それは戦場への序曲。 この身を、戦場を、血で染め上げる。 誰かの思いを伝えるために。 誰かの命を燃やすために。 私は何を選択する? 何を捨てる? 黒き戦衣装で身を包み、白きマントをなびかせて。 駆け抜けるは高き空に浮かぶ大地。「ひーひー……あーはっはっはっ!」 ガリアの王女イザベラはこれでもかというぐらい腹を抱えて笑っていた。 ブグ村の村人失踪における真相。 謎の大型昆虫の話に関しては、その様を想像し随分と嫌そうな顔をしていたのだがミルアがその昆虫の体液まみれになったこと、その後、我慢の限界を超えて嘔吐したことなどを話すと、ぷっ、と噴出したのを皮切りに大笑いしだしたのだった。 無論こんなに笑われてミルアとしては面白くない。 しかし、そこはさすがと言うべきか表情には不機嫌さが一切出ていなかった。 イザベラはしばらく笑っていたが、やがて何とか呼吸を整えると、「で、その化け物虫は全滅させたんだね?」 イザベラがそう問うとミルアは黙って頷く。 するとイザベラは傍らにあった書簡をミルアに投げた。 ミルアはそれを受け止める。「そこにはあんたのご主人様宛のお礼が書いてある。あんたを借りたわけだからね。無論、事情に関してはこちらの都合のいいように書いてあるからあんたは、それに合わせるんだよ?」 イザベラの言葉にミルアは頷いた。「で、真剣な顔になった貴様は私に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」 ミルアとタバサが部屋を後にした後、イザベラの傍らに居たナイがそう尋ねた。 ふん、と鼻をならしたイザベラは、「あの娘らが言っていた化け物虫に関して調べてきてほしいのよ。もし国内で他に繁殖しているようならまずいわ」 イザベラの言葉にナイはふむ、と頷くと、「確かにな。わかった。他にブグ村のような被害が出ていないか調べておく」 そこまで言ってナイはにやりと笑みを浮かべる。 イザベラは怪訝な顔をして、「何?」「いやな、貴様もあの父親と同じなのだなと思ってな」 ナイがそう言うとイザベラは噛み付きそうな勢いで、「あんたも私や父上が無能って言いたいのかいっ!」「王が『無能王』などと呼ばれているのは私も知っているがな、私は王や貴様が無能などとは思っていないさ」「え?」 イザベラがやや呆気にとられる。 そんなイザベラにナイは軽くため息をつくと、「貴様らを無能などといっている連中は所詮魔法の腕しか見ていないのだろう。だが考えてみれば国政が魔法の腕だけで勤まるわけなかろう? この国が他国に比べて豊かなのは王の力と、その背中を守る貴様の力あってこそだ」「私が父上の背中を?」「この国の裏ということは背中ともいえるだろう? それを貴様は任されていて、なおかつ見事に勤めている。本物の無能にできるものか」 ナイがそこまで言うとイザベラはぽかんとしていた。 しばらく目をぱちくりとさせていたイザベラは、「あんた私のこと馬鹿にしてたんじゃなかったの?」 その言葉にナイはややあきれたように、「貴様、まさか私がからかってるのを本気にしてたのか? 私の言葉使いは生まれつきみたいなものだ。本気にするだけ疲れるぞ。まぁ貴様をからかうと面白いというのもあるぅ?」 ナイは最後まで言いきれずにその場に膝を付いた。 顔を赤くしたイザベラの拳がナイの鳩尾に綺麗に入っている。 ナイはぷるぷると震えながら、「いや、まてイザベラ話し合おう。先ほどの調査とか色々あるから、とりあえず、その振り上げた燭台をおろせ」 しかし無常にも燭台は振り下ろされる。 その後しばらくイザベラの部屋からは「痛いっ! 馬鹿っ! やめろっ!」といった具合の悲鳴が聞こえた。「迷惑をかけた」 魔法学院へ帰る途中、シルフィードの背の上でタバサは前方を見たままそう口にした。 