二つのガンダールヴ - 一人は隷属を願い、一人は自由を愛した -
第2話 授業
その後、昼飯にも極上のまかない飯を出してもらい、さらに腹が満腹になってしまった才人は、ピンクのハートが書かれたエプロンを身につけ
危なげのない足取りでケーキを配っていた。
「おい君、デザートを」
「かしこまりました」
「それだ、それ、その赤いのを」
地球で作法を学んできた才人に隙はない、優雅に一礼すると、ケーキの乗ったカートを移動させ、手早く貴族の皿に盛りつけていく。
「こちらは特別に肥育された乳牛からのみ取られるクリームとチーズを、アルビオン産のフリーズベリーのソースで飾り付けたチーズケーキでございます。よく冷えている間に召し上がってください。」
「ちょっとあんた、何やってるの?」
比較的抑えられたトーンで、氷で作られたベルが鳴るような、澄んだかわいい声がかけられる。
「これはミス・ヴァリエール、たった今給仕の最中でして、ああ、そうそう、これをどうぞ召し上がってください。」
そう言って才人はルイズの前に焼き立てクックベリーパイをホールで用意する。
「う…」
「こちらのパイも、特別に肥育された乳牛の乳から作ったバターを、パイ生地と共に何層にも折り重ね、旬の完熟ベリーをたっぷりと使った一品で御座います。」
「そんな事より!なんであんたが給仕の真似事をしてるのよ、学院のお客なのに。」
にっこりと笑いながら才人は再度告げる。
「どうぞ召し上がってください」
「旨い飯を食わせてもらったんだ、お礼をするのは当然だろ」
「ずいぶんと律儀なのね」
食事を置いておいてパイをもぐもぐやりながら、ルイズは応える
才人もまた、"前回"ここに来た時には、塩スープと黒パン、そして鳥の皮の切れっ端しかもらえなかった事を思い出した、それに比べれば雲泥の差だ。
そして、才人の視界に懐かしい光景が映る、フリルのついたやや悪趣味なシャツを着て、バラの造花を固定化させた杖を振るい、恋の話に花を咲かせる男。
懐かしいな、ギーシュとモンモランシーのやり取りは、いつ見ても飽きなかった。最も、イライラしている時にあれをやられると面倒くさいが。
オーバーな身振り手振りを続けるので、マントのポケットから紫色の香水が入った瓶が転がりおち、ギーシュの足元で危なっかしげに揺れていた。
ふと、才人は悪戯心を起こす、あの香水はどんな香りがするんだろうな、モンモランシー謹製の特別な香りとは。
「ミスタ、これは貴方様の持ち物ですか?」
「これは僕のじゃない」
ギーシュは不快気に眉間にしわを寄せると、香水瓶を手で押しのける。
「承知しました。では私が処分しておきましょう。」
才人はそれを懐にしまうと、可能な限り素早く、自然にその場を立ち去ろうとした。
なぜなら、強烈な気を放ちながら接近する金色のクロワッサンのような物体が2つ、接近しているのを感知したからだ。
縦ロールは才人とすれ違うと、ギーシュの背後に仁王立ちしていた。
歴戦の剣士である才人も、その気に当てられて、流れる冷や汗を止められなかった。
「ギーシュ」
「ん?おお、これは僕のモンモランシー、君はいつも美しい、バラのような優雅さとバラの可憐さを兼ね備えている」
「ういぐじじじ!」
その気障な台詞を背中に聞いていた才人は、奇声を発し、足の先からアホ毛のてっぺんまでジジジジと痺れて身震いする。
歯という歯が全部浮いて総入れ歯にされちまうぜ、例えが全部バラってのもどうなんだよ。
「私が特別にあなたのためだけに調合した香水の香りは、お気に召したかしら?」
「あ…ああ、もちろんさ!まさにこの世で最も芳しい香りだよ!特にバラのエッセンスのアクセントが素晴らしい!」
「もちろんよ!あなたのためだけに特別に調合したんですもの、使い手の趣味趣向にどれだけ合わせられるかが、調香士の腕の見せ所なのよ」
妙に明るい声を出し、さらにいつもの2倍の身振りで話すギーシュ、しかしその背後のモンモランシーの目は笑っていない。
「ええ、それに貴方の好みに合わせた色合いにするのも中々難しい事なのよ」
