夜空に浮かぶ双月の下、魔法学院の風の塔の最上部で、私は膝を抱えて蹲っていた。
なんてことを、してしまったんだろう。
時間が経ち、自分の行いの酷さを自覚して、私はずっと後悔の念に襲われていた。
「ルイズ、怒ってたなあ……嫌われちゃったよなあ……」
ひどいことをしたのは私なのに自分勝手に逃げて、怯えて、落ち込んで。
何をやっているんだろう、私は。
ルイズは私に優しくしてくれた大切な友達。
たくさん嘘をついて秘密を作ってたのは私なのに、私の気持ち分からないくせに、なんて叫んで。
謝りにいくべきなのは分かってる。けど、合わせる顔はない。
……それは、言い訳か。
私は怖がっているだけだ。ルイズに会って、彼女の言葉を聞く事が。
もう絶交だ、なんて言われたら……その場面を想像しただけで、胸が痛くなる。
「――にゃあ」
「……え、ブリス?」
聞き慣れた鳴き声に顔を上げると、目の前にブリスがいた。
「いったい、どうやってここまで……」
「どっこいしょお!」
ブリスの姿に驚いていると、今度は塔の屋根のふちに手が現れて、気合のこもった掛け声と共にサイトがよじ登ってきた。
塔の高さは、少しジャンプしたくらいじゃ届かないというのに。
私のように魔法を使えないサイトは、どうやら塔の外壁を命綱もなしに身体能力だけで登ってきたらしい。
「よお、リース。探したぜ……ぜえ、はあ」
もう逃がさない、とばかりにサイトは私の手を掴んできた。
塔をよじ登るために余程体力を使ったのか、呼吸は乱れていて、目が若干血走っていて、少し怖い。
あと、何故かサイトに手を握られているとドキドキして、戸惑ってしまう。
「サ、サイト。逃げないからひとまず呼吸落ち着けて……あと、手離してもらえると……その」
「え……あ、ああ。わりい」
サイトは慌てた様子で手を離して、私の隣に座り込む。
ブリスはいつの間にか近くにいて、ごろごろと喉を鳴らしながら身体をすり寄せてきていた。
「ルイズから事情を聞いてよ、リースのこと探してたんだ。
そしたらブリスが、まるでここまで案内するみたいに俺の様子を振り返りながら走っていくから、追っかけてきたんだよ。
使い魔との繋がりみたいなので分かったのかもな、リースの居場所。
こんな高いところにいると思ってなかったからびっくりしたぜ」
「そ、その……色々と、ごめん。ルイズにすごくひどいことしちゃったし、サイトにも迷惑かけて……」
「迷惑なんかじゃねえよ。ルイズだって、自分も悪かったから謝りたいって言ってたしな。
それに、友達なんだ。喧嘩することだってあるだろ」
私を励まそうとしてくれる言葉がすごく嬉しい。
けど、その言葉を受け取る資格は自分にないと思う。
今回のことだけじゃなくて、ずっと嘘をついて騙して、必要でもないのに関わって。
いま思い返せば、『未来視』の光景には一度だって、私の姿はなかった。
きっと私がいなくても、ルイズとサイトは数々の困難を乗り越えていたのかもしれない。
もしそうなら、私がしたことはルイズ達を余計に苦しめただけだったのではないだろうか。
「……正直言ってさ。アルビオンでのこと、覚えてるんだろう? リース」
びくり、と身体が震えた。
騙しきれているとは思っていなかったけど、面と向かって言われると、思わず驚いてしまった。
「俺はこの世界の魔法とかあんまり知らなくってさ。
最初にリースの戦うところ見たときは、すげえとしか思わなかった。
……アルビオンでは、正直怖いとも思った。俺達があんなに苦戦したワルドを、簡単に吹っ飛ばしちゃうしよ。
ギーシュ達に聞いた話だと、外にいたレコンキスタの軍団も壊滅させてたらしいしな」
「……全然、騙せてなんてなかったんだね、私」
全てばれていた。
冷静に考えれば、そんなの当たり前の話。
自らの凶行を覚えていないと嘘をついた時だって、きっとすごく怯えた様子が伝わってしまっただろう。
私が本当に何も覚えていないのなら、怯えることなんて何もないというのに。
ただ、優しい彼らは騙されたふりをして、そっとしておいてくれただけなんだ。
