僕たちは今、どうしていいのか大変困っています。
「だ、大丈夫なんよ。私は怖くなんかないんよ~……」
「い……いや! 亜人なんか、わたしの使い魔なんかじゃない!!あっちいってー!!」
「そんなこと……言われても。私、亜人じゃないし」
正しく言うと、僕と一緒に召喚されてしまった彼女は、その主であるルイズに怯えられてしまい、弱々しいながらも、ルイズは、必死に抵抗の意思を目に乗せて、震えながら強く彼女のことを拒否しているのだが、そのことから、実際には一番困っているのは彼女かもしれない。
もしこの場、第三者が見たとしたら、嫌がる子供に、にじり寄ろうとする、危ないお姉さん? と皆、口をそろえていうだろう。もしかしたら、僕がもといた世界では、おまわりさんを呼ばれてしまうかもしれない。とにかく今、そういう言葉が、現状でぴったりと当てはまる。
僕は、その状況を見ながら苦笑いをし、はぁ、と小さく溜息を吐くことしかできないでいた。
実はいうとこの二人は、このヴァリエール城に向かう道中の馬車のなかでも、今、僕の目の前で行われているようなことがあった。だが、その時は同じ馬車のなかに、ルイズの母であるカリーヌさんがいたからなのか、今ほど露骨に嫌がるようなことはなかった、のだが……
「使い魔になってあげるんよ~。怖くなんかないよ~」
「い……いや~!!」
今では、このように彼女が一歩歩けば、ルイズは二歩後ろに身を引き、四歩近づけば、ルイズは身を完全に反し、カリーヌさんのもとへ半ベソかきながら、とててて、と走って行って逃げてしまった。
そのことが、よっぽどショックだったのか、彼女は頭を垂れながら、マンガのように縦線を浮かべ、背景には靄がかったグレーなオーラを背負っていた。
その……まぁ、なんだ。そんなに気にしなくてもいいと思いますよ? たぶん。子供の言うことですし……
今現在僕たちがいる場所は、カリーヌさんの言によれば、どうやら彼女の娘、ルイズの部屋にいるそうだ。
その部屋は結構広く、世間でいうリビングぐらいの広さを持っている。そこには、棚の上やベッドの上に大小様々な人形が置かれていた。ずいぶんと女の子らしい。
だけど、僕からしたら、六歳の女の子が一人部屋を持つなんて早すぎるものだと思うのだけど、どうもお金持ちの考えることがわからない。
そういう考えに至るのは、僕だけなのだろうか若干不安だ。
だが、とりあえず僕の中にある、ちっぽけな常識をそこら辺に置いといて、いまだに続いている女の子二人による追いかけっこの理由を僕の隣に立っている女性に聞いてみることにした。
「それで、カリーヌさん。なんで彼女はルイズちゃんに嫌がられているんでしょうかね……」
「……その、私の娘は、いや、それに限らず、このハルケギニアに住んでいる人たちは、エルフや鳥人といった亜人を嫌い、怖がっているのです」
「怖がっている?」
カリーヌさんの話によると、その理由は、メイジが使うとする『系統魔法』と、亜人でありながら、僕たち人間と同じぐらいの知能を持ったエルフなどが使う『先住魔法』にあるという。
一般的に広く認知されているのは、貴族やメイジが使う『系統魔法』だそうだが、亜人などが使う『先住魔法』は、系統魔法に比べ、彼らのテリトリーにいる精霊と契約し、その力を使うため『系統魔法』のような演唱の必要はなく、また、精霊との結びつきに比例し、強力な魔法を使うことができるというものらしい。
こういうことから、ルイズも他の子供のように、絶対に亜人に近づかないようにと、カリーヌさんに教育されてきたらしいのだ。
なるほど。道理でルイズちゃんが怖がっているわけだ。羽が生えているもんな。彼女には。
「それで、あんなふうに追いかけて、追いかけられての鼬ごっこになちゃったわけですか……」
「まぁ……そうですね。私もこんなことになるなんて思いませんでしたし……」
「僕はもう契約は終わったのに……」
そういいながら、僕は左手の甲に彫られたルーン文字に目を落とす。
「別に、彼女は亜人だってわけではないんですよ? もともと人間だって言っていましたし」
