フレイヤの月マンの曜日。
学院本塔の二階に位置するホールには眩い夜宴の明かりが灯っている。
辺りを双月が照らす夜気の中、ルイズはバルコニーの片隅でぼんやりとその様子を眺めていた。
めいめいに着飾った生徒達は楽しそうにダンスに歓談に興じている。
先日の騒動により二日遅れで開催されたこのフリッグの舞踏会は生徒や教師の枠を超え親睦をより一層深める事を掲げたものだった。
いつからか「この舞踏会で踊った男女は結ばれる」なんて伝説もあるらしく、盛り上がりもまたひとしおだった。
だが、今のルイズは華やかなその輪の中に加わる気分にはなれなかった。
ホールに足を踏み入れて以来、クラスメイトはもちろん顔も知らない生徒達からも話しかけられたしダンスの誘いも受けた。
その中に、ルイズの探していた顔はなかった。
その所為かルイズの気分はいまひとつ、浮かなかった。
給仕をしていたシエスタが通りがかりにすすめてくれたグラスも受け取る気にはなれなかったし。
「ちょっと。ダーリンは?」などと垣根の不在を不満そうにしていたキュルケも、既に男子の群れに囲まれていたし。
タバサも、よほど食べるのが好きなのか料理のテーブルから離れていないようだった。
そんな訳で。
賑やかな宴の席で、ぽつんと外れたルイズは一人壁の花を決め込んでいた。
楽しみだったはずの舞踏会は何だか味気なくて。
溜め息を吐くとルイズは視線を落とした。
足元は新品の靴。この日の為に仕立てた真っ白なドレスはもちろん髪型だっていつもよりずっとお洒落に飾っていた。
普段しない化粧もしている。
先日のフーケの件もあって、学院内でのルイズ達の注目は以前にも増していた。
それでも。
こんな風に特別な装いをするのは、ただ舞踏会に出席するだけではなかった。
少なくとも、ルイズの中では今までのパーティとはほんの少し違う。そんな気がしていたというのに。
「なによ。こんなんじゃちっとも――」
そんな風に零す、いつもとは違うルイズに近寄ってくる人影があった。
「失礼、お嬢さん」
口を尖らせたルイズの頭の上の方から優しげな声が降ってきた。
「頭の悪そうなピンクの髪の子がどこへ行ったか、知らないかな。確か『ゼロ』って呼ばれているんだけど」
「しらないわ。あっちにいってくださる」
柔和な声で実に失礼な事を言う男を相手にする気はもっとない。
うんざりしたルイズは相手の顔をみるどころか床を眺め続けていた。
「そうか。ならもう少し自分で捜してみる。じゃあ」
「ちょ、ちょっと待って?」
はっとしてルイズは顔を上げる。
背を向けようとしていた少年は振り返ると途端に意地の悪い笑みを向けた。
貴族相手にあんな事を口にするのも、そんな笑い方をするのも。
そんな相手をルイズは一人しか知らない。
「あ、あんた来たの? てっきりまた部屋にこもってるのかと思ったわ」
悪態を吐きながらも、ルイズは内心ほっとしていた。
結局、朝食から先ルイズは部屋に戻れなかった。
垣根を前にしてなんと言っていいかわからなかったし、それ以前に文句しか言えないのは自分でも何となくわかっていた。
ふらっと出て行ってふらっと帰ってきた垣根に聞きたい事は山ほどあったが。
今のルイズには、いつもの癇癪を押しとどめる理由があった。
「やっぱり家に帰りたかったのかしら。それとももっと構ってあげるべきだったのかしら。あいつ一人で好き勝手してると思ってたけど。それか食事に嫌いなものがあるとか。ううん、買ってあげた新しい服とか気に入らなかったんじゃ――」
「娘っ子、そろそろ現実に帰ってこいよう。相棒は子供でも犬っころでもないからね」
「やっぱりわたし? わたしみたいなのが主人になって、嫌だったのかしら。あいつだけは、わたしの事」
「おーい娘っ子よう」
「……なに」
「お前さんに一つ言っとく事がある」
授業を休んで、部屋にこもっていたルイズにある時デルフリンガーは声を掛けた。
