「諸君!決闘だ!」
昼下がりのヴェストリの広場にそんな声が響き渡りました。
日中でも日のささない鬱蒼としたヴェストリの広場は人間であふれていました。
貴族の決闘。
それは別に珍しいものではありません。
最近は、その頻度は減りましたが貴族同士が決闘をすることは昔から多々あったことです。
そしてそれは学院では禁止こそされていましたが、若いとはいえ貴族である生徒たちは度々決闘を行い。そして同時に他の生徒たちにとって、それを見るのはまたとない娯楽でした。
見学の生徒たちは広場の中心に居る二人の人間を取り囲むように立ちながら、決闘を行おうとする二人を囃し立てます。
そしてその喧騒の中心に居た二人。
それはルイズの使い魔、サイトと。
ギーシュと言う一人の生徒でした。
そして今にも始まろうとしているその決闘会場脇。
集まるギャラーリーから少し離れた位置にある木陰に、テオ達はおりました。
「決闘、決闘」
楽しそうにエルザが呟きます。
事実、その決闘はエルザに取ってとても興味深い物でした。
ギーシュは魔法学院の生徒です。
その生徒の強さを知ることは、言い換えればこの学院のメイジの強さを知ることでもあります。
それは人間に擬態するエルザに取って、かなり重要な情報なのです。
エルザはテオに尋ねました。
「あのギーシュってどれくらい強いの?」
テオは答えます。
「どうかなあ、吾はアイツの事をよく知らんからなあ」
「ご主人様はグラモン様が少し苦手なのです」
「そうなの!?」
エンチラーダの言葉にエルザは驚きました。
テオが苦手とする。
言い換えればテオが恐れるほどの人間なのです。
さてはあのギーシュという男は相当に優秀な人間なのかと、エルザが思った時。
広場の中心に甲冑の人形が現れました。
それはギーシュが魔法で作りだしたゴーレムでした。
それはなかなか立派なゴーレムです。作りだす手際もかなり手馴れた物でした。
しかしそれは、テオの魔法に比べれば、ずっと劣っているように思えました。
それを肯定するかのようにテオが口を開きます。
「酷いゴーレムだ。芸術性のかけらもない」
「お言葉ですがご主人様、ご主人様以上のゴーレムを作れる人間はトリステインに二人とおりませんよ?」
「出来の問題ではない。魂の問題だ。たとえ造形が悪くても、良いものは良い。技術性は確かにあるのだろう。だがアイツには芸術性が無い。ゴーレムにおいてそれは致命的だ、動かすべき人形に魂を込めずしてどうしてそれを動かせようか」
テオはギーシュのゴーレムを盛大にこき下ろします。
そこに、ギーシュに対する恐れのようなものは見えません。
エルザはそれが少し不思議でした。
テオはギーシュが苦手だと言っているのに、テオにはギーシュを怖がる様子が見られません。
エルザは再度テオに尋ねます。
「ギーシュはテオより強いの?」
「ふむ…どうかな?」
テオはあやふやな返事を返します。
それは、とぼけているのでは有りませんでした。
本当に疑問を持っている様子だったのです。
「?」
「実は試した事がないのでなあ」
「ご主人様はグラモン様よりも実力は格段に上でございますよ」
「どうだかな、戦ってみないと何事もわからん。特に吾はメイジ同士の戦いを経験しておらん」
「そうなの?」
「誰も吾とは戦いたがらないのでな」
それは当然のことでした。
テオは足が無く、馬鹿にされる人間でしたが、同時に天才で万能です。
彼と戦ったとして、勝てる人間はそうはいないでしょう。
しかし彼と戦って負けでもしたら、身体障害者に負けたという悪いレッテルだけがはられる事になります。
ですから 誰も彼と決闘をしようと思うものはおりませんでした。
テオとしても自ら進んで決闘を行うほど好戦的な人間ではありませんでした。
結果。
テオは学院において今まで全く誰とも戦ったことがなかったのです。