「えぇ。私もそれは分かっているんですけれども、あの子は、まだあんな年ですし……もっと厳しくしつけないといけないみたいですわね」
「なんていうか、その、世知辛い世のですね」
「それほどでも……
「「……………………はぁ」」
あれから一時間たちました。
何とかルイズちゃんはカリーヌさんの説得という名の威圧により、コントラクト・サーヴァント、契約をバランサーの少女と終らせると、すぐに背を向け走り、僕の背中に隠れてしまった。
普通だったら、母であるカリーヌさんの陰に隠れるのが普通なんだろうに。
「うう、私そんなに怖いかな~……グスン」
「えと……まあ、そのうち普通に接してくれるようになるよ…………たぶん。それはそうと、カリーヌさん。その、どうしましょう。ルイズちゃん、こっちに来てしまいましたが」
「しょうがないですね。ついさっきまで考えていたことなのですが、あなたたちはしばらくの間、ルイズと一緒に同じ部屋にいたらどうでしょう? 特に、ミスタ・ユウはともかく、彼女はその必要があると思うのですが……」
そういいながら、僕の顔を見ながらも、暗に「あなたが何とかしくださいね? 彼女はあなたの恩人なのでしょう?」と目で語っていた。
えぇ。確かにその通りですよ。彼女は僕にとっては恩人以外の何物でもありませんよ? ですが、だからと言って自分の娘を今日会った得体のしれない、しかも生きているのか生きていないのかよくわからない人間に任せますか?
そりゃあ僕は、今じゃこんなコジンマリとした容姿をしていますけど。ルイズちゃんだってどういうわけだか僕に懐いているようですけれども。でも、だからって……
「でよろしく……お願いできますわね?」
…………さいですか。
僕の顔はまるで捨てられた子犬かのように、哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。
は~い。私、バランサーなんよー。どういうわけだかお兄ちゃんと一緒にルイズちゃんに召喚されちゃいました。
正直な話なんだけどね? 予想外! 想定外! 規格外! の三拍子が見事にそろって頭の中がオーバーヒートしていたんよ。
私がここに来てから殆ど口を開かなかったのも、そのためなんよ。
私が設定したプログラムに穴はなく、いや、正直お兄ちゃんのことをプログラム呼ばわりしたくはないけど、それでもそれ相応の準備をしたし、私も本来なら“ハルゲギニア”と呼ばれているこの世界にいることができないはずだったの。
下手すれば、世界が私のことを殺しにかかるからね~。それがどういうわけだか、その気配がないし、それどころか世界は私のことを受け入れている節さえあるんよ。
ぶっちゃけますと、正直、あそこでお兄ちゃんと離れ離れになっていたら、もう二度と会うことができなかったから、結果としてはうれしいことこの上ないわけなんですがね~。
今回、問題視しているのは大きく分けて四つなんよ。
まず、なんで世界に何の理由もなく干渉できないはずの私が、この世界に干渉できてしまったかということについて。
次に、あの時現れたゲートはなぜ、対象をお兄ちゃんだけではなく、私まで選ばれてしまったかということについて。
次に、なぜゲートはお兄ちゃんの目の前で開き、本来強制力などないはずの世界に、強制的に縛り付けられているのかということについて。
最後に、なぜ急にお兄ちゃんの体が縮んでしまったのかということ。
私が思うに、この四つは似たような内容のものばかりに見えて、その実、全く違うばらばらの、しかも難解のものだと考えるんよ。
本来私は、世界に拒否されてしまった人間のうちの一人だった。それで、バランサーとなって私みたいな人間が出てきてしまわないようにと思い、何百年のも頑張ってきたんよ。
そんな中で努力し、知識をつけ、力をつけてきたけど、直接世界に干渉できることはなかった。だから、ゲートに引き込まれる前に私ははじかれてしまうはずだったんよ。
