ブルドンネ街から少し進んだ先、武器屋を目当てにルイズは歩いていた。
途中、何度か辺りを見回していると、
「なんだ、知らねえのかよ」
と垣根に呆れられてしまった。
お世辞にも華やかとは呼べないこの辺りは石畳の上も汚らしく不衛生で、ルイズも余程の事がないと足を踏み入れない。
路地裏を進む度にそれはひどくなっていく。
今も、足元には汚水の水溜り、道端にはごみが散らばっている。
だがそんな様子を目にしても、垣根は意外にも嫌な顔一つせずに歩いていた。
そうしてようやくたどり着いた武器屋の中で、垣根は不思議そうに首を傾げていた。
「それにしても、俺に剣持たせようって? ナイトでも気取らせる気かよ」
苦笑いを浮かべる垣根だが、ルイズも考えなしにそんな事を言い出したりはしなかった。
「あんた、決闘で剣を使ってギーシュに勝ったでしょ。ただの平民じゃなく凄腕の剣士って事ならおかしくないし変な噂も立たないんじゃない? 武器があればいざって時に役に立つでしょ。あ、シエスタにも聞いたけど、なんか変なあだ名がついてるんですって?」
「あー……その話はすんな」
ルイズはシエスタから垣根は使用人たちからの評判が厚いと聞いていたのだが、本人にすると少し違うらしい。
ふっと顔を逸らすと、大した興味もなさそうにぼうっと近くの棚を眺め出した。
薄暗い、ランプの明かりも頼りない店内には所狭しと武具が並んでいる。
槍や剣はまとめて乱雑に置かれ、甲冑や胸当て、盾が壁際に飾られていた。
「貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさあ、お上に目をつけられるようなことはこれっぽっちもありませんや」
そう言いながら。
店の奥から、五十代くらいの男がぬっと姿を見せた。
パイプをくわえ、胡散臭そうな目を二人に向ける。
先程の仕立て屋とは違い、ルイズ達にいい顔はしなかった。
むっとしながらルイズは腕を組んだ。
つんと顎をそらすと余裕たっぷりに返す。
「あら。客よ」
それに店主は少しだけ表情を変えた。
しかし、さっきまでの態度に少しばかり愛想が乗ったくらいだ。
「こりゃ失礼しました。いや、昨今は貴族の方も供に剣を持たせるのが流行っていましたなあ」
「ああ……なんだっけ、おかしな盗賊が出るとか?」
そういえば、研究室でエレオノールがそんな話をしていた気もする。
「そうでさ。『土くれ』とか言うメイジの盗賊が貴族のお屋敷からお宝を散々に頂戴してるって専らの噂でさあ。それじゃあ堪らねえってんで貴族の方は下僕にまで剣を持たせる、って始末でして」
少し、愉快そうに店主はそう話したが。
ルイズは盗賊にはちっとも関心がなかった。
しかし剣の事もさっぱりわからない。
仕方なく、扱いやすいおすすめのものを尋ねると店主はすぐに一振りの剣を持って来た。
主人の言葉によるとレイピア、と言うらしい。
長さは一メイルほど、細い刀身に短い柄とハンドガードが着いていた。
なるほど、扱いやすそうな剣だった。
「それ、実戦には向かねーんじゃねえの? どう見ても突くだけだし、打ち合ったらすぐ折れるだろ」
ひょい、と二人のやりとりを覗いた垣根は、両手をポケットに入れたままそんな風に感想を洩らした。
持つ本人にそう言われては仕方ない。
それに、ギーシュとの決闘で振るっていたのはもっと重そうで無骨な剣だった事も思い出す。
(使いやすいの、って言ったからって稽古用みたいなの持ってきたって事? 剣士でもないからって馬鹿にしてるのかしら)
ルイズは、むくれると店主をきっと睨んだ。
「もっと大きくて太いのがいいわ」
短く、簡潔に要求する。
もっと立派な、見栄えのするような剣が良かった。
本人に気があろうとなかろうと、どうせ持たせるなら格好がついた方がいいに決まっている。
「ですが、若奥様。剣にもそう……男女のように相性ってもんがありまして。見たところ、御付の方にはこれくらいの方が……」
「いいの! こいつ、見た目よりすごいんだから。もっと大きくて太いのがいいっていったのよ!」
へい、はあ、と渋い顔をして店主は店の奥に引っ込んだ。
腰に手を当て、息巻いたルイズはふと違和感を覚えて背後の垣根を振り返った。
見れば、垣根は近くの棚にもたれて腹を抱えて笑っていた。
片手で棚を叩きながら、必死に笑い声を抑えようとしているらしいが無駄なようだ。
目尻に涙まで溜めて、ひいひい声を洩らす垣根をルイズはじっとりとした目で睨みつける。
「なによ。なにがおかしいのよ」
「いや、いい。何でもねー」
苦しそうに、笑い声の合間に首を振る垣根の姿にルイズは首を傾げるばかりだった。
