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めぐみちゃんとでぇと
番外編 その弐 ゆかりちゃんの病気

「あら、どうしたの?」
 お昼休み、保健室にやってきたゆかりちゃん。お顔が真っ赤で、少々ふらふらしています。
 保健室を仕切ってる館林先生は、ゆかりちゃんを椅子に座らせて訊ねました。
「はい。少々、頭が痛いもので……」
 素直に椅子に座ったゆかりちゃんは答えました。
「熱があるみたいね」
 その額に手を当てて、先生は真面目な顔で呟きました。そして、おもむろに聴診器を出しました。
「とりあえず診察してみましょう。はい、セーラー服脱いで。……あ、違うわよ。スカートは良いの」
「はぁ、そうなんですか?」
 言われて、スカートのホックから手を離すゆかりちゃんでした。

「吸ってぇ」
 すぅぅぅ
「吐いてぇ」
 はぁぁぁぁ
「はいよし。服着ていいわよ」
 先生はクリップボードに何か書き込みながら頷きました。
 そんな先生に、ゆかりちゃんは訊ねました。
「あのぉ……、そのぉ……、ブラジャーを外す必要は、ありましたのでしょうか?」
「ああ、それ? 単なる趣味よ」
 こともなげに答える先生。
「はぁ。趣味ですか……」
 いつも異常にぽぉーっとしてるゆかりちゃん、それ以上追求せずにブラジャーをとめました。
 そんなゆかりちゃんに先生は言いました。
「流行性感冒、平たく言えば風邪ね」
「まぁ、風邪、ですか?」
 ゆかりちゃんが聞き返しますと、先生はこっくりと頷きます。
「何処から見ても立派な風邪よ」
「はぁ……。そうなんですか。……ふぅ」
 ゆかりちゃん、溜息が出てしまいました。
 それを見て、先生はくすっとお笑いになられます。
「もっとも、ゆかりちゃんはもう一つの病気にもかかっちゃってるみたいだけど」
「……そうなんですか?」
「ええ」
(お医者さまでも草津の湯でも治らない、ね)
 そう心の中で継ぎ足す先生でした。
「おう、今帰ったぞ!」
 ゆかりちゃんのお父さんは、いつもよりも少し早めのご帰宅です。今日は取引先の社長さんとゴルフをしてきたようですね。
「あら、あなた。お帰りなさいませ」
 ゆかりちゃんのお母さん、お勝手からぱたぱたと出てくると、玄関でお父さんの鞄を受け取ります。
 もちろん、ゆかりちゃんのお家はお手伝いさんもいますから、わざわざお母さんが玄関まで出てくることは、本当は必要ないんですけれども、お母さんはお父さんが帰ってきたときは必ず自分で迎えに行きますし、お父さんもお母さんが出てくるまでは玄関に上がろうとしないで待っているのです。
 本当に、仲のいいお二人なのですね。
 それはさておき。
 お父さんは、お母さんにおみやげの折り詰めを渡しながら訊ねました。
「ゆかりはどうした?」
「それが、風邪を引いてしまったらしく、お昼頃学校から帰ってきたのですが、そのままふせってしまったのですよ」
「なんだとぉ!?」
 お父さん、今までの上機嫌はどこへやら、真っ青になると駆け出します。
「あらあら」
「ゆかりぃぃぃ!! 今行くぞぉぉ!!」
 ズダダダダダ
 桧造りの廊下を爆走していくお父さん。その後を追いかけるわけでもなく、ゆっくり歩くお母さんでした。
「本当に、仕方のないお父さんですねぇ」
 とんとん お父さんはゆかりちゃんの部屋のドアをノックしました。
「ゆかり、起きているか? お父さんだぞ」
「……」
「入るぞ、ゆかり」
 そう言ってドアのノブに手をかけたとき、お部屋の中から声が聞こえました。
「……入らないでください」
「なっ!!」
 ガガーン
 お父さん、思わずその場に凍り付きます。
 その間にお母さんが追いついてきました。そして困った顔で言うのです。
「ゆかり、学校から帰ってくるなりずっとこうなのですよ」
「ど、どうしたんだ、ゆかり? 学校で誰かに苛められたのか? それなら儂が……」
「わ、わたくし……」
 か細い声が聞こえます。思わずお父さんとお母さんはドアに耳を押しつけました。
 電気もつけずに、暗いお部屋の中。
 ゆかりちゃんはベッドに身を埋めています。
「わたくし……」
 ぎゅっと毛布の端を握り締め、ゆかりちゃんはすすり泣くのでした。
「ゆ、ゆかりぃぃ!!」
「わたくし、病気にかかってしまっているのです。お父さまもお母さまも近づかないでください」
「な、なんだと!?」
「学校の保健の先生が教えてくださいました。わたくし、風邪の他にもう一つの病気にかかっていると」
「それは本当か!?」
