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ラドゥ君は今何を考えているのでしょうね。 親トルコ、親スルタンの彼ですが、その想いの根源となった人。兄弟二人の命を救い、ラドゥをかわいがってくれたスルタンは、メフメト二世ではなくムラト二世だったはず。 敬愛するスルタンと、たった一人の兄の命を狙うメムノンとメフメト二世。彼らの手先に使われているラドゥの心中やいかに。 更新を待ちつつ、いろいろと想像して楽しんでおります。 お体に気をつけて、更新がんばってくださいませ。 2008/Dec/25(Thu) 08:27 pm
あまりの国力差があるため、正攻法ではいかなる手段を使おうが被害が甚大、 スペインがアメリカを征服したように、疫病で国力を削らないと。 実際に、ペストがオスマントルコの14世紀から16世紀にかけて、 何度も流行し国力に翳りをみせた理由にもあげられています。 2008/Dec/25(Thu) 06:04 pm
モーツァルトとサリエリを彷彿とさせますね 憎いから殺す、これぞ人間です 無機質な変態仮面少年がぐっと身近になってきました メフメト2世は国内がいくら疲弊して何十万人の餓死者をだそうが平気で軍を動かしそうなあたりが怖いですね 実際、隋帝国など公称100万とも200万ともいう大軍(話半分でも桁違いの数)で三度も朝鮮(高句麗)に攻め込んだ挙げ句に国内の疲弊が限界に達して滅びていますが、絶対権力者にとっては民衆なんて蟻と同じです 時間が経てば経つほどウラド殿下の力が増大する事に気が付いている様ですし、オスマンの国威が最大に達しつつある以上、新たなスルタンの権威付けに(疲弊を無視して)大軍を動員するのは十分にありえる話です 10倍以上の敵を迎えて殿下の打つ手は如何に? 優秀な索敵能力と機動力を生かしたゲリラ戦しか手が見えません メフメト2世がコンスタンティノスでの血戦に拘っている事が判れば色々とやりようがありそうです わくわくしてきました、次回も楽しみです 2008/Dec/25(Thu) 05:09 pm
アドリアノープルを攻撃する際に妨害したならば利敵行為で切り捨てるのが一番では。 そうしなければ逆に身内に示しがつきません。 家臣には厳しく身内には甘いのでは反乱を招く元となります。 身内で信頼のできるシュテファンやヘレナなどはいいのですが、もはやラドゥはり敵行為が判明した時点で切り捨てるか。 生かしておいて偽情報を流すなどに利用するか。何れにしろヴラドが今後雄飛できるかちょうど分岐点に来ているでしょうな。 ポーランドは何とかして動かしたいところですね。 あと、疑問ですが。クロアチアやダルマチアの都市民兵や郷土兵を動員すれば良いのではないでしょうか? 彼らは、ハプスブルク家もよく動員した戦力で、彼らの都市や農村地域を優遇などすれば絶対に裏切らないので貴族軍より重用しやすいと思うのですが。 戦力としても士気も高く戦力として評価に足ります。 後はアルバニア王国とスロバキアですか。 スカンデルベルクとイスクラという英雄も動因には応じてくれるでしょう。 一応イスクラ率いるスロバキア軍は動員できる戦力です。 貴族軍ですが、兵権を取り上げるまでいかないうちには督戦隊をおくしかないでしょうな。プロイセン軍も初期にはおいていました。 後期にも士官がその任に当たっていました。 勝手に行動したり、造反しようとしたら即後方より火力で制圧し、強制的にでも前進させることでしか戦力の増強は直ちに行うのは無理でしょう。 そこで、結局ラドゥの件に戻ってしまいますが。彼の利敵行為は厳しく罰しなければなりません。 信賞必罰これこそが軍隊の規律を保ち、中央主権国家の要である官僚団の士気を維持できる要因なのですから。 2008/Dec/25(Thu) 10:47 am
ストッパー(ヘレナ)いなかったら流されてたな状況に… ハーレムもの否定しませんが、むしろ好きですが、なんか不憫… 2008/Dec/25(Thu) 08:55 am
