垣根は膝の上で頬杖を突きながら、にこやかに授業を進める教師の話を聞いていた。
系統魔法の四つの系統と『虚無』。
それら五つの系統がこの世界の魔法の基本中の基本。
その内の一つ、『土』系統についての講義を聞きながら同時に考えるのは昨日、ルイズに聞いた魔法についての話だった。
「四つの系統魔法、な。まんまゲームか何かみてーだな」
何それ、と首を傾げるルイズは無視。
関係のない言葉や物事まで一々触れていては時間が幾らあっても足りない。
ルイズによると魔法には『風』、『火』、『水』、『土』とそれぞれ異なった属性があり、それらはメイジの技量によって複数を合わせて使う事も出来るらしい。
あちら、現代日本でもオハナシで聞くような四元素思想はあるようだが、いかんせんそれも前時代的過ぎる。
科学と言うよりファンタジー。
それを大真面目に技術を語る思想の根幹に据えていると言うのなら、それこそ中世の錬金術のレベルだと感じた。
聞けば、実際にそんな魔法もあるらしかった。
『錬金』。
たとえば泥を金属に、水を油に。魔法を用いれば物質の組成に関わらず変質させる事が可能らしい。
水を葡萄酒に換えられるかは別としても。その名のままに金すら造る事が出来るなんて奇跡めいた話は、能力者の垣根ですらすごいなんて次元は通り越していっそ馬鹿馬鹿しいと感じるものだった。
学園都市と『外』も格差はあるが、それ以上に技術の発達や思想に開きがあるらしいこの国では、原子と言う概念も端から無いのだろうと垣根は推察した。
それならメイジ、と言う生き物は存在すら知らない原子核を感覚で弄くり、結果原子変換を無意識に起こす事も容易だと言うのだろうか。
物質の変化と聞いて垣根の頭に浮かぶのはそんな所だが、それも簡単な話ではない。
化学的に行おうとすれば変換の際に必要とされる、そして後に残る過剰なエネルギーなどは一切無視して。
核融合や核分裂で生じるリスクすら一片も無しに。大掛かりな設備が無くては不可能な事だと夢にも思わず、気軽に杖を振るのか。
恐ろしいのは彼等の無知ではない。
そんな事を可能にする無茶苦茶な『魔法』と言う未知の技術の方だ。
「いや、お前らも大概だな」
呆れて息を吐くと垣根帝督は笑った。
傍から見ればそれは実に愉快そうに映っただろう。目の奥にぎらついた光を覗かせている以外は。
「この俺の、常識が通用しねえなんてよ」
そう口元を歪めれば、ルイズは何とも不思議そうな顔をしていたのを垣根は思い返していた。
教師の話の合間、垣根は席に掛けるルイズを見上げると話しかける。
「なあ、『虚無』ってなんだ」
昨日、垣根が聞いた中でも特に興味を引かれたのは学園都市の能力でも似たものの少なそうな『土』系統だったが、『虚無』なんてものの話はほとんどなかったように思う。
「始祖が使ったとされる系統。どんな魔法だったかなんて誰も知らないわ。始祖ブリミル自身についてもあんまりわかってないわね」
そっけないルイズの答えに垣根は首を傾げる。
始祖ブリミル。
遥か昔に実在した、この国で讃えられ信仰の対象にまで祀り上げられている偉大なメイジであるらしいその人物の名前は昨日もルイズの話に挙がっていた。
それに対して垣根は漠然と宗教上の偉人、聖人のようなイメージを持っていた。
だから、その手の話題に詳しくも無い垣根でも何となく聞いたことはあるような。ごくごくメジャーな存在を重ねて考えていたのだが、どうも少し違うらしい。
「信仰の対象になるような偉人の起こした奇跡がどんなもんか、残ってねえのか? そう言うのって弟子や宗教団体なんかが手を加えた尤もらしい逸話が山ほどあるもんなんじゃねえの。それじゃあ、影も形もねえお前等の神様の尊さはどこの誰が証明してくれるんだ?」
曰く、病める者の傷を癒した。
曰く、死して後に息を吹き返した。
そんな風に馬鹿馬鹿しい程の『奇跡』の話もほとんどないのだろうか。
宗教に限らず、権威付けも兼ねて誇張され大袈裟に脚色されたエピソードなんてありふれたもので、特に過去の偉大な人物、なんて存在には尾鰭の幾つもついているものだと垣根は思っていた。
