いつも通りの一日でした。
エンチラーダはいつも通り、朝起きて、いつも通りに朝の仕事をするのでした。
厨房はいつも通りに忙しそうで、皆いつも通りに動いていました。
ただ、一つだけ、いつもとは違う部分がありました。
厨房の隅に、いつもならばそこには無い物が存在していたのです。
それを目の前にしてエンチラーダは言いました。
「何ですかこれは?」
それは見慣れた鍋でした。
ソップ用の寸胴鍋です。
しかし、本来ならばその鍋は釜の上にあるべきでした。
ソップを作るために釜の上で火にあぶられているべき鍋です。
その鍋が、何故か今日は厨房の隅に置かれていたのです。
「ああ、壊れたんだよ、何処かにヒビが入ってるんだろうな、水が少しずつ漏るんだ」
いそがしげに手を動かしながらマルトーが答えました。
「ではいま、ソップはどうしているんですか?」
「一回り小さい鍋で作ってるよ、鍋が小さいから2回に分けて作ってるな。一応新しい鍋の注文は出しているが、それくらい大きい鍋だと特注だからなあ。直ぐには出来ないだろうな」
そう言いながらマルトーは小さくため息を付きました。
ソップを二回に分けで作る。コレは簡単なようで実に面倒なことなのです。ましてや忙しい厨房においてはなおさらです。
これから大変になるであろう朝晩のソップ作りを考えるとマルトーはため息を付かずにいられません。
そんなマルトーの様子をみたエンチラーダはこう言いました。
「何ならばご主人様に作ってもらいましょうか?」
「ご主人様って・・・あの…」
「ええ、テオ様でございます」
その言葉にマルトーは悩みました。
本来ならば良い話なのでしょう。
いえ、数日かかると思われた鍋の修理が直ぐに終わると考えるならば、それはとても良い話です。
土のスクウェアメイジが鍋を直してくれるなどそうそうあることではありません。
しかし、マルトーはその話に直ぐに頷くことができませんでした。
何故と言って、マルトーは貴族が嫌いでした。
いつも偉そうで、見栄をはり、それでいて精神的に未熟。
料理の味もわからないくせに文句だけは一人前。
そんな貴族が嫌いでした。
そして「テオ」と言う人間は、そんなマルトーが嫌う貴族の見本のような男だったのです。
傲慢。
ワガママ。
偉そう。
尊大。
少なくとも、はたから見る限りでは、テオはそのような人間にしか思えなかったのです。
ワガママな性格などはゆるせないでもありません。
なにせテオには足がありません。自分では歩くことができないので自分の力では出来ないことも多いでしょう。結果、他人に何かを求め、それがワガママな性格につながっているのでしょう。
しかし、だからといって、傲慢である必要も尊大である必要もありはしないのです。
マルトーはエンチラーダの主人に対しては、足が無いということに対する同情心も持ていましたが、同時に如何にもな貴族であるという嫌悪感ももっていたのです。
そんないけ好かない貴族に借りをつくることが、なんとなくマルトーは嫌だったのです。
そんなマルトーの表情を読み取ったのでしょう。
エンチラーダはこう言いました。
「別に私が頼むことですので、誰も気負うことはありません。あくまで一人のメイドとその主人の間でするやり取りですので…」
そこまで言われてはマルトーも断ることは出来ません。
「それならまあ頼むとするけれど、しかしその鍋持てるのか?」
「問題ありません、力には自信がございます」
「いやそうじゃなくて物理的に…」
そう言ってマルトーはエンチラーダの腕を指さします。
ソップ用の鍋はそれはそれは巨大で、エンチラーダの腕の長さでは鍋の半径に届きません。
両肩と肘の関節を外しでもしない限りは、エンチラーダは鍋の両端の取っ手をつかむことができないのです。
しかし、エンチラーダは冷静でした。
「まあ方法はなんとでもなります」
