第二話『ゼロの由来』
洗濯から戻った鈴音は、ルイズと共に授業に出席することとなった。というよりも、一緒に出なければならないらしい。長い廊下を歩き、時々怪訝な視線を向けられながら教室に到着する。戸を開いたとき、鈴音は声には出さないまでも内心で驚いていた。伝承や神話でしかお目にかかれない伝説上の生き物の数々が教室をふわふわしていたのだ。本当に、自分がいた世界ではないのだな……と改めて思い知らされる。席に向かおうとしたその時。
「あらルイズ、寂しくなって実家からメイドさん連れて来たの?」
やけに妖艶な声だった。振り向くと、褐色の肌。赤色の髪。大きくはだけた胸元がやけに扇情的だ。そこには、声にたがわぬ妖艶な女性が座っていた。彼女の横には、サンショウウオをモチーフにしたような使い魔。サラマンダーだろうか。尻尾の先からはライターの火が如く小さな炎が揺らめいている。
「キュルケ! スズネはメイドじゃない、私の使い魔よ」
「そういわれても、平民の使い魔ねぇ。ちなみに私の使い魔はこれ。さ、ご挨拶なさい、フレイム」
きゅるきゅると鳴きながら、フレイムと呼ばれたサラマンダーは一歩前に出て頭を下げる。意思の疎通が取れているようだ。そして、フレイムと目が合う。一瞬の交錯の後、フレイムは蛇に睨まれた蛙のように固まり、急いでキュルケの後ろに隠れた。
「あら、ずいぶんと臆病な使い魔なのね」
ルイズが笑う。その言い方にムッとしたのか。
「どうしちゃったのかしら、そんなにルイズの爆発が怖い?」
「なんですって!」
キンキンと耳を劈くルイズの声が無駄に響く。二人の喧騒をシャットアウトしていると、チャイムが鳴り、教師と思しき人物が教室に入り、いがみ合いは自然と収まった。一息ついて、鈴音とルイズは隣同士で椅子に腰かけた。
「みなさん、春の使い魔召喚は大成功のようですね」
壇上に出たのは、紫色のローブをまとったふくよかな中年女性だった。彼女は人を安心させる柔和な表情をしていた。
「まあ、とっても変わった使い魔を召喚した方もいるのですね」
侮蔑か、賛美か。聞きようによってはどちらともに解せる言い方だった。しかし、教師の言い方から察するに、今回は後者だろう。だが、それを理解できない人間もいるのだろう、あるいは理解しててもあえて捻じ曲げてくる人間もいるようだ。
「ゼロのルイズ! 召喚できなかったからってメイドを連れてきたのかよ!」
「でも水兵の服着てるぞ!」
「細かいところはどうでもいい!」
「うるさいわね! あたしだってこんな───」
そこまで言いかけて、ルイズは言葉を飲み込んだ。そして、ちらりと鈴音の方を見て、何を思ったのか黙り込む。それでも喧騒は収まらず、ルイズを中心として起きた嵐はいつのまにか他の人物を中心として回っているようだった。結局、この嵐は教師が魔法でうるさい生徒に口に赤い粘土を貼り付けることで収まった。ルイズはそのまま授業に集中している。
『土』属性に関しての授業だった。魔法は隠すべきものどころか、インフラだけでなく生活の隅々までも浸透している。これでは『貴族ー平民』という格差社会が生じるのも無理がないだろう。ここの魔法について全くの無知である鈴音にも非常にわかりやすい良い授業ではあるが、いかんせん、プライドの高さからか、自分の属性を持ち上げすぎているようにも見受けられる。そんな授業の途中。
「では、実践してみましょう。そうですね、ミス・ヴァリエール」
途端に、教室内の雰囲気が一変した。
「ミセス・シェヴルーズ!」
「危険です!」
怒号のような叫びが上がる。鈴音が訝しがる中、ルイズは顔を真っ赤にして立ち上がった。彼女は口から粘土を引き剝がしつつ叫んだ。
「やります!」
そう答えると、杖を片手に、のしのしと、ずんずんと下りていった。 その様子を不思議に見つめる鈴音。そんな彼女に、キュルケが声を掛けた。
「使い魔さん」
「なんでこうなってるの?」
「スズネよね? 改めて言うけど、危険よ、スズネ。机の下に隠れていた方がいいわ」
見ると、前方の席の生徒達が机の下に隠れ始めている。
「忠告はしたわ。さ、フレイム」
そう言うと同時に、彼女も使い魔と共に机の下に隠れてしまった。 鈴音は再び視線をルイズの方に戻す。ルイズは目を瞑って石に向かって呪文を唱えている。
刹那。
光が瞬いた。
考えるよりも速く変身し、鈴音は大剣を現出させて即席の盾とする。見かけよりも威力がなくて助かった。鈴音は変身を解除し、教壇へ向かう。
