フーケ討伐から数日後。
ルイズ、サイト、キュルケ、タバサの四人はルイズの部屋に集まっていました。
特に理由があってのことではありません。
キュルケがサイトにちょっかいを出すべくルイズの部屋を訪れ、タバサがそれに付き添い、ルイズがそれに過剰に反応し、サイトがそれに困り果てる。
ただ、それだけの。騒がしい普段のやり取りでした。
そして、その喧騒が一段落した段階で。
ふと、サイトが思い出したように言いました。
「あのさ」
「なに?」
急に物々しい口調で話し始めたサイトに、ルイズもキュルケもタバサも耳をすませその口から紡ぎだされる言葉に集中をします。
「テオのことなんだけど…」
その言葉に、その場の雰囲気が少しだけ悪くなったのをサイトは感じました。
しかし、此処で話を止めては、何時まで経ってもこの雰囲気を払拭することができないので、サイトは言葉を続けます。
「あのさ、あのフーケにルイズが捕まった時。あいつの言ったあの言葉、死んでも構わないって、その、本気だったのかな?」
その言葉によって、しばしの沈黙が訪れました。
「…冗談…って言いたいけど、そんな雰囲気じゃなかったわね」
しばらく思案した後にキュルケがそう言いました。
「いや、でもさ、ほら、ルイズを助けるためにしたハッタリって可能性もあるだろう?」
「まあ…そうだけど、だとしたら彼、相当な演技派よ?」
キュルケの言うとおり、あの時のテオの言葉は本気にしか聞こえませんでした。
演技だとしたらテオは相当に演技がうまいことになります。
「でもたしか、テオの趣味って演劇鑑賞だよな」
思い出したようにサイトがそう言いました。
サイトの言うとおりテオの趣味は演劇鑑賞でした。
必ずしも演劇を見れば演技が上手くなると言う訳ではありませんが、何度も演劇を見るうちに役作りのコツやら、演技の技法などを覚えていたとしても不思議はありません。
「と言うか演技をするだけの自信があったから、ハッタリっていう手段に出たって考えられないかなあ」
テオ演技説を主張するサイトに対して、
「なんか、妙にあいつの肩を持ってない?」
ルイズがそう指摘しました。
その言葉にサイトも、首をひねりながら答えます。
「いやな、なんとなく、なんとなくなんだけど、あいつがそんなに悪いやつじゃない気がするんだ。だからさ、なんだか、あいつがあんな事を言うのが信じられないっていうか、なんというか…」
「悪いやつじゃないって、アンタ、テオのことなんにも知らないくせによくそんなことが言えるわね」
ルイズの言うとおり。サイトとテオの関係は極々薄い物でした。
二人で話し合ったわけでもなく、長い時間を共に過ごしたわけでも無く。
ただ数回一緒に行動しただけ、それもサイトは合う度にテオに意地悪をされています。
「うん…まあ、そうなんだけど。なんていうか、憎めないっていうか、不思議と親しみを持ってしまうと言うか…、なんだか昔からの知り合いみたいな感じがするというか…」
そういうサイトに対して、ルイズはフン!っと一回鼻息を荒くしてから言いました。
「あいつは嫌なやつよ。アレもハッタリじゃなくて本心に違いないわ、根性弄り曲がった、嫌なやつなのよ」
ルイズは憎々しげにそう言いました。
特に彼女は命の危険があっただけに、テオの発言には怒り心頭なのです。
「でも彼のしたことはある意味正しいことだわ、あのままいけば間違いなく破壊の杖を奪われ、フーケには逃げられていたんだもの」
キュルケが真剣な表情でそう言いました。
「アンタは頭に杖を向けられて無いからそんな事が言えるのよ、人質になった私は生きた心地がしなかったわ」
「でも結果助かったじゃない」
「それは…そうなんだけど」
確かにテオのあの行動の結果、全てが上手く収まりました。
彼の行動に怒りを覚えるのは変な話なのですが、しかし、実際命の危険もあっただけに、ルイズはテオに対して好意的な評価ができません。
「ああいった状況下で敵の条件を飲むのは一番に危険よ?最悪の場合、杖を奪われるだけではなく、貴方も殺されていたのかもしれないんだから」
「うぐ…」
