「まさか、ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったはのう……。人は見かけによらんものじゃ」
学院長室で、四人から報告を聞いたオスマンは、そう呟いた。ロングビルが雇われた経緯を知っているコルベールは、呆れた目でオスマンを見ている。
「ご苦労じゃったな、諸君。本来なら『シュヴァリエ』に叙されるべき功じゃが、今はちと基準が狭くてのう。代わりに精霊勲章を貰えるよう、宮廷に届け出ておいた。追って沙汰があるじゃろう」
「本当ですか!」
キュルケの顔が輝く。
「ほんとじゃ。君たちは、そのくらいのことはしたんじゃから。本当なら、これでも足りんぐらいじゃ」
そう言うと、オスマンはぽんぽんと手を打った。
「さて、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。このとおり、秘宝も戻ってきたことじゃし、予定通り執り行う」
キュルケが、思い出したように驚く。
「そうでしたわ!フーケ騒ぎで忘れておりました!」
「今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をしてきたまえ。目いっぱい着飾るんじゃぞ」
そういうと、オスマンはルイズに目配せをした。
三人じゃ、礼をするとドアに向かった。
タバサは、才人見て、立ち止まった。
「先に行ってていいよ」
才人は促した。しかし、タバサは立ち止まったまま部屋を出ようとしない。
「ふむ、ミス・タバサ、それに使い魔の少年も、少しここに残ってくれんかね」
オスマンが言った。
タバサは頷くと、才人のそばに駆け寄った。才人は元より尋ねたいことがあるため、残ろうとしていたので渡りに船だった。
「なにやらわしに聞きたい事がおありのようじゃな。今日のお礼に、できるだけ力になろう」
そういうとオスマンは、隣にいたコルベールに退室を促した。才人の話に期待していたコルベールは、渋々部屋を出て行った。
コルベールが部屋を出て行ったのを確認すると、才人は口を開いた。
「あの『ヴィルケ』は、俺が元いた世界で、『宝具』と呼ばれる物です」
「ふむ。元いた世界かね」
「ええ、俺は、こっちの世界の住人じゃない」
「もしや君が元いた世界とは、地球という世界かね?」
「ッ!?、ご存知なんですか!?」
「……ッ!?」
オスマンの言葉に、才人は食いつき、タバサは息を呑む。
「知っておる、というには語弊があるな。正しくは、聞いたことがある、というとこかの」
「そ、それはどこで!?」
「まあ、落ち着きなさい。そうとなれば話は早い。ミス・ヴァリエール、入ってきなさい」
「え?」
才人を制し、オスマンは扉に向かって声をかける。オスマンの意外な言葉に、才人は扉を振り返る。
「はい、オールド・オスマン」
扉の向こうから声がし、本を抱えたルイズが入ってくる。
「ルイズ!さっき出て行ったはずじゃ?」
「ふん、どういうことだ?」
才人とカイムが疑問を口にする。
「ちょっと図書館まで『フライ』で往復してきたのよ。必要な資料があってね」
「資料?」
「そ、あなたたちに関係することのね」
そう言ってルイズはタバサにウインクをした。タバサは呆気にとられ、状況についていけていない。
「ふむ、どこまで話したかな。そうじゃ、確か地球の件だったかの。これは、ミス・ヴァリエールに説明して貰った方が良いの、ミス・ヴァリエール、頼めるかね?」
「かしこまりました」
ルイズは呆然とする才人たちに向き直ると、説明を始めた。
「まずね、タバサ。人間を使い魔に召喚したのは、あなたが初めてじゃないの。11年前、わたしの姉、エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールも、春の使い魔召喚で人間を召喚しているの。それも……」
ルイズはそこで区切ると。才人の方を見て、続けて言った。
「異世界、地球からね」
「それは、本当?」
タバサが聞き返す。そういえばコルベールが前例がどうとか言っていたと、あの日の事を思い出しながら。