さて。
それからは服を選んだ時以上に難しい買い物だった。
何が困るかと言うと、服は必要だからと真剣に考えるが。
剣はいらないからと言って垣根がまともに取り合わないのだ。
店主が運んでくる剣に、垣根は悉くケチをつける。
見事な装飾の大剣にも首を振った。
高名な錬金魔術師の手による――打たれたのがゲルマニアだと言うのはひっかかったが――と言うその剣は、一.五メイルはある大きなもので宝石に飾られた豪華なものであった。
店一番の業物、と店主が自慢するだけあって、剣の事がわからないルイズでも少しくらいすごそうだと思うものだった。
貴族の従者が持てばかなりの風格もありそうだったが。
それも垣根は、
「悪趣味だ」
の一言で一蹴した。
さて。
そんなこんなでルイズは困ってしまった。
折角垣根の事を考えて、武器の一つも持たせてあげようと思っていたのに当人がまるで気がない。
(わざわざこんなとこまで来てるって言うのに。ほんと、わかんないわ)
今更やめる、と言うのも何だか気まずかった。
しかし、もう目ぼしいものもないだろう。
ルイズは助けが欲しくてカウンター越しに店主を見つめるが、呆れたように肩を竦められてしまった。
「おい坊主、なかなか言うじゃねえか。だが、口だけだな」
突然の罵声に、ルイズだけでなく垣根も不審そうに辺りを見回した。
そう広くない店内にいるのはルイズと垣根。
聞こえた声は低い男のものだが、声の主は店主ではなかった。
「やい、デル公! お客様にそんな口利くんじゃねえ!」
そう言った店主は棚に近付くと積まれた商品の中から抜き身の剣を掴み上げる。
長さは先程の『おすすめ』とあまり変わらないが、刀身はずっと細く厚みもさほどない。
抜く為には背中に背負わないといけない点は変わらないだろうが、あちらより扱いやすそうだった。
ただ、刃の表面には錆びが浮いていて、見栄えどころかまともに斬れるかも怪しい。
「こんな、剣も振ったことねえような兄ちゃんが『お客様』だあ? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょんぎってやらあ、顔を出せ!」
それだけではなく、
喋った。
鍔の辺りの金具をまるで口のようにがちゃがちゃと鳴らしながら、剣は人の言葉を発していた。
「それ、インテリジェンスソードなの?」
「そうでさあ。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードなんて一体どこの魔術師がつくろうなんて考えたんでしょうなあ。デルフリンガー、なんて生意気に名乗ってますが兎に角こいつは口は悪い、お客にケンカは売るで困ってまして……デル公よ、これ以上失礼がありゃあ今度こそお前を溶かしてもらうからな!」
それまで様子をみていた垣根は、何やら言い争いをし出した剣と店主の間に割って入ると。
店主の手から、口汚く罵っていた剣を取り上げた。
「ふーん。魔法のアイテムか。面白えな」
にやりと笑ってそう言った垣根は握った剣を翳して眺めると、ふと次の瞬間には顔を顰めた。
「おい、テメェ……
何だ?」
「そりゃこっちのセリフだよ。おでれーた、てめ、『使い手』か」
互いに、何かに気付いたようにトーンを落として話し出す。
突然の事に顔を見合わせる店主とルイズを振り返ると、垣根は手にした荷物から財布を出した。
「これにするわ」
「ええー! やめなさいよそんなボロボロの剣なんか! 喋らなくて、もっときれいなのにしたら」
ルイズは顔を顰めて抗議したが、垣根は愉快な剣がお気に召したのかすっかり買う気まんまんだった。
「だからいいんだよ。端から剣なんざいらねえし。まぁ、確かに剣としては使えねえだろうな。で? ここは武器屋でマジックアイテム屋じゃねえんだよな」
財布の中を改めながら、垣根は店主にそう尋ねた。
続いて、さっき見て回った棚を仰ぐ。
「その辺の安そうな剣ざっと見てもどれも値札は五百エキュー前後か? なら、店主自ら処分したがってた役に立たない鉄屑の相場ってのはどれくらいだよ」
「……新金貨で八十、それ以下にはまけられませんぜ」
「よし、貰った。ついでに鞘と……こいつは持つには面倒そうだな」
「こう言った剣はベルトで背負った方がいいでしょうなあ」
「だろうな? 頼むぜ」
ぽかんとするルイズの前で、垣根は金貨をカウンターの上に放る。
金貨を慎重に数え出す店主の横にさらに銀貨を転がすと、剣を置く。
空いた手を握っては、何やら訝しげに首を傾げる垣根の背をルイズはつついた。
「ほんとにあれでいいの?」
「ん?
