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「ただいま〜。……って、和樹、なにやってんのよ!」
不意に頭の上から声が降ってきた。
「何って、見ての通りだが」
突っ伏していた机から顔を上げて答える。
「見ての通りって、まだ用意できてないじゃない。開場まであと30分くらいでしょ?」
瑞希は、肩から提げていたバッグを下ろしながら言った。
肩をすくめて、俺は答えた。
「俺も準備したいんだが、本が来ないんだ」
「本って、新刊が?」
「ああ」
俺は頷いた。心配そうにその俺の顔をのぞき込む瑞希。
「ちょっと、もし来なかったら危ないんじゃない?」
「いや、単に遅れているだけだと思う……。っていうか、そう信じるしかないんだよなぁ」
「でも……」
「おはようございます、和樹さん、瑞希さん」
横合いから声が聞こえた。そっちを見ると、南さんが笑顔で立っていた。
「あの、見本誌を取りに来たんですが」
「南さんっ!」
俺は立ち上がった。
「は、はい?」
「あの、実は……」
「……そうですか、それは困りましたね」
事情を話すと、南さんは小首を傾げた。
「なんとかなりません?」
横から瑞希が言う。
南さんは、バイザーについているインカムを指でくいっと引いた。
「ちょっと問い合わせてみます」
「お願いしますっ」
俺と瑞希は声を合わせて頭を下げた。南さんは微笑んで、インカムに向かって声をかける。
「あ、すみません。牧村です。搬入問い合わせで……。セ−04a、ブラザー2。つかもと印刷です。……ええ、まだ新刊が来てないと……。すみません、お願いします」
そう言いながらも、南さんはきょろきょろ辺りを見回している。会場内をチェックしているんだ。
「あっ、すみませ〜ん。会場内は走らないでくださ〜い」
「ごめんなさ〜い」
あれあれ、謝りながら走っていったぞ、今の奴。
もう、開場まであと少しだから、みんなかなり殺気立ってるなぁ。人気サークルの前にはもう人がたむろってるし。
本当は、まだ開場前のこの時間には、サークルの人しかいないはずなのだ。それなのに、どう見ても客にしか見えない連中が人気サークルの前にいるっていうことは……。まぁ、みなまで言うまでもないだろうけど。
と、南さんが不意にレシーバーを片手で押さえて、悲鳴のような声を上げた。
「なんですって!?」
「南さん?」
訊ねる俺に、手で「ちょっと待って」として見せながら、南さんはインカムに向かって声をかける。
「それで、千紗ちゃんは? ……そう。よかった。で、本は? そう……」
千紗ちゃん? 千紗ちゃんに何かあったのか?
南さんの声を聞くことしか出来ずに、じりじりする俺と瑞希をよそに、南さんは真剣な顔でレシーバーからの声に耳を傾けていた。
「……そうですか。はい、それじゃそちらはお願いできますね? 私もすぐに行きますから」
そう言ってインカムを脇に外し、南さんは俺に向き直った。
「和樹さんっ!」
「千紗ちゃんに何かあったんですか?」
「それが、千紗ちゃんが何かトラブルに巻き込まれたみたいで、今つかもと印刷の担当分の配送がかなり遅れているみたいなんです」
「ええーっ!?」
「今、準備会のメンバーも手伝って、全力で配送してるところですけど、最悪開場に間に合わないかもしれないって……」
「そのトラブルって? 千紗ちゃんは?」
瑞希が脇から訊ねる。
「なんでも、新刊を載せた台車が、あるサークルのスペースに突っ込んだんだそうです」
……あちゃぁ。
「それで、そのサークルの人ともめているらしくて……」
「千紗ちゃんが?」
ひたすら平謝りするならともかく、もめるっていうのはあまり想像つかないんだが。
瑞希も千紗ちゃんのことは知っているので、小首を傾げている。そんな俺達を見て、南さんはため息をついた。
「いえ、たまたまそのスペースの隣が、辛味亭だったんです」