はっきり言うと、この絶対にありえないような現象の理由、または原因は分からないけど、この事実だけは確かなんよ。
―――それでも、私はここにいる。
あの時、世界のはざまでお兄ちゃんは私のことを思い出したかのように「優香」って私の本名を呟いていたから、お兄ちゃんの魂を再構築するときに、その記憶に関してプロテクターをかけておいて本当に良かったんよ。
あとは、私がボロを出したり、お兄ちゃんにかけたプロテクターが、何かのきっかけで外れることはないから、とりあえずは安心できる。
だから私はお兄ちゃんにばれたらいけない。私の存在が消えるその前は、お兄ちゃんと兄妹だったことを。
そう、決意を新たにして、私はカリーヌさの話に耳を傾けたんよ。
そしたら私たちが、この世界に連れてこられた理由を知っているなんて言うから驚いてお兄ちゃんと一緒に「原因わかってたんですか!?」って叫んでいしまったんよ。
なんでも、カリーヌさんの話によると、彼女の娘のルイズちゃんの召喚の儀式で、私たちを召還してしまったらしいんよ。
わざと呼んだものなのかと思ったら、それも違うらしく、どうやら偶然だったらしいし。
というか、偶然で世界の壁を越えてしまうって……
とりあえず、元の“世界のはざま”に戻る方法が分からないいじょう、私たちに残された選択はルイズちゃんの使い魔にならなくちゃいけない。
ということで、お兄ちゃんは先に、ルイズちゃんと契約、もといキスを済ませちゃって、今度は私の番ってところまで来たんだけど、なんかものすごい嫌われちゃったみたいなんよ~。
ルイズちゃんはトテテテ~とお兄ちゃんの陰に隠れちゃったし、私はそれを見てシクシクと泣きたくなったし、というか泣いちゃったし……
それでも何とかルイズちゃんと使い魔の契約をすることができたんよ。でも、すぐに、またお兄ちゃんの背中に隠れちゃうし、カリーヌさんは「オホホホホ~」と、笑いながら部屋から出て行ってしまったし、私は猛烈にいたたまれない気持ちでいっぱいなんよ~。
とにかくこの状況がある意味悲しくて、私は目に涙を浮かべているとお兄ちゃんが私に話をかけてきた。ルイズちゃんは、どうやら部屋の隅この方で私たちの様子を、うかがっているようだった。
「あの…大丈夫ですか?」
「駄目なんよ。…………私の心はある意味、折れそうなんよ…グスン」
「ま、まぁ、そのうち慣れてくれますよ。 ……あ…あ~そういえば、こうなってしまったいじょう、貴方もこの世界から出ることができないってことなんですよね? だったら、名前をどうしよう」
「……名前?」
私はお兄ちゃんが何を言いたいのかよくわからずポカンとしながら首をかしげた。
「そう、名前。よく考えてみたら、君の名前、どうしようかと思っていったんだよ。あの時、世界のはざまで君は名前がないって言っていたから。それに君はこの世界から出る方法が分からないんですよね?じゃないと、ルイズちゃんと契約する理由が見当たらないし。」
そういいながらお兄ちゃんは苦笑いしながら、だったらなおのこと名前は必要でしょう? と提案してきた。
確かにそのとうりなんよ。私には人間のころの名前はあっても、世界のバランサーとしての名前はない。でも自分で自分の名前を考えて、それを私自身につけるなんて、ちょっと恥ずかしいんよ。
じゃぁ、どうするかっていう話になるんだけど。
「どうしようかな」
「……いや、どうしようかなって言われても。君の名前のことでしょう?」
「う~ん。それじゃあ聞くけど、もし君が私と同じ立場だったとして、急に自分の名前を自分で考えろなんて言われたら君はどうするの? ちなみに私は恥ずかしいと思うんよ?」
「う! ……確かにそうかも」
お兄ちゃんは、そう呟くと右手の人差指で、軽く赤く染まったその頬をポリポリと掻いて目線を私から話した。
うん。やっぱり誰だって恥ずかしいものなんよね。そうに決まってるんよ。
「でもそうなると、君の名前は誰につけてもらうの? ルイズちゃん? カリーヌさん? それとも……」
誰かに名前を付けてもらう? …………そうだ!その手があったんよ~!
