ミス・ロングビルは疲労の浮かぶ顔で机に向かっていた。
往復六時間を超える行軍、連日の魔法の使用。
度重なる精神的にも肉体的にも激しい負担は、まだ若いと自負する肌をすっかりやつれさせていた。
ロングビルとして報告書をまとめながら。その裏で彼女、怪盗フーケは今回の仕事を振り返っていた。
幸運に恵まれ、まんまと目当ての『破壊の杖』を盗む事が出来た。そこまではよかった。
囮のゴーレムでしつこい追っ手もまく事が出来たし、捜索隊も編成されたがその三人相手なら充分対処出来ると踏んでいた。
ロングビルが心配していたのは、二人のトライアングルメイジの存在ではなかった。
彼女たちの魔法がゴーレムにとってさしたる脅威ではない事は知れていたからだ。
何より注意を払っていたのは、得体の知れない、あの使い魔の少年だった。
偵察に向かわせる小屋の中に罠もきちんと張っておいたのだが、あの少年は傷一つ負わずに『破壊の杖』を持って出てきた。
(まあ、あのおかしな光を使われなかっただけ、マシかね)
先日、たまたま目にしたあの少年の魔法の威力を思い出して、ロングビルは身を竦ませる。
強固な魔法の防壁を打ち抜いた上で尚トライアングルクラスの、それ以上の魔法も馬鹿馬鹿しくなるような破壊力。
それでも自在には扱えないような事を言っていたが、それならば的は大きい方が楽な筈だった。
何故ゴーレムに使わなかったかは謎だが、問題はそれだけではない。
あの、奇妙な翼。
あんな魔法は聞いた事がなかった。
帰りの竜の上で、主人のルイズはあの使い魔が
東方のメイジだと言うような事を言っていたがそれでもロングビルは信じられなかった。
あんなもの、人間にどうにか出来るものなのだろうか。
ロングビルにはさっぱりだった。
結局手に入らなかった『破壊の杖』も気に掛かってはいた。
惜しかったが、考えようによっては却ってよかったかもしれない。
オスマン曰く、
「古い知人の持ち物で、特別な『マジックアイテム』などでもない」
と言う話だから盗んだところで売るのも処分にも困っただろう。
これだけの苦労をして成果がないのは悔しい限りだが、下手を打ってお縄にならなかっただけ、あんな目にあって命があっただけましだ。
そんな風にロングビルは落しどころを決めた。
(ここの連中は外に今回の事は漏らしてないようだから、まだこの辺りでも何とか仕事は出来そうだね)
ぱちぱちと頭の中で算盤を弾く。
今回のような失敗を経てもロングビルはまだフーケとして働かざるを得ない理由が合った。
馬車の上でルイズ達相手にうっかり口を滑らせてしまったが、ロングビルは貴族の名を捨てた人間だ。
その上、そんな因縁有る故郷に家族を残してきている。
この所、彼女の故郷の動向はきな臭かった。
蜂起している内戦が激化すれば、ロングビルの仕送りでやっと暮らしている家族達の生活もどうなる事か。
(金がッ、要る)
ロングビルは、眼鏡の奥の目を悔しげに細めた。
何かにつけても世の中金だった。
名声でもない。
顕示欲でもない。
私欲でもない。
そんなつまらないもの目当てで危険を冒してまで盗みは働かなかった。
勿論、ふんぞり返る貴族どもの鼻を開かしてやれれば溜飲は下りる。そんな理由だってまったくない訳でもないのだが。
ただ、ロングビルがいつも考えていたのは家族の事だった。
みな、血が繋がっているわけでもない。義理、とつけられるような間柄でもない。
しかし。
身を寄せ合い暮らす彼女らは、確かにひとつの家族だった。姉のように母のようにロングビルは接し、過ごしてきた。
かわいい妹の笑顔がみたかった。
もちろん、当の本人達はロングビルが悪事に手を染めているとは夢にも思わないだろう。
特に妹はそんな事を知れば悲しみ、怒るような優しい子だ。
だが、ロングビルはかけがえのない家族の信頼を裏切ってでもしなくてはいけない事があった。
そしてそれにはやっぱり、金が必要なのだ。
このトリステインで思いがけずまともな職にはありつけた。
貴族の通う魔法学院の秘書ともなれば給金はそれなりだ。
しかし、そこにきてまたしても聞こえてくる故郷での悪い知らせは収まるどころか日に日に増していくようだった。
そんな危険な、自分の目の届かない所に家族を放ってはおけない。
