世界に境界はないのかもしれない。 私が此処に居るように彼らも此処にいた。 私は迷い込んだ。 では彼らは? 何故此処にいる。 何が目的なのか。 その時、私は何もわからなかった。「風韻竜?」 ミルアはそう言いこてんと首をかしげた。 タバサとミルアは、シルフィードの背に乗り、遥か上空を突き進んでいる。 タバサの髪やシルフィードの鱗の様に青い青い空がとても心地いい。 ミルアが両手を挙げ、空を掴むような仕草をするぐらいに文句なしの青空だった。 そんな中、不意にタバサから告げられたシルフィードの正体。 絶滅したといわれている韻竜。「何故それを私に?」 ミルアがそう尋ねると、「一緒に居る時間が長ければボロが出る可能性も高い」 タバサの言葉にミルアは僅かに納得できなかった。 ボロがでると言っても、タバサはとても口数が少ない。 おまけにミルアには、風竜も風韻竜も見分けがつかない。 ハルケギニアの竜に関しての知識がないのだから当然といえば当然。 なら何故? ミルアがそう思っていると。「もう喋っていいのね? もう喋っていいのね?」 シルフィードが堰を切ったように喋りだした。 その瞬間、ミルアにもなんとなく理解できた。 普通、竜は喋らない。 そして風韻竜であるシルフィードは喋りたがっている。 ボロを出しかねなかったのはタバサではなくシルフィードなのだ、と。「秘密」 タバサはミルアに振り返り、自らの口に人差し指をあててそう言った。 ミルアは頷きながらも、「秘密にするのはいいのですが、ばれるとまずいのですか?」 その問いに答えたのはシルフィードだった。 シルフィードは首をぶんぶんと横に振りがなら、「シルフィは実験動物とか嫌なのねっ! お薬、解剖……ぶるぶるぶる」 「ぶるぶるぶる」と、わざわざ口に出さなくても、と思いつつもミルアは事情を理解した。「了解しました。誰にも言いません」 ミルアがそう言うとタバサはこくりと頷いた。 ふと、ミルアはあることに気がつく。 シルフィードが徐々に高度を下げ始めていた。 遠目からでもわかる立派な屋敷が見える。 目的地はあそこなのだろう。 ミルアはそう思い、「目的地はあそこですか?」 ミルアの問いにタバサは頷いた。 次いでシルフィードが、「お家っ! お姉さまのお家なのねっ!」 その言葉にミルアが「お姉さま?」と疑問の声をあげ首をかしげると、タバサは自らを指差した。 シルフィードの言うお姉さまがタバサのことだと理解したミルアは頷く。 そして一行は屋敷の前に降り立った。 タバサの家であろうその屋敷は遠くから見れば立派な屋敷であったが、近づいてみてみると「寂しい」という印象をミルアに与えた。 ひっそりと静まりかえっていて、中に誰も居ないような印象を受ける。 すると屋敷の扉が開き一人の男性が現れた。 執事服と思われるものに身を包んでいて、老人といえる年齢に見える。 その顔には年相応の皺が刻まれているが背筋はぴんと伸びていた。「お帰りなさいませ。お嬢様」 老人はそう言ってタバサに頭を下げた。 タバサも黙って頷く。「風竜を使ってのお帰り。何かお急ぎでしょうか?」 老人がそう言うと、タバサは自らのドレスを軽く摘み、「替えの制服を二人分。二着とも私のでいい」 そう言って自分とミルアを指差した。 その後二人して老人に屋敷の客間へと案内された。「待ってて」 タバサはそう言ってすぐに客間を出て行った。 待たされることになったミルアは客間のソファーに座り込み、そのまま周囲をぐるりと見渡す。 タバサさんにさっきの執事らしき人。あと一人居るのはタバサさんのお母さんだろうか? 確か毒を飲んで心が壊れたという。 屋敷は大きいのに自分を含めて四人しか居ない。タバサさんの事情を考えれば仕方ないといえば仕方ないのか。 ミルアはそんなことを思いながらタバサを待った。 すると客間の扉の向こうから声が聞こえてくる。「お嬢様。替えの制服でございます」「ありがとうペルスラン」「いいえ。しかしお嬢様、お連れになられた少女はいったい?」「今回の任務に同行することになっている。