「ねえ、リュウジ」
リュウジが後からしがみついている。手の位置は私が馬を速く走らせるせいで相変わらず胸だ。怒ろうかどうか悩んだが、怒らずにいるとそこが定位置みたいになってしまう。まあ仕方ない。リュウジのことだからいやらしさで触ってるんじゃない。きっと本当に落ちそうなんだ。信じよう。疑ってリュウジの尊厳をありえないほど傷つけたのだ。もう疑ってはダメだ。
「な、なんだ?」
「あなたって始祖の使い魔じゃなくて私専用の使い魔なのよね?」
リュウジの声が震える。胸を触ってることを怒られると思ったんだろうか。なんとかずらそうとするが少し揺れるとまた触ってきた。落ちるから仕方なく触っているだけなんだから気にしなくて良いのに。そう思い好意こそ湧かないが我慢しようと務めた。反抗的な態度を常に取ったりされれば別だがリュウジは基本的に従順だし私もそんな相手に癇癪を起こすほどヒステリーじゃないのだ。
「え?あ、ああ、そうだけどそれがどうかした?」
「それってどういうふうな意味なの?」
「どういうふうな意味?」
リュウジは私の意図が伝わらず尋ね返してきた。
「つまりあんたは私の為にどこでどう産まれて、どういうふうに育ったの?」
「え……ああ、ええ……あんっと、俺の生まれはまあここで言う平民だな。あ、いや、でもキミの存在を知ったのはもう七年ぐらい前のことだ」
彼はなぜか言いにくそうだ。あまり自分の事を喋るのは好きではないんだろうか。
「じゃあその七年前に私の為に産まれたんだと知ったの?」
「まあそうだな。ううん、そうなるのか?」
リュウジは答えが鈍る。基本的に彼は考えながら喋ることが多く、私が尋ねても直ぐには答えない。最初の頃はそれが嘘を言われてるようで苛立ったが、今は思慮深く見えたりするから不思議だ。でもダメだ。胸を触られることには徐々に我慢の限界が来ている。これ、ただ単に揉んでるように思えるんだが違うんだろうか?
「な、何よ。曖昧な答えね。本当は違うの?」
声が震える。変な触り方をしないでほしいんだが怒るべきだろうか。いや、でも、私は殺そうとしたぐらいだし、これで怒るのはと踏みとどまる。踏みとどまるが不快だ。
「ええ、悪いけどルイズ。俺はキミに教えられることは教えるけど、教えられないことも多いんだ。それでも教えてと言われたら嘘で誤魔化すしかなくなる。でも出来ればそれはしたくない。だから答えないことを追求しないでほしいんだ」
「む。なによ豚の癖に急に態度大きくなって。別にそんなにあんたのことなんて知りたくないわよ」
本当は知りたい。でも今までの癖で言いにくい。彼はどれほどのものなんだろう。虚無の使い魔というフレーズが私の中で大きくなり、想像が膨らむ。時間が早く経ってほしかった。フーケが来るという未来予知やアンリエッタ王女の件はいつ起きるんだろう。なにより1年後の自分とこの使い魔がどうなっているのか知りたかった。
ようやくルイズの部屋に帰り着いて俺はホッとしていた。正直二度目になると馬になれてきてルイズの胸を触らなくてもいけたのだが、嫌がられなかったせいで触り続けてしまった。でも降りたときに涙目で顔を赤くしたルイズを見て、俺は10歳以上も年の離れた少女相手に何してるんだと罪悪感にさいなまれ、出来る限り妙なことはすまいと思う。
だが、ルイズほどの美少女が無防備なので性欲をもてあましてるのも事実だ。虚無魔法を教えてからルイズはかなり態度が変わった。明らかに警戒感が下がっている。今までよりガードの下がったルイズに手をださないでいる自信が持てない。いっそのこと強行に嫌がってくれたら我慢できるんだが。
「じゃあリュウジ。着替えお願い」
そしてきた。いつも通りの着替えだ。ルイズは当然と思っているようだが相当アブノーマルだ。以前も思ったが普通女性の主に対し召使いだろうと奴隷だろうと男が着替えなど手伝うことなどあり得まい。
「いや、その、ルイズ!」
だから俺はルイズに言った。
「なによ?」
「キミも今回の件で分かったと思うけど俺は召使いじゃないんだ。着替えの手伝いは勘弁してほしい。それと出来れば洗濯も今まで通りメイドにやらせてくれないか」