いつまでもこんな事が続けられる筈もない。
もし盗人家業から足を洗い、安全な所に居を移すにしても。それにはやはり、一時にまとまった金が欲しかった。
(今回が最後、と思ってたが。仕方ない。もう少し粘るしかないかね)
近頃はすっかりフーケの名も売れて、警戒は強まっている。
やりづらいのはどこもかわらないだろう。
さて、どうするか、とロングビルが思い直したその時。
のんびりと椅子に掛けていたオスマンが顔を上げた。
『破壊の杖』が無事に戻ってきた事でこの一件を終えて、オスマンはすっかり肩の荷が下りたような顔をしていた。
事件の張本人を前にして、実に呑気な態度で話を向けてきた。
「予定より遅れたが『フリッグの舞踏会』は二日後、マンの日に執り行う事になった。無事『破壊の杖』も戻ったし、君らにも大事なくて何よりじゃった」
世話を掛けたな、としみじみ洩らすオスマンにロングビルは曖昧に頷いた。
「誰か、パーティをたのしむ決まった相手などおらんのかね? まあ、君なら引く手数多、と言ったところじゃろうが――」
老人の繰言はロングビルの耳を右から左に抜けていく。
舞踏会より何より、今は何事もなく帰ってこれた事の安心感の方が大きかった。
精神的にも肉体的にもヘトヘトだった。
今にでも部屋に帰って寝たいくらいだ。
くだらないおしゃべりに付き合っているような気力はあまりない。
そんなロングビルを見かねたのか、オスマンはねぎらうように声を掛ける。
「疲れておるようじゃな。もうすぐ夕食の時間だろうし、続きは明日にしたらどうかね」
「いいえ。もう少しですから。ご心配、痛み入りますわ」
作り笑顔を返すロングビルに相変わらずにこにこと、優しげに老人は頷いている。
笑みの形のまま、その口が動いた。
「いや。私は本当にほっとしておるんじゃよ。君が、彼の手に掛からなくて何よりだった」
オスマンは、態度も言葉も変えなかった。
ただ、その空気だけが一変した。
ゾワリ、とロングビルは突如背筋を走る悪寒に総毛だった。
腕はびっしりと鳥肌が浮いているが、手の平はじっとりと汗ばんでいた。
「オールド、オスマン? なに、を」
「君が無事でよかったと、言ってるんじゃよ。
ミス・サウスゴータ」
ガタン! とロングビルは椅子から転げ落ちた。
それはロングビルが遠い昔に捨てた、捨てざるを得なかった名前だ。
そして。
その名を知るものは、もうこの世にはいないはずだった。
予想外の一撃を食らったようだった。
頭がまともに働かない。
なんだ、この老人は。
どこまで知っている。
呆然と、ただロングビルは目を見張る。頬を伝う汗を拭う事も出来なかった。
ちゅう、とその耳元で小さな声がした。
慌てて顔を向けると、肩の上には小さな白ネズミが乗っている。
いつの間に、と驚く間もなく。ネズミは主の元へと駆けて行った。
「おお、ご苦労ご苦労。お前も疲れただろうモートソグニルや。ほれ、ご褒美にナッツをやろう」
ひとつ、ふたつ、みっつ、と節をつけて呟くと、オスマンは使い魔を乗せた手の平の上にナッツを並べた。
「年を取ると耳も目も遠くなるものじゃが、見識はかえって広くなるもののようでな。縁があれば色々と聞く話も増える、と言うものじゃ」
呆けた振りをしていたのか、人品に平民も貴族もないなどと言っていたこの老人は、雇った秘書の裏はきっちりと探っていたらしい。
無論、それだけではないだろう。
どこまでかはわからないが、フーケとして動いていた事も把握していた、そんな口ぶりだ。
「何、最初は私の目を盗んで一体何をしとるんじゃろうと思ったのだが……まさかスカウトした美人秘書の正体が巷を賑わす怪盗だとは、私も思わんかったよ」
ロングビルは、気楽にそんな事を言うオスマンを睨みつけた。
人のスカートの中を使い魔に覗かせるような老人が。
気まぐれに『遠見の鏡』で学院内を見て回るこの男が。
この部屋で寝入ったようにみえたからと言って、すっかり油断していた自分の甘さにも腹が立った。
「わたしを、突き出すんだろう。杖を取り上げて縛るなり、さっさとすりゃあいいじゃないさ」
自棄になってロングビルは語気を荒げる。
余裕綽々に髭を撫でていたオスマンは、その言葉にふと太い眉の下の目を丸くした。
「いや、言ったじゃろ?