テオの実力は誰もが認める程に凄いものであることは事実ですが。
果たしてそれが如何ほどに戦いで生かせるのか。それは全くの未知数で。
テオ本人すら自分自身がどれほどに強いのか今ひとつ知らないのです。
「そう安々と負けるつもりは無いが、経験の差は早々埋まりはしない。絶対に勝てるとは断言できはしないな」
「でもテオのほうが、あそこの貴族よりズット強いと思う」
エルザはそう言いました。
お世辞ではありません。
本当にそう思ったのです。
魔法の才能もさることながら、その動き、体つき、視線や雰囲気に到るまで。それの全てが、テオが強いメイジであることを物語っています。
他人の戦闘力を図るに長けた吸血鬼であるエルザにはその確信がありました。
「…そうか。まあ、そう言われて悪い気はしないな。まあ、確かにギーシュは学院で特別強いという部類ではないしな。この決闘も案外アイツの負けで終わるかもな」
テオがそう言います。
しかし流石にそれに対してはエルザは異を唱えました
「でも、あの黒い髪のお兄ちゃんはきっと負けちゃう」
エルザはサイトを指さしてそう言いました。
「ほう、どうしてそう思う?」
「だって。アノお兄ちゃんどう見ても弱そうだもん」
それは子供の純粋な感想のようで、実際はエルザのシッカリとした観察眼によって見ぬかれたことでした。
彼女はサイトの肉付きや動きから、戦いにおいて完全な素人であることを見ぬいたのです。
「では賭けるか?」
「かけ?」
「あの男が負けたらお前の勝ちだ、何でも好きな願いを言えば良い。吾が叶えられることならば何でも叶えてやろう。しかし、もしあの男が勝ったら吾の勝ちだ。吾の言うことを一つ聞いてもらうぞ?」
「いいよ!」
テオの提案した賭け。それはとても部の良い賭けでした。
タダでさえ平民が貴族に勝つには、魔法というアドバンテージを覆す要因を必要とします。
しかし、サイトは見る限り素人。
どう逆立ちしてもメイジに勝てるとは思えなかったのです。
「げふ!」
そして、そのエルザの予想通りに、サイトはゴーレムにボロボロにやられていくのでした。
素手のサイトはゴーレムに殴られ、まるでサンドバックのように一方的な試合展開を見せます。
「おう、ボロボロだなあ」
「まあ、素人ですので当然といえば当然ですね」
サイトが勝つと予想したテオは、サイトが一方的に痛めつけられることが当然であるかのような反応を見せます。
「お、みぞおちに当たった、アレは痛かろうて」
「気絶しない程度の力で手加減されてますね」
「遊ばれとるな、ははは、まあ仕方ないか、あの動きじゃあ馬鹿にされて当然だ」
「なぜあの程度の実力で決闘をしようとしたのか理解に苦しみますね」
テオとエンチラーダは自分が勝つと予想したサイトが、ヤラれる様を実に楽しそうに見ているのでした。
サイトが負ければテオは賭けに負けるのに、まるでそれを気にする素振りがありません。
エルザは、ひょっとしてテオはワザと負けるつもりで賭けを提案したのでは無いかと思いました。
テオは、妙に自分に対して優しい人間です。
ワザと自分が負ける賭けを提案し、自分に対して好きなモノを与えようとしているのではないか。
そう思った時。
事態は急転しました。
ギーシュがサイトに剣を与えたのです。
サイトはギーシュに渡された剣を握り。
そして。
決闘の様相はまるで逆転をするのでした。
ゴーレムはまるで粘土のように簡単に切り裂かれました。
いや、ただ切り裂かれたのではありません。
目にも止まらない速さで切り裂かれたのです。
サイトの目の前のギーシュは勿論。
その場にいた全ての人間が驚愕します。
眼の前の平民は何なんだ。
目にも止まらない速さで剣を振るなんて。
あんな人間がどうして存在できる。
誰もが、サイトの強さに驚き。
勿論エルザも驚いていました。
