俺達の正月は、相変わらず無茶苦茶である。
というわけで、今年も俺の部屋では住井達が一升瓶と共に転がっていたりする。
「おいっ、折原っ」
寝ていたと思った住井が、いきなり身体を起こして俺に尋ねた。
「何だよ?」
「お前、里村さんと付き合ってもうずいぶんになるよなっ」
「ああ、そうだな」
「で、上手いこといってるのか?」
「くっくっくっ。俺と茜はもう他人じゃないんだ」
言っておくが、俺も住井も酔っぱらっている。しらふでこんなこと言えるわけがない。
「なんだとぉーーーっ」
いきなり、こたつの反対側で寝ていた沢口が起きあがった。
「俺は南だっ! それよりも、ホントに里村さんと、やったのかっ!?」
ぐいっと迫る沢口。
俺は余裕の笑みを浮かべてVサインをした。
「ちなみに処女だったぞっ」
「くっそぉ! 俺にそこの一升瓶よこせっ!」
「ほれっ!」
住井が渡した一升瓶を、沢口はラッパ飲みした。一気に飲み干して、ぐいっと口を袖で拭う。
「畜生、どうして里村さんがこんなやろうと……」
「もしかして沢口、お前……」
「俺は南だっ!」
と。
ピンポーン
チャイムの音が鳴った。
由起子さんは正月早々だというのに仕事に出かけてしまって、今はいない。
「……俺か?」
自分をさして訊ねると、皆深々と頷いた。
面倒だな。長森を呼びだして応対させるか?
ピンポーン
電話に手を伸ばしかけたところで、もう一度チャイムが鳴った。
仕方ない。
俺はため息を付くと、立ち上がった。
「それじゃ、皆の衆、さらばだっ」
「おうっ、骨は拾ってやるぞっ」
「玉砕しちまえっ!」
皆の熱い声援を受けて、俺は部屋を出た。
寒い廊下に出て、少しは頭がすっきりした。
正月早々に家に来るなんて酔狂な奴は……、そうか、長森か。ちょうどよかった。部屋まで連れてきて酒の酌でもさせるか。
そう思いながらドアを開けると、そこには茜によく似た長森が立っていた。
「よう、長森。よく来たなぁ。まぁ、あがれ」
「……もしかして、酔っぱらっているんですか?」
茜によく似た長森は、茜によく似た声で言った。
「おうっ、酔っぱらってなんていないとも言えなくもないかもしれないぞ」
「……」
「いいから、あがれって」
俺は長森の肩に手を回して引っ張り上げた。長森はため息をついて、俺の後について来た。
「一同の者、待たせたなっ!」
俺はドアを開けて叫んだ。そして長森を前に出す。
「連れてきたぞっ」
「あれ? 里村さんっ!?」
慌てて立ち上がる沢口。
「俺は南だっつーの!」
……。
「ちょっと待て、沢口」
俺はなおも何か言いたそうにしている沢口を止めると、長森をくるっとこっちに向かせた。それから、もう一度後ろを向かせる。
「……くるくる回すのは、やめてください」
長森が文句を言うが、とりあえず無視して住井に聞く。
「なぁ、住井。こいつは誰だ?」
「……」
一瞬、沈黙が部屋を満たした後、住井は頭を掻いた。
「七瀬さんか?」
「俺は長森だと思ったんだが。沢口は里村に見えるのか?」
「どう見ても里村さんだっ! それに俺は……」
「まぁ、待て」
俺はしばらく腕組みして考えた後、訊ねた。
「で、お前は本当は誰だ?」
「……」
長森は深々とため息を付いた。そしてきびすを返す。
「帰ります」
「……冗談の通じない奴だなぁ」
俺は肩をすくめた。
「折原の冗談をまともに受けられるのは長森さんくらいだろうなぁ」
後ろで住井が何か言っているが無視して、俺は訊ねた。
「で、どうしたんだ、茜?」
「ああっ、呼び捨てにしてるのか貴様っ!」
「うるさいぞ沢口!」
「……詩子に呼び出されました」
「柚木に?」
思わず俺が聞き返すと同時に、いきなりチャイムの音が鳴り響いた。
ピンポンピンポンピンポンピピピピピピンポン
「だぁーっ!」
俺は思わず叫びながら、階段を駆け下り、玄関を開ける。
「あ、いたいた。茜来てるぅ~?」
にこにこしながら、柚木が顔を出す。そして、茜の靴を見つけて俺に言った。
「もう来てたんだ。それじゃ上がらせてもらうね~」
「待てっ、その前に説明を……」