その言葉にミルアは首を横に振り、「面倒ごとではありましたが、それほど迷惑というわけではありません。むしろタバサさんのお手伝いが出来てよかったです」「色々助かった」「お役に立てたのなら幸いです」 ミルアがそう言うとタバサはしばらく黙っていたが、不意にミルアの方へ振り返り、「あなたはあの虫を知ってる?」 そう尋ねるタバサにミルアは首を横に振る。 タバサは「そう」とだけ口にして再び前を向いた。「タバサさんはあの虫のことは知らないのですか?」 ミルアが逆に尋ねるとタバサは首を横に振り、「知らない。聞いたこともない」 タバサの言葉にミルアは僅かに首をかしげた。 新種だろうか? だとしてもあれほど大きな虫が今まで見つからなかったとは考えにくい。 心当たりがないわけじゃない。 けれど確証がない。 それにあれで全てならそれに越したことはない。「見えた」 タバサの言葉どおり魔法学院が見えてきた。 書簡を手にしたミルアは僅かにため息をつく。 なんとなくではあるが、ルイズに怒られそうな気がしてならなかったのだ。 ミルアの予想はものの見事に当たった。 学院に着きタバサとそろってルイズの部屋を訪れる。 コンコンとノックすると才人が出てきた。 才人は最初驚いた顔をしたがすぐに笑顔になり「心配したんだぞ」といってミルアの頭をぐりぐりとなでる。 ルイズは最初ほっとしたような顔をしていたがこちらもすぐに笑顔を見せた。 だが、何かが違った。 具体的に何が違うのかミルアにはわからなかったが、本能的に後ずさる。 しかしルイズはそれを許さず、素早くミルアとタバサを部屋に引きずり込むと、無常にも部屋の扉を閉じた。 そして、にっこりと笑顔を二人に向け、「何勝手なことしてんのよっ!」 すさまじい形相で怒鳴りつける。 その大声にミルアとタバサは頭がくらくらした。 見れば才人は事前に耳をふさいでいる。 ミルアは何とか自分とタバサの身を守るためくらくらしながらもイザベラから渡された書簡をルイズに差し出した。「何よこれ」 ルイズが怪訝な顔をして書簡を受け取った。 そして書簡に描かれていた紋章を見て、うっ、と息を詰まらせる。 二本の交差した杖に、「さらに先へ」と書かれた銘。 それは間違いなくガリア王家の紋章だった。 ルイズは若干青い顔をしながら恐る恐る書簡を開き目を通していく。 しばらくして、ルイズはふらふらと自分のベッドへ歩み寄りそのまま腰を下ろす。「えぇと……ガリア王家からの任務をお手伝いしたってどういう事?」 疲れ果てたような顔でルイズはそう聞いてきた。 それを聞いた才人も「え?」と声にする。 ガリアというのがどういう国かは知らないが、王家ということはとんでもないお偉いさんであることは才人にも理解はできた。「私はガリアからの留学生でシュヴァリエの称号を持っている」 不意にタバサがルイズにそう言う。 その言葉にルイズも頷いた。 タバサは続けて、「つまりは私はガリアで、騎士として認められている。時には王家の命令で動くこともある」 タバサの言葉にルイズは頷く。「今回、王家からの任務が私に割り振られた。内容は極秘。でも一人だと不安だったのでたまたま近くに居て頼りになりそうだったミルアを借りた」 タバサはそう言うと最後に「終わり」と口にした。 ルイズはうんうんと頷いていたが、すぐにぶんぶんと首を横に振り、「いやいや、タバサの事情は理解できたけど、だからって勝手にうちの子を借りるなっ!」 ルイズのすさまじい勢いに、タバサは素直に「ごめんさい」とあやまる。 ふぅ、と息をついたルイズは、「恐れ多くも、書簡には任務に巻き込んだことの謝罪と感謝の言葉が書かれているし、少ないながらも褒賞を与えたと書かれているんだけど……」 その言葉にミルアはルイズに小さな袋を差し出した。 