学院の……友人」「そうですか。お嬢様、御武運をお祈りいたします」 客間の扉が開き替えの服を手にしたタバサが入ってきた。 タバサは服をミルアに差し出して、「着替えて、すぐに出発する」 そう言って渡された替えの制服。 ミルアはそれをぱっと広げてみた。 いや、サイズ大きいだろ。と内心でタバサに突っ込んでおいた。 タバサとミルアの二人は再びシルフィードの背に乗り大空を舞っていた。 シルフィードの飛行速度に反して二人が正面から受ける風は僅か。 タバサが魔法で正面からの風を軽減させている為だが、それでもミルアの尻尾のような後ろ髪をなびかせるには十分だった。 そして今回はそれ以外にも風に揺られている物がある。 ミルアが着ているシャツの袖だ。 タバサのシャツを着ているものだから袖や裾が余る余る。 最初こそ好き勝手に風に揺らしていたが、いい加減鬱陶しいと、ミルアは袖を捲り上げた。 かなり不恰好だ。 スカートに関しては織り込んで裾をつめて、紐で縛ってある。 これもかなり不恰好だが、紐やら織り込んだ部分は余りに余ったシャツの裾が隠してくれていた。 そしてタバサと同様のマント。 これはもしかして暗にメイジのふりをしろといっているのだろうか、とミルアは首を傾げた。「任務の説明をする」 不意にタバサがそう言い、ミルアも頷く。 タバサは書簡を広げ、「目的地は此処より東のブグ村。人口は四、五十人程度の小さな村。最近村人が相次いで失踪している。その数既に二十人。今回の任務はそれの調査、および解決」 ミステリーだ。神隠し? 人攫い? 探偵の真似事は頭の出来的に無理ですよ。 と心の中でミルアはぼやく。「何やら面倒くさそうな内容ですね。北花壇警護騎士団の仕事ってこういうのばかりですか?」 ミルアの言葉にタバサは頷いて、「危険度で言うなら様々。でもどれも面倒なことに変わりはない。しかも北花壇警護騎士団は基本的に単独で任務を行う。故に他の団員の顔を知らない」 国の汚れ仕事も引き受けている性質上そういうこともあるのだろうな、とミルアは黙って頷いた。 厄介ごと、面倒ごとは世界をまたにかけて旅するミルアからすれば慣れっこである。 ごめん被る事に変わりはないが今更どうしようもない。「なんでもこいです。やってやろうじゃん、ですよ」 やはり棒読みであったが、その言葉にタバサも頷いた。 すると蚊帳の外だったシルフィードが、「ところでミルアはいったい何者なのね? 人間じゃないのね」 シルフィードの言葉に、僅かに驚いたような顔をしたタバサがミルアをふりかえった。 見ればミルアは首をかしげている。「人間であるかどうかすら私にはわかりません」 ミルアのその言葉にタバサは、「自分のことなのに?」「自分のことだから余計にわからないんです」 ミルアがそう言うと、シルフィードがやや自慢げに、「シルフィにはなんとなくわかるのね。ミルアからは精霊と同じ感じがするのね。でもなんで人間の姿をしてるのかわからないのね」 その言葉にミルア自身驚いた。 ミルアは自分を人間か、あるいはそれに近い何かだと思っていたのだが、精霊とは想像の斜め上である。 変なところで自分自身に関する謎が出てきた。「余計にわけわかんなくなってきました」 ミルアはそう言って空を見上げた。 それからしばらくの後、いつの間にか森の上を飛んでいた一行だったが、森の木々が途切れ小さな集落が見えてきた。「あそこ、降りて」 タバサの指示にしたがいシルフィードが降下した。 その羽ばたきの音に気がついたのか村の住人が空を見上げ、指をさし驚く。 それぞれに「竜だ」と口にし、混乱し慌てふためいて逃げ出す者も居たが、シルフィードの背からタバサが顔を覗かせると、その混乱も僅かに収まった。 地に降りたシルフィードからタバサとミルアが降りると、一人の腰の曲がった年老いた男性が近づいてきて、「これはこれは騎士様方、ようこそブグ村に。私はこの村で村長を勤めさせてもらっております」「ガリア花壇騎士団のタバサ。この子は同僚のミルア。村人失踪の件で調査に来た。