それは定められた道。 その概要はあまりにも大きくて、定められた道を歩いていることにすら気が付かなくて。 結局たどり着くのは同じ場所。 そんなのは認められない。 そんなのは認めたくない。 そんなのは面白くない。 怖くて。怯えて。だから足掻いて。足掻いて。 自分だけの道を作る為に。 自分だけの場所を目指して。 そこにあるのが、明るくて、楽しい世界だと信じて。 「なんで……なんでこんな物があるんだよ……」 そう呟く才人の声は震えていて、同行していたルイズが心配そうに才人を見る。 タルブの村の中にある寺院の中、そこに保管されていたゼロ戦を才人はただ唖然としながら見ていた。 「なぁミルア……なんなんだよ。どうなってんだよ?」 いつもの軽い感じではなくひどく真剣で、ひどく怖い。才人のその声は、少なくともルイズにはそう感じられた。「どうしたの」と声をかけようにも怖くてできずにいた。 しかしミルアはいつものように淡々と、 「シエスタの曾お爺さんがゼロ戦のパイロットだったようです。どういう経緯でハルケギニアにやってきたかは知りませんが。まぁ、学院にあった『破壊の杖』M11ロケットランチャーと同じでしょうね」 じっと、ただじっとゼロ戦を見つめてそう言うミルアに、ルイズが少し遠慮がちに、 「ねぇ、ミルア、これってなんなの?」 「兵器です。才人さんがもと居た世界の兵器。空を駆け抜け、敵を打倒すための兵器」 ミルアの答えにルイズは目を丸くして、何処か信じられないという具合にゼロ戦に視線を移す。 すると今まで才人の背中で黙っていたデルフが、 「おぉ、このデカいの武器なのか。なるほどなだからかぁ」 デルフのその言葉に真っ先に食いついたのは才人だった。 才人はデルフを掴んでがくがくと揺さぶりながら、 「お前なんか知ってるのか? 吐けっ! 全部吐けっ!」 剣相手に妙な光景ではあるが、それだけ才人が必死であるということなのだろう。 才人に揺さぶられていたデルフはしばらく「あーなんだっけ」などと繰り返していたが、やがて、 「おぅ、そうそう。こういう武器やら兵器ってのは相棒の為にあるんだよ」 そんな唐突のセリフに才人を始めルイズも「は?」という声を漏らす。 しかしミルアだけは僅かに目を細め静かにデルフの次の言葉を待っていた。 「つまりあれだ相棒。ガンダールブはあらゆる武器を使いこなせる。だからこのゼロ戦とかいう兵器も相棒が使うために相棒の世界からわざわざ呼び寄せられてきたんだろうぜ」 そんな言葉をデルフはなんてことないように吐いた。 その言葉に愕然とする才人。僅かに動悸が速くなり、デルフを掴む手が震えている。それはデルフの言葉の中であることに気が付いたからだ。可能性かもしれないソレは、たとえ可能性でも驚愕と言えることだった。少なくとも才人には。 ルイズもデルフの言葉であることに気が付いた。そして、それはきっと自分にも関係があること。 ミルアも才人達と同様にそれに気が付いていた。正確には以前から可能性として僅かではあるが考えていたことだった。才人のガンダールブのルーンの特性に気が付いた時、まるで運命のようだ、などと皮肉ったような感想を抱いたことがあったのだ。 そう、才人をルイズが召喚したことを始め、今までの、それこそ才人が召喚される以前の事でさえ、 「――――予定調和」 静かな寺院の中にミルアの言葉が浸透していく。 ルイズの拳を力強く握りしめ、何かに耐えている様だった。 しかし―――― 「ふざけるなっ!」 そう叫んだのは才人だった。叫ぶと同時に感極まった彼はデルフを床に叩き付け、 「予定調和だとっ? 全部か? 今までの事全部なのかよっ! 俺がミルアと出会ったこと、ルイズに召喚されたことギーシュのワルキューレやフーケのゴーレムっ! ワルドさんの裏切りに皇太子さんの死もっ! 全部っ! 全部あらかじめ決められていたっていうのかよっ!」 才人は叫びながら拳で何度も床を殴りつける。