「あなた、誰?」
晴れ渡った空の下、その空と同じ色をした髪の少女が才人に尋ねる。
(え?どういうことだ、これ?)
目の前の光景に才人は混乱した。才人は御崎市決戦後も旧世界に残り、フリーダーの補佐をしていた。そしてつい先程まで外界宿で、新世界への通信の自在式の実験の手伝いをしていたのだった。
そして、その実験の途中現れた、光る鏡のようなものに不用心にも触れてしまったのだ。
常日頃から相棒であるカイムや、師であるフリーダーに口を酸っぱくして「気を抜くな」と言われているため、才人自身も気を付けていたのだが、今回現れた光る鏡のようなものは不思議な魅力を放っていて、才人はそれに引き寄せられるように触れてしまったのだ。
あまりに急なことだったので、カイムも制止できず、フリーダーに至ってはその場にいなかったため、誰にも止めることはできなかった。
そのまま才人は光にのまれ、気が付くと草原の只中で、奇抜な格好をした者たち囲まれていたのである。
(俺は今まで東京の外界宿に居たはずだ。周りの人たちも、こんなわけのわからない格好をした人たちじゃなかった。襲撃された?誰に?連れ去られた?どうやって?)
(落ち着け、間抜け)
混乱する才人の思考に、別の声が割って入った。口の悪いその声は、才人がその身に宿す紅世の王"觜距の鎧仗"カイムのものだ。
(お前があの光る鏡に触れた途端に移動した。どんな自在法かは知らねえが、少なくともここは、外界宿でも東京でもなさそうだ。最悪日本でもないかもしれねえな。くそったれ)
説明と共にカイムが罵る。状況は分からないものの、いつも通りの相棒の調子に才人はいくばくか冷静さを取り戻す。
(油断した。ごめん。これからどうする?『封絶』張って『サックコート』で蹴散らすか?)
(まったくだ。だが緩んでいたのは、俺も同じだ。あんな大きな戦いの後だってのに、いや、だからこそか。それと『サックコート』はまだ使うな)
(どうして!俺をここに連れてきたのはこいつらだろ!?どう考えたって普通の人間じゃない!)
(ああ、だが"徒"でもねえ。どうにもおかしな感覚だ。まだ『封絶』も張るな。しばらく様子を見ろ。逃げるのも蹴散らすのも、危険を感じたらでいい)
(……それで間に合うか?)
(馬鹿野郎が。俺とお前の『サックコート』をどうにか出来る奴はそうそういねえ。それよりも状況を正確に把握する方が先だ。わかったらさっさとしろ、間抜け)
(わかった)
思考で口早にやり取りを交わすと、才人は改めて周囲を確認し、その後目の前に立つ少女に目を向けた。年の頃は、今の自分の見た目と大して変わらぬか、幼いであろうことがその小柄な背丈と風貌から察せられる。眼鏡の奥の瞳は冷ややかな光を湛えており、少女の感情を読み取ることを困難にさせていた。そしてその手には、身の丈を超す杖が握られており、その姿はまるでとある"王"を彷彿とさせたが、才人はその"王"と面識がないため、思い出せずにいた。
「誰って、俺は“觜距の鎧仗”カイムのフレイムヘイズ『空裏の裂き手』平賀才人だ」
とりあえず才人はフレイムヘイズとしての名乗りを答えることにした。もし相手が敵で、才人のことを知っているのなら、何らかの反応を示すことを予想して、注意深く窺った。
「しきょのがいじょう?ふれいむへいず?」
「ああ、俺はフレイムヘイズだ」
「どこの人?」
しかし目の前の少女は、特に反応することもなく、続けて才人に尋ねた。
どうやら本当に自分を知らないようだった。この様子だと紅世のことも知らないだろう。おまけに敵意もないようだ。手にしている杖も、何かの宝具であるようには感じられない。才人は拍子抜けすると同時に、ならばなぜ自分がこんなところに連れて来られたのかと疑問を抱いた。
「タバサ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」
才人が疑問を口にする前に、周りの変な服を着た人たちが、タバサと呼ばれた目の前の少女をはやし立てる。
「ゼロのタバサ!また失敗したのか!」
「そんな平民、いつの間に連れて来たんだい?」
タバサと呼ばれた少女はそれらの声に応えることなく、周囲の人たちの中で最年長であろう、頭髪の薄くなった中年の男性の元へと行き、話しかけた。
「ミスタ・コルベール」
「なんだね。ミス・タバサ」
「もう一度召喚を」
「それはダメだ。ミス・タバサ」
「なぜ?」
「決まりだよ。座学の優秀な君なら、分かっていると思うが、一度呼び出した『使い魔』の変更は不可能だ。春の使い魔召喚は神聖な儀式だからね。君は彼を使い魔にするしかない」
「前例がありません」
「前例ならある。11年程前にね。その時もある生徒が人間を使い魔として召喚した。そして彼女はその人間を使い魔としたんだ」
「……わかりました」
「よろしい。ならば彼と儀式を」
コルベールと呼ばれた中年男性に促され、タバサが戻ってきた。そして、才人の前に立つと身の丈を超す大きな杖を振るった。