元々が信仰どころか宗教にも縁遠く、イベント行事の元ネタくらいにしか思っていない上、現代日本の若者感覚以上にそんな夢や希望、
救いには興味がない。
そんな能力者の言葉に魔法使いは盛大に眉を顰めた。
「あんた何言ってんの? 不敬にも程があるわよ。始祖の御業をわたし達が今も受け継いでいるわ。それ以上の理由がある?」
「まぁ、お前は違うみたいだけどな」
そう、何気なく返した垣根はまた何かが引っ掛かったような気がした。
それに気を向けようとした時、『土』魔法の素晴らしさを長々と語っていた教師が一段と声を張り上げた。
「今から皆さんには『土』系統魔法の基本である『錬金』の魔法を覚えてもらいます。一年生の時にできるようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう一度、おさらいする事に致します」
そう言って、シュヴルーズは杖を机の上に乗った石に向かって振り上げ、短くルーンを唱えた。
石が輝く金属に変わると、身を乗り出したキュルケがゴールドかと気色ばんだ。
それに、自分はトライアングルだから金の『錬金』は出来ない、とシュヴルーズが謙遜する。
そんな一連のやり取りを眺めていた垣根はわずかに眉を顰めた。
「……あれ本当に一番低いレベルから使える魔法なのかよ」
「レベルが上がると作れるものの種類も変わるのよ」
そう付け加えるルイズのどこか得意そうな様子に、垣根は何だか興が醒めてしまった。
「それもちょっと呪文唱えりゃオーケーのお手軽さ、ナメてやがるな。既存の物質の法則をそんな簡単に捻じ曲げられてたまるかよ」
能力によって似たような事を可能とする垣根だが、それをあっさりと目の前でやられるのはそれなりに衝撃だった。
「ミス・ヴァリエール、聞いていますか?」
「は、はいっ? なんですかミセス・シュヴルーズ!」
垣根はそんな事を話していて気付かなかったが、ミセス・シュヴルーズがルイズを呼んでいたらしい。
慌てて背筋を伸ばすルイズに、教師はにっこり笑って繰り返した。
「ミス・ヴァリエール、前に出てやってごらんなさい」
その瞬間、教室中は一斉に凍りついたが、垣根は一人ほくそ笑んでいた。
さて。
生徒が机の下に、教室の端に、それぞれ避難したのをいい事に、垣根は前の方に移動して石と対峙するルイズを眺めていた。
むっすりした顔をしているルイズに応援の言葉など掛けない。代わりににやにやと笑みを送る。
眉をつり上げたルイズは何か言おうとして、ぐっと堪えて止めた。
意を決したように目を瞑ったルイズはルーンを唱え始めると杖を翳した。
(よし)
笑みを深め、垣根は周囲の『
未元物質』の反応を探る。
石の周りに滞空させていた微粒子状の『未元物質』の手応えが、急に消失する。
そこを中心に、波が広がるように次々と。
一瞬にも満たない僅かな時間で、垣根の広げた『未元物質』の探査網はごっそりと抜け落ちたようになくなっていた。
ほどなくしてルイズの魔法が発動し、爆発が起きる。
教室が悲鳴に包まれる。
爆風の煽りを食らい、正面にいたルイズは床に尻餅をついた。
その後ろではよろめいたシュヴルーズが黒板に背中を預けている。
机は黒く汚れ、上に合った筈の石は跡形も無くなっていた。
しかし、被害もその程度だった。
あくまで目に見える範囲では。
例えば、クジラやコウモリのような生き物は自ら発した音波の干渉を観測する事で自身の周囲の環境を視覚に頼る事無く精密に把握する事が出来る。
それと同様の事は何も生まれ持った特殊な器官や専用の機械に頼らずとも、垣根のような能力者にも可能だった。
熱量、電磁波など自身の能力で観測し得る特定のエネルギーを使って工夫すればエコロケーションの再現くらいは
強能力者以上なら容易いだろう。
それこそ、『周囲のベクトルを緻密に感知する事の出来る能力者』などはソナーの真似事くらい朝飯前にやってのける筈だった。
垣根は今回、丁度磁石の周りに砂鉄を振りまいて磁力線を可視化するように。対象物の周囲を微細な『未元物質』で幾層にも覆う事で、その中で起きる現象を観察しようと思っていた。
それも最初から、ルイズの『爆発』が目当てだ。『錬金』が成功するなんて欠片も期待していない。
