大急ぎで馬を飛ばしてきた一行はその日のうちにラ・ロシェールへとたどり着くことが出来た。
月明かりの中、峡谷の合間の山道を進む。
ほっとしたのかギーシュが安堵の声を上げた。
その時だった。
ルイズ達の眼前に突然赤々と燃える松明が投げ落とされた。
脅えた様子で馬が嘶く。
「上だ!」
デルフリンガーの声に、皆が薄明かりに浮かび上がる崖を見上げれば。
岩陰からのぞく人影が更に松明を投げ落とすところが見えた。
いきなりの出来事に足を止めたルイズ達は炎に照らされ、身を竦ませる。
その足元に矢が刺さった。
どこからか鋭い笛の音か響く。
「くそ、奇襲か!」
ワルドが叫ぶ。
続いて、杖を振ると襲撃者の第二射が巻き起こるつむじ風にからめ捕られた。
そしてワルドは、ルイズを抱え降ろし素早くその場から離れる。
「ルイズ、こっちだ。ここに隠れていろ。君たちも散れ、そのままではいい的だぞ」
その言葉にギーシュは大慌てで荷物を抱え馬を捨て、明かりを避けるように道の端へと走った。
「連中、やっぱり来やがったらしいな」
何故か、嬉しそうに口元を歪めて。
垣根はルイズ達が身をひそめた岩の傍へとやってきた。
「テイトク? どうしたの」
「あっちと違ってこっちには飛び道具がねえからな」
垣根はワルドを見てにやりと笑う。
その視線を受けて。
ワルドは肩を竦めると帽子のつばを軽く弾いた。
「まったく仕方ないね。ここは、僕の婚約者を任せるよ使い魔くん」
勇ましく、マントを翻しワルドは杖を掲げる。
再び主を背に乗せたグリフォンが鋭い鳴き声と共に夜空に羽ばたいた。
「ひいっ? こっちにもいるぞ!」
ギーシュの悲鳴に振り返れば、崖の上だけではなくさっき通った道の向こうからも男たちがこちらに向かっているのが見えた。
離れた所からも蹄の音が聞こえる。
「あいつらの仲間? いつの間にきたのよ」
「デルフ」
「いや、俺はみてねえよ。上に居るのはわかったけどよお。連中、たった今寄ってきたんだよ」
道を挟む崖、背後と三方向からの敵襲。
低い声で垣根に呼ばれ、デルフリンガーは焦りながらも言葉を続ける。
「またぞろ奴さんらは馬車でも使ったのかね。うーん、昼間の奴らとそんなに変わらない感じだ。武器も似たようなもんだし。けどあの貴族のにいちゃんは上の奴らにかかりっきりだろ? 小僧っ子一人でもつかねえ」
即座になされた状況報告に垣根は頭を掻いた。
「ったく、仕方ねえなあ。いいかデルフ、ちゃんと探っとけよ」
「おうよ!」
いくらギーシュが頼りないぼんぼんだと言っても。一応はメイジ。
敵を前に呑気に震えているだけではない。既に三体のゴーレムが迎え撃っていた。
だが、一人、二人と男たちは複数人でギーシュの作り上げたゴーレムに組みかかる。
単独ならまだしも、乱戦になだれ込まれては上手く操作も出来ないだろう。
じりじりと後退するギーシュへと、剣を持った男が迫った。
「おおッ?!」
しかし。
おかしな声を上げて男は突然地面の中にめり込んだ。
そのすぐ横に顔を出したのは、大きな土竜。ここまでじっとついて来ていたギーシュの使い魔ヴェルダンデだった。
「ああッ! ヴェルダンデ! 僕を助けにきてくれたのかい?」
感動のあまり涙を浮かべるギーシュに、ひげを震わせ頷くと主思いの使い魔は再び地面へと潜っていった。
続いて、ギーシュに近づいてくる男二人の前の土が柔らかく掘り返された。
地面に足を取られると。
彼らはあっという間に胸まで土の中に引きずり込まれてしまう。
それでも向かってくる男たちはまだ減る様子がない。
「グラモン、使い魔が頑張ってんぞ。テメェの見せ場はどうした」
「あ、ああ。わかってるさ。僕の見せ場だな。やるぞできるぞ……父上母上、ギーシュは男を見せます」
