「か、カリーヌ様! 大変です、ルイズお嬢様が! ルイズお嬢様が!!」
「どうしたのです、そんなに慌てて。ヴァリエール家の側近隊の人がそんなに慌てていては示しがつきませ「そんなことは今はどうでもいいんです!!」……どうでも、いい?」
どうやら、相当焦っているそうですね。
私はあの後、ルイズの部屋にあの二人を残し、一人自室で悠々自適にメイドに用意させた紅茶を飲んでいました。
なぜルイズと、その使い魔達を地一つの部屋にいさせているのかというと、たんに私が逃げたからじゃありません。本当にありませんよ?
失礼、コホン。私が何を言いたいのかといいますと、思うにルイズと使い魔達に親睦を深めてもらおうと思ったからです。……本当ですよ?
ま、まぁ、それはともかく、自分にいいわ……もとい、考えているときに突然私の閉じていた部屋のドアが『バタン!!』と大きな音を立てながら開きました。
私はどうしたものかと思い、音を立てた主のほうに顔を向け、「どうかしましたか?」と聞こうとも思ったのですが、それをせずにまず、私に対する無礼を問いただすことにしました。
それは、側近隊の隊長である彼がちゃんと身にあった態度をとらなければほかのものに示しがつかないからです。
それに、そうしなければ彼は礼儀を疎かにしてしまい、後々痛い目にあうかもしれません。
ですから、私は彼のために注意したわけなのですが、その言葉をさえぎられてしまったわけです。
どうやら大変なことが起こってしまったようですね。彼が発した開口一番目の言葉にルイズの名前が出てきたその理由も気になります。
「わかりました。今さっきのことは不問にします。相当なことがあったようですし、何が起こったのかを簡潔に話いなさい」
「は、わかりました。言い訳も何もしません。この後、私の首をカリーヌ様がはねようともかまいません。ですので心して聞いてください―――」
私はこの時、あまりの事実に愕然し、めまいを覚え、目の焦点が合わなくなってしまい、思わず目を見開いてしまいました。
「―――ルイズお嬢様が……死んでしまいました」
僕たちは今、広い廊下を闇雲に走っていた。
始まりは、約十分前のことだった。
「あれ? そういえばルイズちゃん、どこ行ったんでしょうかね」
「? そういえば、さっきまでこの部屋の隅っこに行ってたはずなんよねぇ」
うん。僕もそれをこの目で確認していたから間違いはないはずないんですけど、といつの間にか泣き止んでいた優香とお互いに確認した。
もしかしたら、この部屋の中のどこかにいるのかもしれないと、とりあえず二人でしばらくの間、部屋の中を見まわしたけど、結局どこにもいないことには変わりない。
どうせなら、ついさっきカリーヌさんから言われたように、優香とルイズちゃんが仲良しになれるように、三人で少しずつでもいいから話し合おうと思ったんだけど。
けど、僕はこれ以上考えるのをやめた。だって、よく考えてみたら、ルイズちゃんはこの家に住んでいる侯爵家の娘なわけで、今日初めてここに来た僕達なんかよりも、この屋敷の内装に詳しい。
だから、きっと僕たちは心配する必要はないはずだと無根拠に思っただけなんだ。
ルイズちゃんは僕と同じような外見年齢だったから、たぶん六~七歳のはずだ。その位の歳にもなれば、自我はしっかりと確立されているはずだし、何かあった場合すぐにそれを周りの人達に訴えることもできるはずだ。
それだったら少し心配になるが、きっとすぐに帰ってくると思い、気にすることをやめたのだが。
「ねぇ。私、心配だから迎えに行こうと思うんよ」
優香が僕に一緒にルイズちゃんを探しに行こうと誘ってきた。
「なんで? ルイズちゃんはこの屋敷に住んでいる人間の一人なわけですし、道に迷うなんてことが、あるわけないじゃないですか。それに、たしかに心配ですけれでも、ここにはたくさんの人間の目があるから……」
「うん、それは分かっているんよ。でもなんでだろ。理由は分かんないけど、なんかすごい嫌な予感がしてなんないんよ……」
そういいながら神妙な顔で、大きな部屋に一つだけ備え付けられている、大きくて綺麗な装飾が施されている扉を見つめながら僕に訴えかけてきた。
「だけど、君の言う嫌な悪寒を感じてしまう要素がルイズちゃんにあったとして、僕たちにそれをどうにかできるほどの力があるんですか? 僕たちはルイズちゃんが何処に行ったのか全く分からないし、かといって探す手段があるわけでもない。そんな中、優香はルイズちゃんを探して迎えに行こうというの?」
「うん」
「…………」
間髪入れずに即答する優香。それを聞いて思わず唖然とし目を点にしながら何も言えなくなってしまう僕。
その力強い返事に僕はどうしようもない嬉しさを感じた。
その嬉しさは初めて感じたようなもののはずなのに、初めてではないような不思議な感覚がした。けどそれは全然不快じゃない。むしろ心地いい。