そんな風に垣根の思惑通りに進んだ魔法の実践だが、結果はこれまた予想の枠を出ないものだった。
(結構な量を仕込んだつもりだったが、大分やられたな。石を対象にした呪文に巻き込まれてこれだ。しかも干渉されたのは反応を確かめる間もなく持っていかれてる。やっぱりこの爆発を観測するのには骨が折れそうだな。消し飛ばされた、ってのとは違うと思うんだが……どうにも掴めねえ)
より思索を深めようにも、精密な作業に思いのほか神経を使ったのか思考が僅かに鈍っている。
そんな事を考えながら垣根は阿鼻叫喚の室内を無視して教室の前へと足を進めた。
* * *
「先生、大丈夫ですか」
爆発の被害に巻き起こる粉塵と混乱。
文句を口々に叫ぶ生徒達の大騒ぎの合間。
背後で聞こえた柔らかい声音に、ルイズの背筋は何故かぞわりと粟立った。
立ち上がって恐る恐る振り返ると、それはそれは柔和な笑みを浮かべた垣根がミセス・シュヴルーズに手を貸している所が目に入る。
「は?」
ずるりとルイズの肩から力が抜けた。
ルイズにしてみれば、それは教室の被害よりも余程凄まじい惨状だった。
思わず瞬きを繰り返して二度三度と見直しても変わりがない。
どこの貴族の子息か、と言うほどに好青年然とした垣根の振る舞いは知り合って昨日今日程度しか知らないルイズから見てもおかしかった。
あちこち汚れているだろう、自分の格好に気を使う余裕は今のルイズにはなかった。
(え、えええええ。あいつ人に頭下げられるのね)
どこか他人を見下したような態度を取り、生意気で常に偉そう。
そんな使い魔の新たな一面に、ルイズは妙なところで感心した、と言うか驚いてしまった。
申し訳無さそうな表情、なんてものを一端に浮かべながら垣根はミセス・シュヴルーズに再び頭を下げると、ふと指を揃えてルイズを示した。
(なに、話してんのかしら……)
距離はそう遠く無いのに向けられる生徒達の雑言に邪魔されて、よく聞こえない。
中身がこの『失敗』絡みなのは間違いない。
そもそもこの状況の原因なのだから、ルイズだってきちんと謝らなくてはいけない。
そう。ルイズはまたしても無様に『失敗』したのだ。
自覚すると途端に膨れ上がる嫌な気持ちに背を向けて。
何とも複雑な気分でルイズはそちらに足を向けた。
その時。
教室の扉が開いて現れたのは、何故か大慌てのコルベールだった。
「教室で騒ぎがあったと聞いたのですが……」
ぜいぜいと息を吐くコルベールのローブは乱れていたが、汗の浮いた額には髪は一筋も貼り付いてなどいない。
それだけ何とか口にすると、コルベールは垣根に肩を借りているシュヴルーズを見て、続いて教室の中に目を向ける。
ルイズの爆発だけでなく驚いた使い魔達の起こした二次災害で室内は荒れていた。
乱れた机、割れたガラス、あちこちに煤のような汚れが散っている。
そんな中黒板の前から向きを変え、惨状に顔を顰めるコルベールの前まで進み出るとルイズは重々しく息を吐いた。
「申し訳ありません。ミスタ・コルベール、わたしが『錬金』の呪文を失敗したんです」
下げた頭で床を見つめたままルイズは唇を噛んだ。
ルイズが『失敗』する事は入学してすぐ広まり、それ以来教師も実演の際にルイズを指名する事がほとんど無くなった。
『サモン・サーヴァント』を成功させ、少しは自信がついたつもりでいたがやっぱり肝心の『系統魔法』は成功しなかった。
進級して間もなく、またしても『失敗』。
認めるのが、悔しくない筈がなかった。
「ミス・ヴァリエール、それは……」
「いや。ルイズ様はミセス・シュヴルーズの指示に従ったまでです。幸い大事にも至りませんでしたから、温情を頂けないでしょうか。ミスタ・コルベール?」
口篭るコルベールの言葉が遮られた。
ルイズがはっとして顔を上げると、垣根が隣に並んでいる。
慇懃無礼に馬鹿丁寧な弁明をした垣根の、貼り付けたようなにこやかな笑顔が歪んだ。
コルベールに向けられた目はすっかりいつものものに戻っている。
「……それは私の裁量ではないよ。ミスタ・カキネ」
渋い顔をしてコルベールは首を振った。
授業は中止。
生徒達もいなくなり、残された教室で一人、ルイズは黙々と片づけをしていた。