片手を口に添え、垣根から気のない声が飛ぶ。
意を決したように。
ギーシュは杖を握りなおすと『錬金』を唱えた。
すると。
少し遅れて襲撃者の足元から、白いものが現れた。
それは鋭い槍のようにあっと言う間に伸びる。
ギーシュの前で膝から下を貫かれた男が倒れた。
崖の上でも矢をつがえていた男が数人、呻いて崩れ落ちる音がした。
「おうおう小僧っ子。なんだ、お前さんやれば出来るじゃねえか」
「は、ははは! 可憐な薔薇には棘があるもの。貫かれたくなければ速やかに降伏したまえ、っととと!?」
得意満面で杖をかざしたギーシュめがけて、男達は一斉に射かけてきた。
慌てて作り上げた戦乙女を盾にするとギーシュはその後ろで身を縮める。
慌てふためくギーシュに笑い声を上げると。
デルフリンガーは続いて垣根に声を掛けた。
どこか窘めるような調子だった。
「ちょいと調子に乗ってんよ。いいのかい勝手に言わせて」
「別に。陽動ってのはあれくらいでいいんじゃねえの。それで……どうだ?」
垣根の問いにデルフリンガーはううん、と唸る。
「やっぱ上のはズレてるよ。相手も動くし、調整はしてもらわねえと。そうさなあ…当たり所が悪かったのが二人は死んだね」
「目視出来る範囲なら問題ねえし、それ以外もカバーするってのは可能だが、今やるには手間だな。まぁ、とりあえずこんなもんだってわかっただけで良しとするか」
「あんたたち、ちょっと」
声を潜めた呑気でなんだか不審な会話を、ルイズが遮った。
不満げに、と言うよりは心配そうに腕を組んで辺りの様子を窺った。
「二人に任せっぱなしで大丈夫なの」
「じき片付くんじゃねえの」
垣根は退屈そうに、道の両側にそびえる崖を仰いだ。
崖の上にいた男達はワルドに圧倒されているようだった。
流石、衛士隊の隊長を務めるだけの事はある、見事な腕の冴え。
振るわれる『風』の魔法は攻防一体の礫となって彼らに攻撃の隙を与えていない。
「あんたはいかなくていいの? ああ言うの好きでしょ」
「俺はどこの戦闘狂だっつうの。俺だってやり方やTPOくらい弁える……ってかお前も反応薄いな」
呆れたような垣根にルイズは首を傾げる。
こんな状況だから、さっさと敵をやっつけに行ってしまうと思っていたのに。
垣根はルイズの前から一歩も動かなかった。
「折角、この俺が使い魔っぽい事してやってんだから。少しは喜べよ」
「ふえ?」
ルイズは目を丸くした。
その発想はなかった。
確かに、今のこの感じは「従者に守られるお嬢様」っぽいかもしれない。
ルイズ達より手前、峡谷の入り口により近いところに居るギーシュの側で襲撃者は都合よく足止めされてくれている。
今も、時折地面から生える棘や槍のようなものに腕や足を撃たれ、その行く手を阻まれているようだった。
だけど、もしもこちらにやって来たら。
垣根は戦ってくれるのかもしれない。ルイズの為にも。
と、言うか垣根自身にそんな自覚があるとはルイズは考えていなかった。
だって、相手はあの垣根だ。
自分勝手で文句ばかりで偉そうで。いつも人を馬鹿にしているような、俺様の使い魔だ。
驚いたルイズは答えに詰まってしまう。
口と態度に出るのは裏腹に。照れ隠しにもならない悪態だった。
「あっ、あんたね! こんなの普通よ! いつもがおかしいんだからね」
「残念。俺にその常識は通用しねえ」
そんな風に二人が話す間にも、ぶつぶつと小さな声でデルフリンガーは呟き続けていた。
長々と何かの数を読み上げているように聞こえたが、ルイズにはさっぱりわからない。
「ねえ。デルフリンガーはさっきからどうしたの」
「気にすんな。ちょっと相手を探らせてるだけだ。おい! サボってんなよ」
垣根が一喝すると、ギーシュは大慌てでこちらに腕を振った。