数回目の時点で既に拳は切れていて寺院の床に血が飛ぶ。 そんな才人を見ていられずにルイズは才人の腕をつかんでやめさせようとする。しかし彼女の力では到底止められない。それでもとルイズは必死に才人に縋り付いた。 才人はそんなルイズの顔を見てぴたりと動きを止めた。 才人が見つめる先、ルイズの鳶色の瞳からはぽろぽろと涙がこぼれている。 「なんでお前が泣いてるんだよ」そんな言葉を言いそうになって才人はそれを飲み込んだ。だがかわりに彼の口から出てきたのは、 「悔しく……ないのかよ」 才人の言葉にルイズは何処かぶすっとした様子で「何がよ」と返す。 そんなルイズから目をそらしながら才人は、 「もし予定調和ってのが事実なら俺だけじゃないお前の事だって、お前がいままでずっと馬鹿にされてきたことだって、他にも姫様の事や……」 才人の言葉にルイズは袖口でぐしぐしと涙を拭うと、 「馬鹿ね、予定調和なんて姫様ならともかく、私やあんたが物語の主人公みたいじゃない。私はただの侯爵家の三女、あんたはその使い魔、ただのサイトよ。そんな私たちに予定調和? どんな大規模な演劇だっていうのよ。仮にそうだとしても、せいぜい端役がいい所よ。名前も紹介されないようなね。そんな役どころなら舞台袖で好き勝手してやるわよ」 そう言いきるルイズにミルアものってきて、 「そうですね、私たちが主役なんて荷が重すぎます。仮にそうなら何処ぞの誰かに押し付けてやりたいですね。仮に予定調和が私たちを絡め取るというのなら、本当に……」 ミルアはそう言い、一呼吸置くと、彼女にしては珍しく、低く、そして何処までも冷たく、聞いたものを凍えさせるようなトーンで、 「ふざけるな、ですよ」 そう言いきったミルアに才人とルイズを一気に熱が冷めていくのを感じた。 なんか怖すぎる。それが才人とルイズの共通した感想だった。 そして少しの間、三人の間に沈黙が流れる。 すると才人は軽くため息を吐くと、 「あぁ駄目だ。俺賢くないからすぐに答えなんかでやしない。それに考えたら考えただけ怖くなるし。ちょっと外をぶらついてくるよ」 そういって才人は自らが投げつけたデルフを拾い上げる。その際に「さっきは悪かったな」とデルフに謝るが、デルフはただ一言「気にすんな相棒」とだけ答え、才人もそんなデルフに「ありがとう」とだけ呟いた。 才人が寺院を出て行った直後、ルイズも「サイトが心配だから」と才人の後を追っていく。 一人残されたミルアは、ゼロ戦を、そしてその背後に並べられた物を見る。 そこにあるのは、本来ならあるはずのない、ガソリンが詰められた大きな樽が十数本に、ゼロ戦に搭載された機関銃用の弾丸。どれもハルケギニアでは用意できないものだ。 出所をシエスタに聞いてみると、数年前に学者を名乗るメイジが訪れて数日単位でゼロ戦を調べた後「良い物を見せてもらった」と礼としていつか必要になるからと置いて行ったものらしい。 まるで本当に予定調和だった。 ミルアには才人があそこまで激昂するのもわかる気がした。確かに「ふざけるな」である。そして誰かが、何かがその予定調和に関わっている気がしてならなかった。具体的に言えばここに来たという学者を名乗るメイジ。ミルアはそのメイジを確実に「関係者」だと踏んでいた。 ゼロ戦に、ミルアが手をかざし機体の表面に僅かに魔力を流す。するとどうだろうか、装甲が淡く、青白く光り始め、その表面に見たこともない文字列、魔法陣、幾何学模様が次々と浮かび上がってゆく。 ミルアは魔法に関しては詳しくない。勘と感覚で魔法を使うタイプだ。だから正規に魔法を学んだことはない。だが持ち前の勘と感覚が機体に浮かんだそれぞれの意味を教えてくれた。 それら全てがゼロ戦の装甲を守る物だ。様々な物から、反らし、受け止め、弾き、守る防壁。 そして、それぞれが属性も術式も効果以外何もかもがバラバラの魔法。