コルベールは大事が無いことを確かめると、学院長に伝える事があるといって早々に立ち去ってしまったし、垣根はミセス・シュヴルーズを念の為医務室に連れて行くといってルイズを置いていった。
騒ぎを聞きつけ様子を見に来た別の教師の話では後から使用人が片付けに来るらしいが、罰則がわりにそれまでは掃除をしておけと言いつけられた。
どうあれ、この状況を作り上げたのはルイズだ。
気は進まないがこんな事をしておいて逆らう理由もなかった。
それでも、掃除なんて進んでした事がないからどこからどう手をつけたものかまるでわからない。
ルイズは取りあえず前から順に机の上を拭いていた。
「おー、見事に片付いてねえな」
雑然とした教室の入り口でいやに明るい声が響く。
小馬鹿にしたようないつもの調子で、垣根は戻ってくるなりそんな事を口にする。
「遅かったわね。医務室から迷子になったのかと思ったわ」
悪態で返すルイズに垣根は肩を竦めてみせる。
「使い魔ってやつらしく主人の不始末に付き合ってやったんだろ。しっかし、あの教師も使えねえな。あいつ、面倒事こっちに吹っかけんなって言う言葉の裏も読み取れねーのか。少しは気を回しやがれっつっての」
何もしていないくせに不満そうに洩らす垣根は、さっきルイズが懸命に拭いた机の上を指でなぞって確かめるとその上に座った。
どうやら、と言うかルイズの予想通りだが。ルイズの様子をみても手伝うなんて気はないらしい。
「あんたがわざわざそんな事するとは思わなかったけどね」
「俺は一般人には親切なんだよ。しかし、『トライアングル』クラスって言うから期待したけど、大体本にあるようなもんばっかで目新しい話は聞けなかったな。教える側の人間としちゃあ別にいいのかも知れねーけど」
介抱は立て前だったのか。この使い魔、医務室でミセス・シュヴルーズに『土』系統の話を聞いてきたらしい。
やけに遅かったのもその所為か、と納得はしたがルイズはむくれた。
そんな事なら掃除を手伝ってくれてもいいんじゃない、と口にするかわりに一層乱暴に机を拭いた。
「……ミセス・シュヴルーズに失礼な真似しなかったでしょうね」
「ちゃんとその辺はわきまえてる。一応物教わろうって腹だしな」
今の態度ではとてもそんな風に思えなかったが、さっきのおかしな様子の垣根ならそんな事はないんだろうか、なんてルイズは考える。
(いつもあれくらいならいいのに。いや、よくない? うーん、あんな似合わない態度でいられたらちょっと気がもたないかも)
普段の垣根を知ってしまった後では、あまりのギャップの激しさで違和感のほうが大きかった。
(ちゃんとして、黙ってれば結構かっこいいのに……って何考えてるのわたしは!)
ルイズは、うっかり変な方向へシフトしかけた思考を追い払うように慌てて頭を振る。
「そう言やあ、お前も進級したって事は今日から新学期みたいなもんか?」
ルイズの挙動など気にした様子もなく、垣根はふとそんな事を聞いてきた。
「そうね、そうなるかしら。どうしたの急に」
「いや。たまたまだろうが、昨日――俺がこっちに来た日は学生共には長期休みの最後の日だったからな。ちょっと思いついただけだ。それも、俺には関係ねえんだけど。学校とかいかねえし」
「学校休んでたの? あんたって勝手なのは前からなのね。そう言うの、楽しい?」
「前から思ってたけど。お前って変に真面目で頭固くて友達いねえだろ」
「それならあんたは、自分勝手で怒りっぽいから友達なんていないでしょ」
「わざわざ自己紹介どうも」
「なんですって!」
もう何度目かわからない言い合いをしながら、ルイズは少し気分が軽くなっている事に気づいた。
垣根はルイズの『失敗』を馬鹿にしないばかりか、さっきは庇ってくれたようだったし。
今だって、手伝いはしないが待っていてくれるようだった。一応は。
そう考えると、沈んでいた気持ちもちょっとは楽になる。
「そう言えば、昨日はあんな事言ってた割に先生の『錬金』を見てもそんなに驚かなかったわね」
「いや、逆に何か冷めた。まんまファンタジーな世界でこっちの考えがそのまま通じると思ってた辺り、俺もまだ常識に捕らわれてんのかもな」