「ええ、本当よ。当時はもうすごい騒ぎだったらしいわ。当然よね、『ゼロ』と呼ばれたエレオノール姉さまが、人間の平民なんて召喚するんですもの。ましてや、自分は異世界から来たー、なんておかしな事言う平民なら、尚更ね」
「『ゼロ』?」
「そうよ、タバサ。わたしの姉さまもあなたと同じ『ゼロ』だったの。そして召喚した使い魔も人間。刻まれたルーンは、これよ」
そう言うとルイズは、手に持っていた本を広げた。
「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』っていう本でね、本来は教師しか閲覧を許されない『フェニアのライブラリ』にあるんだけど、特別権限で持ってきたの。これを見て」
本のページを指差してルイズは言った。言われたとおりに、才人とタバサが覗き込むと、『ミョズニトニルン』という字が書かれていた。本来、異世界人である才人に、こちらの字は読み書きできないが、『達意の言』を使うことで、読むことだけは可能だった。
「『ミョズニトニルン』?なんだこれ?」
「あらサイト、あなたこっちの字が読めるのね。そうよ、それが姉さまの使い魔に刻まれたルーン。すべてのマジックアイテムの名前と用途を知り、扱えると言われた『神の頭脳』もしくは『神の本』のことで、四人いる始祖ブリミルの伝説の使い魔の一人だったらしいわ」
「つまり、ルイズのお姉さんに召喚された人は、ルーンを刻まれたことでその『ミョズニトニルン』になっちまったてことか」
「そういうことね」
「じゃあ俺もその『ミョズニトニルン』なのか?」
才人の疑問に、ルイズは首を横に振る。
「違うわ。四人って言ったでしょ。あなたはこれよ」
そう言ってルイズは別のページをめくり、指差す。
「『ガンダールヴ』?」
「そ。あらゆる武器や兵器を自在に扱える『神の左手』もしくは『神の盾』。『ガンダールヴ』があなたのその左手に刻まれたルーンの正体よ」
「だから剣があんなにうまく使えたのか」
「そうね」
納得した才人にルイズは同意する。
「でも、なぜ?なぜサイトが伝説の使い魔に?私は『ゼロ』なのに」
タバサが疑問を口にする。当然だ。何の魔法も扱えない自分が、始祖ブリミルの伝説の使い魔を召喚できたのは、どう考えてもおかしい。
「そう。今度はあなたの話ね。と言ってもこっちが今回の本命なんだけどね。タバサ、あなた、自分の系統は何だと思う?」
ルイズの質問にタバサは少しムッとしながら答えた。
「分かる筈がない。私は『ゼロ』」
そんなタバサの様子に、ルイズは申し訳なさそうに笑いながら言う。
「ごめんなさい、タバサ。別にあなたをからかったわけじゃないの」
コホン、と咳払いをしてルイズは続ける。
「エレオノール姉さまも、使い魔を召喚するまでは何の魔法も扱えない『ゼロ』だった。でもとある事を切欠に自分の系統がわかったの」
「とある事?」
「ええ、そうなった経緯は省くけど、王宮にある『水のルビー』と『始祖の祈祷書』にタツト義兄さま、あ、タツト義兄さまっていうのは、エレオノール姉さまの使い魔のミョズニトニルンのことね、姉さまと結婚したからわたしの義兄になったんだけど、とにかく、その人がそれらに触れたことで、その用途が分かったの」
ルイズは一拍おいて言う。
「『虚無』の担い手を目覚めさせる。それが本当の使い方だったの。で、エレオノール姉さまが持ったところ、『虚無』の呪文が現れて、姉さまは『虚無』の系統に目覚めたの」
「考えてみれば当然よね。『虚無』の使い手であった始祖ブリミルの、伝説の使い魔を召喚したんですもの。その主人が『虚無』の担い手でもおかしくはないわ」
「ねえタバサ、信じられる?まさかあの伝説の『虚無』の系統が本当にあったなんて!あ、別に始祖ブリミルを信じていないわけじゃないのよ、わたしそんな不信心者じゃないわ、ほんとよ?でも神話の世界の話がまさか現実にあったなんて!しかもその担い手が姉さまだったなんて!ねえわかる?この気持ち。伝説と同じ時代を生きられるこの幸運。ご先祖様や子孫に申し訳なくすら思うわ!それだけすばらしいことなのよ!」