キュルケのその言葉にルイズは言葉をつまらせました。
彼女の言うとおりなのです。
あのまま、フーケの要求を飲んでいたら。
おそらく、破壊の杖を手に入れたフーケはルイズを連れて逃走をしたでしょう。彼女を離せばその瞬間攻撃されるのは必死だからです。追いかけてくればルイズを殺すとでもいいながらルイズ共々森に逃げ込んだでしょう。
そして、上手くフーケが逃げおおせたあとルイズが無傷で解放されるとは思えませんでした。
良くて、身代金を要求されるか。最悪逃走の邪魔になるからと殺される可能性は相応にしてあったのです。
そういう意味で、テオの取った行動はある種理想的とも言えました。
相手を動揺させ、その隙に無力化させる。
失敗しても最悪ルイズの命は失いますが、『破壊の杖』の奪還と『フーケの捕獲』という目的は達成できるのです。
「残酷だけど、彼の行動は正しいわ、たとえアレがハッタリではなく、心からの言葉だったとしても」
「でも、正しいからって。あんなふうに簡単に人を見捨るのはおかしいわ」
ルイズはそう言いましたが、その言葉にキュルケは首を振ります。
「でも貴族であるならば、目的のために心を殺すことなんてザラにあるわよ?上に立つものは時に残酷な判断もしなくてはいけないの。貴族としての自尊心の強いテオならば、そういった貴族の残酷性を持ち合わせていても何ら不思議は無いわ」
「うーん」
サイトはその言葉を聞きながら腕を組んで考えます。
確かにキュルケの言うとおり、此処はサイトの育った安全安心な社会ではありません。
各所に危険が潜むこの世界で、統治者たる貴族は冷徹な判断を常に求められるでしょう。
貴族の社会では、目的のために親兄弟すら犠牲にすることすら珍しく無いのです。そういう意味で、あの場でのテオの行動はいかにも貴族らしい行動でした。
果たして、
彼は貴族の一面として、人の命を簡単に犠牲にするような冷たい心を持っているのでしょうか。
それとも、やっぱりあの発言はルイズを救うためのハッタリで、彼は心優しい人間なのでしょうか。
「タバサはどう思うの?」
キュルケは先程から自分の意見を言わない青い髪の友人に尋ねました。
最近良くテオとつるんでいるタバサ。
テオの使い魔であるエルザとも仲が良く、かなりの頻度でテオの部屋を訪れたりもしています。
ある意味ではこの中のメンバーで一番にテオという人間を良く知っているのです。
そんな彼女の口から出た言葉は、
「単に物事の善悪がわからないくらいにバカなんだとおもう…」
「「「…………」」」
タバサの一言に三人は動きを止めました。
仲が良いくせに、酷い評価です。
「で…でもあいつ学年でも一番の秀才よ?常識を覚えられないようなバカだと思う?」
ルイズはそう言ってタバサの言葉を否定しようとしますが、今度はキュルケが立ち上がりタバサの言葉を肯定します。
「いや、勉強が出来たからって、常識を持っているとは限らないわ、頭の良い馬鹿なんてこの世に沢山いるわよ?それにテオは幼少の頃、塔に幽閉されていたんだから、善悪の区別が付かないほどに常識が無いというのもあり得る話だわ」
サイトの脳内に「ゆとり」の三文字が表示されました。
死という概念を理解できなかったり。物事の善悪が付かなかったり。
極端に甘やかされたり、逆に育児放棄されて育つと、そういったあたりまえの常識が欠落した人間に育つと言うような話を、サイトはどこぞで聞いた経験がありました。
果たしてテオフラストゥスの内面とはなんなのか。
演技者なのか、冷酷なのか、それとも只の馬鹿なのか。
「ええい!こんな所でうじうじ話をしていても埒があかないわ!」
そう言ってキュルケはすくっと立ち上がりました。
「テオに直接聞きましょう!アレが本気だったのか、それともハッタリなのか、それとも常識がなかっただけなのか!」
「聞いた所で正直に答えるわけ無いじゃない!」
呆れたようにルイズが言いました。
彼女の言うとおり『お前は実は残酷なやつなのか?』と聞いた所で、正直に『はい、残酷です』なんてテオが答えるともおもえません。