あれがいいんだよ。ちらっと何かで見たがインテリジェンスアイテムってのはなかなかお目にかかれねえらしいじゃねえか。溶かされる前に買っておかねえと」
そんなものかしら、とルイズは思ったが。
嬉しそうな垣根の顔をみていると満更悪い気もしなかった。
ようやく買い物を終え店を出ると、満足げな垣根とは対照的にげんなりしたようすで背中のデルフリンガーが口を開いた。
「俺はそんなに安いのかよぅ」
自業自得で捨てられかけた魔剣は、どうやら自分の値段が不満らしい。
「そもそも振り回す気なんかねーんだけどな」
「じゃあお前さん、何で俺を買ったのさ」
「……観賞用、とか?」
納得したように頷きながらそう答える垣根に、剣は大声で嘆いた。
「そんなのってないぜ。剣の本分は闘いなんだよ! 飾りじゃないの!」
「そう言うのは、錆を少しは落としてから言うんだな」
愉快そうに、小馬鹿にした調子で垣根は剣に応じている。
(さっきからなんなのよ、こいつら)
仲の良さそうな一人と一振りの会話に混じる事も出来ず、眉を寄せながらルイズは息を吐いた。
何となく、それまで座っていた席が不意になくなったように居心地が悪かった。
そして。
そう感じるのは、そんな気分だけではない。
「あんた達……すっごい見られてるから声、小さくして」
人の多い通りまで出ると。
貴族の少女に平民の従者、おまけに喋る剣と言う組み合わせはひどく周囲の目をひいた。
それでも大声で、平然と。
背中の剣と世間話を続ける垣根にルイズは肩を落とした。
これ以上言った所で聞かないのはよくわかっている。
「ほんっと、常識が通じないわ」
諦めたルイズはそう洩らすしかなかった。
* * *
武器屋の扉が開いて二つの人影が出てきた。
何やら呆れた様子のルイズと、みすぼらしい剣を背中に背負った垣根だった。傍から見れば使い魔と主人には思われていないだろう二人は楽しげに、仲良く買い物をしているように見える。
そんな二人を見送ると、キュルケはぎりぎりと歯噛みして悔しがった。
友人の様子を横目にタバサはちらりと空を見上げた。
口笛を吹くと、上空を旋回していた使い魔、風竜のシルフィードがぐるりと一回転する。
そのままゆっくりと飛び始めたのを確認して、タバサは本を取り出した。
息巻いて武器屋に入っていったキュルケを待つ間、読みかけていた途中のページから再び目を通すつもりだった。
折角の休日。
虚無の曜日はいつもなら部屋で本を読んで過ごすのだが、彼女は珍しく王都に来ていた。
街中でマイペースに佇む少女は、自分を部屋から引っ張り出した騒がしい友人とのやりとりを思い出していた。
「恋なのよ! 恋!」
突然タバサの部屋に入ってきたキュルケはそうまくしたてた。
ノックを無視し、『サイレント』の魔法を掛けて、断固読書の邪魔をされまいとしたタバサの事情もわかっていると言った上で。
出掛けるわよ! と宣言し本まで取り上げる友人にタバサは首を傾げた。
彼女の恋と外出と、そして自分。
この三つが繋がるとはとても思えなかったからだ。
そんな風に、理由もないのに話を向けられても気は進まなかった。
「そうね。あなたには、ちゃんと説明しなきゃいけないんだったわね。あたし前に言ったわよね? 恋したって」
「誰に」
タバサは短く返す。
惚れっぽい上モテるキュルケの周りにはいつも恋の話が絶えなかったから、とっさにそんな事を言われてもわからなかった。
「彼よ。あのヴァリエールの使い魔の。テイトク・カキネよ。前からかっこいいとは思ってたんだけど、ギーシュに勝ったでしょ? もうあれから彼に夢中なの! 素敵だし、強いし、貴族相手にあの一歩も引かない態度! 痺れちゃったわ。情熱よ! 情熱!」
情熱を繰り返すキュルケの話を聞いてタバサは頷いた。
先日、ギーシュ・ド・グラモンと決闘をした少年の事はタバサもよく覚えていた。
ドットクラスとは言え、メイジのゴーレム相手に大立ち回りを披露してあっさりと勝利を収めてしまった。
ただの平民ではありえない、まるで優秀な『メイジ殺し』のような身のこなしが気になっていた。
「それでね! あたしこの前、彼を部屋に呼んだのよ。そしたら彼ったら……彼ったら、すっっっごい情熱的だったのよ!」
一人できゃあきゃあ騒ぎ出したキュルケに、タバサの興味はまた本に戻る。
キュルケが胸に抱きしめている本を早く返して欲しいが、それどころではないらしい。
