リース・ド・リロワーズは、人付き合いが苦手だ。
自身の秘密を知られることを恐れて他人を避け続けてきたから、どのように人と接したらいいのか分からないのだ。
無表情の仮面を被り、普通を演じる。そんな生活を何年も続けてきた。
だから、他人と心を通わせることなんてできないのだと、誰よりも彼女自身が諦めている。
それは魔法学院に入学してからも変わらなかった。
ひたすらに他人を避けて、感情を表に出さずに生きてきた。
だが先日の使い魔召喚の儀で、同級生の少女ルイズに、自分が使い魔として呼び出した猫に夢中になるあまり、仮面が外れた素の自分を見られてしまった。
ルイズの使い魔である少年、平賀才人にも同様にその姿を見られて、素の自分を曝け出してしまった。
それがきっかけだったのだろうか。
リースは、少なくともルイズ達の前では、仮面を外せるようになった。
秘密を守るために、普通を演じることだけは止められなかったけど、それでも少しだけ変わることができた。
後日、魔法学院を盗賊のフーケが襲撃するという事件を通じて、キュルケとタバサという2人の少女とも知り合った。
ルイズ達との交流で少しだけ心を開けるようになったリースは、その2人にも仮面を外して接することができるようになった。
また、事件の最中に自分の秘密である『普通ではないこと』がばれてしまったが、ルイズ達はそれを受け入れてくれた。
リースは、それが嬉しかった。
周囲に公にできない秘密があることに変わりはなくても、少数とはいえ受け入れてくれる人がいたというだけで、救われた気がした。
リース・ド・リロワーズは、相変わらず人付き合いが苦手だ。
ルイズ。才人。タバサ。キュルケ。そして入学当初に知り合った、シエスタ。
この5人とは、なんとか友達として交流できている。
けど、それ以外の他人とはやはり心の仮面をつけて、心を隠してしまう。
だからクラスメートからは、特別嫌われたりいじめられてはいなくても、付き合いづらい人間として避けられている。
リース自身も周囲を避けて過ごしている。
そのことについてリースは、多少寂しさを感じながらも、自分で選んだ生き方だと諦めていた。
仮面と演技を、不器用に使い続けて。
リース・ド・リロワーズの日常は、今日もなんとか回っている。
1-1 友達って難しい。
とある日の放課後。
フーケ捜索隊のメンバーで、お茶会をしようという話になった。
トントン拍子に話は進み、みんなで協力し合うとあっという間に準備が整った。
温かな春の陽気に包まれた、学院の庭に置かれたテーブルをみんなで囲む。
厨房で焼いてもらったクッキーをお茶菓子に、淹れ立ての紅茶をみんなで味わうことにした。
「リースと2人っきりで楽しむつもりだったのに……」
「聞こえてるわよルイズ。何よ、水くさいじゃない。私達は戦友でしょ?」
「仲間はずれ、よくない」
「……俺の存在なかったことにしてないかルイズ?」
そもそもお茶会をしようと言い出したのはルイズだったが、その時はリースだけを誘っていた。
だが立ち聞きしていたらしいキュルケが「私も混ぜなさい!」と割り込み、そんな彼女に引っ張られるようにタバサも参加。
その様子を見てリースが「みんないっしょの方が楽しそうだよね」と言って、ルイズは渋々他のメンバーを受け入れることに。
ルイズとしては、数少ない友人であるリースとじっくり交流を深める予定だったのだが……なんだか賑やかな集いになってしまった。
「はい。みなさん、どうぞ。熱いのでお気をつけて」
シエスタが焼き立てのクッキーを運んできて、テーブルに載せた。
「ありがとう、シエスタ。よかったら、いっしょにどう?」