「それでも此処でうじうじと答えのでない話をするよりマシでしょ、嘘をつかれたとしても、彼に直接会って話さないことには何もわからないわ!」
「…まあ、それもそうだけど」
たしかに此処でテオ抜きで話していても結論は出はしません。
「まあそうね…テオに直接聞いて、もしテオが本心であれを言ってたんだとしたら魔法でぶっ飛ばしてやるわ」
ルイズはそう言いながら立ち上がりました。
「ハッタリだったならば演技を褒める」
タバサがそう言いながら立ち上がりました。
「バカだったら?」
サイトが部屋の扉を開きながら一同に聞きました。
「バカだったら…ゆっくり優しく社会の常識を教えてあげましょう」
キュルケのその言葉に、みなコクリと一回頷きました。
◇◆◇◆◇◆◇
意を決してテオの部屋に向かった一同ですが、彼の部屋には入ることはありませんでした。
というのも、彼の部屋に向かう途中の学園の庭で妙に目立つ団体を見つけてしまったのです。
何やら大声で騒ぎ立てる一人のメイジと、其れを必死に押さえつける一人のメイドと一人のこども。
今から会いに行こうと思っていたテオ達だったのです。
「ええい、はなせ!」
「御主人様おやめ下さい」
「テオやめて」
「男にはやらねばならぬ時があるのだ」
「少なくとも今がその時ではありません」
「テオやめて」
「は・な・せ!」
「…なにしてんの?」
何やら揉みあう三人に、キュルケが声をかけました。
「ああ、良いところに来た!貴様ら、吾を助けろ!」
「ああ皆さま、良いところに来ました、御主人様を止めてください」
「助けて」
三人がそれぞれ一同に助けを求めます。
「いや状況がよくわからないんだけど?」
「ご主人様がそこのそれを食べると言って聞かないのです」
そう言ってエンチラーダは顎で目の前の木陰を指しました。
一同がそちらの方に視線をやるとそこには、
「「「キノコ?」」」
それは蛍光色をしている上に、妙にカラフルな。もう見るからに毒キノコでした。
「あんな凄い色をしているんだぞ!凄い美味しいに違いないじゃないか!」
「どう見ても毒キノコです!御主人様、前にも同じような事を言って七色にひかる草を食べた結果、2週間寝込んだじゃないですか」
「テオ死んじゃう」
蛍光色のキノコに向かってズリズリと両腕で這うテオと、それにのしかかるようにしてその動きを止めようとするエンチラーダ。更にその上に乗るエルザ。
その光景を見て一同の先刻までの疑問が氷解しました
「「「「バカだ」」」」
テオに問いただすまでもなく、一同はテオに常識が無いという結論に達しました。
ルイズ達はその場でため息をつき、先ほどまでのヒートアップしたテオに対する考察がいかに無駄な時間であるかを理解しました。
「ぬぐぐぐぐ」
「おやめくださいいいい」
「テオ死んじゃううう」
すごい形相でもみ合う三人の前を、呆れた表情のタバサが通り。
グシャリ。
「「「あ」」」
そのカラフルなキノコは、タバサによって踏み潰されました。
「あああ、美味しそうなキノコが…」
テオはその場に力なく倒れこみ、エンチラーダはホッと一安心をするのでした。
「タバサ様ありがとうございました」
「ありがとー」
エンチラーダとエルザはタバサに心からのお礼を言いました。
「タバサメガネよ~、吾に一体なんの恨みがあってそのような仕打ちを。あれか?この前の占いにこっそりハズレを忍ばせておいたので怒ってるのか?」
「見るからに毒」
タバサがきっぱりと言い放ちますがテオは納得しませんでした。
「見た目で物事を判断するのはよろしく無いよ」
イジイジとそういうテオの前にすっと、キュルケが立ちました。
そしてそのままキュルケはテオの前に座り込み、自分とテオの視線を合わせると、慈愛を含んだ笑顔で言いました。
「良いですか?テオフラストゥス。道端に生えているものは。食べてはいけませんよ」
キュルケはテオにゆっくり優しく社会の常識を教えました。
そのあまりにもいつもと違う調子に、テオは首を捻りました。
「キュルケ君?なんかいつもと調子が違うけと…何か変なものでも食べたか?」
