カーテンから差し込んでいる光が眩しかった。
よく知っているそれより目を刺す明るさに、寝ていた垣根は首を傾げる。
「昨日……閉めずに寝たんだっけか?」
ぼんやりと目を開けてそう呟いてから垣根は頭を起こした。そして映った室内の様子の違いに一瞬目を見開く。
見覚えの無い家具、おまけに天蓋付きのベッドなんてメルヘン趣味はない。
まだ働きの鈍い頭を巡らせると、昨日の『非常識』な出来事が次々と思い起こされる。
「あー、そうだ。そうだな。そうでした。煩いガキの使い魔になったんだったな」
重い瞼を二、三度上下させた垣根は目の前の有様に眉を顰めた。
苦々しい表情で上半身を起こそうとして、更なる違和感に気付く。
「おい」
その元凶に一声掛けても当然ながら無反応だった。
広いベッドに横たわる当のご主人様、ルイズはぐっすり眠っていた。
垣根のすぐ横で、垣根の服の端を掴んだまま。
「……朝からめんどくせえ」
起き抜けの不機嫌さも露わに垣根は煩わしげに髪を掻いた。
確かに昨夜は同じベッドを使った。
それはいい。
隣で寝ているのも当然だ、仕方ない。
だが。目覚めてみればあちらから腕の間に割り込むようにして寄って来ていると言うのは明らかな越境行為だ。
垣根のパーソナルスペースをこれでもかと侵害している。
わかりやすく言えば『目を覚ましたら美少女がひっついて腕枕で寝てる』と言うシチュエーションを前にして、垣根のテンションは朝から急激に降下中だった。
そんな事とは知らず、まだ夢の中のルイズはおよそお嬢様らしからぬ笑い声をもらすと、垣根のベストに顔を寄せた。寝ぼけているのか口はだらしなく半開きで実に呑気な笑みが浮かんでいる。
それにますます顔を顰めると垣根は舌打ちした。
起き上がり、枕にされていた腕を乱暴にどけるとルイズはころんと仰向けに転がる。
しかし、しつこい手のひらはまだ服を握りしめていた。
「このクソボケ。離せ、っての」
垣根が肩を掴んで引き剥がそうとした所で、不意にルイズが目を開けた。ぼんやりとした目で垣根を見上げると首を傾げて、
「なななななにしてんの! わた、わたしのベッドであんた、ああ朝からなにしようとして――」
たちまち顔を真っ赤にすると慌てふためいた様子で叫んだ。
頭に響くような甲高い声を至近距離、大音量で出されて垣根はたまらず顔を逸らした。
「何寝ぼけてんだ。いいから離せよ」
「へ?」
ほら、と垣根が掴んで持ち上げてみせたルイズの腕はしっかりとベストを引っ張っている。
それを見たルイズはぱっと手を離すと、首を振って後ずさった。
「何よ、あんたがわたしのベッドで寝たりするからいけないんじゃない! おまけにすべすべのふわふわだし! 何よそれ!!」
「ったく、汚したりしてねえだろうな」
ルイズはまだ赤い顔で何やら騒いでいたが、垣根はそんな事は気にしていなかった。
立ち上がるとシャツを伸ばし、持ち上げ、あちこち眺めまわした。
着替えの当てはまだ無いのだ、当面はこの服で過ごさなくてはいけないだろう。そちらの無事を確かめる方が大事だ。
見ればシャツもベストも目立って汚れた様子はなかった。
昨夜、椅子の背に掛けておいたジャケットも水洗いで済む素材だったから、いずれ汚れても洗濯すればいい事だ。
それも垣根が『
未元物質』で身を守っている都合上、衣服も汚れにくいしそう傷みもしない。例外であるルイズが、昨日のように手酷く吹き飛ばすような真似をしなければ、の話だがそこまでの心配も垣根はしていない。
どちらかと言うと、やっぱり服は気持ちよく着たい。そんな単純な、気分の方の問題だった。
「そう言えば、この部屋って水道ねえのか?」
改めて室内を見回していた垣根はそう尋ねた。