下着を洗うのも嬉しいのだがこれもルイズの無知につけ込んでる気がした。
「なによ。着替えとか雑用は自分がするって言ったんじゃない」
「それはそうだが……」
俺の思いに反してルイズは平気そう。それどころか言うことを聞かないことに声が尖る。認めたと言ってもサイトのように男としてというよりはようやく平民の扱いぐらいなんだろう。でも罪悪感が半端ない。世間知らずの御嬢様を知らないうちにエロいことをしてるので、現代日本で倫理感を学んだ俺としてはさすがに怖い。というかいまいちルイズの考え方が分からない。俺を好きとは見えないし、見てると生理的な嫌悪感もあるように見えるのに無防備なことを言う。
「なによ?従わない気?」
「いや、ルイズの言うことは分かるんだぞ。確かに俺からしたいと言ったよ」
「じゃあとにかくしなさい。言う事聞かないとお仕置きよ!」
急に反抗的な態度をされたルイズは引く気がないようだ。少しはこんなことをさせる変さに気付かないんだろうか。あるいは気付いていてさせているとしたらそれはなんの為だ。
「いや、だから……。よく考えてくれよ。俺は男なんだ。家でだってメイドに着替えを手伝ってもらっても男にはしてもらってないだろ?」
「それはそうだけど……。でも平民はみんな同じようなもんじゃない。男とか女の違いがあってのことじゃないでしょ。それに私がここから追い出すだけであんたなんて死んじゃうかもしれないのよ。だから言うことはなんでも『はい』でしょ」
ルイズも貴族とは思ったがやはり平民に対する意識ってかなりひどいんだな。小説ではこの辺の価値観は巻が進むほどマシになるが、それでもサイトを鞭で叩いたり爆裂呪文ぶっ放したりアニメじゃ笑えてもリアルにされたら貴族の中でもそうとうたちの悪いご主人様である。現代日本なら牢屋に問答無用で入れられるレベルだよ。
「そういう脅しは狡いだろ。キミは狡い人間じゃないはずだ」
「煩いわね。あなた使い魔でしょ。使い魔は主人の言うこと聞くものじゃない!」
なんで俺は怒られてるんだ。というか綺麗な美少女の外国人でもツンだけをリアルに見るとただのヒステリーだ。
「……いや、だから」
というかこの子の常識はどうなってるんだ?俺が誰か分かってるのか?普通でも女は俺を生理的に嫌う。なのに裸を見せることになる着替えを手伝えと言う。ルイズは俺が嫌いじゃないのか?俺は別にいやで断っているんじゃないんだ。
「言い訳はいいの。早くして」
「だからルイズ。もし俺がそのうち襲ったらどうするんだよ」
自分がどれだけ美人か分かってるのか。男はルイズの透きとおるような白い肌に整いすぎなほど綺麗な顔立ちを見て、普通なら襲うぞ。
「あなたそんなことするの?」
「いや、しないけど」
「じゃあ早くして」
「くっ」
もう分からん。ルイズの思考が分からん。コミュ障の俺に女の考えなど分かる訳ない。もういい。彼女がしてほしいという間はいいじゃないか。俺の良心などこんなものだ。大義名分さえあれば簡単にぐらつく。
「わ、分かったよ」
「そうよ。分かればいいのよ」
勝ったような顔をするルイズは可愛いけど無理をしているようにも見えた。
それでも俺はルイズをいつも通り着替えさせる。今日もお風呂に入らなかったルイズはさすがに汗臭い。でも美少女のものだと思うとそれも心地よい匂いになるから不思議だ。当然のようにパンツまで着替えると正直手を出したくなってくる。下半身が汚れてるとか言って触ってはダメだろうか?ルイズの世間知らずなら……。そう考えた自分がいつかこの子を襲ってエロゲーのバッドエンドみたいなことをやらかすんじゃないかと思う。俺は慌ててパンツを履かしてキャミソールも着せた。
「ふう、ふう、こ、これでいいかな」
俺はルイズを着替えさせただけで汗だくになった。
「ええ、良いけどすごい汗ね。やっぱり痩せなきゃダメよ」
「そうか……」
美少女の裸を見ておいていやな汗が流れる。下半身をルイズに気取られないか気が気じゃない。俺の理性は本当にいつまで持つんだ。太ってるから出てる汗じゃないんだよ。