仕事は明日にしたらどうかねと。私としても有能な秘書を手放すのは惜しくてなあ」
「はあ?」
思わず、張り詰めていた緊張感が途切れる。
まるで何を考えているのか読めなかった。
まさかこの爺、本当に呆けているんじゃなかろうか。
そんな風に呆気にとられるロングビルを余所に、オスマンは窓の方へと目をやった。
「加えて、今は何かと物騒な話も多い。生徒達の安全を考えても、優秀なメイジには離れて欲しくないのじゃよ」
どこを、とは言わなかった。
この老人が何を考え何を企み。
一体どこまで遠くを見ているのかは高々二十数年ぽっちしか生きていないロングビルにはわからなかった。
オスマンは深い溜め息を吐いた。
その姿だけ見れば、積み重なった長年の苦悩に満ち明日を憂う老人のようにも見える。
「過去を顧みるのは年を食ってからで充分じゃよ。若者は前を向くものじゃ。例え、
かつて何をしていようとも」
ふむ、と目を閉じてオスマンは何事かに思いを馳せるようにして言葉を一度切った。
「それを挽回するチャンスは幾らでも転がっているものだと、私は思うのだが。どうかね?」
ロングビルは鼻白んだ。
ただの綺麗事だ。
所詮そんな事はかなわない。
落ちた人間はもう元のような場所には戻れない。
足掻いてなんとかその場に留まろうとするか、首まで深みに嵌るかの違いだけだ。
しかし、オスマンは真剣だった。
目の前のロングビルに、まるで小さな失敗をした子どもの更正を本気で信じているかのような目をしていた。
「君のしてきた事をなかった事など勿論出来ない。だが、ここで秘書を続けてくれると言うなら今までのように過ごしてくれるとありがたいんじゃが。私も若い娘さんの暗い顔は見たくないのでな」
「……それで、何がお望みですか」
顔を逸らしてロングビルはそう問うた。
オスマンは衛士隊にフーケの身柄を引き渡すどころか今回の件を不問とし、正体も隠匿するつもりらしい。
その上で一体、この老人はどんな条件を引き換えにしてくるのか。
それでどのようにして『土くれ』のフーケに首輪を嵌めるつもりなのか。
ロングビルは身構えた。
「そうじゃな。私の要求は……仕事中の煙草は午前、昼、午後、夜にそれぞれ三回。後、たまにはセクシーな下着を穿いてくれると嬉しいんじゃが……どう?」
両手の人差し指を顔の前でつつき合わせながら、オスマンは上目遣いでそんな事を口にする。
一瞬、目を丸くしたロングビルは眼鏡の位置を直すと呆れたように息を吐いた。
「……体に障りますからお煙草は控えてくださいますか。わたくし実はその臭いが得意ではないので。それと何度も言うようだけど……そんな事にまで口出ししないでくれるかい!」
「ミス・ロングビル。冷静でクールな美人秘書もいいが、そっちもアリじゃ」
肩を怒らすロングビルに、オスマンは下手なウインクを飛ばす。
さっきまでの空気はどこへやら。
すっかりペースに呑まれ、毒気まで抜かれてしまったロングビルは諦めて諸手を挙げた。
そもそも、本気になったところで断る事など出来ないだろう。
それなりの場数を踏み、真っ当ではない経験もたっぷり積んでいるフーケであっても。海千山千の老爺の手から逃れる術はなさそうだった。
「月に最低一度は帰省させていただいても?」
「休みくらい好きに使って構わんよ」
やれやれと頭を振るとロングビルは倒れた椅子を起こした。
今後の彼女の仕事はある意味でやりやすく、そしてまた今までのどの仕事よりも厄介なものになりそうだった。
* * *
学院本塔と火の塔の間に立つ研究室。
戦荒事より学問や歴史を好み、日夜研究に勤しむコルベールは職員寮塔の自室から外へその中核を移していた。
実験にはつきものの騒音や異臭は近隣の教師達の理解を得られなかったのだ。
通り掛かる誰の目にも――近頃はそんな人影も滅多にないが、一見みすぼらしい掘っ立て小屋にしか見えないだろう。
しかしここには、コルベールが先祖伝来の財産や屋敷を手放してまで揃えた道具や秘薬の数々が溢れていた。
その、自慢の研究室の扉を開こうとして。
コルベールはふと小屋の外、外壁の近くに目をやった。
そこには背を向けて、地面に座り込んだ少年が苛立った様子で何やらぶつぶつと呟いていた。
コルベールは、気が進まないまでも流石に見かねて声を掛ける。
「ミスタ・カキネ、そんな所で何をしてるんだね」
「ああ、あんたか。邪魔してるぜ」
それは、ミス・ヴァリエールの使い魔に違いなかった。
先だって、フーケに奪われた『破壊の杖』を取り戻すと言う功績を主人ともども上げたらしい。
コルベールはオスマンからそう聞いていたが、彼は何故か浮かない様子で振り返りもせず答えた。
「ちょっと独りで考えたい事があってな」
彼の周囲は石や小枝でかいたらしいおかしないたずら書きでびっしりと埋まっていた。
そう洩らす垣根に一応仔細を聞くと。
その辺りにいた使用人に人気の無い、人の寄らない所を聞いたらここが挙がったのだと言う。