それら全てが互いに干渉することなく絶妙なバランスでゼロ戦を守っている。そんなことは決してハルケギニアのメイジにはできない。 ならば誰が? ぎしりとミルアの握りしめた拳から鈍い音が鳴る。 「もし全てが予定調和だというのなら、私の役どころは何なのでしょうね」 そう口にしたミルアは、しばらく才人が出て行った扉を見つめ、やめた、と言う具合に小さく首を横に振りそのまま才人達の後を追う様に寺院を後にした。 ミルアが宿泊している宿へと戻るとティファニアはこっくりこっくりと舟をこぎ、エルザは窓から外の様子を眺めていた。 「皆さんは何処へいったのですか?」 ミルアがそうエルザに尋ねると、エルザは外を指差し、 「ワイン買いに行ったよ」 エルザの言葉にミルアは「なるほど」と頷く。 以前イクスが言っていたように、ここタルブの村はワインが有名だ。多くの貴族が買い求める、れっきとしたブランドものだ。 キュルケなんかが欲しがるのも無理はない。ギーシュに至っては自らの彼女のご機嫌取りには必要なものだ。 アルコール類を飲まないミルアには、何がどういいのかよくわからないが、有名な物という事はそれだけ美味しいのだろう、と適当に考えていた。 ミルアは床の上にちょこんと正座すると、 「さてエルザ」 ミルアに呼ばれたエルザはミルアに倣って正座する。 「何? お姉ちゃん」 そう尋ねるエルザにミルアは、 「魔法学院でのエルザの身の振り方です」 「お姉ちゃんの生き別れの妹とか」 「無茶言わんでください。貴方は金髪で私は真っ白ですよ」 「父親金髪、母親白髪」 エルザの言葉にミルアは「むむむ」と唸る。それいけるのか? と自問自答する。 そこで、ふとあることに気が付き、 「いや、貴方の出自はまぁ、どうにかするとして、魔法学院でどういう立場に収まるかという事ですよ」 「だから妹」 「普段どうするつもりですか? 私はたぶんルイズさんやテファと一緒にいますよ?」 そう言うミルアにエルザはさも当然と言う具合に、 「お姉ちゃんの後ろ。あるいは横?」 それでいいのかな? とミルアはまたもや自問自答する。 しばらく考えていたミルアは、 「吸血鬼を学院に住まわすの、オスマン学院長は許してくれますかね?」 肝心な問題に首を傾げる。 それに驚いたのはエルザで、 「え? ばらしちゃうの?」 「さすがに学院の一番の責任者に無断でと言うのは……」 ミルアがそう言うと、エルザは「そういうもの?」と首を傾げる。 「とにかく頼み込んでみましょう。もちろん貴方もですよ?」 ミルアの言葉にエルザは何処か不安そうに、 「許してくれなかったら?」 「土下座ですね」 しれっと言うミルアにエルザは、 「うわぁ、重みのない土下座だなぁ」 「そうですか?」 そう問うミルアにエルザはこくりと頷いて、 「うん。すごく軽い。そんなんじゃ駄目なんじゃないかな。もしそれでも許してもらえなかったら?」 エルザにそう問い返されたミルアはしばらく考え込んだ後、 「その時考えましょう。今は名案が浮かびません」 「知ってる。それ、行き当たりばったりって言うんだよね」 エルザの言葉に耳が痛いミルアは内心で舌をうつ。確かにミルアは基本行き当たりばったりなことが多い。というより九割がた、でたとこ勝負である。まったく考えていないわけではない。そんな時間がないか、先ほどのように名案が浮かばないのだ。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。 ふとミルアはエルザの様子が、少し変化していることに気が付いた。 正座したまま股や手ををもじもじとさせている。 「トイレですか?」 「違うわよっ! なんでそんなこと聞くかなっ!」 ずばり尋ねるミルアにエルザは顔を赤くして反論する。羞恥心と言う物を持ち合わせているようだ。ミルアと違って。 「では、なんなんですか?」 そう尋ねるミルアに、エルザはもじもじとしたまま、 「……お腹すいた」 「はい?」 