「あ~、みんなもいたんだぁ。お久しぶり~」
俺が言いかけている間にも、さっさと上がり込んだ柚木が、部屋から顔を出している住井達を見つけて手を振っている。
「お、柚木さんか。汚いところだけど、上がって……って、もう上がってるか。とりあえず、こっちこっち」
住井が手招きをしている。
「茜もいるの?」
身軽に階段を駆け上がりながら訊ねる柚木。答えるように、茜も顔を出す。
「……はい」
「おっけー!」
「オッケーじゃないだろっ!」
階段の下で一人叫ぶ俺の声が、むなしく響くのだった……。
男どもだけならまだしも、茜と柚木を収容するには俺の部屋は狭すぎるので、仕方なく場所をリビングに移すことにした。
「へぇ~、それじゃ年末からずっと泊まり込みなんだ。いいなぁ~」
「来れば良かったのに。柚木さんならいつでも歓迎だぜ」
「そっか~。それじゃ今日からおじゃましようかな」
にこにこしながら言う柚木。俺は慌ててそれを止めた。
「ダメだ、帰れ!」
「帰れってよ、茜~」
「茜には言ってないわい!」
「なんでよ~、けち~」
「そう言う問題か! って、沢口、茜に何飲ませてるっ!?」
ふと気づくと、沢口が茜に純米酒を勧めている。
「……」
「さ、ぐっと行こう、ぐっと」
升になみなみと注がれた酒をじっと見ていた茜は、俺をちらっと見る。
いいんですか?
……とりあえず、付き合いだ。すまん。
……はい。
頷くと、茜はくいっと升を傾けた。
こく、こく、こく……。
白い喉が動き、酒を飲み干していく。
「おおっ、いい飲みっぷりだねぇ、里村さん」
「あっ! 茜だけずるい~。あたしも飲む~!」
「よし、それじゃみんなで飲もうっ!」
俺が止める間もなく、酒盛りが始まってしまった。
数時間後。
「キャハハッ、みんなお酒弱いのねぇ~」
すっかりハイになって笑っている柚木の周りには、男達が倒れている。
まぁ、茜達が来るずっと前から飲み続けてたからなぁ。無理もなかろう。
俺は茜の方を見た。
しかし、茜は相変わらず酒に強い。沢口がやたら勧めていた分、柚木よりも飲んでいるはずだが、ちょっと赤くなっている程度である。
「それで、茜」
「はい」
「俺の家まで、何しに来たんだっけ?」
「それはれ~」
柚木が赤い顔を俺の前に突き出した。
「茜がね、折原君も誘って初詣に行こうって行ったのだよん」
「初詣?」
「……はい」
茜はこくりと頷いた。
初詣、かぁ。もう何年も行ってないな。最後に行ったのは、長森に引っ張られていった中学1年のときだったか?
「よし。行こうか?」
「はい」
こくりとうなずくと、茜はすっくと立ち上がった。続いて柚木も立ち上がり……かけて、こける。
「ひゃらら、世界が回ってるぅぅ」
「……詩子……」
「お前は飲み過ぎだ。そこで寝てろ」
「そーするぅ~」
そのままソファに寝そべると、柚木はすーすーと寝息を立て始めた。
「お、おいっ、寝るなぁっ、眠ったら死ぬぞぉっ!!」
「無理です。詩子は一度寝ると起きませんから」
茜はあっさりと言うと、俺に尋ねた。
「浩平、行かないんですか?」
「うーん」
俺は少し考えた。
ま、いいか。
「よし、行こう」
「……はい」
茜は頷いた。
近所の神社にやってくると、流石にすごい混雑だった。
思わず鳥居のところで立ち止まると、それを眺めてしまう。
「すごい人出じゃないか」
「……お正月ですから」
「まぁ、そうだな。で、茜。あそこに行くのか?」
俺が改めて訊ねると、茜は困ったような顔をした。
茜も人混みは嫌いなのである。茜が人混みをものともしないときは、甘いものが絡むときだけだ。
「……どうしましょう?」
「せっかくここまで来たんだし、行くか」
「……はい」
こくりとうなずくと、茜は俺のセーターの袖を掴んだ。
「うん?」
「こうして、掴まっていていいですか?」
「それより、手を繋いだほうがいいと思うんだが……」
「恥ずかしいから、嫌です」
……この格好の方が恥ずかしいような気もするんだが、茜がそう言うなら仕方ない。
「それじゃ、しっかり掴まってろよ」
そう言うと、俺達は人混みの中に突入した。
