商店街の装いも、既にクリスマス一色だった。
"God's in his heaven,all's right with the world."
「というわけで、だ」
「はい?」
俺が声をかけると、茜は小首を傾げて俺の顔を見た。
「何が、というわけなんですか?」
「いや、深い意味はないが……」
「……」
小さくため息を付くと、茜は先を促した。
「それで、今度は何ですか?」
「いや、そろそろクリスマスだな」
「クリスマスは明日ですけれど」
「……」
「……」
「……マジ?」
「はい。今日は24日ですから」
「……」
「……」
なんですとっ!?
俺は慌てて腕時計をのぞき込んだ。ちなみにこの腕時計、茜がプレゼントしてくれたのだ。……しかし、目覚まし時計に腕時計と、毎年時計をくれるのはどういう解釈をすればいいんだろう? ま、いいけど。
時計はこの際どうでもよかった。
文字盤の日付は、間違いなく24を表示している。
「……ってことは、今日はクリスマスイビ?」
「イヴです」
そう言うと、今度は大きくため息をつく茜。
白い息が、空に消えていく。
「そのための買い物じゃないんですか?」
「えっと、それはだな……」
「それに、今夜はパーティーですよ」
「そうそう。今年も澪ちゃんと遊びに行くからねっ」
俺もため息をついて振り返った。
「いつもどこからわいて出るんだ、柚木詩子っ!」
「ひど〜い。あたしは折原くんと茜のことを心配してあげてるのに、それを何かの虫みたいにわいて出るなんて〜」
よよよ、と泣き真似をする柚木。
俺は茜の肩を軽く叩いた。
「行こうぜ、茜」
「でも、詩子が……」
「そうよ。あたしを置いて行こうなんてひどいわっ!」
「帰れっ!」
「茜、折原くんがあんなこと言ってるよ」
「お前に言ってるんだっ!」
怒鳴ってからはたと気付くと、周囲の買い物客達が俺の方を見ている。
「あ、えーっと、さ、行こうか茜っ!」
うぉ、茜まで他人のふりをしているっ!
「あかね〜」
「……嫌です」
「うぐぅ……」
「浩平がやっても可愛くありません」
そう言ってから、茜は俺の方に視線を向けた。
「それじゃ、さっさと買い物を済ませましょう」
とりあえずスーパーに入る俺達&お邪魔虫。
「……お邪魔虫って、もしかしてあたしのこと?」
「誰のことだと思っているのだね、柚木詩子さん?」
「ひっどーい。茜〜、折原くんがいじめるよ〜」
「……浩平」
じろっと俺を睨む茜。
「ま、待てっ! 俺はだなぁ……」
「……冗談ですよ」
ふっと微笑む茜。いいなぁ、この笑顔。
「ちょっと、浩平?」
「うるさいぞ柚木詩子。俺はこの一瞬の幸せをだな……」
言いかけて、今の声が柚木のものじゃなかったことに気付く。
振り返ると、買い物袋を下げた長森がきょとんとして俺を見ていた。
「しいこさんもいるの?」
「あっ、確か長岡さん……だっけ?」
ひょこっと顔を出す柚木。
「あ、いえ、長森です。長森瑞佳」
「あ、ごめんごめん。それじゃ改めまして。柚木詩子さんです。うちの茜が折原くんにはお世話になってます」
「いえ、こちらこそ、浩平がいつも里村さんにご迷惑をおかけしまして……」
ぺこっと頭を下げる長森。しかし、ほんとにいつまでたっても保護者気取りだな、こいつは。
「で、お前はなにしてんだ?」
「何って、浩平が言ったんだよっ。今日はパーティーするから準備頼むって」
「……俺が?」
思わず自分を指して訪ねる俺に、長森はしっかりと頷いた。
唖然とした俺の肩を、柚木がぽんぽんと叩く。
「な〜んだ。ちゃんと準備してるんじゃない。この、憎いねぇ〜」
「いや……。ちょっと長森っ!」
慌てて俺は長森を冷凍食品の棚の影まで引っ張っていくと、訊ねた。
「それって俺がホントに頼んだのか?」
「うん。今朝起こしに行ったときに確かに浩平が言ったんだよ。わたしちゃんと聞いたんだもん」
俺は額に指を当てて、考え込んだ。
確か、あの時は……。
「ほらっ、浩平! 早く起きないとまた遅刻しちゃうよっ!」
「うーっ、それはお前が夢を見てるんだ。起きろ長森〜」
