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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その12

「……」
「なに見てるのよっ!!」
 バコォン
 呆然としていた俺の後頭部に、いきなり激痛が走った。
 元々、かなり疲労の極に達していた俺は、むしろあっけないほどに意識が途切れた。
「えっ? あれっ?」
「か、和樹さんっ!」
「ちょ、ちょっと、そんなに強く殴ってないでしょっ! ねえ、目を開けなさいよっ! ねえってばっ!!」

「……あ、あれ?」
 俺は目を開けて、辺りを見回した。
 ……ここ、瑞希の寝室?
 一体何がどうなって……?
 ずきっと後頭部に痛みが走った。手を当ててみると、見事にこぶが出来ているじゃないか。
 ええっと……。
 と、
「あ、気が……ついた?」
「え?」
 振り返ると、瑞希がドアのところでもじもじしていた。
「その、ごめんね。あたし、つい……」
「……ああっ!!」
 思い出したぁっ!
 彩の意外にふくよかな胸と腰……じゃなくって!
「瑞希っ! お前何を……あたた」
 怒鳴ると頭に響く。
「えっと、大体、あんたがそもそも悪いのよ。彩さんがシャワー浴びてるところを覗いたりするから」
「覗いたんじゃなくて、事故だ事故。それにお前が顔洗ってこいって言ったんじゃないか。……てて。お前、何で殴った?」
 訊ねると、瑞希はますます、すまなさそうに肩をすぼめて答えた。
「その、とっさだったから、たまたま持ってたもので……」
「だから、それは何だって?」
「……フライパン」
 ……良く生きてたな、俺。
 俺の表情を見て、慌てて手をふる瑞希。
「だ、大丈夫よ。ちゃんと手加減したんだから」
「おのれは……。手加減すりゃいいってもんでもないだろっ! って、ああっ!」
 俺ははっとして時計を見た。
 午後9時。
「に、入稿はっ!?」
「あ、それなら彩さんが持っていったから」
「……そっか」
 彩が持っていったなら、大丈夫だろう。
「でも、変ね。入稿終わったら連絡しますって言ってたのに」
 小首を傾げる瑞希。
「いつ頃出たんだ?」
 後頭部を押さえながら体を起こして、俺は訊ねた。
「あっ、これ使う?」
 瑞希が差し出したのは……アイスノン?
「冷たいよ」
「……」
 俺は無言でそれをひったくって後頭部に当てる。ううっ、冷たくてしみる。
「確か、お昼過ぎだったと思うけど。あんたをここに運ぶの手伝ってもらったりしてたし」
「み〜ず〜き〜」
「だ、だからごめんって謝ってるでしょっ」
 口を尖らす瑞希。
「それより、彩さんから連絡ない方が問題なんでしょ?」
「あ、そうだった。瑞希、電話貸してくれ」
「うん。ちょっと待ってね」
 瑞希は、枕元にあった電話の子機を俺に渡した。俺は塚本印刷の電話番号を押してみる。
 ツーーーーーッ
「……あれ?」
 もう一度かけてみるが、同じだ。
 俺は顔を上げた。
「つながらないぞ」
「電話番号間違えてるんじゃない?」
「馬鹿言え」
 そう言うと、俺はベッドから降りた。
「ちょっと塚本印刷まで行ってくる」
「あ、それじゃあたしも行くわよ」
 そう言って、瑞希は壁に掛かっていたジャケットを羽織った。