「あ、そうだ」
そんなルイズがまた何か命令があるように俺を見た。
「うん?」
次はなにを言われるのかと俺は身構えた。もう頼むからエロいことに繋がらないことにしてくれ。ルイズが自分を好きならそれでもいいんだが好きじゃないどころか生理的には嫌われてるのに言われても困るのだ。
「リュウジ。今日からあんた寝るのは私と同じベッドね」
「……」
「……」
「……」
「なによ黙り込んで?どうしたの?嬉しいでしょ?」
「ふあ!いや!ええ、いやいやいや!何考えてんのキミ?もっと自分を大事にしろよ!こんなオタク同人に出てきそうなキモデブに気を許してはいかん!勘違いしたくなるだろ!」
「オタク?所々意味分かんないけど、何を一人前の貴族みたいに紳士ぶってるのよ。別に変な意味じゃないわよ。もう一つベッドを入れるにはこの部屋は手狭だし、かといえ、あんたがどれほどすごいか本当の事知っているのに藁の上で寝かせられないでしょ?」
「いや、藁の上で別にいいよ。襲ってバッドエンドにされるぐらいならその方がマシだ」
「私がよくないの。というかバッドエンドって何?」
「でも、臭いよ俺?」
女は俺の体臭もいやでそばには寄らないように気をつけるし、近付けば鼻を摘むものだ。
「臭い?あんたが?」
「ハイ。悲しいほどにハイ。その自覚だけは悲しいほどにハイなんだよ」
ふ、虐められていた頃なんて俺が教室に入っただけでみんなが鼻を摘んだものさ。
「えっと、どこが?」
だがルイズはよく分からないというように首を傾げた。
「いやいやデブは臭いもんなんだ!それに一週間以上風呂入ってないから!」
この子大丈夫?鼻がおかしいの?
「そんなの平民なら普通でしょ。一週間でお風呂入ってたんなら清潔な方よ。普通の平民はお風呂なんて年に一度も入らないんじゃないの?というか貴族でも下級貴族とか貧乏貴族なら週一か月一ぐらいじゃない?まあ魔法学院だと貴族は毎日お風呂に入れるからそんな子居ないでしょうけどね。そういえば、あんたあんまり平民の割に匂わないと思ったけどお風呂入るのね。そっか。週一ぐらい?」
「いや、うん、さすがにそれぐらいで入らないとマンション片付けに来た母さんに怒られるし」
「マンション?そういう地名に住んでるのね?」
「そうとも言えるかな……」
マンションを地名と呼ぶのはどうだろう。
「聞いたことない地名ね。まあそれはいいか。にしても、お母さまはずいぶん綺麗好きなのね。それにお風呂に入れたんなら見た目のわりにブルジョワ階級なのね」
「お、俺がブルジョワ?」
「そうでしょ?」
「ううん、まあここの平民よりはマシな生活はしてたような……」
車にテレビにパソコンにエアコンのある生活。確かにここの平民よりはある意味良い生活ではある。
「やっぱりね。じゃないとそもそも普通の平民はあんたみたいに太ることも出来ないはずだものね。じゃあ週一ぐらいではあなたがお風呂に入れるように私の方で考えるわ。私も使い魔は清潔な方が良いし、故郷より生活レベルが下がったなんて言われたらヴァリエールの名折れだわ」
「……風呂に入れる?」
「嬉しいでしょ?これでまあ平民よりは良い生活になるわよ。まあなんてたって虚無の使い魔なんだし遠慮しなくて良いわ」
「平民よりは……」
この世界ではベッドに寝て風呂に入れて三度の食事が得られたら平民よりも上らしい。
「いや、だとしても一緒になぜ寝る?」
「飼い主だからよ」
「飼い主って動物扱い?人間って認めてくれたのでは?」
「だからベッドで寝ろって言ってるんじゃない」
「おお……」
分かったぞ。つまりこういう事だ。今までは視界から消えてほしいぐらい嫌いなペットだったのが、ベッドで寝てもいいと思うぐらいお気に入りのペットに昇格したんだ。そりゃそうだ。ルイズにとって俺はそれほどにスペシャルなことをしたんだ。だが、ペットか。人間の男としてベッドで寝られたサイトとまだ凄い差があるということだな。そういうことだな。変な期待をしたらダメなんだな。
