「……はぁぁぁ」
The End
聞こえよがしの大きなため息をつく瑞希。
「なんだよ」
「そりゃ、あんたに着いて行こうって決めたときに、覚悟は出来てたつもりなんだけど」
そう言って、瑞希は壁に掛かっている予定表を見上げた。
1ヶ月の予定が書き込めるそのホワイトボードは、黒や赤の文字でほぼ埋め尽くされていた。
「しょうがないだろ? 年末進行だし冬こみだってあるし」
「なにも両方出すこともないと思うんだけど……」
「……悪い」
「ううん、わかってる。ただ、言ってみただけ」
瑞希は苦笑して、振り返った。
「今日は何が食べたい?」
「ん〜。何か精の付くものがいいな」
「了解。それじゃ買い物に行ってくるね」
瑞希はそう言うと、買い物かごを下げて出ていった。
俺の名は千堂和樹。一応、月刊誌に連載を持っているとはいえ、まだ駆け出しの漫画家兼大学生だ。
今年の春、俺は2つのものを手に入れた。プロデビューと、そしてかけがえのない恋人とを。
その恋人が、今買い物に出かけた瑞希――高瀬瑞希だ。
で、あいつが何を怒ってたかというと……。
俺は予定表を見上げた。
12月の予定表。24日のところには赤で「締め切り!」と書いてある。
つまり、クリスマスはちょうど原稿の締め切りなんだ。とてもじゃないが、お祝いなんてしてる場合じゃない。
とはいえ、俺達にとっちゃ、恋人同士になってから最初のクリスマスだ。
瑞希は、ああ見えて結構乙女っぽいことに憧れる繊細なところもあったりするから、さぞやがっかりしてるんだろうな……。
待てよ。
俺は、日付を数えなおした。それから、電話をかける。
トルルル、トルルル、トルルル
「へろぉ、まいぶらざぁ。吾輩に何用かね?」
受話器の向こうから声が聞こえた。俺は呆れて聞き返す。
「よく俺だって判ったな」
「無論だ、まいぶらざぁ。吾輩と貴様との間には切っても切れぬ絆があるのだよ」
「おまえなぁ……」
「冗談だ。携帯には着信番号表示機能というものがあるのだよ、まいぶらざぁ」
そう言われればそうだっけ。
「で、何用かね?」
「ああ、そうだ。頼みがある。俺はこれから修羅の道に入らないといかん」
「ほほう。禁断の修羅場モードを発動させるというのか。それもよかろう。で、吾輩に頼みとは?」
「その間、授業の代返を頼む」
「パワグラの冬こみ新刊だな」
「……ぐ」
一応、それなりに有名サークルになってしまったので、挨拶に行けば新刊を交換するくらいはしてるが……。
「……わかった。その条件、飲もう」
「グッド。よし、大学の方は任せて、心おきなく修羅の道を歩みたまえ、まいぶらざぁ。期待しているぞ」
……なにに期待してるんだが。まぁいい。
俺は受話器を置いた。タイミング良く瑞希が帰ってくる。
「ただいまぁ〜」
「あ、瑞希」
振り返ると、瑞希がキッチンに消えていくところだった。
俺はその後を追ってキッチンに入る。
「ちょっと話があるんだけどさ」
「うん、夕ご飯作りながらでいいなら聞くわよ」
早速手を洗って、エプロンを締めながら言う瑞希。む、相変わらず胸がでかい。……じゃなくて!