 9時過ぎとはいえ、冷房が効いていた部屋から出るとむっとする。
 俺は瑞希のママチャリを借りて、後ろに瑞希を乗せてペダルを漕いでいた。
「くそ、重いぞ瑞希」
「なんですって! 失礼ね。あたしそんなに重くないわよっ」
「いや重い。大体そんな以下セクハラ発言につき発言者削除」
「馬鹿っ!」
 ぐわっ
 後頭部を叩かれて、車体がぐらっと揺れる。
「きゃぁ!」
 悲鳴を上げて俺にしがみつく瑞希。おおっ、背中に二つの膨らみがぁっ。今甦る熱い青春っ!
 ……いかんな。一児の父親なんだし、もっと落ち着かねば。
 とは思うのだが、やはり瑞希の胸は大きいのだった。あさひのも別に小さいと言うわけではないのだが、男は一度は大きな胸に顔を埋めてみたいという欲求が……いやいや。
「ちょ、ちょっと、変なこと考えてないでしょうね?」
 俺にしがみついたまま尋ねる瑞希。相変わらず鋭いヤツだ。
「そんなことはないぞっ! おっ、見ろ瑞希。あれが塚本印刷の灯だ!」
「そんなの見れば判るわよっ!」
 さすが入稿日だけあって、印刷機もフル回転しているらしく、営業時間が過ぎてもこうこうと明かりが灯っている。
 キーッ
 俺は自転車のスタンドを立てて止めると、施錠は瑞希に任せて事務所に走った。ドアを叩く。
「すみませ〜ん」
 ドンドンドン
 と、いきなりドアが開いた。中からは印刷機の回る騒音とともに、見慣れた男が現れる。
「おお、聞き覚えがある声だと思えばまいぶらざぁ」
「……大志?」
 俺はあんぐりと口を開けた。後ろからやってきた瑞希も目をぱちくりとさせた。
「な、なにしてるの? 大志」
「おお、同志瑞希も応援に来てくれたか。まぁ入りたまえ」
 そう言って、大志は俺達に背を向けた。

