グラン・トロワの一室に備え付けられた祭壇の前で、イザベラが始祖への宣誓をする。タバサは、王冠を手にその傍に控えている。新女王であるイザベラに、王冠をかぶせる役目を与えられたのだ。
宣誓を終えたイザベラが、タバサの前に跪く。タバサは、差し出された頭へ、恭しく王冠をかぶせた。イザベラはそのまま立ち上がると、参列している貴族たちに向けて高らかに宣言する。
「今日ここに、私は女王として即位した!空位の玉座を戴くガリアは、この時を持って終わる!これからは、私が君臨し、お前たちを導こう!」
途端、貴族たちは歓声を上げ、新女王の即位を大声で讃えた。
そのままイザベラは湧き立つ貴族たちの前を横切って外に出ると、豪奢な誂の馬車に乗り込んだ。これからリュティスをひと回りし、新女王のお披露目を行うのだ。東薔薇騎士団が馬車の護衛につき、出発した。
「お疲れ、タバサ」
役目を終えて戻ってきたタバサを、才人がねぎらう。タバサはそれに頷くと、侍女を呼び寄せた。すぐさま数人の侍女が飛んでくる。
「こちらに」
「私たちはオルレアンに寄ってから学院に帰る。竜篭の用意を」
「かしこまりました」
タバサの命令を受けて、すぐに侍女たちは駆けていった。
「プチ・トロワへ、帰る用意を」
「あいよ」
そう言って踵を返し、プチ・トロワへと向かうタバサの後を、才人が付いていく。
プチ・トロワへと着くと、タバサはドレスから制服へと着替えに向かった。才人はというと、もともと長居をする予定ではなかったので、纏めるような荷物も持ってきていなかった。その為、手持ちぶさたにタバサを待っていた。
しばらく黙って立っていた才人だが、ふとカイムとデルフリンガーに声をかけた。
「なあ、カイム、デルフ」
「どうした間抜け」
「なんだい相棒」
「タバサって可愛いよな」
「いきなりなんだ」
「ヒッヒッヒ、確かに嬢ちゃんは可愛らしいな」
「なんかさ、俺最近タバサを見てるとドキドキするんだよね」
「ふん」
「おー!いいねえ、相棒も色気づく年頃かい」
短く鼻を鳴らすカイムとは対称的に、デルフリンガーは色めき立つ。
「やっぱりこれって恋なのかな」
「知らん」
「そんなつれねーこと言うなよ、鉄片の。相棒取られそうで妬いてるのかい?」
「んなわけあるか」
「どうすればいいと思う?」
「男は押してナンボだぜえ、相棒」
「止めとけ、どうせろくな結果にはならん」
「わかったような口ぶりだなあ、鉄片の」
「わからんさ。だから止めておけ。人と、フレイムヘイズなんてのはな」
「……やっぱそーかなあ」
「ふん」
「なんかよくわからねえけど、世知辛いねえ、相棒」
ため息をついて、才人はまた黙っった。
しばらくして、制服に着替えたタバサが合流した。
「どうしたの?」
なんとなく、おかしな空気を感じ取ったタバサが、才人に尋ねた。
「いや、なんでもないよ」
「……そう」
誤魔化す才人に、タバサはそれ以上の追求をせず、竜篭を待たせている前庭に出る。タバサと才人が竜篭に乗り込むと、竜篭は飛び上がり、リュティスを離れ、ガリアとトリステインの国境部、オルレアン領へと向かった。
★★★
「おかえりなさいませ、シャルロットお嬢様」
夕方頃になって、オルレアン領にあるオルレアン公屋敷に着く。すると屋敷の中から老執事のペルスランが出てきた。
「イザベラお嬢様が亡き旦那様のご遺志を継がれ即位なされたそうで、このペルスラン、感無量でございます」
目尻に涙を浮かべながら、ペルスランは言う。
タバサは、"没落しているわけでもにのになぜか寂れてしまっている"屋敷をしばらく眺めたあと、ペルスランを見た。
「今日はここに泊まる」
「かしこまりました。ではご用意を。と、その前にこちらの方は?」
恭しく頭を下げたペルスランが、タバサの後ろにいる才人を見て尋ねた。
「私の使い魔」
「ははあ、最近では、人も使い魔になるのですな。かしこまりました。ではそちらの方のお部屋もご用意いたします」
「お願い」
そしてタバサと才人は、ペルスランに先導されて屋敷に入る。
「はー、タバサの実家っておっきいんだなあ、俺ん家とは比べ物になんねえよ」
「当然だ、間抜け」
屋敷の中を見回し、感嘆する才人を、カイムが罵った。
「それではお嬢様、わたくしめはお部屋の準備をしてまいります」
「わかった」
客間に着くと、ペルスランはそう言って部屋を出ていった。