「こっちの考えって?」
目を丸くするルイズを見返すと。垣根は立ち上がって黒板の前に進んだ。
石墨を取ると、慣れた様子で円と線を幾つも書き始める。
「科学で何とか言おうとするなら『錬金』って魔法は単純な化学変化じゃなく物質の大元、原子をいじっていやがる、と俺は踏んでる。例えばあの教師が石から作って見せた真鍮ってのは、銅と亜鉛の合金だ。それをこっちのやり方で作ろうと思っても違う金属を溶かすか化合させてやるのが普通だ。それも原子……ものの素になる小さい粒の更に外側で電子の配置が少し変わってるだけで中の核も何も変わってる訳じゃねえ。後はそうだな。石みてえに素からまるで違う物に作り変えるって言うと……粒子線を使った原子核反応、なんてお前に言ってもわからねえだろうしな」
それはもう最初の部分からさっぱりだった。
ルイズが深く頷くと、垣根はどこから話せばいいんだ、と呟くと少し考えた。
咳払いを一つ。それからまるで授業を始める教師のようにルイズに向き直る。
「まず、物ってのは目には見えねえような小さい粒の集まりで出来てる」
丸、丸、丸。
黒板にぐりぐりと丸を描きながら、垣根は水を引き合いにだした。
例えば雨の一粒とグラスの中の水、湖の水はそれぞれまとまった大きさが違うが同じもので出来ている。
そんな風なまとまりが、目には見えない小さなレベルで延々と繰り返されているんだと言う。
「そのまとまりをバラしていくと、原子って言う特定の性質を持った粒が出てくる。その種類も沢山あってそれぞれの粒の組み合わせで木でも石でも金属でも、人間の体でも出来てる訳だ」
分かるか、と視線で問われてルイズは曖昧に頷いた。
何となくだが、世界は小さい粒で出来ている、と言う考えが垣根の世界にはあるらしい事はわかった気がしていた。
円を幾つか、周りに記号と矢印、それにいくつもの数字。
ルイズの見たこともない呪文のような物を次々書き加えながら、垣根は話し続ける。
「その原子に高いエネルギーをぶつけてやって核の内側の結びつきを強制的に別の物に並び替える。そうして原子の粒の種類から変えてやる。それが、科学の『錬金』ってとこか」
垣根は「水銀」と書かれた円の左に小さな丸と「高エネルギー陽子ビーム」と矢印を引いてから、右隣に似たような、少し違う円の集まりを書く。
「金」と書かれたその側にはちょこんと弾かれたような小さな丸と矢印で内側に向かう丸が幾つか加えられていた。
「仕組みだけなら単純だが、これを実際やろうとするとデカイ装置と莫大な金が掛かる。こうしてこっちのやり方で物を言うなら水銀から金を作るのだってかなりの手間だが、そっちの魔法でいくとわざわざ合金にするのも充分面倒じゃねえのか。それで何でレベルによる難度の違いがでるのか……『錬金』で不純物がどうしても混じるって話もあるなら問題は作るものの純度の方か? あとは核力の安定性によるか――」
「ちょ、ちょっと」
まだまだ続きそうな勢いの、難解すぎる話にルイズは首を振った。
慌てて声を掛けて遮ると、まだ何かガリガリと書いていた垣根は手を止めて振り返る。
「話の意味がぜんっぜんわからないんだけど。そのカガクって言うのは魔法の事も説明出来るの?」
「いや? 俺の知ってるこんな理屈並べた所でそれがお前らの魔法にそっくりそのまま通じるなんてあてはねえ。使えねえ尺度に変に拘ってても仕方ないだろうな。理屈はさておいて、ある程度そう言うもんだって飲んじまった方が楽なものもある。『未元物質』もそんな所だしな」
カツン! と音を立てて石墨を置くと垣根は仕方無さそうに息を吐いた。
「そんなもんが分からなくても、使えてりゃ問題ねえだろ」
(『錬金』とか魔法とか考えてみたけど結局、こいつにも何だかよくわかんないって事かしら)
なんて指摘したら怒られそうだったから、ルイズはその思いつきは口にしなかった。
* * *
「しかし、『錬金』ってのは初歩から使える魔法なんだよな」
自分で汚した黒板は一応拭きながら、垣根は背後のルイズにそう確認した。
垣根は、ルイズにさっきの話が理解出来たとは思っていない。
言葉の意味からわかっていない人間に雑な説明をした所で伝わるはずもない。