「俺、頑張って原稿早く上げることにしたよ。だからさ、クリスマス、やろうぜ」
「えっ?」
振り返る瑞希。
「和樹……」
「というわけで、だ。精の付くもの頼むぜ」
「うんっ!」
瑞希は笑顔で頷いた。
……終わった。
俺は最後の1枚を封筒に入れて、大きく息をついた。
「やったー」
「おめでとう、和樹。あとはこれをつかもと印刷に持っていけばいいのよね」
瑞希が、俺のまえにコーヒーを置きながら言った。
「ああ。さて、善は急げだ。早速持っていって……」
「それならあたしが持っていくから、和樹は休んでてよ」
そう言って、瑞希はコートを羽織った。
「でも……」
「いいからいいから。あ、ついでに夕ご飯の買い物もしてくるから、少し遅くなるかもしれないけど……」
「それじゃ、頼むぜ」
「任せなさい」
どんと胸を叩いて、瑞希は出ていった。
俺は、ふぅと一息ついて、瑞希のいれてくれたコーヒーを飲み干して、ベッドに横になった。目を閉じると同時に、そのまま眠りに落ちていく。
……というわけにも行かなかった。まだ修羅場の興奮状態が続いているのか、コーヒーがいけなかったのか、やたらと目がさえている。
壁の予定表に視線を向けた。
今日は……23日?
いかんっ!
ベッドから、俺は飛び起きた。慌ててジャケットを着込む。
忙しかったせいで、まだ瑞希にあげるプレゼントも買ってなかったんだ。
さて、どうしよう。
駅前の商店街まで出たところで、俺ははたと困っていた。
何をプレゼントしたものか、皆目見当がつかないのだ。
誰かに相談しようにも……、大志に相談するわけにもいかないし……。
「あら、和樹さん?」
後ろから声が聞こえて、俺は振り返った。
「やっぱり和樹さん。良かった。間違えたらどうしようかと思いました」
そこにいたのは、南さんだった。
「南さん? いいんですか?」
「え?」
「だって、こみパ直前じゃないですか」
俺が言うと、南さんは苦笑した。
「ちょっと休憩ですよ」
そりゃそうだ。
「すみません」
「いえいえ。和樹さんこそ、原稿は?」
「あ、もう上げました。あとは印刷所さえこけなきゃ大丈夫です」
「そうですか。楽しみにしてますね、和樹さんの新刊」
そうだ!
俺は訊ねた。
「あの、南さん。ちょっといいですか? 相談したいことがあるんですけど……」
「え? ええ、いいですけど……」
「実は、瑞希のことで……」
「高瀬さんの? もしかして、最近うまくいってないんですか?」
心配そうに俺をのぞき込む南さん。俺は慌てて手を振った。
「まさか。至極良好です。ま、細かいことは色々ありますけど」
「あは、ごちそうさま」
南さんは笑うと、聞き返した。
「それじゃ、なんでしょう?」
「実は、もうすぐクリスマスじゃないですか」
「そういえば、そんなものもありましたね」
苦笑する南さん。
「こんなお仕事していると、そういう行事には疎くなりますね」
「お互いに」
俺も苦笑した。それから、改めて切り出す。
「それでですね、瑞希にプレゼントを贈ってあげたいんですけど、何がいいのか見当もつかなくて」
「あ、そういうことですか」
南さんは頷いた。それから小首を傾げる。
「そうですね……。定番だと、何かアクセサリーってところでしょうか」
「アクセサリー、ですか?」
「はい。指輪とかネックレスとかイヤリングとか……」
「は、はぁ……」
俺が頷くと、南さんはくすっと笑った。
「判りました。私が見立ててあげますから」
「本当に、どうもありがとうございました」
店を出ながら、俺は南さんに礼を言った。
「いえいえ。和樹さんには日頃からお世話になってますから」
「でも、休憩時間を使わせちゃって……」
「いい気分転換になりましたよ」
そう言ってから、南さんは腕時計を見て、俺に言った。
「それじゃ、私はそろそろ事務所に戻らないといけませんから」
「あ、はい。それじゃこのお礼はいずれしますから」
「期待してますね。それでは」