それに対してルイズは部屋の隅に置かれたバケツと甕を指差す。
「何だよ」
「汲んできて」
当然、と言わんばかりにルイズはそう答えるとまだ眠たそうに目を擦った。
「誰が」
「あんた。使い魔なんだからそれくらいしなさいよ」
朝が弱いのか、だるそうにそんな事を言ってのけるゴシュジンサマに、ツカイマは心底見下したような冷たい目を向ける。
「昨日も言ったけどな。俺は使い魔になる事は一応認めたが、お前のお守まで引き受けたつもりはねえよ。それとも使い魔の仕事には身の回りの世話まで入ってんのか」
不愉快そうに返す垣根の視線は鋭い。
よく知る者なら肝を冷やすようなものだが、呑気に欠伸をするルイズは垣根の方に目も向けていなかった。
「使い魔って言うのは主人の為になる事をするの~ほら、服」
「寝言は寝てから言え、って言いたい所だが。お前まだ起きてすらいねえだろ」
調子を崩されて、短く溜め息を吐くと垣根は昨日のまま放って置かれていたルイズの制服を放り投げる。
しかし、ルイズはそれを受け取る素振りすら見せなかった。
「あんたは知らないだろうけどね。貴族は下僕が居る時には自分で服なんて着ないのよ」
まだネグリジェ姿のルイズは尊大に胸を張った。
無い胸を、と言う言葉の代わりに垣根は聞き捨てならない一言に噛み付いた。
「今のは俺に対してか? 随分愉快な呼び方だなコラ」
口調こそ呑気だが、その声は真逆の態度を示していた。
「……テイトク」
「ああ?」
「服、着せなさい」
呼びなおしたルイズの顔は今のですっかり目覚めたらしいが、ちょっと強張っていた。
主人としてか貴族としてか、使い魔相手に謙るのはプライドが許さないのだろうが、下手に垣根を怒らせる事もしたくないらしい。
脅えた猫かなにかのように垣根の次の一言を、行動を窺うような目を向けている。
「お人形遊びする趣味はねえ。そんな事より俺の着替えも用意しろ」
「何でよ」
ルイズの問いかけに、垣根はにやりと笑った。
疑問で返すのではなく、断ずるべきだった。何故か自信に満ちた表情は、口を開く理由を与えた事を後悔するような、見る者をそんな気分にさせる笑顔だ。
「お、じゃあ公爵家ご息女にあらせられるルイズ様は使い魔の身なりも整えてやらない主人だって思われてもいい訳だな? 生憎今はこれしか着るもんがねえんだ。俺が何日も着たきりでもお前は構わねえって事だよな」
先程までの機嫌の悪さから一転、今にも手を打ちそうな垣根の発した言葉に、ルイズは口元をへの字に曲げる。
「……しょうがないわね。まだ時間もあるし、言っておくわ。取りあえず、使用人の着替えでもいいでしょ」
ルイズは流石に思う所があったのか、少しだけ考えると首を縦に振った。
「ついでに水も汲ませて、お前の着替えも済ましてもらえよ」
垣根帝督の常識に自分以外の誰かにあえて何かをしてやる、と言う項目はない。
超能力者、そして暗部のリーダーと言うポジションに居た経験は。他人は上手く使うもの、と言う認識を育んでいた。
呼びつけられた使用人が運んで来たのは、使用人のものだろう数種類の衣服だった。
あれこれ着込んでも面倒なので、垣根はその中から適当にシャツとズボンだけ選び取って身に着ける。
ルイズはと言うと、ベッドの隣で黒髪のメイドに服を着せ替えられていた。
垣根に言う事を聞かせられなかった事が不満なのか、逆に自分が要求を飲む羽目になって面白くないのか少しむくれた顔をしている。
「あんたね、ちゃんとした格好しなさいよ」
「してんだろ。俺の国じゃこれが普通なんだよ」
垣根は適当にそう言ったが。ルイズが顔を顰めた通り、シャツのボタンはきちんと留められていないし裾もだらしなく出ていた。