「それで」
「ああ、それでね? ルイズの部屋に行ったら、もう二人ともどこかへ出掛けてたのよ。だからあたしはそれを追って、二人がどこにいくか突き止めなくちゃいけないの!」
色々間の部分が抜けてるなあ、とタバサは思ったが事情は大体飲み込めた。
それでも肝心な部分が納得出来ない。
キュルケは、燃え上がるように感情で動くところがあるがタバサはその逆。
氷のように冷静に、理屈で考えてから動く。
だからこそ友人が何故、自分にこんな話をしているか。
タバサはその部分が知りたかった。
出かけるだけなら一人でも済むだろうし。恋の一大事に、タバサが邪魔にこそなっても役立つとは思わなかった。
「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないのよ! だから助けて!」
やっと納得出来る結論が聞けて、タバサは頷く。
それに、泣きついてきたキュルケは嬉しそうに笑ったのだ。
そんな事を考えているうちに、不機嫌な顔をしたキュルケが店から出てきた。
おまけに手ぶら。
負けん気の強いキュルケの性格上、
「ならあたしはヴァリエールなんかよりもっといい物をプレゼントするわ!」
くらいの事はしそうだったから、てっきり立派な剣でも買ってくるのかと思ったのだが。
予想が外れて瞬きを返すタバサに、キュルケはむすっとした顔で唇を尖らせる。
「見たところルイズの買った剣は古ぼけてたから、何でか店主に聞いたの。そしたら、『へえ、御連れの方は剣にはてんで興味がないようでして。武器はいらないが、これは面白いってんでインテリジェンスソードを一振り買っていかれたんでさあ』って言うのよ。剣ならまだいいけど、インテリジェンスアイテムなんてそうそう売ってないじゃない」
インテリジェンスアイテム。
魔法によって知恵を吹き込まれ言葉も話す道具の事だ。
タバサもその存在は知っていたが、売っているところなど見た事もない。
頷くと、キュルケは肩を落とした。
「あーあ。これじゃあダメね。なら、彼が欲しいものを贈るのがいいんでしょうけど……そんなのわかんないわ」
その一言に、タバサの頭にふと思い当たる事があった。
素晴らしいひらめきに眼鏡の奥の目をきらりと輝かせると。
タバサは珍しく、自分から友人に意見を言った。
「本」
「それはあなたの欲しいものでしょ?そうじゃなくて――」
キュルケの言葉を遮ると、タバサはふるふると首を振って発言の根拠を主張した。
「よく、図書室で読んでる」
「え、何それ」
目を丸くするキュルケに、タバサは小さな声で説明を始めた。
彼女が愛用するトリステイン学院の図書館には、最近珍しい来訪者が現れるのだ。
タバサが彼を最初にみたのは決闘騒ぎの次の日だった。
丁度午後の最初の授業が終わった頃、彼は図書館の扉を叩いた。
眼鏡をかけた司書と何やら話をした後、マントももたない平民の少年はいとも簡単に生徒達の、貴族の子息の使う施設の中に足を踏み入れた。
貴重な魔法薬のレシピ、秘伝書と言われるような資料も多く収めるこの図書館は、普通の平民が立ち入っていい場所ではない。
ずらりと並ぶ高い本棚を前に、彼は天井まで届きそうなその頂きを見上げてから館内を見渡した。
広い図書館にはタバサと少年しかいない。
ちょっと残念そうな顔をした後。
閲覧室の長いテーブルの端、タバサからかなり離れたところに座ると少年は持っていた分厚い羊皮紙の束を捲る。
古ぼけたそれは、恐らく蔵書の目録だった。
いつだったかタバサも司書に頼んで見せてもらったことがあるから知っている。
少年がそれをぱらぱらと捲り出したところで、滅多にない事につい手を止めていたタバサも読書に戻ることにした。
「おい」
暫くして。
ふとそんな風に声を掛けられる。
しかし、タバサは無視して本を読み耽っていた。
「おい」
苛立った声の後、タバサの手からいきなり読んでいた本が奪われた。
タバサは眼鏡の奥の目を揺らす事もなく、無作法な少年を見上げる。
「返して」
「人の事無視してそれか。テメェらいい度胸していやがるな。で、かれこれ一時間は経つけど。テメェいつまで居るんだ? 後の授業はいいのか」
短く要求を述べるタバサに、少年は目を細めて尋ねる。
タバサはその顔に見覚えがあった。
