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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その18

「ただいま〜。……って、和樹、なにやってんのよ!」
 不意に頭の上から声が降ってきた。
「何って、見ての通りだが」
 突っ伏していた机から顔を上げて答える。
「見ての通りって、まだ用意できてないじゃない。開場まであと30分くらいでしょ?」
 瑞希は、肩から提げていたバッグを下ろしながら言った。
 肩をすくめて、俺は答えた。
「俺も準備したいんだが、本が来ないんだ」
「本って、新刊が?」
「ああ」
 俺は頷いた。心配そうにその俺の顔をのぞき込む瑞希。
「ちょっと、もし来なかったら危ないんじゃない?」
「いや、単に遅れているだけだと思う……。っていうか、そう信じるしかないんだよなぁ」
「でも……」
「おはようございます、和樹さん、瑞希さん」
 横合いから声が聞こえた。そっちを見ると、南さんが笑顔で立っていた。
「あの、見本誌を取りに来たんですが」
「南さんっ!」
 俺は立ち上がった。
「は、はい?」
「あの、実は……」

「……そうですか、それは困りましたね」
 事情を話すと、南さんは小首を傾げた。
「なんとかなりません?」
 横から瑞希が言う。
 南さんは、バイザーについているインカムを指でくいっと引いた。
「ちょっと問い合わせてみます」
「お願いしますっ」
 俺と瑞希は声を合わせて頭を下げた。南さんは微笑んで、インカムに向かって声をかける。
「あ、すみません。牧村です。搬入問い合わせで……。セ−04a、ブラザー2。つかもと印刷です。……ええ、まだ新刊が来てないと……。すみません、お願いします」
 そう言いながらも、南さんはきょろきょろ辺りを見回している。会場内をチェックしているんだ。
「あっ、すみませ〜ん。会場内は走らないでくださ〜い」
「ごめんなさ〜い」
 あれあれ、謝りながら走っていったぞ、今の奴。
 もう、開場まであと少しだから、みんなかなり殺気立ってるなぁ。人気サークルの前にはもう人がたむろってるし。
 本当は、まだ開場前のこの時間には、サークルの人しかいないはずなのだ。それなのに、どう見ても客にしか見えない連中が人気サークルの前にいるっていうことは……。まぁ、みなまで言うまでもないだろうけど。
 と、南さんが不意にレシーバーを片手で押さえて、悲鳴のような声を上げた。
「なんですって!?」
「南さん?」
 訊ねる俺に、手で「ちょっと待って」として見せながら、南さんはインカムに向かって声をかける。
「それで、千紗ちゃんは? ……そう。よかった。で、本は? そう……」
 千紗ちゃん? 千紗ちゃんに何かあったのか?
 南さんの声を聞くことしか出来ずに、じりじりする俺と瑞希をよそに、南さんは真剣な顔でレシーバーからの声に耳を傾けていた。
「……そうですか。はい、それじゃそちらはお願いできますね? 私もすぐに行きますから」
 そう言ってインカムを脇に外し、南さんは俺に向き直った。
「和樹さんっ!」
「千紗ちゃんに何かあったんですか?」
「それが、千紗ちゃんが何かトラブルに巻き込まれたみたいで、今つかもと印刷の担当分の配送がかなり遅れているみたいなんです」
「ええーっ!?」
「今、準備会のメンバーも手伝って、全力で配送してるところですけど、最悪開場に間に合わないかもしれないって……」
「そのトラブルって? 千紗ちゃんは?」
 瑞希が脇から訊ねる。
「なんでも、新刊を載せた台車が、あるサークルのスペースに突っ込んだんだそうです」
 ……あちゃぁ。
「それで、そのサークルの人ともめているらしくて……」
「千紗ちゃんが?」
 ひたすら平謝りするならともかく、もめるっていうのはあまり想像つかないんだが。
 瑞希も千紗ちゃんのことは知っているので、小首を傾げている。そんな俺達を見て、南さんはため息をついた。
「いえ、たまたまそのスペースの隣が、辛味亭だったんです」
「……納得」
「なんだか、その場の様子が手に取るように想像できるわ」
 俺と瑞希は顔を見合わせて、頷きあった。
 多分、最初はスペースを壊されたサークルの奴が千紗ちゃんに文句を言ったか何かだったんだろう。ただ、ちょっと物言いがきつかったとかそういうところを、たまたま見ていた由宇が例によって割って入って、騒ぎが拡大したとそういうことだな。
「どうせあいつのことだから、『カタログは最後の武器や!』とか言いながら最初に投げつけたんだろうなぁ」
「由宇ちゃん、かっとすると見境い無くすから……」
 南さんもすっかり困った様子である。
「でも、由宇ちゃん自身はそんなに騒いだわけじゃないみたいなんですけど、その騒ぎがドンドン回りに広がってしまったみたいで、その島一帯が大混乱してしまって、その間に千紗ちゃんの運んでいた新刊がどこかに紛れ込んでしまって……」
「ありゃぁ……」
「その新刊は最終的には見つかったんですけど、それで配送が大幅に遅れちゃってるんです」
 事情は判ったが……。
「それじゃ、俺達も手伝いに……」
「いえ、ご厚意はありがたいのですが、もうサークルの関係者の方は、スペースから出たらダメですから」
 笑って軽く手を振ると、南さんは通路を駆けていった。走りながらも回りに声をかけている。
「すみませ〜ん、サークルの方は、自分のスペースに戻って下さ〜い!」
「……どうするの、和樹?」
 見るともなく南さんの後ろ姿を見送っていた俺に、瑞希が心配そうに声をかけた。
「どうするのったって……、なるようにしかならないだろ」
「そりゃそうだけど……」
 瑞希は腕時計をちらっと見た。
「……開場まであと5分よ」
「新刊さえ届けば、販売はすぐに出来るんだけどなぁ……」
 今はがらがらの目の前の通路は、開場と同時に同人誌を買い求める入場者で溢れかえる。とてもじゃないけど通る事は出来ない。つまり、開場してしまったら最後、新刊は届かないと言っても過言ではないわけだ。
 瑞希もそれは判っているのだろう。落ち着かなくきょろきょろと周囲を見回していた。
 しかし……。

