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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 8

 23日は天皇誕生日でお休み。
 クリスマスイブの前の日で、商店街はすごい人波だった。
 私はそれを、ベンチに腰掛けて眺めていた。
 と。
「あれ? 深山先輩?」
 声を掛けられて顔を上げると、長森さんが驚いた顔をしてこっちを見ていた。
「あら、こんにちわ」
「あ、えっと、はい、こんにちわ」
 長森さんは私の挨拶に答えて頭を下げると、それから不思議そうに私を見た。
「あの、待ち合わせですか?」
 そう見えなくもない……。というよりも、皆が気ぜわしく歩いている商店街で、独りベンチに座ってぼーっとしている私が何をしてるかと言われれば、そう答えるしかないわよね。
「別にそうじゃないけど」
「はぁ……」
「ちょっとね、トレーニング」
「トレーニング、ですか?」
「ええ。私、演劇やってるから、こういうところで人の動きを見てるのも、いいイメージトレーニングになるのよ」
「あ、そうなんですか。ごめんなさい、お邪魔したみたいで」
「いいのよ。そろそろ切り上げようかと思ってたところだし」
 私はベンチから立ち上がると、伸びをしてこわばった身体をほぐした。それから訊ねる。
「今日は一緒じゃないのね?」
「えっ? あ、浩平は別にわたしとそういうんじゃないですよ」
 てきめんに赤くなって慌ててる長森さん。
 私はくすっと笑った。
「別に誰、なんて言ってないんだけど」
「あ……。はう〜」
 長森さんは大きく息をついて俯いちゃった。からかいすぎたかな。
「わたし、そんなんじゃないのに〜」
「ごめんね、長森さん」
「あ、いいえ」
 首を振ると、長森さんは私に尋ねた。
「そういえば、浩平、演劇部に入ったって本当ですか?」
「ええ。昨日、正式に入部届けを出しに来たわよ」
 そう答えると、長森さんはぺこりと頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしますけど、どうかよろしくお願いします」
 私は思わずくすくすと笑い出してしまった。
「あ、あの……?」
「ご、ごめんなさい。ふふふっ、本当に折原くんの保護者みたいで」
「そんなところです。浩平、わたしが起こさないとちゃんと起きないし」
「え? 毎朝起こしてるの?」
 思わず聞き返すと、長森さんはあたふたと手を振った。
「そんな、毎日じゃないんですけど、でもわたしが起こしに行かないと平気で遅刻するから……」
 長森さんって、面倒見のいい娘なのね。
 私は感心してしまった。私でも、毎朝みさきを起こしに行ったりはしないのに。
 と、長森さんは腕時計をちらっと見て、私に言った。
「あ、すみません。わたしそろそろ行かないと」
「あら、ごめんなさい。私の方こそ、引き留めたりして」
「いいえ。それじゃ、浩平のこと、よろしくお願いします」
 もう一度言うと、長森さんは頭を下げて、そのまま歩いていった。
 彼女の姿が雑踏に紛れて見えなくなってから、私も時計を見た。
 時間はちょうど、昼を過ぎたくらい。
 ちょっとお腹が空いてきたかな。
 私は、少し考えて、ファーストフードの店に入ることにした。