「お誘いありがとうございます。けど、まだ仕事が御座いますので」
「そっか。じゃあ、また機会があれば」
礼をして立ち去っていくシエスタをリースが見送る。
その様子を見て、ルイズは「むー」と唸った。
「リース、あのメイドとは仲良さそうに話すわよね」
「なあにヴァリエール、嫉妬しちゃってるの?」
そんなことを言うルイズを、キュルケはからかう。
ちちち違うわよ! とルイズは声を荒げて、慌てて言った。
「なんていうか、リースっていつも私達に遠慮しているというか、微妙に距離を感じるのよね。
けどあのメイド……シエスタ、だっけ? あの子とはそういうの感じないというか」
ルイズはすらすらと自分の考えを語る。
それを聞いて、当のリースは「そ、そうかな?」と疑問を返した。
「自分ではそんなこと、ないと思うんだけど」
「いいえ! 絶対、シエスタと私達とで、リースの態度とか口調とか、何かが違うわよ!」
「う、うぅ……その、ごめんなさい」
ルイズの剣幕にたじたじになって、俯きがちに頭を下げて謝るリース。
そんな2人の様子を見ていたサイトが、自分の主人であるルイズを呆れた顔で見ながら言う。
「……あー、ルイズ。おまえ押しが強すぎるんじゃね? リース困ってるだろ」
「何よ、犬! あんただって距離置かれてるじゃない!」
「は? んなわけねえって! なあリース?」
「え、えと……自分では、距離を置くとかそんなことしてるつもり、ないんだけど」
サイトに話を振られて、戸惑いながらリースは答える。
リース自身は無意識のうちにだが、ルイズの言う通り、リースの対応には違いがあった。
大きく分けて3通り。
まず赤の他人。これはもう、必要ない限り世間話すらしない。
秘密を守るために被り続けている仮面は、感情を表に出そうとせず、他人を拒むオーラのようなものがあった。
次に長い付き合いのある友人。今のところ、シエスタが唯一これに該当する。
人付き合いが苦手なリースも、一年近く付き合いのあるシエスタとは、比較的素直に心を通わせることができていた。
それでもまだ、リースが深く踏み込めずにいるところがあり、立場の違いなどもあって親友と呼び合うにはいま一歩届かないようだが。
そして最後に、友人だけどまだ距離感を掴み切れない新しい友人――これがルイズ達。
つまりは今のお茶会メンバーである。
人付き合いも友達作りも経験不足のリースにとって、他人との関係は時間をかけて徐々に慣れていくものだ。
だから今のルイズのように、友達だと互いに認め合ったら急接近! みたいなタイプは、正直苦手だったりする。
サイトはさらに触れ合うことが少ない異性ということもあり、やはり距離感に迷っている。
一方、キュルケはそういった他人との駆け引きなどは慣れたものであり、リースも気付かぬうちにキュルケのサポートを受けている。
タバサは、彼女自身が他人に積極的に関わりにいくタイプではないため、徐々に距離を縮めていきたいリースとは割りと相性が良い。
また、リースには時折見えてしまう未来視のようなものがある。
脳内に流れ込んでくるイメージの中心は、主にルイズとサイトだ。
普通とは違う力を宿すリースにとっても未知の体験。その未来視もまた、異常な力と同様に秘密にしなければならないことだ。
そのため、2人への秘密が多いということが、ルイズとサイトへの負い目となっていて、つい一歩引いた距離に下がってしまっている。
リース本人も自覚していないことで、それは今すぐに改善できるようなことではなかった。
「ヴァリエール、あなたこの前知り合ったばかりなんでしょう?