「……お父さま、お母さま。先立つ不幸をお許しください。ゆかりは、いままでお二人に優しくしていただいて、本当に……本当に幸せでした」
 そう言うと、ゆかりちゃんは毛布に顔を埋めました。
「は、早く調べるんだ!」
「あなた、そう急かさないでくださいな」
 そう言いながら、ゆかりちゃんのお母さんはきらめき高校の教職員名簿を調べています。
「あ! ありましたわ」
「電話番号は?」
 電話を片手に訊ねるお父さんに、お母さんは答えます。
「ええと……、ああ、これですね。○△△−□△○×です」
 ピポパ お父さんは番号を入力しました。そして受話器に耳を押しつけます。
 トルルル、トルルル、トルッ
「はい、館林です」
 受話器からは女の子の声が聞こえてきました。お父さんは言います。
「もしもし、儂は古式という者だが、館林晴海先生はいらっしゃるかのう?」
「あ、お姉ちゃんですね。ちょっとお待ちください。おねーちゃん、電話ぁー!」
 少し間をおいて、少し落ちついた感じの女の人の声がします。
「もしもし。館林晴海ですが、古式さんと言われますと、3年F組の古式ゆかりさんのご関係の方でしょうか?」
「そうじゃ、儂がゆかりの父じゃ」
「それはそれはご丁寧に。して、何の御用でしょうか?」
「ぬしゃ、ゆかりの病気を知っとるんかいのう?」
「ゆかりさんは、今日は風邪をひいていて熱もありましたので、担任とも相談の上で早退させたのですが」
 先生は小首を傾げました。
「こちらの記録では、古式ゆかりさんには持病のたぐいはなかったかと……」
「ゆかりに言ったそうじゃの? 風邪の他に病気にかかっとると。何の病気にかかっとるんか、教えんかい」
「……」
 先生はちょっと考えて、ポンと手を打ちました。
「ああ、あれね」
「何じゃ? はよう言うたらんかい! どんな病気だろうと絶対に治しちゃるさかいな!」
 お父さん、ぐっと拳を握り締めています。
「あの、もしもし、お父さま?」
「なんじゃい!?」
 先生は、“まいったなぁー”という顔で言いました。
「ゆかりさんのお母さまは、いらっしゃいますか?」
「お、おるが……」
「それでしたら、お母さまにちょっとお代わりいただけませんか?」
「なんじゃ!? 儂に言えんような病気なのか!?」
「有り体に言えばそうです」
 あっさり答える先生。
「なんじゃと! 儂をなめとるんか!」
 激怒するお父さんをいなすように、先生は微笑みました。
「私は構わないんですよ、教えなくても。ああ、可哀想なゆかりさん」
「な……」
「見えるようだわ。可憐な雛菊のようなゆかりさんが絶望にやせ衰えていくのが。あの可愛らしい頬がこけ、あの白い腕が骨と皮だけになって、そしてとうとう……」
「わ、わかった、やめてくれぇ!」
 お父さんは悲鳴を上げてお母さんに受話器を渡しました。
 お母さんは上品に受話器に話しかけました。
「もしもし、お電話代わりました。ゆかりの母でございます」
「まぁ、そういうことだったんですか? ……はい、それはもう。……本当に困った人で、ご迷惑をおかけしまして……。あ、はい。わかりました。それでは、失礼いたします」
 お母さんは深々と一礼して、受話器を置きました。
 やきもきしながら待っていたお父さん、お母さんに尋ねます。
「で、なんだって?」
「すぐに名医をよこしてくださるそうよ」
 お母さんはにっこりと笑いながら答えました。
 先生は電話を切ると、そばを通りかかった見晴ちゃんに訊ねました。
「あ、見晴。主人くん家は短縮1番でいいんだっけ?」
「うん。……って、どうしてお姉ちゃんがそんな事知ってるのよぉ!」
「星は何でも知っているってね。ポンと」
 慌てふためく見晴ちゃんを無視して、先生はボタンを押しました。
 コール数回で相手が出ます。
「はい、主人です」
「もしもし、館林です。また、ぶつかっちゃったあいてーっ!!」
「お゛ね゛え゛ち゛ゃ゛ん゛」
 先生のお尻を思いっきりつねる見晴ちゃんでした。
 公くんは首を傾げました。それから受話器に向かって声をかけます。
「もしもし、誰? 悪戯?」
「冗談よ。保健室のアイドルこと館林先生でぇす」
 普通自分で言うか? と思ったけど口には出さない公くんでした。懸命な判断ですね。
「どうかしたんですか?」
「ちょっとお願いがあるのよ……」
 先生は、お尻を撫でながら言いました。それからじろっと振り向きます。
 腕組みした見晴ちゃん、先生が振り返ると、ぷんとそっぽを向きます。
「もしもし、先生?」
「あ、ごめん。実はね……」