「あー、ミス・ヴァリエール。少し落ち着きなさい。ミス・タバサも使い魔君も戸惑っておる」
興奮してまくし立てるルイズをオスマンが諫める。
タバサと才人は、ルイズのテンションに付いていけず、困惑していた。
コホン、とルイズは再び咳払いをし、タバサたちに向かって言った。
「つまりね、伝説の使い魔を召喚するってことは、その主人は伝説の、『虚無』の担い手ってことなの。だからね……」
ツカツカと、ルイズはタバサの目の前まで歩き、目線を合わせて告げた。
「タバサ、あなたは『虚無』の担い手なの。『虚無』が、あなたの系統よ」
☆☆☆
タバサは何を言われているのか分からなかった。
今まで自分はうまく力を扱えていないだけで、いつかあの憎き伯父のように何かの系統に目覚めるのだと思っていた。
しかし、目の前の自分の友人は、それが『虚無』だという。御伽噺のような展開に、タバサは付いていけないでいた。こうなると最早、ルイズが自分を騙そうとしているのかとすら思えてしまう。
「今はまだ信じられないと思うわ。まだあなたは力に目覚めていないし、突然こんなこと言われて、信じられるほうが珍しいもの。でも、覚えておいて、タバサ。これは本当のことなの。あなたは『虚無』の担い手なのよ」
ルイズは言う。その目は真剣そのものだ。とても自分を騙そうとしているようには見えなかった。
「……わかった。あなたを信じる」
タバサは友人の言葉を信じることにした。ルイズの顔がぱあっと輝く。
「本当に!?」
「うん」
「よかった。疑われたらどうしようと思ったの。今はまだあなたの使い魔が『ガンダールヴ』であること以外に、あなたが『虚無』だと証明する証拠がなかったから……。でも安心して、タバサ。今姉さまたちの仕事がひと段落付いたら、学院に来てもらえるよう言ってあるから、そうすれば、あなたも『虚無』の魔法が使えるようになるわ」
ルイズは、嬉しそうにそう言った。そんな友人の様子に、タバサは僅かであるが微笑んだ。
見目麗しき美少女同士の友情を、才人は隣で微笑ましく思いながら見ていたが、当初の目的を思い出し、再びオスマンに尋ねる。
「そうですオスマンさん。あの『ヴィルケ』なんですけど、あれはどうやって手に入れたんですか?」
才人の質問に、オスマンはそうじゃった、と言って答える。
「実はの、あれをどうやって手に入れたのか、わしも良く覚えておらんのじゃ。気付いたら宝物庫に在った。そうとしか覚えておらん」
「何ですって?じゃあ何も分からないって事ですか」
「うむ。そうなんじゃ。じゃから以前、ミス・ヴァリエールの義兄君に見てもらって、ようやく用途が分かった程度での。その用途も、彼ですら詳しくは分からず、扱えなかったと言う有様じゃ」
オスマンの言葉に、才人はカイムと声を出さずに会話する。
(どういうことだと思う?カイム)
(おそらくミステスがこの世界に来たんだろう。そのミステスは何らかの形でこの爺さんと関わり、『宝具』を譲渡して消えた。だからこの爺さんもそれを覚えてないってとこだろうぜ)
(なるほど)
(こうなっちまえば、後はもう何にもわからねえ。消えたトーチの痕跡を辿るなんてこたあ、一流の自在師でも不可能だ。これ以上あの『宝具』の出所を探すのは無理だ)
("徒"については何も分からず、か)
(こればかりは仕方ねえ。後は地道に探すしかねえさ)
(ま、タバサの使い魔もやんなきゃだし、気長に行くか)
「ところでサイト」
才人とカイムの思考を、ルイズの声が遮る。
「どうしたルイズ」
「わたしからも、あなたに聞きたい事があるの。あなたのあの力について」
ルイズがわざわざ"あの力"と評するもの、当然『ガンダールヴ』の力ではないだろう。間違いなく、フレイムヘイズの異能のことだ。
(どうするカイム)
(何もかも今更だ。構やあしねえさ)
カイムは投げやりに言う。
続けて才人は、タバサに目を向ける。もっとも、あそこで自分に力を使わせた以上、話しても構わないと言うことなのだろうが……。
「構わない」
案の定、タバサは首肯した。
「分かった。じゃあまずは俺の世界のことから話すぞ……」
★★★