「大丈夫?」
「ちょっと失敗しちゃったみたいね」
「成功率『ゼロ』のくせに!」
鈴音はちゃんと変身できたことに確かな手応えを感じていた。
その後の授業は休講になったが、ルイズ達は爆発で被害を受けた教室の片付けを命令されていた。二人は黙々と片付けている。ルイズは倒れてしまった教卓をどけて瓦礫を部屋の隅に寄せている。スズネは床の汚れを掃いている。その沈黙に耐えきれなくなったのはルイズだった。
「わかったでしょ、これが『ゼロのルイズ』よ。あんなに魔法を使うのが貴族だって説明したのに、あたしは使えないのよ。失望したでしょ? こんなのに召喚されたなんて。こんなのの使い魔をやらなきゃいけないなんて」
「関係ないわ。あなたが魔法を正しく使えるかどうかなんてね」
スズネはそう言い切った。思わず、ルイズも目を丸くしてしまう。
「ルイズが貴族だから、魔法が使えるから使い魔になってるわけじゃないのよ」
それだけ言うと、スズネは作業に戻る。スズネが何を考えているかわからないが、ルイズは、心の中に激しい後悔がわき上がっていた。
「さっきはごめんなさい。ひどいこと言って」
『こんなのを召喚したかったわけじゃないわよ』───ルイズが言いかけたセリフだ。
「ひどいこと?───あぁ、あれね」
「いきなり見知らぬ土地に連れてこられて、文句も言わず使い魔になってくれたスズネを悪く言ってしまったわ」
「謝らないで。私だってルイズに召喚されてなかったら命はなかったから……」
「え? なにがあったの?」
「終わったわ。部屋に戻りましょう?」
スズネはそう言うと、満面の笑顔を浮かべた。見たことのないような笑顔にギョッとしてしまって言う通りにしてしまったが、何やら煙に巻かれているような気がする……。
男子生徒の怒鳴り声がうるさい。そして、それにかき消されるかされないかの程度で聞こえる女性の声───シエスタの声。なんとなく、鈴音はルイズの所に向かうはずだったが寄り道がてらにそこへ向かう。
野次馬のように固まっている貴族の一人に話を聞くと、どうやら、その男子生徒が落とした香水をシエスタが拾ってしまい、彼の二股がバレたというのだ。謎展開である。
ともかく、野次馬をかき分けて中へ入る。そこでは、目を疑う光景が繰り広げられていた。シエスタが、土下座させられていたのだ。なぜだろう。鈴音の心臓がどくりと蠢いた。腹の奥が熱い。脳がガチガチと音を立てている錯覚。
「土下座する必要なんてない。こんなくだらないことに」
鈴音が割って入って、シエスタの頭をあげる。
「なに?」
「こんな二股野郎の自業自得に付き合う必要なんかないって言ってるだけよ」
「そうだぞギーシュ! 二股野郎!」
その言葉に、野次馬はどっと盛り上がる。それにつれて、男子生徒──ギーシュの顔もより赤くなる。
「平民相手にムキになるなんて、貴族の誇りはどうなったの?」
「き、貴様! そうか、君は『ゼロ』の使い魔の平民か。君は自分の立場をわきまえてないようだな」
「す、スズネさん、もうやめてください!!」
シエスタの必死の呼びかけを、鈴音は左手で制す。
「立場? 二股した情けないオトコがそれをいう立場にあるとでも? 貴族の風上にも置けない」
言葉のナイフが、ギーシュの心に次々と突き刺さる。
「ふざけるな!! 『ゼロ』の使い魔のくせに僕を馬鹿にしやがって、決闘だ!」
その瞬間、場が凍った気がした。
「相手は貴族様ですよ!? 殺されちゃいますよ! やめてください!」
シエスタは鈴音に向かって懇願する。ギーシュも、この言葉で鈴音が謝罪し、平和に解決できればと思っていたのだが、思い通りにはいかないもので。
「受けて立つわ」
野次馬のボルテージは最高潮に達した。
「スズネさんっ!」
割り込んできたのはシエスタだった。野次馬がうるさくてよく聞こえないが、自分の名前を呼ばれた気がする。
「ダメですスズネさん、そんなことしたら、死んでしまいます!」
今度は、スズネに向かってシエスタは頭を下げる。やめてほしい、胸が痛むから。
「私の決意は変わらない」
スズネは自分の左手にピカピカのソウルジェムが装着されているのを確認して、シエスタに向かって頭をあげるように促した。ただ、あの貴族がシエスタに土下座させていたことに腹が立っただけなのだ。なぜだか、彼女の姿が椿を彷彿とさせるのは内緒だ。