奇妙な屋外実験場に寄ろう何て考える人間は、貴族じゃなくてもいない筈だ、と彼は愉快そうに答えた。
わからなくもない話だが、そう言われるとここを使っている本人としてはいい気持ちはしない。
自分の研究が周囲には受け入れがたく、またこの環境も快く思われてはいないとわかってはいても残念なものだった。
「そうか。ならそこは好きに使いたまえ」
興味もやる気もなくそう返してコルベールが中へ入ると、何故か垣根は勝手に後ろについてきた。
入り口に片手をつくと、凭れるようにして中を覗いてくる。
「聞いた話だが。アンタ、変わった実験に精出してるらしいじゃねえか。なら薬品や素材があるだろ、ちょっと借りるぞ。後、書くもんも寄越せ」
突然の上から目線の言葉と要求に、コルベールは顔を顰めた。
何より、コルベールは実に個人的な理由だが――彼にそれなりの信頼感どころか、余り良い感情も持っていない。
垣根の方はコルベールの不満げな様子にも構わずに話し続けている。
「もちろんタダでとは言わねえ。アンタの御執心はそれか。ちょっと位なら口出してやってもいいぜ」
研究室の中に並ぶ様々な道具、装置。
その中でもコルベールが長年掛けてやっと形にした、魔法を直接の動力とせず熱や蒸気を使って動く機械。
それを指差してから垣根は研究室に足を踏み入れた。
コルベールが止めるより先に、勝手に近寄ると無遠慮に機械へ顔を寄せる。
「おい、君」
何かおかしな事をされるのでは、と思うとコルベールは気が気ではない。
手塩に掛けた発明品だ。
四十二になって未だ独身のコルベールにとってはさながら我が子のようなもの。
そんなものを前にして、垣根はふと面白そうに口端を吊り上げる。
にやにやと笑いながら、コルベールを仰ぎ見た。
「ふーん。これ、アンタ一人でやってんのか?」
「悪いかね」
「いや。問題があるわけじゃないが。アンタ一人で産業革命でも起こす気なのか?」
とても褒められた気はしなかったが、少なくとも彼は馬鹿にしてはいないらしい。
コルベールの『愉快なヘビくん』を内燃式レシプロエンジン、と垣根はそう呼んだ。
聞けば、彼の居た国にはそうして蒸気や熱、それだけでなく。
それを更に扱いやすいデンキと言うエネルギーに換える事で
仕事をさせる機械を作る技術があるのだと言う。
俄かには信じられない事だったが、勝手に近くの椅子に座る垣根の話を聞くうちに、コルベールはすっかり夢中になっていた。
馬を使わずに走る馬車、竜のように早く空を飛ぶ大型のフネ、大陸を横断する長い車。
そんなものが彼の故郷には溢れていると言うのだ。
更には、遠く離れた相手と顔を見ながら会話する手段まであると言う。
「それは、本当に魔法を使わずにしているのかね」
コルベールは、喉の奥が乾くのを感じていた。
まるで夢物語のような。想像もした事のないような技術の存在を示されて好奇心が強く刺激された。
垣根は実につまらなそうに頷いた。
「あっちの連中はそもそも魔法使いの血なんざ引いてねえからな」
「なるほど。しかし、君に『愉快なヘビくん』の事がわかるのかね?」
「魔法がねえ代わりにそんな技術を磨いてた国から来てんだ。俺も専門って訳じゃねえが、単純なエネルギーの運用法や構造上の問題なんかは、素人どころか科学知識のないあんたよりはわかるつもりだぜ」
まだ訝しげな視線を向けるコルベールに、垣根は得意げな顔をして『愉快なヘビくん』をどうやって動かすかを説明してみせた。
気化した燃料を円筒の中で爆発させ、ピストンを動かす力を利用して連動した機械を働かせる。
『ヘビくん』の根幹であるその構造にたどり着くまでには長い長い年月が掛かっている。
だが、たった今その表面を見ただけだというのに、彼にはその仕組みがわかっているらしい。
「まだ、誰にもこの事は話していないと言うのに。君は一体……」
「ただの平民だっての。ほら、アンタの方はどうするんだよ」
初見の印象とはまた違う種類の驚きに目を見張るコルベールは、感嘆の呟きを洩らしながら席を立った。
そして次々と告げられる垣根の希望を叶えるべくあちこちの棚を漁り始める。
* * *
垣根がしたのは実に単純な解説と改善のヒントだったが、コルベールはいたく感激したらしい。
小屋の一角に資材一式と薬品棚のリスト、おまけに毛布まで貸してくれた。
残念ながら、物に埋まった研究室では丁度良さそうな机に空きが無かったので。垣根は空の木箱を代わりに調達した。
伏せたそれを中心に、一先ず環境を整えると垣根は後ろに立つコルベールを振り返った。
コルベールは、垣根が今まで見たことがないくらいにこにことした、実に柔和な笑みを浮かべていた。
目にしたコルベールはそのほとんどで異様な闖入者として垣根を警戒していたが。もしかしたら、授業や平時はこちらの方が素なのかもしれない。
「どうぞゆっくりしていってくれたまえ。ミスタ」
(コイツ、最初のイメージと違いすぎんだけど。いや、これは俺の監視も兼ねてんのか?)
