番外1 兄として
俺くらい弟で苦労した兄はいないんじゃないかなって今なら思える。
弟が出来ると聞いたのは四歳の誕生日から少し経った頃だった。
母さんのお腹がどんどん大きくなっていくのを見て、弟が出来たら一緒い遊ぼうとか、優しくしてあげようとか、お兄ちゃんなんだから面倒を見てあげなきゃとか考えながらワクワクして生まれてくるのを待ってたんだ。
生まれてきた赤ちゃんは小っちゃくて皺くちゃで、こんなのが本当に人間になるのか不安だったけど、喜んでいる父さんや母さんを見てそんな事は言えなかった。
暫くしたら普通に赤ちゃんって感じになって安心したけれど、最初は本当に心配したんだ。
ふわふわの栗色の髪に大きなエメラルド色の目、首が据わったら抱かせて貰ったけど、目が合うとニコッと笑う本当に可愛い弟だった。
オレは兄としてこの弟を守ってやらなくちゃならないんだって心から思った。
何時だってオレが抱き上げると喜んだし、ずっと仲良くやっていけるんだって信じていた。
ウォルフが話し始めたのは普通の子供よりも遅い位だったと思う。父さんと母さんは喜んでたけれど俺は凄く大変になった。
一緒にいるとやたらと色々聞いてくるのだ。あれは何?何で?何度聞かれたことだろう。
とても話し始めたばかりの乳児が聞くようじゃないことまで色々聞いてきて、あげく字を教えて欲しいと自分から言ってきた。
まあ、可愛いので主にオレとアンネで本を読みながら字を指で追って文字を教えた。
するとウォルフは文字をすぐに覚え、自分で本を読むようになって、このあたりからもうオレの手には負えないようになる。
どんどん難しい本を読むようになり、知らない単語がある度に聞いてきて、オレやアンネが答えられないようになると父さんや母さんに聞いていた。
聞かれた事に答えられない時、ウォルフは一瞬気まずそうな顔をして目を逸らすんだ。
それがいやで俺はウォルフを避けるようになった。幼児に気を使われる屈辱を想像してみてくれ。
あの、残念そうな目!目!目!・・・何度夢に見た事だろう、ニコニコと楽しそうなウォルフが"あっ、まずい事聞いちゃった"って顔になる瞬間。そしてがっかりしてるくせにそれを表に出さない様にしようとする気遣い。
ウォルフに悪気がないのは分かる。でも、こんなお兄ちゃんなんてウォルフはいらないんじゃないかって言う自己嫌悪を消す事は出来なかった。
父さんが"ハルケギニア大広辞苑"を買ってきてくれてから自分で調べるようになったので良かったが、そうでなければ今頃ノイローゼになっていたに違いない。
その頃からオレはカール先生のところに魔法を習いに行く様になったので、あまりウォルフとは顔を合わせないで日々を過ごせるようになった。ウォルフはずっと一人で色々と勉強している様だったが、俺はなるべく関わらない様にしてたんだ。
そのささやかな平和はウォルフが魔法を習い始めて直ぐに消えた。
四歳半で魔法を習い始めたら一ヶ月位でラインメイジになっていた。
こんなナマモノの話を誰か聞いた事がありますか?俺はないです。
「兄さんは性格が真っ直ぐだから思いこみが激しすぎるんだよ。もっと客観的な視点を持てばうまく魔法を使えるようになると思うよ」
俺が魔法を失敗したのを見てウォルフが言う。この時四歳児です、こいつ。
イラッとする。
「自分以外の系統?きちんと魔法の事を把握すれば兄さんも直ぐに使えるようになるよ」
重ねて言いますが、四歳児です、こいつ。
イライラッ。
あっという間に俺より魔法がうまくなっちゃったウォルフは俺が魔法を使ってるのを見かけるとアドバイスを言ってきて、あいつは親切のつもりだったんだろうけど俺は「ウルセー」としか答えなかった。
それからはもう、口をきく度にウォルフに当たるようになっちゃって、自分でも止められなかった。
俺はウォルフに酷い事を言う度に俺は悪くないと自分に言い聞かせていたけど、あいつはちょっと困ったような、悲しそうな顔をするだけで文句は何も言わなかった。
そんな状態がずっと続いていい加減自分の事が嫌になった頃マチルダ様と出会ったんだ。
マチルダ様は妖精かと一瞬思っちゃったほど綺麗なのに魔法は凄かった。
俺と二歳しか離れていないのにトライアングルかと思うほど大きなゴーレムを操れるんだ。
「ふん、ぬるい攻撃だね。本当にウォルフの兄貴かい?」
マチルダ様の言葉が胸に突き刺さる。
ウォルフの兄貴って言わないで欲しい。兄貴らしい事は何もしてないんだから。
「一応は、兄貴なんだから、もうちょっと頑張った方がいいよ」
頑張っています。
ていうかいくら頑張ったって相手はウォルフなんだぜ?