垣根がいなくなったことに腹を立て、怒鳴り、散々むしゃくしゃした後盛大に落ち込んだルイズに。同じくらい打ちひしがれていたデルフリンガーは。
普段よりずっと真剣そうな口調で。なんだかまじめぶってルイズに忠告した。
「俺ぁ相棒がいなくなったのはお前さんのせいじゃないと思うね。そこは気にしなくていい」
「なによ。じゃあなんでなのよ。あんたまたなんか怒らせるようなことでも言ったの」
「俺でもないって。それに、相棒は口は悪いがいつだって本気でなんざ怒っちゃいないよ」
「なんでそんなことわかるのよ」
「だって俺伝説の剣よ? 相棒の心の震えがわかるってのは前にも言わなかったっけ」
そう言えば、何だかそんな事を言っていた気もする。
ルイズは、伝説だとかそんな話は垣根の気を引きたくて言っているのだと思っていたが。
「……じゃあ、伝説のあんたはあいつが出ていった理由もわかってるの?」
「それはわからんよ。頭の中まで遠慮なくわかるようには出来てないの」
「なによそれ」
「相棒にも、わかってんのかね。そんなのわかんなくても、どうにか出来てりゃそれでいいんだけど」
デルフリンガーは何やら知った風に呟くと。
垣根に今回の事を、特に理由をしつこく聞くなと言ってきた。
「お前さんが頭にきたのはわかるよ。怒るなとは言わない。でも説明しろったって相棒はな、きっと上手くねえから。もし帰ってきてもだ。多分あれこれ聞かない方がいい。お前さんもその辺上手くはないだろ?」
もし、真面目に話をしてもきっと垣根はロクに取り合わない。そんな気はルイズもしていた。
おまけにルイズも話し上手で聞き上手、とはお世辞にも言えない。
そんな二人がこじらせずに話をするなんて難しいだろう。相手が垣根なら尚更だった。
デルフリンガーの言う事は、珍しくまともでもっともな意見だったが。
だからと言ってルイズもいい気分はもちろんしない。
「いくらインテリジェンスアイテムでもね、わたしに指図しないで」
「だから忠告だって。お前さん、いくら大人しくしてるからって竜を怒らせずに逆鱗を探せるかい」
「そもそも竜になんか触らないわよ」
「そうだろうけど。相棒は竜よりおっかないと思うよ。うっかりそんな事になったら……怖いぜ?」
そんなやりとりが。珍しく、他人の言葉がルイズには引っ掛かっていた。
ただ垣根の機嫌を損ねるのが怖い、なんて事も少しくらいあったかもしれないけど。
「あいつがあんまり煩いからな。部屋になんか居れねえよ」
「そう。あの剣はどうしたの?」
「置いてきたに決まってんだろ。この格好にあれはドレスコード以前の問題であり得ねえ」
そう苦笑いを浮かべてから垣根は何やら頷いた。
「ふーん。そう言うカッコしてるとちょっとはらしくなるもんだな、貴族様。後は口閉じてりゃ、悪くないぜ?」
「ななななによ! レディにもうちょっと気の利いたこと言えないのかしら?」
「そう言うのがらしくねえっつってんだけどな。まぁお前らしい方が不気味じゃねえか」
周囲を見回してから垣根はルイズの横に並んだ。
「ここ、いいか」
「なんでよ」
「さっきから、知らねえ女に寄ってこられて迷惑してんだ。パーティとか、面倒なもんはあんまわかんねーし」
そうぼやくと垣根は手摺に凭れてホールの中を観察し始めた。
改めて、ルイズは垣根の姿を眺める。
黒の上下に同色異素材のベスト、藍色のシャツ。襟元で輝くエメラルドを填め込んだピンに合わせたのか、胸元のグリーンのチーフが鮮やかなアクセントだ。
髪もセットしているのかいつもとは違う。
周りの貴族達の華々しさに比べれば控えめな装いだけど、垣根にはよく似合っていた。
元々の良さに加えて、これなら確かにキュルケ以外の女生徒だって放っておかないだろう。
そんな垣根をこうして連れているのはルイズとしてもちょっと誇らしかった。
「そっち着たのね。あの白いのも似合ってたし、折角の舞踏会なんだからもっと華やかなのにすれば良かったのに」