まずは詳しく話を聞きたい」 タバサがそう言うと村長は嬉しそうに、「そうですか調査に来ていただけましたか。この様な小さな村、失礼ながら見捨てられるのではないかと危惧していたのでございます」 村長のその言葉にタバサは首を横に振り、「あなた達はれっきとしたガリアの民。見捨てはしない」 タバサのがそう言うと村長は何度も何度も感謝の言葉を述べ、詳しい話をするために二人を自宅に案内した。 その道中、村人達のひそひそと話す声が一行の耳に届く。「あんな小さな子供に何とかなるのか?」「適当に調査して終わりだろ?」 そんな声の中、一行は村長の家に着き、タバサとミルアは進められた椅子に座った。「先ほどは村の者達が申し訳ないことを」 開口一番村長はそう謝罪し、「若いながらも騎士であるということはそれだけ優秀であるということが村のものはわかっていないのです」「いい。気にしてない」 タバサがそう言うと村長は頭を下げた。 そして、今回の件の詳細について語り始める。 村人失踪にわかっていることは時間帯に関しては昼夜は問わない事。 性別年齢も問わない。 唯一共通していることは何かしらの事情で村の外に出たものが失踪するという事。「ごらんの通り、この村は森に囲まれております。恐らく森に何かあるのでしょうが調べようにも皆怖がって。家族を探しに行った者も失踪してしまう始末で……私の孫も失踪し、その孫を探しに息子夫婦も森に入りそれっきりで……」 村長はそこで言葉をきりうなだれた。 しばらくの沈黙の後、僅かに顔を上げると、「実は数日前、旅のメイジの方が村に立ち寄ったのですが」 村長はそう言うと棚から何かを出してきて、「この家にお泊りいただいて、次の日森に散策に出かけられ、それっきり戻ってきておりません。森での失踪事件のことはお伝えしたのですが」 そう言って差し出したのはそのメイジの荷物だった。 携帯食料や小さなナイフなど、特におかしいところはない。 僅かに考え込んだタバサは、「明日の朝、私達も森に入る」 その言葉に村長は目を見開いて驚く。「森に何かあると考えるのが自然ですよね。で、あるなら森に入らないことには始まらないですから」 ミルアがそう言うとタバサも頷く。 村長は諦めたように、「そうですか、わかりました。それでは今夜はこの家にお泊まりください」 村長がそういい頭を下げるとタバサとミルアの二人は頷いた。「薄暗いですね」 ミルアがそう口にするとタバサも頷いた。 村に着いた翌日、夜が明け太陽が昇ってから、タバサとミルアの二人は森に入った。 昼間だというのに薄暗い。 しかし風の通りはよく、明るさ以外では視界は比較的良好なため、さほど不気味とはいえなかった。 しばらく森の奥へ進んだ後、タバサは周囲を見渡し、「今のところ、おかしいところはない」 ミルアも同様に周囲を見渡し、自分の能力をフルに使って調べた。 音……匂い……そして……「人が居ます」 ミルアの言葉にタバサは驚き、ミルアの視線を追った。 しかし薄暗い森の中、いくら視線を追っても人は見えない。「大きさからして子供に見えます」 いったい彼女は何を見ているのだろうか? タバサにはわからなかったがミルアが歩き出すのを見て、その後を追った。 そして少し歩いて、タバサの耳にある音が届く。 風メイジである彼女は通常の人間よりも聴覚が優れている。 その耳には子供が、それも女の子がぐすぐすと泣いている声が聞こえた。「いた」 タバサが指差す先には確かに小さな女の子が地面にへたり込んで泣いていた。 ミルアよりも小さい女の子は村の子供だろうか。 女の子の下へ駆け寄った二人は話を聞くことにした。 最初はぐずっていた女の子だったがしばらくして、「あのね、私、お兄ちゃんを探しに来たの」「お兄ちゃん?」 タバサがそう聞き返すと女の子は頷いて、「うん。私のお兄ちゃん。四日前に居なくなっちゃったの。お父さんとお母さんは探しに行っちゃ駄目って言ってたけど……」 女の子はそこまで言うとまたぐずりだした。 ミルアは僅かに考え込んだ後、「とりあえず、この子を村まで送りましょう。