しかし、そんな中で。
「おう、速い速い」
「なるほどあのようになるのですね」
テオとエンチラーダの反応は冷静でした。
エルザはそれにも驚愕しました。
この二人は、自分でも見抜けなかった、サイトと言う人間の強さを、当然のごとく予測していたのです。
自分の主人とその従者の観察眼は、自分のそれよりも遙かに上であることをエルザは痛感しました。
そしてさらに驚いたことに。
「あんなものか。まあ、早いが…あいつ本当に動きが酷いな」
「才能は有りませんね」
二人はまるでサイトの実力を大したことが無いように話をしていたのです。
「見えるの?」
テオとエンチラーダは自分が見えなかったサイトの剣筋を、冷静に観察した挙句に酷評までしたのです。
「動きが早いだけでそれ以外の性能は酷い。剣筋はめちゃくちゃ、動きは散漫。相手が達人級なら間違いなく通用しないな」
「まあ、グラモン様程度でしたら、アレくらいの実力で十分でしょう」
まるで水槽の中の魚の喧嘩でも見るかのようなその様子。
それは、まるで、天国から下界を見下ろす神のような、そんな何かを見下すようなものでした。
そしてエルザがその二人に驚いている間に。
サイトの蹴りがギーシュの顔に決まりました。
「ま、参った」
そして、その決闘の決着が付きます。
その予想外の結果にギャラリーたちは大騒ぎです。
ギーシュが負けたぞ。
あの平民何者だ!
歓声が辺りを支配して、まるでお祭りのような騒ぎになりました。
それはエルザにとって予想外で生徒同様にエルザも大いに驚いていました。
なぜテオはこの状況をさも当然のように予想し得たのか。
エルザはそう思いながらテオの方を見るとテオはその表情に微笑を浮かべ、それ見たかというような表情を作っていました。
しかし。
しかしその顔は。
「何で苦しそうな顔をするの」
エルザには苦しそうに見えました。
「…そう見えるか?」
「うん」
それはエルザが人間の表情を読むのに長けていたからでしょうか。
それとも使い魔と主人という関係のなせる技でしょうか。
その場にいたエルザだけが、テオのその表情に気が付きました。
「そうだな。まあ色々とあるのだ、吾にも」
テオの、本心を語らないその回答に。
エルザは不満を覚えました。
まるで子供のような扱い。
勿論それは仕方のないことなのです。
エルザは子供のような外見をし、テオはエルザを子供であると思っています。
で、あれば、そのようなテオの言い方は別に普通のことなのでしょう。
しかし、エルザはそれが嫌だと感じました。
自分が未だにテオの信頼を得ていないような。
そんな気がしたのです。
「ご主人様」
「ああ」
テオがそう返事をすると、エンチラーダは足早にその場を後にします。
広場の中心ではサイトが倒れ、その主人であるルイズが彼に駆け寄るのが見えました。
しかし、テオもエンチラーダも、サイトには一切の興味がないと言った様子で、その場を後にします。
エルザはもう少し、あのサイトと言う平民を観察したいとも思いましたが、辛そうな表情でその場を後にするテオのことが心配で、そのままテオの後について行きます。
ヴェストリの広場から離れた校舎の影。
誰も通らないような庭の端に差し掛かった時、エンチラーダが口を開けます。
「ご主人様…もう大丈夫ですよ」
「うむ。吾…限界」
そういうテオの表情は、先程のように取り繕った笑は無く、ただただ辛そうでした。
何かに耐えるような、その表情にエルザは心配をせずにいられません。
「ご主人様は十分に耐えました。もうヨロシイかと思います」
「…そうか…ク」
「テオ…」
その辛そうなテオに、エルザが声をかけようとした、その時。
「ク………………ク……クハ…」
「テオ?」
「クハクハハ……ハハハハハハハハハハ!!!」
テオが盛大に笑い出しました。