それに対して、味方の反攻戦力はワラキアとアルバニアくらいで。双方ともヴラド、スカンデルベグと言った英雄が君主と言うこともあってオスマンに対抗出来るだけの指揮能力と魅力を兼ね備えています。惜しむらくは、戦力がまだ足りないというところでしょうか。ポーランドが積極的に動かないということですが……カジミェシ4世も稀に見る指揮官です。なんとか、前線に出られるように動かせれば楽なのですが……。 他には勢力の強い白羊朝辺りも味方に引き込めるように動くのも手でしょう。ウズン=ハサンと言った猛将がいるのも強みです。 オスマンを相手にするにはあまりにも戦力不足。火力などで補うのも手でしょうけども、指揮官が少ないのも事実。ヴラド以外に時代に名を遺した英雄達の活躍もポイントになってくるのではないかと思います。 2008/Dec/25(Thu) 06:27 am
実際は方角が分かる種もある です。 2008/Dec/25(Thu) 04:54 am
今回の文の展開は少し疑問に思うことがあります。 メムノンがウラドに敵対する理由付けが嫉妬による憎しみではそれを参謀としている メフメト二世の器量が小さく見えてしまいます。 嫉妬や憎しみは確かに人の行動の大きな推進力となりますが、心の負のベクトルであるために 発展的な思考や未来への展望というような考えの足を引っ張ってしまいます。 メフメト二世は、これからオスマンの実権を握り自分の野望を実現させるためには、 確かにブレインが必要ですがこの展開ではメムノンが足を引っ張ることになります。 それより、敵対理由として「確かに嫉妬はあるが、私にも長い間オスマンで第一人者としてきた プライドがある。私はウラドには負けることができない、私の人生の全てをかけてウラドの智謀 と戦うのだ」とした方がラスボス?としてのメフメト二世の参謀らしいのでは? また話の展開が時間経過のわりに早すぎるような気がします。 いずれにしろオスマンは最近二十万の軍を動因した影響でここ1年か2年は、侵略戦争は経済的に不可能でしょう。 メフメト二世が自分の周りを固め侵略戦争に打って出られるまでは最低でも3年程度必要でしょう。 それまでは、謀略戦で推移すると思います。 また、ウラド側の兵力ですが現在は国力に比べて非常に少ないですが、これは内政に力を入れているためで、 オスマンと戦うときには戦時の予算配分になり十万程度動員可能になるのでは? 国内の貴族から一定量の割合で兵力を傭兵として提供させるのはどうでしょうか。 貴族からしてみればそれが新たな収入となり、二、三割程度であれば反発も少なく領地経営にも支障はないでしょう。 ウラドにとっても不安定要素であった貴族の軍事力を削ぎ、戦争経験者を入手でき また傭兵料金で貴族に新たな事業をさせることも可能です。どうせ内政でお金を使うのであれば貴族領に 投資することで、反発を防ぎ経済もより発展させることができると思います。 2008/Dec/25(Thu) 02:55 am
発言からもその事実は良く見えます。 ただし、この町が戦略、戦術上影響力が無いかと言うとNO、です。 ①まずこの町はローマ帝国の権威の象徴です。格付けは中世では非常に重要ですからこの点は捨てられません。同様に正教の中心でもありますし、文化の集積の点でも無視できません。 ②地中海貿易の中心の一つとして、難攻不落の港として、ヴェネチアとジェノバに 利用され、オスマントルコの交易による富を、存在する限り奪い続ける点で、経済 的に無視できるものではありません。トルコが、遊牧民から興った商業民族と言われてる事も無視できません。 ③東欧の焦土作戦が有効に働いたのは補給線に、問題があったからなのは疑問の余地がないと思います。補給の概念が中世において薄かったのは事実ですが、コンスタンティノープル陥落以前と、以後では明らかにトルコ軍のヨーロッパ方面への展開速度に差が出てきます。 