そう言って、エンチラーダはマルトーの思いもしなかった方法で鍋を運ぶのでした。
◇◆◇◆
いつも通りの一日でした。
シエスタはいつも通り、朝起きて、いつも通りに朝の仕事をするのでした。
いつものように廊下を箒でもって掃いていきます。
ただ、一つだけ、いつもとは違う出来事がおこりました。
廊下の角から、いつもならば絶対にあるはずのないものが現れたのです。
鍋です。
逆さになった鍋から足が生え、その足で廊下を歩く巨大な鍋でした。
「ナ…鍋が歩いている」
シエスタはゴクリと唾を飲み込みました。
確かに此処はトリステイン。
様々な亜人や幻獣の跋扈する世界です。
しかし、そんな世界に住むシエスタにしても、足の生えた鍋なんて奇っ怪な妖怪は見たことも聞いたこともありませんでした。
「アレは一体…もしや!」
シエスタはかつて祖父に教えられたとある話を思い出しました。
曰く、死してなほこの世に未練残せしは魑魅魍魎と成り果てる。それは命無き物もおなじであり、物をゾンザイに扱えばそれは悪霊となって動き出す。
「なんてことかしら。きっとだれかが鍋を手荒く扱ったから『鍋お化け』になってしまったのね」
「おや?その声はシエスタ女史?」
「あれ?この声はエンチラーダさ・・・」
ふと聞こえた声。
それは紛れも無いエンチラーダの声だったのですが、
その聞こえてきた場所が問題でした。
エンチラーダの声は鍋お化けの中から聞こえてきたのです。
「なんてこと!?
エンチラーダさんが鍋お化けに…
取り憑かれてしまっている!?」
「は?」
「大丈夫ですかエンチラーダさん、一体何をしたんです?鍋をゾンザイに扱ったんですか?それとも鍋に入れちゃいけないものでも入れたんですか?」
「…?あのう、言っている意味が分からないんですが?」
そう言いながらエンチラーダはイソノファミリーの如く鍋から登場しました。
「あ!エンチラーダさん!」
「別に鍋に取り憑かれたわけでもありませんし、鍋に呪われたわけでもないです。ただ、鍋をかぶっているだけですよ」
「そ・・・そうだったのですか」
シエスタはとても恥ずかしくなってしまいました。
考えてみれば当然のことです。
普通に考えて鍋に足が生えるなんてことはありえませんし、鍋に取り憑かれたり、呪われたりなんてあり得るはずが無いのです。
しかし、鍋をかぶるなんて普通に考えたらそれもありえない状態です。
シエスタが混乱したのも無理も無いのでしょう。
「ええっと、その、気を悪くしたらスイマセン。けれど一応、言っといたほうがいいと思うんで、言っておきます」
非常に言いにくそうにシエスタが言葉を続けます。
「何ですか?」
「そのファッションは流行らないと思…「ファッションではありませんよ?」」
「え?違ったんですか?いや、スイマセン、てっきり斬新なファッションなのかと」
「シエスタ女史、貴方は私を何だと思っているんですか?流石に私も鍋をかぶるのが最新トレンドだとは思っていません」
そう言ってエンチラーダはため息を一つつきました。
シエスタに、自分がそんな人間であると。鍋をかかぶるような出で立ちを、自ら好んでするような人間であると。そう認識されていると思うと、溜息をつかずには居られませんでした。
「そ、そうですよね。でも、だとすると何で鍋なんてかぶって歩いていたんですか?宗教的理由ですか?」
「シエスタ女史、貴方は私を何だと思っているんですか?単に鍋を運ぶのに持ちにくいからかぶって歩いていただけです」
「あ、ああ、そうですよね?よかった、私てっきりエンチラーダさんが突然頭がおかしくなっちゃったんだと思った」
「シエスタ女史、正直なのは美徳ですが、本人の前ではある程度言葉を選ぶべきかと思います」
エンチラーダはこのシエスタの思ったことを直ぐに口に出す性格が結構好きでしたが、それも時と場合によります。
何時かシエスタはこの性格が災いして何やらトラブルに巻き込まれないかと、エンチラーダは心配になりました。