いきなり距離を縮めようというのは早計じゃないかしら」
「なんでよ、友達だったら隠し事とか遠慮はいらないでしょ?」
「……っ」
ルイズの何気ない一言に、リースはびくりと震えた。
秘密を隠し続けているリースにとって、今の一言は心に刺さるものだった。
「はぁ……。あのねぇヴァリエール。人には誰だって、秘密にしたいことのひとつやふたつ、あるってものよ。
そういう部分も含めて受け入れてあげるのが、本当の友達じゃないの?」
だから、キュルケのした反論は、嬉しいものだった。
「そ、そう思う? キュルケ」
「ええ。大切なのは、相手のことが気に入るかどうかよ。
秘密を抱えてる人は、抱えるだけの理由があるのだから、無理矢理聞き出すのはどうかと思うわ。まあ、試しに質問してみて相手の反応を窺うっていうのは、私はよくやるけどね。嫌がってる様子が見えたら、いったん退くのも友情よ」
堂々と断言するキュルケに、内心で「ありがとう」と感謝するリース。
受け入れてもらいたい。けど、簡単には秘密を明かせない。
そんな悩みを抱え続けてきたリースにとって、『秘密があることも受け入れよう』というキュルケの考え方は、とても嬉しいものだった。
フリッグの舞踏会でタバサに問い詰められて、リースはある程度自分のことを語った。
あの時は怖かったし、勇気は必要だったけど、向こうからきっかけを作ってくれて助かったとも感じている。
だから相手から踏み込んできてくれるのも、リースにとってはありがたい時もある。
ただ、ルイズの踏み込みは強すぎていた。
床を踏み砕かんばかりの勢いの踏み込みである。
気が強くてプライドの高いルイズにとっても、友達は貴重な存在であり、突然の友達候補の出現に距離感を測り違えている面があるのだった。
「…………どうかと思われた」
誰にも聞こえないような小声でぼそり、と呟くタバサ。
キュルケの言葉に、フリッグの舞踏会での自分の行動を鑑みて、思うところがあったようだ。
そんなタバサの様子には誰も気付かず、ルイズはリースの様子にまたもや「むぅぅ!」と唸った。
「ツェルプストーとも何か良い雰囲気じゃない! もう!」
「ヴァリエール、あなたもしかして本気で嫉妬……?
そ、そういう趣味とかあるの?」
「は? そういう趣味って、何よ?」
「……そ、その……百合の花的な?」
「レ○?」
「タ、タバサ! ちょっと直球すぎるわよ!」
「だ、だだだだだ誰が○ズか!
そんな趣味ないわよ馬鹿ー!」
怒ったルイズが怒鳴り、ぎゃあぎゃあと喚いてキュルケと取っ組み合いを始める。
今日もトリステイン魔法学院は、騒がしくも平和だった。
この時期は、まだ。
1-2 リースはにゃんにゃんするようです。
タバサがその光景を見たのは、偶然だった。
穏やかな春の日差しが照らす中庭の隅。
あまり人気のないその場所で、「なんかあの子っていつもどんよりとしたオーラ漂わせてるよね」と周囲に散々な評価をされている少女、リース・ド・リロワーズは。
「ふふ……にゃん、にゃん♪」
「にゃ、にゃにゃにゃ!」
それはもう眩しいぐらいの満面の笑みを浮かべて、己の使い魔である黒猫と戯れていた。
リースがエノコログサを左右に振ると、黒猫が楽しそうに追いかける。
その黒猫の様子を眺めて、ご機嫌な笑顔を浮かべるリース。
彼女の陰口を叩いていた者達がその様子を見たら、どれほど驚くだろうか。
「にゃふう、もう可愛すぎるにゃ……あっ」
タバサが観察を始めてしばらく経って。
リースはタバサに見られていたことにようやく気付いたようだった。
羞恥に顔を真っ赤に染めて、「い、いいいいつから見てたの……?」とタバサにおそるおそるといった様子で尋ねる。
「ん。『にゃん、にゃん』の辺りから」
「……そ、そう。じゃあ、あれは見られてないんだ……」
安心したかのように、小声で独り言を呟くリース。とても小さな呟きだったが、タバサには聞こえた。
――もっと見られたくないようなことをやらかしたというのか。
とても気になったタバサだが、そこは触れずにスルーしてやろうとする優しさが、タバサにもあった。
「あ、えっと……タバサも、触る?」
「……ん」
じっとリースを見ていたことを、彼女はタバサが猫と遊びたがっていると勘違いしたようだ。
特別興味があったわけではないが、タバサも可愛いものは好きだ。少し、触らせてもらうことにした。
タバサは本を好んで読む。そうして蓄えた知識の中から猫との接し方を思い出して、優しく黒猫に触った。
まずは頭をゆっくりと撫でて、だんだんと背中へ。緊張が解けてきたら、喉を指で撫でてみる。
黒猫はその手つきが気に入ったのか、目を細めながらタバサの指に擦り寄ってごろごろと喉を鳴らしていた。
「ブリス、とっても喜んでる……上手いんだね、タバサ」