薩英戦争の勝ち負けは、実情はイギリスの負けですが、名目上は薩摩藩が賠償金を 払いました。薩摩が賠償金を払った理由は英国艦隊の砲弾だと言われています。 丸型でなく、現在の砲弾型の弾をイギリス海軍が使っていたことから、工業、攻撃 力の差をかんがみて、賠償金を払ったと言われています。 そも大砲の射程では圧倒的に勝るイギリス海軍が、外交勝利を信じて疑わず、薩摩藩の砲の射程内にのこのこ入った戦争を指して、要塞攻略に船が使えない実例とくくるのは問題があります。 五稜郭は、時代遅れの建築であったのは事実です。しかしこれももっとも大きな問題は沿岸からの艦砲が届いてしまった事です。 要するに、射程に勝る艦砲と補給線を維持した場合、要塞は艦砲によって、致命的 被害を受けうると言うことです。強固な防御陣を引こうにも被害の軽減は可能ですが、石塁のメリル・ヒサルでは、砲撃に耐えられる能力はたかが知れています。 規約違反との事なのでここまでとします。 ただ要衝を押さえる手法はこの当時ヴェネチアや、ジェノバが行っていましたが、 ワラキア本国がしっかりしたなら非常に有効だと思います。近隣を見ても交易の ヘソとも言うべき地方にこれだけ隣接していますからワラキアを半分海洋国家に するのも夢では無いとおもいます。 連投ごめん^^; 2008/Dec/25(Thu) 02:50 am
ラドゥはさっくり切るべきでしょうね。 ラドゥが生き延びて、かつオスマンに勝つというのは、いわば某関白的にいうと三成が生き延びて淀を廃する展開。理想的ですが、実現してはならないといいますか。そんな気が。 今後の展開に期待です。 2008/Dec/25(Thu) 02:39 am
そんな弱点をよりによってメフメト2世につかまれて しまったヴラド大ピンチですね。ラドゥもどうやら完璧に 取り込まれてしまったようだし、家族とも言えるヘレナ達の ために家族のラドゥを切り捨てられるか、というオスマンと 対決するなら避けて通れない決断をついに迫られることに なりそうですね。 しかしメムノンといいメフメト2世といい、なんでこうも 嫉妬などの暗い感情を動力源にしてるんだ・・・プライドが 高すぎると人間、歪みやすいってことでしょうか。 なにを考えてヴラドをコンスタンティノープルに誘き出すなどと 面倒なことを考えたのかはどうでもいいですが(ヴラドに絶望を 与えたいとか個人的怨恨が理由っぽいしw)、ワラキア軍が 篭城するのは位置的に有り得ないから帝都を包囲しといて救援に 来るワラキア軍を叩くつもりかな? 普通なら馬鹿正直に帝都に 直行などせずにアドリアノーポリを叩くんだろうけど、それを ラドゥを使って封じる、という構想でしょうか・・・ メムノンの天文学で思い出しましたが、フィレンツェと和解した ならトスカネリなんかもイタリアに居るよりは自由に研究できて 良いんじゃないでしょうか。すでにギリシア時代から知られてた 地球球体説を78歳と晩年近くにならなければ口にできなかったり、 やはりバチカンのお膝元では天文学は発展させにくいだろうし。 トスカネリは地理学者でもあるので国内の測量地図の作成など やらせてみるのも良いかもしれません。 2008/Dec/25(Thu) 01:42 am
それは戦略や戦術の問題ではなく、単なる専制君主の趣味の問題だから。 諦めるとも思ってないし諦めてもらっても困る。 ワラキアの支援を受ければ、20万を釘付けにした上で 時空を超えて二○三高地を再現することも可能だろう。 チートな上に目標が明示されているわけだから、 兵力三倍則どころか包囲殲滅戦の十倍則を満たしてもオスマントルコが優位を得るとは思えない。 またその間生じるであろうオスマン帝国版図内の戦力の空白は いくつものプランを想起させる。 ではその東西交通の要衝たるコンスタンティノポリスの存在は オスマン帝国の行動を制約しえたのか。 史実を顧みても、オスマン帝国の猛威がその存在により制限されたとは言いがたい。 