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アッティラさま、確かにイスティニは近すぎました。 縮尺の計算を誤っていたようですね。てっきり1メモリ三キロと思っていたのですが……お恥ずかしい。 こんなことを言うのは恐縮ですが感想欄の規約は守ってくださいね。 まあ地図が欲しい気持ちはとてもよくわかるのですけど。 さて次回は遂に両雄が戦場に相まみえますがどうなりますか。 どうぞ第五十二話をお楽しみに…… 2009/Feb/02(Mon) 01:13 am
後は、長篠城包囲中の武田軍を強引に織田軍が野戦陣城に誘き寄せたように、いかにしてオスマン朝攻城軍主力を野戦陣地から引っぱり出し、ワラキア公国軍の有利な地形で迎え撃つかですね。補給路を遮断するのは勿論、ウルバンが造った大型臼砲を載せた臼砲艦(ボムケッチ)で、攻城中のオスマン朝軍(特にスルタンの天幕や補給集積地)をゲリラ戦術的に榴弾で爆撃したり、最大補給基地たるルメリ・ヒサリを陥落させてみたりするのも一考でしょう。 フランス王国常備軍の正式名称が判明しました。 「Compagnies d'ordonnances(コンパニ・ド・オルドナンス)」訳。日本語では「王令部隊」又は「勅令隊」と言います。通称はブルトン軍又はブリトン軍(リッシュモン大元帥がシャルル七世の資金提供及び国税によって子飼いのブルターニュ公国兵をフランス王国常備軍化した為)。定員は九千。重騎兵(ジャンダルム)は一千五百、長槍兵四千五百、投射兵(長弓及び銃砲)三千。九千人全員に馬が行き渡り、戦略機動が可能となっていました。勿論、給与制で略奪厳禁の軍律が行き届いていました。略奪をしたラ・イールは、リッシュモン大元帥の叱責を受けた程です。 重騎兵(ジャンダルム)は白い甲冑で統一され、長槍兵も半甲冑を着込み、投射兵は青・白・赤、又は緑・白・赤の制服を着ていました。 これらにリッシュモン大元帥の腹心ともいうべき、ビューロー兄弟(兄ジャン・弟ガスパール)が編成した王室砲兵隊が付随します。1442年の段階で、臼砲(射石砲)6門、各種長砲76門、数量不明のリボドカン(多連装砲車)が多数。ビューロー兄弟はリッシュモン大元帥の支援を受け、大砲の規格化にまで手を付けていたそうです。ちなみにこの時期、兄ジャン・ビューローはボルドー市長になっています。 そして民兵というべき自由弓兵が最大八千。パートタイマーながらも租税免除権と給与を与えられていました。 以上の編成は恐らく、リッシュモン大元帥が死去するまでしか維持されていなかったようです。リッシュモン大元帥の死去後、大元帥の功績や記録はフランス王国から抹消され、コンパニ・ド・オルドナンスは重騎兵に軽装騎兵(アルシェ)を加えた重騎兵中心の編成に代わり、ブルトン歩兵はスイス傭兵に、投射部隊はガスコーニュ弩兵になっていきます。そして1503年、チェリニョーラにおいてゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ麾下の長槍兵と銃兵を中心としたスペイン歩兵に惨敗するのです。 2009/Jan/29(Thu) 11:11 pm
といいながら、1470年版なら、白羊朝はもう滅びてます。 2009/Jan/29(Thu) 10:26 pm
これ即ち打ち首獄門が理想郷感想欄の掟。 ゆえに密かに穴を掘って、その中に『ひとりごと』などつぶやいてみる。 ==以後の書き込みはレス投稿者本人が削除しました== ==ぐぐりキーワードだけでも、他サイトへの誘導となる行為はダメですね。反省します== 2009/Feb/02(Mon) 09:40 pm