「……お前、それ本気で言ってんの? 並んだら絵面最悪じゃねえ?」
「なんでよ」
「いや、いい。俺の考え過ぎだ」
こう言う所は軍服だよな、何て意味のわからない事を呟いて垣根は首を振る。
「……でも、いいわよ。後は…にっこりしてたら悪くないんじゃない?」
「そいつはどうも」
垣根はいつものように髪を掻こうとしたのか手を上げて、ふと止めた。
「飲み物くらい取って来るか。お前は?」
「え」
「こう言う時は女を立てるもんなんだろ? どうするんだよ、お嬢さん」
「じゃあ。お任せするわ」
近くのテーブルに向かう垣根の背中を見ながら、ルイズはふと頬を緩めた。
(あいつ、普段あんなだけどレディの扱いはちょっとわかってるのよね)
貴族のように洗練されたエスコート、とまではいかないが、それなりに気は利く。
たとえば他の生徒にまであの調子だと問題だが今の所そんな様子はないし。
生まれた時から生粋のお嬢様として育ってきたルイズにはそう言った扱いは当然の事だったが、それでも嬉しかった。
何より。
垣根と以前のように話せているのがルイズは嬉しかった。
「お前あっち混ざんなくていいのか」
「さっき散々誘われたわ」
「ふーん」
「あんたはいいの? ほら、あそこにも……あんたに声掛けてほしいみたいだけど」
「俺御付だろ? オマケの見学だし、もうメシ食ったし。興味もねえ」
舞踏会を見物してきた垣根は、グラスに入ったワインをゆっくり回しながらそんな風に呟いた。
まだ帰る、とは言わないが勝手で気まぐれな垣根の事だからいつ居なくなってもおかしくない。
ダンスに興じる生徒達を見ていた垣根がちらっとルイズに目をやる。
「お前も貴族だもんな、ああ言うの一応仕込まれてんだ?」
「ダンスは得意よ」
お母様よりは、と言う言葉をルイズは途中で飲み込んだ。
厳格で隙のないルイズ達の母親だが、何故かダンスとなるとたまにステップを間違えてしまうようだった。
「なによ。試してみる?」
疑わしそうな垣根の視線に、ルイズは腕組みをして応えた。
それをみるなり垣根は渋い顔で声を潜める。
「(え。しなきゃダメか?)」
「(そうね。わたしを立ててくれるんでしょ?)」
社交の場でレディをダンスに誘うのも紳士の務めの一つ。
少し気分のよくなっていたルイズはわざとそんな風に返した。
「口滑らせるもんじゃねえな。わかった。今日だけ、今だけお前の言う通りにしてやる」
悔しそうに眉を寄せたが意外にもあっさり折れると、垣根は観念したように息を吐いてみせた。
「あー、お嬢さん。踊って頂けますか」
「宜しくてよ」
ホールの中央、踊る男女の輪の中でルイズは目を丸くした。
蝋燭の並んだシャンデリアの明かりが眩しい。
そんな中で、ルイズは踊っていた。
この会場に来たからにはまるっきり期待しなかった事もない。
それでも垣根とこんな風に踊れるとは思っていなかった。
「へぇ。あんたダンスも出来るのね」
ルイズがこんな風に感心するのも、もう何度目になるかわからない。
しかし、垣根は得意そうな顔はしなかった。
「いや、女と踊るのなんざ生まれて初めてだ」
「ほんとに?」
「踊ってるヤツらを見たが。要は相手の足を踏まねえよう気をつけて、リードして動けばいいんだろ。それもかなりカッコつけて。そいつを真似してそれっぽいステップ踏むだけなら、俺にも出来る。相手の動きを先読んでカウンター入れるよりは、型が決まってるだけラクだろ」
何だかムードの欠片もない例え話をしながら、垣根は優雅な足運びでルイズの手を引く。
リードもタイミングもばっちり。
つい見とれて見上げた顔がいつもより近くて、ルイズは慌てて目を逸らした。
そんなルイズの耳元に垣根はそっと顔を寄せる。
「っと。ここで膝伸ばす、こっちでターン……合ってる?」
「合ってるわよ。ほんっとにもー、あんたって」
弾む息と、こみ上げる楽しさに顔を歪めたルイズはふと。