ペルスランが部屋を出ていったのを見ると、タバサは才人に近寄ってきて、くいくいと、袖を引っ張った。
「付いて来て」
そう言ってタバサは部屋を出ていく。そんなタバサに、いつもと違う様子を感じた才人は、大人しくそれに従った。
しばらくお互い無言で屋敷の廊下を進んだ。しばらくすると、屋敷の一番奥にある部屋に行き当たった。タバサはその部屋の扉をノックすると、返事を待たずに部屋に入る。才人もそれに続く。
大きく、殺風景な部屋だった。ベッドと椅子とテーブル以外、他には何もない。本棚の有無と部屋の広さを除けば、学院のタバサの部屋と似ていた。
部屋の主である痩身の女性は、闖入者に気づき、怯えるように抱えていた人形をぎゅっと抱きしめた。
「誰?」
伸ばし放題の髪から覗く目に怯えと、病にによりやつれた顔に猜疑心を滲ませて、女性は問うた。
「ただいま帰りました。母様」
タバサはその女性に近づくと、深々と頭を下げて挨拶をした。
しかし、その女性はタバサを娘と認めず、猜疑心をより強くして、冷たく言い放つ。
「下がりなさい無礼者!どこぞの回し者ね?わたしから夫のみならず娘たちまで奪うつもりね!誰がさせるものですか!下がれ!下がりなさい!」
タバサの母はそうわめき散らすと、テーブルの上のグラスを投げつけた。タバサに向かうそれを、才人はとっさに打ち払う。しかし、タバサは頭を垂れたまま動こうとしない。
「おそろしや……、わたしたちが何をしたというのですか。わたしたちはただ静かに暮らしたいだけなのに」
タバサの母は、抱えた人形に頬ずりをしておいおいと泣き始めた。
「あなたの夫を殺し、王を僭称していた不逞の輩は討ち果たされました。いずれあなたの心も取り戻してみせます。それまでご辛抱ください」
タバサは悲しそうな笑みを浮かべると、身を翻し部屋をあとにした。事情を察した才人も思案顔でタバサに続いて部屋を出た。
客間に戻ると、二人はテーブルをはさんで応接用の椅子に腰掛けた。先ほどの出来事から、お互い表情は曇ったままだ。
「なあ、タバサ」
思案顔をしていた才人が、タバサに話しかける。
「なに?」
「タバサのお母さんってさ、確か毒を盛られたんだよな」
「そう」
「治せないのか?」
「エルフの毒は、人間には治癒できない」
悔しそうにタバサが唇を噛み締める。
「そうか……。なあ、俺ならもしかしたら治せるって言ったら、どうする?」
バッとタバサが顔を上げる。その顔には驚きと期待、そして不安と疑念が写っていた。
「本当?」
僅かに上ずった声で、タバサが尋ねる。
「ああ、あくまでもしかしたら、って可能性だけど」
「構わない」
少し自信なさげにする才人に、食い気味にタバサは頷く。
「どうするつもりだ?」
胸元からカイムが声を上げる。常に共にいるカイムからしても、才人がそのようなことを可能にする方法や、マジックアイテムを持っているようには思えなかった。
「いやさ、カイム、『清めの炎』って他人にも使えるか?」
「……ああ、ああ、そうか、そうだった。その手があったな。くそったれ、当たり前のこと過ぎて気づかなかった」
「じゃあ……!」
「ああ、可能だ」
「よっし!そうと分かれば善は急げだ。タバサ、もう一回お母さんのところへ行くぞ」
そう言うと才人は立ち上がり、早足でタバサの母の部屋へと向かう。
「……ッ!」
それを見てタバサも慌てて立ち上がり、才人の後を追った。
部屋の前に着くと、ノックもせずに扉を開け放ち、中へと押し入った。
再び部屋へと入ってきた才人たちに、タバサの母は警戒をあらわにする。
「無礼者!またやってきたのですか!何度来ようと娘は渡しません!」
構わず才人はベッドへと近寄り、タバサの母に向かって手をかざす。
「カイム、頼んだ」
「ああ」
「何です、何なのですか!」
「母様、落ち着いてください」
自分へと向かってくる才人に恐怖して、タバサの母はベッドの端まで後じさる。そんな母をタバサが必死でなだめる。
瞬間、タバサの母の全身が空色の炎に包まれる。事前に分かっていたタバサも、目の前の光景に息を飲む。
しかし、それも一瞬で終わる。空色の炎は一瞬で消え去り、後には呆然としたタバサの母が残される。
一見しただけでは変化は見て取れない。しかし、その瞳には確かに正気の光が戻っていた。
「あ……あ……」
「母様?」
「シャル……ロット……?」