「ぼっ僕はね! ゴーレムの、操作もっ、してるんだぞ! まだ手伝わなきゃいけないのかっ!」
半ばヤケのように叫ぶ。
まだ、目の前には敵がいるのだ。あまり余裕はないだろう。
そして薔薇の造花が振られるとまた、『錬金』で白いスパイクが生み出される。
「適当にやれって言ったけど。結局素材は何にしたんだあいつ」
こめかみを軽く撫でると、そんな言葉を洩らして垣根は首を傾げた。
「奴ら、しぶといな」
崖の上をあらかた片づけてきたらしいワルドとグリフォンがルイズ達の側へ降りてきた。
それでも地上の連中にまだ引く様子はない。
しきりに何かを窺うような、待つような素振りをしながらじりじりとこちらへ詰めよってきている。
「ハァ、もう……ここまでだよっ」
続いて。
げっそりした顔でギーシュが逃げてくる。
手にした造花の花弁はすっかりなくなっていた。
こちらは既に魔法が打ち止めらしい。
「手詰まりか? どうする、使い魔くん」
ワルドが真剣な面持ちで息を呑んだ。
張りつめた一同の緊張の糸を破ったのは。
「皆々さま安心しな。こいつぁ、増援みたいだぜえ」
デルフリンガーの呟きと。聞こえてきたグリフォンのものより重い、羽音だった。
続いて大きな炎が闇を裂く。
一塊になっていた男たちが悲鳴をあげて散り散りに逃げる。
その足を、吹き付ける烈風が払う。
飛び交う新たな魔法の前に次々と襲撃者達は倒れ伏していった。
また、どこからか笛が鳴る。続けて三度。
それが何かの合図だったのか、後列にいた無事な男たちは何事か怒鳴りながら踵を返していった。
「これって」
目を丸くするルイズ達の前に、見慣れた幻獣の姿が現れる。
青い風竜。タバサの使い魔、シルフィードだ。
「ハァイダーリン、あとヴァリエールも。お待たせ」
竜の背を降りると真っ赤な髪をかきあげてキュルケはウインクした。
「ツェルプストー? あんた何しにきたのっ!」
垣根の後ろからルイズは怒鳴り返した。
「あらぁ。助けにきてあげたのにそんな言い方ないんじゃないの」
「ふ、ふん。そんな必要なかったわっ」
ルイズは腰に手を当てると自慢げに胸をはった。
垣根に庇われるように立つルイズに眉を寄せると、キュルケは不満そうに腕を組む。
「あら? あなた、見た事あるわ。この前の式典にいたトリステインの軍人さんね?」
だが、すぐさまワルドに目を向けるとキュルケは妖しく微笑んでみせる。
「素敵なおひげね。どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら」
「仕事中でね。ああ、済まないが君の相手をしている暇はないんだ」
「なによ。イジワルね」
「恋人は間に合っているのさ」
苦笑いを返すワルドの言葉にキュルケは一同をぐるっと見回した。
ルイズに顔を寄せるように屈みこむと、大袈裟に両手で口元を覆う。
「ヴァリエール。何よ、あんたこんな立派なカレがいたの?」
「婚約者だよ」
顔を赤らめて俯くルイズに手を差し伸べると、ワルドはにっこり笑ってその肩を抱いた。
一体なぜこんな所にいるのか。ルイズがキュルケの話を聞いていると。
残っていた襲撃者どもの話を聞きまわっていたギーシュが戻ってきた。
とは言っても、五体無事なものの多くはすでに逃げてしまっていた後だ。
時間はかからなかったが、拾った松明に照らされた顔はげっそり疲れ切っているようだった。
「やっぱ昼間の奴らの仲間だとよお。他はさっぱりわかんねえや」
ぼやくデルフリンガーを背負った垣根がなにやらおかしそうに笑っていた。
おや、と思ったルイズがギーシュの袖を引くと。
ギーシュはどよんとした目で垣根の方を見て頷いた。
「ああ、彼か。『そうやってると地面に植わった野菜みたいだな。水をやろうか』って笑いながらやつらを脅したのさ。あれはなぁ、苦しいんだぞ」
