第一話『邂逅』
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、二十五回目にしてようやく召喚に成功した。大きな爆発、けれど確かな手ごたえ。穏やかな風が黒煙を流して行く。そこに現れたのは、
「───うそ」
全身の汗腺から汗が噴出するのをルイズは感じていた。少女が、倒れていた。全身を傷だらけにして、血を滲ませて倒れていた。ルイズは駆けて近づく。生きているかわからない、けれど、彼女は呼びかけに応えてくれた唯一の存在なのだ。ルイズは屈んで、コントラスト・サーヴァントのスペルを唱えると少女の唇を奪った。
鈴音は夢を見ていた。幸せな夢だった。鈴音はベッドの縁に座っていた。椿が隣に座っていた。
───頑張ったわね。
椿は、鈴音の頭を撫でながらそう言った。
───このままずっと一緒に居れる?
鈴音は尋ねるが、椿は首を横に振った。
───どうして……。
───あなたは呼ばれているのよ。
───呼ばれている?
───もし困ったら、これを使いなさい。
そう言って椿が渡したのは、鈴が付いたお守りだった。次第に椿の姿が薄れていく。部屋は輪郭を失って、同時に視界もぼやけて行く。
───死なないで。
鈴音は、慣れないベッドの上で目を覚ました。ふと窓の方に目を向けると、赤と青の月が光り輝いている。美しい。いや、おかしい。月が二つ……。
「やっと目を覚ましたのね」
ピンクブロンドの少女がベッドの側に立っていた。猫目で、明らかに気が強そうだ。一瞬だけアリサに重なってしまったが、なんとか押し殺して鈴音は、
「あなたは誰?」
「あたしはルイズよ。あんたのご主人様」
少女は残念そうにそう言い放った。意味がわからない。キョトンとしていただろうか、ピンクブロンドの少女───ルイズと言ったか───は続ける。
「あんたを召喚したのよ。まあ、覚えてないのも仕方ないわね」
───あなたは呼ばれているのよ。
夢の中での椿の言葉が脳裏をよぎる。確かにあれは夢だった。椿はいない。彼女は魔女になり、自分が殺したのだから……。しかし、鈴音の中で、その言葉は妙なリアル感をもって膨らんでいく。本当に、眼前の少女が自分を召喚したというのか。
「どうやって傷を治したの?」
全身の傷は、まるで『何も起きなかった』かのように消え去っている。こんな芸当、自分の知る限り魔法少女にしかできないことだ。
「そんなの、魔法に決まってるじゃない」
ルイズはあっけらかんと言ってみせる。『ここ』では、魔法は隠すべきものではないのか。赤と青の双月をちらりと見て、鈴音は小さくため息を吐いた。
「まあ前座はこのくらいにしといて、あんた何ができるのかしら? 見た感じ小柄だし、戦闘には向いてないでしょうけど……、はぁ」
先ほどの鈴音よりも大きく、ルイズは大きく大きくため息を吐いた。腰に手を当てたまま項垂れる。『戦うことはできるわ』と言いかけて、鈴音はすんでのところで飲み込んだ。ソウルジェムがどうなっているかもわからない、魔法がどうなっているかもわからない状態で明言するのは危険だと判断したからだ。
「まあせめて、身の回りの世話ぐらいでしょうね」
「それなら得意」
なにを言ってるのだろう、と鈴音は自分自身でも呆れかえってしまった。けれども、この世界を探るにはこの偉そうな少女の元につくのが一番かもしれない。鈴音はいつの間にか握りしめていたお守りをセーラー服のポケットにしまった。
ルイズはしばらくこの学園や土地について説明していたが、本当にこの少女───スズネが聞いているのか、理解しているのかが不安になってきた。
「ねえスズネ、ちゃんと聞いてる?」