「それに白のシャツにチャコールグレーのズボンだけって……地味すぎない? なんか男子の制服みたいだし」
そしてそうルイズが指摘したとおり、今の垣根の服装は『日本の一般的な男子高校生の夏服』にも見えそうな印象だった。
勿論、現代日本ではまず見ないような前時代的なデザインや造りがあちこちに施されていたが。
「俺にはマントなんてねえし形が全然違うだろ。使用人の作業用って言ってもまともな服がまるでねえのが悪い。それともさっきのヤツの『白タイツに短いニッカボッカ』みたいな格好俺にしろって?」
「にっか、何? いや、まるっきり使用人に間違われそうな格好も嫌だけど……あんたはわたしの使い魔なんだし」
自分で言っておいて心底嫌そうな顔をする垣根だった。ルイズは何だか釈然としないらしい。
そんな事を話しながら支度も終えて部屋を出ると、廊下に並んだドアの一つがタイミングよく開いた。
そこから現れた影に、ルイズは露骨に顔を顰める。
女子にしては高い身長、肉感的なシルエット、そして派手な赤い髪が印象的な少女だった。
「おはよう。ルイズ」
「おはよう。キュルケ」
片や愉快そうに。
片や不愉快そうに。
対照的な容姿の二人は、それぞれ正反対の態度で挨拶を交わす。
「あなたの使い魔ってそれ? ほんとに人間なのね。すごいじゃない!」
可笑しそうに笑いながらキュルケは垣根を眺めた。
顔を寄せて、値踏むように遠慮の無い視線を浴びせてくる。
「ふーん。なかなかいい男じゃない。ねえ、あなた情熱はご存知?」
「は? 何寝惚けてんだテメェ」
誘うような視線に垣根が感じたのは、お世辞にも好意なんてプラスのものではなく苛立ちだった。
馴れ馴れしい言動に浮ついた態度、どこか他人を小馬鹿にしたような振る舞いが癪に障る。
それは垣根にとって砕けた態度、などと言う親しみのあるものには取れなかった。
睨む垣根にもキュルケはあらつれないのね、何て呟くとルイズを振り返った。
「『サモン・サーヴァント』で平民喚んじゃうなんて、あなたらしいわ。さすがは『ゼロ』のルイズ」
「うるさいわね」
「あら、あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、勿論一発で成功よ」
「あっそ」
「どうせ使い魔にするなら、こう言うのがいいわよねぇ~。フレイムー」
勝ち誇ったような声に合わせて現れたのは巨大な赤い爬虫類だった。
「これって、サラマンダー?」
虎程はありそうな大きなそれは、名前の割にはトカゲに似ていた。
その口元から覗く炎に似た赤い髪をかき上げながら、キュルケは使い魔に目をやると嬉しそうに目を細める。
「そうよー。火トカゲよー。見て? この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? ブランドものよー……あら?」
「ふぅん。そりゃあよかったわね」
ルイズの方を見ながら、わざとらしく自慢していたキュルケは不思議そうに首を傾げた。
期待を裏切られた――普段なら悔しがったり、怒鳴り返してくるルイズが大人しいと言うかちっとも堪えていない――そんな顔をしていた。
「何、どうしたの? ルイズ、あなたいつもらしくないじゃない」
「別にー? ちょっと仕度に時間かかっちゃったから急いでるのよね。テイトク、行くわよ」
「何だ大人しいなコイツ」
道端の犬を触るようにサラマンダーの鼻先をつついていた垣根は、二人のやり取りにまるで興味を示していなかった。
「まあね。私が命令しない限り襲ったりしないから大丈夫よ」
「ふーん。命じりゃ人も襲うのか」