「同志和樹はそっちの給紙を頼むぞ。同志瑞希はここで原稿のチェックだ」
「……おい」
「それじゃ、吾輩は向こうにいるので、何かトラブルがあったらすぐに呼ぶがよい」
「あのねっ! ちょっと待ちなさいよ九品仏大志っ!」
 瑞希が大志の服の裾をはしっと掴む。大志は振り返った。
「すまんが今は時間がない。印刷所はこれからが勝負なのだよ」
「頼むから説明してくれ」
「手を止めるなっ! 同志和樹!」
「あ、すまん。インクの缶ってこれか?」
「うむ。それをそのインク供給タンクに入れればよいのだ」
「ちょ、ちょっと和樹もなに素直に手伝ってるのよっ!」
 瑞希に言われて、俺ははたと気付いた。
「あれ? いかんな、どうも押しに弱い」
「そんなの昔からでしょっ! それより大志、ちゃんと説明するまで手伝わないからねっ!」
 瑞希は腕組みして大志を睨んだ。
 と、
「あれぇ? 和樹お兄さんに瑞希お姉さんもお手伝いに来てくれたですかぁ?」
 塚本印刷のロゴ入りエプロンを身にまとった千紗ちゃんが、印刷機の影から姿を現した。
「や、千紗ちゃん。頑張ってる?」
「はい。千紗頑張ってますよ〜」
 ガッツポーズを取る千紗ちゃん。うんうん、やってるんだなぁ。
「和樹、暢気に挨拶してないでよっ! それより千紗ちゃん、和樹の原稿なんだけど、入稿されてるかどうか判る?」
 瑞希が後ろから俺の背中をどつきながら訊ねた。
「お兄さんの原稿ですか? ちょっと調べてみますね」
 そう言って駆け戻る千紗ちゃん。
「同志和樹、まさか原稿を落としたなどという笑えぬ冗談は言わないだろうな?」
「大志は、今日はずっとここか?」
 俺が訊ねると、大志は肩をすくめた。
「吾輩も色々と忙しくてな。ここにばかり関わるわけにもいかんのだよ、まいぶらざぁ」
「でも、来てくれただけでも千紗嬉しいですぅ」
 ぽっとほっぺたを赤くする千紗ちゃん。って、さっき調べに行ったんじゃなかったのか?
「あ、お兄さんの原稿はちゃんと入ってましたぁ」
「……はぁ〜〜っ」
 顔を見合わせて、深々と息をつく俺と瑞希。
 俺は首を傾げた。
「でも、それじゃ彩はどうしたんだ?」
「そうよねぇ」
「同志達よ。『Jamming Book Store』の長谷部彩のことを言ってるのか?」
 大志が訊ねた。俺は頷いた。
「ああ。ちょっとしたアクシデントで、彩に入稿を頼んだんだ」
 “アクシデント”というところにアクセントを置いて瑞希をじろっと睨む。
「な、なによ。あれはあんたが悪いんでしょっ!」
「彩お姉さんなら、うちの方にいますよ〜」
 千紗ちゃんがにこにこと口を挟んだ。
 うちって、千紗ちゃんの家?
 ちなみにここは、1階が印刷所、2階が住居になっている。
「彩お姉さん、原稿持ってきたですけど、すごく顔色悪かったです。だから、休んでもらったですよ」
 そっか。彩にも無理させちゃったんだな。
 後でお礼しないと。
「ありがと、千紗ちゃん」
 頭をなでなでしてあげると、千紗ちゃんはくすぐったそうに「うにゃぁ」と肩を揺らした。
「こら、和樹。なにしてんのよ」
「なにって、俺はお礼をだな」
「ったく、油断も隙もないんだから」
 そう言いながら、瑞希は俺の腕を掴んだ。
「それじゃ、入稿が終わってることも確認できたんだから、さっさと帰るわよ」
「え? でも……」
「同志瑞希、どこに行くのかね?」
 大志がさりげなく退路を断つように移動しつつ訊ねる。
「行くんじゃなくて帰るのよっ!」
 瑞希は俺の腕を引っ張ったまま、大志を押しのけた。
 と、
 ガチャ
 いきなり瑞希の行く手のドアが開いた。
「あれ? 和樹や瑞希はんも来とったんかいな。ということは、どうやら原稿は落とさへんやったようやな」
「由宇!?」
 ドアを開けて入ってきたのは由宇だった。片手にコンビニのビニール袋を提げている。
「ほれ、これ差入れやで。みんなで食うてや」
 そう言って、事務室の机にどさどさとビニール袋の中身を広げる由宇。
「わぁっ、お菓子が一杯ですぅ」
 嬉しそうに声をあげる千紗ちゃん。
「大志お兄さん、一緒に食べませんか? しばらくは印刷機さんにお任せしてても大丈夫ですから」
「ふむ、たまには庶民の娯楽に付き合ってやってもいいだろう」
「わぁい、千紗感激ですぅ」
 本当に嬉しそうだな、千紗ちゃん。
「ちょ、ちょっと和樹っ! 何腰おろしてるのよっ!」
「何って、立って食うのは行儀悪いだろ? それより由宇、原稿は間に合ったのか?」
「ま、なんとかなんとかってとこやな。ちょっとやばかったけど」