『ただいまより、夏こみを開催いたします』
 わぁーっっ
 アナウンスと同時に、割れんばかりの拍手が戦いの開始を無情にも告げた。

「……終わった」
 がくっと俺は肩を落とした。
 もうすぐ、ここは戦場になる。だが、俺の武器となるべき新刊はついに来なかった。
 あとは玉砕しかない。
「……和樹」
「すまねぇ、瑞希。俺は……」
「ううん」
 瑞希は、俺の肩に手を乗せて、首を振った。
「和樹、今まで頑張ったよ。他の誰が認めなくたって、あたしは認めるよ」
「瑞希……」
 と。
「和樹さ〜んっ!」
 南さんが、片手に白い板のようなモノを持って走ってきた。そして、ブースの前で、膝に手を当ててはぁはぁと荒い息をつく。
「南さん?」
 びっくりして立ち上がった俺に、南さんは「大丈夫」と言うように手を上げてから、顔を上げた。
「ごめんなさい、遅れてしまって。でも、大丈夫です」
「へ」
「はい、ここのスペースにはこれを置いて、こっちに来て下さい」
 南さんは、抱えていた白い板を俺に渡した。あ、これ、イラストボードだ。……え?
 そのイラストボードには大きく文字が書かれていた。


 サークル「ブラザー2」は
  外に移動しました。


「南さん、これって……」
「ええ。ブラザー2は外でお願いします。スペースは今作っていますし……」
 そう言って、南さんはにっこりと笑った。
「新刊の方も、そろそろ届く頃ですよ」
「そ、外?」
 瑞希が、目をぱちくりさせた。それから、俺に尋ねる。
「ねぇ、和樹。外って?」
「ふふふ、同志瑞希。外を知らぬとはまだまだ甘いな」
「きゃぁっ!!」
 いきなり後ろから声をかけられて、瑞希は飛び上がった。
 俺も慌てて振り向くと、俺達の背後の壁にもたれるようにして大志が立っていた。
「大志!?」
 大志はくいっと眼鏡の位置を直しながら言った。
「同志瑞希、ゆっくりと説明したいのはやまやまだが、今は時間が一瞬でも惜しい。客が来る前に全ての準備を整えねばならんのでな。さ、急げよ、同志和樹っ」
「おうっ!」
 俺は頷いて、机の上に並べていた本を抱え上げた。
「ちょ、ちょっと和樹?」
「移動するぞ、瑞希。俺は本を運ぶから、瑞希は他のものを頼む! 大志も手伝え」
「額に汗して労働するのも、野望達成の一環ならば厭うまい」
 訳の分からんことを言いながら、大志も本を抱え上げた。
「この展示場はその大きさ故、開場から一般客がこの付近に到着するまで5分ほどのタイムラグがある。その間が勝負だぞ」
「おう、5分で移動しろってことだな」
「その通りだ、同志よ」
「も、もう。2人とも待ってよっ!」
 瑞希はテーブルクロスを畳んでまとめると、バッグを担ぎ上げる。
「用意できましたか? それじゃこっちです!」
 南さんの後について、俺達は小走りで移動した。大きな扉から外に出ると、ちょうどいい案配の薄曇りだった。