「あ、ああ…、美しい、君の瞳のような透き通るブルーだったね!」
「ええ、そうねギーシュ、私が作った香水は、それはそれは美しい紫色ですのよ、そう、ちょうど先ほど貴方が給仕にあげちゃったのと全く同じ、不思議ですわね~」
「あは…あは…あははは」
「ふふ、ほほほ」
だんだんと高まる戦気を尻目に、才人は笑顔で給仕を続ける。だがその耳はダ○ボのようになっていたが。
ギーシュの取り巻き達も、冷や汗を垂らしながら、デザートの盛られた食器を持ってゆっくりと避難する。
そして、そこにさらに、栗色の髪の毛と、ややほんわかとした優しい目つきの女の子が接近する。
最も、今はその優しい目元には涙が湛えられ、やわらかなカーブを描く眉毛は八の字を描いている。
「ギーシュさま」
声は震えており、口を開いた拍子に大粒の涙がほほを伝う。
「やはり、ミス・モンモランシーと…」
「うっ…いっ…うっ…おっ」
ギーシュは前から迫るケティの涙を見て動揺し、後ろを振り返ってはモンモランシーの額に浮かぶ青筋に恐怖しを交互に繰り返し、世の中の浮気男の結末のお手本のようになっていた。
才人は思い出す、"前回"は確か時間差で二人の女の子が来たため、一人ひとりに歯の浮くような言い訳をしてたっけな。
ただ、"今回"は何の拍子か二人同時に現れたため、さすがのギーシュも対応しかねている様子だった。
「「うそつき!!」」
「へぼっ!」
モンモランシーの右ビンタフルスイングが後方からギーシュを襲い、ケティの右ビンタフルスイングが正面からギーシュを襲う。
哀れサンドイッチされたギーシュの首は、妙な音を立て、口から意図せず漏れた空気で間抜けな声が上がる。
才人は、全身全霊で表情筋を押さえつけ、鋼の精神で笑いをこらえる。
「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」
ギーシュは首をさすりながら足を組替え、杖の香りを嗅ぐ。
だが、その両頬には大きなモミジが張り付いており、しまらない事この上ない
そして、ギーシュはさらにそのやり場のない怒りを、平民の給仕らしき男にぶつける事に決めたようだ、それがさらなる地獄の入り口とも知らず。
「君、そこの給仕、こっちへ来たまえ」
「お呼びでしょうか?」
「君が軽率に香水の瓶を拾い上げたせいで、二人のレディの名誉が傷ついた、どうしてくれるんだね?」
才人はそれに答えず、よく冷えたピッチャーからおいしそうな香りの漂う液体をグラスに注ぎ、ギーシュに差し出す。
「新鮮なメーロのしぼり汁をよく冷やしたものです、心が落ち着きますよ」
「ふざけるな!」
ギーシュの怒声と共に、グラスがその中身ごと床に落ち、澄んだ音を立てて粉々になった。
「あ~あ、貴重な飲み物を粗末にしやがって、グラスだって安くないんだぜ」
騒ぎを聞きつけ、ルイズもやってくる。
「ミスタ・グラモン、いくらなんでもあんまりよ、それぐらいにしておきなさい」
「おや、誰かと思えばゼロのルイズ、ああ…君はそういえばゼロのルイズに召喚された粗野な傭兵か」
瞬間、そこにいた人間たちは空気の温度が数度下がったような感覚を覚える。
「取り消せ」
「なんだと!? う…」
ギーシュの背中を嫌な汗が伝う、だが、もはや止められない、止まらない
「ふん、粗野で教養のない下品な傭兵風情が、貴族に説教をするのかね?」
「俺の事をいくら貶そうが馬鹿にしようがかまわねえ、だがな、ゼロだのなんだのと、俺の召喚主を馬鹿にするのだけは我慢ならねえ、もう一度だけ言うぞ、取り消せ」
そばに立っていたルイズは、才人の放つ気に当てられてびっくりしつつ、まだ会って間もないこの男が、自分のためになぜこれほどの怒気を放つのか、不思議に思ってもいた。
「やめなさいよ!あんた、殺されるわよ」
才人は一瞬だけルイズの方を振り向き、右目のみ素早く閉じる。
「ゼロをゼロと呼んで何が悪い?下品な者を下品と評して何が悪いのかね?」
ギーシュは椅子から立ち上がり、才人と真っ向から睨み合う
