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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 Episode 52

 夜の帷が降りる頃、俺と舞は再び学校の廊下に立っていた。
「残りはどれくらいだ?」
「……4体」
 舞の言葉に、俺は慨嘆した。
「多いな」
「でも、終わらせる」
「そうだな」
 頷く俺の前に、舞が剣を、柄を先にして差し出していた。
「これ……。古いものだけど……」
「剣? でも、舞は……」
 どうするんだ? と言いかけて、いつも舞が使っている剣が、壁に立てかけてあるのに気付く。
「今日は、祐一を守れないから」
「……そうだな」
 俺はその剣を受け取ると、仔細に眺める。
 ゆるりと弧を描く片刃の剣。所々に錆が浮いているが、それでも手入れされているのが判る。
 以前、舞が狐に襲われそうになった俺と真琴を助けに来てくれたときに使っていた剣だった。
 後でわけを聞くと、「いつもの剣では、傷つけてしまうから」と言っていたな。
 改めて、舞が手にする剣を見る。
 真っ直ぐな両刃の剣。
 舞がそれを振るうのも、今日で最後になるはずだ。
「!」
 ほんの微かな、昼間だったら気のせいで片付けてしまいそうな音。
 それが、戦闘開始を告げた。
 タッ
 舞が駆け出し、右手で剣を振るう。
 だが、それを見ている余裕は俺にもなかった。
 衝撃が俺を掠めた。
「くっ、こっちだっ!」
 叫んで俺は、舞と逆方向に駆け出した。
 今の舞に、複数を相手にする余裕はないだろう。
 だとすれば、とりあえず俺に引きつけるしかない。

 階段を駆け上がり、廊下を走る。
 すぐに息が切れてきた。手にしている剣が重い。
 このままじゃ、そのうちに追いつかれてしまうだろう。
「ならばっ」
 向き直り、剣を構える。
 正面から、来る!
 とっさに俺は剣を突きだしていた。
 半ばまで突いたところで、猛烈な勢いで身体が弾き飛ばされる。
 廊下に沿って真っ直ぐ飛ばされて助かった。
 ごろごろ転がりながらそう思う。そうでなければ、壁に叩きつけられていただろう。
 そして……。
 回転を止めて、立ち上がる。
 なにより、今の手応え。
 どうやら、俺でも、一矢を報いることは出来たらしい。
 やつは、どう出る?
 ごくり、と生唾を飲み込み、懸命に気配を探る。
 ……逃げていく!
 微かな音が、急速に遠ざかっていく。
 俺は、追撃に入った。
 何しろ、魔物の姿はおろか、気配すらも俺は知ることが出来ない。ここで逃げられてしまえばそれっきりだ。
 全速で魔物を追ったが、それでも魔物の方が早い。だんだん音が遠ざかっていく。
 くそっ。
 さらにスピードを上げようとするが、身体の方が言うことを聞いてくれない。
 やがて、廊下の曲がり角が近づいてくる。
 直角に折れる廊下を、このスピードで曲がり切るなんて出来るはずがない。
 ならば、それまでに追いつくっ!
 目で距離を測り、大股で駆ける。そして、強く踏み込んでジャンプし、剣を振り下ろす。
 ガヅゥン
 剣は床に弾かれ、手に痺れが走った。見事に空振りだった。
 そして。
 ズンッ
 地鳴りのような音がして、そこに舞がいた。
 剣を振り切った格好で、膝を折ってしゃがみ込んで。
「舞、やったのか?」
 舞はこくりと頷いた。俺は大きく息をついた。
「さて、残りはあと何体だ? ……舞?」
 その時、舞の異変に気付いた。
 しゃがみこんだまま、舞は動かない。
「……舞、もしかして、足を……?」
 その時、舞が呟いた。
「……上」
 くっ!
 とっさに床を蹴って転がったのは、日頃、舞と一緒に魔物と戦っていた成果だろう。
 上を見てては間に合わない、と本能的に悟っていたのだ。
 舞がしゃがんだまま剣を振り上げたのと、頭上の蛍光灯がパンッと破裂したのは同時だった。
 天井に向けて突き上げられた剣先が不自然に揺れ、そしてジリジリと押し下げられていく。
 いつもの舞なら、そんな状態のままでいるはずがない。一歩下がって間合いを取り、さらに激しい斬撃を見舞っているところだ。
 でも、今の舞には、一歩下がって立て直すだけの力もないのだ。
 そう悟った時、俺は床を蹴っていた。
「舞っ!!」
 叫びながら、魔物がいると思われる空間に向かって、遮二無二剣を振るう。
 その攻撃は全て空を切る。が、それを恐れたわけでもないだろうが、魔物は離れていったようだった。蛍光灯を破裂させる音がどんどん遠ざかっていく。
「よし、追うぞっ!」
 俺がそう言うと同時に、舞の姿がふっと視界から消えた。
 だが、それは、いつものように疾駆する姿に変わったためではなかった。
「舞っ!」
 舞は、無様に、蛍光灯の破片が散乱する床に倒れていた。