コクリと頷く。うん、リアクション薄い。しかしどうやらちゃんと聞いているようだ。自分と同じぐらいの身長、まさかの歳下ときた。身の回りの世話をさせるにはなんとなく罪悪感が残るが、仕方ないことだ。驚いたのは、スズネはこの場所(トリステインやガリアなど、ひいてはハルケギニアそのもの)を全く知らなかったことだ。言われてみれば『スズネ』という名前自体ハルケギニアでは見受けられないものだし、貴族ー平民の関係もスズネ曰く『旧体制』らしい。どこから来たのかと尋ねると、『ニホン』という聞いたことのない国。まさか、とルイズは思う。スズネは、東方出身なのだろうか? それならば合点が行くが、外交問題になったりはしないだろうか……、スズネを取り返しにエルフの大群が押し寄せて戦争になったり……。考えすぎか、今は、召喚の儀式が成功したことを素直に喜ぶしかないだろう。果たして成功と言えるかどうかは謎だが。スズネをベッド横の藁のベッド(藁は多め。もし男だったら少なかっただろう)に寝かせて、ルイズは悶々としたまま中々眠れない夜を明かした。
朝五時、鈴音は『ご主人様』に先駆けて既に起床していた。『ご主人様』───ルイズに仰せつけられた仕事をテキパキとこなしていく。やはり新聞配達で住み込みのバイトをしていたおかげか思ったより目覚めはよい。しかし……、
「(洗濯場所はどこだっけ?)」
廊下で立ち尽くして首をひねる。いや、確かに昨晩ルイズは説明していたのだ。そして鈴音も覚えているのだ。けれど、想像以上にこの『トリステイン魔法学院』の女子寮は複雑で、早速迷い子になってしまったというわけだ。
「ねえ……、」
都合よく通りかかったメイドに声をかける。黒い髪、大きくて丸い黒い瞳、可愛らしい顔立ちをそばかすが一層引き立てている少女(?)である。
「───うわっ!!」
メイドは驚いて、両手いっぱいに抱えていた洗濯物を落っことしてしまう。そんなに存在感が薄かっただろうか……。
「ごめんなさい」
「も、申し訳ありませんっ! あなたは……、ミス・ヴァリエールに召喚されたお方ですよね。お名前を伺ってもいいですか?」
と、話しながらもシュパシュパと手を動かしている。訓練されたメイドである。それにしても『ミス・ヴァリエール』……。日本では聞き慣れない呼び方である。
「天乃鈴音よ。あなたは?」
鈴音はルイズから預かった(ルイズが脱ぎ散らかした)洗濯物を脇に置き、散らばってしまった洗濯物集めに協力する。こうやって『まともに』名前を聞くのは久しぶりだな、と感慨に耽りながら。
「シエスタと申します。アマノ・スズネさん、よろしくお願いします!」
丁度全ての洗濯物を拾い終えて鈴音がルイズのそれを抱えて顔を上げると、そこには満面の笑みで右手を差し出しているシエスタの姿があった。なんだか照れ臭くなって、鈴音は少しだけ目をそらしてその手を取った。
「よろしく。鈴音でいいわ。それで、これを洗える場所を知ってる?」
「ああ、それなら───」
ソウルジェムをポケットにしまい(昨晩ちゃんと装着されていることに気がついたときは安心したものだった)、二人は横に並んで洗濯物を洗っていた。冷たい水が肌に染みる。よく平気でいられるなと思ってシエスタの方をちらりと見ると、シエスタと目が合う。シエスタの優しげな目つきに椿の面影を思い出してしまって、鈴音はすぐに洗濯物に視線を遣った。なんだか、シエスタを目の前にすると目をそらしてばかりだと思う。いつの日か、椿みたいな魔法少女になりたいと願ったのに、多くの少女を殺してしまった。死を以てして償えなかったこの大罪を、この世界で償えるだろうか。
「不思議な方ですね、スズネさんは」
シエスタは唐突にそう始めた。鈴音も手を動かしながら話を聞く。
「見た目は若そうですけど、スズネさんの眼を見てると到底同じ年代には見えないですもん。まるで何歳も歳上かのような……」
「そう」
どう返事したらいいか、鈴音には見当もつかなかった。自分は、何も経験していないのだ。奪ってばかりだったのに失ってばかりで、何も得ていない。そんな自分が評価に値するなんて到底思えないからだ。何かを得るために『ハルケギニア』に来たのなら、一体なにをすればいいのだろう。なんてことを考えている内に、鈴音は洗濯物を全て処理し終えていた。
「じゃあ、戻りましょう! スズネさん!」
どうやらシエスタはとっくに終えていたようだ。鈴音の何倍もの量があったはずなのに、感心するばかりである。