済んでいない大事なことを一つ、思い出した。
(そうだわ。こいつが戻ってきたら、ちゃんとしなきゃって。もう、この曲も終わっちゃうし)
悶々としながらダンスを続けるルイズの耳には、いつしか賑やかなおしゃべりも音楽も聞こえなくなっていた。
暫く、されるまま垣根に合わせて踊っていたルイズは思い切って口を開いた。
「あの」
「何だよ」
なんとか心を決めたものの、それでも改めて口にするのは恥ずかしかった。
視線を外し、下を向くとルイズは深く息を吸った。
「ありがとう。あの時、助けてくれて。ゴーレムまでやっつけちゃうし、あんたって――」
ルイズにすれば上出来だった。
どことなく勢いに任せてだが素直にお礼も言えた。
しかし、顔を上げたルイズの言葉は最後まで続かなかった。
「テイトク?」
確かに。
あの、ゴーレムを倒した時のことを思い出したのだろう垣根はその時。
はっきりと表情を曇らせた。
眉を寄せるルイズの様子に気づいたのか垣根は小さく息を吐く。
「我ながら、ガキでもねえのにダセェ所晒しちまったな。忘れろ」
「……あんたもう大丈夫なの?」
フーケの一件を終えて帰ってきた時。ルイズから見ても確かに様子が変だった。
あの時ひどく沈んだ様子の垣根の、いやに暗く見えた目を思い出して。
我慢していてもやっぱり聞かずにはいれなかった。
ルイズは垣根を見上げた。
「何が」
垣根は不思議そうにルイズを見つめ返した。
心配はした、そりゃあもうすごくしたがルイズはそれを素直に口には出来なかった。
まるで気にしていない、さっきまでそんな様子を見せていた垣根に蒸し返すような真似もなんだか気が引けた。
「……黙ってどっか行って、なにしてるのよ」
結局、不満が口を吐いた。
「だから、一応デルフリンガーにはちょっと出掛けるって言ったんだけどな。何聞いてたんだあいつ」
「なにがちょっとなのよ! あいつったら、あんたがもう帰って来ねえかもしんない、なーんて言ったのよ」
あくまで主人として、使い魔の振る舞いを咎める。そんな言葉にも垣根は堪えた様子もなにもない。
「ああ。あいつ、ウザい女みたいにビービー言ってたな。剣の癖に」
小馬鹿にしたようにそんな事を言う垣根にルイズはむっとした。
けど。
そのデルフリンガーに忠告されたばかりだ。
どんな理由かなんて知らないが、ともかく垣根が何事もなく戻ってきたのを喜ぶところであって。
ルイズだって折角の、楽しいはずのパーティを台無しにはしたくない。
何とか、ここは我慢しなくてはいけない。
「ま、まあ大目に見てあげない事もないわ。これからは……黙って、あんな事しないでよね」
精一杯の忍耐と、ほんの少しの期待を込めて。
ルイズは垣根を見上げた。
しかし。
そんな希望はあっさりと裏切られる。
「使い魔の分際で主人の許可なく勝手したのは悪かったかもな。だが、俺は使い魔っつってもお飾りみたいなもんだし。別にお前に心配される筋合いも、許してもらう必要もねえだろ」
意味がわからない、と言いたげに垣根は心底不思議そうに目を丸くした。
歓声、ざわめき、笑い声。
そしてホールを満たす楽士達の演奏を、少女の叫びがかき消した。
「バカ! この大バカ!! 信じらんないわ!」
ドレスの裾を翻して、まるで時間に追われるお姫様のように。
ルイズは走って賑やかなダンスの輪の中を飛び出した。
「何だありゃ……意味わかんねー」
そんな風に呟いた垣根は首を傾げただけで。
ルイズを追いかけてはくれなかった。
「なによ。何からなにまで謝れなんて言わないわ。でも、あんなのってないじゃない」
唇をかみしめながらルイズはかぶりを振って走った。
その度に、目尻に溜まった涙が零れそうになった。
「あれ、娘っ子。早いやね。相棒はどうした? めかし込んで出てったろ?」
「あ、あいつなんてしらないわよ」
ドレスを脱いで着替えを済ませたルイズは部屋に戻るなりそのままベッドに倒れこんだ。