「テオ、友達だからハッキリ言わせてもらうわ、貴方には常識が無い!」
「知ってるよ」
その肯定の言葉に、キュルケは少しだけ戸惑いました。
そんな返答が帰ってくるとは思っていなかったのです。
そんな戸惑うキュルケを前にテオは言葉を続けます。
「いや、自分で言うのもなんだが、吾には常識がいくらか欠落しておる。まあ塔に幽閉されて常識を学ぶ時間がなかったからなんだが」
「自覚があるならば話は早いわ、常識を知らないと社会にでて困ることになるわ、今から少しずつでも常識を学びましょう?」
「安心しろ、常識がなくとも生きていく道を模索中だ」
「ええ?」
まさかそんな方向に人生の舵をきるとは、あまりにも予想外の言葉にキュルケは驚いた声を上げてしまいました。
「そもそも其のキノコを食べることだって吾が自立するための行動なのだぞ?」
「今のキノコが!?」
キュルケはキノコのあった場所を見ながら言いました。
果たしてどうして、キノコを食べると常識がなくても生きて行けるようになるのか。
キュルケにはさっぱり理解できませんでした。
「現在執筆中の本に載せようと思っていたのだ、味も見ておかないと」
「貴方、本を書いてるの?」
「ふん、吾には魔法の才能しか無いとでも思ったか?吾は一人でなんでも出来ちゃう男である」
「ご主人様はマルチな才能を持っていまして、その能力は各業界の其の名を轟かせる程なのです!」
「テオ天才!」
なぜかエンチラーダとエルザが胸を張りました。
「何時、野に下ることになるかわからん立場だからな、身を立てる手段をいくつも用意しておかねばならんのだ」
そう言って彼はパチンと自分の太ももを叩きました。
そうなのです。
テオは実際のところ、とても危うい立場に居るのです。
たしかに彼は天才です。
誰よりも魔法を良く使い、頭も良い人間です。
しかし、彼は足がなく貴族の跡継ぎの資格もありません。
彼の貴族のレッテルは何時剥がれ落ちてもおかしくは無いのです。
「まあ、吾は心はいつも貴族で有るつもりだが、こればかりは仕方の無いことだ。野に下っても生きていくためには多少の金儲けはせねばならん。まあ、逆に言えばだ、金さえあれば常識なんぞ無くても生きて行けるわけで、吾はいろいろとやっておるのだ」
テオはすくっと体を起こすとエンチラーダが傍らまで持ってきた車椅子に座ります。
そしてコホンと咳を一つして話を続けます。
「まずは錬金した物の販売」
「御主人様はいろいろな物を錬金してはトリスタニアの商店に卸しております。どれも高値で売られ、トリスタニアの商人で御主人様の名前を知らない者はおりませんよ」
「これがまあ一番堅実な儲けだな。まあ生きていくには十分な金になっておる」
そう言ってテオは得意そうに笑いました。
ルイズとサイトは先日、トリスタニアの武器屋での出来事を思い出しました。
あの揉み手をしながら頭を下げる店主の様子からすると、テオの言葉は真実なのでしょう。
「あと各店舗の相談役」
「御主人様のアドヴァイスは莫大な利益をもたらします。すべての商人は御主人様のお言葉を聞こうと、常に耳を御主人様の方向に向けておりますよ」
「これが存外儲かるのだ、なにせ元手が要らんからな、お陰で吾の財はかなりの物になったぞ」
一同その言葉には首を捻りましたが、確かにテオには常識がない反面で座学に優れるという一面もあります。
平民から意見を求められることも多々あるのかもしれません。
「そして執筆活動だ、まあ、吾は文章を書くのが得意でな」
「御主人様の文才は他の者には真似できない、素晴らしいものなのです」
「執筆活動には特に力を入れてな、お陰で吾の財産は…
………
…
…その大半を失った」
「「「「失ったの!?」」」」
全員の声が揃いました。
「全く売れなかった」
ショボーンと、悲しい表情でテオが言いました。
「悲しいほど売れませんでしたね」
表情は変わらないまま何処か悲しそうな雰囲気でエンチラーダが言いました。
「親戚すら買ってくれなかった」
「まあそれは、ご主人様は親戚とものすごく仲が悪いのも原因だと思われますが…」