燃え盛る炎の尾をじろじろと見る垣根はキュルケにはもう目もくれなかった。
「じゃあ、わたしはお先に失礼するわ」
「え、ええ。またねルイズ」
ルイズは何故か得意げに胸を張って歩き出した。
渋々、と言った様子で垣根が続き。
すっかり当ての外れたキュルケはぽかんとした表情を浮かべておかしな雰囲気の主従を見送った。
「ああ言うのが普通の使い魔か」
「鳥とか動物の方がもっと普通ね。メイジを見るには使い魔を見ろ、って言うくらい主人の実力を示すのよ。悔しいけど、サラマンダーみたいな幻獣はそういないわ」
螺旋階段の前で垣根はもう一度後ろを振り返った。
「あんなメルヘンなバケモンが他にも居るって事かよ。そりゃスゲェが……俺ほどじゃねえな」
「……幻獣と張り合うのもどうなのよ。まあ、あのツェルプストーに靡かなかったのはエライわ。御主人様の魅力がちゃんとわかってるのね」
幻想的な見た目だけなら、充分に張り合えそうな使い魔を連れた主人はズレた事を口にして何故か得意げに頷いた。
「そう言えば、『ゼロ』って何だ。お前の魔法を示したコードか何かか?」
「ただのあだ名みたいなものよ。大体は得意な魔法の系統によるわね。さっきのあの女は『微熱』、そのまんま『火』系統のメイジよ」
何となく、面白くなさそうに答えるルイズだが、垣根はふと眉を寄せた。
「ゼロ、ゼロか……お前、今の所系統魔法とやらの分類に当てはまらねえっつったよな」
ルイズが魔法をまともに使えない、と言う話は昨日聞かされていた。
魔法を使う時は失敗しても何も起きないのが普通らしいのだが、ルイズの場合はその逆。
どんな魔法を使ってもあの爆発以外起きないと言うのだ。
科学の最先端、学園都市の生んだ能力の中でも指折りの『未元物質』を吹き飛ばす破格の性能だが、ここでは本来起こすべき結果から外れすぎている為に失敗扱いされているらしい。
魔法についてはわからない事だらけだが、そんな『最弱』に自分の能力がどうこうされるとは、垣根には到底思えなかった。
魔法、その中でも一際不可解な未知の能力に好奇心が刺激される。
(あっちだったら、そう言うタイプはむしろ評価が上がるもんだけどな)
ある女子校などは、イレギュラーで珍しい能力者を開発研究する事に賭けているような所だと聞いている。
そんな環境だったら、ルイズはモテモテだっただろう。
主に研究者や開発官、場合によってはちょっと表に出せないような機関からだが。
「何よ。失敗ばっか魔法の成功率ゼロのわたしにはお似合いだって言いたいの?」
「いや。逆だ。零ってのは数えるべきものが一つもねえってだけじゃねえ。基点って意味もある。足せる系統もゼロ、スタートってのは言い得て妙だろ。……後、何か引っ掛かるんだよな」
垣根は馬鹿にするのではなく感心したように返してから呟くと、どこか居心地悪そうに首を鳴らした。
わからない、と言った顔で後ろを仰ぐルイズを余所に、垣根は思索に耽るように薄く瞼を伏せた。
* * *
学院の生徒が一同に介した食堂はいつもながら騒がしかった。
それを何だか物珍しそうに眺める垣根に、周囲とそう浮いたところはなかった。
服を着替えた事もあるだろうが、後はタイとマントがあれば生徒に、貴族の中に混じっていても意外に馴染むのではないか、なんて思ってしまう程度には。
貴族のもつ気品とは違うが、垣根には平民では有り得ない堂々とした自信と風格が感じられる。
ルイズはそんな風に使い魔の外見を評した。
豪華に飾りつけられた食堂には百人は優に座れる長いテーブルが並ぶ。
二年生に無事進級したルイズも真ん中のテーブルに着くことになる。
その内一つの席の前でルイズは腕を組んで立ち止まった。