中年のオヤジから心底親切そうな笑顔を向けられて、垣根は不快そうに眉を寄せた。
今まで散々向けられていたものから一転。
好奇と尊敬の混ざった熱過ぎる目に、垣根は実際に一歩引いた。
「本当にいいのかね? いや、まさか君が私の研究を手伝ってくれるなんてまだ信じられないのでね」
「借りは作るより貸すのが性に合ってんだよ。それに手伝う気は一切ねえ。ちょっとしたアドバイスだけだ。次を期待するんじゃねえ」
そわそわしていたコルベールはどこか残念そうな視線を寄越したが、垣根は黙殺した。
これで味を占められて何かと頼られる羽目になるのも面倒だった。
好奇心、知識欲と言うのは満たされる事が無い。その旨みを知ったその気のある人間はある意味金以上にそれに貪欲になる。
垣根にとって、研究者と言う人種にままある厄介極まりないそんな性質は未だに気に食わなかった。
「んー、武器武器っと」
コルベールを退けた垣根は一人、そんな事を呟いてぼんやりと左手を眺めていた。
続いて視線を室内の手近なところに向けるが、これと言ってお誂え向きのものが見当たらない。
(あいつ、持って来るべきだったか? いや、ああうるさくちゃ集中出来ねえな)
部屋に置いてきたお喋りな剣の事を思い出したが、垣根はすぐに考えを改めた。
垣根が面白がってあれこれ聞きだしていたら、あの剣は調子に乗ったのか。
話すにつれ輪をかけてやかましくなっていた。
そんな余計な雑音は思考の妨げにしかならないと思ったのだ。
仕方なく、垣根は少しの間紙にペンを走らせ考えをまとめた。
式の概略を整えたところで手を止め、脳裏に思い描く現象のシミュレートを行う。
無駄を省き、細部を整え、理想の形に沿うように数値を、方式を、条件を揃えていく。
そんな作業を何度か繰り返して、満足のいくものになったところで垣根は息を吐いた。
軽く伸びをしてからおもむろに右腕を体の前に伸ばす。
上向けた右手の平、その上を睨みつけるように目を細めるとそこに意識を集中する。
じわり、と滲むように仄白い物が虚空に浮かんだ。
じわじわと少しずつ広がるそれは、次第に輪郭を確かにしていった。この世の物とは思えない質感と光沢を備えた刃が鋭利で滑らかな曲線を描く。
刃渡りはおよそ十八センチ程、柄までが一体になった真っ白なナイフが手の上に現れた。
垣根は『錬金』の魔法を見て、あれくらいの芸当なら出来るだろうと思っていたが、『
未元物質』の構成に明確で細かい形状を指定した演算を組むのはやってみると案外簡単だった。
しかし。材質や強度などは抜きにして、単純に切るだけなら店に並んだものの方が刃物としての性能はいいかもしれない。
垣根が使うならわざわざそんな形にするまでもなく、翼を振るえば事足りる。
だが。垣根はあえて右手に完成した『未元物質』製のナイフを握った。
瞬間、目の前に開いて翳していた左手甲のルーンが光を放つ。
そして。
思考にモノクロの砂嵐を掛けるような鈍い頭痛が突然襲い、先程からの頭の重みがぐんと増した。
「ウザってえ……」
それが。
実際にきちんと確認した、与えられた使い魔のルーンの効果について垣根の抱いた率直な感想だった。
(そう言えばデルフリンガーの奴、アイツに余計な事言ってねえだろうな)
朝、出発前にオスマンに呼びつけられた垣根は左手に刻まれたルーンの話も聞かされていた。
コルベールやオスマンが調べたところによると、なんでも始祖の使い魔と同じ大層な謂れのあるものだと言う。
オスマンの大仰な物言いも、垣根にしてみれば、
「一応本場の人間がそうって言うなら、そうなんだろう」、程度のものだ。大した重みも興味もなかった。
そしてそんな事を聞いてすぐ、垣根はある仮説を立てていた。
即ち。
ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールは『虚無』である。
始祖と同じ使い魔を持ち、四つの系統に沿わない魔法を使う。
一般的な魔法の一切が悉く成功はせず、『コモン』すら使えない、と言った点は何とも言い難いが、そう考えれば垣根が今までにも何となく覚えていたひっかかりも納得出来た。
何より、メイジは実力に見合った使い魔を召喚すると言うなら。垣根帝督を従えようと言うルイズはそれくらいものでなくては困る。
それを話しても首を傾げるオスマンに、仕方なく垣根は部屋に戻り証人代わりのインテリジェンスソードを持って来た。
「相棒は間違いなく『ガンダールヴ』だ。俺が言うんだ間違いねえ。その『ガンダールヴ』の主人は『虚無』だけだ。きまってんだろ」
などとおかしな理屈を述べていたが、始祖縁の伝説の一品と自称するおかしな剣の言葉はこの国のメイジにはいたく利いたらしい。
そうかそうか、と髭を撫でながら頷いたオスマンはやおら両手で大きくバツを作って見せた。
「『ガンダールヴ』だけでなく『虚無』の再来、となれば王宮や国と言ったレベルの問題では済まないじゃろうて。これはまだ私達だけの秘密とせねばなるまい。面倒に巻き込まれるのは目に見えとる。戦争とか戦争とか、戦争とかに駆り出されると困るじゃろ?」
ついでにルイズにも内緒だ、とオスマンは実に下手なウインクをしてみせた。