人混みに揉まれながらも、なんとか最前列までたどり着いた俺達は、賽銭を放り込んでとりあえず手を合わせただけで、逃げるようにその場を離れた。
ようやく、境内の、多少は身動きできるまで人の減った(それでもまだまだ大量にいるが)ところまで出てきて、お互いに顔を見合わせて一息つく。
「死ぬかと思った」
「……はい」
何となく可笑しくなって、笑うと、茜も微笑みをみせた。それから、不意に鼻をぴくっと動かす。
「いい匂いがします」
「ん? そうだな、今日は境内に屋台も出てるから……」
言いかけた時には、既に茜は歩き出していた。俺は慌ててその後を追いかける。
「おーい、茜さ~ん」
「こっちです」
そのまますたすたと歩いていく茜。
茜が立ち止まったのは、やっぱりと言うかなんと言うか、たい焼きの屋台だった。
「おっ、たい焼きか」
「美味しそうです」
おっちゃんが鉄板を開けると、湯気と共にたい焼きが姿を現す。
「お嬢さん、買ってかない?」
「はい、買います」
おっちゃんの言葉に二つ返事で答える茜。
「まいどありぃ。いくつだね?」
「18です」
「違うっ、いくつ買うかって聞いてるんだよっ! おっちゃん、2つで十分ですよぉ」
俺が慌てて口を挟む。
「……」
茜は無言で俺に視線を向ける。……うっ。
「……おっちゃん、3つにしてくれ」
俺は茜の「悲しそうな視線」に負けて、たい焼きを一つ追加した。
暖かいたい焼きの入った紙袋を抱えて、それなりに幸せそうに歩く茜。
神社の大鳥居をくぐって出たところで、俺は訊ねた。
「で、真っ直ぐうちに戻るか?」
「……嫌です」
あの惨状を思い出したのか、途端に嫌そうに顔をしかめる茜。
俺も、まぁあそこに戻って住井や沢口との酒盛りに戻るよりは、こうして茜と一緒にいた方が数万倍いいに決まっている。
「それじゃさ、あの公園に行くか」
「……寒いです」
そう言うと、茜は俺の顔を見上げた。
「でも、構いません」
「そっか」
俺達は、公園に向かった。
公園のベンチに並んで座ると、茜は紙袋からたい焼きを出すと、俺に渡した。
「どうぞ」
「サンキュ」
まだ熱いたい焼きを、頭からかぶりつく。甘い。
「……美味しいです」
「そうだな……」
しばらく、黙ってたい焼きを食べる。
俺がさっさと食べ終わると、茜はまだ半分くらいしか食べていなかった。
俺は、何となく空を見上げた。
「いい天気だな……」
青空が広がっていた。
……しみじみと、平和だな。
すぐそばに茜がいて、なんていうか、生きててよかったと実感する時だ。
「なぁ、茜さんや」
「……はい」
返事に続いて、がさがさと紙袋を開く音。どうやら1尾目は食べ終わったらしい。
「幸せって感じ、しないか?」
「……はい」
一拍置いて、茜の返事。
「幸せです」
静かな声。
「あなたが、いてくれるから……」
「……へへっ」
なんとなく照れくさくなって、俺は鼻をこすった。
「茜には、感謝しないとな」
「……はい」
茜がいなかったら……。俺はあの“えいえんのせかい”から戻ってくることは出来なかっただろう。
それは確かだ。
「なぁ、茜さん」
「……はい」
「キスしない?」
「……嫌です」
あっさりと言われてしまった。俺は苦笑する。
「そっか」
「はい」
そして、しばらく沈黙。でも、気まずい沈黙じゃなくて、むしろ心地よい沈黙だった。
「……お待たせしました」
紙袋を丁寧に畳みながら、茜が言った。
「おう。美味かったか?」
立ち上がりながら、俺は訊ねた。
「はい。とても美味しかったです」
茜はかすかに微笑んだ。
茜も立ち上がると、ふと気付いたように、俺に言った。
「浩平、口にあんこが付いています」
「ん? そっか?」
「取ってあげますよ」
茜は俺の顔に自分の顔を近づけた。それから、言う。
「こういうとき、男の人は……」
「俯いてくれるものです、か?」
俺はそう言いながら、俯いた。
茜の舌が、俺の唇をぺろっと舐める。そして……。
今年のファーストキスは、あんこの味がした。
"God's in his heaven,all's right with the world."