無事に、1470年当時の勢力図を見ることができました。 確かにオスマンとマムルークと黒羊朝が手を組んで、それぞれ別方向に 侵略するのは効率がいいですね。 さて、地図においてワラキアとアルバニアは見つかったんですが、 白羊朝はこの地図は載ってないのかな? 2009/Jan/29(Thu) 08:00 pm
見付けられません。 見付けるためのキーワードを教えてください。 前からそういう地図を探していたのですが、なかなかいいのが 見つからなくて……。 よろしくお願いします。 2009/Jan/29(Thu) 07:17 pm
英語版ウィキペディアの1470年のヨーロッパ勢力地図と SSの内容を照らし合わせながら、 「オスマンとマムルークと黒羊朝の同盟はガチだよなあ」とか 「ポーランド=リトアニアが日和見なのは辛いなあ」 とか、感想を抱く今日この頃。 おかげで、この時代の中東欧史にもだいぶ詳しくなりました。 クライマックスも間近のようですので、連載がんばってください。 あと、最新話読んでて思ったんですが、上陸ポイントがイスティニって ちとコンスタンティノープルに近すぎませんかね? Googleマップで見たら、ルメリ・ヒサリから3kmくらいしか 離れてないし、ボスポラス海峡もここまで奥に入ると、いくら夜でも 見つかっちゃうような気が… 2009/Jan/29(Thu) 06:47 pm
なかなか燃える展開になってきましたね! まるで仁川上陸作戦のようで、ワクワクしてきました。 これほどの規模で着上陸を試みるのは、おそらくローマのポエニ戦争か中国の赤壁以来ではないでしょうか。 戦史に残る海上機動を見せてくれたわれらが竜公殿下の今後に期待しております。 追記 残ったお嫁さん2人の動向なんかも書いていただけたら幸いです。 2009/Jan/29(Thu) 08:36 am
面白かった。クロスクルセイドのあたりの話は軍記物の小説を読んでいるときに似た興奮を覚えました。 ちなみに私はヴラドとヘレナや腹心の皆を某悪魔城シリーズのキャラの絵に脳内変換しながら勝手に楽しませていただいております。 2009/Jan/30(Fri) 12:36 pm
まぁ万単位の兵を輸送できましたね。ワラキアの河川艦隊を総動員 するなんて無茶してもジェノヴァ艦隊の総力を挙げないとこんなの 無理だったでしょうね。船に慣れてない陸兵の船酔い問題なども ありますが、まぁ距離もそんなに長くないし1日あれば復活するか。 オスマンの補給問題ですが、多分メムノンは火力戦の補給問題を理解 してないでしょうね。理解してたならワラキアと正反対に兵を削って 火力を向上させずに兵を限界まで動員した上で火力戦もやろうなんて 思わないでしょうから。ただでさえ擬兵で首都の兵が動けず、各地で 反乱が頻発してる状態ともなれば(スカンデルベクもアルバニアに 引き篭もってないだろうし)バルカン半島での徴税や物資輸送なんて 不可能だろうし海を隔てたアナトリア半島からの補給に依存してるっ ぽいオスマン軍の補給線の負担はとんでもないことになってるでしょう。 それに弾薬が損耗に耐え切れずに撃ち尽くしたとしても国庫の限界まで 兵を動員したオスマン帝国には弾薬を補充するだけの予算なんて無い でしょう・・・ひたすら数で押す旧来の戦法に砲兵や銃兵という新しい ユニットを単にそのまま導入しただけの歪な編成の限界でしょうか。 例えるなら戦車だけ大量に作って無線や歩兵や燃料を運ぶトラック無しに 電撃戦をやろうとしたようなものでしょうか・・・形だけ真似ても駄目 ってことですね(一応、ワラキア軍襲来まで大砲などを温存しているだけ まだマシではあるようですが・・・)。 ヴラドとメフメト2世、どちらも相手の首を欲しがっていますが、 奇しくも両国ともちゃんとした後継者がおらず(強いて言うなら ワラキアはシュテファン、オスマンはメフメト2世が産ませた 幼児くらい?)、君主の死亡が国の滅亡に直結しかねない状態 だけにまさに東欧の覇権を決める決戦というに相応しい展開に なりましたね。無いと思ってた全軍でのコンスタンティノープル 上陸など燃える展開になってきましたし、両者の邂逅が楽しみです。 2009/Jan/29(Thu) 04:27 am