能力者であり一般的な現代人の感覚で物を考える垣根からすれば、自分の力の程がわからない事には伸ばす事も出来ないのでは、と思うところだが。
一応は学院の長であるオスマンの考えは違うところにあったらしい。
「まだ確証も持てん。不確かな事を伝えて、徒に彼女を傷付けるような事があってもいかんからな」
そんなもっともらしい事を言っていたが。
早い話が。小娘の手に余るような事態が広まるのはやっぱり面倒、と言った様子だった。
(まぁ、ジジイらしく守りに走った考えだったな。『ゼロ』だなんてくだらねえ勘違いのまま思い悩んで自滅するか、知った上で振り回されるか。うまい事乗りこなせるか、どれもアイツ次第だ。俺には関係ねえ事だがな)
学園都市で過ごしてきた垣根からすれば、思いついたどのタイプもよくある話だった。
そして。夢や希望に溢れていた子ども達も、努力はそう簡単に実らないと言う現実や困難な壁の前には簡単にくじけてしまう。
(考えが逸れたな。デルフリンガーにはおかしな真似したら鋳潰すって言ってあるからまぁ大丈夫だろ)
主人ではなく使い魔の方に思考を戻し、垣根は僅かに眉をひそめる。
この身に宿ったらしい伝説のルーン。
あらゆる武器を自在に使いこなすと言う『ガンダールヴ』。
始祖の身を守るためだけに利用された『神の盾』。
戦略級兵器と肩を並べる
超能力者がちっぽけな少女一人の為にそんなものにされた、と言うのは何か悪い冗談のようだった。
垣根は。かつては時に生死すら危うい、学園都市の暗がりに身を置いていたがそれでも武器など手にしなかった。
同業のドレスの少女は、自らの攻撃手段を持たないが為に小火器を持ち歩いていたが。
銃はおろか鈍器、ナイフのような刃物の類でさえ垣根には不要だった。
能力一つで足りると言うのに、それに遥かに劣る物を敢えて持ち歩く事に何の意味も見出せなかったからだ。
それを自在に操れますなどと言われても、ちっとも嬉しくなどならない。
更に、オプション各種も垣根には却って腹立たしい位だった。
こうして実感した中では、例えば武器を手にすると頭に勝手に情報が流れ込んで来る。
そして、体の方もそれに最適な形で動けるようになっているらしい。
次の動作が浮かぶ、と言うより解っている。
既に先が見えているような感覚があった。
武器を用いた戦闘に最適化された情報のダウンロード。
この世界では有り得ない物にすら適応するそれが、一体どこからされているか、と言う疑問には答えが出なさそうだったので早々に無視したが。
これまでの経験から垣根はルーンの作用をそう推察した。
(ドヤ顔で講釈垂れて手取り足取りガイドまでしてくれるなんざ、随分親切な魔法だな)
今までに体感した、召喚された際のゲートの効果だろう言語理解や会話の補正、そして今回の刻まれたルーンそのものの効果。
どちらも本人の意思とは関係なく行われていると言うのもそうだが。そのお仕着せのような内容がどうにも気に入らなかった。
そんな風に外部から、内部から干渉し使用者をサポートする術を種類は違うが垣根は知っている。
例えば『
学習装置』による知識の植え付け。例えば
駆動鎧に代表される、『人間の機能』を拡張し補強するもの。
そんな学園都市の技術がそうだ。
駆動鎧などは本来持ちえた能力を超えた結果を出すためであれば。
必要なら時に認識すら知らぬ内に置き換え、乗り手の意識すら捻じ曲げて機械の力で修正し最適化する事も出来る。
機械が人間の意思を超えて働く。
それはそう悪い事でもないのだろう。
ある意味夢のような、不可能を可能にする科学の進歩の姿だ。
しかし。
それも銃器も持たざる者の為の技術だ。
そうした物に頼らなければならない、力のないものの為の手段。
学園都市の中でわかりやすい力は、暴力は。
能力において他ならない。
その点で無力な大人やスキルアウトは武装に頼らざるを得なくなると言うだけの話。
傲慢な程に、自らの得た能力とそれを行使するだけの実力に自信を持っている垣根帝督にとって、
超能力者たる自分とそれ以下を振り分けていたのはそう言った力の意識だ。
ある種、この世界の
貴族と共通する驕り。
そして力を持つが故の誇りだ。
しかしそれが。
ここに来て掛けられた魔法を前に、まるで同列だと言外に言われているような。
そんな錯覚を覚えた。
所詮、その程度。
足りないものを補い、何かにすがらなくてはいけない弱者とまるで変わらない。
『絶対』には程遠い存在なのだと。
そんな風に卑屈なものを何故か感じてしまった。
かつて学園都市で得た、自らの立ち位置についての嫌な感覚。
垣根はそれによく似た部分を僅かながら刺激されたような気がしていた。
必要もないのに勝手に差し出され、掴まれた異世界の手。
それが垣根に齎したのはそんな、自尊心を逆撫でるような結果だった。
(いや。俺は、目の前の道の上に転がった石が邪魔だと思っただけで……まぁそれよりも問題は、こっちか)
妙な感慨に耽りながら、垣根は空いた左手でこめかみを押さえた。
こちらに来てから、垣根はそれまでなかった頭痛や体の不調を感じるようになっていた。
原因も大体想像は付いていたが、もし本当に垣根の読み通りならこれ以上の面倒はない。
立ち上がると垣根は右手のナイフを放り投げる。
それと同時に、制御を放棄し消滅するよう仕向けた『未元物質』が枠組みを失い霧散するより早く。