ルイズにとっての科学がそう言うものであるように、垣根にとっての魔法もそんな所だと思っている。
しかし、この世界の魔法については他にも気になって考えていた事が幾つかあった。
「『ドット』、レベル1って言ってもやれる事に幅もあるだろ、工夫次第でかなり使えると思うんだけどな。お前ら魔法を何だと捉えてんだ?」
垣根のような能力者や、研究者達のように進歩の為に研鑽を重ね改良を進める事が当然だと思っているタイプの目でみると、保守的過ぎるこの世界の魔法は不思議でならなかった。
決まりきった枠の中で、誰も彼もが疑いもせずただあるものだけを使っている。
垣根も魔法については少し本を読み、話を聞いた程度だがそんな印象を持っていた。
「何って、始祖から承った尊いものよ。だから、始祖の使ったとされる魔法に近いものの研究もされてるらしいし、あんまりおかしな使い方考えるとそれだけで異端よ」
「あー……そりゃ聞いた俺が悪いな。目標が遥か過去でおまけにそれを超える気はねえんなら、俺のはてんで的外れな意見だ」
信じられない、と言った様子のルイズの返事に垣根は少し納得した。
どうやらここは、垣根の知る現代の世界や学園都市とは全く違うものを見ているらしい。
文明の進歩の違いは魔法だけではなくその成り立ち、その発展を支える文化、歴史や地理的要因、そんな多くの要素も関係しているだろうが、今の所はそこまで掘り下げようと言う気分にはならなかった。
そこまでの必要性もないだろう。
ただ、今までとは対照的過ぎる環境で、ますます垣根の常識が通じそうにないと言うのは確かだった。
「あんたの所の超能力、って言うのは使える人とそうじゃない人がいるのよね」
「ああ。普通のヤツらは本来そんな物とは縁がねえ。そう言う風に体弄りまわして使えるようにするんだよ」
「何でそんな事わざわざするの?」
純粋にわからない、と言った目をするルイズは首を傾げている。
「理由か。確か、あったな。研究者どもの題目みてえなもんだと……っふふ」
それ、を思い出して垣根はこみ上げる笑いに肩を震わせた。
「え、なによ」
「ふっ…ははは、いや、これがかなり笑えるんだよ」
いきなり笑い出した垣根に、ルイズは不審そうな目を向けている。
「一言で言うなら、神様にする」
「へ?」
「能力者を作る目的だ。あらゆる法則、原理、そんな物を解き明かさねえと気が済まないって連中も居る。そう言う奴らが考えた夢一杯の最終目標がそれだ」
子ども達の体を、精神を弄りまわし、一般的な感覚で言えばある種おぞましい事をしてまで手に入れたいもの。
「確か……『
神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの』とか言うんだったか。世界の真理を知る為には神様と同じステージに立てば同じようなものが見えるだろうって、一周回って頭悪そうな考えだ。だから人間を常人の枠から追い出すような真似してんだろ。どこまで本気かは知らねえが、学園都市じゃ少なくともそう言う事になってる」
その為には、垣根のような能力者も単なる通過点に過ぎない。
学園都市の根幹である構想が出来て少なくとも五十年は経つと言う。
そこに至るまでの道の途中で、数多くの人間を使って膨大な実験がされて来たことは想像に難くなかった。
ルイズのほうは、話のあまりの規模についていけないのかすっかり呆れた顔をしている。
当の能力者の垣根でも、本気も本気、大真面目にカミサマだとかそんな事を言われたら相手の頭を疑うだろう。
あくまで目標であって、人知を超えたような能力を扱えると言っても能力者も人間だ。
やすやすとヒトの枠を踏み越える事が出来るとまでは垣根も思っていない。
「何よそれ。ずいぶんな事考えるのね、そのカガクシャって人達は」
敬虔かどうかは知らないが、神の子寄りな思想に浸かっているだろうルイズにすれば何とも冒涜的な話だろう。
「ああ。宗教家とは仲良く出来ねーだろうな。科学で照らして言葉尽くしてみたところで、それでも語れねえなんてものはどうする気なんだか。濁して逃げるか、無理に言い切っちまうか。どっちにしろロマンはねえよな」
ゼロとイチでは到底解き表しきれないような。