楽しかった筈の、ルイズの魔法の時間は終わってしまったのだ。
不機嫌さを隠しもしないルイズにデルフリンガーが声を掛ける。
「なんだい、やっと相棒戻ってきたと思ったら。またぞろ喧嘩でもしたのかい。お前さんたちしょうがないね」
「あいつが悪いの。あいつ、あんたもわたしもどうでもいいのよ。人の気なんか関係ないんだわ。どんな風に心配したかなんて思いもしないのよ」
「そりゃ相棒も悪いや」
「多分、あいつ喧嘩したなんてまるで思ってないわ。ど、どうせ……わた、わたしの事なんてなーんとも思ってないんでしょ。そうよ、そうに決まってるわ。心配したわよ! 悪い? 確かにわたしの勝手だけど、違うのよ!」
「おーおー、こりゃ一大事だ」
シーツに潜り込むとルイズは涙声で叫んだ。
この数日心配して、やっとほっとして。
それでもちょっとくらい嬉しかった筈だったのに。
最後の最後でブチ壊しだった。無神経だとか、そんなチャチなレベルじゃなかった。
垣根の態度も性格もなんとなくはわかっている。
あの垣根がわかるようにきちんと事情を話して謝ってくれるとまでは、ルイズも考えなかった。
ただ、あの時。本気じゃなくたって構わない。それでも頷いてくれたらきっと。
少しくらい信じて、許せるような気がしていたのに。
現実はルイズの思うほどそう上手くはいかなかった。
* * *
一人の主人が使い魔の事で頭を悩ませているちょうどその頃。
トリステインの夜空を一組の主従が駆けていた。
およそ三千メイルの高さを二つの月に照らされて、竜はまっすぐに飛んでいた。
顔に似合わぬ可愛らしい声で、風を叩く翼の音にも負けないくらいの愚痴をこぼしながら。
「まったく。あの意地悪な従姉姫ときたらこんな時にお姉さまを呼びつけなくったっていいのね! 今日はやっと舞踏会の日だったのに。きっとわざわざ合わせてきたのね。でなきゃこんな夜になってから指令をよこさなくてもいいはずなのよ。ほんっとーにいじわるなのね!」
一見ただの風竜だが、いくら賢いと言っても竜は口を利かない。
すでに滅んだとされている伝説の幻獣、韻竜のシルフィードは青い鱗をきらめかせながらむくれる。
当の主人は、そんな竜の首元に腰掛けてぼんやりしていた。
いつもと変わらず無表情。風にたなびくドレスの裾など気にも留めない。
そんな主人のかわりとばかりに使い魔はお喋りを続けていた。
「で? お姉さま今度こそ誰かと踊ったのね?」
どこか訝しむようなシルフィードの声に、タバサは黙って首を振る。
舞踏会の最中だろうとも、任務とあらばタバサはトリステイン学院を、国を飛び出し祖国ガリアのヴェルサルテイル宮殿へと馳せ参じる。そんな暮らしをしていた。
タバサのそんな境遇をよく知るシルフィードはそれには文句はつけなかった。
人目のないこの時にあれこれと話す方が余程大事なのか、そのお喋りが止むことはない。
「きゅい! またご馳走の方だったのね。すてきなごはんうらやまけしからんのね。でもお姉さまもたまにはお友達とか男の子と仲良くするのよ。気になる人くらいいないの?」
「そう? 強いて言うなら、使い魔の――」
「きゅい、きゅいきゅい! 待つのね」
少し考えてから口を開いたタバサの言葉をシルフィードは大慌てで遮った。
最後まで聞くまでもなく、人間で使い魔なんてものはあの学院にさえ一人しかいないのだから。
「きゅいきゅい! シルフィはあの人好きじゃありません。あんなおっかないのは反対するのね。お姉さま、ああ言う男の人がいいの?」
首を大きく振ってから、シルフィードはちょっと心配になって背中の方を覗き見た。
タバサが口にしかけた桃色髪の少女の使い魔。あの人間の男の子は何度か見ていたから シルフィードも知っていたし、使い魔仲間の間でもちょっとした有名人だった。
決闘して負けた主人の事で土竜と話をしたりもした。
学院の生徒達と比べても見た目も強さも充分だろうあの少年だが。