ルーンの光は掻き消え、
先程起こった頭痛はぴたりと治まった。
そして、続く一呼吸の間に垣根の背には三対の白い翼が現れる。
「チッ、やっぱりか」
苛立ちも露に、垣根は表情を歪めた。
再び、より強く光る左手のルーンを見とめると。頭蓋に響くような痛みを堪え、垣根は即座に能力を抑えて翼も消す。
また失われるルーンの光、そして引き換えのようにやって来る体の痛み。
それが気のせいや勘違いでない事はもう一度確かめるまでもなかった。
以前は、能力を使うときに不調など感じなかった筈だ。
そもそも。学園都市の能力は脳内でミクロの世界に干渉し、マクロの現実を捻じ曲げる法則を理論的な計算で制御しているものだ。
そして、高位の能力者になればなるほど、その能力の規模が大きく緻密なものになればそれは更に難しくなる。
圧倒的な破壊を可能にする能力者ならばその照準、規模をきちんと掌握していなくてはならない。
なにより、その性質によっては自分自身をその能力に巻き込まない為にもそれは必要な技術だった。
それを垣根が怠った事はなかった。だから間違いはない。
複雑極まりない演算を瞬時に行う、それも開発によって処理能力の上がった脳には予め組みあがったプログラムをただ流すだけのような容易さで行える。
慣れてしまえば片手間にも、まるで手足を振るう感覚で行使出来るほどに。
しかし、それを行うのは機械ではなくあくまで人の身に過ぎない。
だから演算を行う能力者のコンディションは引き起こされる結果にも影響を与えてしまう。
稀に居る例外を除いて、心身共に平常で落ち着いている方が良い結果が出る。
だが、それも簡単な事ではない。
例えるなら。
落ち着いた静かな環境で机に向かっても、椅子の足がほんの少しガタついているような。
たったそれだけの不調でも、人間は意外なほど平静と集中力を欠きストレスを感じるものだ。
それを、微細で精密なコントロールを必要とする演算を行う状況に当てはめればどうなるか。
ただでさえ記述が、手順が増えればそれだけ高くなる演算式内のバグの発生を合わせればどうなるか。
まだ子どもである能力者達が抱える暴走、暴発のリスクは決して小さくない。
だから、能力を使う際に過度なストレス、不調に晒されている状態は文字通りの自殺行為になりかねない。
実際、そんな暴走を避けるために能力者の多くは自然と自らの集中を欠く不快感を除く傾向にある。
能力者でない一般人でさえ、着けなれない腕時計やアクセサリーの感覚だけで体調不良を覚える者が居るように。
例えば体に近い、身に着けるものの感触に気を配ったりする。
あくまでそれも個人の差によるのだが。
そんな例もあると言うのに、能力を使うときに限って具合が悪くなる、なんて今の事態は垣根にとって冗談では済まなかった。
確証があるわけではないが、不可解な体調不良の原因はこのルーンと関わりがあるのだろうと踏んでいた。
このルーンが刻まれた時ほどではないが良く似た、神経を苛むような痛みと頭痛が時折襲う。
そしてそのタイミングはルーンが発光した時と一致していた。
それに最初に気付いたのはギーシュとの決闘の時だ。
剣を握っていた間はまるで頭に靄が掛かったようにどこかはっきりしなかった。
そして剣が折れてそれも終わり、全身に巡っていた熱さが引いた時はその代わりのように鈍い痛みがあちこちに現れた。
それはフーケのゴーレムを潰した時も変わらなかった。
翼を振るって拳を止めた時。
四肢を切り落とした時。
打ち潰した時。
ついさっき試した時のような頭痛と倦怠感、痛みがあった。
更に決定的だったのは、『破壊の杖』を手にした時だ。
兵器の知識が思い出される、のではなく唐突に浮かぶように感じた。
そして、それまでの状態全てに上乗せされるように感覚が変わった。
感覚はより研ぎ澄まされ。
気分は高まり。
反面、論理的な思考は鈍った。
ざらついたノイズのように頭の中を不快感が覆った。
体の熱に薄まった筈の痛みがいや増して襲い掛かり、また和らぐ。
プラスも、マイナスも。
その一切は区別なく、単純に増幅されたように垣根の全身に満ちていた。
垣根の演算はそんな事で狂いはしなかったが、暴発や暴走を避けるならいつもより慎重に、ほんの少しだが時間を掛けて行う必要があった。
あらゆる武器を使いこなす、と言う『ガンダールヴ』のルーンの魔法の発動要因は、刻まれた使い魔の意識に因るのだろう。
恐らくはそれが当人にとっての武器だと思いさえすれば。
たとえそれが殺傷能力のないただのコインであっても手にすれば文字は煌き、使い魔に力を貸すだろうと考えられる。
そして、垣根帝督にとっての最たる『武器』。それは自らの『
未元物質』に他ならない。
式を頭の中で立て、解くまではいい。
しかし能力の発現までいたると、途端に不調がやってくる。
中でも体の、筋肉などの痛みの原因の方は、垣根にはそれらしい推論が浮かんでいた。
人間の可動性能を無視した大幅な運動能力の向上。
それを駆動鎧ほどの派手な装備に頼らず叶えるものが学園都市には確かあった筈だ。
(なんて言ったかな。
警備員から落とされた装備が一時
裏に流れたって話を聞いた事がある。駆動鎧の運動性能部分だけを抜き取ったような代物だった筈だが……言う程便利なものじゃねえだろ)