当時の世界を代表する要塞は戦略的に全く無意味であり、 路傍の一地方都市に成り下がっていたとしか言えない。 なぜコンスタンティノポリスの存在がオスマントルコにとって制約条件にならなかったのか。 要塞がどういう状況下において存在価値を発揮しうるのか。 あと2,3のポイントが挙げられるが、後は作者殿次第。 薩英戦争は、結局のところ当時世界最強海軍の負け。 艦隊戦の無い日本相手なら自衛力の低い爆弾ケッチもつれてきたらよかったようなものだか所詮補助兵力。 五稜郭とは、建設時点ですでに時代遅れの銃撃戦前提の半端な土塁。 コメント返しは規約違反のようなので、こんなもので逃げておく。 2008/Dec/25(Thu) 01:07 am
それは戦略や戦術の問題ではなく、単なる専制君主の趣味の問題だから。 諦めるとも思ってないし諦めてもらっても困る。 ワラキアの支援を受ければ、20万を釘付けにした上で 時空を超えて二○三高地を再現することも可能だろう。 チートな上に目標が明示されているわけだから、 兵力三倍則どころか包囲殲滅戦の十倍則を満たしてもオスマントルコが優位を得るとは思えない。 またその間生じるであろうオスマン帝国版図内の戦力の空白は いくつものプランを想起させる。 ではその東西交通の要衝たるコンスタンティノポリスの存在は オスマン帝国の行動を制約しえたのか。 史実を顧みても、オスマン帝国の猛威がその存在により制限されたとは言いがたい。 当時の世界を代表する要塞は戦略的に全く無意味であり、 路傍の一地方都市に成り下がっていたとしか言えない。 なぜコンスタンティノポリスの存在がオスマントルコにとって制約条件にならなかったのか。 要塞がどういう状況下において存在価値を発揮しうるのか。 あと2,3のポイントが挙げられるが、後は作者殿次第。 薩英戦争は、結局のところ当時世界最強海軍の負け。 艦隊戦の無い日本相手なら自衛力の低い爆弾ケッチもつれてきたらよかったようなものだか所詮補助兵力。 五稜郭とは、建設時点ですでに時代遅れの銃撃戦前提の半端な土塁。 コメント返しは規約違反のようなので、こんなもので逃げておく。 2008/Dec/25(Thu) 01:07 am
ラドゥは、捨てざるおえないだろうな・・・と思ったり。 ローマおよび、正教の合一十字軍は、いい手ですね、ウラドに反感を持つ国内貴族 の動員も間違いなくできますし、ワラキア単体でも7~8万までは軍隊を組織できそうです。黒羊朝や、白羊朝もアナトリア利権をトルコに脅かされたのですから トルコにとって相当の重しになってるんじゃないかな? 現状トルコを最強の敵にするためには、もう一つ足らない気もします。 ジェノバについて調べる機会がありまして、知ったのですが。 当時のイスラム系の交易路はティムールの5ヵ年戦役で、交易都市を破壊した結果、ティムール本国を通った陸路しか無い状態になり、黒海貿易はティムールによる関税で干上がりかけていたそうです。 ジェノバは黒海利権で食ってきてたのですから、ワラキアとの貿易は死活問題に、なっているように思われます。ヴェネチアがナポリ継承戦争に関わっているのも見逃せません。 当面はジェノバの方が、危機感を持って協力してくれるように思えます。 それと陸路でない、海路の交易を何とかして、開拓していく事が東欧がこの先繁栄するのには必要に思えます。 ワラキアの場合3つの道があって、 ①ポーランドを滅ぼす。ないし事実上併合して、北海に進出 ②マムルーク朝を屈服または滅ぼしてスエズ湾、紅海南端に要塞都市を建設し貿易をする。 ③白羊朝と緊密な同盟を行い、場合によっては併呑し、ペルシャ湾からの海洋貿易を行う。 ティムールやトルコを干上がらせる方法としては、彼らに貿易の利益を渡さないことがもっとも効果的ですから これらのどれかを恒常的に確立することができれば、安全面でも、利益面でも相当の効果があると思います。 ワラキア公のトルコとの対決後の目標としてはどうかと、特に②と③ならヴェネチアやジェノバの商人を 使えば、同盟の強化と、西洋に対する圧力になります。 2008/Dec/25(Thu) 12:45 am