それを思いついた私は唐突にお兄ちゃんの空いている左手を私の両手で握りながらありったけの思いでお兄ちゃんに“お願い”した。
「君に名前を付けてほしいんよ!」
「え? ええええええぇぇぇぇ!?」
何がそんなに驚いたのか、そんな絶叫しなくても。私はたまらず耳をふさいだ。
「え? なんで? 僕が君の名前を? 無理無理無理無理!」
そういいながらお兄ちゃんは右手を勢いよく顔の前でブンブンと左右に振っていた。
なんでも、「僕は誰かに名前を付けたとなんてないし」だとか「確かに、名前をどうする? って聞いたのは僕だけど」とかお兄ちゃんは言っているけど、私はそんなこと気にしないんよ。
それに、今の小さくなったお兄ちゃんがそうやっているのを見ると、なんだか可愛く見えてどうしようもないんよ~。
「やっぱり、僕が君に名前をつけなくちゃダメ?」
「ダ~メ」
「や、やっぱり?」
「うん♡」
私が、とどめとばかりに、そういうと、お兄ちゃんはあからさまに肩を落として「ハァ」と小さくため息をついた。
それでも、気を取り直して私の名前を一生懸命考え始めてくれたお兄ちゃんはきっと、とっても優しいと思うの。
だって普通、おにいちゃんにとったら赤の他人とさほど変わらない私のために名前を考えてくれているんだから。
あ。今南南西から電波を受信しちゃったんよ。何々? 私が強引に迫ったんじゃないかって? 無問題! そこは気にしたら負けなんよ~。
そうやって、しばらく私は頭の中でちょ~っとだけふざけたことを考えているうちに、お兄ちゃんは何かを思いついたのか、私の目を見つめながら声をかけてきた。
「あの、とりあえず考えてみたんですけど、一つだけしか思いつかなくて。それでもいいなら君に確認をとって、今後はその名前で呼びたいな~、なんてこと思ったんですけど」
「え? 何々? 名前考えてくれたの?」
「とりあえずはだけど」
「じゃあ、その名前をおしえてほしいんよ。私に何て名前くれるの~?」
私はそう言いながら、今や背が縮んでしまったお兄ちゃんの頬っぺたを両手ではさみ、ムニムニしながら額と額をくっつけながら聞いてみた。
「な、何やってるの!? また僕のことをからかっているようなことやって~! せっかく名前を考えたのに、このままだとまともに話が進まないじゃないですか!」
お兄ちゃんは慌てながらそういうので、意地悪するのはもうやめて、そのプニプニした頬っぺたを話してあげたんよ。
すると、心を落ち着かせるためか二~三回深呼吸をして息を整えた。あ~もうかわいいな~。
と、いつまでもふざけていいような雰囲気じゃないんよ。もういい加減ちゃんとしないと。
「それで、私の名前はどんなのにしてくれたの?」
私は、そう微笑みながらお兄ちゃんに聞いた。
「そうですね。さっきも言ったように、名前を一つだけしか考えることができなかったんですよ。というか、その名前以外にありえないような気がして」
「へ~。それ以外にかぁ」
「はい。その名前は――――――」
その時私は愕然した。だって、あの時確かにプロテクターかけといたはずなんよ? 絶対に思い出すはずなんかないんよ?
なんでお兄ちゃんはその名前を私にくれるの?
それはとても懐かしい名前で。
それはお兄ちゃんがおぼえているはずのない名前で……
「――――――優香」
私は嬉しくて。嬉しくて、うれしくて嬉しくて。
思わず涙を流していた。
なんで!? 僕なんかへんなこといったのかな。だってこの名前以外にないと思ったんですよ。
確かに名前を、ましてや人に名前を付けようなんてこと、したことないですけれども、まさかなくほど嫌だったのかな。
「もしかして僕の考えた名前がいけませんでしたか? でも本当にこの名前しかないって思って……」
僕はそう取り乱しながら、彼女に声をかける。
その声に反応した彼女は、首を左右に振った。
「ううん、違うの。とても嬉しくて、嬉しすぎて涙が出てきちゃっただけなんよ。だから心配しないで」
彼女は。いや、優香はそう言いながら泣きなら笑った。
僕はそれが、今まで見てきた笑顔の中で一番綺麗に、輝いて見えたんだ。
でも僕はまだ知らなかった。この後、まさかルイズちゃんの姿がいつの間にか消えていて、あんなことになっているなんてことを。
「ハァ、ハァ」
私は今一人で船のところまで走っている途中なの。
「あんな……ハァ、の私の使い魔じゃないよ!」
ダメ、泣いたらダメ。絶対に誰にもこの涙を見られたくない。
私はそう思いながら片手で両目をこすった。
私は誰もいないところなら何でもよかった。それだけのはずだったのに。
それだけのはずだったのに。