その言い尽くせないもの、に言葉の上では近い力を垣根も手にしている。
科学、一見合理的な論理の対極と言うと。例えば友情とか愛とか、口に出すのもぞっとするような。夢に溢れた曖昧で生温い単語が思いついた。
科学に言わせると、それは遺伝子を残すための本能に基づいた、生存競争を有利に勝ち残る手段の一つであって、脳が起こしたある種の錯覚だなんて見方も出来るかもしれない。
実際に科学の力でそれを自在に調節出来る、なんて人間が垣根の身近にも居たが、そんなものがまるでないと言われるのも何だか悲しくなるような気がする。
到底理解の出来ない事だが、垣根はそこまで捨て切ってはいなかった。
* * *
ルイズは、窓際の列の机を拭きながらよくわからない垣根の話を聞いていた。
わからないが、話してくれるのを聞くのは嫌ではなかった。
爆心地から離れた所は、そうひどく汚れてもいなかったが言われた通り簡単な片付けは続けている。
「昨日言ってたレベルファイブ、だっけ。その能力者ってどんな事が出来るの?」
「まぁ、それぞれだな。能力者は何かを操るのがほとんどだが、俺以外の超能力者なら力の向き、電気、電子、人間の頭の中とかその辺を弄るのが得意分野だ。俺の『
未元物質』は簡単に言うなら特定の物質の操作がメインだ。前に見せたみたいに羽を出して、あれで飛んだりだとかも出来る」
「ふうん。それってすごいの?」
そんな風に聞くと、黒板を拭き終えたらしい垣根はルイズの方へ近寄ってきた。
誰かの使い魔が暴れたお陰で、ところどころガラスの無くなった窓に凭れると外を眺め始める。
「さっきの目標ってのに照らすなら……残念ながら、俺は不適格だ。成長の方向性が違うってとっくの昔に言われたからな」
昼前の高い日差しに、眩しそうに目を細めると垣根は吐き捨てるようにそんな事を言う。
「まあ、『絶対能力者』、神様のステージには届かなくても今でも充分ふざけた事になってるし。関係ねえな。訳わからねえ翼は出るし、俺は天使様かっての。でも、百八十万人の内からたった六人しか出来なかった人工の超能力者、その上から二番目に優秀って言われてんだ。俺も大した事あるんだぜ?」
打って変わって、いつになく得意げな顔はまるでコレクションの棚に並べた中からお気に入りの一品を自慢するようだった。
しかし、無邪気にすら思える垣根の言葉がルイズには引っ掛かった。
さっき垣根が言った神様に近い人間を作る計画。
その話から考えると、まるで。
垣根はもうちょっとで神様の側まで手が届いたかも知れない、そんな風に聞こえた。
「え、ちょっとわかんないんだけど。レベルファイブ、ってそんなにすごいの?」
「だから、能力者のトップだっつってんだろ。スクウェアクラス並みに、あるいはそれ以上に極めて有能でレアな人材だって言えば分かるか? そんなのが使い魔なんて真似してんだから、ちょっとは敬えよ」
そんな訳で俺には学ぶ必要もねえから、学校は行かなくてもいーんだよ、と付け加えて垣根は得意げに腕を組んだ。
流石に、垣根がそんな突拍子もない相手だとは思わなかったから、ルイズは単純に返事に困った。
「えええ……何よそれ」
さっきまで聞いていたありえない話のありえないものの一歩手前。
そんな風には思えない垣根の態度に呆気に取られると同時に、ルイズはそれを聞いて何だかむかむかしていた。
垣根はすっかり慣れてしまっているのか、気にしていないらしいけど。
それは、大金持ちが両手に溢れる金銀財宝を雑に扱っているようなものじゃないか。
その喩えだとルイズも余り人の事は言えないのだが、すごい事を鼻にも掛けないすごい人と言うのは、持たない人間の劣等感を刺激する。
『ゼロ』と呼ばれるルイズからすれば、使い魔がなんだか飛び切りすごい存在らしい、と言うのは素直に喜べるものではなかった。
その垣根は、顔を顰めたルイズを見てどこか取り成すように笑った。
「まぁ、レアリティじゃお前も負けてねえよ。その『未元物質』をどうにか出来るのなんざ、俺の考える限りお前と――」
ふっとそこで言葉が途切れる。
「わたしと、なに?」
「いや、何でもねえ」
急に、垣根の表情が変わった。