少なくとも、長く続いて皆の心に残るような名作物語になるには、敵役が必須。 主人公を光らせるのは、隙あらば主人公を喰い殺すほどの“主義思想正悪の立ち位置以外対等な悪役”なのです。 故に、メムノン二世頑張れ。超頑張れ。 双方が政戦量略尽くして殴りあって夕暮れの河原(イスタンブール・コンスタンティノポリス)で燃え尽きた果てに、新たなる融和の歴史を共に築く大団円とかちょっといいかもと思うのです。 具体的には、ユダヤ教発祥な排他的一神教の概念をぶっとばす、東方教会とイスラムのバロムクロスな相互理解の融合とか――(・∀・)イイ!! (時々思っちゃうんです。実は、西欧文化圏の歴史的厄介ごとの源泉はユダヤ人(=ユダヤ教徒の排他思想)かな~と。キリスト教とイスラム教の相克の源って、実は双方の起源たるユダヤ教の排他主義が大本だという解釈に…) 2008/Dec/25(Thu) 12:43 am
普通に海峡におびき寄せるとか愚策ですからね。 オスマン帝国としたら、平原での野戦が最良でしょうに。 ワラキアは簡易砲艦を建造してヴェネツィアとかと共同で海峡で迎えうてば勝利は可能。 いかに大量な陸軍あろうと、海峡を渡らなければ意味ありませんからね。 金角湾の海戦になりますかね。オスマン帝国の凋落は。これならレパントの海戦ならぬ、金角湾の海戦になるでしょうか。 己の欲のためだけに戦争する君主にあるまじき屑共に死を 2008/Dec/25(Thu) 12:36 am
定金伸治のジハードの読者がようやくあらわれましたね。 正直後半のエルシードがへたれすぎてつらかったのですが、やはりあれも私にとってはバイブルのひとつです。 時代的にそれほど接点はないのですがヘレナがロリなのはエルシードの影響なのかもしれません。 いよいよオスマンが動き始めそうな気配です。 脳内火葬戦記を描き出しそうな逝きっぷりが作者的にとても不安なのですが、彼らには最強の敵役として頑張ってもらわねばなりません。頑張れメフメト! たぶん応援してくれる人もいないと思うので、作者が個人的に応援します(笑) 明日は出張のため更新はお休みいたします。 2008/Dec/25(Thu) 12:19 am
紙幣の事ですが、現状は、為替手形できるだけで満足すべきでしょう。まず、文盲率が高すぎて、紙幣に書かれている文字や数字が読めない人間が大多数では通用しないと思います。それに、今は戦時中です。下手をすると軍票のようになりかねません。第二次パックス・ロマーナの到来までは止めておいた方が無難でしょう。 何よりもメディチ銀行は、あと半世紀保たずして破綻する事が確実の不良銀行です。歴史的ネームバリューに惹かれて期待し過ぎるのは危険です。本音は、使い捨て程度の気持ちで付き合うべきバブル銀行ですよ。 大公殿下、陸上戦力不足に悩んでおられるようですね。ここで、大公殿下に心強い味方になりうるだろう陸上戦力の精鋭と優秀な軍事指揮官を紹介させていただきます。 フランス王国常備軍通称ブルトン(ブリトンとも言います)軍(実質はブルターニュ公国軍)。実施戦力は八千。指揮官はフランス王国大元帥アルチュール・ド・リッシュモン伯爵、後の独立国家ブルターニュ公アルチュール3世です。 リッシュモン大元帥は、宮廷改革を断行しフランス王国をさらに強大化させた実質的な宰相とも言うべき大政治家でもあり、啀み合っていたロレーヌ公国・ブルターニュ公国・ブルゴーニュ公国・フランス王国を同盟させて英仏百年戦争をフランス王国の勝利に終わらせた大戦略家でもあり、派手さはないものの老練で隙のない近代戦術で戦場を征する大戦術家でもあり、歩兵中心の常備軍を設立して長槍・銃砲を装備させ、砲兵段列を整備した大軍政家でもある、軍事・政治に優れたまさに万能の人であります。 ブルトン軍は長槍歩兵と銃兵を基幹戦力とし、砲兵段列はビューロー兄弟(ジャン・ガスパール兄弟)が率いていました。