「外って、展示場の外!?」
「その通りだ、まいしすたぁ」
 テーブルクロスを抱えて運ぶ瑞希を振り返って、大志は言った。
「普通、同人誌の搬入の多いところや、客がたくさん来るサークルは、その搬入の手間や、客の混雑を押さえる意味で、スペースを広くとりやすい壁際に配置される。このようなサークルを称して壁サークルという。それは同志瑞希も知っているな」
「ええ。……別に知りたくて知ったわけじゃなかったけどね。で?」
 肩をすくめて先を促す瑞希。
 大志は一つ頷いて、続けた。
「しかし、その壁サークルといえど、会場内で販売していることにはかわりない。客は会場内に列を為し、結局は他のサークルに邪魔になる。というわけで開発された究極技、それが外サークルなのだっ!!」
 そう言うと、大志はびしっと指をさした。
「さぁ、同志和樹、同志瑞希! 諸君の今日の戦場はあそこだぁっ!!」
 そこは、ちょうど俺達のサークルのブースがあった場所の外側。そこに、既に準備会の人が集まって、机を並べていた。
 俺達をここまで先導してきた南さんが、彼らに声をかける。
「千堂さんがいらっしゃいましたよ〜」
「おーっ!」
「待ってたぜぃ!」
「準備万端整ってますぜっ!」
 頼もしい声が上がる。
 と、背後からも別の準備会のスタッフの声が聞こえてきた。
「ブラザー2はこちらでの販売になっております〜。2列に並んでください〜」
 瑞希が、手早くテーブルクロスを机に広げる。俺と大志は抱えてきた本をそこに置いた。
「和樹お兄さぁんっ!!」
 ばたばたっと走ってきた千紗ちゃんが、勢いよく頭を下げる。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「千紗ちゃん……」
「千紗のせいで、お兄さん達に迷惑かけちゃって、千紗、千紗……」
 やばい。こりゃ泣き出しそうだぞ。
 と、大志がそんな千紗ちゃんに声を掛けた。
「小娘、泣くより前にすることがあるはず。違うか?」
「あっ、は、はいっ」
 こくこくと頷くと、千紗ちゃんはぐいっと袖で目を拭うと、俺にもう一度ぺこりと頭を下げた。
「つかもと印刷ですぅ。ご注文の新刊2000部、お届けに上がりましたっ!」
 その後ろには、同人誌の入った段ボール箱が積まれていた。
 俺は、その段ボール箱を、カッターナイフを使って開ける。
 中には、インクの匂いも新しい新刊が入っていた。
 ぱらぱらとめくってみる。乱丁、落丁なし。
「確かに。瑞希、とりあえずこの本、積んでおいて」
 ブースの準備を手際よく整えている瑞希に、新刊を渡すと、続いて冊数の確認。といっても、おおざっぱにだけど。……約100冊入りの箱が……20箱。冊数オッケイ、と。
「……ごめんなさいでした」
 ぺこりともう一度頭を下げる千紗ちゃん。いつもの元気はどこへやら、すっかり落ち込んでるみたいだ。
 なんとか元気付けてあげられればいいんだけど……。
「同志和樹」
 俺が、何かいい手は無いかと考え始めたときに、不意に大志が言った。
「なんだよ? 俺は……」
「憂慮すべき事態になりそうだ」
