第九話『戦地へ』
戦争へ行けと、ルイズの『親友』であるはずのアンリエッタは言ったのだ。
とある日の、半宵。
ルイズとスズネは、『使い魔品評会』には出席しなかった。スズネは何も言わなかったが、明らかに乗り気でないは目に見えていたし、ルイズ自身も、スズネを衆目に晒そうとは思わなかった。楽しみにしてくれていたアンリエッタには申し訳ないけれど、後でこっそり紹介すれば筋は通せるだろう。貴族として、恥ずかしいことではないはずだ。
「というわけで、姫さまの所に行くわよ」
ルイズは言うが、スズネの反応はない。ただ、
「外に誰かいる」
「なんでわかるのよ?」
コンコンと、ドアが優しくノックされた。
鈴音は、いち早く外に立っている人間の気配を察していた。敵意は感じられず、おそらく女性である。コンコンと二回ノックされ、続けて二回ノックされる。鈴音がドアを開ける。音を立てずに入ってきたのは、フードを被った女性だった。鈴音よりも5センチほど高く、フード越しでもわかる気品を放っている。ルイズの顔がパッと明るくなる。杖を振るうと、
「監視はないようですね」
「姫さま!」
フードを取ると、端麗な顔立ちの女性が姿を現した。変装している意味などないのではないかと鈴音は思ったが、すんでのところで飲み込んだ。
「アンリエッタでいいのですよ、ルイズ」
二人は久々の友情を確かめ合った後、アンリエッタは鈴音に視線を向けた。
「貴女がルイズに召喚された使い魔ですか……」
くりくりとした大きな瞳が鈴音を捉える。
「スズネ・アマノです。ちょうど紹介したいと思ってたんです」
「スズネさんですか、噂には聞いていましたが……、意外な方でした。もっと屈強な人物を想像してましたので」
そう言って、アンリエッタは手を差し伸べてくる。慣れないながらも、鈴音はその手を握った。アンリエッタはこほんと咳払いすると。
「では早速、本題に入りましょう───」
姫さまが話したのは、至って簡単な話をだった。彼女はアルビオンと言う国の皇太子とかつて関係を持っており、その彼に渡した手紙が公にされると政略結婚が上手く運ばなくなるらしい。そこまではわかる。内密にしなければならないから王室の関係者は使えず、ルイズに頼むのはわかる。だが、問題は、その『アルビオン』が『レコン・キスタ』という歴史の教科書で聞いたような名前の組織と戦争状態にあるということだ。アンリエッタ 姫は、親友であるはずのルイズに、戦地へ赴けと言ったのだ。いつ攻め落とされるかわからない国に行くというのは、そういうことだろう。それだけではない。仮にルイズがアルビオンで『レコン・キスタ』に捕らえ、捕虜になったとしてもトリステインは何もしないということを意味しているのだ。鈴音は戦争に行ったことはないが、あまりにも危険なことだけはわかる。
「行きます! 私、行きます」
「危なすぎる。やめたほうがいい」
何を舞い上がっているのか。鈴音にはわからなかった。ルイズには何処まで視えているのか。命の危険があることをわかっているのだろうか。戦争に巻き込まれることをわかっているのか。
「どこに行こうとしているのか分かってるの?」
「それは……」
「ルイズ、あなたに人を殺す覚悟はある? 殺される覚悟はある?」
ルイズは黙り込んでしまった。それでいい、申し訳ないが、姫さまには他を当たってもらうしかない。鈴音がアンリエッタに視線を向けた時、
「ないわ。人を殺す覚悟も殺される覚悟もないわ! でもね、殺さない覚悟と殺されない覚悟ならあるのよ! 誇りのために死ぬ覚悟なんかないわよ!……それに、いざとなったら最強の使い魔が守ってくれるしね」
そう言って、ルイズはにやっと笑った。
「……わかった」
「あなた方の勇気に感謝します」
アンリエッタは頭を下げた。そして、もう一度ルイズと鈴音の手を強く強く握ると、ドアに手をかけた。そしてドアノブを引くと───
「───きゃぁっ」
ドアに耳を当てていたのか、キュルケがなだれ込んでくる。後ろにはタバサが冷静に立っている。
「話は聞かせてもらったわ!」
スカートの埃を払ったキュルケは、杖をビシィと掲げた。
鈴音は、タバサやキュルケと一緒にシルフィードに乗ってアルビオンを目指していた。アンリエッタが派遣したというワルドとルイズはグリフォンに乗って下を移動している。
「あら、もしかして嫉妬?」
鈴音が二人の様子を見ていると、後ろに座っているキュルケが笑いながら鈴音のお腹に手を回した。
「いまはルイズのことなんか考えなくていいのよ〜」
そんなキュルケを振りほどき、鈴音は首を振る。ただ、きな臭いのだ。話を聞けばルイズが昔婚約を誓った(?)相手のようだが、どこか、彼女に良い影響を与えそうには見えないのだ。凛とした態度と輝かしい経歴とは裏腹に、目的のためなら手段を選ばない強引さを兼ね備えているようで。───暗い世界で生きてきた鈴音の勘違いだろうか。こうやって上から見ていても、怪しい雰囲気は出ていない。この不安が杞憂であることをキュゥべえに祈りながら、鈴音は澄んだ空気を堪能していた。辺りを見回して、ふと頬が緩む。
「あら、楽しそうね」
「私が生きてた場所に、こんな綺麗な空気はなかったからね」
排ガスや化学物質に汚染された街で生まれ、死んだ。もし魔法少女たちがこの世界で生きていたならば、吸って吐くだけで肺が浄化されるようなこの空気に囲まれて生きていたならば、今よりきっと魔女化する確率は低かったかもしれない。
「まあ、あなた達にはわからないだろうけど」
もしここに椿と訪れたら、どれだけ幸せだろうか。叶うはずのない IFを考えて、
「……わかる」
タバサがぽつりとこぼした。
「息が詰まって、吸うだけで肺が穢れるような空気。私も知っている」
「タバサ……」
二人がなにかを言う暇もなく、港町ラ・ロシェールが姿を現した。幻獣が闊歩するこの世界で、空飛ぶ船ごときでは動じない鈴音であった。