プチ・トロワの一角、イザベラの寝室では今、緊迫した空気が漂っていた。その原因は先ほどのイザベラの衝撃的な告白にある。
「それは本当か?」
カイムが口火を切って尋ねる。今は驚きで沈黙しているが、才人とタバサも同じ気持ちであった。
「嘘じゃないさ。おそらくあんたらも感じてるんだろう?王宮にいる"徒"の気配をさ」
「ああ。でも俺たちが来たのを感じ取ったのか気配を隠しやがった」
「そうみたいだね。いつもよりも薄まってる」
「感じ取れるのか?」
「まあ、長いこと感じてた気配だからね」
こともなげにイザベラは言う。その様子に改めて才人とカイムは舌を巻く。
「いつから?」
「なんだい」
「いつから知っていたの?」
タバサがイザベラに尋ねる。当然だ、以前よりジョゼフが別の存在だと知っていたのなら、なぜ、それを今才人たちに明かすまでに他の者に相談しなかったのか疑問が残る。
「そうだね、はっきり感じられるようになったのは五年くらい前かしらね」
「ということは」
「そう、三年前、あんたの父であり、私の叔父であるオルレアン公を殺したのは、本物の私の父じゃなく偽物ってことさ」
「……」
明かされる事実にタバサは黙り込んでしまった。
「その偽物について詳しく教えてくれ」
代わりに才人がその"徒"について尋ねる。イザベラは、そうね、と一言おいて語り始めた。
「私が入れ替わりに気づいたのは五年前だけど、入れ替わりそのものは十年前に起こってたと思うわ」
「ふん、その根拠は?」
カイムが尋ねる。
「魔法の才能よ。十年前まで私の父は魔法の才能のない『ゼロ』だったわ。それが十年前を境に凄まじい魔法の才能を発現させた。でも、おそらくそれは……」
「自在法、か」
「そうね。そう考えるのが妥当だわ。それでも三年前までは以前の父上のようにオルレアン公や、周囲の家臣とも普通に接していた。むしろ、家臣たちに関しては『ゼロ』だった頃よりも上手く接していたわ」
「それが王位に就いた途端豹変したのか」
「ええ、目的はわからないけど、急に狂ったような振る舞いを始めたわ。オルレアン公を暗殺したり、叔母様に毒を盛ったり、オルレアン公派の貴族を粛清したり、ね。お陰で狂王なんて呼ばれるようになったわ」
「あんたよく無事だったな」
才人が感心したように言う。傍若無人な"徒"の傍にいて、今日まで無事であることはまるで奇跡だった。自分が成り代わっている男の娘という真っ先に喰われても不思議ではない関係であるのにだ。
「どうも奴は才能のあるやつを害するみたいでね、五年前、奴の正体にづいてからは努めて愚かしく振舞うようにしてたのさ。侍女を虐めたり、その子を北花壇騎士に入れて過酷な任務を受けさせたりね。狂王の娘にふさわしい、粗野で下劣な王女であるように周囲を騙していたのさ」
「そうだったのか」
「エレーヌを北花壇騎士に入れたのも、私の指揮下に置くことで、奴に余計な手出しをさせないようにするためさ。あいつの気をそらすため、わざと辛く当たるようにしてたのよ」
そう言ってイザベラはタバサに向き直る。
「ごめんなさいエレーヌ。私が今までしてきた仕打ちは、謝って許されるようなことではないけれど、全てあなたを守るためだったの。決してあなたが憎かったからではないの」
タバサの手を握りイザベラは言う。憑き物が落ちたような、穏やかな顔のイザベラに才人は驚いた。最初見た時の意地の悪い雰囲気は消えていた。おそらくこれが本来のイザベラなのであろう。今までは無理して乱暴に振舞っていたのだ。
「……知っていた」
「え?」
「あなたの振る舞いが昔とは変わっても、心までが変わったわけではないと、知っていた」
「え、え?い、いつから?」
「割とはじめから」
「え、えぇええ」
タバサは少し申し訳なさそうに言う。意を決しての懺悔を、あっさりと流されたイザベラは、困惑したように声を上げる。
「う、嘘よ!私の演技は完璧だったわ!わざと口調を荒くして、なるべく下品に振舞って!暇を見つけては侍女をいじめるようにして、あなたにもひどい言葉を投げかけたわ!」
「まあ、王宮ではともかく、プチ・トロワではバレバレでしたな」
混乱するイザベラに、懐から声が投げかけられる。
「"地下水"!どういうこと!」