首を傾げて、垣根に椅子を引くよう促す。
レディに対する礼儀はあるのか、垣根は意外とあっさりルイズの前の椅子を引いた。
「女ってみんなこう言うのさせたがるものなのか? いや、お前は貴族だったな」
不思議そうに洩らす垣根は隣の椅子に手を伸ばしかけてふと止めた。
続いて見渡した長いテーブルは当然ながらどこも生徒でぎっしり埋まっている。
「この席って最初から決まってんの?」
見知らぬ誰かの席が埋まる事でも考えているのか、食堂の作法が分からないのか、垣根は再び近くの席を見比べていた。
「あー……そうね。使い魔の席はないから、あんたは――」
「飯の場所が違うとかそう言うの、最初から言えよ。腹減ってるし、別にここでも構わねえっつってんならその辺で食うけど」
手近な皿を勝手に取って適当に料理を載せると、垣根はどかりと床の上に座った。
ルイズはそれを目を丸くして見ていた。
その聞き分けの良さに、ではなくためらいなく腰を下ろした事にだ。
「床で、いいの?」
「別に。場合によりゃあ外で食ったりする事もあるだろ。それに比べりゃ掃除もされてるしマシじゃねえのか」
なんて、当たり前のように言うと垣根は眉を上げてルイズを見返した。
席に着いた時になってこの食堂に貴族以外の席が無い事を思い出したルイズの頭には、当然のように椅子に掛けようとする垣根との言い合いが浮かんでいた。
昨日だって床でとは言っていないが、ベッド以外で寝ないと言っていたのもある。
だから、てっきり文句の一つも上がると思っていたのだが。
プライドが高いのかと思えば、妙な所でこだわりがないのか。
予想が外れてルイズは何だか呆気に取られてしまった。
勝手に貴族の料理を、と怒るタイミングはおかげで無くしてしまったが。
始祖と女王への祈りを終えてからルイズは垣根の様子を窺った。
手を合わせて何やら呟くと、垣根も大人しく食べ始める。食事のマナーも、意外にもきちんとしているらしい。
切り分けた肉を口に運んで飲み込むと、ふと垣根は皿を見つめた。
「これって、どうしてんだ」
「お肉がどうかしたの? ああ、余りの美味しさにびっくりしたのね」
まるで自分の事のように、ルイズは機嫌よく頷いた。
平民とは言え、トリステインでも優秀な料理人が腕を振るった料理だ。王都の店にも劣らない美味は、そうそう口に出来るようなものではない。
しかし、垣根は首を振ると食器を手にした腕を止める。
「そうじゃねえ。料理する前、更にその前の素材の話だ」
「そんなの、収穫したのを運んで来るんじゃないの? わたしだってそれくらい知ってるわよ」
ルイズも実際目にした訳ではないが、貴族の通うこの学院ではきちんとした出入りの業者が定期的に来ている筈だった。
「へえ、やっぱ畑とかあんのか。表に」
「ここにだって畑くらいあるわよ。あんたの所は違うの?」
まるでそうじゃない事がある、と言いたげな態度にルイズは首を傾げた。
「『外』は未だにそうやってる所も多いだろうが、俺の居た街はビルの中で肉も野菜も生産から加工まで全部やってたな。水、栄養管理もオートメーション。空気も滅菌処理済み、衛生管理もしっかりしてた筈だ」
「よくわかんないわ」
鶏の付け合せの温野菜を齧りながら、生の葉物野菜をフォークで皿の端に寄せて、垣根は少し眉を寄せた。
「多分、こっちだと大半が手作業だろ? 作るのも食うのもある意味スゲーよ。感覚の違いだな。食わせてもらって文句は言わねえけど……あー、けど水が合わねえとかは有り得んのか?」
しみじみとよくわからない話をした後で、何故か垣根はテーブルに置かれた水とワインを不審そうに見比べていた。
ルイズは垣根の世界の話にまた少し興味を持った。