「ッ!!私です!母様!シャルロットはここにいます!」
「ああ。ええ、わかる。あなたがわかるわ、シャルロット」
「母様っ!」
タバサは母へと抱きついた。母もタバサを抱きしめる。
「母様、良かった……本当に良かった」
「シャルロット、本当にシャルロットなのね。今までごめんなさい」
感動の再会を果たす母娘を、邪魔しては悪いと、才人とカイムは黙って部屋を後にする。
「よく気がついたな」
廊下を進みながらカイムが才人に言う。
「いやさ、『清めの炎』は普通の毒はもちろん、ピルソインの『ダイモーン』みたいな自在法も解けるだろ?だったらエルフの毒だかも解毒できるかなって思ったんだ」
「間抜けらしいなんとも単純な思考だ。だが今回はそれが役に立ったな」
「だろ?もっと褒めてもいいんだぜ?」
「だからと言って調子に乗るんじゃねえ間抜け」
「ちぇっ」
「ふん」
「……」
「……」
しばらく無言が続く。
「でもさ、本当に良かったよ。うまくいってさ」
安心したように、しかしどこか寂しそうに才人は言う。
「親に自分がわかってもらえないって悲しいもんな」
「自分のことか?」
「ああ」
「ふん、情けねえ」
「悪い」
「過ぎたことを悔やんでも仕方ねえ」
「わかってる」
「ならいい」
素っ気なく返すかいむの言葉に、才人は苦笑する。なんだかんだ言って、この口の悪い相棒は、自分のことを心配してくれているのだ。それが分かっているから、才人も本当に落ち込まずにいられた。
失ったものは大きいが、得たものも大きい。先日タバサに言った言葉を才人は改めて噛み締めた。
☆☆☆
トリステイン王国、王都トリスタニア、王宮の一室にて、机を囲む幾人かの人影があった。
「それでは報告いたします」
人影の一人が立ち上がり、口火を切る。人影が一斉に視線を向ける。
「今年度のトリステイン魔法学院『春の使い魔召喚の儀式』にて、『ガンダールヴ』の召喚が確認されました。召喚者はガリアからの留学生、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。学院ではタバサと名乗っているそうですが、間違いなく先日即位されたガリア女王の妹君です」
「エレオノール殿、それは真なのですか?」
報告者であるエレオノールへと、座っている人影の一人が尋ねる。その言葉にエレオノールが頷く。
「私の妹であるルイズと、そちらの、学院長オールド・オスマンが確認しています」
そう言って、エレオノールは座っている人影の一人を指す。指された先にいるオールド・オスマンは、頷いて同意する。
「魔法の発現こそまだですが、これで、わたしと、ロマリアの教皇、聖エイジス32世に続き、三人目の虚無が現れたことになります」
「つまり、トリステイン、ロマリア、ガリアの三国、四の四のうち、四の三までが揃ったことになりますね」
先ほどエレオノールに尋ねた人影が纏める。
「歴史上、四の四が揃う時は、ハルケギニアに大いなる災いが降りかかる時とされております。四の三までが揃ったのも、この百年は確認されておりませぬ。四の四が揃う可能性も高いでしょう」
オスマンが報告する。
「では、残りはアルビオンですか……。ですがアルビオンは……」
人影が言いよどむ。
「その件でしたら、わたしから」
そう言って別の人影が立ち上がる。
「タツト殿」
「ガーゴイルを潜入させて調査したところ、現在、アルビオンの内乱は、『レコン・キスタ』を名乗る貴族派が圧倒的有利、王室含む王党派は、ニューカッスルまで押し込められている模様、陥落は時間の問題かと」
「このままでは、現代の虚無の担い手はおろか、後の世に続くための始祖の血縁まで途絶えるでしょう。そうなれば四の四は永劫欠けたままになり、来る災厄にも対処は難しくなります」
達人の言葉をもう一人の人影、カトレアが引き継ぐ。予想以上に深刻な状況に、皆息を飲む。
「アルビオン王家の血は、トリステイン王家にも入っております。しかし、一国から同時代に二人の虚無の担い手が出るかどうかは、前例がありませぬ。楽観視は出来ぬでしょう」
オスマンが進言する。残った最後の人影が頭を垂れる。
「姫殿下、事態は予断を許さぬ状況にあります。ゲルマニアとの同盟の件にしても、お早いご決断を」
オスマンの言葉に、姫殿下と呼ばれた最後の人影、トリステイン王国王女にして、『ゼロ機関』の長、アンリエッタ・ド・トリステインが顔を上げる。
