知識の謎のことを省いても、ニホンのことを知りたいと思った。
もちろん、私自身のことについて何か手掛かりが得られるのなら、手に入れたいと思うけど。
「サイト。あ、あのね? もしよければ、なんだけど……」
こんなことお願いしていいのか、分からないけど。
なんとか、勇気を振り絞って、言う。
「ニホンに行く時は、私もいっしょに、連れて行ってくれる?」
「……へ? そ、それ、どういう……?」
サイトが戸惑ったように私の顔を見て、尋ね返してくる。
「ご、ごめん。やっぱり迷惑だった、かな」
「いや、迷惑なんかじゃないって! けど、何か理由があるのかなって」
迷惑じゃない、という言葉に少し安心して、話を続けることにした。
「ニホン語が読めた理由が、自分でも分からないっていうのは、さっき言ったよね。
だから、ニホンに行けば、その理由が何か分かるのかなって思って」
「そうか……うん、分かった。俺にできることなら、協力するよ」
サイトの「協力する」に、いっしょに連れて行ってくれるという以上の意味を感じて、私はそこまで甘えるわけには、と断ろうとした。
「連れて行ってくれるだけでも充分だよ。あんまり、迷惑かけたら悪いし」
「迷惑なんかじゃねえよ。友達助けるのは、当然のことだって」
けどサイトは、迷う様子なんて欠片もなく、手を差し伸べてくれた。
友達――そう言ってくれるだけでも充分過ぎるくらい幸せなのに、サイトは私を助けてくれようとしている。
その優しさが、とても嬉しかった。
「……うん。じゃあ、頼っちゃうね?」
「ああ。任せとけ」
これ以上断るのは逆に失礼だと思い、私は好意に甘えることにした。
ニホンに行ったからと行って、解決できる謎なのかは分からない。
だけど、助けてくれる友達がいるというだけで、気持ちがすごく軽くなった。
それから私は、サイトにニホンの話を色々と聞かせてもらった。
天にまで届きそうな高さの、ビルという名前の塔がたくさん並んでいるとか。
『竜の羽衣』こと、ゼロ戦のような飛行機が、より改良された物があるとか。
インターネットという技術で、世界中の色々な情報を集めたり、顔も分からない相手とも交流が持てるとか。
聞けば聞くほど、ハルケギニアの常識からは考えられない話ばかりだったけど。
サイトが嘘をついているようには思えなかった。だから、それらはきっと本当なのだと思う。
そして、それらの話にも、どこか懐かしさを感じていた。
この懐かしさを、何故感じるのか。まだ手掛かりさえない状況は、まるで変わらないけど。
それでも、今はまだ前向きに「ニホンに行ける日が来たらいいな」と思えるようになっていた。
もしそれで、私のことが何も分からなくても……サイトの生きてきた故郷を知ることは、きっと楽しいだろうな、と思えた。
「……くしゅっ」
ふと、くしゃみが出た。
サイトの話に夢中になっていて気付くのが遅れたけど、夜も深まって空気がすっかり寒くなっていた。
「なんか寒くなってきたな。そろそろ降りるか」
サイトも肌寒さを感じていたのか、話を切り上げて屋根から降りようとしていた。
私も寒かったし、そろそろ寝ないといけない――それは分かっているのに、一瞬、「もう少し話を聞かせて」と言いそうになってしまった。
けど、その言葉は飲み込む。別に今でなくても、話を聞く機会はこれからまだまだあるだろう。
……そう分かっているはずなのに、何故だろうか。
この時間が終わってしまうと考えると、少し寂しかった。
何故、なんだろう。
ニホンのことをもっと聞きたい、というのは確かだけど、別に今でなくてもいいのに。
このまま屋根の上に居たって、寒いだけなのに。
もう少しだけ、こうしていたかったと思ってしまうのは。
「……サ、サイト!」
気持ちが溢れて、口から零れてしまったように。
私はサイトを呼び止めていた。
「ん、何だ?」
サイトが振り返る。
つい呼び止めてしまったけど、何と言えばいいのか分からなくて、戸惑ってしまった。
「あ、その、ええと……」
何か、何か話すことはないか。
必死に頭の中を探っていて、ふと、一番大切なことを伝えるのを、今まで忘れてしまっていたことを思い出した。
すう、と。一度だけ深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
「――ありがとう」
その一言に、色々な想いを込めた。
「ニホンのこと話してくれて、ありがとう。
色々と悩みを聞いてくれて、ありがとう。
心配して、気遣ってくれて、ありがとう。
……そ、それから。ええと。
私と友達になってくれて、ありがとう。
どうか、これからもよろしくお願いします」
一気に言い切ってから、不安になってきた。
急に何言ってんだこいつ、とか言われないだろうか。寒いのに呼び止めるなとか、言われないだろうか。
サイトはそんなこと言わないと思うけど、気持ちを言葉にして伝えることに慣れていない私は、不安でいっぱいだった。
彼は、少しきょとんとした顔をした後。
「……へへ。どういたしまして。
俺の方こそ、色々とありがとうな。感謝してる。
これからもよろしくな」
そう言って、にっこりと笑ってくれた。
彼の言葉に。彼の笑顔に。伝わってくる彼の気持ちに。
身体は冷えているのに、心がとてもあたたかくなった。
○
「……サ、サイト!」
リースに呼び止められた。
「ん、何だ?」
そう答えて、振り返る。
リースは、なんだか迷っているような様子で、言葉を選んでいるようだった。
「あ、その、ええと……」
夜も遅くなってきたとはいえ、別にまだ慌てるような時間じゃない。
黙って、彼女の言葉を待つことにした。
やがてリースは、気持ちを落ち着かせようとしたのだろうか、一度だけ深呼吸して。
「――ありがとう」
そう、綺麗な微笑を浮かべて、言った。
「ニホンのこと話してくれて、ありがとう。
色々と悩みを聞いてくれて、ありがとう。
心配して、気遣ってくれて、ありがとう。
……そ、それから。ええと。
私と友達になってくれて、ありがとう。
どうか、これからもよろしくお願いします」
一気に言い切ってから、今度は一転して不安そうな顔になる。
何を不安に思っているのかは分からないけど、なんだかそれは、自分の言葉に照れているようにも感じられた。
俺は、リースのころころと変わる表情に、少しきょとんとしてしまったけど。
「……へへ。どういたしまして。
俺の方こそ、色々とありがとうな。感謝してる。
これからもよろしくな」
そう言って、俺も感謝の気持ちを言葉にする。
俺の返事を聞いたリースの顔は。
とても、とても嬉しそうに、微笑んでいた。