 どうやら由宇も『修羅場モード』で乗り切ったらしい。
「そっか」
「なごんでるんじゃないわよっ!」
「どうした、同志瑞希。食べないのならもらうぞ」
「……」
 瑞希は、どかっと椅子に腰を下ろすと、ため息混じりにポテチの袋をびりっと破いた。
「はぁ、あたしって不幸……」
 俺は苦笑しながら、机に積んである原稿を見た。
 ……これは……。
 大判封筒の表には、『CUT OR FISH!?』の文字があった。
 ってことは、これは詠美の原稿?
「あ、お兄さん。それは詠美お姉様の原稿ですよ」
 千紗ちゃんが俺の持っている大判封筒を見て言った。
 やっぱりそうなのか。
「詠美お姉様、一杯注文入れてくれてたですけど、去年から注文減っちゃったです。でも、最近また増えてきたですよ。千紗も嬉しいです」
「……そっか」
 詠美……。
「大庭詠美、やはり恐るべき存在だな。我が野望に仇なすか否か、慎重に見極めねばなるまい」
「大志?」
 顔を上げると、大志が腕組みしていた。
「去年、そう、ちょうどお前があさひ嬢と手に手を取って逃亡した後だ。大庭詠美は極度のスランプに陥った。それまでの彼女の人気を支えてきた流行への敏感さ、エンターテインメント性が共に失われた時、それは彼女が大衆からしっぺ返しを食った時でもあった」
「……詠美が?」
 俺が聞き返すと、大志は頷いた。
「まぁ、愚民とはそのようなものだ。とかく小手先の快楽ばかりを追い求める。だから、大庭詠美がそれに迎合することをやめたときに……」
「大将……。その話は、ウチは聞きとぉない」
 パリッとポテチを囓りながら、由宇が呟いた。大志も頷いた。
「まぁ、聞いていて気持ちのいい話ではないな。特に猪名川由宇、君はそうだろう。聞き流すには、余りに大庭詠美に深入りしすぎた」
「ま、ウチはお節介やからな」
「由宇……」
「だが、こみパに来る一般大衆は愚民ばかりとも限らぬ。その中には、ものの真贋を見極める事の出来る者も数多い」
「真贋を見極める事が出来る者、か」
 俺は呟いた。
「今の大庭詠美は、あの全盛期の飛ぶ鳥をも落とす勢いは確かにない。だがその実力たるやあの頃の比ではないと言っても過言ではない」
「そやな」
 言葉はそっけないが、由宇は嬉しそうな顔で相づちを打った。それから、俺に視線を向ける。
「でも、あないな事になってしもて。巻き込んでしもて、和樹にはすまんと思うとる」
「……いや」
 俺は、詠美の原稿を机に置いた。
「詠美とは決着付けないとな……」
「ほう。しかし同志和樹よ、今の大庭詠美は、あの頃のような付け入る隙は無いぞ。確かに販売部数は全盛期とは比べものにならぬとはいえ、リピーターを確実に掴んでいるからな。しかも、作品内容たるや、プロから見ても遜色のない出来だぞ」
「誰が同人誌の勝負をすると言った?」
 苦笑して、それから俺ははたと気付いた。
「大志、詠美のヤツ、プロになるのか?」
「誘われているのは事実だ」
 大志は頷いた。由宇が、はっとしたように大志に視線を向ける。
「それ、ホンマか?」
「なんだ、知らぬのか?」
 大志は、由宇に視線を向けた。
「辣腕で知られるコミックZの編集長、澤田真紀子女史が大庭詠美に接触したのは、前回のこみパだったそうだ。彼女は、夏こみが終わるまで返事を先延ばししたそうだ」
「それで、かいな……」
 由宇はふぅとため息をついた。
「なんや情緒不安定やと思ったら……。あの大バカ詠美……」
 と。
 ピピーッ、ピピーッ
 不意に印刷機の方からアラームが聞こえてきた。慌てて立ち上がる千紗ちゃん。
「あっ、紙取り替えないといけないですぅ」
「よし、諸君。休憩はこれくらいにして、各自持ち場に戻るのだ」
 大志が立ち上がる。と、由宇も立ち上がった。
「さて、そんなら、ウチも帰るとするわ。みんな頑張ってや〜」
「あっ、由宇さん、待って……」
 瑞希が引き留めようとしたが、その時にはもう由宇はドアの向こうに消えていた。……素早い。
「どうした、同志瑞希? 固まっていても輪転機は動かんぞ」
「あーーーっ、もうっ! こうなったらヤケよっ! 何をどうすればいいのっ!?」
 腕まくりする瑞希。何をそんなに張り切っているんだろ?

 結局、俺達が塚本印刷から解放されたのは、印刷が一段落した翌日の昼過ぎだった……。

To be continued...

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あとがき

 あさひのようにさわやかに その12 99/8/22 Up