「とはいえシエスタ女史、いいところで会いました。実は手伝って欲しいのです」
「手伝うって?鍋を持つのですか?」
「いえ、鍋は別に普通に持てますので、問題ないのです。問題なのは鍋をかぶると、前が全く見えなくなることなのです」
「ああ」
「じつは、此処に来るまででもう何回も壁にぶつかっておりまして、正直、教会の鐘になったような気分なのです」
「それは不便ですねえ、わかりました、テオ様のお部屋に行けばいいんですか?」
「はい、よろしくお願いいたします」
そう言ってエンチラーダは再度ナベをかぶります。
シエスタは、ナベの取っ手を握りながら彼女の進むべき方法に、誘導を開始します。
「ああ、エンチラーダさん気をつけて!そこには例のツボがありますから、割れたら大変なことになります」
「ああ、貴方が昨日割ってしまったやつですか」
「ええ、まだ糊が乾ききっていないからちょいとした衝撃で割れます」
そんなことをいいながら二人は騒がしくテオの部屋へと向かうのでした。
◇◆◇◆
いつも通りの一日でした。
テオはいつも通り、朝起きて、いつも通りに朝食ををするのでした。
そしてその後、いつも通り、趣味の占いなんぞを一人で行いながら昼前のアンニュイな時間を過ごしておりました。
ただ、一つだけ、いつもとは違う部分がありました。
部屋に来客があったのです。
はじめはエンチラーダが来たのかと思っていましたが、何やら扉の向こうからは聞きなれない人間の声が聞こえます。
テオが何事かと思い扉を開けると、そこには。
鍋が居ました。
「ナ…鍋が立っている」
テオはゴクリと唾を飲み込みました。
流石のテオも、まさか扉を開けて鍋が現れるとは思っていませんから、コレにはビックリです。
「だ…大丈夫ですか?到着しましたよ?」
そしてその鍋の隣では何やら黒い髪をしたメイドが、鍋にささやいています。
「て…手下を連れている」
丁寧に鍋に付き従うメイド。
さては相当に地位の高い鍋なのかとテオが思った所で、鍋の中から声が聞こえました。
「ご主人さまこのような姿で失礼致します」
「そ…その声はエンチラーダか?ど…どうしたんだ?その体。まさか何か質の悪い呪い…」
「厨房から鍋を持ってきたのですが、持ちにくいものですからかぶって来ました」
そう言ってエンチラーダは白猫の如く鍋を持ち上げてその本来の姿を表しました。
「し…知ってたよ?中にエンチラーダが入っているって?鍋はかぶっているだけって吾は知っていたからな?」
「?ええもちろんですとも?」
「で…どうした、新しい健康法か?」
「いえ、実はこの鍋、何処かに見えないヒビがあるようで、壊れているのです。そこで、ご主人様、この鍋を直してください」
そのエンチラーダの言葉に、驚いたのは誰あろう、その隣にいたシエスタでした。
シエスタは、エンチラーダが鍋を運ぶ理由はテオの錬金の材料にでもするのだと思っていたのです。
「それを吾が直すのか?」
「はい」
冷静にエンチラーダはそう言いましたが、その横でシエスタは震えていました。
貴族に対して開口一番鍋をなおせなんて、たとえエンチラーダが長年テオに使えているとしても、あり得ないほどに失礼なことでした。
そして、エンチラーダのその言葉に、テオは如何にも不機嫌そうに眉をしかめます。
そのイラただしげな様子にシエスタは怯えずには居られませんでした。
「馬鹿なことを言うな」
「…」
「ひいっ」
「我が身の日々の食事をつくる道具であるぞ!そんなボロくさい鍋で無く、新しくて良いものを作らねばなるまい」
そう言ってテオは腕をまくり上げ、杖を手にしました。
今にも錬金を開始しようとするテオに向かって、エンチラーダが話しかけます。
「ああそれと一つ」
「なんだ?」
錬金を邪魔されて、テオは少し不機嫌そうに聞き返します。
「使いやすさを追求しますのでいつぞやのように無駄な彫刻はやめて下さいね」