「何アレ、何アレ!ヒヒヒヒ、あの胸元!!ブッハー!造花の杖って!!ははははは!!見た?エンチラーダ!見たか?アレ。あの動き!ぷぷぷぷ」
「ええ、下手くそな役者そっくりでした」
「はははははは、そうそう、トリスタニアのどの劇場の役者よりヘッタクソな動きだ!!はは、はははは、腹いたい」
「あの?テオ?」
「はは、ヤバイ、アイツ面白すぎる」
「ご主人様、確実に大笑いするからと、今日までグラモン様をそれとなく避けておりましたものね」
「まったく、目の前に来られたら笑い死にするぞ…最近やっとキュルケに笑わなくなったところなのに、プフー!!」
気が狂ったように笑い続けるテオにエルザはもうどうして良いのかわかりません。
「苦手って…」
「ご主人様に取ってグラモン様と言う存在は、完全にツボでございますから、今日まであまり関係を持たないようにしていたのです」
「なにそれ…」
呆れ返るエルザをよそに。
テオの笑い声はその場に響き渡るのでした。
◇◆◇◆
「使い魔のくせに、使い魔のくせに…」
ルイズはそう言いながらサイトを運びます。
口ではサイトに対する文句を言っていましたが、その表情は切羽詰まった、心配そうな表情でした。
先ほどの決闘で勝利こそすれ、満身創痍で倒れたサイト。
一刻も早く手当をしなくてはとルイズは急いで彼を自室へと運ぼうとしています。
誰かがサイトにレビテーションの魔法をかけてくれたので、ルイズの力でも運ぶことは出来ましたが、元々ナイフとフォークよりも重いものを持ったこともないような女の子であるルイズです。
浮かんだサイトを運ぶのも彼女にとっては結構な重労働で、額にはうっすらと汗がにじんでいました。
ルイズは悪態をつきながら必死にサイトを運びます。
そしてあと少し。
あと少しで女子寮に辿り着くと言う時に。
「顎と腹がいたい…まだ痙攣している。何かお腹に優しい物を入れなければ…」
目の前をテオが通りかかりました。
「テオ!」
ルイズはすかさず彼を呼び止めます。
「うわ!…べ別につまみ食いでは…って、ルイーズ君。何事かね」
そう言ってテオが後ろの方を振り返ります。
そしてテオはルイズの傍らのサイトに気がつくと、ニヨニヨと笑いながら言いました。
「おう、コレはまた、痛々しいなあ。打撲傷に裂傷に、コレは筋断裂みたいな痣もあるなあ。満身創痍もいいところだ」
それはまるで面白い形の石を見つけた子供のような、無邪気な笑顔でした。
ルイズはテオのその笑顔に少し腹を立てましたが、それを指摘するような余裕はありません。
「テオ!アンタ水の魔法使えるでしょ!」
「ん?使えるかどうかと聞かれれば、使えると答える他無いな」
「サイトの治療をしてよ!」
「おことわりだ」
ルイズの頼みを、テオは即答で断ります。
「なんでよ!!」
ヒステリックにルイズが叫びます。
「理由が必要か?」
「当たり前じゃない、わ、私がお願いしてるのよ、理由もなく断るなんて、ひ、人として間違ってるわ!」
確かにテオにはサイトを治療する義理はありません。
しかし目の前で助けを求める学友に対して、理由なく治療を断るのは確かに人として少しばかり薄情にすぎます。
「ふむ…理由…理由…そうだな、吾がそいつのことを気に食わないからだ」
「は?」
その返答は予想外でした。
確かにテオは自分勝手な男ですが、そこまで勝手な理由で治療を断るとは、ルイズは思いもしませんでした。
「誰だって嫌な事はしたくないだろう?吾もそうだ。嫌いな食べ物は残しがちだし、嫌な仕事は極力避けるものだ。吾はこいつのことが嫌いなので、コイツを治療したくない」
堂々と胸を張ってテオはそう言いますが、その内容は単純すぎて、まるで子供の幼稚な駄々のようなものでした。
「え・・・・て・・・」
「まあ、どうしてもと言うのならば治療してやらんこともないが、その際はまあ、ついカッとなって殺っても文句は言うなよ?」