「上中下巻三冊とも等しく売れなかった」
「売れないのに三冊も出しちゃったの!?」
「うむ、売れないのに三冊も出しちゃった」
項垂れたままテオが答えました。
この世界では本はかなりの高級品です。
平民に買えないほどと言う訳ではありませんが、それでも相当に奮発しなければ買えない程には高価です。
というのも紙の価値も印刷の価値も、我々の世界よりもずっと高いのです。
つまり、本を作るのにはかなりのお金がかかるのです。
もし出版した本が売れれば、その売上によって材料費が支払われますが、本が売れなければ制作費は丸々テオの出費として彼の財産を食いつぶします。
売れない本を三冊も出してしまえば、普通であれば破産していてもおかしくはありません。
「料理本は売れると思ったんだがなあ」
「「「料理本かよ!」」」
ルイズ達は声を揃えました。
執筆活動というからには何やら物語でも書いているのだろうと思っていたのですが、まさか料理本とは流石に一同思いもしませんでした。
「御主人様は、今後、料理本の需要が来ると予想してレシピブックを作られたのですが・・・」
「時代を先取りしすぎた」
「テオ可哀想」
うなだれるテオにエルザは寄り添って彼を慰めます。
珍しく落ち込むテオ達にルイズ達はどう声をかけて良いのか戸惑いました。
「はあ…ああ、そうそう、ちなみに吾の書いた『之でバッチリ今夜のおかず、血煙惨殺篇三冊セット』今なら知り合い価格、通常の値段に対し3割引で販売するぞ!」
そう言ってテオは車椅子の下の物入れから三冊の本を取り出しました。
「「「いや要らない」」」
ほぼ全員が口を揃えてそう言いましたが、ただひとり、そこで違う反応をした人間が居ました。
「よもやこんな身近に作者がいたとは」
そう言ってメガネを掛けた少女が懐からとある本を取り出したのです。
「むむ、それは愛蔵版ではないか!」
そう、それこそは、テオの書いた本、それも数の少ない愛蔵版だったのです。
「アンタ愛蔵版まで出してたの!?売れてないのに!?」
「うむ、愛蔵版まで出してしまったのだ、売れないのに」
テオの出版業に対する商才の無さにルイズはあきれ果てました。
「サイン欲しい」
そう言ってタバサはテオの前にずいっと本を差し出します。
その行為に、先刻までうなだれていたテオは、満面の笑みを浮かべました。
「ふむ、良いだろう!よし、親愛なるメガネへ、愛読ありがとう…オニギリータ・タベスギーヌっと」
最高の笑みでテオはその本の裏表紙にサインを書きました。
「オニギリータ?」
「御主人様のペンネームです…。ああ、ご主人様、人生で初めてサインをねだられてあんなお幸せそうな笑顔を…」
ホロリと泣きそうになる目をハンカチで抑えながらエンチラーダが言いました。
「家宝にする」
大切そうに本を抱きしめるタバサに対して、キュルケが声をかけます。
「・・・タバサ。その本好きなの?」
「世紀の大傑作」
「料理本が?」
「レシピの合間に暗殺拳の方法が書かれているのが斬新」
「なにそれ!?」
「特にジャガイモと人参の暗殺拳継承編における手に汗握る展開はもはや絶句」
「…すごくつまらなそうなのに、少し読みたくなってしまうのが悔しい」
一体どんな内容なのか、話を聞いてもさっぱり理解できませんでした。
タバサにサインをねだられたおかげで、先ほどとはうって変わってテオは上機嫌になりました。
「ふむ…やはり吾には作家としての才能があったのだ!此処を卒業したら、吾は作家として生きていくぞ!」
真剣な表情でテオはそう宣言します
「御主人様…それはちょっと…やはり錬金を本業としたほうが…」
エンチラーダがそんなテオを諭そうとしますが、テオは聞き入れません。
「いや、作家こそが吾の進むべき道であると今気がついた!今日こうして吾のファンが現れたのも運命に違いない!吾は作家になるぞ!」
「…御主人様は、あえて修羅の道を歩もうとしていらっしゃる」
とんでもない方向に人生を進もうと決意するテオを前に、
「こ…これは優しく諭すのにも相当に骨が折れそうね…」