結局何を言いたかったのかはよくわからなかったが、食事事情は少しばかり違うらしい。
「ん。何かそこ皿が置いてあるな」
少しして。
突然の垣根の言葉にルイズは飲んでいた水を吹き出しかけた。
垣根は座ったすぐ横、床の上に置かれた皿を見つけたらしい。
慌ててルイズの引っ張り出した記憶が確かなら、多分、テーブルに並んだ食事よりは乏しいものがそこには乗っている筈だ。
ルイズは使用人が普段何を食べているか、なんて知らないしそもそも厨房にも『使い魔用』に簡単な食事を用意してくれとしか言っていない。
(すっかり忘れてたわ。って言うかなんでそこに? ああ、使い魔が人間なんて誰も思わないわよね)
ルイズはそんな風に、一人で勝手に疑問を解消していたが、問題はちっとも片付いていない。
さて、使い魔用の食事、もといエサを見つけたこの『使い魔』はどうするでしょう。
そんな疑問が新たに浮かび、嫌な予感がルイズの背中を這い上がる。
「……ここお前の席だよな」
ルイズと皿を交互に眺めて、垣根は念を押すように尋ねた。
その顔がまっすぐ見れない。
召喚してから今まで、何度も向けられた鋭い視線は――あの恐ろしいお母さまには負けるが――ルイズにしてみれば充分に怖いものだった。
主人として、屈してはいけないと思うけれど、怖いものは怖い。
「いや、あのね?」
そう言ったもののとっさに返す言葉が見つからず、みるみる青くなるルイズを余所に、垣根は唐突に笑い出した。
「何、お前どんだけ使い魔持つのをハシャいでたんだよ。飯にまで連れて来ようってヤツは見る限りいないみたいだけどな」
垣根は近くのテーブルを見回してそんな事を言う。
流石に、食堂内に使い魔とは言え動物を連れてくるような生徒はいなかった。
「え、怒らないの?」
「ああ? ペットみたいなのが来ると思ってたんだろ? これがマジで俺用だって話だったら、お前今普通に続きが食えてると思うか?」
「そ、そんな訳ないじゃない」
勘違いをしたまま愉快そうに答える垣根に引きつった顔で即座に笑い返すと、ルイズは慌てて食事を再開した。
垣根には、みすぼらしい一皿が自分用かも知れないなんて発想がそもそも有り得なかったんだろう。
あながち外れてもいないが、ちょっと微笑ましい話みたいにされてしまった。
一難が浮かぶ前に去って。
ルイズは今、自分の幸運を心底始祖に感謝していた。
心の中でもう一度祈りの文句を唱える程に。
食事も何とか無事に終えて、授業に備える為にルイズは垣根を連れて教室に来ていた。
ルイズが少し重い気持ちで扉を開くと、半円状に並んだ席のあちこちから一斉に視線が向けられる。
階段状に続く席の間をルイズは背筋を伸ばして昇った。
ちらりと後ろを見ると、垣根は周囲などお構い無しと言った様子で生徒達の連れている使い魔を面白そうに眺めていた。
小さく聞こえる囁き声や笑い声を無視して席に着くと、ルイズはようやく一心地ついた。
その隣、通路の段差に腰を降ろした垣根は何故かにやにやしている。
主人の気も知らないで、と怒鳴りつけたいのを堪えてルイズは小さく息を吐く。
機嫌がいいのは構わない。
悪くて怖い目を向けられるよりはずっといい。
でも妙な様子で近くに居られるのも何だか落ち着かなかった。
何やら浮き足立っている垣根に、ルイズは胡乱な目を向けた。
「……どうしたのよ」
「結構ごちゃごちゃ居るもんだな。動物園ってこんな感じなのか? まぁ、行った事ねーけど」
何それ、と聞くと沢山の動物を集めて檻に詰めて見世物にしているところだ、と教えてくれた。
どうやら、余り見たことのない生き物達にはしゃいでいるらしい。
(かわいい所あるじゃない。……それだけよね?)