「わ、分かったよ。じゃあ一緒に寝よう」
「そうそう。あんたは私に従ってれば良いんだから」
俺なんかに言うことを聞かせられただけでルイズは嬉しそうだ。魔法を使えない貴族はメイドにすらバカにされる世界。余程そういう事にも飢えてたんだろうな。たとえ相手が豚でも言うことを素直に聞いてくれるのはもともと悪い気分じゃなかったのかもしれない。そこへ来て虚無だ。ルイズにしたら俺を嫌う理由は見た目以外ないんだろう。
「じゃあ、ふ、不束者ですがよろしくお願いします」
高級なベッドらしく自分が乗るとギシッと軋むもののふんわりして寝心地がよさそうだ。そして横で布団に潜り込むルイズと同じく布団に入った。
「それと分かってるわね。ベッドで寝かせるだけなんだから。変な事しないでね」
「わ、分かってる」
「あと、あんたは間違いなく私のパートナーなのよ。だから虚無の担い手たる私に相応しい人間になりなさい」
「分かってる。出来るだけ頑張るつもりだ」
ルイズはそんな俺の顔をしばらく見ていた。
「なに?」
「いえ、昨日は泣きそうなぐらいいやだったのに、まさかこんなことになるなんてと思うとね。あ、それと授業中は自由にして良いけど終わる前にこの部屋に帰るのよ。間違っても放課後も出ていて男子に絡まれるんじゃないわよ。挑発にも乗らないで」
「分かってる。自慢じゃないが素の俺は喧嘩が苦手だ。挑発なんかに乗って喧嘩する気はないよ」
「喧嘩じゃないわ。絡まれても貴族に怪我をさせたら平民の方が悪いのよ。一方的な暴行になっても文句言えないから忘れないでね」
「そ……そうか。分かった」
俺は額にたらりと汗が流れる。元居た世界のようなただの虐めじゃすまないんだ。おまけにこの世界じゃ貴族が平民を殺しても罪に問われるのかすら妖しい。古い慣習に縛られて、この世界ですら時代に取り残されているトリステインならそれは余計強いはず。
「じゃあお休み」
「ああ、お休み」
そしてない。絶対にない。ルイズが俺に手をだされたいなんて絶対にない。うん。ベッドで寝られるだけで良いよね。俺は今日はもう寝ることにした。
「おい、見つけたか?」
「いや、あいつ逃げ足だけは速いよな」
「くっそ豚のくせに大人しく成敗されろって!」
「こら!キミたち廊下を走るんじゃない!」
頭の禿げたコルベールという教師が叫んだ。だが怒ってはいるがこれは形だけのものだと宝物庫がある方向から出てきたマチルダは知っていた。
「また例のあの平民ですか?」
マチルダ・オブ・サウスゴータ。それは彼女の貴族だった頃の名前でここではロングビルという偽名でオスマン学院長の秘書を務めていた。偽名を使うのはここには盗みを目的に忍び込んだ賊だからである。賊名は土くれのフーケと言われ、あらゆる壁を土くれに錬金し直して忍び込むことからそう呼ばれていた。
そんなマチルダも元はアルビオン王国のかなり名の通った貴族だったのである。だが、父親がエルフとハーフエルフの母娘を庇い立てしたせいで、一転してお尋ね者になり、今や見つかれば問答無用で捕まり、ブリミル教の宗教裁判にかけられる身分だ。しかもまず間違いなく罪状は死刑だ。だからどんなに親しかった貴族仲間のところにも逃げられず、母親のエルフは死んだがいまだに庇っているハーフエルフの娘の食い扶持も稼ぐ為に盗賊にまで成り下がったのだ。
落ちぶれたが美しさは保っているマチルダは男子生徒たちに呆れた目を向けた。貴族だからと威張るのは良いが、それがいつ壊れてもおかしくない足場の上に立っていると彼らは知らない。事実、この長い歴史を誇るトリステインは今、大きな外憂と内憂を抱え、実はいつ崩壊してもおかしくない状態なのだ。何せ王が死んで以来、王妃も王女も女王にならず王座は空位のまままともな政治は行われず、そして一番親しく付き合ってきたアルビオン王国も内戦により崩壊寸前だ。
この上、内戦を起こしている勢力はこの国も攻め込む気でいると噂されていた。それを知ってていてもおかしくない貴族の子供たちは長い平和のせいで、危機感もなく平民の男を追い回しているのだから救えない。