「はぁ〜っ。里村さんに愛想尽かされないか、本当に心配だよ」
長々とため息をつく長森。
俺は毛布から顔だけ出した。
「大丈夫だ。茜も低血圧だから」
「そんなこと言ってるんじゃないもん」
なぜか膨れる長森。
「じゃあ、何だよ?」
「それじゃ浩平、今日が何の日かちゃんと覚えてる?」
「……知らん」
「やっぱり〜。今日はクリスマスイブだよっ!」
「俺は日本人だから、外国のことはよく知らんのだ」
「もうっ! そんなこと言ってちゃだめだよっ!! クリスマスイブには、恋人同士は、その、ロマンチックな夜を過ごすものなんだよっ!」
なぜか顔を赤らめながらも熱弁を振るうと、長森は毛布をがばっとめくった。
「わぁっ、寒いぞっ!」
「だからっ! いつまでも寝てちゃダメだよっ!!」
「クリスマスイブだろうが大晦日だろうが、俺の睡眠を妨げる理由にならん! 毛布返せっ!」
「返さないもん。さぁ、早く着替えてっ!」
ぼすっと、服を押しつけられる。
とりあえずパジャマを脱ぎながら、俺は毛布を干している長森に言った。
「それじゃ、パーティーの用意はお前に任せる」
「うん。……って、何そのパーティーって!?」
「クリスマスのパーティーだ」
「……そう言われてみれば、お前にそう言ったような気がしてきた」
「……はぅん」
妙なため息を付く長森。と、その後ろから柚木が顔を出した。
「相談はまとまった?」
「ひゃん!」
「別に相談はしとらん」
俺が答える横で、長森は胸に手を当てていた。
「あー、びっくりした」
「あ、脅かしちゃった? ごめんね〜」
「ところで茜は?」
さっきから会話に加わってこないな、と思って柚木に尋ねると、柚木は辺りを見回して、肩をすくめた。
「いないわね」
「あのなぁっ!」
「何よ。折原くんが目を離すからいけないんでしょ?」
「ごめんね。浩平、落ち着きないから」
何故にそこで謝る、長森?
俺はため息をついた。
「ま、居場所は想像つくけどな」
「やっぱりここだったか」
俺の声に、ワゴンに並んだクリスマスケーキを眺めていた茜は振り返った。
「浩平……。あ」
俺の後ろにいる長森に気付いて、軽く会釈する茜。
長森もぺこりと頭を下げる。
「こんにちわ、里村さん」
「はい、こんにちわ」
もう一度頭を下げる茜。それから俺に視線を移す。
俺は長森の頭をぽんと叩いた。
「ああ、さっきばったり会ってな」
「そうですか。ところで浩平」
「ん?」
それ以上は何も言わず、茜はケーキの群に視線を向けた。
「……もしかして、買いたいのか?」
「今年もケーキ作ろうよっ! 今年はもっとおっきなやつ!」
柚木が嬉しそうにぽんと手を打って言う。
茜は穏やかに微笑んだ。
「それでも、いいです」
「よしっ、決まりっ!」
柚木はぱちんと指を鳴らすと、俺の肩を叩いた。
「それじゃお願いね」
「俺かっ!?」
「あたしは応援するから」
「ケーキ作るんなら、薄力粉とベーキングパウダーが無いよ。あとバニラエッセンスも切れてたし」
俺以上にうちの台所には詳しい長森が言う。
茜が頷く。
「それじゃ、材料を買いそろえましょう。長森さん、手伝っていただけますか?」
「うん、いいよ」
「では、私たちは買い物をして直接浩平の家に行きますから、2人は先に行っていてください」
「え? でも……」
「うん、オッケイ!」
柚木は頷くと、俺の腕を掴んだ。
「ほら行くわよっ!」
「わ、コラ待てっ!!」
スーパーの外まで引きずり出されたところで、俺はやっと柚木の腕を振り解いた。
「なにすんだ、柚木!!」
「何って、今から買い物よ」
「へ?」
きょとんとする俺に、柚木はにまっと笑った。
「折原くんのことだから、茜へのクリスマスプレゼントなんて、まだ買ってないでしょ?」
……う。
そう言われてみるとそうだった。っていうか、さっきまで今日がイブだって忘れてたくらいだし。
「それじゃ行きましょっか。あ、お礼はまた今度なにかおごってもらうから」
おまけの柚木を連れて家に戻ってくると、もう長森と茜は先に家に着いてたらしく、玄関には靴が揃えて置いてあった。
……って、妙に靴が多くないか?