イザベラは懐から"地下水"を引き抜き、詰問する。
「シャルロット様も、侍女たちも、あなたが本心からあのような振る舞いをしているのではないと、気づいていましたぞ」
「そんな!でも今日だってあの新米は私に怯えていたわ!エレーヌも、私を嫌っているから私と会うときいつも鉄面皮なんでしょ!」
「あの者は王宮上がりの新人でしたからな、噂を真に受けていただけでしょう」
「……無表情はいつもそう」
尚も主張するイザベラに"地下水"とタバサは容赦なく追い討ちをかける。鉄面皮と言われたタバサは少し不満げだった。
「う、う、うぅぅううううううぅぅぅぅぅ」
とうとうイザベラは、うめき声を上げながらベッドに潜り込んでしまった。"地下水"と冠はその際脇へ放り投げられた。
「え、えーと、どういう事なんだこれ」
状況についていけない才人が、ぽつりと漏らした。
「つまり、あのデコ娘は、今までノリノリで周囲を騙していたつもりだったが、周囲も実はそれに気づいていて、気を使って黙っていたって事だろう」
「あ、なるほど」
カイムの解説に納得したように才人は頷く。
「う"ー!う"ー!」
改めて自分の痴態を解説されたイザベラは、ベッドの中でうめきながらジタバタと暴れた。よほど恥ずかしかったのであろう。
「いやあ、真意を秘めて露悪的に振舞う私、と時々黄昏ていましたからな!」
「言葉使いが悪くなっても私にご飯を食べさせたり、服にケチをつけて新しい服を渡してきたりと行動が伴ってなかった」
床に転がった"地下水"と、椅子に座ったタバサが、更に死体蹴りを行った。
「う"ぅ、うるさい!うるさい!うるさーい!」
恥ずかしさに耐え兼ねたイザベラがとうとう叫び出し、、収拾がつかなくなった。
★★★
数十分後、ようやく落ち着いた(それでも潜り込んだベッドから顔だけを出した状態であるが)イザベラを交え、話を再開した。外はもう日が傾き始めていた。
「結局、その偽物はどんな"徒"なんだ?」
才人が疑問を唱える。
「あいつは水のスクウェアを名乗ってるし、水を扱う"徒"なんじゃないかい?」
イザベラが半ば投げやりに言う。
「水を使うってだけじゃなあ、そんなやつごまんといるし」
才人がお手上げだ、という風に腕を組む。
「おい嬢ちゃん、奴の二つ名はなんと言った?」
カイムがタバサに尋ねる。
「『狂瀾』」
「水使いで"狂瀾"が真名の"王"は確かにいる。ああ最悪だ。くそったれ」
「マジかよ」
カイムの発言に才人が反応する。
「ここ数年、外界宿でも名前を聞かないからとっくにくたばったものと思ってたぜ」
「どんな"王"なんだ?"狂瀾"って」
「"狂瀾"アナンシ。"狩人"フリアグネと並び、近代五指に入る強大な"紅世の王"だ」
「うげ、"狩人"と同格かよ」
「ああ、評に違わねえ厄介な"王"だ」
「まいったな」
「まったくだ。予想以上に大物が出てきやがった。こっちじゃ援軍も見込めそうにねえってのによ」
「でも、そんな大物をこれ以上野放しにはしておけないな」
「ああ、まったく、その通りだぜ。くそったれ」
そう言って才人は椅子から立ち上がる。
「どうするの?」
タバサが尋ねる。自分を見上げるタバサの頭をなでると才人は笑って言い放つ。
「今から打って出る」
「私も行く」
案の定タバサが提案するが、才人はそれを断る。
「ダメだ。タバサはここにいてくれ」
「どうして」
言葉こそ先ほどと違わぬものの、そこに込められた意思は先程と違い頑なだった。食い下がるタバサを一顧だにしない。
「嬢ちゃん、状況が違う。予想以上の大物だ。流石の俺らでも嬢ちゃん守りながら"狂瀾"を相手にするのは不可能だ」
カイムが諌める。
「そんな、でも……」
「わかってくれタバサ」
「……わかった」
才人に見つめられ、ようやくタバサは頷く。
「一晩待てば、私の騎士団を集められるけど?」
イザベラがそう提案する。確かに北花壇騎士団が揃えばなかなかの戦力になるだろう。
「ありがたいけど、それはダメだ。時間を食いすぎる。ただでさえこっち来て時間を使いすぎちまったのに、一晩なんて待ってたら逃げられちまうかもしれねえ」
「ああ、まったくな。くそっ、最初から相手がわかっていればこんなに時間を食わせなかったってのに。……いや、相手が"王"と分かった時点で打って出なかったのが間違いだったぜ」