「何をする気だ」
才人の問いかけにもタバサは答えない。
「動かないで」
タバサは短くそう言うと呪文のようなものを唱え始めた。
「我が名はタバサ。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
(カイム)
(ああ)
才人はカイムに呼びかけ、カイムもそれに応えた。
何をする気か分からないが、何が起きてもいいように『封絶』を張る用意をする。そしてすぐさま動けるように体に"存在の力"を込める。
詠唱を終えたタバサが、才人の額に置いた。
それと同時に才人は『封絶』を張ろうとした。
しかし、それは次にタバサがとった行動により失敗に終わる。
なんとタバサは才人の唇に己のそれを重ねたのである。
つまりはキスをしたのである。
(えっ)
(な……)
才人たちは固まった。もしかしたら何らかの攻撃が来るかもしれないと予測はしていたが、キスされるのは予想外だったからだ。
しかも才人にとってこれはファーストキスである。
「なな、なにしやがんだっ!」
咄嗟に才人はタバサと距離を取る。
混乱しすぎて自在法すら使えなかった。
「ふむ、『コントラクト・サーヴァント』も終わったようだね。君、今から体に熱が走るだろうが我慢してくれ」
コルベールが才人に近づき忠告する。
「は?あんた、何言って……ッ!!」
瞬間、才人の体を焼くような熱が襲う。
フレイムヘイズとして、怪我や痛みに慣れている才人でも一瞬苦痛に顔を顰めた。
するとコルベールは才人の左手の甲を確かめる。
「……今度はガンダールヴか」
そう呟くと踵を返し、宙に浮いた。
「よし、じゃあ皆教室に戻ろう」
そして草原の向こうにある白のような建物に向かって飛んで行く。周りにいた人たちもそれに続く。
才人は呆気にとられた。
カイムも驚き、気を取られていることが神器から伝わってくる。
自在法を使ったような気配は感じられなかった。故に彼らは自在法ではない方法で空を飛んだのだろう。その事実がますます才人たちを混乱させた。
「タバサ、お前は歩いてくるんだぞ!」
「あの子、『フライ』も『レビテーション』も使えないものね」
そう言ってみんな飛び去って行く。
残されたのはタバサと才人たちだけになった。
「ついて来て」
タバサは才人の方に近寄り、それだけ言うと城のような建物に向かって歩き出した。
才人はそんなタバサを追いかけて、掴み掛らんばかりの勢いで話しかけた。
「あんたら一体何なんだ!ここはどこだ!どうやって飛んだ!俺の体に何をした!」
まくしたてる才人には目もくれず、どこから取り出したのか、本を読み始めたタバサは短くこう言った。
「歩きながら説明する」
★★★
「それは本当?」
タバサは目の前の少年、紅世の王“觜距の鎧仗”カイムのフレイムヘイズ『空裏の裂き手』平賀才人と名乗った少年に聞いた。
ここはトリステイン魔法学院のタバサの部屋。
タバサはベッドに腰掛け、才人たちは椅子に座って話をしていた。
「嘘じゃねーよ。というか、俺らからすればそっちの話の方が信じられないんだけど」
「だが、事実こうして俺たちはこの世界にいる。信じないわけにはいかんだろうな」
才人と、その胸につけられた鷲の頭を象ったバッジ型神器"ソアラー”から意思を表出させる紅世の王、“觜距の鎧仗”カイムはそう言った。
遠くに見えた城のような建物は、トリステイン魔法学院というらしく、今タバサが通っている学校だと帰る道すがら聞いた。
続けて、この世界のこと、魔法のこと、タバサたち貴族、『メイジ』のことも……。
才人は、正直な気持ち、信じられるわけがなかったが、自在法もなしに、才人たちをここに呼び、その体に『ルーン』と呼ばれる文字を刻み付け使い魔にし、空を飛ぶ(タバサはどういう訳か飛ばなかったが)という尋常ならざる技術を見せつけ、そして夜になって空に浮かぶ二つの月を見せられた以上信じないわけにはいかなかった。
そして学院に帰り、タバサの部屋に戻った後、今度はタバサの方から、才人たちのことを聞いてきて、その説明が終わったところである。
「私は、まだ信じきれない」
タバサも今の話を素直には信じられなかった。神器というしゃべるバッジは、インテリジェンスアイテムならあり得ることであるし、自在法も仕組みを聞いても理解しきれず、先住魔法の亜種なのではないかとの疑問が拭えなかった。
そして何より、目の前で話す少年が、フレイムヘイズという人外の化物と戦う人外の戦士であるということが信じられなかった。
タバサも、汚れ仕事専門の北花壇騎士であるため、そういった存在について博識であり、また、それを見抜く目にもある程度自信があった。タバサの信じるその感覚は、確かに才人が、他者とは一線を画す戦士であるということを告げていたが、どうにも垢抜けしきらない才人の対応が、その感覚をあやふやなものとしていた。