「"紅世の徒"と『フレイムヘイズ』ねえ……」
才人が自身の知る地球のことを話すと、ルイズが感心したようにつぶやく。
「なるほど、『自在法』と『宝具』か……」
オスマンも納得したように頷いている。
「信じられないか?」
才人は尋ねる。
「いきなり聞かされたらそうね、信じられないわ。義兄さまの話ともちょっと違うし……」
「それは、ルイズの義兄さんが普通の人間だからだろう」
「ええ、分かってるわ。だからこそ信じる。だってそのお陰で今まで分からなかったことが分かったもの。例えばあの『ヴィルケ』のこととかね」
「うむ。『自在法』とは、我々の系統魔法や先住魔法とも違った魔法体系じゃと思っていたが……、異世界のものだったとは。これなら納得じゃ」
二人の言葉に逆に才人が驚いてしまう。
「そんなにあっさり信じるのかよ!」
「そもそも、あんなもの見せられちゃあねえ、信じるしかないでしょ」
ルイズは、フーケのゴーレムをあっさり倒した才人の『サックコート』を思い出して言う。
「それに、この十年ほどでわしらの常識は大いに壊されておる。もはや何も驚くことなどあるまい。わしは明日大陸が空に浮かび上がっても、驚かんよ」
オスマンも、年長者の風格を漂わせて言う。
「そんなもんか」
「そんなものよ」
「そんなものじゃ」
「あ、このことなんだけど、王宮にばらしたりは……」
「大丈夫よ、一応報告の義務があるから知らせるけど、このことは本当に信頼できるごく一部の上層部にしか話さないわ。間違っても、あなたたちに手を出させるような真似はさせない」
「うむ。君らの身の安全は、トリステイン魔法学院学院長、オールド・オスマンの名にかけて誓おう」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ございます」
二人の言葉に、才人とタバサは安心したように礼を言った。
「では、話はこれで終わりじゃ。三人とも。『フリッグの舞踏会』を楽しみなさい」
オスマンがそう締めくくり、三人は学院長室から退出した。
★★★
「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~~~~り~~~!」
ルイズが、呼び出しの衛士の声と共に、ホールヘと入ってくるのを、才人とカイムとデルフリンガーは、ホールのバルコニーから眺めていた。
サイトのそばの枠には、シエスタの持ってきてくれた料理と、ワインの瓶が置かれており、才人はそれでちびちびやっていた。
「やっぱキレーだよなー、ルイズって」
「ただの小娘じゃねえか」
「いやいや、あの気品は並の貴族にゃ出せねーよ。流石オレの買い主」
ルイズについて三者三様の感想を述べる。
続けて才人は、多数の男に言い寄られてるキュルケに視線を移す。
「エロいな」
「品性の欠片もねえな」
「人間の男ってのは、馬鹿ばっかりだあね」
キュルケについても感想を述べる。
「そういえばお前のご主人様はどうしたよ」
抜身で立掛けてあるデルフリンガーが言う。
「いないんじゃないのか?タバサってこういう場所苦手そうだし」
そう言って才人はワインを煽る。無口な自分のご主人は、こんな騒がしいところで踊るより、部屋で読書する方を好みそうだ。
「だがそうとも言い切れねえぞ。あの小娘は存外健啖家だ。ご馳走目当てに参加してるかもしれねえぜ」
カイムがタバサを評して言う。
「あー、それもあるな。ま、どっちにしろ踊りを好みそうには見えねえな」
デルフリンガーもカイムの意見に賛成する。
「おいおい、タバサは俺たちのご主人様だぜ。無礼にも程があるっつーの」
才人がふたりを叱る。しかしその才人も、タバサが踊っている姿が想像できなかった。
すると、才人は、何者かが、自分の方へ近寄ってくる気配を感じ取った。
「誰だ?ここには酔っ払った平民しかいねーぞ。お貴族様はホールの中だぜ」
才人は目を向けずにあしらう。
「わかっている」
しかし、聞こえた声に反応してそちらを振り向く。
「あなたに、ダンスの申し込みをしに来た」
タバサだった。しかし、いつものタバサの格好とは大きく違ったため、才人は一瞬混乱した。