だが、足元をよく見ると小刻みに震えており、額には玉のような汗が光っていた。
「どうやら取り消す気はねえらしいな…」
さらに威圧を強める才人の左手が、白いものを受け止める。
それは投げつけられた手袋だった。
「決闘だ!」
「ふん、おもしれえ!ただし、びびって逃げやがったら、てめえの領地まるごとケツの毛1本残さず灰にしてやるからな!」
その言葉に、再度ギーシュの体がびくりと動く
「逃げるものか!やれやれ、粗野で下品で、救いようのない男だ、教育を施してあげよう、ヴェ」
「ヴェストリの広場に来い、だろ?今なら詫び入れたら許してやるぞ?」
「ふざけるな!」
薔薇の杖を抜いたギーシュに、才人はなだめるように声をかける
「おいおい、慌てるな、銀のお盆にのったケーキまでめちゃめちゃにする気か?」
「ふん!いいだろう、さっさと来い、貴族を待たせるなよ!」
「てめえこそ、びびってチビらないように、小便を済ませとけ、おぼっちゃま」
食堂はにわかにざわつき始め、面白い見世物が見れるという期待から、多くの生徒が雪崩を打って移動を始める。
だが、才人は動けない、目の前にルイズが立ちふさがっていたからだ
「一体どういうつもり?あなたがどれだけ強いか知らないけど、魔法は使えるの?」
「いや、使えない」
「あ、あなた殺されちゃう…」
騒ぎを聞きつけた厨房のメイドたちも、集まってきている。
「まさか貴方あのドラゴンに乗って戦うつもり?そんなことしたら学院がめちゃめちゃになっちゃうじゃない!」
「ジャガナートか、あいつには何も頼まねえよ?安心しなって」
ルイズに応える才人は、あくまで軽い感じだ。
「なあ」
「なによ!」
「ゼロだのなんだのと、馬鹿にされて悔しくないのかよ」
「悔しいわよ!けど…」
怒りにつりあがっていたルイズの目元に影が差す。
「…もう慣れてるから」
「なら今日から、そんな慣れなんぞ俺が丸めて屑かごに捨ててやるよ」
才人は厨房に顔を出し、マルトーに古い火かき棒を借りる、すべて鉄で出来ており、先端には火のついた炭をかき集める金具がついている。
学院用の大きなかまどにあつらえてつくられたため、長さもちょっとしたポールアームと言った所だ。
「諸君!決闘だ!」
「ギーシュが決闘するぞ!相手はゼロのルイズが呼び出した傭兵だ!」
ヴェストリの広場には食後の余興と、数多くの生徒が集まっており、熱気は最高潮になっていた。
どちらかが勝つかで、トトカルチョが始まり、胴元となった生徒がメモ片手に金袋を持って走り回る。
やがて広場に現れた才人は、火かき棒を肩に担ぎ、コキコキと首を鳴らしながら悠々と歩を進める。
「とりあえず、逃げずに来た事だけは褒めてやろう」
才人はそれには応えず、左手に火かき棒を持ちかえ、左足を少し引き、右手を胸に、頭を相手の目線より下げる。
その仕草を見たギャラリーは、いきり立ち、ギーシュの顔にも朱が差す。
「ギーシュ、その生意気な傭兵風情をギタギタにしてやれ!」
このまま決闘がスタートしそうな熱気を感じ、才人は少し水を差す
「おいおい、決闘ってのは何かを賭けて闘うんじゃないのか?」
「ふん、意地汚い傭兵風情め、いいだろう」
「俺が勝ったら、てめえは俺の主と、さっきてめえが二股かけていた女の子2名に頭下げて謝りやがれ」
「なんだ、そんな事か、さてはゼロのルイズに惚れたね、容姿だけは美しいからね」
それを聞いた才人の目がさらに据わる、ギーシュは首筋にチリチリと焼けるような感触を味わったが、努めて無視していた。
「では、僕が勝ったら、そうだな…、君の乗っていた騎竜を譲ってもらおう!」
「いいぜ、ただし、ジャガナートは極めて気が荒い、せいぜいぺしゃんこにされないように頑張りな」
売り言葉に買い言葉、会場の熱気ももはやこれ以上ないほどに燃え上がる。
ギーシュが杖を振り、花弁から青銅のゴーレムを1体精製する。
いざ生意気な平民をたたきつぶそうと正面に目線を移動させるが、そこに才人はいなかった。
「ぼさっとしてんじゃねえよ」
思わず振り向くと、すでに打撃の体制に入った才人がギーシュの横に居た。
轟!