二次大戦のスターリングラードのように、どんな有能な軍団も補給がなければ包囲なんてできませんからね。 2009/Jan/29(Thu) 01:28 am
これで勝率5割。ブラドとメフメト二世、どっちが相手の首を取るかの戦ですね。 2009/Jan/29(Thu) 01:03 am
雑兵捨てての力攻めですか、やりますな~当然投入してるのは、属国と、征服したてのカラマン君候国あたりの兵達でしょうし、無問題ですね。 しかし、ワラキアとジェノバ黒海艦隊の恐らく総力なんでしょうが、オスマン本土 への、兵員輸送と合わせると、この輸送能力は凄まじいですね~。 そしてトルコの海軍力が、少なくとも黒海では、まったくの役立たずであること も見えてきます。 さて、これからどうなるにせよ、今回のトルコ本土兵員上陸で、トルコ軍の補給 線は完全に寸断されました。そして、恐らく全軍の半数は超えるであろう、 雑兵は、督戦なしでは使い物にならない、非常に弱い兵になってしまったと思います。この状態だと、物資ももって1~2ヶ月でしょうか・・ 最初の一撃を奇襲として、成功させれば、トルコ軍内にもいるであろうスパイと 連動させて、混乱を起こせそうですね^^。 2009/Jan/29(Thu) 12:59 am
2009/Jan/29(Thu) 12:22 am
当初は腕白関白同様三十話程度に収めるつもりでした。 これも読者諸兄のお便りに書きたいことが増えていった結果と言えましょう。 ようやく訪れたクライマックスをがんばって書き上げたいと思います。 いよいよ次回からはワラキアとオスマンの決戦が始まります。 果たして最後に笑うのはヴラドかメフメト二世か? 第五十一話 決戦 でお会いしましょう。 2009/Jan/29(Thu) 12:12 am
ヴァルナ占領後のワラキア軍の動向が気になります。大規模な舟艇機動戦は不可能ですから、どのような戦略的奇襲を行うかが楽しみです。 しかしながらメムノン・パシャ、有能ながらあくまで学者に過ぎない事が露呈してきていますね。後方警戒の為、攻城軍陣地後方に野戦陣城を築くのはわかりますが、それを過信しすぎです。後詰め戦とは、攻城軍の補給路を断って包囲を解かす事でありますから、想像を絶するほどの大量補給物資を抱え込んだまま包囲をしていない限り、イニシアチブは随意に包囲軍の補給線を断てる解囲軍にあるものです。バカ正直にワラキア軍がコンスタンティノポリスに突撃してこなければ、メムノン・パシャの戦略は破綻してしまいます。 特に、火力戦に移行しつつあるオスマン朝軍では、補給物資に消費は後方担当者の想像を絶する早さの筈です。補給物資消費の早さを既存の戦略・戦術でしか補えない所に、オスマン朝の弱点があります。 斉の孫臏は「軍学者(龐涓)とは古今東西の戦を諳んじうる事が出来る者だが、新たな策を作り出す事が出来る兵法家には及ばない」とういうような事を言いましたが、まさにその通りの様子になってきました。 次々と斬新な知謀が湧き溢れるワラキア公が兵法家孫臏ならば、ワラキア公の才能を認めつつ嫉妬に狂う秀才メムノン・パシャは軍事学者に過ぎない龐涓といったところでしょうか。 この時期、イングランドにはシェイクスピアの戯曲に登場するサー・ジョン・フォルスタッフのモデルにもなったサー・ジョン・ファストルフ(1380年~1459年)もいるんですよね。今の身分はフランス男爵位を得たガーター勲爵士ですから、イングランド宮廷ではウィットと機知に富んだ彼独特の会話が響いていそうですね。 実は自分もボトムズの大ファンだったりします。お気に入りは、蛭の性格とゴキブリの生命力を兼ね備えたカン・ユー大尉だったりします。「自分の指揮に問題はない!」と連呼する大尉殿と、それに冷ややかに応じる凄腕傭兵達のやり取りが大好きです。 2009/Jan/26(Mon) 09:53 pm