何となく、その笑顔には裏があるような気がしてしまうのを押し込めながらルイズは垣根の横顔を眺めた。
「いや、マジでおかしな生き物が普通にいるってのは変な感じだな。で、お前の欲しかったドラゴンとかマンティコアはいねーの?」
「ああ。今年は確か、他のクラスだった生徒に風竜を使い魔にした子が居たって聞いたような……でもここには居ないでしょ。そんな大きな生き物は教室の中に入れないもの」
今のルイズにすれば、風竜や幻獣を召喚出来なかった事が悔しい、と言うより
普通の使い魔が何となく羨ましかった。
召喚してから早々、垣根の振る舞いに振り回されてばかりのルイズからすれば。掴みどころがなくて勝手な事ばかりする人間よりも、主人の言う事を聞くドラゴンの方がまだ扱いやすいんじゃないか、何て気にさえなる。
「それもそうか」
きょろきょろと辺りを見回していた垣根は、朝見たキュルケのサラマンダーが椅子の下に寝ているのを見つけたらしい。
寝息と共に洩れる火の粉をじっと見ていた。
(ドラゴンがここに居たらどうする気だったのよ)
何となく気になっても、いやに機嫌の良さそうな垣根に聞く気にはとてもならなかった。
藪を突いて蛇どころか火竜が出た、なんて事になったら洒落にならない。
垣根が尋ねる使い魔の種類を教えてやったりしているうちに、扉が開いて一人の女性が入ってきた。
二年生に進級して、初めて教わる事になったミセス・シュヴルーズは優しそうな中年の女性だった。
紫のローブを纏った教師は教室を見回すと、満足そうな笑みを見せる。
「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」
その顔が端から順に、自分の座る辺りまで向いた時ルイズは顔を曇らせた。
「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」
彼女がとぼけた調子でそんな事を言うと、教室中がどっと沸いた。
「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」
そんな罵倒の声にルイズは力なく首を振った。
この反応はわかりきっていたが、いつもいつも繰り返されるからかいも罵倒も、嫌な事には変わりない。
まあ、正確には垣根は
ただの平民ではないからそこまで腹も立たない。
ルイズの使い魔は確かにマントも杖もないし幻獣でもないが、その代わりに超能力とか言う魔法みたいなものが使えるなんて何だか変な、実はすごいらしい人間なのだ。
それを聞いていたし、実際目の当たりにしていたから朝のキュルケの自慢話もそんなに堪えなかった。
ただ、言う事はちっとも聞いてくれないし、召喚して間もないのにトラブルの連続。はらはらし通しで心労が嵩む。
「違うわ。きちんと召喚したもの」
「嘘つくな! 『サモン・サーヴァント』ができなかったんだろう?」
やる気のないルイズに、太ったクラスメイトのマリコルヌがそう煽ると教室中が笑いに包まれた。
ルイズは横目に当の使い魔を窺ったが、興味が無さそうにぼんやり前を見ていた。
その様子では、学院長室のような惨事はひとまず起きずに済みそうだった。
「何だ、反論も出来ないのか? さすがゼロのルイズだな。使い魔の召喚もまともに――」
突然、マリコルヌのおしゃべりが止まった。
ついでに教室のくすくす笑いもぴたりと止む。
シュヴルーズが杖を振った途端現れた赤土の粘土に、マリコルヌを始めとした生徒達の口は物理的に塞がれていた。
「お友達を侮辱してはいけません。あなたたちはその格好で授業を受けなさい。ミス・ヴァリエール、顔をお上げなさい。気に病む必要はありませんよ」
「……はい。ありがとうございます」
親切な教師には下を向いていた事で要らぬ勘違いをさせたらしいが、ルイズはいつもの悪口もそんな事も、もう気にしていなかった。
ミセス・シュヴルーズが杖を振った瞬間、垣根が心底楽しそうに笑ったのをしっかりと見てしまったからだ。
(学院長先生のときもそうだけど。なんで、こいつこんな怖い顔で笑うのよ)
黙っていれば端正な顔に浮かぶ、研いだ刃物のような凶相。なんてものは割り増しどころか倍以上の恐ろしさだ。
黙っていても怖すぎる家族と同じものを感じるのは、そんな理由もあるのかもしれない。
あの人は、怒っていますなんて素振りも表情も一切表に出さなくても容赦なくオシオキをしてくるからルイズは尚怖いのだけど。
(あ~! 思い出したら鳥肌立っちゃったじゃない!)
ぶる、と震える肩を抱いてルイズは頭を振った。
「では、授業を始めますよ」
朗らかな教師の言葉に姿勢を正した垣根の横で、ルイズはこめかみを押さえた。
なんだかとても御しきれそうに無い使い魔に対して、湧き上がる不安感は拭いようもなく膨れていくばかりだった。
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