「なにを言うか、何事にも芸術性は必要だぞ!かくなる上はグランギニョール劇のごとく、美しくも妖美な彫刻を周りに施し…」
「やめてくださいね」
「いやしかしだな普段使う物にも…美意識は」
「やめてくださいね」
「…………っち、まあいい。今日の午後までには用意しておく…あひるのスープをつくる鍋をな!」
そう言ってテオはゲラゲラと笑いました。
突然笑い出したテオに、シエスタはどう反応して良いのか解らず、そのまま固まってしまいました。
如何せん今の言葉の中の何処に笑う要素があったのか微塵も理解が出来なかったのです。
すると彼女の困惑を察したのか、エンチラーダはそっと彼女の手をとって、その部屋を後にしました。
特に挨拶もなく二人は部屋を後にしましたが、テオは全く気にした様子もなく、鍋の錬金にとりかかるのでした。
テオの部屋からの帰り、シエスタはあの場で思った幾つかの疑問をエンチラーダに投げかけました。
「あの、こう言っては失礼かもしれませんが、エンチラーダさんはテオ様との会話が、思ってたより何というか、ズケズケというか、フレンドリーというか…」
「気安い?」
「そう、気安く会話をされるんですね」
「ええ。そりゃあ気安いのですもの。」
「でも、ほら、テオ様は貴族様じゃないですか。何というか、失言とかで殺されちゃったりって、不安に成らないんですか?」
シエスタのその言葉に、エンチラーダは小さく一回ため息を付きました。
「シエスタ女史、そもそも貴方は勘違いしています」
「勘違いですか?」
「私はあの方に仕えているから、ご主人様の言うことを聞いているわけでではないのですよ」
「え?」
「私は自らの意思であの方の言う事を聞いているのです。私があのかたの言うことを聞きたいと、自らお世話をさせていただきたいと、そう思ったから自ら仕えているのです。私が仕えているのは貴族のメイジではなく、テオ様という個人なのです。あの方はそれに価する方だと私は思っております」
「は、はあ」
エンチラーダは相変わらず無表情でしたが、その声色には確固たる信念が込められていました。
「もし、いま貴方がご主人さまを指さして『やーいこの足なしー』と叫びながら挑発ダンスを踊ったとします」
「しない、しないです!私そんな事!」
「いえ、分かっています。例えばの話ですので。例えばそれを実行したとしても、あの方はきっとそれも笑ってゆるしてしまわれると思います」
「ええ?」
シエスタは少し信じられないといった様子でした、
なにせ、貴族を指さして馬鹿にするなど、この国ではそれ即ち死を意味するのですから。
「あの方は既に、たくさんの不敬を体に浴びています。足の無いあの方は、家族はもちろん、家中の使用人たちからも侮蔑の目を向けられています。むしろ裏でこそこそ言わず、面と向かって考えを告げる豪胆さを褒めさえするでしょう。あの方は、些細なことで怒るような矮小な人間では無いのです」
「そ…うなんですか」
「それでいて少し子どもっぽい所があるのも魅力的です。いつまでも少年の心を忘れず、それでいて大人の度量も持ち合わせているのです、その絶妙な性格のバランスは一種の奇跡とも言えます」
「はあ」
「些細なことで子供のようにハシャギ、下らないことで子供のように拗ねる。それでいて、細かいことにはこだわらず、寛大な心を持ち合わせる。常に好奇心を持ち、そして小さな幸せを常に見つける。そのご主人様の魅力たるや、筆舌に尽くしがたく、あの方のそばに居るだけで私はそれはそれは幸せなのです」
「えっと…」
「あのお方の存在は言わば神が私に与えた私の運命なのです、あのお方こそが本来あるべき貴族の姿であり、あのお方こそが私を導く唯一にして絶対の…」
「あのエンチラーダさん、私…」
「さらには!」
そう言ってエンチラーダはがしりとシエスタの肩をつかみます。