何かを思い出したように、ギーシュは自分の腕を抱いていた。
「で、彼のお仕事にあなたが付き合ってるの? それも変よねえ。ギーシュもいるし」
ルイズと垣根が出かけるんなら、ついていかない理由はない。理由なんてそれだけ! と言い切ったキュルケだったが。
流石に、学院を離れこんな時間まで何かしていたことがひっかかっているらしい。
寝ていたところをそのまま連れてこられたらしいタバサも首を傾げていた。
「悪いが、多くは語れないんだ」
あくまでにこやかに返すワルド。それにつづいてルイズはキュルケにかみついた。
「そうよ。これはお忍びの任務なんだから!」
「あらごめんなさい? そんなの言ってくれないとわからないじゃないの」
「だからっ、言えるわけないじゃない!!」
きゃんきゃんと言いあう二人の間に、ワルドが割って入る。
「そんな訳でね。君たちに感謝はしているが……」
「隊長さんよお、あんな目にあった後だ戦力は多いに越した事ぁねえんじゃねえの。この嬢ちゃん方は、その辺の貴族様より使えるぜ」
デルフリンガーの横やりに。ワルドは思案するように一度口を閉じた。
「今、ここで追い返すわけにもいかない、か。一先ず街に入るぞ。詳しい話はそれからだ」
さて。
とりあえず、目の前までやってきたラ・ロシェールまで行ってしまおう、と一行が列を正した時だった。
舞い上がるグリフォンと竜の下で一人、ギーシュがぽかんと呆けていた。
馬が一頭いなくなっていた。
あの騒ぎで逃げたのか、襲ってきた連中に盗まれたのかは定かではない。
「丁度いい。そっち乗せろ」
ギーシュに馬を譲り、風竜を指さした垣根だが。
パジャマ姿のタバサは首を振って答えた。
「何だ。嫌だって?」
垣根に睨まれ、タバサはキュルケを仰ぎ見た。
それに目を輝かせたキュルケは勢いよく何度も首を縦に振る。
日頃の、垣根への態度を見れば。そりゃそうだろう、と言いたくもなる熱烈大歓迎っぷりだ。
「仕方ない。大人しく」
友達のそんな顔を見て。
渋々、と言った様子で垣根に向けて杖を振るタバサに。
風竜が情けない声で鳴いていた。
「きゃーっ! ダーリンいらっしゃい!!」
『レビテーション』で竜の背まで運ばれてきた垣根に、キュルケが勢いよく抱きつく。
が、その前にぞんざいに肩を払われてしまった。
「うるせえ。っこっちは一日散々な目にあってんだ」
うんざりした様子の垣根だが、キュルケはもつれかけた足でターンするとそのすぐそばに腰を下ろした。
「じゃあほら、ここにいい枕があるわよ。ダーリンならどれでも好きなのをどうぞ?」
「却下。黙れ」
「やだぁダーリンったら照れてるのね? かわいーっ!」
「ねえ相棒、小僧っ子と娘っ子がなんか言ってっけど」
「知るか。うるせえ」
途端に騒がしくなる竜の上だが。
垣根は風竜の背びれに凭れて無視を決め込んでしまった。
主のタバサは何事もなかったように本のページを捲っている。
着替えはしてこなくとも、本の一冊は持って来ていたあたりに関心の程がうかがえる。
「ねえねえ、ダーリンは今まで一体何してたのかしら? あなたならよく知ってるわよね」
「相棒はなあ、昼間もあんな連中相手にしてたんだよ。でも俺ぁ他に用があってね。その辺は下の、小僧っ子のが詳しいなあ」
「あら。またあなたお荷物だったの」
背から降ろされたデルフリンガーは、寄ってきたキュルケに抱えられながらお喋りを始めた。
相変わらず剣としてまともに振るわれていない事を指摘され嘆く。
どちらも、ついさっき静かにしろと言われたことは気にしていないようだった。
たどりついた、『女神の杵』亭の一階にある酒場で一行は一息つく事にした。
ラ・ロシェールでも一番上等な宿だと言うこの店は内装も貴族向けの豪華なものだった。