ぺこりと頭を下げて、南さんは歩いていった。
「和樹っ!」
家に帰ってドアを開けるなり、いきなり瑞希に怒鳴りつけられた。
「わ、なんだ?」
「なんだ、じゃないでしょ!? 人に原稿届けさせといて、一体どこをほっつき歩いてたのよっ」
「いや、俺にも色々と用事があってだな……。あ、もしかして心配してた?」
俺が訊ねると、瑞希はかぁっと赤くなった。
「あ、あたりまえでしょっ!? 昨日だって徹夜に近いんだから……。そんなんで外歩き回って車にでもはねられたら大変じゃないの。もう、まったくいつになっても心配かけるんだから……」
最後の方は独り言のようにぶつぶつ言いながら、瑞希は立ち上がって台所に入る。
「とりあえず、お味噌汁が冷めちゃったから、暖め直すね」
「おう、サンキュ」
ちなみに瑞希の作る味噌汁は絶品である。もともと料理全般に渡ってなかなかの腕なのだが。
俺は瑞希が後ろを向いているのを確認してから、ジャケットのポケットに入れてあるプレゼントをどこに隠すか考え込んだ。結局、思いつかなかったので、そのままにしてジャケットをハンガーにかける。
「で、明日はどうするの?」
瑞希とちゃぶ台を挟んで夕飯を食っていると、不意に瑞希が訊ねた。
言うまでもなく、明日はクリスマス・イブである。
「そうだな。ぱっと豪勢にどっかでディナーといくか?」
「うーん。それもいいけど、なんかありきたりだと思わない? なんだかお仕着せのクリスマス〜って感じで……」
「そう言われてみると、そうかもな。でも、それじゃ家でのんびりとやるのか?」
「そうしようよ。あたし、一杯料理作ってあげるよ」
そう言われると、こちらとしても断る理由はない。
「よし、それじゃそうしよう。あとは……」
「大志から電話が来ても、ちゃんと断ってよ」
瑞希は腕組みして言う。
確かに、去年のクリスマスは、いきなり大志に呼び出されてバイトさせられ、瑞希の料理を食い損なったりしたしなぁ。
「とはいえ、こういうときにどこからともなくやって来る奴だからな、あいつは」
「そうよね」
俺達は顔を見合わせて、ため息をついた。
24日。
午前中に買い物に出かけて、ビニール袋を4つも提げて戻ってきた瑞希は、ずっと台所に籠もりっきりになっていた。
美味しそうな匂いだけが流れてくる。はっきり言って拷問に近いぞ、これは。
「瑞希〜、まだか〜?」
「まだよっ。入って来ちゃダメだからねっ!」
この有様である。
と。
トルルルル、トルルルル、トルルルル
電話が鳴りだした。
……まさか?
台所から瑞希が顔を出す。
「和樹、まさか……」
「と、とりあえず取ってみる」
俺は受話器を取った。
「はい、千堂です……」
「へろぉ、マイフレンド。ご機嫌いかがかな?」
その声は地獄の底から響いてきたかのようだった。
「た、大志っ? ま、まさかお前……」
「ん〜、なかなか察しがよいな、マイフレンド。さぁ、来るがよい! 吾輩はいつものところで……」
「ちょっと貸しなさいっ」
台所から飛び出してきた瑞希が受話器を奪い取った。
「こらぁ、大志っ! 今日は和樹はダメっ! え? 知らないわよそんなの! な、なんででもよっ。とにかくダメって言ったらダメなんだからねっ! ……和樹はね、あたしのなのっ!」
ガチャン
受話器を叩きつけるように置いて、はぁはぁと息をあらげる瑞希。
「ったく、大志ったら……」
「……瑞希、お前すごく恥ずかしいこと言ってなかったか?」
俺が脇から言うと、瑞希はぽんと赤くなった。
「あ、えっと、ものの弾みって奴よっ! ばかっ」
そう言って、そのまま台所に駆け戻っていく瑞希。
と。
トルルルル、トルルルル
また電話が鳴りだした。って、まさか。
とりあえず受話器を取る。
「はい、千堂……」
「同志和樹よ、それで話の続きだが……」
俺は額を押さえた。
と、台所からずだだっと瑞希が駆け戻ってきた。
「貸してっ、和樹」
そう言って受話器をひったくると、怒鳴りつける。