しかし、それも無理からぬことである。超常の存在たるフレイムヘイズは、その誰も比肩し得ぬ力とは対照的に、精神は同じ年の人間に比べて、やや未熟であることが多い。それは不老の外見と、復讐者という境遇からなるものであるが、それ故に相対した時にちぐはぐな印象を与えるのである。もっとも、百余年を超すフレイムヘイズになれば変わってくることではあるが……。
加えて、いまだ人間寄りな思考を持つ才人は尚更その傾向が強かった。
「あー、まあ仕方ないよな。向こうの世界でも、常識的にはあり得ない話だし」
「加えて異世界ともなれば、『この世の本当のこと』も本当のことか怪しいもんだ。仕方ないだろうよ」
二人にして一人はそんなタバサの態度に、納得の姿勢を見せると立ち上がった。
「百聞は一見にしかず。見せた方が早いだろ。いいよな?カイム」
「不本意だがな。だがそれが一番手っ取り早いなら、仕方ない」
そういいながら窓を開け、タバサの方に近づいてくる。
「何をするつもり?」
タバサが聞いても二人は答えない。無言で近づいてくるのみだ。
咄嗟に杖に手を伸ばすがそれよりも早く、才人に抱えあげられてしまう。
お姫様抱っこ、という形で。
「よっ、と。ずいぶん軽いな。ちゃんと飯食ってんのか?ご主人様?」
「馬鹿野郎。女に体重の話をするやつがあるか。そんなだから『輝爍の撒き手』にも毎回どやされるんだ」
軽口を叩く才人にカイムが吐き捨てるように注意する。
そしてそのまま窓際まで移動し、桟に足を掛け一気に窓の外へと身を躍らせる。
「……ッ!!」
タバサは思わず目をつむる。
杖を持っておらず、たとえ持っていても『ゼロ』の自分では『レビテーション』を唱えられないため、このまま地面にたたきつけられると思ったからだ。タバサの部屋は搭の5階。まず無事ではすまないだろう。
しかし、いくら待っても、地面にたたきつけられる瞬間はやってこなかった。それどころか、落下時特有の浮遊感すらもない。
春の優しい夜風が、タバサの頬を撫でた。
恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
飛んでいるのである。
誰が?
自分と才人が。
信じられない気持ちで才人を見上げると、才人は悪戯に成功した子供のような笑顔をしていた。そして、なんとその背中には空色の翼があった。
「びっくりしたか?」
「当然だ。何を考えているんだこの間抜けは」
ニシシと笑う才人をカイムが罵る。
才人たちは今、『空裏の裂き手』ご自慢の自在法、『サックコート』でトリステイン魔法学院の上空を飛んでいるのだった。
「でも、これで俺の話を信じてくれるだろう?」
羽ばたきを強め、更に上空、二つの月に手が届きそうなくらいに飛び上がりながら、才人は言う。
「何の因果か知らねーけどさ、どうやら俺は本当に、あんたの使い魔になっちまったみたいだ」
風を切って才人は言う。
「どうやら、この世界は紅世とは関係ないみたいだし?元の世界に帰る方法もわからねえ」
タバサはそんな才人の横顔を見つめる。
「だったら、あんたの使い魔になってやってもいいかなって思うんだ。フレイムヘイズにとって、人の一生なんてすぐだ。それぐらい付き合ってやるよ。いいだろ?カイム」
「ふん、好きにしろ。俺にしたって瞬きの間だ」
「だそうだ。これからよろしくな。えーっと……」
言葉を詰まらせる才人に、タバサは短く答える。
「タバサ」
「タバサ。あーっとご主人様って呼んだ方がいいか?」
「タバサでいい。あなたたちは?」
「俺は平賀でも才人でもいい。『空裏の裂き手』ってのはどうも長いしな」
「俺はカイムで構わない」
「よろしく。サイト、カイム」
「こちらこそ」
「ああ」
そんなやり取りをしながら不思議とタバサは温かい気持ちに包まれた。
双月の夜空を飛ぶという、幻想的な状況だからかもしれない。
だが、これから何かが変わっていく。そんな予感だけは確かなものだった。
『ゼロ』と呼ばれる自分が、タバサと名を偽る自分の何かが、決定的に変わっていく、そんな予感。
それが良い結果となるか悪い結果となるかは分からない。そもそも、そんな予感も間違いかもしれない。
しかし、久しぶりに誰かの手に抱き上げられるという感覚は悪い気はしなかった。
今は、それでよかった。
☆☆☆
「ふーん。あれがガンダールヴ、ねえ」
空を飛ぶ二人を搭から一人、見つめる者がいた。
「伝説に空を飛ぶなんてあったかしら?」
桃色の髪を夜風になびかせ少女は一人ごちる。
「まあ、なんにせよ、ガンダールヴを呼び出したってことは、あの子もお姉さまと同じなのかしら?」
気品を感じさせる佇まいで窓の外を眺めるその姿は、まさしく深窓の令嬢というにふさわしかった。
「虚無の担い手、なのかしら?」
窓の外から部屋の中へ首を突っ込みきゅいきゅいと鳴く自らの使い魔の頭を撫でながら、少女は首をかしげた。
風のトライアングル『爆風』のルイズ。
彼女だけが遠く夜間飛行を行う二人を見つめていた。