「だからお腹すいたの。人間用のご飯じゃなくて……」 「あぁ、血がほしいわけですね。だったら最初からそう言ってください。今まで何にも言わないから、どこまで我慢するつもりなのかと思いましたよ」 ミルアはそう言ってシャツのボタンをはずし、首下を露わにさせる。 するとエルザは、上目づかいで「いいの?」と尋ねる。 そんなエルザにミルアはこてんと首を傾げ、 「いいも何も、私があげなくて誰があげるんですか?」 心底不思議そうにそう返されたエルザは一瞬きょとんとする。だが血を吸わせてくれるというのなら、それはそれでいいと、エルザは一言「いただきます」というとミルアの首筋に吸血鬼独特の犬歯を突き立てた。 ずぐり、という感触と共にエルザの牙がミルアの首筋に食い込んでゆく。 エルザの喉を、ミルアの血液が下ってゆく中、眠っていたティファニアが目を覚ます。彼女は目の前の光景に驚いて声をあげそうになるが、ミルアが自らの唇に人差し指をあて、静かに、という動作を取ったことでなんとか声を出すのを抑えることができた。 そんな中、エルザは夢中でミルアの血を吸っていた。瞳がとろんとし頬を上気させ、ミルアの首筋に噛みつき一心不乱に血を吸う光景は、何処となく扇情的であった。事実、ティファニアも顔を赤くして、ちらちらと見ている。 なんとも妙な空気が部屋を満たす中、誰かが部屋に近づいてくる気配を、エルザが感じ取った。 エルザは吸血行為を止めると、 「誰か来た……」 「大丈夫ですよ。イクスさんとタバサさんです」 「そうなの?」 「えぇ、ですから、まだ吸いたいのならどうぞ」 ミルアの言葉にエルザは心底嬉しそうにミルアの首に吸い付く。ただそれだけでは足りず、ミルアの体に、ぎゅうと抱き着く。 さすがのミルアも何処か窮屈そうにしていると、ミルアの言っていた通りイクスとタバサが部屋に入ってきた。 目の前の光景にタバサは僅かに驚き、イクスは、 「おぉ……なんか目の前でエロ――」 言葉の途中で脇腹にタバサの杖がめり込みイクスは言葉なくその場にうずくまる。 イクスとタバサも加えて部屋は再び静かになる。 聞こえてくるのは、エルザがミルアに吸い付く水っぽい音と、時折聞こえるエルザの甘い声色の息継ぎだけ。 見れば、ミルアの首筋を、自身の血とエルザの唾液が混じった物が僅かに伝っている。 時間にしてわずか五分ほど、満足したのかエルザはミルアの首筋から離れた。 「お腹はいっぱいになりましたか?」 そう言いながらミルアが首筋のこぼれる血液を拭うと、そこにあるエルザの牙の後は一瞬にして消えてしまう。 その光景をエルザは驚きながら見て、 「大丈夫なの?」 散々吸っといてな台詞ではあるが、それはエルザの素直な感想だった。エルザの様な体格でも彼女が夢中になって吸えば、その相手は文字通り干からびたようになってしまう。エルザは久しぶりの血液という事と、ミルアの血の味が気に入ったのか、思わず夢中になって吸ってしまったのだが、当の吸われた本人はどこ吹く風。 「胸に風穴あいて常時出血し続けるならともかく、噛みつかれて、その小さな傷口から吸われる程度なら自動治癒の効果で血液生成が間に合います」 「非常識」 ミルアの言葉にタバサがそう突っ込むと、 「今更ですよ」 そう言ってミルアはシャツを直した。そしてエルザを見て、 「で、満足はしましたか?」 ミルアがそう尋ねると、エルザは何度もこくこくと頷く。 そんなエルザの頭をミルアは何の気なしに撫でた。 するとエルザは甘えるようにミルアにすり寄り、 「お姉ちゃんの血、すっごくおいしかった。それになんか体の奥が熱くなる感じ。なんていうのかな元気があふれてくるみたい」 「そうですか。それはよかったです」 ミルアはそう言って再びエルザの頭をなでる。 「僕の顔をお食べよ」 「はい?」 