このまま連れて森の調査をするわけにもいかないでしょうし」「同感」 タバサはそう頷くと、女の子の手を引いて歩き出す。 しばらく歩いているとタバサは不意に視界の端で何かが動くのを見た。 咄嗟にそちらのほうを見るとローブを着たような人影が見えた。 タバサは足を止めると、「ミルア、この子をお願い」「どうしました?」「さっき人影が見えた。確認してくる。その子を連れて行くわけには行かない」 タバサの言葉にミルアは周囲を見渡した。 そして首を横に振ると、「誰も居ませんよ?」 ミルアの言葉にタバサは、「確かに見た。だから確認してくる」 そう言ってタバサは村とは反対の方向へ歩き出す。 ミルアは仕方ないという具合に女の子を手を引き、早足で村へと向かった。 確かこの辺りだ。 タバサはそう思いながら目を凝らして人影を探した。 しかしなかなか見つからない。 するとがさりと草がすれる音がしてタバサはその方向を見た。 さっき見た人影だ。 薄暗いためそのシルエットしか確認できないが、ローブをまとっているように見える。「私はこの森での失踪事件を調査しに来た騎士。あなたは誰?」 タバサはそう声をかけたが人影は答えない。僅かに体を揺らすのみ。 その身長は百九十サントいったところか。 ローブのシルエットからもわかる細身。 タバサは一歩一歩慎重にその人物との距離をつめた。 その人物との距離はもう二十メイルもない。 そして不意に足を止める。 何かが違う。 それはタバサの、経験を積んだ騎士としての勘だった。 なんともいえない違和感。 自分の中の何かが危険だと告げている。 タバサは思わず一歩後ずさった。 その時、人影がローブをばっと広げる。 いや、広げたように見えた。 二対四枚の羽が広げられる。 顔の部分を覆っていた何かが左右に開かれ、そのまま上へと持ち上げられる。 下の一対の羽が大きな音を立てて羽ばたかれる。 まずい。まずい。まずい。 全身の毛が逆立つような感覚に襲われたタバサは思わずソレに背を向けて駆け出した。 しかしすぐに空気を震わせるような音が背後から迫ってきて、タバサは咄嗟に横へ跳ぶ。 ソレはタバサの横を素通りし、その瞬間近くにあった木に大きな切込みが入った。 見ればソレの上の一対の羽は刃のように鋭い。 下の一対の羽だけを動かすその様は何かに似ているとタバサは思った。 そしてすぐにわかった。 あれは甲虫に似ている。 タバサがそう思ったときソレが素早くタバサのほうへ振り返った。 タバサはそれの顔を見る。 小さな二つの目に、ぎちぎちと音を鳴らしている大きな顎。 胸部から生えた三対六本の足。 下二対が長くそれで地面に立ち、上の一対は短く折りたたまれている。「気持ち悪い」 タバサはそう呟くと自らを襲うなんとも言えない恐怖を払いのけ、詠唱し杖をふった。 エア・ハンマー。 空気の塊がソレへと放たれ命中する。 しかしソレは僅かに後ずさるだけで、その顔を、まるで傾げる様に動かした。 馬鹿にされているように感じたタバサは次いで風の刃であるエア・カッターを放つ。「っ……」 タバサは思わず舌打ちをした。 ソレにエア・カッターは一切通用しなかったのだ。 甲虫に似てその体はとても硬いようだ。 かなりまずい状況だとタバサは判断する。 あれだけ硬いと自分の風は通用しない。 火が使えればあるいは何とかなるかもしれないが、あいにく発火程度しか使えない。 しかし簡単に諦めるわけにはいかない。 考えろ。考えろ。何か、何か手はあるはずだ。 思考しているタバサへ再びソレは羽ばたき突っ込んできた。 先ほどと同様横へ跳んでかわすタバサ。 いつまでも避け続けられるとは思えない。 観察しろ。何かあるはずだ。 ソレはぎちぎちと顎を鳴らしタバサの方を振り返る。 そしてその顔を左右へ傾ける。 どういう意図がある動作なのかわからないが、タバサはあることに気がついた。「試してみる価値はある」 タバサがそう呟くと、ソレはまたも羽ばたき三度目の突撃を試みる。 