「言うわ!!!もういいアンタには頼まないわ!!」
ルイズは時間を無駄にしたと、叫びながら自室へとサイトを運んでいきます。
その後姿を、テオは笑顔を崩さずに見ていました。
そしてルイズの姿が見えなくなった頃。
「出てきたらどうだ。のぞき見はあまり良い趣味とは言えないぞ?」
そう言いました。
テオにそう言われ、
校舎の影から出てきたのはシエスタでした。
サイトを心配したシエスタは、サイトの治療を手伝おうとルイズの部屋に向かう途中で、今のテオとルイズのやり取りに出くわしてしまい、出るに出れない状況になってしまっていたのです。
「確かシエスターとか言ったな…何だってこんなところに」
「は…はい、いや別にのぞき見とかじゃなくて、サイトさんにようが…それで…あの…」
シエスタは、ワタワタと言い訳をします。
「まあ、良いか。吾には関係の無いことだ…吾はそろそろ部屋に戻ることにする」
「アノ、その、テオフラストゥス様、聞いてもヨロシイですか?」
「あん?」
「なぜ、サイトさんを治せないんです?」
シエスタは勇気を出してそう聞きました。
シエスタのその言葉に、テオはため息を吐きながら答えます。
「お前もそれを聞くか。先刻言ったろう?嫌いなんだ。まあ、悪いとは思うな。あの男は別に自ら望んで嫌われているわけでもないだろうに」
「あの、テオ様は…その…どうしてサイトさんが嫌いなんですか?やっぱり貴族様を馬鹿にしたから…」
シエスタのその言葉にテオは不本意であるというように眉を潜めました。
「いや、それは別にどうでもいい。吾が面と向かって罵倒されたのならば別だが、あの男が馬鹿にしたのは金髪馬鹿だ。バカを馬鹿にするのは別に不自然なことではない。それが理由では嫌いにはならんよ。そうだなあ、吾があの男を好きになれそうに無い理由と言われても、嫌いな物は嫌いだとしか言えん。強いて言うのならば子供のような、直感的嫌悪感だ?」
「はい?」
「まあ、俗にいう生理的嫌悪だ」
「生理的?」
聞きなれない言葉にシエスタは戸惑います。
「例えばシエスター、お前何か嫌いな生き物はいるか?虫とか、ナメクジとか、蜘蛛とか」
「え?…ええっと、足がいっぱい付いている生き物が苦手ですね」
「例えばそいつらが、君に好意を持って隣に寄り添ったり、布団に潜り込んできたり…「うわ、うわわ」」
シエスタは慌てた声をあげました。きっとその状況を想像してしまったのでしょう。
「どんなに相手が良いムカデでも、どんなに相手が優しいゲジでも、それでもって自分に対して友好的でも、嫌なものは嫌だろ?好き嫌いは本人の力ではどうのしようもない側面がある。あの男が悪いやつではないのは理解こそしているが、だからといって好きにはなれそうにない。まあ俗に言う相性が悪いと言うやつだ。まあ、そんなわけで、吾はあの男を治せん。治すのが嫌だと言うのも理由だが、それ以上にあの男と関わりになりたくない。ましてや恩人になるなんてまっぴらだ」
「はあ」
シエスタには今ひとつ納得しきれない気持ちもありましたが、貴族にそうも言われてしまうともう何も言い返せまえん。
「ところでシエスター、最近手荒れが酷いとエンチラーダから聞いたのだが」
「ええっと、まあ、メイドであれば多かれ少なかれ手荒れはしますから」
ハンドクリームなど存在しないハルケギニアです。
メイドに限らず、家事をする人間であれば多かれ少なかれ手が荒れるのは必然でした。
シエスタもまた、手荒れに悩まされる一人の女性です。
「貴様に一つくれてやろう…ほれ」
そう言って彼は小瓶を一つシエスタに投げ渡します。
「あわ、お、お、よっと。何ですか?これ」
危なげにそれをキャッチしたシエスタはそれを光に照らし、中身を見ながらテオに尋ねます。