「あの豚どこに行ったんだ?」
「お前は男子寮側に行けよ」
「なんで俺が!そう言ってお前女子寮に行く気だろ!」
それはここ十日ほどの間に学院中を巻き込んだ正義の行いという名の平民狩りだ。始まりはルイズという女生徒がリュウジという平民を召還してしまったことからきている。召還されたリュウジという男の見た目が相当に悪く、おまけに女子寮で住んでる為に女生徒が全員毛嫌いして、一部の男子生徒が女生徒に良いところを見せようとイビリ殺そうとしているらしかった。
「はは、まあそのようです。まったく恥知らずな子たちだ。でもまあそのうち飽きるでしょう」
「止めなくても良いんですか?いくら平民でも殺すのはどうかと思いますが?」
平民になれば不細工と言うだけでも殺されかねないのだ。まったく腐ってる。妹のようにして一緒に育ったハーフエルフを思い出し、廊下をコルベールと歩くマチルダは嫌気がさした。
「必要ないでしょう。実戦知らずのボンボン達には彼は捕まえきれないでしょうから」
「あら、ずいぶん彼を買ってるんですね?」
だがマチルダはコルベールも見て見ぬふりをする気だと知っていた。この学院で貴族と平民の揉め事に関わるのはタブーだ。うっかり平民を庇って相手が大貴族の子供であれば、簡単に首がとぶ。だから平民は殴られても殺されても無視する。そういう日和った教師ばかりだ。この調子では自分がもし盗みをフーケとして働いても捕らえに向かってくる教師など一人もいまい。そういう意味ではなんとも歯ごたえのないことだ。
「ええ、何度か男子生徒に襲われる場面を見たんですが、ああ見えて彼はなかなかの剣の使い手でしてな。それにあの剣も相当な業物ですしね」
「業物?何かすごい剣なんですか?」
マチルダは変装代わりにかけている眼鏡を直した。
「ええ、おそらく相当高名な魔法使いの鍛冶屋に造られたあれはマジックアイテムですね。なんと魔法を吸収するんですよ。僕も昔はこう見えてなかなかの魔法使いだったんですが、あの剣を持った彼には少し手こずるかもしれません」
「へえコルベール先生がすごい魔法の使い手とは初めて聞きましたわ」
「はは、まあ私に勝てる人間はそうはいませんとも」
「それは頼もしいですわ。是非とも私がピンチの時は助けて下さいね」
心中まあその時は逆に追われるだろうがとマチルダは思う。
「ええ、ええ、喜んで!まあその僕がそう言うんだ。貴族のボンボンの中でも女子に格好をつけたいだけの輩がどうこうできる訳がない」
マチルダのような美人になんとか良いところを見せたくてコルベールは胸を反らし、頭が光った。
「ではぜひその魔法を一度お見せ下さいな」
「へ?魔法を?」
「はい」
「あ、いや、申し訳ない。昔の古傷で今はもう大きい魔法は唱えられないんですよ。いや、本当にお見せしたいところですが申し訳ない」
コルベールが禿げた頭を下げるとまた光った。
「あら、残念です」
「すみません。まったくこんなことを言うなんて僕はどうしたんだ。あなたの前だとどうも冷静さが保てないようですな」
「いえ、良いんですよ。それよりも宝物庫のことが色々聞けて今日はとても楽しかったですわ」
どうせこのハゲこっちが驚くほどの魔法なんて唱えられないんだろうとマチルダは心中毒づく。魔法学院の教師だからトライアングル以上だとは思うが、こんなハゲが強い訳がない。それに実戦経験のない魔法使いなどスクウェアでも怖くない。大体、この男は42歳にもなって自分を口説こうとして盗賊とも知らずぺらぺら宝物庫の秘密を喋ったのだ。バカである。こんな男、普段なら口も聞きたくないし、まだ追い回されるならあの豚の方がマシだ。
「それにあの豚の方が貴族から逃げるという意味では似てるしね」
「ミス・ロングビル。なにか言いましたか?」
「あ、いえ、なにも」
「こ、コルベール先生!た、たぶけて!はあはあはあ!!」
そうしてると後ろから息の切れた声が聞こえてきた。例のあの男がドッタ、ドッタと体を揺らせて怖いぐらい汗をかいて走ってきたのだ。