と、リビングからひょこっと顔が出た。
「あっ、澪ちゃん! 久しぶり〜」
俺の後ろで柚木が手を振ると、澪は廊下に出てくると、そのままとたたっと駆け寄ってきた。
「よぉ、みおぶっ」
挨拶しようとした俺にそのまましがみつくと、澪は満面の笑みを浮かべて俺を見上げた。
「……ったく」
俺は苦笑して、澪をしがみつかせたまま靴を脱いで廊下に上がる。
「で、来てるのは澪だけか?」
訊ねると、フルフルと首を振る澪。
どうやら他にも誰か来てるらしいな。やれやれ。
と、澪がくいくいと服の裾を引っ張った。
「ん? 来いって?」
うんうん、と笑顔で頷く澪。
「ほら、澪ちゃんも行こうって言ってるわよ」
「へいへい」
後ろから柚木に言われ、俺達はリビングに移動した。
と、ツリーにモールを飾っていた長森が振り返る。
「あ、浩平。お帰り〜。遅かったね」
「なんだ、長森か。茜は?」
「台所だよ。もうケーキ作り始めてるから」
長森の声を背に、俺はキッチンに入った。
シャカシャカシャカ
ボールの中身を手際よく泡立てている茜。
「……なんですか?」
こっちを見ようともしないで、声をかける。
「いや、別に……」
「そうですか」
「邪魔かな?」
「……いえ」
首をふると、茜はボールを置いた。
と、柚木が顔を出す。
「折原くん、ビールは?」
「冷蔵庫の中……っておい?」
「いいじゃない。駆けつけ三杯ってやつよ」
にっと笑うと、柚木は冷蔵庫から出したビールを抱えてリビングに戻っていった。
こうして、ほとんどなし崩しに宴会が始まってしまった。
はぁ〜っ
吐く息が白い。
「……茜、寒くないか?」
「……いいえ」
隣を歩く茜は、笑顔を見せた。
「しかし、相変わらず酒に強いな、茜は」
「そうですか?」
「ああ。柚木や澪はへべれけだったぞ」
「そうですね」
しばらく、沈黙が続く。でも、その沈黙も心地よかった。
不意に茜が呟く。
「でも、長森さんに悪かったです」
「ん? ああ、後かたづけか。ま、あいつが自分で言い出したことだし」
そう、長森が「わたしが後かたづけしとくから、浩平は里村さんを送って行ってあげるんだよ」って俺と茜を送り出したのだ。
俺は、首の後ろで手を組んで、夜空を見上げた。
「……今日は、いい天気だな」
夜空には、いくつもの星がきらめいていた。
「……はい」
茜も同じように夜空を見上げた。
「あ、そうそう」
ポケットに手を突っ込んで、俺は小さな紙包みを出した。
「茜、クリスマスおめでとう」
「……私に、ですか?」
茜は、紙包みを受け取って、俺の顔を見上げる。
「開けても、いいですか?」
「ああ」
うなずくと、茜は紙包みの封を切った。
「……ありがとう」
「いや……。なぁ、茜」
「……はい?」
「手、繋いでもいいか?」
「……私は、嫌だったら、嫌って言います」
きゅっ
小さな手が、俺の手に重なる。
「……冷たいぞ、茜」
「だったら、あっためてください」
「……ああ」
並んで、歩いていく。
大切な人と、2人で。
「……メリー・クリスマス」
あとがき
聖夜のお嬢さん 99/12/15 Up