「なに、最近吾、秘薬作りがマイブームゆえちょいと作ってみた秘薬だ、飲めば、頭痛、発熱、疳の虫がピタリと止まり、塗れば手荒れアカギレ、しもやけに、更には擦り傷、切り傷、打撲傷、あとハゲにも効く」
「そんな凄い秘薬!」
そもそも秘薬は本来平民が買えるものではありません。
魔法の補助剤としての役割が大きいので、平民が使っても効果が薄いと言うのもあるのですが、それ以前に秘薬はとても高価なのです。
そしてテオの言うように、万病に効くような用途の広い秘薬は、それはそれは高価で、貴族ですら買うことはできないほどのものなのです。
手荒れごときでポンと渡せるものではありません。
「も、もらえません、そんな凄い秘薬。私にはもったいなさ過ぎます」
「しらん、別にそんな事どうでもよかろう、吾がお前にやろうと思ったのだ。黙って受けとれ」
「無理です、ムリムリ」
シエスタはそう言ってそれを断ろうとしますが、テオは引き下がりません。
「たかだか『擦り傷』『切り傷』『打撲傷』に効く秘薬ぐらいでガタガタ抜かすな」
「たかだかって、それじゃあ殆ど万能薬じゃないですか、それはさすがにもらっちゃうと問題ですよ」
「いらなければ人にやってしまえばよかろう。お前が何に使っても吾の知った事ではない」
「いえですからもらえませんよこんな凄いもの!」
「だから人にやれって」
「ですけど秘薬だなんて…」
「他の怪我人に」
「いやいやいやいや」
「……」
「やっぱり受け取れないですよ…」
「察しろよ!!吾が馬鹿みたいだろ!!」
「は?」
「とにかく!お前はそれもってとっとと行け!いいか、人に見えるように右手に持ってだ、それでもってその出所を聞かれても、拾ったと答えろ!それ以外の回答は許さん!いいな!」
「は…はい」
凄いテオの剣幕に押され、ただシエスタは戸惑うようにそう言うしかありません。
テオはプリプリと不機嫌そうに何処かに行ってしまいました。
シエスタはなぜテオが突然不機嫌になったのか解りませんでしたが、とりあえず彼に言われたとおりにサイトの眠る部屋に行くのでした。
「失礼します…あの…サイトさんの様子は…」
「アンタは…メイド?…ちょっと、何を手に持ってるの?」
ルイズは突然部屋にやって来たメイドに驚きますが、次の瞬間彼女の手にある瓶を見つけて彼女に詰め寄ります。
「え?そこで拾った水の秘薬ですけど…」
「拾った!?まあいいわ、貴方、それを私によこしなさい」
「え?はい」
シエスタはその剣幕に押され、言われるがままにその薬をルイズに渡します。
ルイズはその薬を直ぐにサイトに塗ると。
まるで冗談のようにサイトの傷が消えました。
それは普通の水の秘薬では考えられない速さだったのです。
「ちょ…なにこれ、あっという間に傷が治っていく」
「え?え?」
「ちょっと!これ何処で拾ったのよ!」
「え?拾ったというか…そこでテオ様に…」
テオには口止めされていましたが、流石に秘密にしておくのはマズイと思ったシエスタが、テオからもらったと言おうとしましたが、
「そこで?テオ?なるほど、テオのやつが落としたのね、だとすればこの効力も納得だわ!ふん、まあ勝手に使ったけれど、まあいいわ!あんな人でなしのものだもの、勝手に使ったところで知ったことじゃないわ」
ルイズはそう言って一人納得をした様子でした。
そしてシエスタの方を向くと彼女に言いました。
「あなた、このことは他言無用よ?アイツのことだから、自分の秘薬が勝手に使われたと知ったら子供みたいに怒るに違いないわ、貴方がこの秘薬を拾ったことは誰にも、特にテオには言っちゃダメだからね?」
「え…でも」
「良い事!これは命令よ!」
「は…はひ!」
貴族からすごい剣幕で命令と言われてはもうシエスタは何も言い返せません。
ただ肯定の返事をして、すごすごと帰る以外の行動は取れませんでした。
そして、シエスタの帰った後のその部屋で。