どこか遠くを見るような顔をして、不愉快そうに目を伏せる。
「どうせなら面拝んで、一発殴ってみてからこっちに来りゃあ良かった相手を思い出しただけだ」
「なにそれ」
「けどまぁ、一番有り得ねえのは魔法云々よりお前だけどな」
「へ?」
急に自分に話を振られて、ルイズは面食らう。
「お前の爆発。何やっても結果が変わらねえってある意味才能だぜ? 俺みたいな能力者にも開発しても結果が現れねえ、って奴は居た。そう言う奴らは残念な失敗例かも知れねえが」
垣根はルイズを見下ろした。
契約の前に見せたような、面白そうなものを窺うような目をしている。
「逆にだ。理屈はわからねえのにそうなっちまう、って奴も居る。そう言う方が却って貴重なんだよ。タイプが違うんだ、周りに合わせて同じ事やっても仕方ねえだろ」
「……わたしに、諦めろって言うの?」
「違う。向き不向きってレベルじゃねえ、端から分野が違うのに関係のない努力なんて要らねえ事しても仕方ねえだろ。世の中、努力じゃどうしようもねえ壁なんて幾らでもあるんだよ」
何が言いたいのか、ルイズにはさっぱりわからなかった。
励ましている、慰めているなんて態度じゃない。
垣根はいつものように、どこか舐めた様子で話している。
お偉い能力者サマの上から目線の話は、『ゼロ』のルイズには難しすぎた。
こみ上げてくるイライラに、表情が曇っていくのが自分でもわかった。
「時間の無駄だな」
その。
垣根の一言に、ルイズは拳を握った。
噛み締めた奥歯が鳴った。
力のこもった目頭が熱くなる。
今までの努力を、苦労を。
ルイズのしてきた一切を切り捨てるような一言が腹立たしかった。
他人事のように関心のない言葉が悔しかった。
「なによ」
握りしめたのが細い自分の指なんかじゃなく杖なら、きっと今までで一番の爆発が起こせる。
そんな気分にルイズの肩は震えた。
「なによ! あんたにはわかんないわよ! 頑張って頑張って、それでもどうしようもなくって、悔しい思いなんかした事ないんでしょ?」
そう叫んだルイズの声に重なるように。
ガシャン! と垣根を中心にして一斉に甲高い音が響く。
突然の事に思わず目を見張れば、無事だった窓ガラスも粉々に砕け、窓の外へと落ちていった。
おまけにずれた机がところどころ教室の下の方へと落ちている。
一瞬だけ震えた空気は、もうシンと静まり返っていた。
音も煙も立てず、突然それは起きた。爆発、と言っていいのかはわからないが、他にふさわしい言葉がみつからない。
ただ、ルイズのそれとはまるで違う。
衝撃だけが室内を一掃したようだった。
恐らくは、それを引き起こした張本人は、何故かルイズにも負けないような不機嫌な顔をしていた。
「知らねえよそんなもん。それ決めてるのはお前自身か? どっかの馬鹿の勝手な評価になんざ、黙って従ってられるかよ」
「なに、それ。えっと……人の言う事は気にするなって事?」
予想外の返事だった。
そこだけ言葉を都合よく汲み取れば、そんな風に思ってもいいんだろうか。
呆然とするルイズの前で垣根は苛立たしげに舌打つと、さっきまではきちんとガラスのはまっていた窓をどこかばつが悪そうに振り返った。
そんな垣根の様子にちょっとした違和感を覚える。
何となく、それはルイズにも覚えのある事だ。
腹立ち紛れに爆発を起こして、後で我に返ると急に恥ずかしくなるような。
(なんで、こいつが怒ってるの?)
さっきまでの怒りは驚きと、浮かんだ疑問に塗り潰されてしまった。
「あー、もうヤメだ。後は片づけが来るんだろ、メシ行くぞ」
すっかり見通しのよくなってしまった教室を後目に、そう言って垣根はルイズを促すと、先に出て行ってしまった。
何だか混乱してしまったルイズは、まだぐるぐるとする頭でその背中を見送っていた。
理解どころかなんだか上手く飲み込めない言葉の数々を反芻しながら。
自分が見当違いの八つ当たりをしていた可能性に気づいて真っ赤になるのはその少し後だが。
幸い、遅れてきた使用人におかしな独り言を呟いているところを見られるだけで済んだ。
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