垣根は、僅かな記憶を思い起こすように曲げた指の背で額を小突いた。
過剰にすら見える駆動鎧の装備は多重に施された身体的プロテクトによって、搭乗者の肉体を保護する面が大きい。
高出力を可能にすると言っても、あくまで着ているのは生身の人間。
準備運動もなしに無理に体を動かせば肉離れを起こす危険があることくらい、小学生でも知っている。
その全身に掛かる負荷を軽減させ、損傷を防ぐ為の安全装置。
それを欠いた装備は丁度セーフティのない銃のようなものだろう。それもまた、暴発の危険性がある。
足りない性能の向上の為には、自壊をも顧みない。
そう言った者も中にはいるだろう。
だが、それも今までの垣根には縁のないものだ。
(確か、『
発条包帯』だったっけか。超音波伸縮式の特殊テーピング。運動性能は確かに良くなるだろうが、筋肉への負担は馬鹿にならない筈だ。外付けなしでそれを軽減させよう、ってんならそれこそプロアス並みの合理的で繊細な肉体調整が要るだろうな)
それに良く似た効果が、戦闘に特化した能力を対象に与える『ガンダールヴ』の特性に含まれているとすれば。
飛躍的な運動能力の上昇と伴う疲労や痛みがあるのも頷ける事だった。
例え魔法であっても、見返り無しに使用者の体に無茶はさせられないのだろう。
(『ガンダールヴ』は「主人の呪文詠唱の時間稼ぎの為だけに使役された使い魔」って言ってたか。なら尚の事、戦闘中はまだしも、その後の事まで面倒見てくれるとは限らねえ)
ガリガリと紙の上に無駄にペンで円を書きながら、垣根は頭を掻いた。
つまり、あのルーンの魔法は武器を手にした戦闘中は勝手に垣根を『ガンダールヴ』モードに移行させ、その間の負担の軽減、邪魔になる感覚、痛みなどは極力排除し
戦う事だけに集中させてくれるのだろう。
だが、武器を収め魔法の効果が失われても、実際に垣根の体に掛かっていた負担の方は消えはしない。
そこが垣根は気になっていた。
ルーンの発動、効果の消失に伴う痛みや頭痛自体は演算の邪魔にはなっても、能力の妨げにはならない。
しかし、単に肉体の損傷程度で済んでいる保証も他の弊害が無いとも言えないのだ。
(おまけに、この所疲れがちっとも抜けねえ。大した事をしてる訳じゃねえってのに)
そんな、若者らしからぬ発想と息が洩れる。
ついさっきも思い返した体の不調は、この数日の間もずるずると尾を引いていた。
(メイジ共の使う魔法ってのは精神力――っつっても何だかはわからねえが――を消費して使うんだよな。切れれば魔法は発動しねえ、寝れば回復するもんだって話だっけか。なら、このルーンも何かすり減らして動いてんのか?)
RPG世界の魔法を例として考えるなら、一般にはMP消費だろうがどうもHPの方に影響が出ていやしないか。
実感に照らせばそんな事が垣根の頭に浮かぶが、いまひとつピンとこなかった。
気になってルーンについての文献も幾つかあたったが、そもそも人間に刻まれた事がないから「使い魔のルーンの効果体験感想」なんてものが出てくる訳もない。
オスマンやデルフリンガーと話した時も、勿論垣根がそんな心配をしているとは悟られないようにして、それとなくかまを掛けたが「使い魔のルーンの与える悪影響」については聞き及んでいない。
彼らは『ガンダールヴ』がいかに珍しく、強力で、卓越し貴重な使い魔の証であるか、と言う賛辞しか語らなかった。
デルフリンガーに至っては、『ガンダールヴ』の話を向けると、二言目には「だから握れ。だから斬れ。『使い手』らしく俺を使ってくださいおねがいだから」と言うような必死の訴えを繰り返していた。
つまり、垣根にすれば有益な情報はほとんど得られていない。
わからない事だらけだった。
こんな状況で不用意に能力も、それに合わせて勝手に働くルーンの作用も使い続ける訳にはいかないだろう。
不幸にも、ここには垣根自身や能力に何か起きてもその変化を知る手段はない。
そこから万一の暴走や負傷があってもそれを治療する機材も施設も医者もいない。
現状、何かあった時後ろ盾として使えそうなのは公爵家と言うブランドと血統書のついたルイズくらいのものだ。
それだってろくな期待は出来そうにないが。
「っつーかよ。このルーン、デメリットの方がデカいんじゃねえの? おまけに外せねえとくりゃあ魔法ってか、まるで呪いだな」
思わず声に出してそう洩らすと垣根は皮肉めいた笑みを浮かべた。
背後で物騒な物音と、男の歓声が聞こえた気がするが。
無駄な騒音はすぐに意識の外に追いやった。
小さな窓からはかすかな月光が差している。
天頂に掛かる二つの月は静かに輝き。
夜はひっそりと更けていった。
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垣根帝督のおうちで出来なかった簡単ガンダールヴ検証の回。
気付いたらコルベール先生からの好感度がえらく上がっていてびっくりしました。
研究者モードの先生は簡単に落せそうですね。
うざったい解説はもうちょっと続きますが、次回は『未元物質』をちょろっと。
プラス箸休めも入れたいところです。
早くもルイズ分が足りなくなってきましたので。
ガンダールヴに関する垣根の解釈は、大体こんなところです。