 俺は舞を背負って、階段を一段一段踏みしめて登っていった。
「両脚も動かないのか」
「……そう」
 俺の背中に体重を預けて、舞は息をついた。
 その身体を揺すり上げて、俺は軽口を叩いた。
「しかし、重いな」
「そんなことない」
 いつになく早い反応なのは、やはり女の子だからだろうか?
「いや、きっと出てるところが出てるからだろうな」
 ゴン
 頭を剣の束で叩かれて、俺は立ち止まった。
「……痛いぞ、おい」
「祐一が、くだらないことを言うから」
「でも、黙ってても寂しいじゃないか」
「……りんご」
「ぐぁ。またしりとりか?」
「りんご」
「またすぐに自爆するだろ、舞」
「……自爆しないから」
 俺はもう一度、舞の身体を揺すり上げて、階段を上がった。
「ごりら」
「らっぱ」
「ぱぱいあ」
「あるまじろさん」
「ろうそく」
「くじらさん」
「ラジオ」
「おるかさん」
「か……って、おるかってなんだ?」
「よくわからない」
「そんなの却下」
「それじゃ……いるかさん」
「ああ。……って、違うだろ。“い”じゃなくて“お”だ!」
「祐一は細かい」
「舞がおおざっぱ過ぎるんだ」
「……そう?」
「やれやれ」
 俺はため息をついて、足を止めた。
「これ以上は上がれないぞ」
 そこは、舞と佐祐理さんと3人で弁当を囲んでいた、屋上に通じる踊り場だった。
 その佐祐理さんは、今頃どうしているだろうか……?
 俺は舞をそこに下ろすと、強張った筋肉をほぐすように、肩をぐるぐると回した。
「さて、魔物は残り3体、か」
「2体」
 舞は、冷たい床に腰を下ろしたまま、俺に視線を向けた。
「祐一に逢う前に、1体は片付けたから」
「なるほど。いいペースだな」
 そうは言ったが、頼みの舞はここに来て両脚も動かなくなっている。あと2体を、そんな状態で仕留めることができるのか……。
 俺の思いを見て取ったのか、舞が静かに言う。
「今夜、全部終わらせるから」
「……そうだな」
 その時。
 カツッ
 何かが当たる微かな音が、下の方から聞こえた。
「……きた」
 舞はそう言うと、剣を杖にして立ち上がった。
「大丈夫なのか?」
「……」
 無言で唇を噛みしめる舞。その額を、汗がつぅっと流れ落ちる。
「やっぱり、無理じゃないか。俺が行くから、舞はここにいろよ」
 そう言って、俺は剣を片手に階段を降りかけた。
「祐一」
 後ろから舞の声。
「なんだよ?」
「そこ、邪魔」
「え?」
 振り返った瞬間、背後でガキッと大きな音がした。
 しまった! もうそこまで来てたのか!
 その瞬間、舞が飛翔した。
 とっさに身をかがめた俺の上を飛び越え、20段は有りそうな高さを一気に跳躍し、全体重を込めて剣を振り下ろす。
 ザシュゥゥーーーッ
 弧を描いた剣の軌跡が、階下の空気を両断していた。
 それを見て、俺は初めて舞のやったことを理解していた。
 高いところから飛び降りて、全体重をかけて斬る。それが、両脚も動かなくなり、右腕しか残っていない舞に、ただ一つ残された策だったのだ。
「舞っ」
 俺は階段を駆け下りると、舞の身体を抱き起こした。
「やったな、舞!」
「……失敗」
「へ?」
 次の瞬間、横殴りの衝撃に、俺の身体は宙を飛んでいた。