「あのお方の素晴らしさはそれだけではないのです。この際です、シエスタ女史、あのお方の素晴らしさについてトコトン話しあいましょう」
「ええぇっ…」
シエスタは正直今直ぐにでも走って逃げたいと思いましたが、がっしり攫むエンチラーダの手がそれを許しません。
結局シエスタはその後テオの錬金が終わるまで、エンチラーダのテオ自慢を聞くはめになるのでした。
◇◆◇◆
テオが錬金を終えたのは昼を少しばかり過ぎた頃でした。
エンチラーダと、疲れきったシエスタが彼の部屋を訪れると、テオはとても良い笑顔でそれを迎えました。
「フハハどうだ。吾にかかればこんな物、アヒルのスープを作るより余裕だ」
そう言って彼が指さした先には、それはそれは美しく輝く大鍋がありました。
「凄い!まるで銀のように輝いています」
「…ように?」
「こんなピッカピッカの鉄鍋、今まで見たことがアリマセン!」
「…」
シエスタは心からの賞賛をテオに向けました。
しかしテオの表情は曇っていました。
不機嫌と言うほどでは無いにしろ、なにやら複雑めいた…まるでアップルパイだと思ってかじったらそれがミートパイだったときのような、複雑で影のある表情だったのです。
シエスタは、何故テオがそんな表情をするのか不思議でしたが、それでも怒っているわけでは無いようなので、特にそれ以上は気にしませんでした。
さて。
テオの作った大鍋ですが、コレがコックたちに大評判でした。
なにせその大鍋ときたら、それはもうピカピカで見栄えが良かったし。
それに使い勝手もとても良いものでした。
なんといっても、その鍋は他のどの大鍋よりも早くお湯が沸くのです。
忙しい厨房で、速く煮える鍋はとても有り難いものでした。
きっとテオが凄い魔法をかけてくれたのだと厨房の中で大評判です。
おかげで厨房のコックたちやメイドたちは一様にテオの評価を上げるのでした。
しかし、それほどの評価を得ながらも、テオの反応はあまりよくはありませんでした。
コックやメイドがお礼をテオに言う際にあの鍋の出来を褒めるのですが、それを聞くたびにテオははにかんだような複雑な笑顔を向けるのです。
誰もがその反応を不思議に思いましたが、おそらく褒められて恥ずかしいのだろうと思い、左程気にはしませんでした。
マルトーなどは流石にコレほどのものをタダでもらうわけにはいかないと、代金を払おうとしましたが、テオは頑としてそれを受け取ろうとしませんでした。
代金がダメなら、せめて料理でとマルトーはテオの好きなものをと。テオの好物は何かをエンチラーダに尋ねると…
「それなら良いものがあります」
と、エンチラーダはある料理を提案するのでした。
「そんなもので良いのか?」
「ええ、むしろご主人様はそれを食べたがっておりました」
「しかしアレだね、これだけの鍋作って、お礼がそれだけってのが奥ゆかしいじゃあねえか」
「ああ見えてあの方は欲のない方ですから」
「それだ。これだけのものを作って自慢の一つもしやがらねえ、普段の行動からして傲慢なやつかと思ったが、そうでもなかったんだなあ」
「ええ、あの人は今一歩のところで傲慢になりきれないお方なのですよ」
◇◆◇◆
「あひるのスープです」
そう言ってエンチラーダがテオの前に皿を出します。
「そうか…」
テオは一言そう答えて、無表情にそのスープをすすります。
「少しショックを受けていますね」
「五月蝿い」
不機嫌そうにテオが答えます。
しかしエンチラーダの言葉は止まりません。囁くようにしてテオの耳元で言葉をつづけます。
「せっかく銀の鍋を作ったのに鉄の鍋と勘違いされたのが、なんだか気に入らないんですね?」
銀。
それは金に次いで貴重で高価な金属です。
錬金においてはその金属の価値が上がる程に難易度が上がると言われています。
例えば金を錬金するには相当の才能と実力が必要で、それこそスクウェアのメイジがありったけの精神力を込めてやっと少しばかり錬金できる程度なのです。