唸りをあげて鉄の塊がギーシュの側頭部に迫る、ギーシュはどうにかこうにかその一撃を回避すると、足をもつれさせながらバックステップで退避する。
「くっ、貴様!卑怯者め!」
「ふん」
鼻で笑う才人に、ギーシュはさらに怒りを強め、3体のゴーレムを自分を守るように配置する。
さらに1体のゴーレムは才人に向けてその青銅の拳を振るう。
「けいぃぃぃっッ!!」
裂帛の気合と共に、先ほどとは比べ物にならない速度で振るわれた火かき棒が、青銅のゴーレムをバラバラに打ち砕き、その破片を地面と平行に吹き飛ばす。
その様子に、観客はどよめきを上げ、ギーシュは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
その闘いを冷静に観察している者もいた、キュルケとタバサだ。
「手加減満開」
「やっぱり?だって、さっきギーシュを狙った攻撃とは何もかもが段違いですものね」
「桁が違う、生徒ではだれも勝てない」
「貴女でも?」
「正面から戦うのは愚者」
「なるほどね~」
コルベールもまた、同様の感想を持っていた
「速い…、全盛期の私よりもはるかに、やはりあのルーンは」
「それほどかね」
2つの光り輝く頭部が仲良く並んで鏡をのぞきこんでいる。
「やはりあれはガンダールヴ、伝説の虚無の使い魔、王宮に報告を」
「まちなさいコルベール君、君はどうもせっかちでいかん、厄介事の種はもはや沢山じゃ」
鏡の中の、火かき棒を肩に担いだ才人がギーシュに声をかける
「おいおい、俺は武器を持ってるんだぜ?無手のゴーレムじゃ攻撃範囲に差が出てるだろ」
盛大に舌打ちをしたギーシュは、剣や槍を練成し、それぞれのゴーレムに持たせる
ディフェンスを残し、2体のゴーレムで挟撃を仕掛ける。
「疾っッ!!」
ゴーレムが攻撃の間合いに入った瞬間、鋭い気合の声と共に、才人の姿がぶれて見え、武器の転がる乾いた音があたりに響く。
ギーシュは転がった武器を拾わせようとゴーレムを操作するが、ゴーレムは何度も武器を取り落とした。
「貴様…一体何を」
「うん?そこからじゃ見えないか?この木偶人形の親指をブチ折った」
「くそっ」
ギーシュの口を突いて悪態が飛び出すが、どうにもならない
「ミスタ・グラモン、なんでゴーレムの武器と腕を一体化させないんだ?さらに言うと、なんで2足歩行なんだ?、最後に、俺は鉄の棒を持っている、青銅と鉄で勝負する気か?」
「ふん、物を知らない傭兵め、僕はドットメイジだ、鉄など精製できる訳がないだろう」
「エバって言える事かよ…」
「それに、2足歩行なのも、何もかも、美しさを追求するために決まっているだろう、これだから学のない者は困る」
「だが、このままじゃじり貧だぜ?」
その言葉が終るか終らないかで、また才人がギーシュの横に現れる。
空気を切り裂いて襲ってくる棒を、ギーシュは冷や汗を流しながらどうにか避ける。
しかも、今度は連撃だ。
だが、さすがのギーシュも悟る、自分はこの傭兵風情に手加減されている事を。
どうにかギーシュが避けられるギリギリ限界のスピードで攻撃されているのだ。
「おのれ…傭兵風情がっ!」
練成していた最後のゴーレムで時間を稼いだギーシュが、大きく間合いを離す。
その最後の青銅のゴーレムも、すべて足をヘシ曲げられ、地面を這うだけのガラクタになっていた。
「ワルキューレェ!!!」
「おお、こりゃすげえ!やりゃできるじゃねえか」