特に窪地のような場所なら更に効果的 あとは敵攻城用に塩素ガスなど、どうですか? 中世以前に塩酸は完成しており、これに二酸化マンガンを加えて加熱するだけで塩素が発生します。二酸化マンガンは、ほとんどマンガンそのものなので生産自体はお手軽かと 毒ガスは野戦だと味方にも被害が出るので、敵拠点攻撃などに限定になりますが、最低でも敵守備兵無力化程度の役には立つのじゃないかと 2009/Jan/26(Mon) 11:28 pm
フランスの問題点は多々、ありますがこの頃ですとそこまで大きな問題は国内の状況とイギリスとの関係くらいでしょう。 フィリップ善良公が怖いですが、シャルル7世も英主と言える人物です。配下のリッシュモンはこの時代の西欧ではトップクラスと言っても良い人材であり、何らかの手を充分に手を打ってくれるような人物です。フランスの動向も気になるところです。 オスマンもいよいよ、コンスタンティノープルに進軍して参りました。流石に動員数が多すぎると言う感じはありますが、流石にオスマンです。途方もない戦力を持ってきました。 事実上、コンスタンティノープルを落とせるかで大きく状況が動くのですからメフメト2世にとっても重要な戦いです。 同盟者側も勢力拡大に動き始めました。スカンデルベグは南アルバニアへ。ウズン=ハサンは黒羊朝へと。それぞれ、勢力拡大に動き始めました。 それぞれの戦力が大きくなれば、ヴラドにとってもかなり楽になることでしょう。 今後も動向から目が離せません。 2009/Jan/26(Mon) 06:12 am
ルメリ・ヒサルを作りながら、コンスタンティノープルを攻め、史実と違い 事前の7週間の砲撃も無く、1月しか篭城ができないと言うのは ちと・・・・・実際のところ、メフメトがなりふり構わなかったら、1月 で落ちる気もしますが、膨大な死者と引き換えじゃな・・・ 2009/Jan/26(Mon) 01:16 am
さて、補給問題にしてる方がいますが、ジェノバ黒海艦隊がいますから、港を抑えて移動するなら、補給路は完全に確保できるでしょう。 坑道戦術は時間が掛かりすぎる戦術です。もし、コンスタンティノープルを落とす ために使うのだとしたら、犠牲を無視して、大砲突撃のがまだ使えます。 ただでさえ、財政に問題あるんですから、時間かけられないと思うけど・・・ さて兵力の問題ですが・・・オスマンの兵力は幾らなんでも多すぎです、 兵力増やして、砲力確保してそれで20万超えて、なお各地に駐留軍がある・・ この状態は、セリム1世やスレイマン1世の時代すら超えてしまいます。 ですんで、やはり、史実どおり工夫をかねる雑兵を兵としてカウントしたほうが・・・・・ 戦争に耐えうる兵力はスレイマンの頃で30万程度で、それらを、財政の範囲 で、8万前後の兵力にして、使っていたようです。 それと大砲ですが、石を放つ、青銅製が当時最新型として、オスマンで使われました、ウルバン無しでオスマンがどこまでレベルの高い大砲を作ったか疑問もあります。 最後ですが、ヤン・イスクラはどうしたのでしょう?最近名前見ないな・・・ 2009/Jan/26(Mon) 01:06 am
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