短くまとめた青い髪と、透き通るような碧眼はいつも通りだが、少し化粧をしているのか、西洋人形そのもののような造形と、透き通るような肌の、怜悧な美しさを際立たせていた。
黒いパーティードレスは、飾り気がなく、タイトで、起伏に乏しいタバサの体型を、スレンダーという好印象に変えていた。
才人は息を飲んだ。ホールで踊っている貴族たちとは、全く違う印象が、タバサからは感じられた。
無駄なものを排し、鋭さ、冷たさで固めたような全身は、しかしてそれらが生み出す美しさに包まれていた。キュルケたちがシュペー卿の剣なら、タバサはさながら日本刀だった。
才人は見蕩れていた。実年齢なら自分と同じぐらいの少女、見た目なら、中学生の自分と比べても幼く映る少女に。
「驚いたな。そんなドレスを持ってたたのか」
カイムが感嘆する。
「これは、母様のお下がり」
タバサは短く答えた。カイムはそうか、とつぶやいた。
「私と、踊ってくれる?サイト」
タバサは固まったままの才人を、再び誘う。
才人は緊張して答えられない。
「おい間抜け。女に恥をかかせるんじゃねえ」
カイムに罵られて、ようやく才人は再生した。
「よ、喜んで、レディ」
才人は精一杯の背伸びをして答えた。
そしてぎこちないながらも、タバサの手を取って先導し、ホールへと向かう。ちゃっかり『ソアラー』を外すのも忘れない。
そして二人はホールへと行き、初々しさを感じさせるダンスを踊り始めた。
バルコニーに残されたカイムとデルフリンガーがそんな二人を見つめる。
「なあ、鉄っきれ野郎」
「なんだなまくら」
「相棒、てーしたもんだな。主人のダンスの相手を務める使い魔なんて、初めて見たぜ」
「誰が相棒だ。だがまあ、ふん……」
一拍置いてカイムは言う。
「子供の背伸びにしか見えんな」
いつもどおりの口の悪さだが、その響きには優しさが感じられた。
☆☆☆
「こりゃ驚いたな」
ヴァリエール公爵の屋敷の一角にある部屋で、蝋燭の明かりのしたにかざした手紙を読んで、一人の男がため息をつく。男は黒髪黒目という、この世界では珍しい容姿をしていた。年の頃は20代後半であろうその相貌には、確かな知性が感じられた。
「どうしたの?タツト」
タツトと呼ばれた男を背中から抱きしめ、メガネをかけた金髪の妙齢の美女が、尋ねる。
「ああ、エレオノール。ルイズから手紙が来てね。新しい『虚無』の担い手と、使い魔が現れたらしい」
タツトはエレオノールと呼ばれた女性の頭を撫でて答える。
女性の名は、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ルイズの姉にして『虚無』の担い手である。
男性の名は、タツト・ル・ブラン・ド・ミヤモト・ド・ラ・ヴァリエール。エレオノールの夫にして使い魔。『ミョズニトニルン』である。ちなみに元の名は宮本達人というが、七年前、エレオノールと結婚した時に婿となったため、今はヴァリエール姓を名乗っている。
「まあ、あの子ったら、ちゃんと監視の任をやってくれてるかしら」
少々ルイズに手厳しいエレオノールは、心配を口にする。
「何も心配することはないよ、エレオノール。あの子は君の自慢の妹だ」
「そうね、あなたの義妹だものね」
そう言って二人は微笑み合う。そしてどちらともなく目を瞑り、唇を近づける。
「そうですわ。ルイズは私の可愛い妹ですもの。ちゃんとやってくれますわ。姉さま」
そこに二人を邪魔するように闖入者が現れる。
「「カトレア!」」
突然現れた(義)妹に達人とエレオノールは驚く。
「もう!カトレア、なんでいきなり現れるのよ!」
夫との時間を邪魔されたエレオノールが怒る。
ルイズに似た桃色の髪を持った女性は、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌといい、エレオノールの妹にして、ルイズの姉だ。
「トーマとジローが寝付いたから報告に来たのよ。お姉様たちったら気づかないんだから」
カトレアは、コロコロといたずらっぽく笑う。