「ルイズ様…ありがとうございます」
そう言いながらエンチラーダがエルザと共にカーテンの影から姿を表します。
「回りくどいのよ!最初から直接渡せばいいでしょうに!」
ルイズはエンチラーダに言いました。
「ご主人様は本当に不器用な御方ですので」
「窓の直ぐ外で、あんな大声で全部丸聞こえよ!」
「ご主人様は興奮すると周りが見えなくなりますので」
「…テオって…」
それは、当たり前といえば当たり前です。
この世界には防音ガラスなんてモノはありません。
窓の近くで大きな声を出せば当然部屋の中に声が届きます。
テオとシエスタのやり取りは、完全にルイズに聞こえていました。
ルイズだけではありません。
あのやり取りの近くに居たもの。
テオと別れて間もないエンチラーダとエルザにも聞こえていたのです。
「大体!何で私があんな三文芝居を!!」
「まあ秘薬の対価と思って我慢してください」
「全部聞かれてたって知ったら、テオ、泣いちゃうかも」
流石に、それが全てルイズに筒抜けだったと知れば、テオの心中は穏やかでは居られないでしょう。
そこでエンチラーダが機転を効かせ、ルイズに知らないふりをしてくれとシエスタが来る前に頼んでいたのでした。
「ご主人様の声がきこえていたのですから、あの御方の望みもご存知でしょう?努々、恩を仇で返すようなことはしないでいただきたいのですが」
「解ったわよ、サイトをあいつに近づけなければいいんでしょ?」
「ええ、別に隔離まではしなくても良いかと思いますが、できるだけ接触する機会は減らしていただきたいと思います」
「まったく、子供じゃないんだから……意味もなく嫌いだなんて」
ルイズにはなぜテオがこんな面倒くさい事をするのか理解できませんでした。
薬を渡すならば最初から素直に渡せば良いのです。
エンチラーダが、薬の対価であるというから、知らないふりをしましたが、なぜ自分がこんな事をしなくてはいけないのか。その理由を理解できなかったのです。
その不満そうなルイズの顔をみたエンチラーダはこう言いました。
「純粋な方なのですよ」
◇◆◇◆
さて。
確かにルイズは知らないふりをしてくれました。
シエスタもちゃんと騙されました。
しかし。
それらの努力は最終的に水泡に帰してしまいました。
なぜって。
それは当然です。
テオとシエスタのやり取りは窓越しにルイズの部屋に聞こえていたのです。
当然その周辺の部屋。
即ち女子寮の殆どの部屋に居たもの、そしてその周辺に居たもの。
沢山の人にも同様に聞かれていたのです。
結局。
「テオ様、あのあと友達のメイドに聞きました!私、全然気がつかなくって、さすがテオ様です!あんなコト言いながらサイトさんをシッカリ助ける気だったなんて。本当!尊敬しちゃいます!!」
と、シエスタに言われ、テオはとてもとても恥ずかしい思いをするのでした。
確かにテオは回りくどい行動を取りました。テオなりのカッコつけだったのかもしれません。
しかし、その過程をしっかりと解説された上に、お礼を言われる。
まるで滑ったジョークの解説をされるがごとき恥辱をテオは感じるハメになるのでした。
少し気取った行動をとった代償としてはそれはあまりにも大きすぎる物です。
「は…恥ずかしい」
結局テオは部屋で顔を赤くしながら落ち込むのです。
そんなテオの様子に、エンチラーダが声をかけます。
「ご主人様…本当に不器用な御方…」
「五月蝿い五月蝿い!」
エルザも声をかけます。
「テオ、かっこ良かったよ」
「五月蝿い!幼女にそれを言われても惨めでしかないわい!」
テオはそう叫びます。
二人がテオを励ますほどにテオの惨めな気分は増して行きます。
「おのれ、なぜ吾が惨めな思いをしなくてはいけないのだ?」
そして、テオは怒りを感じるのです。
「ソレもコレもあの野郎のせいだ」