深夜に突然やってきたおかしな一団だが、店主はいやな顔一つしなかった。
テーブルに掛けた皆の前に飲み物が並んだところでワルドは席をたった。
フネの運航状況を確かめてくると言う。
それに続こうとしたルイズ、立ち上がったギーシュを座らせると。
ワルドは、岩から削りだしたテーブルの上にエキュー金貨を並べた。
「君たちはここで休んでいたまえ。何か食べるといい、疲れているだろう」
「子爵殿、おひとりで大丈夫ですか」
「ああ。あいつらの事は街の衛兵に知らせてきたしね。さて、フネがなるべく早く使えると有難いんだが」
声を掛けるギーシュに笑い返すと。
そう言ってワルドは一人『桟橋』へと交渉をしに行った。
暫くし、皆の軽い食事が終わった頃。
戻ってきたワルドは残念そうに首を振った。
「アルビオン行きのフネは明後日にならないと出ないそうだ。戦の影響もあってか、こちらから渡るフネの本数は以前より減っているらしい」
「じゃあ補給も減ってるんだろうな。文字通り、これから向かうアルビオンってのは空の孤島って事か」
「そんな……早くウェールズ様にお会いしないといけないのに」
垣根の呟きにルイズが俯いた。
「悩んでも仕方ない。皆も、今日はもう休むとしよう。部屋を取ってある」
そう言ってワルドは鍵をそれぞれの前へと配る。
ギーシュと垣根の間に一つ。
タバサとキュルケの前に一つ。
「待って、わたし……ワルドと?」
「そうだ。もし何かあっても安心だろう? ……それに、大事な話があるんだ」
大事な話。
ワルドの改まった言葉に。
ルイズは、キュルケ達を振り返った。
「さあ、その鍵をこっちに渡しなさいギーシュ。ダーリンと一緒に寝るのはあたしよ!」
「きっ君は、お友達を僕なんかと同室で寝かそうって言うのかい!」
「それ。自分で言ってて悲しくならねえか」
「そんな訳ないでしょ! ダメよタバサとなんて。そうね、あんたは外でいいんじゃないかしらふわふわの使い魔ちゃんがいるでしょ!」
「流石にひどい」
疲れ切った彼らは深夜の一騒ぎに興じていた。
その中に混じった垣根は、何も気にしていないようだった。
そうね、と呟くと。
ルイズは。
姫殿下から預かった手紙をポケットの上からそっと撫で。
ワルドに頷き返した。
<p align=center>* * *</p>
「……相棒。誰か来るぜ」
「ああ。起きてる」
ひそり、とベッドサイドに立てかけられた剣に小声で呼ばれ、垣根は顔を向ける。
「チッ……ムカつくぐらい眩しい朝だな」
カーテンの間から洩れる日の光を睨むと垣根はベッドの中で体を伸ばした。
何者かがこの部屋に近付いている。
それをわざわざ知らされる前に、垣根の目は覚めていた。
それでも迷惑極まりないタイミングで睡眠を邪魔されて気分がいい筈も無い。
「デルフ、何時だ」
「日の出から一時間も経ってねえよ」
「朝っぱらからご苦労なこった。下手に時間があるのってのも考えもんか」
垣根が囁くような声でそうぼやくと同時に扉が叩かれた。
無言で寝返りを打つと、より大きなノックが繰り返される。
「おい使い魔くん、僕の事は無視か。随分嫌われたものだね」
「相棒、風メイジってのは耳がいいんだよ」
「ばーか。先に言えよ」
それから。
同室で寝ていたギーシュが目を覚まし、騒ぎ出すまでの間。
ワルドはドアをノックし続けていた。
どちらにしても騒がしくなってしまい。
二度寝のチャンスを奪われた垣根はワルドに連れられて宿の中庭にやって来ていた。
昔、砦として使われていたというこの宿には、古い練兵場がそのまま残されていた。
「これから向かうのはアルビオンだ、戦の渦中に踏み込む事になるかもしれない。こちらの戦力の把握はしておきたいんだよ。実力が知れないのは君だけだ、どうだい僕と一つ、やりあってみないか」