「はは、大丈夫かいリュウジ君?」
コルベールが親しげに声をかけた。みんなに追い回され強制的にさせられる運動のせいで彼はここ最近痩せているようだ。まあまだ十分太いが。
「はあはあ!聞く前にあいつらどうにかして下さい!ルイズは手を出すなって言うし、向こうは殺す気で魔法撃つし、俺が一体何したと言うんだ!」
『やれやれ今回の相棒は愚痴泣き言が多いねえ。しかもデブと来てる。いっつもの相棒は大抵戦闘向きの体型なんだが、なんで今回に限ってこんなんなのかねえ』
するとリュウジの背負われた剣が鞘から少し浮いて喋った。
「へえ、これがコルベール先生の言う業物の剣ですか?」
コルベールの言うことが本当なら魔法を吸い取る剣だという。錆びててとても良い物には見えないが、宝物庫に出入りできるほど学院長から信頼されているコルベールは目が肥えてるはずだし、本当に良い物かもしれない。マチルダは食指が伸びるが、リュウジの汗だくの顔を見てそんな気が失せた。貴族の御主人から貰った物だろうがこの男は平民だ。自分は平民から盗まないのが盗賊としての矜恃だ。それにリュウジからこれを取るのは可哀想すぎる。
『お、ハゲのオッサン。俺を見て業物とは見る目があるじゃねえか!』
「こ、こら!デル!お前ハゲとか言うな!この学院で唯一本気で優しくて一番のいい人なんだぞ!」
「あら?」
マチルダは首を傾げた。リュウジの言葉にだ。てっきりコルベールは日和った人間かと思ったが、リュウジの言葉を聞く限りどうやらこの学院の教師にしては珍しく平民にも多少は味方をしているようだ。
「はは、そう言ってもらえると嬉しいよ。でもうちの学生のせいで本当にすまないね」
「ええ、それはもう本当に」
リュウジは余程辛いのか涙をにじませる。可哀想に。ただでさえルイズとかいう女生徒の失敗魔法のせいで身寄りのない土地に召還されたそうなのに、命まで狙われては堪ったものではあるまい。この仕事が無事終わったらこんな場所から連れだしてあげようか。ハーフエルフの娘、ティファニアも自分も男ぐらいはほしい。ただちょっと見た目がな。いや、でもそれ以上に裏切らないことが大事だし。なんとか痩せさせて水魔法で弛んだ皮を直して、ふと、そんな思いがマチルダの胸に起こった。
「学院長には何度かやめさせるように言うんだがあのジジイ、あ、いや、オスマン学院長はなかなか動いてくれなくてね。ルイズ君の部屋まで送るよ。私と一緒なら襲ってくる馬鹿も居ないだろう」
「助かります。外で寝てたら授業時間過ぎちゃって、男子生徒が追いかけてくるし、もう死ぬかと思いました」
「キミも苦労するね。まあ出来る限り助けになるからいつでも相談してくれたまえ。ミス・ロングビル。よければこのあとお食事でもどうですか?」
コルベールは言うが、マチルダとしてはもう聞くことは全部聞けたしこれ以上の用はなかった。もうすぐ結婚適齢期を過ぎてしまうマチルダだが、自分にも選ぶ権利はあると思うし、こんないつ潰れてもおかしくない国の下級貴族と付き合うなど論外だった。それにハーフエルフの娘と何不自由なく暮らしていくだけの金が手に入れるのが今は先決だった。
「あ、いえ、学院長が起きてるかもしれませんし戻りますね」
「そうですか。オールド・オスマンのお守りも大変ですな」
「仕事ですから。それでは失礼します」
マチルダは心中、必要な情報は全部コルベールから得られた。宝物庫に忍び込む結構日は近いと思った。
問題は結構日だ。俺はそこで頭を悩ませていた。フーケの事件を解決すると言っても、教師でも貴族でもない自分が関わるにはせめて犯罪の目撃者になる必要がある。出来るだけその情報を得る為に宝物庫付近を彷徨いていたが、幸い小説に書いていたコルベールがマチルダに情報を喋ってしまう場面にはなんとか遭遇できた。小説を見るかぎりマチルダが行動に出るのはこのあとの虚無の曜日の夜だ。つまり明日だと思う。
虚無の曜日の夜なのはおそらく休みの日の夜の方が教師陣も気が弛むと見たのだろう。まあそれに警備態勢の穴を突くのも学院長の秘書なら簡単だ。