「本で読んだだけ。やるのは初めて」
「そうなんだ……すごいなぁ」
リースは、タバサの鮮やかな手並みを見て、目を輝かせていた。
ペットなどを飼ったことがないリースにとって、黒猫のブリスとの触れ合いは手探り状態だ。時々失敗もある。
だからあっという間にブリスを喜ばせたタバサを、リースは尊敬の眼差しで見つめていた。
「コツ、知りたい?」
「教えてくれるの!? ぜひお願いします師匠!」
「……落ち着いて」
テンションみなぎってるリースに、タバサは冷静に応える。
そして本で得た知識を、実際に手本を見せながら静かに語った。
そんなリースとタバサのやり取りを、キュルケは影から見守っていた。
人付き合いが苦手、という点でタバサとリースは似ている。
だが、先日のフーケ襲撃事件から交流を持った二人の関係は、中々良好のようだった。
(特にリース。あの子、けっこう良い顔で笑うじゃない)
リース・ド・リロワーズのことは、キュルケも噂程度でしか知らなかった。
とにかく笑わない。無表情で感情が読めない。人を避けて1人で過ごしている。
それが周囲の主な評価だった。
中には、『トライアングルだからって周りの人間を見下してるんじゃない?』というように、勝手に決め付けて陰口を叩いている者もいた。
だが、今のリースの様子からは、そんな評価はまったく浮かばない。
おそらくは普段の学院での様子は偽りのもので、今見せているのがリース本来の性格なのだろうとキュルケは考えていた。
キュルケは先日まで、リースに対しては別に興味もなく、敵視も同情もしていなかった。
だが、フーケ襲撃事件では共に戦って、リースの人となりを知った。
それからはキュルケも、友人として関わっている。
事件の際にリースが振るった、常識外の力に関しては、恐怖もある。
だが、リース本人がその力を駆使して必死に友人を守ろうとしているところを見て、キュルケはリースが気にいった。
(いざって時に友達のために頑張れる子って、熱いじゃない。そういう子、好きよ)
陽だまりの中、タバサとリースは仲良さそうに過ごしている。
そんな2人を見守るキュルケの視線には、子供を見守る母親のような温かさが満ちていた。
1-3 ルイズ達は決意しているようです。
「うおおりゃあ!」
『相棒、力みすぎだ! そんで踏み込みがあめえ!』
デルフリンガーの助言を聞きながら、サイトは剣の素振りを繰り返している。
その近くではルイズが教科書を広げて予習、復習を行っていた。
時々、実際に呪文を唱えて魔法の練習をしようとして、その度に失敗魔法による爆発を起こしている。
「ああもう、なんでこうなるのかしら! 呪文は間違ってないのに……」
ルイズの魔法は、唱えた呪文に関係なく爆発という結果になって終わる。
成功するのは本当に稀で、成功率のほぼゼロということから“ゼロ”のルイズという不名誉な二つ名を付けられた。
例え何度失敗しようと諦めずに挑戦し続ける姿を、嘲笑されたりもした。
だが、ルイズは諦めない。
元々諦めずに頑張り続けてきたルイズだが、最近努力する理由が増えた。
新しくできた友達、リースを守りたいからだ。
(まあ、私なんか役に立たないぐらい、リースは強いんでしょうけどね……)
フーケとの戦いで見せたリースの力は、凄まじいものだった。
“フライ”と攻撃魔法の同時行使。瀕死の重傷を一瞬で治癒。残像を残す程の高速移動。
どれもハルケギニアの常識を覆すものだった。
それをたった一人で行ったリースの身には、どれほどの力が宿っているのだろうか。
(だけど、それでも……守りたいって思ったのよ)
リースは強大な力を持ちながら、自分達を助けるために戦い、普通なら死んでもおかしくない程に傷ついた。
普通ではない彼女の力を、怖いとも感じる。自分では助けになるどころか、足手纏いだとも思う。
それでも。ルイズは友達を……リース・ド・リロワーズを守りたいと思った。
リースとの付き合いは短い。まともに話したのは召喚の儀式の時が初めてで、まだ1ヶ月も経っていない。
けど、それでも『友達だから、心配なんだ』と身を案じてくれた少女を、ルイズは大切に思っていた。
だから魔法が使えない“ゼロ”のままでも彼女の力になれるように、自分にできることを探さなければならないと張り切っていた。
使えるに越したことはないので以前と同じく魔法の勉強と練習は続けているが、今はそれ以外のことにも手を伸ばしている。
剣士としての力を持つサイトと共に戦闘訓練を行ったり、今までは不要と避けていた分野の勉強を始めたり。
あまり範囲を広げすぎても器用貧乏となる恐れがある。
だが、まずは試してみなければと、ルイズはがむしゃらに努力していた。
(絶対、強くなるわ。今度は、私がリースを守れるように!)