テオの怒りはサイトに向きます。
それは理不尽な怒りですが、確かに、そもそもサイトが居なければテオはこんな思いをする必要はなかったのです。
サイトがテオの恥辱の要因であるのは確かでした。
テオの頭の中で、あの気に食わないサイトの顔が浮かんでは消えていきます。
それは、さらにテオの怒りのボルテージを上げて行きます。
そして最終的には、
「うぬれ!」
テオの怒りは頂点に達し。
「かくなる上は…」
そしてテオは行動に移ります。
それは。
「寝る!」
ふて寝でした。
テオはドスンとベットにダイブしたかと思うと、そのまま掛け布団を頭まで被り、そして本当に寝てしまったのです。
「テオ寝ちゃった」
子供のようにふて寝する自分の主人の姿に、エルザはつぶやきます。
「いいんですよ、ご主人様は嫌なことがあるとヤケになって食べるか、ふて寝をしてしまうのです」
「子供みたい」
「純粋なのですよ」
そう言いながらエンチラーダは指を口元に当てて、物音をたてないように部屋から出ていきます。
エルザもそれに習ってそっと部屋から出て行くのでした。
◆◆◆◆用語解説
・ギーシュ
テオ曰く歩くコント。
近づいただけで吹き出しそうになる。
コノ決闘を期に、苦手克服と言うことで笑わないようにテオは目下努力中。
・浮かんだサイト
重力ない状態だから、らくらく運べるんじゃない?って思ってる人。
慣性の法則と言ってだな…
レビテーションは浮く魔法であって、質量を消す魔法では無いはず。
・面白い形の石
子供の心を鷲掴みにするものの中で、最も安上がりな物の一つ。
安上がりなのに、集めすぎるとなぜか親が怒る。
曰く「捨ててらっしゃい」
あそこで石集めを許容しておけば、カードやらシールやらフィギュアやらボトルキャップやら、金のかかるものを欲しがらなかったかもしれないのに。
正しい子育てとしては、子供の興味ががそこらへんの石や棒やネジとか色水とかに行くよう仕向けるべきだと思う。
ただ、その結果、石やら木の根っ子やらをやたらと集める困った大人に育ったとしても、筆者は責任を負いかねるのであしからず。
・ついカッとなって
時に人はついカッとなって本人でも理解不能な行動に出ることがある。
突然SSを書き始めたり、それを投稿したり、さらに書き続けたり。
ついカッとなってやった。後悔はそれなりである。
・シエスター
白蝋魔人の一団に誘拐された佐々木コンツェルンの令嬢・眠子。
隙を見てアジトから脱出に成功するが、逃げる途中で誤って崖から転落してしまう。
その時高圧電線に触れてしまった。そして電気ショックによって影に心が宿り、シエスターという超人が誕生した。
…というわけではなく、単にテオの発音がおかしいだけ。
…元ネタ分かる人が皆無だとは思うが、ついカッとなってやった。
・生理的嫌悪
コレばっかりは、どうしようもない。
ちなみに筆者は毛虫系列が嫌い。
好き嫌いは無いつもりだが、蜂の子とか食卓で出されたらついカッとなっることうけあい。
・秘薬
テオ印のなんか秘薬。
体の新陳代謝を物凄く活性化するので傷が直ぐに治る。
同じ理由でハゲにも効果がある。
ピーリングの要領で小皺や染みソバカスにすら効くまさに万能薬。
ただし、馬鹿には効き目なし。
・察しろよ!
かっこいいことをしても、相手が察してくれない時ほどカッコ悪いものはない。
・プリプリ
しまって弾力のある状態。基本的には食品に使われることが多い表現。
・滑ったジョークの解説
「…お茶の子さいさいだ……茶碗だけにね!」
「…?……あ!なるほど!茶碗とお茶が掛かって居るんですね。簡単であるという慣用句と、実際に簡単だという意味が重なっているジョークなんですね!」
みたいな感じ。
物凄く恥ずかしい。
・ふて寝
テオの最終奥義。
他の奥義に「やけ食い」と「現実逃避」がある。