古びた旗立台を眺めながら、ワルドは振り返る。
「貴族様が平民相手に魔法の無駄撃ちとかしていいのか」
「どうせ出発は明日だからね。損得で言うのなら却って使わない方が無駄になるだろう?」
ワルドがそう言った通り。
メイジが魔法を使うのに不可欠な精神力は休息すれば回復するものだと言う。
二三日と魔法を使わない状況が続いても、そのメイジが一日に使える呪文の量は変わらないらしい。
仮に、精神力の器なんてものを想定するなら――減った分が一度縁まで満たされた後は溢れていくのか、それとも空になるか休むまでもう増える事が無いのかはわからないが――その中に収まる分しかメイジ個人には扱えないのだろう。
そんな魔法に対し垣根の見方を挙げるなら。
どんな仕組みでそうなっているのかは知らないが、管理もしやすくリスクの少ない便利なものと言ったところだ。もしも失敗したとしても、単に不発で終わると言うのだから。
その点、学園都市で開発された能力は個人個人その水準は異なっている。未だ不透明な部分が多過ぎる為に能力者自身も自らの力の全容は把握し切れていない、なんて事もざらにある。
一日にこれだけ、と言う規定枠はないだろうがコンディションのみならず累積していくだろう疲労は発現に必要な演算能力に影響を与えるだろう。
有事の際にも安定して運用するにはそれなりの経験に加え自己管理が必要とはされる。
共に、自然法則に逆らうような奇怪な現象を起こす事が出来るとは言っても。魔法と超能力には随分と違いがあるようだった。
そんなメイジが、知ってか知らずか能力者相手に腕試しがしたいと言うのだ。
それもスクウェアクラス、個人の資質で頂点まで登りつめたメイジが。
かたや能力者の最高峰、超能力者である垣根には、残念ながらやる気は全く見られなかった。
「それに僕は君をただの平民だとは思っていない。君はルイズの使い魔で伝説の『ガンダールヴ』だ。そうだろう? 話は聞いているよ」
ワルドは確認するように垣根に目をやったが、彼が気にしているだろう左手はいつものようにズボンのポケットに収められている。
「だったら何だよ」
「どんなものか気になってね。男と言うのは厄介だよ。強いか弱いか、相手と自分ではどちらが上か。ついそんな事が気になるとどうにも囚われてしまう」
「まぁ、わからなくもねえけどな。だが、『魔法衛士隊のスクウェアメイジ』と『おまけ付きの平民』ならわざわざ試して比べるまでもねえだろ……休みってんならのんびりさせてくれ」
垣根が大きく欠伸をすると。
ワルドは真剣な顔で睨みつけてきた。
「はっきり言おうか使い魔くん。君にルーンがあるからと言って僕のルイズを任せてはおけないんだ」
「別に好きでそんな真似してる訳じゃねえんだがな」
煽るワルドの言葉にも垣根は肩を竦める。
眉を上げて睨み返す、その口元は馬鹿にするように笑っていた。
「なによ! あんた言われっぱなしで悔しくないの?」
「あ?」
そう怒鳴りながら中庭から練兵場に入ってきたルイズに、垣根は眉を寄せた。
「何しにきてんのお前」
「ワルドに呼ばれたのよ」
朝に弱いルイズはまだ眠いのだろう。むっすりした顔をしていた。
「彼女に立会い人を頼んだのさ。主人の前では、君もやる気を出してくれるかと思ったんだが」
「そりゃ残念。あてが外れたな」
「あんただって……強いんだから。堂々としてなさいよ」
「なんかお前、前と言ってる事違い過ぎねえ?」
確か、ギーシュとのイザコザの時ルイズは垣根を止めた筈だった。
文句を言ったのか止めたのか怪しいが、一応は。
しかしルイズは煮え切らない様子で頭を振った。
垣根の方は、何故か見ようとしていなかったが。