投射部隊は銃と長弓を装備していましたが、ブルトン軍が長弓兵を保有できた理由は、リッシュモン大元帥の華麗な血縁関係に理由があります。実母のジャンヌ・ド・ナヴァールがリッシュモン大元帥の実父ブルターニュ公ジャン4世の死後、イングランド国王ヘンリー4世の後妻となった結果、リッシュモン大元帥はブルターニュ公子にしてイングランド黒王ヘンリー四世の義理の息子、イングランド国王ヘンリー五世の義兄弟、イングランド国王ヘンリー六世の義理の叔父という、イングランド王家と深い血縁関係になったのです。その関係で、宿敵にもかかわらず、ウェールズ長弓兵が雇用できたと考えられます。実際、アジャンクールの戦いでフランス側で参戦したリッシュモン大元帥は、大多数のフランス貴族の捕虜がイングランド軍に虐殺された中、僅かに助命された捕虜の一人でした。 ブルトン軍とリッシュモン大元帥の指揮戦闘能力の高さを証明する実例は、王太子ルイ十一世が父王シャルル七世に反乱を起こしたプラグリーの乱(1440年)があります。リッシュモン大元帥はロッシュの戦いにおいて、王太子側に与したシャルル・ド・ブルボン公爵(シャルル二世)麾下精鋭重装騎兵軍を歩兵中心のブルトン軍を率いて正面から迎え撃ちました。重装騎兵の突撃をブルトン長槍兵は障害物の何もない平野で戦列を組んで押しとどめ、その隙に戦術機動を駆使して側面に回り込んだ投射部隊が銃と長弓で攻撃、たまらず浮き足だった敵重装騎兵軍を小数のブルトン軍重装騎兵が突いて潰走させました。 驚くべき事にリッシュモン大元帥は、大スペイン帝国のエル・グラン・カピタン、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバよりも半世紀以上も前に、より完璧に洗練された形で「軍事革命」を成功させているのです。尚かつ驚愕すべき事に、ブルトン軍は略奪厳禁という当時の常識からすれば大変厳しい規律ももと運用されていました。 しかし、何故このような偉大な軍事的成功が歴史から抹消されてしまったのかというと、それはリッシュモン大元帥の人柄にあります。冷たくて容赦のない言動とあまりに正しすぎる信念、そして高潔な人柄からくる私欲のなさからシャルル七世からは煙たがれ、私腹を肥やすことだけを考えているその取り巻きからは嫌われていました。最終的にはシャルル七世は苦手としながらもリッシュモン大元帥に王国の舵取りを委ねましたが、リッシュモン大元帥の死後、復権した取り巻き貴族たちによって、その功績は全て抹消されてしまったのです。ブルトン軍は解体され、フランス王国常備軍は重装騎兵を中心とし、長槍兵はスイス傭兵に、投射部隊はガスコーニュ弩兵となり、改悪されてしまったのです。 この時期、百年戦争はほぼフランス側完全勝利の様相を示してきています。そこで、イタリア有力諸国ジェノヴァ・フィレンツェ・ヴェネツィア、とくにコジモ・デ・メディチのリーダーシップによる斡旋によって休戦協定を結ばせ、リッシュモン大元帥とブルトン軍を対オスマン戦に投入させてしまうように工作するのです。英仏共々資金難で、イタリアの各銀行が融資をストップしたら戦争どころか国家財政がたちまち破産してしまいます。油断ならないブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン(フィリップ三世)は、リッシュモン大元帥の同志にして抜群の政治力を備えたロレーヌ公ルネ・ダンジュー(ルネ一世)が押さえ込んでくれるでしょう。 それに前述しましたように、リッシュモン大元帥はその有能さからシャルル七世に煙たがられ、宮廷貴族達からも虎視眈々と失脚の隙を常に狙われています。軍資金をイタリア諸国が分担し、さらに高額報酬も支払うとなれば、かなりの確率でフランス限定十字軍が派遣されると思われます。 