俺なんかとは最初から出来が違うんだよ。俺だってカール先生の教室じゃ優秀な方なのに。
ずっと兄貴になんて生まれたくなかったって思っていたよ。
でも気付いた。トロル鬼をやっつけてあいつが帰ってきた時、その手が少し震えていたんだ。
それを見て、あんなに凄いやつなのに俺みたいに怖がる事もあるって知って、少しだけ楽になった気がしたんだ。
あいつだって俺みたいなやつの弟になんて生まれて来たくはなかったろうに、文句なんて何も言わない。
多分ウォルフはそれを文句を言うような事じゃないって知っているんだ。だって文句を言ったって仕様がないから。
俺は文句ばかりだ。ウォルフが俺より凄いのは誰の所為でもないのに。
俺はド・モルガン家にウォルフより先に生まれた普通の子供で、ウォルフは多分凄いやつ。いや、五歳児が一人でトロル鬼倒すなんて聞いた事も無いからもの凄いやつなんだ。
兄貴なのにあいつに負けているのがいやだったけど、絶対にそれはオレの所為じゃないと思う。
ハイキングの帰り、マチルダ様に『フライ』のアドバイスをしてもらったらいきなりうまく飛べる様になった。
マチルダ様も凄いんだって思ったけど、マチルダ様もウォルフに教えてもらったとの事だ。
あいつの魔法はあいつにしか使えない凄い変なものかと思っていたけど、実は誰にでも使えるものらしい。
もしかして今までウォルフが色々俺に言ってきた事をちゃんと聞いてれば、もっと魔法がうまくなっていたという事か?
何か今まで拘って来た事が全部くだらない事に思えてきてしまった。
ハイキングに行く前は偉そうな事を言ったけど、俺は今のままじゃマチルダ様を守る事なんて出来やしない。
ウォルフに聞けば強くなれるならウォルフに聞こう。
弟にそんな事を聞けるかって思っていたけど、ウォルフはウォルフ、俺は俺なんだから関係ない。あいつの方が凄いんだったらあいつに聞くべきだ。
そしてもっと強くなって今度は俺も一緒に戦うんだ。
マチルダ様の事を守るって誓ったんだから。
あいつがどんなに凄くたって、俺はあいつの兄貴なんだから。
番外3 マチルダ・覚醒
その日もカール邸の中庭にウォルフとサラとマチルダの三人の姿があった。
もう授業は終わったのでカールは家の中に引っ込んでいたが、サラがマチルダに相手をしてもらいたいと希望しそのまま残っていたのだ。
「ふーん、サラ、あたしのゴーレムとまた戦いたいって言うのかい?」
「はい。威力が上がったので試してみたいんです。ウォルフ様相手だと通じないから他の人でもやってみたくて」
「・・・あたしのゴーレム位だと丁度良いって事かい?舐められたもんだね、いいよ相手をしてやるよ」
笑顔を浮かべてはいるが、こめかみはひくついている。沸点は低い。
「あ、いえそう言うわけではなくて、ちょっと他の人でも試したいだけで・・・」
「御託は良いよ、魔法で語ろうじゃないか!《クリエイト・ゴーレム》!」
音を立てて地面から巨大なゴーレムが立ち上がる。土で出来たそのゴーレムはそれでも手加減をしているのか十メイルほどの大きさだった。
対するサラは少し後ろに下がって杖を構える。その目には自信が見えた。
「さあ、とっととかかっておいで。あたしが捕まえるまでに腕の一本でも切り落とすことが出来たらサラの勝ちにしてやるよ!」
「じゃあ、行きます!《マジックアロー》!」
サラは杖を大きく振りかぶり、斬りかかる様に斜めに振り下ろした。するととても薄い魔力の塊が杖の軌跡のまま大きな三日月状に現れ、その勢いのままゴーレムに向かって真っ直ぐに飛んでいった。
「あっ!」
それはまるで水色の大きな猛禽がゴーレムに体当たりをしたかの様に見えたが、その大きな矢はそのままゴーレムを突き抜け虚空へと消えていった。