トーマとジローとは、どちらも達人とエレオノールの息子である。5歳と3歳の子供で、赤ん坊の頃から乳母のようなことをしていたカトレアに、エレオノールよりも懐いており、今も時々こうやって寝かしつけたり世話を焼いたりしている。「子供のしつけは厳しく」という方針をとっているエレオノールは、複雑な気分であるが、妹を信頼し、何かと不器用な自分ではできない甘やかしを、カトレアに頼っている。
「ありがとうカトレア。体調はどうだい?」
達人が礼を言い、カトレアの体調を心配する。
生まれた時から謎の奇病に罹り、ろくに屋敷の外にも出れなかったカトレアだが、達人の『ミョズニトニルン』としての知恵と、父ヴァリエール公の水の魔法による秘薬で、今ではすっかり完治していた。それでも、達人はカトレアに無理をしないよう時々言い聞かせていた。
「問題ないわ。お父様とお義兄様のおかげよ」
そう言ってカトレアは達人に抱きつく。
達人がカトレアの病気を治したのが十年前。その日からカトレアは義兄である達人にぞっこんなのだ。
「カトレア!なに人の夫に抱きついてるの!」
エレオノールが怒る。もちろんエレオノールはカトレアの気持ちを知っている。七年前自分が結婚して決着をつけたと思っていたが、義兄との禁断の恋、とカトレアに余計に火が付いただけで、何の解決にもならなかった。
「お、落ち着いてエレオノール。隣の部屋の子供たちが起きてしまう。カトレアも、慕ってくれるのはありがたいけど、僕はエレオノールの夫で、君の義兄だ」
「あら、何も妻にして欲しいとは言っておりませんわ。愛人でも良いのです」
「もっとダメよ!」
カトレアの言葉にエレオノールの怒りが増す。
「エレオノール、落ち着いて」
「あなたは甘すぎるのよ!」
とうとう矛先が達人に向く。
喧々諤々、あらあらうふふと、ヴァリエール家の夜は更けていく。
☆☆☆
「誰か、誰かいるかい」
トリステインの南西に位置する大国、ガリア。その首都リュティスの郊外に築かれた薔薇色の宮殿、ヴェルサルテル宮殿。その一角に桃色の壁で築かれた小宮殿、プチ・トロワの中で、その主たる少女の呼び声がする。
イザベラ・マルテル・ガリア。ガリア王国の第一王女にして北花壇騎士団団長。タバサの従姉で、自称、"水"のライン。『水銀』のイザベラだ。
「はい、殿下」
「七号を呼んでおくれ」
参じた侍女に、あくびを噛み殺しながらイザベラは言った。
「は、この時間からですか?」
「そうだよ、今から呼びゃあ明日の朝頃には向こうに着くだろ。そんなことも分かんないのかい?」
「は、はっ、かしこまりました!今すぐ!」
「さっさとしな。モタモタしてるとクビを切るよ」
「た、ただちに!」
バタバタと慌てて侍女は駆けていく。その様子を、イザベラはつまらなそうに見る。
「少し、お戯れが過ぎませんかな?」
イザベラの懐から声がする。
「ふん、あんなの戯れの内にも入らんさ」
その声にイザベラは答える。
「左様で。しかし今回はどういったご用件であの方をお呼びで?」
「ふん。仕事と、それに何やら使い魔を召喚したそうじゃないか、『ゼロ』のあいつが。どんな使い魔を呼んだのか、興味が湧いてね」
「また酔狂ですか」
懐の声に顔をしかめると、イザベラはそこに手を入れて一本のナイフを引き抜いた。
「"地下水"、口が過ぎるようだねえ、溶かしてただの鉄くずにしてやろうか」
「ご冗談を、わたしを溶かしたら誰が殿下の代わりに魔法を使うのですかな?」
凄むイザベラを、"地下水"と呼ばれたインテリジェンス・ナイフは受け流す。
ふん、と鼻を鳴らしてイザベラは彼を懐にしまう。
イザベラが"水のライン"として魔法を扱えるのは、彼のおかげであった。
そして窓際まで移動すると、窓枠に肘を付き、空に昇る双月を眺めた。月光を浴びて、王族特有の青い髪が輝く。そうしていると正しく深窓の令嬢であった。
「まったく性にあっておりませんな」
「うるさい」
"地下水"がそれをからかい、イザベラは懐を叩いた。神秘的な雰囲気が、台無しであった。
~あとがき~
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