なお、リッシュモン大元帥が派遣されるとなれば、シャルル七世と不仲の王太子ルイ十一世の基幹戦力でもあるリッシュモン大元帥の甥アランソン公ジャン2世(ジャンヌに「愛しの公爵さま」と呼ばれ慕われていました)、リッシュモン大元帥の従兄弟でオルレアンの私生児(バタール・ドルレアン→私生児の意味するバタールという呼び方はこの当時は差別用語ではなく、友人たちは親しみを込めて呼びました)ことジャン・ド・デュノワ伯爵、ガスコンのジャン・ポトン・ド・ザントライユ(後のフランス元帥)、シャルル・ド・ブルボン公爵(シャルル二世)といったジャンヌ・ダルクの忠実な戦友にして、リッシュモン大元帥の敵対者もパワーバランスからも派遣されて来るでしょう。ですが、彼ら歴戦の誇り高いフランス諸侯は東欧諸侯と違い、決して最後まで裏切らないで対オスマン戦を戦い抜くでしょう。派遣軍総数は二万程度になるのではないでしょうか。 リッシュモン大元帥にしても、この派遣はそれほど不利ではなく、むしろ最後の宮廷大掃除のチャンスでもあります。留守中に浮き出た膿を帰還と同時に一気に取り除く事ができるからです。 また、フランス・ワラキア両国にとってもこの同盟関係は将来に渡って有用です。なぜなら、何もしないうちにボヘミア王位を手に入れかけている強運すぎる神聖ローマ帝国への対策につながるからです。 是非とも、大公殿下の見事な外交手腕で、強力な味方をワラキア陣営に引き入れてみて下さい。試しに、リッシュモン大元帥と対オスマン戦について文通でもしてみたら如何でしょうか。得る物があると思いますよ。 シャルル七世のフランス王国常備軍騎兵隊(コンパニ・ド・オルドナンス)の重装騎兵(ジャンダルム)が、国王の面前で馬上から兜の面当てを上げて顔を見せる仕種が、敬礼の始まりだと言われています。ワラキア常備軍に敬礼を取り入れてみたら如何でしょうか。もちろん、古代ローマ帝国式のやり方で。 参考になれば、幸いです。 2008/Dec/24(Wed) 11:04 pm
「女に溺れて溺死しろ」 2008/Dec/24(Wed) 09:31 pm
文化ネタを追加投稿 当時のハンガリー、というかスロヴァキアには欧州最大にして 唯一のオパール鉱山があります。中世~近代の欧州ではオパール は珍重されてましたのでイタリアの技術者を招いて金細工など 宝石を使ったアクセサリーとして洗練すれば1ランク、更に病気を 治す魔力を持つという伝説から珍重されていたので医聖として名を 馳せるヴラドが大主教として祝福したというセールストークを つければ更に1ランクアップで売れるのではないでしょうかw 職人を選びますが単価の非常に高い貴族向け商品として有望です (少なくともオーストラリアとメキシコが開拓されるまで他に 有望なオパール鉱山は存在しないから商売敵もいないし) 他にもまだ領土になってませんが、ボヘミアでは有名なボヘミア ガラスの生産がすでに行われていましたので、ここを属国という 形でも実質的に領土化できればオパール鉱山と合わせて宝石細工+ ガラス工芸という史実に近い形で発展できます。ただし史実では ヴェネチアンガラスの技術も伝わってたのでそれも必要ですが、 薩摩切子と同じ回転砥石を使ったカッティング技術の導入はヴラド なら十分に思いつくかと。イスラム建築技術+ビザンチン建築技術 +ボヘミアガラスのステンドグラスを使った大聖堂とか建築したら もはや世界遺産物ですぜw ・軍事ネタも追加 貴族の兵をなんとか裏切らせないよう使うための手段として、悪名 高い督戦隊を置く手もあります。裏切るかもしれない兵を監視する ために後方に兵を置いて裏切りをしたら容赦なく後ろから攻撃 できるように布陣したり軍監を派遣しておくのは関ヶ原の徳川軍 みたいによくある話ですから、貴族だからといって毛嫌いせずに 使いこなすための手段を考えるのも王者の度量というものでは ないでしょうか。 2008/Dec/24(Wed) 10:07 pm
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