ソレをある程度引き付けたタバサはソレの胸部と腹部の間を狙ってエア・カッターを放ち、同時に横へ跳んだ。 タバサの思惑は見事うまくいき、ソレは胸部と腹部を切断され体液を撒き散らしながら地面を転がる。 頭部、胸部、腹部の三つに分かれている昆虫の特徴を狙ったタバサの勝利だった。「しぶとい」 タバサはそう呟いた。 見ればソレは未だジタバタと地面の上を転がっていた。 しかし、しばらくするとその動きは小さくなり、やがて動かなくなった。 ふう、と僅かに息をついたタバサだったが、その背中を悪寒が襲い慌てて振り返る。 背後十メイルほどにもう一匹立っていた。 気がつかなかった。 タバサが詠唱するよりも早くソレは羽を広げる。 間に合うか? タバサがそう思ったとき、その背後からタバサの顔の横を、光り輝く人の頭ほどの大きさの玉が、ソレめがけて高速で飛んでいった。 その光り輝く玉はソレの顔面へと直撃し、ソレの頭ともども弾けとぶ。 足や羽をばたつかせながら体液を噴出させ、ソレはゆっくりと後ろへ倒れた。「迂闊でした。赤外線だけで確認しただけでは見えないことに気がつかなかった」 何を言ってるのかタバサにはわからなかったが、振り向くとそこには左の手のひらを突き出したミルアがいた。「今のはあなたの魔法?」「まぁ、そうなります」 タバサの質問にミルアは頷いて答えた。 そして既に動かなくなったソレに近づくと、「これ、もしかして人に擬態してましたか?」 ミルアがそう言うとタバサは頷き、「薄暗い森の中なら人に見えなくもない。恐らくこの森での失踪事件の犯人はこの虫」「でしょうね」 ミルアはそう言うとすたすたと森の奥へと歩き出す。「何処へ?」 タバサがそう聞くと、「先ほど女の子から面白くない話を聞きました。ここより奥へ行くと地面に大きな穴が開いてるそうです」 ミルアがそう言うとタバサは珍しく身震いし、「もしかして……巣?」「もしかしなくても巣ですね」 タバサの淡い期待は裏切られた。 昆虫の巣となればさっきのがうじゃうじゃ居る可能性がある。 実に醜悪な光景であろう。 思わず想像してしまったタバサの顔には珍しくげんなりした色が見えた。「わかりやすい」 そう口にしたタバサの目の前にはぽっかりと地面にあいた穴があった。 しばらく森の奥へと進んだ二人の目の前に現れた穴。 直径は十メイルほどある。「まぁ、わかりづらいのよりマシでしょうね」 ミルアはそう言って穴を覗き込む。 しばらくしてミルアは、「六メイルほどの縦穴のあとは横穴のようですね」 そう言ったミルアはそのまま穴の中へと飛び降り、タバサもそれに続いた。 ミルアは難なく縦穴の底へ着地し、タバサもレビテーションを唱えてゆっくりと底に降り立つ。 底に光はほとんど届いておらず横穴の存在もかろうじてわかる程度だった。「まったく見えない。どうするの?」 タバサがそう尋ねるとミルアは左手の指先をピンと伸ばし、「こうします」 そう言うと同時に左手から光る輝く三十サントほどの刃のようなものが伸びた。 それはメイジが杖に纏わせて使う魔法、ブレイドに似ている。「それもあなたの魔法?」 タバサがそう聞くとミルアは頷いて、「はい。その気になれば色んな物を斬れますよ。こんな風に明かり代わりにもなりますし」「興味深い」 普通のメイジなら杖を使わず魔法を使うミルアを相当警戒するだろうが、ある程度ミルアを知るタバサとしては、敵でない以上、その未知の魔法は興味の対象でしかなかった。 そして二人はその明かりを頼りに横穴を慎重に進み始める。 その途中、ところどころで人骨が見られた。「やっぱりあの虫が犯人」 タバサの呟きにミルアも頷く。 横穴の広さは二人が立って歩くには十分だが奥に行くにつれ肌に纏わりつく湿度が増していくのがわかった。 しばらく何事もなく進んでいると前を歩いていたミルアが不意に足を止める。「どうしたの?」 タバサがそう尋ねるとミルアは振り返り、その口に人差し指を当てる。 静かに、という意味なのだろう。 タバサが頷くと、ミルアは正面を指差した。 