心に決めた決意を胸に、ルイズは日々、努力する。
後日ルイズ達は、改めて自分達の無力と未熟を痛感することになる。
だが、それでも彼女達は諦めずに前に進むだろう。
いずれ、その身に宿る才能と宿命が目覚めようとも、胸に深く刻まれた決意と後悔は、消えることはないはずだ。
彼女達は、『友達を守りたい』という願いを叶えることを、最後まで諦めないだろう。
その自らの意思が故に、襲い来る運命の試練が心をどれほど傷つけようとも。
1-4 ブリスも、普通ではないようです
月が綺麗に輝く、静かな夜だった。
ブリスと名付けられた黒猫は、主人となった少女の部屋に用意された猫用のベットで、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
と、急に少女の魘される声が聞こえてきて、ブリスは目を覚ました。
人間用のベットで眠っていた少女、リース。彼女がブリスの主人である。
リースはしばらく苦しそうな声で唸っていたが、やがて飛び起きるように目を覚ました。
「……やな夢、見ちゃったな」
焦燥した表情で呟くリース。
心配して見上げたブリスに気付いたのか、リースは「起こしちゃった? ごめんね」と言いながら、ブリスの頭を優しく撫でた。
「子供の頃にあった嫌なこと、夢に見ちゃったんだ。ごめんね、心配かけて」
「にゃあー」
どれだけ心配していても、ブリスにはそう鳴くことしかできなかった。
主人の言葉は理解できる。苦しんでいるということも、分かる。
だが、その苦悩を取り除く術を、ブリスは持ち合わせていなかった。
それでもなんとかしたいと思い、黒猫は少女のいるベットに近寄り、床から一気に飛び乗った。
ブリスはそのままリースの胸元に飛び込み、少女の頬を伝う涙を舐め取る。
「……あは、くすぐったいよブリス」
辛そうだったリースの表情が、少し柔らかくなった。
それが嬉しくて、もっと笑っていてほしくて、ブリスはさらにリースに擦り寄る。
「ありがとう、ブリス。元気出たよ」
ブリスを抱きしめてベットに身を沈めるリース。
慰められて落ち着いたのだろうか。
しばらくするとリースは、穏やかな寝息を立て始めた。
――主人が、今度は優しい夢を見れますように。
ブリスはそう願いながら、自分も目を閉じた。
ブリスはその晩、子供の頃の夢を見た。
二つに分かれた尻尾――二又として生を受けたブリス。
その頃はまだブリスという名前ではなく、そもそも名前という概念がなかった。
ブリスの両親や兄弟は、普通の猫だった。
だからブリスが成長するにつれて能力や思考に差が生まれていき、ブリスが二又としての“力”に目覚め始めると、亀裂が生まれた。
血は繋がっているはずなのに敵視され、ブリスは肉親の輪の中から追い出されることになった。
両親の庇護を受けられない野生の生活の中では他の動物達から畏怖され、迫害されて、化け物だと言われて生きてきた。
使い魔と主人は共に、化け物と認識されるような力を身に宿した、常識外の存在だったのだ。
その共通点が故の、運命の出会いだったのだろうか。
害敵から逃れるためにブリスがとっさに飛び込んだ、突然現れた不思議な光る鏡の向こう側には、優しい日々が待っていた。
ブリスはリースの過去を知らないし、リースもブリスが普通でないことを知らない。
だけど、その出会いは確かに互いの心にとって支えとなり、主従は共に笑顔になれるようになった。
夢の中の情景が最近の、リースとの日々のものへ変わったことで、ブリスの寝顔にも穏やかさが戻った。
ブリスとリースは、今、確かに幸せだった。
そんな2人を見守るように、今日も双月は夜空から優しい月明かりを注いでいる。