「ったく、何で俺がそんなわけのわかんないことを……」
 ぶつくさ言いながら、公くんは自転車を出そうとしています。
「あれ? 公くん、こんな時間からどこかに行くの?」
「え?」
 耳慣れた声に顔を上げると、お隣の詩織ちゃんが塀越しにのぞき込んでいます。塀と言っても、公くんの家と詩織ちゃんの家の間にある塀は、1メートルほどしか高さがないんですけどね。
「詩織こそ、どうしたんだ?」
「え? あ、私は、ちょっと勉強の息抜きに、ね」
 お部屋から公くんが出てくるのを見て、慌てて飛び出してきたなんて言えない詩織ちゃんでした。
「俺は館林先生に頼まれて、ね」
「保健室の先生に? 何を?」
 聞いてから、詩織ちゃんは慌てて手を振りました。
「ううん、いいの。他の人に話すことじゃないもんね」
「まぁ、そうだね。それじゃ」
 そう言うと、公くん自転車に乗って走り去っていきます。
「いってらっしゃい」
 それを心配げに見送る詩織ちゃんでした。
「……公くん、何の用なのかな? 館林先生の用事って、まさか明日の即売会に行けなくなったから、代わりに『公くんレイさまシリーズ』の最新刊買っておいてとかいうことなのかな? だってあそこのサークル人気あるから、徹夜で並んでおかないと間に合わないっていうし……」
 詩織ちゃん、考え込んでいますね。でも、それは違うと思うんですけどね。だって……。
「あ、そうだ!」
 お風呂で鼻歌を歌ってた先生、不意にポンと手を打ちました。
「そういえば、ゲスト原稿書いてって頼まれてたんだっけ。あっちゃぁ、早く書かないといけないわねぇ。後で朝日奈さんに電話して締め切り確かめなくちゃ」
 ……何の話でしょうね?
「あのぉ」
 さて、ここはゆかりちゃんの家の前。
 ここまで自転車をかっ飛ばしてきた公くん、インターホンに向かってしゃべっています。
「館林先生に言われて来たんですけど……」
「少々、お待ちくださいね」
 その声に合わせるように、門が開きました。公くん、自転車を押して中に入ります。
「お邪魔しまぁす」
「いらっしゃいませ。主人さん、ですね?」
 入ったところに、上品そうな和服のご婦人が立っていました。
「あ、はい。そうです」
「ゆかりの母です。いつも娘がお世話になっております」
 お母さんはゆっくりと一礼します。
「ど、どうも。こちらこそ」
 慌てて頭を下げる公くんを、お母さんはじっと見ています。
「あ、あの、なにか?」
「いえ、なんでもありませんよ。どうぞこちらへ。あ、自転車はその辺りに置いておいてくださいね」
 お母さんはにっこりと笑うと、公くんの先に立って歩き出しました。公くんは、とりあえず自転車をそこに置いて、その後に続いたのでした。
「ここがゆかりの部屋ですよ」
「あ、どうもすいません」
 公くんはぺこりと頭を下げました。そして、ゆかりちゃんのお部屋のドアをノックします。
「あの、主人です」
「!!」
 今まで身じろぎもしなかったゆかりちゃん、その声に反応して顔を上げました。
「主人さん、ですか?」
「入りますよ」
 そう言って、公くんはドアを開けます。
「だ、だめです! 公さん!」
 ゆかりちゃんは悲鳴を上げますが、公くんは構わずに部屋に入りました。
(だって、先生言ってたもんな。古式さんが何か言うかも知れないけど、とにかくお部屋に入りなさいって……。えっと、それからお母さんにこう言えばいいんだよな)
 公くん、ゆかりちゃんのお母さんに言いました。
「後は任せてください」
「はい、よろしくお願いしますね」
 お母さんはにっこり笑うと、そっとドアを閉めました。
 お母さんが居間に戻ると、一人手酌でお酒を飲んでいたお父さんが顔を上げました。
「おい、今の若造は誰なんだ?」
「あら、お父さん。ご覧になっていたんですか?」
 お母さんはにっこりと笑うと、お父さんにお酌をしました。そして言います。
「あの方が、ゆかりの病気を治す名医ですよ」
「なんだと?」
 思わず目を丸くするお父さんでした。
「どう見ても、あやつゆかりと同じくらいの歳じゃないか? それで医者なのか?」
「はい、それはもう」
 そう答えて、お母さんは徳利を掲げました。
「もう一杯、如何ですか?」
「……うむ」
 お父さんは難しい顔をしながら頷きました。そして、お母さんに尋ねます。
「で、ゆかりの病気とは何なのだ?」
「大丈夫ですよ。誰だってかかる病気なのですから」
 お母さんはそう言って笑いました。

《続く》

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