「ダメだって言ってるでしょっ! え? しつこいっ! もう掛けてくるんじゃないわよっ。いいわねっ! ……だから、言ってるでしょ! 和樹はあたしのだからダメだって!」
ガシャン
しまいにゃ受話器が壊れるんじゃないかと思わず心配してしまうような勢いで受話器を置くと、瑞希ははっと我に返って慌てて両手を振る。
「えっと、今のは、またものの弾みなんだからね」
「いや、俺は何も言ってないけど……」
「いいのっ!」
俺の言葉を遮るように言い捨てて、台所に戻る瑞希。
さすがに、それ以上電話はかかってこなかった。
「乾杯」
チン
グラスをあわせると、俺は中身を一気に飲み干した。
スパークリングワインが喉を滑り落ちる。
「……ふぅ。おいし」
俺の前では、同じようにグラスを空けた瑞希が、目元にうっすらと朱を浮かべて微笑んでいた。
「それにしても、想像できないな」
「えっ?」
「いや、去年のことを考えるとさ」
「そりゃあたしだってそうよ」
瑞希は、脇に飾ってあるツリーに視線を向けて呟いた。
「まったく、どうしてこんなの好きになっちゃったんだろね」
「もしかして、後悔してる?」
「ん〜」
一拍置いて、瑞希は俺に視線を向けた。そして、ゆっくりと首を振る。
「後悔してない。ううん、後悔しないってもう決めたもの」
「……だったな」
俺は、ふと壁のハンガーにひっかけてあるジャケットのことを思い出した。
渡さなくちゃな。
「な、瑞希」
「え?」
「飯食ったら、ちょっと出かけないか?」
「外に?」
「腹ごなしの散歩だよ」
「いいけど……。なんかたくらんでる?」
「べっつに」
俺はグラスを置いた。
「よし、食うぞ」
「うん、そうだね」
2時間ほどかけて、瑞希の用意したディナーを平らげた俺達は、食後のお茶を飲んでいた。
「ね、どうだった?」
「何が?」
「何がって、もう。今日の料理よ」
「10点」
「何点満点の?」
「10点。文句なく美味かった。瑞希が料理が上手くて俺は嬉しいよ」
「なによ、それ。まるであたしは料理が上手いだけが存在価値みたいじゃない」
「ばーか。瑞希がたまたま料理が上手かっただけだろ。俺は瑞希だから恋人にしたんで、料理が上手い娘を恋人にしたんじゃねーよ」
「……ばか」
ぽっと赤くなる瑞希。いかん、俺も結構酔ってるか?
俺は立ち上がった。
「それじゃ、ちょっと行こうか」
「え? あ、散歩? でも、片づけが……」
「そんなの帰ってからやればいいって。行こうぜ」
俺はジャケットを羽織った。
駅前は人混みでごった返していた。
その中でもひときわ目立つ、イルミネーションに彩られた、巨大なクリスマスツリー。
「そっか。ここに連れて来たかったんだ」
納得したように頷く瑞希。
「そゆこと」
頷くと、俺はツリーを見上げた。
「去年は雪が降ってたよね」
「残念だったな。今年は雪もなくて」
「……でも、いいよ。和樹と一緒だから」
そう言って、俺の肩にこつんと頭をぶつける瑞希。
俺はポケットに手を突っ込んだ。そして、箱を出す。
「瑞希、これ、クリスマスプレゼント」
「えっ?」
箱を開けると、その中には銀のブローチとイヤリング。
「……いいの? こんなのもらっちゃって」
「ああ。ホントは指輪にしようかな、とも思ったんだけどさ、その、瑞希の指のサイズ知らなくてさ」
俺はほっぺたを掻いた。瑞希は苦笑した。
「いいわよ、そんなの。ね、つけてみてもいい?」
「どうぞ」
瑞希はイヤリングを付けた。それからブローチを胸にとめて、俺に向き直る。
「どうかな?」
「似合ってる。思った通り」
「ありがと」
はにかんだように笑う瑞希。
「それじゃ、これはあたしから……」
瑞希は、肩から提げていたバッグからマフラーを出すと、俺の首に巻いた。
パッと、頭上のツリーのイルミネーションが輝く。
瑞希の胸のブローチが、様々な色に染まった。
「メリー・クリスマス」
俺達は、どちらからともなく、キスをした。
あとがき
Twinkle Night 99/12/22 Up