ちょうど両手の平で包み込めるかどうかの大きさ。 ルイズはその袋を開け、すぐに閉じた。「どうした? ルイズ」 才人がそう言うと、ルイズは引きつった笑顔で手にした袋を才人に渡した。 その袋を開けた才人は固まる。 価値の詳細はわからないがキラキラと輝く宝石が袋いっぱいに入っている。 才人も引きつった笑顔をし、「これが褒賞?」 そう尋ねられミルアはこくりと頷いた。 はっきり言ってミルアにもどれほどの価値があるかはわからない。 ルイズさんの反応を見るに結構すごいみたいですね。 ミルアはそう判断した。 ルイズが復帰するまで、もうしばらく時間が必要だった。 タバサとの任務から帰還して三週間ほどたったであろうか。 ミルアはいつものようにルイズの身の回りの世話をし、才人は才人で使い魔としてルイズから命令された雑用などをこなしていた。 そんなある日のこと、ぽかぽかとした日差しが心地いい中、ミルアはメイドのシエスタから渡された、洗濯を終えたルイズの服をたたみ、才人は窓を拭いている。 ルイズをはじめ学院の生徒たちは今は授業中だ。 その時、ミルアの耳にどたどたと廊下を走る音が聞こえた。 その音はどんどんこちらへ近づいてきて、やがて今居る部屋の前で足を止める。「二人ともっ! 今すぐ身なりを整えなさいっ!」 ばたんと大きな音をたてて扉を開け、部屋に飛び込んできたルイズは開口一番そう叫んだ。 その音に驚いた才人が窓から外へ落っこちそうになるが、さも当然のようにミルアがズボンの腰の部分を掴んで引きずり戻す。「な、なんだよルイズ、いきなり大声で。というか授業は?」 危うく紐なしバンジージャンプをしそうになった才人がそう言うと、「授業は中止よ、中止。アンリエッタ姫殿下がゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院へ立ち寄られるのよ」 そう言ってルイズは鏡に向かい走ってきて乱れた髪を整える。「身なりを整えろって言ってもなぁ。正装っていえるの持ってないし」 才人がそう言うとミルアは才人のある点を指差し、「とりあえず上着やズボンの、捲り上げた袖や裾を元に戻したらどうでしょうか?」 ミルアの言うとおり才人はルイズの部屋を掃除するために袖や裾を捲り上げていた。 「いけね」と口にした才人はさっさと袖や裾を元に戻す。 髪を整えたルイズはミルアを手招きし、よってきたミルアをくるりと回転させおかしなところはないか確認した。「特におかしなところはないわね。二人とも姫殿下を迎えるときはちゃぁんと背筋を伸ばしてるのよ」 ルイズはぴっと人差し指をたててそう言い、才人とミルアの二人はコクコクと頷いた。 無垢な乙女しかその背に乗せないといわれているユニコーンが煌びやかな一台の馬車を引いていた。 場所はトリステイン魔法学院へつづく街道。 その街道を馬車はゆっくりと学院へ進んでいた。 馬車には綺麗なレースのカーテンが引かれ中をうかがうことは出来ない。 トリステイン王家のアンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下がのる馬車だ。 その馬車の後ろにさらに豪華な馬車が居る。 現在のトリステインを取り仕切っているマザリーニ枢機卿の馬車だった。 その馬車に乗っているはずのマザリーニ枢機卿は、自らの馬車にはおらず、ほんの少し前からアンリエッタの乗る馬車に乗っている。「殿下、たった一日で何度ため息をつくおつもりですか?」 マザリーニが困ったような顔でそう言うと、その殿下はあからさまなため息をつき、「ため息をつくぐらいいいではありませんか。