「覚えてるよ、全部。私がしてきたこと……全部。
たくさんの人を殺した。笑いながら、たくさんの人を。
自分が自分でなくなるような感じになって、まるで……化け物みたいに」
「それが、リースの『普通』じゃないことの苦しみ、なんだよな」
ルイズとの会話で出した言葉だ。それも聞いてきたのだろう。
私がサイトの問いに頷いて答えると、彼は――小さな笑みを浮かべた。
「ようやく聞けたな。リースの本音」
「……サイト?」
「ずっと、聞けずにいたけどさ。リースが時々すげえ辛そうな顔してるの、心配だったんだ。
理由も分からないし、どうすればいいのか分からなくて、そのままにしちまったけど……。
本当はずっと、なんとかできないのかって考えてたんだ」
――何故私は、騙せていたなどと思っていたのだろう。
こんなにも私のことを考えて、心配してくれている友達のことを。
「それはルイズも同じだよ。ずっと、リースのこと守りたい、支えになりたいって思ってたらしいぜ。
だから、伝説の虚無なんてものに目覚めて、ようやく友達の力になれるって……そのことで頭がいっぱいで、リースの気持ちを考えていなかったって、後悔してた」
「私の方こそ、ルイズの気持ち……いや、サイトや、みんなの気持ちを何も考えていなかったよ。
自分のことばかり考えて、嘘をついて、なんとか誤魔化したいって思っていただけ……」
化け物と呼ばれたくない。怖がられたくない。嫌われたくない。
だから自分のことを誤魔化して、『普通』を装って生きてきた。
けどそれは、自分を守るためだけの生き方でしかなく、周囲の人を騙して、時には傷つける生き方だったのだと、今ではそう思う。
「それでも、守ろうって思ってくれたんだろ?
フーケの時も、アルビオンの時も……自分が苦しんででも、俺達を守るために戦ってくれただろ。
俺達もそんな風に、リースのことを守りたいんだよ。弱くて頼りないかもしれないけど……友達だから、守りたいんだ。
舞踏会の時に言っただろ? 『普通』じゃなくたって、俺達はリースの友達だって」
もちろん、覚えている。あの夜、サイトとルイズがくれたあたたかい言葉は、私を救ってくれた。
なのに私は、本当に化け物な私を知られたら嫌われる、離れられる、友達じゃいられなくなる……そうなることを怖がって、嘘をついて逃げていた。
本当は、全てを知っても受け入れてくれることを信じたい。
だけどもしも――子供の頃のように、大切に思う人達から化け物と呼ばれたらと思うと、どうしても怯えてしまう。
「うん、ちゃんと覚えてる。とても嬉しかった。
だから、怖かったんだ。そんな風に言ってくれる二人が、私の『普通』じゃない力を見て、離れていってしまうんじゃないかって。
……化け物って、言われちゃうんじゃないかって」
「化け物だなんて……! 言うかよそんなこと!」
「……うん。きっとサイトは言わない。ルイズも言わない。そう信じたい。
だけどね、私……子供の時、父親に影で化け物って言われてたの、聞いちゃって」
今でも鮮明に思い出せる。忘れたくても、忘れられない。
正面から化け物と言われることはなかったけど、父がそう呟いているのを盗み聞きしてしまった。
母は庇ってくれていたけど、それでも私の『普通』じゃない力に怯えているのは、十分に伝わってきてしまった。
「それから、ずっと、ずっと怖くて。
皆が優しくしてくれても、皆を好きになればなるほど……そんな人達から化け物って言われたらって、私……」
気付けば、涙が零れていた。
泣くのは卑怯だ、と思っても、止まってくれない。
私が過去にどれほど嫌な思い出があるからって、ルイズを傷つけていい理由にはならないのに。
本当はもっと責められて当然のことをしたのに、泣いて同情を誘うなんてしていいはずないのに。
だけど、涙が止まらない。今日という日まで抑え込んでいた気持ちが溢れ出してくるように、嗚咽が止まらない。
「そうやって、ずっと『普通』じゃないことに苦しんできたのに、ルイズは『普通』じゃないことを誇りに思ってるみたいで。