悔しそうにカイムが言う。
「後悔しても仕方ねえよ。なに、今からでも遅くはないさ」
「だといいがな」
「っと、そうだ忘れてた」
そう言って才人は担いでいたデルフリンガーを下ろす。
「ずっと静かだったから忘れてたぜ」
「なんでえ、相棒がずっと鞘に入れてたんじゃねえか。ひでえよ」
才人の言葉にデルフリンガーが鞘から刀身を覗かせ抗議する。
「拗ねるなよ。まあいいや。お前もここで待っててくれ」
そう言って才人はデルフリンガーをタバサに預ける。
「おいおいオレっちも置いてけぼりかよ」
「悪いな。どうも今回はマジでやんねーとダメみたいだ。お前担いでると動きにくいからな。今回は留守番だ」
「お似合いだな、鈍ら」
「なんでえなんでえ、ひでえやひでえや、オレもう知らないかんね」
拗ねるデルフリンガーに苦笑すると、才人は扉に向かう。
「イザベラ、気配はまだ玉座の間か?」
振り返り尋ねる。イザベラは少しの間目を閉じると頷く。
「ええ、何考えてるのかわからないけど、あいつはまだ玉座にいるわ」
「そっか、わかった。ありがとな。タバサをよろしく頼む」
「言われるまでもないわ」
次にタバサへ振り返り一時の別れを告げる。
「じゃあ、タバサ。ちょっと行ってくる」
「……気をつけて」
二人に見送られ、才人はイザベラの寝室を出る。
プチ・トロワを歩き抜けながら、カイムと才人は相談をする。
「おそらく既に罠を貼られているぞ。策はあるのか?」
「ない」
「どうするつもりだ」
「いつもと変わらねえさ」
「真正面から『サックコート』で引き裂く、か」
「わかってんじゃねえか、相棒」
「ふん、それしかないからな」
「そうだよ。俺たちにはそれしかないんだ。敵も罠も正面から引き裂くだけさ。昔も今も、これからだって変わりゃしねえ」
「そうだな、間抜け」
プチ・トロワを抜け、前庭に出ると、才人は『サックコート』を纏って大きく飛び上がり、グラン・トロワを目指した。
☆☆☆
「使い魔の彼が心配?」
才人が出て行った後、扉を見つめ続けるタバサにイザベラが声をかける。
「……」
無言で頷くタバサを見てイザベラは微笑むと、ベッドの隣に垂れ下がった紐を引っ張った。
すぐに一人の侍女が駆け込んでくる。
「お呼びでございますか?殿下」
「カステルモールを呼んでちょうだい」
「かしこまりました」
侍女が退室するのを見送ると、イザベラはタバサに笑いかけた。
「動かせる騎士団は北花壇騎士団だけじゃないわ。忠義に篤い騎士団は他にもいる。あなたが協力してくれたらね」
そう言ってイザベラはタバサの頭を撫でる。
「さあエレーヌ。あなたのお父様の弔い合戦の準備をしましょう。何事もなければ重畳だけど、備えておいて損はないわ」
イザベラはベッドから立ち上がり、寝室を出て侍女たちに指示を出し始めた。
タバサは杖を握り締めると、従姉の後を追った。
☆☆☆
才人はグラン・トロワの前庭に降り立つと、辺りを見渡した。
「変だな、人がいねえ」
本来なら、許可なく王宮の敷地内に入って来るものを取り締まるための衛士や、政治の中枢なら当然いるであろう大臣たちの姿も見当たらなかった。
「"狂瀾"に喰われたか?」
「大規模な捕食が行われたにしては"歪み"を感じねえ。トーチも見当たんねえ。その線は薄いな」
才人の予想をカイムが否定する。
「じゃあ人払いして何か仕掛けてやがるのか?」
「だろうな。奴の『自在法』は規模が大きい分準備に時間がかかったはずだ。くそっ、ますますこっちが不利だな」
「『ハイタイド』だっけ、どんな『自在法』なんだ?」
「辺り一面の空間を水で満たす水の結界だ。捕まったら最後、奴の独壇場だ。絶対捕まるんじゃねえぞ」
「わかってる。発動の気配を感じたら高速離脱。そうだよな?」
「ああ」
話し合いながら才人は玉座の間を目指す。その途中でもやはり誰とも遭遇しなかった。嫌な予感がますます高まる。
やがて、才人は玉座の間の入口の扉にたどり着いた。意を決して開け放つ。
扉を開けてすぐに、目当ての相手は見つかった。一人の男が玉座の前に悠然と立ち、こちらを興味深げに見つめている。