別に民達に見えるところではついていないでしょう? ついでに聞くけどさっきのため息は本日何度目かしら?」 ちょっとした意趣返しもこめてアンリエッタが言うと、マザリーニは淡々と、「先ほどのため息で十三回目ですな」 その言葉にアンリエッタは唇を軽くとがらせて不機嫌そうにそっぽを向いた。 彼女は御年十七歳。ふわりとした栗色の髪を肩ほどまで伸ばし、気品のある整った顔立ち。薄いブルーの瞳。 真珠のような淡い輝きを放つ白いドレスが彼女の高貴さを彩っている。 先王の忘れ形見。ハルケギニアに誇るトリステインの美しき一輪の花。 誰もが美しいといえる美貌だった。 一方の枢機卿は髪も髭も色が落ち真っ白になっていた。 その体はやせているというよりも、やつれているという表現が正しい。 骨ばった指などは特にそうだった。 鳥の骨、などと揶揄される彼はこれでも四十の男性である。 先王亡き後、トリステインの国政を一人で担ってきた。 その重責と疲労が彼を必要以上に老けさせている。 そんな枢機卿にアンリエッタは視線を戻し、水晶のついた杖を指先でいじりながら、「枢機卿、やはりアルビオン王家はもちませんか?」 カーテンの向こう遥か高みに浮かぶ雲でも眺めるようにアンリエッタが問う。 その問いにマザリーニは残念そうに首を横に振り、「持ちませんな。速ければ明日明後日にも、長くて一週間といったところでしょうか」 その答えを聞いたアンリエッタは悲しそうな顔をした。 他国ではあるがトリステイン王家とアルビオン王家には血のつながりがあり、親戚同士である。 親戚同士である以上、他国にくらべ交流も盛んで、アンリエッタ自身、顔も何度か合わせたこともあれば公私に限らず手紙のやり取りもした。「わが国とアルビオンは友好関係。王家も親戚同士だというのに援軍を送ることも出来ないの?」 アンリエッタが少し苛立ったように口にした。 マザリーニは眉間にしわを寄せ、「殿下の仰る様に援軍を送るべきという者もおります。ですが同様に先に内政を整えるべきという声も同じくらいあるのですよ」「あなたはどちらなの? 枢機卿」「私はどちらでもありません。援軍を送れるよう奔走もしましたが反対派の抵抗激しくもはや時間切れです。内政を整えようにも年単位で行うことを考えれば元より時間が足りません。アルビオンの革命軍『レコン・キスタ』が掲げているのは王家の打倒と聖地の奪還です」「いずれはこのトリステインにも攻め入ると?」「はい。アルビオンを落とし、早急に準備を整えこちらへ攻め入るでしょう。そうなれば今のトリステインでは勝ち目はありません。国力が乏しいのは私が一番理解しているつもりです。無論これは私の責任でもあります」 そう言って頭を下げるマザリーニをアンリエッタは複雑な表情で見つめた。 いつも口うるさい男ではあるが、彼がトリステインの為によくやってくれていることはアンリエッタも理解している。 彼の手腕に関しては他所の国に出しても恥ずかしくないと思っている。 そんな彼でもどうにもならないほどトリステインは疲弊していた。 近年、戦争に負けたとかそう言うものではない。 緩やかな腐敗と衰退。 それがトリステインの現状だった。 上級貴族たちの多くや宮廷の者どもは己の利権を抱え込むように守り、まるでそれが生きがいのように金や価値のある物をかき集め溜め込み国に還元しようとしない。 ひたすらに、国の生産力にも直結する平民達から搾り取り、彼らの生きる力を奪う。 それでもまだ国は生きている。 だが、今攻め入られれば誰の未来もなくなってしまう。「トリステイン存続のためにはゲルマニアとの同盟締結が必要不可欠ですか……」 アンリエッタはそう言って悲しそうな笑みを浮かべた。 