「とっとにかく! おかしな決闘は反対したけど。手合わせならワルドだって心得てるわ。彼は誰かさんと違って紳士的なんだから」
「君にそう言われるのは嬉しいが、手を抜くのは彼に失礼だろう? 相手の力量を正しく見定めるのならこちらも全力でいかなくては」
「そりゃそうだ。『使い手』が丸腰で勝負するのもおかしな話だしよお。いやあ、スクウェアクラスのメイジとなるとやっぱりいい事言うね」
戦闘の予感=出番の可能性を嗅ぎつけたデルフも寝返ってしまい、練兵場の中に垣根の味方は一人も居なくなった。
引くに引けない状況に。
溜め息を吐く垣根を慰めるものもいない。
かつて貴族が誇りをかけ杖を掲げたその場所で。
両者は離れて向かい合う。
ワルドは踏み込むと、素早く距離を詰める。
先手必勝、と言わんばかりに切りかかり、よける垣根の様子を伺うように引く。
「どうした。君の力はそんなものか? 違うだろう。君はまだ、一度も武器を抜いていないようだからな!」
「なあなあ相棒ってば。どーもやっこさんは相手にするまで諦めないみたいだぜ」
「そんな嬉しそうに言うんじゃねえよ」
うんざりした様子で垣根は背中の剣に手をかけると、ゆっくりと引き抜いた。
だらんと下げた腕を再び上げ、素人然としたぎこちない構えで剣を持つ。
対するワルドは剣のように杖を振るとすぐ隙のない構えに戻る。
「こっちはなあ、おかしな魔法がかかっても武器なんて持った事もねえんだ。戦闘慣れした奴に敵うと……思うかよっ」
迫るワルドの杖先を何とかいなして垣根は吐き捨てる。
対するワルドは細い杖でデルフリンガーを受けきると余裕ぶって笑みを浮かべた。
「そうだな。簡単にその差を覆されても困る。さて、君は人を斬った事はあるかい」
「今のところねえなぁ。お陰で俺も退屈でさあ。ちょいとさーあんたからも言ってやってくんない」
「この馬鹿。余計な口を……利くんじゃねえっての」
戦闘中に愚痴りはじめた剣に眉を寄せ、垣根は繰り出される突きをかわす。
だが。
それは、ワルドの口にした『伝説の使い魔』なんてものには見えなかった。
どこかぎこちなく、動きにまるで冴えがない。反撃も遅い。
一拍、足を留めてから考え。
さらにまるで見当違いの方へと動いているようだった。
それでもまだ。すんでの所ではあるが、一撃も入れられていない。
そんな垣根を称賛するように、ワルドは帽子のつばに手を掛ける。
まっすぐ垣根を見据えて、笑う。
「まるで素人の体捌きだな。しかし速さと判断力は大したものだ。だが、忘れていないかな? これは……メイジの決闘だぞ」
笑んだ口元でワルドは詠唱を完成させる。
それと同時にデルフリンガーが叫んだ。
「きたぁっ、相棒! 魔法だぜ!!」
轟! と風が唸る。
垣根も咄嗟に腕で頭を庇ったが、何の役にも立たない。
たちまち十メイルも吹き飛ばされてしまう。
壁際に積まれたガラクタの山が崩れて派手な音が響いた。
埃に塗れて起き上がった垣根の周囲を、続いて鋭い風が吹き抜ける。
ワルドの放った『エア・カッター』を受けたシャツとズボンは派手に裂かれていたが、落ちかけた袖から覗く肌には目立った怪我は見られない。
ただ、たった一筋頬に走る傷をなぞると。
垣根は息を吐いて肩から力を抜いた。
「テイトク?! 大丈夫なの?」
駆け寄ろうとしたルイズを、片手で制しワルドは首を振る。
壁に背を預けた垣根に近寄り鋭い杖先を向けた。
「……はぁ。これで気は済んだか? 子爵殿」
垣根は両手を広げて肩を竦めてみせた。
デルフリンガーはすぐ近くに転がっていた。
何ともあっさりした敗北宣言にワルドも杖を納める。
そして。
呆れ果てたような目で膝をつく『ガンダールヴ』を見下ろした。
「ああ。実に残念だ使い魔くん。しかし、わかったろう。君ではルイズを守れない」