「はぁ、はぁっ、…か、覚悟しろ平民!」
そこには脂汗を流しながらも大地に足を踏ん張り、ともすれば気を失いそうになるのを気力で繋ぎ止めているギーシュの姿があった
そして、そこには鋼鉄の戦乙女、それも馬の下半身にすらりと優美な女性型の上半身を持ったゴーレムが立っていた。
「OK!さあ、やろうぜ!」
「行け!ワルキューレ!」
馬のスピードで突進して剣を振り下ろすワルキューレを才人は紙一重の距離で避ける
驚いた事にギーシュは、ワルキューレをその場に停止させて剣を振り回す愚を犯さず、一撃離脱戦法を取る
そのため、才人はワルキューレに決定打を入れる事ができない
ブゥンという空気を切り裂く重い音と共に、ワルキューレがすれ違いざまの横薙ぎを繰り出す
才人は、ゴーレムの腕と一体成形された剣の腹を下から打ち上げて軌道をそらす
もろに受け止めたらこの鉄の棒といえど、長くは持たないであろう
何合かの切り結びの後
今度はターンしてきたワルキューレがシールドを前面に押し出し、才人の視界と逃走経路を封じる
仕方なく才人は武器の無い方向、右側に退避する
左にかわしたら武器で一突きにしてやろうと考えていたギーシュは小さく舌打ち一つ
さらに、驚いたことにワルキューレを急停止させ、あろう事か馬の後ろ足で蹴りを入れてきた
これには才人も驚き、攻撃を中止し、バックステップで回避する
「なかなかやるじゃねえか!」
「貴様もな!平民!」
息をもつかせぬ短時間の攻防の後、割れんばかりの歓声が辺りを包む
「あら?どこへ行くの?タバサ」
「決闘じゃない…これは授業」
群集から離れて行こうとしたタバサにキュルケが声を掛ける
「でも、これから面白くなりそうよ~?」
「もう勝負はついてる」
キュルケは小さく肩をすくめてタバサの後を追いかけ、振り向き才人に熱い視線を送る
それは獲物を見つけた肉食獣のような、それでいて妖艶な視線だった
「見つけた…、新しいダーリン」
その間も決闘は続いていた
才人はあれほど高速で動いているにもかかわらず息一つ切らしていない
無駄な動きを徹底的に省いている成果である。
対するギーシュは、ますます顔色が悪くなり、脂汗の量も増えていた
彼を支えるのは何だろうか
ラインになれたという達成感と高揚感であろうか
ライバルと全力で激突する楽しさであろうか
しかしその楽しげな試合も唐突に終わりを迎える
ギーシュの精神力が限界を突破したのだ
前のめりにゆっくりと地面に向かって倒れるギーシュを、瞬時に移動したサイトが支える
「こんなになってもまだ杖を離しやがらねえ、たいしたヤツだよお前は」
「この勝負、引き分けだ!!」
才人の宣言に、さらに歓声が大きくなる
そして、ひとしきり騒いで楽しんだ連中は、さあ余興は終わったとばかりに散っていく
後には心配そうな顔をしたモンモランシーとルイズ、そして、徐々に崩れゆく鋼鉄の乙女が残った。
「ミス・モンモランシ、ミスタ・グラモンを医務室へ連れて行ってくれないか?」
「イヤよ!なんで私が!」
「ったく、素直じゃねえな…、散々闘って気絶して、目が覚めて1番目に野郎の面見たらさらにヘコむだろう?」
そこでニヤっと笑った才人が言葉を続ける
「恋人の顔が見れたら元気もでるってもんだろ!」
真っ赤になったモンモランシーが言い訳を並べ立てる
「だっ誰が!こんな浮気者が好きなものですか!こんな!1年に手を出すような…」