彼女の嬉しそうな顔を見ていたら、私の苦しみってなんだろうって……私は」
これまでの人生、ずっと耐えてきた苦しみは、何だったのか。
素直に両親に、化け物なんて言わないでと話せば、何か変わっていたのだろうか。
……けど、それは今言うべきことじゃない。
本当にいま話して、謝らなければいけないことは、もっと醜い私の本心だ。
その本心のために、私はルイズを傷つけてしまったのだから。それを、きちんと話さなければいけない。
「私はようやく、『普通』じゃないことの苦しみをいっしょに分かってくれる人ができた、なんて喜んでしまって。
それはとてもひどい願いだって思ったけど、でも、ルイズともこの苦しみを分かち合えたら、なんて願ってしまって。
そんな自分がすっごくみじめで、醜く思えてたのに……自分の力を誇りのように語るルイズが、羨ましかった、妬ましかった。
……私はルイズをひどく自分勝手な理由で傷つけた。もう絶交されたって仕方ないって思う。
だけど――許されるなら、これからも友達でいてほしい。ちゃんと謝りたい。謝るだけで許されるとはとても思えないけど」
言葉が止まらない。ずっと隠さないといけない、と蓋をし続けてきた本当の気持ちが、溢れ出してくる。
きっと、私は自分のことを隠したかったんじゃない。こうやって気持ちを打ち明けて、受け入れてほしかったんだ。
だけどもし私の本当のことを知られたら、相手から嫌われる、怯えられると勝手に決め付けて、ずっと逃げてきた。
こんな機会でもなければ、きっと、私は死ぬまで、本当の自分を隠して、騙して、怯え続けていただろう。
今だって、怖いことに変わりはないけれど。
サイトに、ルイズに、皆に……受け入れてほしい。いっしょにいてほしい。
今日まで友達として過ごしてきた時間を、これからも続けていきたい。
「ルイズが虚無の担い手、てのは聞いたんだよな。
俺はさ、虚無の担い手を守る伝説の使い魔・ガンダールヴ、てやつらしい」
サイトはそう言って、手を月へ向かって翳す。
今は光っていないけれど、その手の甲には使い魔の証としてルーンが刻み込まれている。
「これだって『普通』の力じゃないけどさ、リースの苦しみとはまた事情が違うよな。
ルイズだってそうだ。あいつにも色々事情があって、強がっているけどたくさん苦しんでる。
リースも、ルイズも、俺も……みんなたしかに『普通』じゃない。だけど、リースの苦しみを本当に理解できるのは、リースだけだ」
サイトの言うとおり。例え『普通』とは違うという共通点があっても、私はルイズの苦しみを彼女本人のように理解することなんて、できない。
そんな当たり前のことにも、私は気付けなかったんだ。
「だけど、理解できなくても支えあうことはできるだろう。
辛い時には相談してくれよ、今みたいに、本音をぶつけてきてくれよ。
俺も、ルイズも、リースの本音から逃げたりなんてしねえ。喧嘩したからって、絶交なんてしねえよ。
……俺達、友達じゃないか」
そうやって励ましてくれるサイトの顔には、なんだか悲しそうだった。
彼はずっと、私を友達だといって、悩みを聞こうとしてくれていたのに。
私はずっと、それを拒んで逃げ続けていた。
サイトはそれを責めたりしないけど、辛かったと思う。悲しかったと思う。
私がもし彼の立場で、友達が苦しんでいると分かっても、そのことを友達から何も相談してもらえなかったら……きっとすごく悲しい。
「……うっ、くっ、ううぅ……」
そうやって友達を苦しめてきたのは私なのだと思うと、胸が苦しくなる。
「サイト……ごめん。ごめんなさい。そして……」
彼だけにではなく、ルイズにも、きちんと謝らないといけない。謝りたい。
だけどいまは、何よりも彼に伝えないといけない言葉がある。
「私はたくさんのことを間違えて、あなたやルイズをを傷つけてしまったのに。
それでも友達でいてくれて、ありがとう――」
双月の浮かぶ空の下。
大切な絆を守ってくれた彼に、最高の感謝を想いを、その言葉に込めた。