「ゲルマニアとの婚姻はまだ保留します。王族の血を、外に出すのは得策ではありません。そして、アルビオンには数人の手練を送り込み、虚無の担い手の保護、もしくはウェールズ・テューダー殿下の亡命の補助を行います」
アンリエッタの言葉に、残りの四人が顔を見合わせ合う。
「それは、姫様の私情では?」
代表してエレノールが尋ねる。成せるのならば最上の策ではある、しかしまるで机上の空論、現実的に考えて、到底成せるはずがなかった。どう考えても、アンリエッタの暴走であるかのように思われた。
「無理を言っているのは分かっています。私情も、無いといえば嘘になります。しかし国ではなくこの大陸の、ハルケギニア全体のことを考えれば、これ以外に取るべき策はありません」
その言葉に四人は押し黙る。確かにそうなのである。国策の話ではなく、虚無の、この大陸に降りかかる災いに対処する『ゼロ機関』としての話ならば、それ以外の策は取りようがなかった。それもひとえに虚無が、王族の血にて継承される力だからである。庶子に流れた血はあれど、大本である濃い王族の血を、絶やしたり外に出したりするのは危険すぎた。
「では、誰を向かわせますか?」
達人が尋ねる。いざとなれば自分が行くとの覚悟を決めての言葉だった。
「グリフォン隊のワルド子爵を、彼ほどの使い手ならば、此度の任務もこなしてくれるでしょう」
アンリエッタが答える。若くしてトリステイン魔法衛士隊の一角、グリフォン隊の隊長にまで上り詰め、風のスクウェアであるワルドは、国でも指折りのメイジだ。これには誰も反論がなかった。
「他には?他隊の隊長格も向かわせますか?」
エレオノールの言葉にアンリエッタは首を振る。
「そこまで重鎮を動かせば、事が敵に露見する危険性もあります。我が国からはもう一人だけ、ルイズを行かせましょう」
途端、エレオノールとカトレアが立ち上がり、猛然と反対した。
「危険すぎます!ルイズはまだ学生ですよ!内乱で混迷極まるアルビオンに向かわせるなど、極刑を告げるのと同じです!」
「そうです!それにあの子はトライアングルです!せめてスクウェアを向かわせるべきです!私たちなら、その任に足りましょう!」
二人の抗議をアンリエッタは退ける。
「あなた方には、国境を固めていただく必要があります。同盟を申し出てはいますが、依然、ゲルマニアは油断ならぬ国です。あなた方に睨みを効かせてもらわねばなりません」
「そんな、ならばせめて他の者を代わりに」
「国内の貴族のうち、わたくしが最も信を置くのがルイズです。彼女なら、きっとやり遂げてくれるでしょう。加えて……」
「加えて?」
「国内から向かわせるのは二人だけですが、他国から応援を呼びます」
「他国ですって!?どこにそんなアテがあると言うのです!」
エレオノールが激昂する。そんなエレオノールを見て、アンリエッタは微笑む。
「ガリアの新女王とは、わたくし実は以前から親交がありましたの。といっても今は文だけですが。彼女のお父君、オルレアン公シャルル様は、ガリアの虚無研究の第一人者でした。その娘である彼女なら、今回の任務の重要性を分かってくれるでしょう」
「ですが……」
「それに」
尚食い下がろうとするエレオノールに、アンリエッタは彼女の言葉を切って続ける。
「彼女の妹君が、今代の虚無の担い手なのでしょう?そしてその方は現在我が国に留学中。この国での虚無の魔法の習得に、便宜を図る旨を寄せて伝えれば、妹君を溺愛されている彼女のこと、きっと快く応じていただけることでしょう」
そう言ってアンリエッタは微笑んだ。その顔からは、女の意地と、政治家の狡猾さがにじみ出ていた。
☆☆☆
「へっくしゅ!」
グラン・トロワの執務室にて、ガリアの新女王、イザベラがくしゃみをした。
「お風邪を召されましたかな」
執務机に置いた"地下水"が尋ねる。
「いや、そんなんじゃないよ。ちょっと嫌な予感がしただけさ」
イザベラは鼻をかみつつ答える。
「国王が嫌な予感とは、喜ばしくありませんな」
「そんな大したことじゃないさ、個人的に、嫌な予感がしただけさ」
「暗殺ですか」
「だからそんな大したことじゃないって」
珍しく自分の心配をする"地下水"に、少し戸惑いながら笑って答える。そんな彼女のもとに、厄介な友人から、更に厄介な頼みごとが届くのは、そう遠くない未来の事だった。