動きを止めたマチルダのゴーレムは胸のところで二つに切り裂かれ、斜めに滑る様に上半身が崩れ落ちると続けて下半身も土へと還った。
呆然と自分のゴーレムのなれの果てを見るマチルダと、嬉しそうにウォルフの方を見るサラ。
あまりに対照的な二人を前にウォルフは掛ける言葉に迷った。
「サラ!今のはウォルフの『マジックアロー』だろ。何であんたが使えんだい!」
「えー?ずっとマチルダ様も一緒に練習してたじゃないですか。先週出来る様になったんですよ」
えっへんとばかりに胸を張る。その顔は誇らしげだ。
サラは先週ついにウォルフの言う魔力素という物を感覚で理解し、魔力素を意識した魔法を使える様になった。
感覚を理解してしまえばこんな事かとあっけなく思ってしまうような当たり前のことで、それまで理解出来なかったことが不思議なほどだった。
自分の中に溜まっていた魔力素が杖の先から流れ出て周囲の魔力素に干渉し、それらが周囲の物質に干渉して魔法を発動する。
その一連の流れを感じることが出来る様になり、魔力の運用がとてもうまくできる様になった。
勿論サラはまだドットメイジなのでいきなり大魔法を連発とかは出来ないが、ドットスペルやコモンスペルならば今までとは段違いにうまく使える様になったのだ。
「そんな・・・あれがサラにも出来るなんて・・・それに、ウォルフには通じないって、ウォルフはあれを防げるのかい?防ぐ方法があるって言うのかい?」
「当たり前じゃないか。『ブレイド』や『マジックアロー』がそんな無敵の魔法な訳はないだろう。当然対抗策はあるよ」
「じゃあ、じゃあ何であたしがあんたの『ブレイド』に耐えるゴーレム作るのに必死になっていたのに、それを教えてくれなかったんだい!」
ちょっとマチルダは涙目になっている。ずっと意地悪をされていた気になってしまっているのだ。
「マチ姉にもずっと『ブレイド』の作り方を教えてたろ?まずはそれが出来ないとその対抗策だって出来ないんだよ」
「でも、でもそう言う方法があるって教えてくれても良いじゃないか。あたしはずっと無駄なことを・・・」
「無駄な事なんて無いから。マチ姉がずっと色々試して工夫してきたことは全部身になっているから大丈夫だよ。オレ達の歳で教えられた事を覚えるだけじゃなくて、自分で考えるって言うのはとても大事なことなんだ」
「・・・オレ達の歳って、あんたとは七つも違うじゃないか」
「それでもだよ。色々工夫してるのを見るのは楽しかったしね。ゴーレムを巨大化させてきた時はかなりうけたよ。マチ姉の性格っぽいなあって」
「やっぱり面白がってたじゃないか。・・・そうかい、ウォルフの『ブレイド』が出来なきゃだめなのかい」
がっくりと落ち込んでいる。
ウォルフが言う対抗策とは物質の表面を魔力素でコーティングして魔力素の通常物質への関与を防ぐ、と言う物であったがウォルフの『ブレイド』が出来なければ出来る様になるはずもないという物だった。
そんなこととは知らずにやってきた努力がマチルダにはどうしても無駄だった様に思えてしまうのだ。
「まあ、いきなり世界観を変える様な物だからね、難しいんだろうとは思っているよ。サラが出来たのはサラの方が若いから考えが柔軟だってことだろう」
「・・・・人のことを年寄りみたいに言わないでおくれ。あたしだってまだまだ若いんだよ!」
若いも何もまだ十二歳でしかないのだが。
しかしサラとのその六歳の差が固定観念の差となって現れたのだろう。これまでは魔法とは精神力で行使する物という常識がウォルフと同じように『ブレイド』を扱うことを阻んでいた。
だが、実は今まさにマチルダの中で世界の在りようが変わったと言える。