確か、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールに召喚された使い魔の少年だ。
授業で、この前の騒ぎで。顔は何度か見たから知っていた。
多くの貴族ならそんな平民に馴れ馴れしく話しかけられれば腹を立てるだろう。
しかし、彼にぞんざいな口調で話しかけられても、タバサはどうとも思わない。
何の事かわからないまま、タバサは首を振ると少年に向けて手を差し出した。
そんな事より大事なのは奪われた本の方だった。
「返して」
「テメェ……まだ出ていかねえし、質問に応える気もないらしいな。なら仕方ねえ、せめてこっちの要求を聞いてもらうか」
そこで、机に置かれていたペンで小さな紙片に何やら書き出すと少年はそれをタバサに差し出した。
「本を返して欲しけりゃ、これを持って来い」
そこにびっしりと並んだ文字はどれも本の題名だった。
眺めただけでも、『系統魔法』と使い魔の召喚についての本が多いように思えた。
「人質交換」
「ああ。残念な事に
テメェらみてえな真似は
今こんな所で出来ねえ俺じゃあ、この中から読みたい本も取ってこれねえからな」
聳える本棚を指差して残念そうに肩を竦める少年にタバサは黙って頷いた。
それから何度か。
図書館で垣根と鉢合わせたタバサは本を運んでは棚に戻す、と言う作業をさせられていた。
もしタバサが垣根のようであったら。
読みたい本が読めないのは辛いだろうと、自分の用事のついでに付き合ってあげていた。
「ちょっと何それ! そんなの聞いてないわよタバサ!」
タバサがそこまで話すと、キュルケは大声でまくし立てた。
一応黙って話を聞いていたが、いい加減我慢の限界だったらしい。
「あなたが男の子とそんな、しかも相手は彼だなんて!? いくら相手があなたでも、あたし手は抜かないからね!!」
「そんなのじゃない」
こんなところにも恋のライバルが、と熱くなるキュルケにタバサは首を振る。
平民とは思えない振る舞い、決闘での身のこなし。
あの少年に気になるところは沢山あったが、日頃キュルケの言うようなものを感じる事はタバサにはちっともなかった。
「で? 彼は、テイトクはどんな本が好みだと思うの?」
「図書館にまだ入っていない魔法の本。きっと魔法に興味がある」
「ふーん。意外と読書家なのかしら? でも、優雅に本を読む姿もきっとステキね」
タバサの推論にキュルケは首を傾げたが、疑っているような素振りはなかった。
垣根との事についての誤解もあっさり納得したらしい。
「あたしは本の事はよくわからないし……またあなたに助けてもらってもいいかしら」
頷くタバサに、キュルケは大袈裟に礼を言うと抱き付いてくる。
ぎゅっと顔の近くに押し当てられる柔らかい感触の中で、タバサはそれ以上に温かいものを感じていた。
誰かに必要とされる、誰かの力になる。
些細な事でも自分の存在が何かの役に立つと言うのは、嬉しい事なのだ。
そう。
学院で過ごすようになったタバサが新しく知ったのはただページを捲るだけではわからない、そんな経験だった。
数件の本屋を回った後では、すっかり日も傾いていた。
タバサは目を閉じるとじっと意識を集中し始めた。離れた使い魔と視界を共有する為だ。
それによると、シルフィードに見張らせていた二人はあの後すぐに買い物を終えて学院へ向かったらしい。
今は王都から離れた所で、馬を走らせている様子が遠まきに見えたからそんなところだろう。
シルフィードの翼なら今からでも充分追いつくだろうが、それなら学院に戻ってからでも差がないような気がしてしまう。
そう考えたタバサは、黙って使い魔を呼び戻した。
学院への帰り道、冷たい風の中をシルフィードは飛んでいく。
「ふふふー、よろこんでくれるかしら」
束ねられた本の包み、それと流行の店で探したアクセサリーが数点。
ボーイフレンドに贈られる事は多くても、自分で何か選ぶ事は少ないと言っていた贈り物。
それを前にウキウキとしたキュルケの声に、タバサもほんの少し頬を緩める。
その手には真新しい表紙の、友人から贈られた一冊が抱えられていた。
===========
ごちゃごちゃしてしまった休日おでかけ編。
垣根はイケメンだから燕尾服も似合うと思うんですがね。
ノリと押しが足りなかった。
そしてようやくでてきたデルフリンガー。
自律意思のある機械なんて学園都市でも珍しそうなので、ポイント高いです。