 とりあえずハンバーガーのセットを手にして、店内を見回す。ちょうど混む時間帯で、席はほとんど空いていない。
 それでも、壁際の席が空いていたので、そこに座ることにする。
 ハンバーガーをもそもそと食べて、ホットコーヒーを喉に流し込み、ポテトを少し摘んで、店を出る。
 と、その鼻先に冷たいものが当たった。
「……?」
 空を見上げると、どんよりと曇った鉛色の空から、白いものがちらちらと落ちてくる。
「雪……?」
 でも、それは一瞬で、次の瞬間にはちらちらと落ちてくる白いものは、細い銀色の糸に変わっていた。
 雨だった。
 突然の雨に、商店街を歩いていた人達は、我先に店の軒先に逃げ込んできた。用意のいい数人は、誇らしげに傘を開いて、人の少なくなった道を我が物顔に歩いていく。
 私は、用意のいい方ではなかったので、ファーストフードの店の軒先で途方に暮れる。
 と。
「あれ? 深山先輩?」
 その声に顔を上げると、見慣れた顔が2つ。
「上月さん、……折原くん」
 そこにいたのは、傘を差した折原くんと、その傘にちょこんと入ってにこにこしている上月さんだった。
「雨宿りですか?」
「ええ。急に降り出したから」
 うんうん、と頷く上月さん。
 私は傘を見た。
「これ、折原くんの傘?」
 どう見ても男性用には見えない、パステルピンクの傘。
「そう見えます?」
「……いい趣味してるのね、折原くん」
「違いますっ!」
 私は苦笑した。
「冗談よ。上月さんの?」
 うんうん、と笑顔で頷く上月さん。スケッチブックを広げて、サインペンを走らせる。
『天気予報見てきたの』
「それで、折原くんと相合い傘かぁ。いいわね〜」
 私が言うと、かぁっと真っ赤になって俯いてしまう上月さん。
 私は、折原くんに視線を向けた。
「今日はどうしたの? デートかな?」
「そんなんじゃないけどさ」
 折原くんが言うと、上月さんはうにゅーと残念そうに俯いた。
『たまたまなの』
「たまたま?」
「ちょうど飯食いに商店街に来たところで、澪に逢ったんだ。な、澪?」
『そうなの』
「それで、ご飯は食べたの?」
「いや、どこに行こうかって思ってたところに、この雨で……」
 と、上月さんが折原くんの服の裾を引っ張った。
「なんだ、澪?」
 上月さんを見る折原くん。上月さんはサインペンでスケッチブックに書き込むと、広げて見せた。
『おすし』
「おすしって、あのなぁ……」
 私はくすっと笑って、上月さんの頭を撫でてあげた。
「回転寿司にでも連れて行ってあげたら?」
「まぁ、それならいいんですけど……。深山さんも行きます?」
「ああ、私なら今食べたところだから」
 背後のファーストフード店を指す。
「そっか、残念だな」
 うにゅー、と俯く上月さん、口に出して言った折原くんよりもよっぽど残念そうだった。
 私は笑った。
「いいから、行って来なさいよ」
「そうだな。行くか、澪?」
 うんっ、と頷くと、上月さんはスケッチブックをめくって私に見せた。
『ばいばいなの』
「うん。また明日ね。あ……」
 私は折原くんに訊ねた。
「昨日のことって、上月さんは知ってるの?」
「昨日のって……? ああ、まだ言ってませんよ」
「あら、そうなの?」
「俺はこう見えても無意味なことに一生懸命になるタイプなんです」
「どう見てもそういうタイプにしか見えないわよ。ま、そういうことなら……」
 不思議そうに私たちの会話を聞いていた上月さんの頭をもう一度撫でる。
「明日、ちょっとしたニュースがあるかも知れないから、ちゃんと部活には出てきてね」
 うん、と頷いたものの、上月さんは要領を得ない顔をしていた。ま、今までそんなこと言わなくても、上月さんがさぼったことなんて無いんだけど。
「さて、それじゃ澪、寿司食いに行くぞ」
 折原くんの言葉に、上月さんはぱっと明るく笑って、折原くんにしがみついた。
「おわっ、こらあんまりしがみつくな。ちゃんと歩けないぞ」
 パステルピンクの傘が揺れながら遠ざかっていく。
 私は、空を見上げた。
 銀色の糸は絶え間なく、空と地面を繋いでいた。
 ……仕方ない。コーヒーをもう1杯飲むことにしよう。

 夕方になって、ようやく雨が止んだ。
 結局ファーストフード店で3時間も潰してしまったけど、元々何をするあてもなかったので、別に構わなかった。
 店を出て、濡れた道を歩く。
 途中でパタポ屋に寄ってクッキーを買うと、私はぶらぶらと歩きながら、学校に向かった。
 正確には、学校のすぐ前にある家に。

 ピンポーン
 チャイムを鳴らすと、しばらく間をおいておばさんが顔を出す。
「はぁい。……あら、雪ちゃん」
「こんにちわ、おばさん。みさきはいます?」
 そう言ってから、軽く自己嫌悪。みさきが学校とこの家以外に行ける場所なんて無いことを知ってるのに。
 でもおばさんは気にした風もなく、笑顔で頷いた。
「ええ。ちょっと待ってね。みさきーっ、雪ちゃんが来てくれたわよ〜」
 振り返って声をかける。と、奧のみさきの部屋のドアが開いて、みさきが顔を出した。
「ほぇ? 雪ちゃん?」
 例によって思いっっきりぼへぇ〜っとした顔だった。
「まぁ、上がってちょうだい」
「はい、お邪魔します」
 おばさんに言われて、私は三和土で靴を脱いだ。