あまりにも唐突なイクスの発言にミルアは疑問の声をあげ、エルザとティファニアはきょとんとして、タバサに至っては、何言ってんだこいつ、みたいなドン引きの目でイクスを見た。 さすがのイクスを周囲の反応に耐えられなかったのか、頭を抱えてうずくまると、 「ゴメン。ミルミルの自己犠牲の姿を表現しようとしたら失敗しただけなの。お願い見ないで……」 そう言ってイクスはしくしくと泣きだす。 先ほどとはうって変わって部屋の空気はなんともいたたまれない物になっていた。 ミルアは小さくため息を吐くと、 「しかし、普段は撫でられることが多いのですが、意外と撫でるのも悪くありませんね」 その言葉にタバサは興味を持ったようで、 「兄弟は?」 その問いかけにミルアはほんの僅か黙り込むと、やがて、何処か自嘲気味に、 「そうですね。妹なら何人か」 ミルアがそう言うとティファニアも興味を持ったようで、 「そうなんだ。妹さんがいるんだね。今は何処に?」 「さぁ? 数えるほどしか会ったことありませんし。会ったことがない妹も何人かいるようですし」 話題が和やかになるかと思いきや、ミルアの答えはそれを見事にぶち壊した。 ティファニアは気まずそうに小さくなり、 「その、ごめんなさい」 そう謝られたミルアは若干慌てる。別にそんなつもりで答えたつもりはなかったのだから仕方ない。ただ事実を、自分の後に続く、同様の遺伝情報を持つ、妹と呼べる者たちがいるというのを可能な限りオブラートに包んで言ったにに過ぎない。少なくともミルアにとっては。 もっともオブラートに包もうが、あまり明るい話題にはなりはしない。そこのところをミルアは理解できていなかった。 どうしよう、とミルアが困っていると、 「いいじゃない。今は私がいるよ」 エルザがそう言ってミルアに抱き着く。 無邪気にエルザがミルアに甘える光景に、沈んでいたティファニアも笑顔を見せた。 一方でイクスは、何処か微妙な笑みを浮かべている。 それに気が付いたタバサは、 「どうしたの?」 タバサの質問に、イクスは慌てたように、取り繕った笑みを浮かべた。それはいつも飄々とした様な印象のイクスにしては珍しい物だった。少なくともこのような和やかな光景の前では珍しい反応であった。 故にタバサはもう一度「どうしたの?」と尋ねた。 しかしイクスは首を横に振り、 「なんでもない。なんでもないよ。ただ――――」 そう言ったイクスは不意に、何かに気が付いたかのように、 「タバにゃんは、イザベラっちとあんな風に仲がいい時はあったかな?」 その問いにタバサは押し黙る。 そしていつもの表情、声色で、 「なかったわけじゃない」 そう言った後で、タバサは一呼吸置く。昔の事を思いだしているのか、僅かに目を閉じた後、再び目を開いた彼女は、 「所詮は昔の話」 その言葉にイクスは何処か楽しそうに、 「これから先は?」 「ありえない」 「ありえないなんて、ありえないかもよ?」 そう言ってニヤニヤと笑みを浮かべるイクスは、いつものイクスだった。 その笑みが癇に障ったのか、タバサは無言のまま手にした杖でイクスの頭をぼかぼかと殴り始めた。 タルブの村の傍にある草原。どこまでも広がる地上の青と、空の青。風が草を揺らし、白い雲を流してゆく。シエスタが村の自慢だと言っていた、その草原は確かに美しかった。 そんな草原の中で、一人散歩に来たミルアは、風が肌を撫でてゆくのを感じていた。ミルアの特徴的な尻尾の様な後ろ髪が、草と同じように風に揺れる。 心地いいな。心地いいな。それを声に出すことなく、ミルアは目をつむり顔を空へ向ける。手を大きく広げて全身で風を感じる。 そうしていて、ミルアは不意に人の気配を感じた。 誰だろう、そう思い、その気配がする方向に顔を向ける。 一人の金髪の青年が立っていた。 白地に赤といった意匠の服を身にまとい切れ長の眼鏡。服と同じく白地のマントはきらきらと日の光を反射している。その姿は絵に描いたような貴族と言う具合で、この草原には何処か不釣合いであった。 