ゴクリっと唾を飲みながら、キュルケがそう言いました。
◆◆◆用語解説
・「ゆとり」
ゆとり教育及びその教育を受けていた世代を指すのだが、近年では常識や知識のない人間に対して蔑称として使われる。
実際のゆとり世代は特に常識がないと言うわけではなく、結構堅実で地に足の着いた考え方をする人が多いらしい。
現代っ子→新人類→新新人類→ゆとり世代
何時の時代も若い人間を異質のものとして扱う傾向が社会には有る。
だれしも、どういうわけか歳を重ねると自分が嘗て若かったという事実を忘れてしまうものなのだ。
・蛍光色をしている上に、妙にカラフル
世のきのこの中には本当に蛍光で夜に光るヤツなどもあるし、赤や緑、黄色、紫と派手な色の奴もいる。色が派手だと毒と言うのは迷信で、真っ赤なキノコや紫のきのこでも食べられるきのこは沢山ある。
しかし、だからと言ってむやみに食べると危険である。
・ハズレ
今日の運勢を占おうと、意気揚々と箱の中から占いが書かれた紙を取り出すタバサ。
そしてそれを開いたときに書かれていた「ハズレ」の文字。
その日タバサは一日ブルーな気持ちになった。
・時代を先取りしすぎた
流石に暗殺拳の綴られた料理本は極端だが、普通のレシピ本を出版したとしても売れなかったと思われる。
流行や技術と言うものにはタイミングと言うものがある。
料理本は、平民階層が料理に対してかなりの意識を持つ水準になって初めて売れるようになる。
食えれば御の字の世界では間違いなく売れない。
我々の社会にレシピ本が多数あるのは、我々に食事を楽しむだけの余裕があるからである。
更に言うのであれば、テオが現代知識を使って現在の名作と呼ばれる小説などをパクって出版したとしよう。
それでも流行るかどうかは怪しい。
何故ならば面白さの基準はその時、その場所の、文化、風俗、思想、宗教に大きく左右されるからだ。
実際日本で大ヒットしながら、海外では全くヒットしないメディアや商品と言うのは多々ある。
もちろん、時代関係なし世界共通でヒットする物もあることはあるのだが…
・相談役。
現代知識を生かして経営チート…と言うわけではない。
むしろそんなことをすれば失敗まちがいなしなのだ。経営学を舐めてはいけない。
そもそも、簡単な知識がある程度で経営に手を出すもんじゃない。マズローの五段階欲求も組織論も目標管理制度も知らない人間が、いきなり大会社を立ち上げるとか…
そもそも現代式の経営は現代社会の技術の上に成り立っている。
現代式の経営をそのままトリステインに持っていけば、破産するか、他の団体に潰されるか…
ではなぜテオが相談役として成功しているのか。
なんのことはない。テオがインサイダーであることが理由。
テオは錬金したものを各所に卸している。
それは剣であったり、防具であったり、アクセサリー、雑貨、素材、薬、被服、それ意外にも多種に及ぶ。
この世界では業界団体同士のつながりは薄い。お互いが権利を主張しあって縄張り意識が非常に強いからだ。
例えばアクセサリー業界と被服業界、同じファッションを扱うものとして、協力関係にある反面で、ヘタをすると相手に食われかねない関係でもある。
お互いに自分の技術を匿秘し、相手の情報を欲しがっている。
そんなところに各団体に顔がきくテオが登場。
各団体はテオを使って、他の団体の動向に探りをいれる。
もちろん有料でだ。
相談役と言うよりは情報屋のようなものなの。
情報ツールが殆ど無いこの世界において、テオという情報媒体は非常に貴重なのである。
・之でバッチリ今夜のおかず、血煙惨殺篇
ごく一般的なレシピが奇妙な文体によって綴られている。
レシピの合間には食材を使った暗殺拳の方法が載せられている。
ちなみにタバサの一番気に入っている暗殺拳は死んだ魚を使ってレスリングをするというもの。
・愛蔵版
通常版よりも上質な紙が使われ、内容も加筆訂正が加えられ、ある程度の文章がたされている。
まあ、豪華版と言い換えても良い。
ただし、生産コストが高くなってしまうために、確実に売れる人気がある作品でないと、普通は愛蔵版は作られない