マザリーニはすまなさそうに、「その為には殿下が、ゲルマニア皇帝の所へ嫁ぐことは避けては通れないことなのです」「王家の者として、その様な婚姻は覚悟してきたつもりです」 ですが……とアンリエッタは最後に口にし、またもため息をついた。 マザリーニとしてもアンリエッタの心情は理解できた。 しかし情がすぎれば政治はできない。 今は情をすて国が生き残ることを優先しなければならなかった。 自らもため息をつきたいのを必死に押さえ、マザリーニはそっと、僅かにカーテンを開く。 窓の外には馬車を護衛する王室直属の近衛隊と魔法衛士隊の面々が見えた。 その中に幻獣グリフォンにまたがった青年が見える。 羽帽子に長い口ひげ、精悍な顔立ちは若い貴族の娘なら誰もが見ほれるほどだ。 黒いマントには彼がのるグリフォンをかたどった刺繍が施されている。 魔法衛士隊の中でも特に枢機卿の覚えがいいグリフォン隊隊長の、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵であった。「彼は?」 マザリーニの視線の先に気がついたアンリエッタが小さな声で問う。「彼はグリフォン隊の隊長、ワルド子爵ですよ。二つ名は『閃光』彼ほどの使い手はアルビオンにも居りますまい。それに近年まれに見る忠義の厚い男です」 アンリエッタはワルドと聞いて、考え込み、「ワルド……どこかで……」 そんなアンリエッタにマザリーニは思い出したように、「そういえば彼の領地はヴァリエール公爵家の近くだったかと」 その答えにアンリエッタは、はたと気がつき、「枢機卿、あの土くれのフーケからお宝を奪還した者達の名前をご存知で?」「えぇ、覚えてますよ。爵位までとはいわんから褒賞よこせ、と魔法学院長に言われておりましたからな。人数と名前を確認して僅かながら褒賞を持ってきておりますよ」 枢機卿の言うとおり、枢機卿の馬車にはルイズ、タバサ、キュルケの三人に与える分の金貨がそれぞれ袋に詰められていた。 アンリエッタはやや不満そうに、「現金ではなくてシュヴァリエの爵位は与えてやれないの?」 その言葉にマザリーニは首を横に振り、「フーケを捕縛したわけではありませんからな、しかもシュヴァリエの爵位はその条件に従軍が追加されましたから」「まったく、また私の知らないところで色々と変わってしまったのね」 アンリエッタは実に不機嫌そうに、それを隠すことなくふてくされた。 そんなアンリエッタにマザリーニは真剣な表情で、「殿下。最近、ゲルマニアとの同盟を快く思わない宮廷と一部の貴族達が不穏な動きをしております」 マザリーニの言葉にアンリエッタはわざとらしく「まぁ」と言って驚く。「アルビオンの革命軍『レコン・キスタ』とのつながりも疑われる連中です。殿下、彼らにつけこまれるような隙はお見せにならぬようお願いしますよ」「もちろんです」 そう答えたアンリエッタの背中を冷たい汗がつたう。 自分の顔は青ざめていないだろうか。 アンリエッタは必死に平静を装っていた。 魔法学院の正門を王女の一行が潜り抜ける。 既に整列していた生徒たちはいっせいに杖を掲げた。 正門の先、本塔の玄関前で王女達一行を迎えるのはオスマン学院長。 王女を乗せた馬車が玄関前で止まると召使達が駆け寄り、立派な絨毯が引かれる。 傍に控えていた衛士が大きく息を吸い込み、「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなぁぁぁりぃぃぃっ!」 馬車の扉が開くと先に下りてきたのはマザリーニだった。 生徒達の中にはあからさまに鼻を鳴らすものも居る。 平民の血が混じってるなどと噂されている枢機卿は、その政治の腕は無視して、一部の貴族から嫌われていた。 マザリーニはそんな生徒達の反応を気にすることなく馬車から降りてくるアンリエッタの手をとる。 