 何度か床をバウンドし、踊り場の壁に叩きつけられて動きを止める。
「ま、舞……」
 自分の体よりも先に、とっさに固く抱いていた舞の無事を確認する。
「……」
 舞は黙ったまま頷く。大丈夫、ということらしい。
 俺の方が、あまり大丈夫じゃないけどな。
 利き腕の肩に激痛が走っていた。ちょっと腕を動かしただけで、飛び上がりそうに痛い。
 俺はよろよろと立ち上がった。
「舞、逃げろ」
「……」
「やつは俺が引きつけてやる。まだ足は動くからな」
「祐一……」
 そのまま行こうとした俺の服の裾を、舞がぎゅっと握りしめて引き留めた。
「なんだ?」
 魔物がいると思われる方を睨んだまま、訊ねる。
「離れるのは、危ない」
 そう言うと、舞はもう一度、剣を杖代わりに立ち上がる。
「それに……」
「それに?」
「約束した」
 階下を見据える舞。
「今日、終わらせるって」
 もう一度、階段を飛び降りようといわんばかりの舞を、俺は強引に背中におぶった。
「祐一?」
「黙ってろ。もう今日は無理だ!」
 そのまま階段を降りていく。
 ともすれば、足がもつれて、一緒に転がり落ちそうになる。それを防ぐためにも、慎重に一歩ずつ足を運んだ。
「祐一、おろしてほしい」
「ダメだ」
 もはや、自分で降りる事も出来ないほど衰弱した舞の願いをはねつけながら、俺は階段を降りていく。
 今は来るなよ、魔物。今来られたら、終わりだ。
 3階、2階、そして……。
 だが、俺達は、1階にたどり着くことはなかった……。。

 2階と1階の間の踊り場にさしかかったところだった。
 不意に下から何かが迫ってくるのを感じた。
 同時に、舞が呟く。
「来た」
「くそっ!」
 もう少しなのに!
 そう叫びながら、舞を背中から下ろそうとした瞬間だった。
 俺の身体は宙に浮いていた。
 そして、そのまま窓に叩きつけられる。
 ほんの一瞬抵抗した窓ガラスが、粉々に砕け散り、俺達は空中になすすべなく放り出された。
 一瞬の浮遊感の後、衝撃を予想していた俺は、思っていたよりも遙かに柔らかな感触に受け止められた。
「……雪、か」
 ちょうど、そこは裏庭だった。
 満月を過ぎたばかりの月は雲に隠れているらしく、所々にある街灯の光でようやく辺りの様子が見て取れる。
 どうやら、積もっていた雪がクッションになって、俺達を受け止めてくれたようだ。
 だが、窓を突き破った時に、砕けたガラスが身体のあちこちを傷つけていた。たちまち、雪が赤く染まっていく。
 それは、まるであの時の……。
「くっ」
 頭を振って、幻想を追い払うと、俺は舞に駆け寄った。……つもりだが、よろよろと歩みよった、という方が正しかった。
「舞、大丈夫か?」
「……」
 舞は雪の中から顔を上げて、頷いた。そして、視線を校舎に向けた。
「……来る」
「マジ?」
 今まで校舎の外まで追いかけてきたことは無かった。それは、単純に舞が校舎の外まで逃げたことが無かったからなのか。
 その時、魔物が迫るのは俺にも判った。
 雪が、魔物が通った所だけ左右に吹き飛んでいったから。
 俺は、舞を背後にかばうように前に出た。
「舞は、俺が守る!」
「祐一……」
 魔物が目の前まで迫ってきた。
 これまで、か……。
 俺は両手を大きく広げた。
 俺自身がどうなろうと、舞のところには行かせないつもりだった。
 だが……。
 シュン
 風を切る微かな音とともに、光が流れ落ちた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……、いつつ。
 次の瞬間、地に落ちた5つの光が互いに線を結び、魔物はその星形の光に囲まれ、ぴたりと動きを止めた。……というか、雪が飛び散らなくなったから、多分動きを止めたんだろう、と推測できた。
 何が……起こったんだ?
 キュッ、キュッ、キュッ
 雪を踏みしめる足音が近づいてくる。
 ちょうどその時、雲が晴れて、月の光がその足音の主を照らし出した。
 目も鮮やかな朱色の袴に雪のように白い上衣。左手には背丈ほどもある銀色の大きな和弓。
 そして……。
「どうやら、間に合ったようですね」
 聞き慣れた声に、俺は思わず声を上げた。
「……あ、天野!?」

Fortsetzung folgt

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あとがき

 プールに行こう3 Episode 52 00/8/23 Up

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