「……納得」
「なんだか、その場の様子が手に取るように想像できるわ」
俺と瑞希は顔を見合わせて、頷きあった。
多分、最初はスペースを壊されたサークルの奴が千紗ちゃんに文句を言ったか何かだったんだろう。ただ、ちょっと物言いがきつかったとかそういうところを、たまたま見ていた由宇が例によって割って入って、騒ぎが拡大したとそういうことだな。
「どうせあいつのことだから、『カタログは最後の武器や!』とか言いながら最初に投げつけたんだろうなぁ」
「由宇ちゃん、かっとすると見境い無くすから……」
南さんもすっかり困った様子である。
「でも、由宇ちゃん自身はそんなに騒いだわけじゃないみたいなんですけど、その騒ぎがドンドン回りに広がってしまったみたいで、その島一帯が大混乱してしまって、その間に千紗ちゃんの運んでいた新刊がどこかに紛れ込んでしまって……」
「ありゃぁ……」
「その新刊は最終的には見つかったんですけど、それで配送が大幅に遅れちゃってるんです」
事情は判ったが……。
「それじゃ、俺達も手伝いに……」
「いえ、ご厚意はありがたいのですが、もうサークルの関係者の方は、スペースから出たらダメですから」
笑って軽く手を振ると、南さんは通路を駆けていった。走りながらも回りに声をかけている。
「すみませ〜ん、サークルの方は、自分のスペースに戻って下さ〜い!」
「……どうするの、和樹?」
見るともなく南さんの後ろ姿を見送っていた俺に、瑞希が心配そうに声をかけた。
「どうするのったって……、なるようにしかならないだろ」
「そりゃそうだけど……」
瑞希は腕時計をちらっと見た。
「……開場まであと5分よ」
「新刊さえ届けば、販売はすぐに出来るんだけどなぁ……」
今はがらがらの目の前の通路は、開場と同時に同人誌を買い求める入場者で溢れかえる。とてもじゃないけど通る事は出来ない。つまり、開場してしまったら最後、新刊は届かないと言っても過言ではないわけだ。
瑞希もそれは判っているのだろう。落ち着かなくきょろきょろと周囲を見回していた。
しかし……。
『ただいまより、夏こみを開催いたします』
わぁーっっ
アナウンスと同時に、割れんばかりの拍手が戦いの開始を無情にも告げた。
「……終わった」
がくっと俺は肩を落とした。
もうすぐ、ここは戦場になる。だが、俺の武器となるべき新刊はついに来なかった。
あとは玉砕しかない。
「……和樹」
「すまねぇ、瑞希。俺は……」
「ううん」
瑞希は、俺の肩に手を乗せて、首を振った。
「和樹、今まで頑張ったよ。他の誰が認めなくたって、あたしは認めるよ」
「瑞希……」
と。
「和樹さ〜んっ!」
南さんが、片手に白い板のようなモノを持って走ってきた。そして、ブースの前で、膝に手を当ててはぁはぁと荒い息をつく。
「南さん?」
びっくりして立ち上がった俺に、南さんは「大丈夫」と言うように手を上げてから、顔を上げた。
「ごめんなさい、遅れてしまって。でも、大丈夫です」
「へ」
「はい、ここのスペースにはこれを置いて、こっちに来て下さい」
南さんは、抱えていた白い板を俺に渡した。あ、これ、イラストボードだ。……え?
そのイラストボードには大きく文字が書かれていた。
サークル「ブラザー2」は 外に移動しました。 |
To be continued...
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あとがき
いや、遅れたわけが、某カードマスターピーチの元ネタを40話分一気に見てたせいとか、そういうわけじゃないですよ。はにゃぁ〜。
とにかく疲れたので、今日はこれまで。
ちなみに最近新作がないのは、純粋に仕事が忙しいからです。はい。
あさひのようにさわやかに その18 99/11/14 Up 99/11/18 Update