「どうでもいいけどよ、重いんだよコレ、はい、よろしく」
業を煮やした才人がモンモランシーの肩にギーシュの手をひょいとまわす
「きゃっ!ちょっちょっと!」
「それから、こいつをこの色男に返してやってくれないか」
才人が懐から取り出した香水瓶を見たモンモランシーは、首を横に振る
「それは貴方がギーシュに貰ったものではなくて」
「けど、これって特別に…」
才人の言葉を強引に遮ったモンモランシーが頬を赤くし、早口でまくしたてる
「ふん!傭兵の手あかのついたような香水は、私のギーシュにふさわしくありませんことよ!!ギーシュには、さらに良い香りを用意して見せますわ!」
よろよろと校舎に戻っていくモンモランシーの背中を見送りながら、才人は脱力感に襲われていた。
「なんつーか、その、何なんだ、この虚脱感は…」
意味わからんし、とぼやく才人にルイズが声をかける。
「あなた、けっこうやるじゃない」
「ミス・ヴァリエールの護衛としては合格ラインかな?」
「ルイズでいいわ、ミスタ・ヒラガ」
「じゃあ、俺の事もサイトって呼んでくれよ」
才人は両手で何かを丸めて、放り捨てるポーズをして見せる。
「主人の実力を見るには、まず使い魔を見ろ、だったよな?」
対するルイズの顔にも、笑みが浮かぶ
「夜に貴方の部屋に行くわ、ゆっくりと話したい事があるの」
才人の全身に電流が走り、鼻息がぷひーと荒くなった。
「すげえ、うん、大胆だなルイズ、うん、分かった」
だが、次の瞬間、あれほどの動きを見せていた才人が、ぴくぴくと痙攣しつつ地面に這いつくばっていた。
「ふざけないで!何を変な想像してるの!汚らわしい!!」
どれほどファッションに気を使っても、強くなっても、やっぱり才人は才人であった。
「勝ってしまいましたね、オスマン学院長」
「うむ、ミスタ・コルベール、この事は口外無用とする。全教師にワシの名前で通達するように」
「分かりました、そのように取り計らいます。」
「うむ」
礼をして退出したコルベール、その扉をぼんやりと見つめながら水ギセルをふかすオスマン
その顔には複雑な感情が渦巻いていた
一方、エネルギーを消費し、腹がぐうぐうと抗議の声を上げ始めた才人は、厨房に顔を出す
配膳室に足を踏み入れたとたんに「我らの棒が来たぞ!!」と大歓迎されるはめになる。
聞き様によってはひどく卑猥なニュアンスになってしまうその新たな呼称を聞き、才人は自分の顎を閉じるのにずいぶん時間を費やした。
■■■
その日、授業が終わり、食後の自由時間、才人は自室で寛いでいた。
激しい運動を行ったため、飲むのはワインではなく、よく冷えた水である。
部屋の扉がノックされ、寝巻姿のルイズが現れる。
ほんの少し水分の残ったピンクブロンドの髪に、化粧などかけらも必要のない肌
そして、持ってきた毛布を頭から被るルイズ。
目はやや警戒の色を残しているものの、やはりすべてを超越した可愛さを発散している。
「どうぞ椅子にかけて、お茶も入れておいたぞ、ただし、飲み過ぎると眠れなくなるぞ」
ベッドに腰掛け、寛いで水を飲む才人に、ルイズが質問を投げる。
「ところであんた、どこから来たの?」
「地球、日本の大都市、東京から」
「チキュー?トーキョー?」
「ああ、こちらで言うなればロバ・アル・カリイエか?」
「ふ~ん」
「ところでご主人様?」
「なによ」
「俺はいつ家族の下へ帰れる?」