「わかったぜ、色々とな。いや、試してみるもんだ」
垣根はそう言って頭を振ると立ち上がる。
言葉も態度も普段通りだが。
中身はその場の誰がどう聞いても、強がりの負け惜しみとしか思えない。
そんな発言だった。
「あれ、相棒? お前さん……どうしたね」
訝しむような剣の問いかけも、鞘に納められて途切れてしまう。
口を噤んだ垣根は、汚れたズボンを払った。
そうして真っ直ぐに入り口まで歩いていく。
ルイズには視線すら向けなかった。
「待って……待ってよ!」
ルイズの制止も聞かず、垣根は練兵場から出て行ってしまった。
その背中を見つめたまま。
ルイズは肩を落とした。
そこに添えられたのはワルドの手だった。
「放っておいてやれ。君の慰めが今は一番堪えるだろう」
「ワルド……聞いてもいいかしら」
勝者の余裕を滲ませて、一人満足げに頷いていたワルドに。
俯いたままルイズは口を開く。
沈んでいた声が真剣味を帯びていた。
「『ガンダールヴ』って、なに?」
「痛てて、こんなのいつ振りだっての。つうかこれじゃ新しい服がいるな」
打った肩をさすってぼやきながら。
見た目はあちこちボロボロにされた垣根は部屋へと向かっていた。
だが、ワルドにやられたばかりだと言うのに、その声に落胆の色は微塵も感じられない。
「あいつはどうだったね。隊長さんは。いやあ、相棒も結構演技派だねえ」
「まぁ、それなりに出来るんじゃねえの。白兵戦もやれるメイジっつっても、あんな魔法じゃまるっきり能力無しでも何とかなる程度だったな」
ワルドも決闘とは言え模擬戦で殺傷力の高い呪文は選ばなかったようだが、垣根はそれをどこか残念そうに口にした。
「でもよお。相棒ならもっと上手くやれたろ? なんでわざわざ手抜いたりしたのよ」
「やっぱ剣とか武器っつうのは俺の趣味じゃねえ。そんなのに付き合って、本気なんざ出してやるかよ。それに上手くやりすぎてあれ以上目をつけられんのも面倒だろ。下のレベルに合わせてやんのは結構大変なんだぜ」
それどころか期待外れだと言いたげな口振りもその筈。
ワルドはあの場で垣根を試すつもりのようだったが。
実際にはその逆。
スクウェアクラスのメイジの方が『ガンダールヴ』の試金石にされていたのだ。
気のない垣根の言葉にデルフリンガーは派手に金具を打ち鳴らした。
拍手か何かのつもりらしい。
「かーっ、相棒ってば『風』のスクウェア相手に言うねえ! そんなのあいつが聞いたら次はもっと上の魔法が飛んできちまうよ」
「上等だっつうの。俺にやる気出させたいんなら、それくらいしてもらわねえとな。しかし『ガンダールヴ』もなぁ。こっちへの補助は無視するのが面倒なくらい良く出来てやがる。上手くやりゃあ使えんだろうけど。そこまで魅力的でもねえし、やっぱあちこち――ッ」
ふと。
そこで垣根の足が止まる。
突然咳き込んだ垣根は廊下脇の地面に唾を吐いた。
顔を顰めた視線の先の土は、滲んだ血で汚れていた。
「で、さっきのついでだけど……相棒なんか内緒にしてんだろ。俺にもだんまりって事ぁ…ないよね?」
空気はあんまり読まないが、気配は読めるインテリジェンスソード。
デルフリンガーはほんの少し様子を窺っていたが、背中から声をかける。
「考えてやってもいいけど。お前も口が軽そうだしな」
唇を拭った指を睨み。
垣根は中庭から棟の客室へ繋がる扉を押した。
頼むぜ相棒、といつもより声を落としたデルフリンガーの哀願に続いて扉が閉まると。
後はすっかり、静かな早朝の気配に包まれていた。
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がんばれワルド、負けるなワルド。
大丈夫だフラグはまだ立ってやしないぞ
マイペのセリフなくなってずいぶんたっちゃったなあ