そしてなぜか、この迷いのない返事をする優香の姿を優香らしいと思った。
仕方がない。こうなったらルイズちゃんを探して、勝手に外を出歩いたことをカリーヌさんから素直にしかられよう。
僕はそんな未来予想をすると、どことなく苦い顔をすることしかできなくて、それと同時にこれからはきっと楽しくなると、そんな期待も交じっているからか苦笑いという形で僕の顔から表情に出てきた。
「わかった。それじゃぁ、ルイズちゃんを迎えに行くついでに、カリーヌさんに叱られに行きますか」
「っあ! 何ですかその言い回し! 褒められこそすれ、叱られるようなことはする気サラサラないですよ!?」
「あーはいはい。分かりましたから。それじゃぁ行きますかね」
「あ~こら~! スルーするなー!!」
うん。無理です。
僕は心の中で呟きながらサムズアップし、笑いながらがら廊下へ出ようとしたのだが……
『助けて!!』
「「!!!」」
突然僕の頭な中に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
どこで聞いた。この声は助けを求める声だった。優香か? と思い怪訝な表情で彼女の顔を見るが、顔を横に振ることから違うようだ。
ということは、この声は優香にも聞こえていたということだ。
だとしたら、いったい何処から……
もしかしたら、優香が何か気が付いたのかもしれないと思い、今起こっていることを整理するために声をかけた。
「今、声聞こえましたよね」
「うん。聞こえたんよ」
「助けを呼ぶような声だったけど誰の声なのかはっきりつかめなかった。心当たりありますか?」
「……そういえば、ルイズちゃんの声にそっくりだったんよ。それに場所はハッキリとしないけど、水の中だったことは確かなんよ」
―――っな!
「なんで水の中だって分かったんですか!!?」
「それは、たぶんだだけど、私の視界にルイズちゃんが見ているものと思える景色というか……とにかくそういうものが見えてしまったんよ」
ちょっと持ってよ。ていうことは。
「まさか」
「うん、ここでこんなことしている場合じゃないね」
優香はそういいながら扉に向かって右手を上げ、指をさした。
なんで。なんでこんなことになったんだ? 優香が言った通りじゃないか。なんでさっきまで僕はなんだかんだ理由をつけてルイズちゃんを探しに行くことを拒んだ!
甘く見ていた。ここは僕が知っている世界とは全く別の世界だ。そんな世界がいくら屋敷内とはいえ安全性に優れているわけがないじゃないか!
とにかく時間がない。子供一人の命に係わるんだ。急がないと。
急ぐとしてもいったい何処に…… そういえばここに来る前に中庭を通ったはず。だとしたら可能性があるのはそこか?
とにかく行ってみるしかない!
「え? ちょっと私を置いてどこに行くの!? 心当たりとかあるの!!?」
僕は一瞬でそこまで考えをまとめると、優香の声を無視して廊下へ走り出した。
「――――――――――――」
私、このまま死んじゃうのかな。
ゴボゴボ
きっと、何もかも、あの亜人がいけないんだ。
ゴボ……ポポポポポ
だって。私、いつもみたいに、逃げようとしただけだもん。
……コポポポ
それに、きっとお母さんは私のことが嫌いなんだ。
…………ポポポ
だったら……このまま……
お兄ちゃんは今、ルイズちゃんの部屋を出て、ただひたすら走っていた。
ついさっきは、あんなに穏やかな時間が流れていたのに。
事の始まりはそんなには時間が経っていなかったから、ついさっきのことなんよ。
あの時、私たちはルイズちゃんの部屋で話をしていて、気が付いたときにはもう、その部屋の主であるルイズちゃんは、いつの間にかいなくなっていた。
だから心配に思って探しに行こうと、お兄ちゃんを説得して、さぁ、いよいよ探しに行こうってしたときに『助けて!』という声が聞こえてきたんよ。
それだけじゃない。たぶんお兄ちゃんには見えなかったと思うけど、私の左目に、見渡す限りの水が広がっていた。
私はそれが、ルイズちゃんが今見ているものだと、すぐにわかったんよ
そのことをお兄ちゃんに伝えると、普段はホンワカとしたとしたお兄ちゃんの雰囲気がなくなり、焦りをその顔に貼り付け、形相を変えながら私の制止を無視してドアから駆け出して行った。
それで今に至るわけなんだけど、お兄ちゃんはもう、息が切れたのか、肩で息をしていたんよ……
「優君、ちょっと待ってほしいんよ! もう息が切れているじゃない!」
とにかく、お兄ちゃんに少し休んでもらおうかと、そう声をかけた。
だって仕方ないじゃない。ルイズちゃんの部屋から、もしかしたらルイズちゃんがいるであろう池までの距離は、だいたい1キロメートル。