「ようこそ!我が大望を阻む同胞殺しとその道具よ!歓迎するよ。私がこの国の王、ジョゼフ一世だ」
青い髪に青い髭という、確かにガリア王族の特徴を持つその男は、両手を挙げて才人とカイムを歓迎した。
「この国の王だと?抜かせ"狂瀾"」
その男の自己紹介を聞いたカイムが吐き捨てるように言う。
「おや、もうバレていたのか。では改めて、私が"紅世の王""狂瀾"アナンシだ」
まるで劇を演じるかのような、大仰な手振りでアナンシは改めて自己紹介をした。
「では君たちも名乗ってもらえるかな?舞台に上がるのにジョン・ドウでは味気ない。それでは語られる意味がない」
そう言ってアナンシは才人に名乗りを求める。
「“觜距の鎧仗”カイムのフレイムヘイズ『空裏の裂き手』平賀才人だ」
淡々と才人は名乗る。その間も、アナンシの行動を注意深く観察し、おかしな動きがないか探る。
「なんと、なんと、なんと!君が『空裏の裂き手』かい?ならば君たちは我が同志ではないか!」
「どういう意味だ」
アナンシの発言にカイムが食ってかかる。
「どういう意味もあるものか!“觜距の鎧仗”。君の名前は我ら[革正団]の内に広く轟いているよ」
「てめえ、まさか……」
「いかにも!私も[革正団]だったのだよ!」
「[革正団]は30年代に全滅したはずだぞ」
才人が尋ねる。最も、彼が生まれる以前の話のため、師であるフリーダーから聞き齧っていたに過ぎない。もちろん、自分の先代がそれに所属していたこともだ。
「全滅といっても、組織だった活動ができなくなっただけだ。私のように生き残ったものは幾ばくかいるさ」
フフン、とアナンシは鼻で笑う。
「だが妙だな。『空裏の裂き手』はサラカエル一派と共に死んだと聞いていたのだが」
「二代目だ」
アナンシの疑問に才人が短く答える。
「そうかそうか。“觜距の鎧仗”、君は懲りずにまた契約したわけか」
「うるせえ」
「また[革正団]に入ってくれたのかい?」
「んなわけねえだろうが、引き裂かれてえのか」
「まあそう怒らないでくれたまえ。私は今とても嬉しいんだ。討滅の道具とはいえ、元の世界を知る同胞に会えたことがね」
「そりゃどーも。こっちはあんたの面なんざ拝みたくなかったけどな」
感激するアナンシに才人は邪険に返す。なぜアナンシがこんなに上機嫌なのかわからなかった。
「聞いてくれるかい?私の目的を」
「断っても話すんだろうよ」
「まあそうだがね。なあ、君、私がなぜトーチを被り玉座についているのかわかるかい?」
「さてね、悪趣味な『君主の遊戯』の真似事にしか見えないな」
アナンシの問いに才人は投げやりに返す。
「おお、なかなか鋭いじゃないか。確かにあの女はそのつもりだろうがね、私は違う。もっと崇高なる目的のためさ」
(あの女?)
「へえ、じゃあその崇高な目的ってなんなんだよ」
別の存在を示唆する言葉に、カイムは疑問を覚えるも、とりあえずアナンシの目的について才人が尋ねる。その途端、アナンシの顔一面にに喜色が広がる。
「物語だよ!」
「へ?」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりのアナンシの勢いに才人は虚を突かれて間抜けな声を出す。
「私はね、物語を紡ぎたいんだ」
「それは、本を書きたいってことか?」
才人の問いに、違う違うと、かぶりを振って、アナンシは語りだす。
「喜劇や悲劇、冒険活劇や恋愛譚!それら心躍る物語を空想ではなく現実で!この世の人間で!実際に演じさせたいのだよ!いつも書物を読み空想に耽るだけだった物語を!現実で紡ぎ、私がそれを鑑賞する!事実は小説より奇なりという格言の中に私は身を置きたい!心躍る物語の中で、語り部としてありたいのだよ!」
「なるほど。そのための王位か」
アナンシの熱弁を聞き、カイムは得心した。
「そうとも!王という地位は実に便利だ。命令一つでどんなことでも起こしうる。ましてやこの大陸一の大国の王ともなれば、耳に入らぬ出来事はない!この幻想が息づくこの世界で!それが出来ることの何たる幸福なことか!君たちに分かるかい?」
いっそ狂気すら孕んだ顔で、アナンシは言う。そのさまを見て才人は、なぜこの"王"が[革正団]に入っていたのか理解した。