ウォルフは特別であるという考えがどうしても抜けなかったのだが、サラが同じ魔法を使うことでその壁が崩れたのだ。
「今ならマチ姉も出来るんじゃない?俺が言ってる事がオレだけに当てはまる事じゃないって分かったろう」
「そうかな、あたしにも出来るかな」
「出来るさ!前からずっと言ってるだろ?魔力素ってオレが言ってる小さな粒を平面に並べるんだ。マチ姉の場合は土だよ」
「う、うん、やってみるよ。サラに出来てあたしに出来ないって理屈はないだろうからね」
「そうですよ!出来ちゃえばなんだこんな事かって感じですから」
マチルダは目を瞑り集中する。これまでにウォルフが言ってきたことを思い出しイメージを作っていく。
心を真っ白にして自分の中から無数の粒が杖を通りあのウォルフの『ブレイド』と同じように極薄く集まる様子を思い浮かべる。その魔力光は茶色、マチルダの系統である土の色だ。
「《ブレイド》!」
この世界の魔法とは正しく望めば叶うものである。
マチルダが魔力素を薄く隙間無く並べることをイメージした『ブレイド』はそのイメージ通りの姿で杖から現れた。
「薄い・・・」
呆然と自分の『ブレイド』の刃を見る。本当に薄く、横にしたら厚みは見えない。
そんなマチルダの前に鋼鉄の鎧騎士が現れた。ウォルフが試し切り用に作ったゴーレムである。
魔力素でコーティングはしていないが、クロムモリブデン鋼で作られたそれは硬化と固定化も掛けられ通常の『ブレイド』では刃が立たないであろう代物だった。
マチルダは無言でそのゴーレムと相対すると、軽く『ブレイド』を振ってその手甲を斬り落とした。
ガチャンと音を立てゴーレムの手首が地面に落ちるとマチルダの口が"にやあー"っと弧を描いた。
「ふ、ふ、ふ、なんだい、こんな事だったのかい。ひゃっはーっ!!」
マチルダは奇声を上げるとウォルフのゴーレムに襲いかかり瞬く間にバラバラにしてしまった。
「ウォルフ、もっと」
満面の笑みでこちらに振り向いたマチルダが要求する。
「マ、マチルダ様なんか怖いです!瞳孔が全開になってますよ?」
サラがウォルフの後ろに隠れながら言う。なんか本気で怖がっているみたいだ。
「怖くない。ねえ、ウォルフ、もっと斬らせておくれよ」
「はい!マチ姉、ただ今!」
両手をだらりと下げ、その手に『ブレイド』を纏わせた杖を握り満面の笑みでこちらに一歩ずつ近づいてくる。
ウォルフの生存本能もアラームをけたたましく鳴らして警告してくるので慌てて十体ほどゴーレムを生成し、自身はサラとともにマチルダと距離を取った。
「ああ、さすがはウォルフのゴーレムだよ、こんな固そうな鉄見たこと無いよ」
うっとりとした流し目で自分を取り囲むゴーレム達を見まわす。
「どいつもこいつもカチンコチンに堅くしてるんだろう?ああ、ゾクゾクするよ」
杖を持ったまま両手で自分の体を抱きしめてため息を吐き、両腿を擦り合わせて十二歳とは思えない妖艶な表情を見せる。
「こいつ等がバラバラになる所を想像するとね!ひぃやーっ!!」
またも奇声を上げると端から順にゴーレムを分解していく。ゴーレムの首を刎ね、両腕を切り落とし、胴を両断し、邪魔になった下半身を蹴飛ばす。
そのまま次のゴーレムに襲いかかり今度は頭から股まで両断、その次は袈裟に斬った後両腿を切断・・・。
それらの行為を高らかに笑い声を上げながら満面の笑顔でやるのだ。本気で怖い。
それは騒ぎに驚いて飛び出てきたカールが『レビテーション』でマチルダの杖を取り上げるまで続いた。
「あ、あれっ?あたしどうしてたのかしら?」
「「「・・・・・・」」」
「マチルダに刃物」サウスゴータに新たな格言がこの日誕生した。