たしかに、世間一般から見たら、そんな距離は大した道のりとは言わないかもしれない。
だけどお兄ちゃんは違う。
たしかにこの世界に来る前に、お兄ちゃんにはドラゴンボールの主人公の孫悟空と同等な身体的スペックを、その魂に組み込んだ。
だからと言って、まだ鍛えているわけでもない体がすぐに動くわけがない。
要するに、今のお兄ちゃんは、死んでしまったあの時に近い体力しかないということなんよ。
そんなお兄ちゃんが、今もなおルイズちゃんを助けるためには走り続けている。
それでも、私は自分勝手に、こう思ってしまった。
もう休んでもいいじゃない。
そう思って、かけた言葉だった。だけどお兄ちゃんは……
「―――ふざけないでください!」
「な……!?」
私はお兄ちゃんの怒声にビックリして、私は目を丸くした。
そんな私に目もくれず、声を張り上げながらも、なお走り続ける。
「な、なんで!? たしかにルイズちゃんは溺れているかもしれない、けど、ここはルイズちゃんのお家だよ!? しかも、兵士やメイドさんを雇えるほどの大金持ちの。だったら、もしかしたら、誰かもう気が付いてルイズちゃんは助けられているはずだよ? この世界には魔法も……」
「何をバカなことを言ってるんですか!! はぁ、はぁ。この世界は僕が元いた世界ほど文明が発達していないのが分かるでしょ。元の世界ですら絶対に安全な生活なんてありえないんです。だったらこの世界は、ごほ! はぁ、それよりも危険なことがあるかもしれないって、何故分からないんですか!?」
お兄ちゃんの放った言葉は、普段の私だったら、ちょっと考えれば、すぐに分かることだった。
何言ってるんだろう。
何やってるんだろう。私。
お兄ちゃんに会えて、浮かれていたのかな。
お兄ちゃんと、ずっと一緒にいれるようになったからって、周りがあまりよく見えていなかったのかな。
そうだよね。私は何を勘違いしていたんだろ。
今は難しいことは考えなくていいんよ。
今は。
―――今は!
気が付いたら池は、もう目と鼻の先だった。
僕は、人の死に敏感だと思っている。
それは、ここに来る前の、僕が元いた世界の病院に、長い間入院していたのが大きな理由だと思う。
その時の僕は子供だった。子供だったが故、無邪気だったし、同じ部屋に入院していた同年代の子と友達になり、遊ぶことだってあった。
ただ、そういった子たちは、僕と同じように集中治療室に居させられるような重い病気を持った、または怪我をした子たちがほとんどだった。
だから知っている。今にも死にそうな人が放つ『生きたい』という声を。
それが、どれだけ重たい思いなのかを僕は知っている。
だから僕は願ったんです。もう僕の目の前で、誰かが死んでほしくない。せめて、この手の届く範囲で誰かを、大切な人たちを守りたい。
でも、僕はある時、その当時に知り合った、同い年の男の子に怒られてしまいました。
「なんだよ、お前は神にでもなるつもりか?」
「…え?」
僕は突然、放たれた彼、の言葉に唖然としてしまった。
「だって、そういうことだろ。俺は、お前の思っていることを、間接的とはいえ聞いて思ったけどよ。自分の身すら守れねえ奴が何言ってるんだっていうことなんだよ」
「でも、僕がいけないんだよ。僕が病気だから、お母さんに迷惑かけてる。ここにいる人達だって、場合によっては僕より重い病気なのかもしれないのに、それでも僕の友達になってくれて、はしゃぎすぎて、様態が重くなって、それで「……もいあがるな」……え?
「思い上がるな!お前がすべてを救うだと? そんなのは無理に決まっている! 当たり前のことを言うがな、お前は、何をどうしようが、どうしようもないぐらいの人間なんだよ! 手の届く範囲ですべてを守りたい? 大いに結構! だがな……それは、それはみんな同じなんだよ」
僕は、彼が目に涙をためながら、そう話すのを、ただ黙って聞くことしかできなかった。
その後、彼は僕が死ぬ一ヶ月前に、亡くなってしまった。
後に集中治療室のベッドで知ったことだけど、彼もたくさんの、この病院でできた友達が何人も先に逝かれたそうだ。
だが、それでも彼は泣かなかった。ただ、看護婦さんの話によれば、彼は毎日、夜になると、声を必死に殺して泣いていたそうだ。
彼が人前で泣いたのは、後にも先にも、僕の目の前で泣くのが初めてだと、僕はすぐに分かった。
そのときほど僕に、誰かを守り、救える程の力がないことを悔しく思ったことはない。
だけど、今は違う。
僕は病気じゃない。
体に病魔が巣食っているわけじゃないんだ。
今、ルイズちゃんが死ぬかもしれないというのなら、助けに行くことができるんだ!
僕は、ルイズちゃんのことを助けたい。
助けたいんだ!
だから
「……はぁ、はぁ。待ってて はぁ、ください」
僕は。
「僕は君を助けたいんだ」
―――そして僕達は目的地の池へたどり着いた