「なるほどな。だから人と"徒"の関係を断つ『封絶』が、気に食わなかったわけだ」
才人の言葉に、アナンシは悲しそうな顔で同意する。
「ああそうとも。『封絶』は史上最悪の自在法だ。我々と人間の関係を断ち、奇跡たる交流を無きものにする。まったくもって理解しがたいよ」
そう言ってアナンシは項垂れる。しかし次の瞬間、顔を跳ね上げ、また喜色を張り付かせて語りだす。
「だがもういいんだ。私はこの素晴らしい世界に見える事が出来た。無粋な『封絶』も使えず、幻想に満ち溢れ、人類がまだ未熟な文明を謳歌するこの素晴らしい世界にね。ああ、それだけで私を召喚してくれたこの男には感謝しているよ。おまけに玉座まで手に入れた。ここはもう、私のための箱庭だ。古に伝え聞く創造神の『大縛鎖』とて目じゃないよ」
うっとりと、自身の演説に酔うようにアナンシは語る。それを見て才人とカイムは嫌悪感を露わにした。
「世界のすべてが自分の玩具ってか。イカれてやがるぜ、てめえはよ」
「"紅世"の恥さらしが」
吐き捨てる二人に気を悪くした風もなく、アナンシは続けて語る。
「まあそう邪険にしないでくれよ。紡がれる物語の醍醐味はね、読むことと語ることにあるんだ。最近は読むばかりで語る相手がいなくてね。是非とも君たちに聞いて欲しい」
アナンシはもったいぶるように間を空ける。そして前置きを語りだす。
「最近の私は悲劇に凝っていてね。無分別な輩は、三流の喜劇の方が、一流の悲劇より勝ると言うが、それはそいつが無教養だからだ。私のようにきちんと教養を身に付けさえすれば、悲劇の持つ上質なリアリティと、特有の深みから、秘められた真の幸福を感じ取り、喜劇以上に楽しめるのさ。と、話が逸れたね、というわけで私はここ数年、私が楽しむにふさわしい主人公を探していた。これがなかなか難しくてね、悲劇に最もよく映えるのは美しさと、高貴さでね、最高級の悲劇を紡ぐには、最高の美と気品が必要だったんだが、なかなか見つからなくてね、いや、苦労したよ」
「何が言いたい」
アナンシの長口上に焦れた才人が口を挟む。先程からずっと、アナンシの隙を探っていたのだが、さすがは近代五指に数えられるほどの"王"、話に熱中していても、全く隙を見せなかった。
「まあ、待ってくれ、本題はここからだ。そしてね、私はとうとう見つけたのだよ。いや、思えば灯台下暗しだった。あんなに近くにいたのに気づかないとはね。あの娘こそ、私の望む悲劇の主人公にふさわしかった」
一拍置いて、感極まったようにアナンシはその者の名を語る。
「シャルロット・エレーヌ・オルレアンという、この体の男の姪こそが、主人公にふさわしい」
その瞬間、空色の炎弾がアナンシを襲う。
咄嗟に防御し、耐えるも次々とその身を炎弾が襲う。それらすべてを払い、躱し、防ぎ、それを放った相手を見た。
「てめえか」
空色の衣を纏った幽鬼が、そこにいた。
「てめえのその下らない目的のために、タバサは苦しんだのか」
『空裏の裂き手』その力の象徴たる自在法『サックコート』を纏い、才人は完全に臨戦態勢に入っていた。
「絶対に許さねえ」
最早罠など気にしていられなかった。有利不利さえもどうでもよかった。ただ目の前の"徒"を屠らねば気がすまなかった。
「覚悟しろよイカレ野郎」
契約者の行動にカイムは異を唱えなかった。掣肘することもなかった。元より短気なカイムは、既に我慢の限界であった。使命よりも情を優先するこの情け深き"王"は契約者と共に怒っていた。
「今すぐその被ったトーチごと、薄汚ねえてめえの中身を引き裂いてやるよ」
激情に駆られるカイムが、アナンシに向かって吐き捨てるように言う。
激昂する『空裏の裂き手』という、並の"王"や"徒"ならしっぽを巻いて逃げ出す討ち手相手に、しかしアナンシは変わらず喜色を浮かべたまま相対する。
「いいね。何が君の逆鱗に触れたかはわからないが、その表情は良い。実に復讐者らしい。これぞまさにフレイムヘイズだ」
語るアナンシの足元から、ターコイズブルーの炎が溢れ出す。
「久しくこの様なものは見ていなかった。復讐譚というのも実は私は嫌いではない」
青々とした二つの炎が、玉座の間を照らす。
「さあ、君の物語を見せてくれ!」
二つの炎が激突し、戦いの火蓋が切られた。