 大志は声を潜め、スタッフが並べている客の列を指した。俺もそっちを見て、思わず目をむいた。
「なんじゃありゃ!」
 それは、俺が今まで見たどの行列よりも長い行列だった。
 大志は肩をすくめた。
「あの行列を捌くのは、我々3人では難しいと思わぬか?」
「そりゃそうだけど、でも誰か今から手伝ってくれる人の心当たりでもあるのか?」
 聞き返すと、大志は頷いた。
「うむ」
「ホントか?」
 大志は、しょぼんとしている千紗ちゃんの肩にぽんと手を置いた。
「紹介しよう。同志千紗だ」
「……はふぅ……。えっ?」
 ため息をついてから、千紗ちゃんはぱっと顔を上げた。
「大志お兄さん……?」
「小娘、今日はもう仕事は終わりであろう?」
「あ、はい。千紗もうあとは帰るだけですけど……」
 大志は頷いて、千紗ちゃんの前に屈み込んだ。
「ならば、我が同志となるがよい。今日一日、我が野望の為にその身を捧げるのだ」
「ううっ、千紗、生け贄はだめですぅ。お父さんとお母さんに叱られちゃいますぅ」
「大志、もう少しわかりやすく言えって」
 俺は苦笑して、千紗ちゃんに言った。
「もし千紗ちゃんがよければ、うちのブース手伝ってくれないか? あの様子じゃ、俺達だけじゃさばききれないかもしれん」
 俺は、スタッフが並べている客の列を親指で指した。
「でも、千紗、またお兄さん達に迷惑かけちゃうかも知れないですぅ……」
 うーむ。千紗ちゃん、すっかり自信喪失してるようだなぁ。
 と、大志が千紗ちゃんの頭にぽんと手を置いた。
「今は、お前の力が必要だ」
「大志お兄さん……?」
 千紗ちゃんは顔を上げて、大志をじっと見つめた。
 大志は、ひとつ頷いた。
「頼りにしているぞ、千紗」
「……はいっ! 千紗頑張りますっ!」
 千紗ちゃんはこくこくと頷いた。大志は立ち上がると、俺に向かってにやっと笑った。
 いつもは悪魔のように見えるその笑みが、このときだけはなぜか照れ笑いのように見えた。
「和樹、こっちの準備はOKよ!」
 瑞希が振り返った。テーブルの上には本が整然と並べられ、値札がついている。
「よし」
 俺はブースの中を見回した。
「大志!」
「ふふっ、我が野望の一過程というところか」
「千紗ちゃん!」
「千紗、いつでも大丈夫です」
「瑞希!」
「……ここまで来たら、地獄のそこまで付き合うわよ」
「よし、ブラザー2、販売開始だっ!」
 俺は向き直って、並んで待っているお客さんに向かって叫んだ。
「お待たせしましたっ! ただいまより発売を開始しますっ!!」

To be continued...

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あとがき
 いや、遅れたわけが、某カードマスターピーチの元ネタを40話分一気に見てたせいとか、そういうわけじゃないですよ。はにゃぁ〜。
 とにかく疲れたので、今日はこれまで。
 ちなみに最近新作がないのは、純粋に仕事が忙しいからです。はい。

 あさひのようにさわやかに その18 99/11/14 Up 99/11/18 Update