第四話『微熱』
天乃鈴音は、今は亡きご主人様のベッドに寝転んでいた。天井のシミをぬぼーっと数えながら、昨日のことを考える。鈴音は魔法を使わなかった。正確には、固有魔法を使わなかった。カガリの魔法───精神系の一種だろう、記憶の改ざん。使おうと思えば使えたのだろう。ギーシュの記憶を改ざんして決闘をなかったことに、ひいてはシエスタとのいざこざをなかったことすることもできた(ただしそれを食堂でしか行えないだろう)が、あえてそれはしなかった。一つは、ソウルジェムの状態も確認できたし、自分の能力が『ハルケギニア』でどこまで通用するか試したかったから。もう一つは───これが最大の理由になるのだが───『カガリの』魔法を単純に使いたくなかったから。自分の記憶を改ざんし、マツリとの出会いも消去し、多くの少女を殺すよう仕向けた彼女の魔法を使いたくなかったのだ。それは子供の考えだろうか。
「ん……、っと」
鈴音はベッドから降り、ベッドのシワを整えると、大きく伸びをした。ルイズは悪い人間ではないと、いや、良い人間だと素直に感じる。自分だってギーシュを殺すつもりはなかったのだが、身を呈してまで彼を救おうとしたのには目を見張るものがある。ただし、普段の不遜な態度には少しムッとするところもあるにはあるが……。それはおそらく、コンプレックスの裏返しなのかもしれない。プライドが天より高くて、それでも人を思いやることのできる彼女ともう少し一緒にいたいと鈴音は思った。
気温も、窓から吹き込む風もいい感じだし、少し散歩でもして月光に当たるかと思ってルイズの部屋を出ると、二秒でキュルケに捕まった───いや、フレイムに捕まったのだった。きゅるきゅると鳴くフレイムを見ていると、どうやら着いてこいと言っている様子。なんだか嫌な予感がするが、踵を返したフレイムの尻尾を追う。すると、キュルケの部屋に案内された。ドアを開けると、蝋燭でできた一本道がキュルケのベッドまで繋がっていて、ぼうと揺らめくその炎はやけに妖美だった。そして、その先には、ラグジュアリー姿で、脚を組むキュルケ。
「私の二つ名は、『微熱』。恋の炎に、男も女も関係ないのよ」
と、わけのわからないことを言ってみせた。
「……?」
「あぁん、つれないわね」
確かに、彼女は魅力的だった。はだけた胸元から覗く双丘は、とっても柔らかそうだった。美しい曲線を描く腰も、フェロモンをじゃぶじゃぶ出している。男なら一発で落ちているだろう。よくわからないが。だが、鈴音は女なのだ。むろんそのような趣味を否定する気はないが、鈴音は確実に『そう』ではない。キュルケは立ち上がり、鈴音に迫る。
「あなた、可愛い割りに強いのね」
キュルケは鈴音の正面に立って鈴音の腰に手を回し、体を密着させた。鈴音の方が二十センチ強低いので、自然と鈴音が包み込まれる形になる。
「む……」
こんなのってないよ! 痴漢だよ! 痴女だよ! 聞いたことのない少女の声が聞こえた。……あ、でもいい匂い。キュルケの手が背中に回り、胸の方に近づいてきたところで───
「人の使い魔に何手ェ出してんのよぉおおぉおおお!!」
バァン! とドアが力強く開かれた。
「う、う……」
ルイズが目を覚ますと、そこは保健室だった。長い長い悪夢から覚めたような重苦しい気分を引きずったまま、ルイズは上半身を起こす。
「痛っ」
全身が痛い。激痛というわけではないのだが、ピリピリとした痛みがあった。
「んー」
なぜ、こんなところにいるのだろう。そうだ。スズネを召喚して、スズネがギーシュと決闘して、そして、そして。
「───スズネッ!!」
私が召喚した親愛なる使い魔。白くて、赤くて、可愛らしい使い魔。たぶんだけど、すごく強い使い魔。はっとして、ルイズはベッドから飛び起きた。どれくらい寝てたろう。壁にかかったカレンダーに目をやると、それは一日の経過を示していた。
保健室を出ると、シエスタとバッタリ遭遇。ベッドに戻ってくださいだの、心配そうな声をかけてくるが、拝み倒して強行突破。もはや這うように部屋までたどり着く。ドキドキする心臓を押さえつけながらドアを開ける。
ひゅぅと風が通り、ルイズの髪を撫でる。───そこには誰もいなかった。
「うそ、なんで、なんでっ」
なんで焦っているのか。ルイズにはわからない。ルイズの爆発で、スズネが死んでしまったとでも? あるいは、ルイズに愛想をつかして出て行ってしまったとでも? ありえない。わかっていながらも、怖いのだ。その姿が思い浮かんできて、足が震える。
「───ん?」
違和感。なんか隣の部屋でなにかが起きているようだ。綺麗なベッドだが、誰かが使っていた形跡がある。おそらくスズネ。
「んー、」
二度目の唸り。きっとそうだ。ふんふんと鼻息を荒くしながら、足の痛みを忘れてルイズはキュルケの部屋に向かった。少しだけドアを開けて中を覗く。はっきりとは見えないが、確かに二人分の影。よし、突入!
「人の使い魔に何手ェ出してんのよぉおおぉおおお!」
引きちぎる勢いでルイズはドアを開けたのだった。
「あんたもなに着いて行ってるのよ!」
バン、と机を叩いて立ち上がったのはルイズだった。机上に置かれていたコップが揺れる。逃げ回ったキュルケに宝物庫の辺りで爆発を起こした後、ルイズは鈴音に対しても激怒していたのだ。
「ねえスズネ、ちゃんと聞いてる!?」
「うん」
空返事だ。ルイズがそこまで怒っている理由が鈴音には見当もつかなかった。
「不安だったんだから……」
消え入りそうな声だった。鈴音がはっとして顔を上げると、ルイズは今にも泣き出しそうな表情をしていた。なにを言えばいいか、わからない。なにを言えばいいのか……。気まずい時間が二人を覆った。しばらくして先に声を発したのは、ルイズだった。
「次の虚無の曜日に、王都に行きましょう」
『虚無の曜日』───こちらでいう日曜日のことだろうか。鈴音からは、彼女の顔色は窺えなかった。