「それにしても……」
ふとリュウジは思い出す。ギーシュをスルーしたせいもあるんだろうが、悲しいほどキュルケが関わってこないし、シエスタらしき可愛い少女も見つけたが一切声をかけられていない。もう十日以上も経つのにまだ一度も話しかけられてない。この世は所詮見た目……てか、ギーシュの件なんてスルーしたらなんも起きなかった。
そのせいでギーシュはいまだにモンモンとケティという可愛い少女と二股中だ。なんかモンモンとケティには悪い事をした気はするが、まさかここまで何事も起きないとは予想外だった。二次小説とかだと関わらないようにするとシエスタが巻き込まれたりして結局関わらなければいけなくなるから、結構構えていたのに、ギーシュの例の落とし物のモンモンの香水に誰も気付かず、しばらくあとに名も知らぬメイドが香水を拾ってパクっていっただけだった。
ギーシュと決闘しなかったせいで、俺が大怪我を負うことがなく、今は壁に持たせてあるデルフリンガーは以前の虚無の曜日にルイズが楽勝で買ってくれた。他にもナイフを三本携帯する為に購入したが、これも治療費がいらなかったルイズは楽勝で買ってくれた。さすが公爵家の娘だ。この世界の剣の相場は知らないが、4本も買えば日本円に換算して100万は下らないだろうに。
「あんたあんま痩せないわねー。ちゃんと運動してるの?」
ルイズが外でここ最近自分でも意外なほど頑張る俺を疑るように見てくる。
「してるよ。あのクソガキどものせいでほぼ強制的にね。大体、俺って今までの人生で一番ダイエットには成功してるんだぞ」
「どこが?あんま痩せてるように見えないわよ?」
「痩せてるように見えない?ふふ、ルイズ。どうやらキミの目は節穴らしいね。この事実を聞いてもそんな事が言えるかな?」
俺はドヤ顔をした。
「ウザ」
『うん。贅肉のあたりがウザイな』
「まあまあ、聞いて驚けよ。なんと!俺!10リーブル(1リーブル=0,47㎏)も痩せたんだぞ!」
そんな中で唯一ちゃんと喋ってくれるルイズとデルは(この二人にもあんまり喜ばれてない気がするが)俺の唯一の癒しだ。その二人をなんとか見返そうと俺は奮闘というか、痩せていた。なにせこの世界にはおやつもないし、なんの活躍もしていない俺に料理長もあんまりしょっちゅう行くといい顔をしない。結果食事制限もしやすくこれで痩せない訳がなかった。それにしても俺ってやっぱコミュ障なんだろうか。平民にも親しい人がいないというか、貴族に追い回されてるせいで避けられてる……。
「え?あんた10リーブルも痩せてるの?本当に?」
「うん。マジだ!調理場ででかい肉の測りあったから、ダイエット始める前に計っておいたんだ!今日計り直したら10リーブルも痩せてたんだよ!」
「肉の測り……」
『その……相棒にピッタリすぎて怖いな』
なぜそこで引くんだよ!ここ引く場所じゃ全然ないぞ!
「えっと、ルイズ!デル!どうだ少しは見直したか!」
「はあ……そんなに痩せて見た目があんまりかわんないって……。はあデブ」
『うん。反論の余地がないほどデブだな』
「いやいや、お前らの反応はおかしい!そこは褒めろよ!ちゃんと俺頑張ってるだろ!泣くぞ!俺は褒めて伸びる子なんだぞ!」
「いや、うん、その、まあおめでとう」
「ありがとう!体重が後退したのなんて初めての経験だよ!デルもどうだ!?」
俺はデルにも褒めてという目を向けた。
『お、おお、相棒はよく頑張ってると思うぜ』
二人はすごく微妙な反応だったが俺は十年ぶりぐらいに褒められたのでそれでも喜んだ。
『ところで相棒』
「うん?」
『なんで俺に抱きついて寝るんだ?』
ここ最近、俺はルイズを襲わない対策としてデルを胸に抱いて寝るようにしていた。
「えっと、その、デルが好きなんだ。言わせるなよ」
もちろんそんな事言う訳には行かないので、俺は見事な誤魔化し方をして更にデルを強く抱きしめた。
『……嬢ちゃん』
「な、何?」
『生まれて六千年も経つが、俺、初めて貞操の危機を感じてる』
「が、頑張るのよ。デル」