その言葉を聞いた瞬間に、ルイズの目が少し曇る
無論才人は覚悟を決めて再度ゲートをくぐった身である、だがあえて主人に問うて見た
常識的に考えれば当然である、家族、知り合いから突如切り離し隷属を要求する
北○鮮も真っ青の所業であることに変わりはない
ルイズは少し俯き
「…悪かったとは思ってるわ、でも召喚の呪文はあっても送り返す呪文なんて知らないもの」
「では、帰ることが不可能であった時には?」
「それはもちろん、衣食住の保障はヴァリエールの名にかけて、させてもらうわ」
「私が老人になってボケた時は?」
「我がヴァリエール家には使用人やメイドも沢山いるわ、例えそうなったとしても世話するわ」
「分かった」
安心した才人はいつもの態度に戻る
「ああ~っ!肩こった、やっぱこういうのは性に合わね」
突如態度を変化させた才人にルイズはポカンとしている
「俺実はさ、ここに来る前は貴族に仕えてたんだ」
突然の才人の態度の変化に驚きながら問うた
「へえ?どんなご主人様だったの?」
「それはそれはもう酷くてさ、乗馬鞭で叩きまくられるわ、メシはパン一つだわ、掃除洗濯、雑用は押し付けられるわ、寝床は藁だし、終いには首輪付けられて鎖につながれて、公衆の面前に連れて行かれたんだぜ?」
大げさに身振り手振りを交えて話すサイトの言葉を聞き
さしものルイズも顔を顰めた
「う…それはちょっとやりすぎじゃない?」
「だろ?掃除洗濯、雑用は学院付きのメイドがいるわけだし、わざわざ素人にやらせる意味がないよな」
お前だよお前!と、心の中で突っ込みを入れながら才人はそれを表情には出さない
「そもそもあんたは護衛や移動にもってこいの使い魔じゃないの、それを生かさないなんて」
ルイズも話に乗ってくる
「ただ」
「ただ?」
「以前にどんな方に仕えてたか知らないけど、貴族の事を悪く言うのはやめなさい」
「ああ、悪口言ってるわけじゃねえよ?悪口言いたいなら名指しにするしよ、ただ、心優しいルイズ様はそんなことしないだろうな~って」
「見くびらないで!私はヴァリエールよ、自分の使い魔の世話をきちんと行うのは貴族の義務よ!虐げると世話するとの違いが分からないのは愚か者でしかないわ」
「よかった、安心したよ、俺は秘薬の材料を見つける事はできないが、護衛はバッチリこなしてみせるよ」
ほほえみを浮かべるサイトにほんの少しだけルイズも微笑を浮かべる
その様子は、現時点ではカトレアには及ばないものの、ルイズが柔和な性格を手に入れたら、どれ程魅力的な女性になるかを如実に示していた
その後、少しトロンとした目付きになったルイズが才人に告げる
「もう夜遅いわ、後のことは明日ね」
「おい、ちょっと待て、それ俺のベッド!ここ俺の部屋!わかる?!」
返事の代わりに飛んできたのは、ルイズが被っていた毛布だった。
ベッドに眠る主人の可愛い顔を見ながら才人は考える、以前より確実に未来は変化してきている、もっとよい未来を、ルイズのために、そして自分のためにも
また、ひそかに決意をする、今度は主人を怒らすような、具体的には女性に対するだらしなさを直そうと
だが才人は知らない、すでにこの時点でキュルケとシエスタにロックオンされていた事を
「くそったれ、結局俺は床で寝るのかよ…」
ぶつくさ言いながら床に寝ころぶ才人は、くるまった毛布から香る甘い香りに、思わずどぎまぎするが
やがてその顔は安息に満ちた寝顔へと変わった。