「誰……ですか?」 そう言ってミルアは警戒感をあらわにする。 その青年とミルアの距離は十メイルにも満たない。そんな距離に近づかれるまでミルアは気が付くことができなかった。まるで突然そこに現れたかのようだ。少し離れたところにタルブの村があるが、ここに来るまで身を潜めるというのは無理がある。 「失礼。僕はセシルという者。タルブの村にある『竜の羽衣』という物に興味があって此処へ来たのだけど……」 優雅に腰を折りそこまで言って、セシルと名乗った青年は「おや?」と声をあげ、じっとミルアを見つめる。 なんだ? とミルアが思いセシルを注視していると、 「なるほど君か、ウエストウッド村で僕の部下を叩きのめしてくれたのは」 そう言ってセシルは、あはは、と笑う。 その言葉を聞いたミルアは、才人から返してもらった非展開状態の双頭に手をかけて身構える。 まずい。とミルアは何度も心の中で繰り返す。当然である、虚無の担い手としてティファニアを狙った連中の上司である。タルブの村にはティファニアだけではない、ティファニア同様、虚無の担い手と思われるルイズがいるのだ。彼らが何故「虚無の担い手」を求めていたのか、そんなことは知らないが、少なくとも強引に連れて行こうという手口からして、碌なことではない。 ここで止めなければ。ミルアそう思いつつ、 「どうして虚無の担い手を? あなたはレコン・キスタなのですか?」 情報がどうしても欲しかった。何が狙いなのか。何をしようとしているのか。今世界で何が起こっているのか。 「いや、僕はレコン・キスタなどと言う連中とは違うよ。聖地奪還。確かにブリミル教徒にとっては悲願だね。でも残念なことに僕はそこには興味がないんだよ。僕は、それよりも、もっと先、この世界そのもの。それを足掛かりとした『新たなる世界』僕らが求めるのはそれだ」 「そこに『虚無の担い手』がどう関係するのですか?」 「いや? 関係はしないさ。ただね僕の同志が欲しがってね。まぁ彼もブリミル教徒だから虚無に興味を持つのは仕方ないさ」 セシルはそう言うが興味とかそんなもので襲撃されたのでは、襲撃された側はたまったものではない。 それ故にミルアは不機嫌そうに、 「迷惑な話です」 ミルアのその言葉にセシルは苦笑し、 「それはすまないことをしたね。だが今となってはそれも重要ではなくてね。同志たちも興味はほとんど失せて今はそれぞれ忙しい身だ。現に僕も雑務が多くてね――――」 そこからはセシルの、忙しさに対する愚痴の様な物だった。やれ人員の配置が難しいだの。くだらない書類が多いだの。そもそも人手が足りていないなど。 警戒したままのミルアとは違ってセシルの語り口には余裕があった。一度は敵対した相手に対する態度としてはいささか不自然ではある。 「――――そもそも世界を手にし、新世界への扉を開いたとしても一人でどうにかできるものではない。僕の手は世界を覆えるような大きさではないからね。だからこそ同志が必要で、僕自身も面倒な仕事をしなければならない」 セシルのその言葉にミルアは、それはそうだろう、と納得しそうになる。事実それはそうなのだろうが、少なくとも今、それを言うところではないだろう。 そんなミルアの様子に気が付いたのかセシルは、 「すまないね。僕の愚痴を聞いてもらって」 そう言うと、不意に思いだしたかのように、 「一つ聞きたいのだけど君は『食らう者(イーター)』第何艦隊の所属だい?」 ハルケギニアでは聞くことのない「食らう者」という言葉。 だが、その言葉にミルアは総毛立つ。そして双頭を展開しセシルに跳びかかった。 ミルアにしては珍しく感情的な動き。だがその速さは常軌を逸していて一瞬でセシルとの距離を詰めたミルアはそのままの勢いで双頭を薙ぐように振るう。 しかしセシルはその一刀を僅かに身を反らしてかわしてしまう。そしてミルアが次の動作に移る前に、その小さな体を思い切り蹴り上げた。 