よく見れば横穴はそこで途切れており、その先には空間が広がっているように見える。 タバサは慎重に足を進めその空間を覗き込んだ。 しかし明かりであるミルアが離れているためよくは見えない。 だが、その空間を覗き込んだタバサに明かりは必要なかった。 思わず息を呑み後ずさる。 タバサの聴覚は確かにその音を捉えた。 無数の羽音。 無数の顎をぎちぎちと鳴らす音。 無数のがさがさと歩く音。 タバサは全身の血の気が引くような感覚に襲われた。「大丈夫ですか?」 ミルアがそう尋ねるとタバサは深呼吸してから頷いた。 明かりを消したミルアはそのぽっかりと空いた空間を覗き込むと、小さな小さな声で、「まるで大きな劇場を天井付近から見下ろしているようですね」「見えるの?」「はい。一応は」 そう言うとミルアは更に小さく「赤外線以外にも色々ありますから」そう呟く。「見たところ数は二百といったところでしょうか。中央に女王と思われる大きな固体と無数の卵が確認できます」 そのミルアの言葉に、その光景を想像してしまったタバサがくらりとする。「私が何とかします」 ミルアがそう言うと、その手に光り輝く槍が形成されてゆく。 槍は水メイジが使うジャベリンのようだった。 ミルアはそれを大きく振りかぶり、そのまま勢いよく投擲する。 その槍が明かりとなりタバサにもその光景がよく見えた。 ぐさりと槍は女王と思われる固体に突き刺さる。 そして次の瞬間槍は女王ごと爆散した。 女王が爆散すると同時にその場に居た虫たちが騒ぎ出し、そのまま横穴へと殺到してくる。 ミルアが作った新たな明かりを頼りに二人は回れ右をして駆け出した。 その背後から虫たちが迫ってくるのが、その足音で嫌でもわかる。 不意にミルアは足を止め迫りくる虫たちにふりかえった。 振り返ったミルアは左手を突き出し、「ライトニングっ! バスターっ!」 ミルアの左手が僅かに放電し、ミルアの正面に魔法陣が形成され、その直後横穴を埋め尽くすほどの光の奔流が二人に迫っていた虫たちを飲み込んだ。 虫たちが焼ける匂いが横穴を満たしタバサは思わず手で口と鼻を覆う。 そして光の奔流がやむとそこには焼け焦げた無数の虫たちが転がっていた。「すぐそこが縦穴です。タバサさんは先に外で待っててください」「あなたは?」「私は残りの虫や卵を片付けてきます。殲滅しないと不安は残りますから」 ミルアはそう言うと横穴をもと来た方へと駆け出した。 後を追いたかったタバサだが自分では複数の虫を相手にするのは分が悪いと判断し、ミルアを信じて外で待つことにした。 しばらく外で待っているとミルアが縦穴の壁を蹴って外へと飛び出してきた。 ミルアの見た目はそれはそれは酷いものだった。 見たところ怪我をしているようには見えない。 しかし、その体は…… 虫の体液まみれだった。 乳白色の体液がミルアの全身余すとこなく付いている。 元から目にかかるほどの前髪だったのが体液のせいでべったりと顔に張り付き、その表情をうかがい知れなかった。「大丈夫?」 わずかな沈黙の後、かろうじてタバサがそう尋ねるとミルアは黙って頷いた。 そして無言のまま村へと歩き出す。 何かあったのだろうかと思ったタバサだったが、なんとなく聞くのを躊躇い、二人はそのまま無言で村へと向かった。 その後、無事、村へとたどり着いた二人。 タバサが村長や村人へ事の顛末を説明し、事件は一応の解決を見た。 村長たちにタバサが説明している中、ミルアは一切口を開いていない。 村中から感謝の言葉を述べられた二人は、その後、村の女性に服を預けることとなった。 ミルアは言わずもがなで、タバサは体液の匂いが染み付いていたためだ。 そしてミルアは村の井戸へと案内され何度も何度も頭から井戸の水をかぶる。 そこでまでしてミルアはやっと、ぷはっ、と口を開いた。 タバサはそれを見て、「もしかして口にも入ってたの?」 タバサの問いにミルアは頷き何度も口を水でゆすぐ。 そして吐いた。 なんかもう色々と。 こうしてタバサとミルアのコンビによる初の任務は無事終了となった。―――ぎちぎちぎち