アンリエッタが馬車から姿をみせると生徒達から歓声が上がった。 そんな生徒達にアンリエッタはにこりと笑顔を見せる。 それと同時に湧き上がる歓声。「凄いですね」 生徒達から少し離れたところで見ていたミルアは軽く耳をふさいでそう呟いた。 見れば才人も姫殿下に興味があるのか生徒達に混じっている。「タバサさんは興味ないのですか?」 木陰に座り込み本を読んでいるタバサにミルアは尋ねた。 その問いにタバサは一言「興味ない」とだけ答える。 ミルアは「そうですか」といい再び歓声を上げ続ける生徒達へ視線を移した。 その視線の先にルイズが居た。 頬を赤らめ誰かを見ている。 別にそれ自体はおかしなことじゃない。 姫殿下をみて頬を赤らめているのは男女問わずかなりいる。 護衛の魔法衛士隊にも凛々しい者はいて、彼らに熱い視線を送る生徒もいた。 ただルイズの反応は他の生徒とは何処か違う感じがした。 憧れも含んではいるが、どこか親愛の情を感じさせる様な柔らかな表情。「誰を見ているんでしょうか?」 ミルアはそう呟きこてんと首をかしげた。 ルイズの視線の先を見てがっくりと肩を落とす才人を視界に捉えながら。「変ですよね」「変だよな」 ミルアの言葉に才人も同意を示した。 姫殿下が魔法学院を訪れた夜。 その姫殿下は一晩滞在するようだが、そんなことはミルアも才人もどうでもよかった。 ルイズが変なのだ。 何か落ち着かないようにそわそわとしていて部屋の中をあっちへうろうろ、こっちへうろうろ。 椅子に座ってみたり窓に寄りかかって双月を見上げてみたり。 とにかくこんなルイズを見たのは初めてだった。 ミルアはうろうろし続けるルイズの前に回りこんでみる。 ルイズは立ち止まるがその目はミルアを見ていない。 これはよくわからないが、たぶん重症だ。 ミルアがそう思ったとき、部屋に近づいてくる気配を感じた。 その気配は部屋の前で立ち止まる。 ミルアがなんだろうと思っていると部屋の扉がこんこんとノックされた。 始めは長く二回、そして短めに三回。 何かの合図のようなノックにルイズは、はっ、としたような顔をした。 そしてミルアを押しのけると扉へと駆け寄る。 ルイズが扉を開けるとローブの頭巾で顔を隠した人がそこにいた。 体格からして女性だな、とミルアが辺りをつけると、その人物は部屋に入り後ろでに扉を閉める。 その人物は、しー、と声に出しながら人差し指を口元にあて、その懐から水晶のついた杖を取り出した。 思わず反応しそうになったミルアだったが、どうも様子がおかしいのでその人物の一挙一動を観察するに留める。 その人物が軽く杖を振ると光の粉が中を舞った。 ミルアはその魔法に覚えがあった。「たしか、察知用のディテクトマジック……」 ミルアがそう呟くとその人物は頷き、「何処に目や耳があるかわかりませんからね」 その人物は少しいたずらっぽく言うとローブの頭巾を取った。 頭巾から現れた顔にミルアは内心驚く。 そこにいたのは昼間見たアンリエッタ姫殿下だったのだ。 才人は息を詰まらせ顔を赤くしている。「ひ、姫殿下っ!」 ルイズは驚きの声を上げ慌ててその場に跪いた。 僅かに迷ったミルアもルイズに続いて跪く。 残された才人は最初おろおろしていたが場の空気に押されて見様見真似で跪いた。 アンリエッタは満面の笑みを浮かべ、「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」 間近でみたその笑顔は、確かに誰もが見ほれるほどのものだと、ミルアは冷静にそう判断した。 そして何か胸騒ぎがする。 ミルアは内心の不安を押し殺し、満面の笑みを浮かべるアンリエッタを上目遣いにちらりと見た。