「っ……はっ」 すさまじい衝撃を感じたミルアは息が一気に漏れる。セシルの動きが全く見えなかったミルアは、何を食らったのか理解できず空中へ蹴り上げられ受け身もとれずに地面に叩き付けられた。 「その反応、僕の質問はそんなにおかしかったのかな?」 セシルの声色はよくわからないといった感じである。少し考えるようなしぐさをしたセシルはすぐに何かに気が付いて、 「あぁ、そうか。君は『元』が付くんだね? それで、君は『元』第何艦隊の所属なんだい?」 ミルアはふらりと立ち上がると口の中の血を吐き捨てる。そして真っ直ぐにセシルの目を見て、 「――――十四」 それだけ呟く。同時にミルアの背中や肘裏、膝裏から膨大な魔力が赤い粒子となってあふれ出す。そしてセシルを見ているその瞳が真紅から金色へと色を変える。フーケのゴーレムを放り投げた時のそれよりもさらに上、ハルケギニアのメイジでは足元にも及ばない出力。その圧力で、周囲の草がミルアを中心にして放射状に揺れる。 次の瞬間ミルアによって、セシルの足元に一つの魔法陣が展開される。 相手の動きを封じる拘束結界。それは次の一手を確実に当てるための布石。 だがセシルは特に動じた様子を見せるわけでもない。 「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 ミルアは雄叫びをあげながら双頭を振り上げる。その双頭から真っ赤な魔力の刃が伸びる。全長は二十メイル以上。ミルアはそれを勢いよく振り下ろす。 生身の人間であれば容易く、塵一つ残すことなく消滅するであろうソレをセシルは、 まるで眩しい日差しでも遮る様に片腕で受け止めた。 次の瞬間セシルの姿が消える。 異常なほどの高速移動。 次の瞬間、おびただしいまでの打撃がミルアの体に打ち込まれる。 最後の一撃でミルアは遠く後ろへ吹っ飛ばされ、草原の上をゴロゴロと転がっていく。 ほとんど見えなかった。それがミルアの感想だった。なんとなく拳が叩き込まれたのは理解できるが、肝心のそれがほとんど視認できなかったのだ。ふらふらと立ち上がるミルア。その手に双頭はなく、何処かへ飛ばされてしまったようだった。 そんなミルアを、セシルは特に構えるわけでもなく笑みを浮かべて立っている。しかし次の瞬間再びミルアの視界からその姿が消えた。そして一瞬にしてミルアの後ろに回り込んでいる。 ミルアがまずいと思った瞬間、ごとり、とミルアの右足のひざ下からが斬りおとされ地面の上にころがる。ミルアはそのままバランスを崩して地面に倒れこんだ。しかし、そのまま倒れこんだままなわけもなく、ミルアは両腕で弾く様に跳び上がる。そして空中で半ば逆さまになりつつも左手のひらをセシルに向ける。 ミルアの前に砲撃用の五芒星の魔法陣が展開される。 しかし次の瞬間にはセシルの掌底がミルアの胸を捕らえた。 激しい衝撃と共に吹っ飛ばされたミルアは地面の上をバウンドするように転がる。 駄目だ、力の差がありすぎる。痛みをこらえながらもミルアは必死に対応策を考える。力技は絶対に無理である。何より、その動きに追いつけない。どうすればいい。そこまで考えてミルアはあることに気が付く。正確には自分の失態に。戦闘状態に持っていかなければよかったのだ。こちらの素性がばれようとも仕掛けなければ、少なくともこんなどうしようもない状況にはならなかったはずである。 「あぁ、くそっ……」 うつ伏せのまま、そう吐いたミルアは口の中にたまってくる血の塊を吐き捨てる。そして両腕を使ってうつ伏せの状態から仰向けになる。 次の瞬間殴られた胸に痛みが走る。 ぼんっ、と胸が内側から爆ぜた。 おびただしい量の血がミルア自身に降りかかる。 ミルアはよろよろと力なく左手を空に伸ばす。 こんなんじゃ誰も守れない。救えない。そんなのは嫌だ。 そんなミルアの想いをあざ笑うかのように、ミルアの意識は遠のいていった。