「みさき、もしかして、また寝てたの?」
 みさきの部屋に入って、ドアを閉めると、私は訊ねた。
「うん。他にすることもないからね」
 みさきはベッドに腰掛けてにこっと笑った。
「こないだ読んでた本は?」
「もう読み終わったよ」
「……で、ちゃんと返したの?」
「あ、まだだったよ」
 ぺろっと舌を出すみさき。私は苦笑した。
「ま、いつものことか」
「雪ちゃん、さりげなくひどいこと言ってるよ〜」
「そう思うんだったら、早く返しなさいよ。図書委員がいつも嘆いてるわよ」
 ……本当は、そんなことないんだけど。第一、点字の本なんて、みさき以外が借りることもないだろうから。
「うん、今度返すよ」
 私は、窓の外を眺めた。そこからは学校が見える。
「……みさき」
「うん、どうしたの、雪ちゃん?」
「今日、商店街で折原くんに逢ったわ」
「浩平くんに? そうなんだ……」
 なんとなく、うらやましそうな声だった。
 私が、そう感じただけなのかも知れないけれど。
「折原くん、上月さんと一緒だったわ」
「……え?」
 一瞬、ほんの一瞬だけ、みさきの微笑みが消えた。でも、すぐに元のように微笑みが戻る。
「そうなんだ」
「みさき、折原くんの……」
「澪ちゃんって、とってもいい娘なんだよ」
 私の言葉を遮るように、みさきが言った。俯いて、顔を絨毯に向けて繰り返す。
「いい娘なんだよ」
 それから、「見えないんだけどね」と付け加える。
 それっきり、部屋の中が沈黙に満たされた。
 エアコンの微かな騒音だけが、私の耳に入る音。
「……雪ちゃん」
 不意に、みさきは呟いた。
「これで、いいんだよね」
「いいって、何が?」
 また、黙り込むみさき。
 でも、私にはみさきの言いたいことが判ってた。
「みさき……」
 私は、立ち上がってみさきを抱きしめた。
「えっ? ゆ、雪ちゃん?」
 突然のことにもがくみさき。
「な、なにっ?」
「大丈夫……。私は、ずっとそばにいるから……」
「……雪ちゃん……」
 みさきはもがくのを止めて、そして手で私を押し返した。
「……みさき?」
「ダメだよ」
 みさきは微笑んだ。
「そんなこと、言ってほしくないよ」
 ……っ!
 私は、一歩後ずさった。
「そ……そう。やっぱり……迷惑?」
「えっ?」
 思ってた通りだった……。
 みさきは、やっぱり、もう私を必要とはしていないんだ。
「……ごめん、みさき」
 私は、もう一歩下がった。
「雪ちゃん?」
 私の方に手を伸ばすみさき。
 もう一歩下がる。足音は絨毯にかき消されて聞こえないから、みさきは私の場所がわからず、その手は私の前で空を切る。
「雪ちゃん!?」
「もう、私は必要じゃないのね……」
「な、何を言ってるのかわからないよ、雪ちゃん……」
「ごめんっ」
 私は背を向けて、部屋を飛び出した。
「きゃっ!」
 お茶を持ってきたおばさんと、廊下でぶつかりそうになる。
「す、すみません。……帰ります」
 それだけを言って、私は玄関に走った。
「雪ちゃん!?」
 部屋を飛び出してきたみさきと、私の方を見ていたおばさんがぶつかった。その弾みに、おばさんの持っていた盆からティーカップが落ちる。
 ガシャァン
「雪ちゃんっっ!!」
 白い陶器が砕ける音。そして私を呼ぶ声。それが、みさきの家を飛び出した私が、最後に聞いた音だった。

To be continued...

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あとがき
 「ばらえてぃたくちくす!」発売記念(笑)

 ここのところ、久しぶりな作品が続いてますが、別に何かの布石なんてことはないです。
 ……ないはずだと思います(笑)

 「ばらえてぃたくちくす!」と「猪名川でいこう!!」はどっちもどっちですな。いろんな意味で(笑)。
 個人的にはLeafFight2000が無かったので、「ばらえてぃたくちくす!」の方が優先気味。行け、七瀬! 乙女の三連攻撃だっ!(爆笑)

 雪のように白く その8 2000/1/28 Up

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