それだけで大事なお姉さまのお友達候補に出来ない、気になる所があった。
「違う。彼は強い。それが気になるだけ」
きっぱりと否定したタバサは続いてシルフィードに尋ね返す。
「彼のあの力は『先住魔法』?」
そうタバサが水を向けたのはつい先日の盗賊退治の一件での事だった。
あれがなければシルフィードだって、物静かで大人しすぎるタバサが他人に興味を持った事を素直に喜べたかもしれない。
しかしあの時目の当たりにした、少年の不思議な力がシルフィードにそれを許さなかった。
背筋の鱗がぞわっと逆立ちそうな感覚を思い出して、シルフィードは翼で一際強く風を打つ。
あの時少年の背中に現れた羽は翼人のような亜人のものとはまるで違った。
大きく伸びて巨大なゴーレムを打った翼には、シルフィード達が親しんでいる力の気配が感じられなかった。
タバサ達メイジの扱う『系統魔法』ともどこか違う。
その異質さが、シルフィードの野生の勘に警鐘を鳴らせたのだ。
シルフィードがちらっと後ろを伺えば、返事を待つ主人の顔はいつになく真面目そうだった。
あまり構ってくれないタバサが自分の話に真剣に取りあってくれているのはシルフィードとしても嬉しい事だった。
何より、いつものように本が手の中にない。
それに少し気分を直してからシルフィードは口を開いた。
「違うのね。お姉さま達がそう呼ぶ『精霊の力』とは全然違うの。火でも水でも世界のどこにでもある『精霊の力』をシルフィ達はちょっぴり借りてるけど……あの羽根はそんなのじゃないのね。『精霊の力』でも人間の魔法でもない、世界にそんなものがあるなんて古い古い風韻竜の昔話にも出てこないのね」
物知りで賢いタバサがシルフィードに話を聞くなんて、何だか普段と逆になったようで。
シルフィードは得意げに鼻を鳴らした。
「そんな風韻竜の見解によればー、きっとあれはお姉さま達の魔法なんかよりもっと『大いなる意思』に逆らうようなものなのね。そんな人とのお付き合いはシルフィ簡単には認められません」
「だからお付き合いはしない。でも、彼はどう言う人間だと思う」
お付き合い、はきっぱり否定してタバサは更に意見を求めた。
それにシルフィードは数少ない、あの少年と接した時の事を思い返す。
「まあ……ドロボウ追っかけるのに最初に乗せてあげた時はシルフィの事とっても褒めてくれたのね。シルフィはおっきくて立派できれいな竜だって。すごいって言ってたのね。ふふん、古代の眷属の偉大さがわかってるのね。なかなか見る目あるのね」
「なら何故嫌うような事を言ったの」
「シルフィも悪い人って決める訳じゃないけど。でもおっかない羽が出るからやっぱ嫌なのね。それに、怒ると飛び切り怖いタイプに違いないのよ。やっぱりよくありません」
お姉さま、などと呼びながらも遠慮なくシルフィードは言い切った。
友達も、話し相手も少ないタバサは何かあれば、いや何もなくたってすぐ本へ向かってしまうからこんな時くらいズバッと言ってもいい。
そんな顔をしていた。
「もうちょっと他に、お姉さまにふさわしい人はいないかしら。そうだ! ギーシュ様だってハンサムなのね。女の子にも親切みたいだし。ギーシュ様は?」
「ばか」
「うーん、そうなのね。ちょっと頭がゆるくてらっしゃるわ。でもお姉さまが頭カチカチだからもしかしたら丁度いいかもしれないのね?」
「私が?」
「そうです。おまけに顔もなんだかコチコチなのね。たまにはにこっとしてみるのよ。そんなんじゃ素敵な殿方にあってから困る事になるのね」
「……必要ない」
短い返事を返すタバサの顔は俯いてしまって見えない。
それでもシルフィードはいつものように明るく楽しく喋りながら、ガリアへ向けて風を切った。
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2/3です
きゅいきゅいがデスノー、かナノヨナーになりそうになる