勿論、銀は金に比べれば容易に錬金することができますが、それはあくまで金に比べたらです。
シエスタ初め、コックとメイドがアノ鍋を鉄鍋と勘違いしたもの無理はありません。
大鍋が作れるほどの銀。
普通のメイジならば、いえ、たとえ有能なメイジであっても。
それ程の量の銀を錬金するなんてことは無理なのです。
銀で大鍋を作るなんて、それだけで褒め称えられてしかるべきです。
しかし、テオは鍋の材質が銀であると明かすことはありませんでした。
なぜなら…
「でも今更銀の鍋だといえば、なんだか自慢しているみたいで恥ずかしいんでしょう?」
そうです、鉄鍋だと思われている鍋を、銀であると訂正すれば、それは自分を褒めろと遠まわしに言っているようなものです。
褒めることを強要することほど情けないことはありません。
他の貴族はどうか知りませんが、少なくともテオはそんなことをしたくはありませんでした。
「そういう、あと一歩で傲慢になりきれないところ。私は好きですよ」
「五月蝿い」
そう言ってテオはスープを飲み干すと、食器をトレーに置いて、サッサとそれをもって部屋から出ていくようにエンチラーダに手で合図をしました。
その子供のような行動はむしろエンチラーダにとって微笑ましいものでした。
「失礼します主人様」
と言ってそのまま部屋から出ていくのでした…
…その顔に笑顔を浮かべながら。
子供のようなテオの行動と、それを微笑ましく受け止めるエンチラーダ。
それはいつも通りの二人の光景でした。
◆◆◆用語解説(含プロローグ)
・エンチラーダ(エンチラダ)
トウモロコシのトルティーヤを巻いてフィリングを詰め、唐辛子のソースをかけた料理、北米及び中米、南米に到るまで幅広い地域で食されている。
こんな名前を付けた理由は丁度話を考えていたときに食べていたMREの中にコレが入っていたから。
・モルグ
死体置き場のこと。
・サーブ
serve・料理を運んだり、配ったり、取り分けたり、切り分けたりすること。
間違っても「球技で攻撃側から最初の球を打ち込む」ことではない。
・テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム
中二病患者及び経験者にはおなじみ、錬金術師パラケルススの本名。
この名前を付けた理由はなんとなく土のメイジだから錬金、錬金といえばパラケルススと言った、連想ゲームから。
・パラケルスス
フラスコに馬糞と精子を入れたり、妖精と戯れたりした…………今で言う変態?
・ソップ
スープのこと。
・死してなほこの世に未練残せしは魑魅魍魎と成り果てる
その悪しき血を清めるが陰陽の道
悪霊退散!悪霊退散!
・鍋お化け
地方妖怪鍋お化け。
酷い扱われ方をした鍋が妖怪になり果てたもの。
美味しい食事を、ドブ川に流れるハンペンみたいな味に変えてしまう。
逆にマズイ料理をカニカマボコの味に変えてくれるらしい。
・斬新なファッション
まだまだ寒さが残る今日この頃、やっぱり気になるのは鍋スタイル!鈍い光沢が貴方を大人っぽく輝かせます!ぜひエンチラーダの着こなしを参考にしてみてね☆
・吾
「われ」もしくは「あ」と読む一人称の人代名詞。
・グランギニョール劇
ホラー&スプラッタな劇のこと。
・銀
錆びにくく、熱伝導率が金属の中では最高レベル。
富の象徴でもあり、金持ちのことを銀のスプーンを咥えて生まれるともいう。
・アヒルのスープ
一部の国で使われる「簡単である」という意味の慣用句
テオはジョークとしてこの言葉を使ったが残念ながらシエスタには理解してもらえなかった。
が、或いはそのほうが良かったのかもしれない。
なにせ日本語的な意味に直すと以下のようなかんじになる。
「では吾が茶碗をつくろう。なあにコレくらい、お茶の子さいさいだ…………茶碗だけにね!」