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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 20

「……あら?」
 玄関先に落ちていた葉書に気付いたのは、ドアに差し込まれていた朝刊を取ったときだった。
 夕べ帰ってきたときに気付かなかったのは、三和土にこぼれ落ちていたからだろう。
 私はその葉書を拾い上げ、裏返してみた。そして、そこに記されていた懐かしい文字に、呟く。
「……そっか。もう、1年たっちゃったんだ……」
「え? どうしたの、雪ちゃん?」
 背後からの声に、振り返る。
「うん、演劇部から葉書が来たのよ。卒業公演の招待状」
「あ、そうなんだ」
 みさきは、そう言いながら、私の方に手を伸ばした。その手を取って引き寄せる。
「ほら、こっちよ」
「ありがと。……今日のお昼は何かな?」
「もう、さっき朝ご飯食べたばっかりでしょう?」
「それはそうだけど、でもお腹空いたんだよ〜」
「……あのねぇ。まぁ、いいけど」
 ねだるように笑顔を向けられると、私が逆らえないことを知ってるみさきは、こうして日々その武器を最大限に利用している、というわけ。
 私はもう一度葉書を見直して、その隅にある文字に目をとめた。そして言う。
「……みさき、今日は大学も休みだし、高校に行ってみない?」
「あ、それもいいね。食堂のおばさん、元気かなぁ?」
「……なんで学校って言って、先生よりも先に食堂のおばさんが出てくるのよ?」
 呆れながらも、私はみさきの肩を軽く押して、身体を回転させる。
「きゃぁ」
「ほら、そうと決まればさっさと着替えなさい」
「う〜っ、雪ちゃん強引だよ〜」
 そう言いながらも、奥にすたすたと歩いていくみさき。
 この部屋にも随分慣れたらしい。最初の頃なんて大変だったけど……。
「……そっか。もう1年近くたつんだね」
 スウェットを脱いで、みさきは呟いた。どうやら、私と同じ事を考えていたらしい。
「そうね」
「でも、最初はびっくりしたんだよ。雪ちゃんが、私と一緒に住む、なんて言うんだもん」
「そもそもびっくりしたのはこっちよ。みさきが家を出る、なんて無茶苦茶言うから」
 着替えは朝ご飯を作る前に終わっている私は、ベッドに腰掛けてみさきの着替えを眺めながら答えた。
「私だって、いつまでも子供じゃないよ。いつかは家を出なくちゃいけないんだよ」
「でも、いきなり独り暮らしをしようって言ったって、それは無理でしょう?」
「それはそうだけど……」
 通っている大学には、実家からも通えたわけだから、私が実家を出る必要は無かった。
 でも、みさきが家を出る決意が固いことを知った私は、困り切っていたみさきのおばさんに、一つ提案をした。
 みさきと私が、一緒に暮らす、と。
 おばさんは、渡りに舟とその申し出を喜んで受け入れてくれた。
 でも、みさきは最初、それを断った。
 受け入れさせるために、私は、本当のことをみさきに伝えた。

 みさきが私を必要としていなくても、私には、みさきが必要なのだ、と。

 みさきの為を思うなら、私はみさきから離れた方が良かったのかも知れない。でも、それには、私が耐えられそうになかった。
 卒業してわずか1週間で、私はそれを痛感していた。
 結局は、私のエゴに過ぎないのだけど。
 そう言いながら、私は泣いてしまい、そんな私をみさきは優しく抱きしめて、一緒に暮らそう、と言ってくれたのだ。
 そして、それから1年。
 私たちは、結構上手くやっている、と思う。

「2人暮らしなら、家賃は安く済むし。……だれかさんのおかげで、食費は莫迦にならないけど」
「う〜っ」
 私の言葉に唸りながら、下着を付け終わり、私の方に顔を向けるみさき。
「どうかな?」
「うん、OK」
 そう答えてから、くすっと笑った。
「な、なに?」
「ううん。そういえば、最初はみさきったら、ブラもちゃんと付けられなかったなぁって」
「う〜っ、だってぇ」
 拗ねるように口を尖らせると、みさきはセーターに袖を通す。
「……あ、あれっ? あれれっ?」
 そのまま頭をくぐらせようとしたところで、何かに引っかかったらしくじたばたし始めた。
「あれあれっ?」
「もう、何してるのよ……」
 そう言いながらも、手は出さない。
 それが、私とみさきとの間の決まり事だから。
「……よいしょっ!」
 ようやくセーターから顔を出すと、大きく息を付くみさき。
「これだけでお腹空いちゃったよ」
「嘘つきなさい」
 肩をすくめると、私は言った。
「ま、いいけど。それじゃ行くわよ」
「うん」
 みさきは元気良く立ち上がると、不意に情けない顔をして私を見た。
「……雪ちゃん、知ってて言った?」
「まだスカートを履いてないこと? もちろんよ」
「う〜っ、やっぱり意地悪だよ〜。極悪人だよ〜」
 いそいそとスカートを履きながらぶつぶつ言うみさき。
 私はヘアブラシを片手に、みさきの隣に腰掛けた。
「それじゃ、髪を梳かすわよ」
「あ、うん」
 スカートのホックを留めて、座り直すみさきの長い髪を梳かしていく。
「それにしても、みさきの髪って綺麗よねぇ」
「えへへっ」
 照れ笑いをするみさき。そんなみさきの髪を、丁寧に梳いていく。

 外に出て、ドアの鍵を閉めると、みさきは私の腕に掴まった。
「うん、いいよ、雪ちゃん」
「それじゃ、行きましょうか」
 2人で歩き出す。
 みさきが、辺りをうかがうように、鼻をくんくんとさせてから、微笑んだ。
「春の、匂いがするよ」
「そう?」
「うん」
 それから後は、会話も交わさずに、黙って歩く。
 車の音、雑踏のざわめき。そうしたものが聞こえるたびに、私の腕を掴むみさきの手に、力が入る。
 それが、みさきの不安だって判ってるから、私はそのたびに、みさきに声を掛ける。
 そうして、2人で歩いていく……。

 しばらくぶりにみさきの家にお邪魔して、おばさんに近況報告などしてから、私たちは外に出た。
「おばさん、元気そうでよかったわね」
「うん」
 笑顔で頷いてから、みさきは家の門柱に触れた。それで方向を確かめたらしく、一つ頷く。
「ここからなら、一人でも大丈夫だよ」
 自信たっぷりに言って、私から離れて歩き出すみさき。車が来てないことを耳で確かめてから、道路を渡っていく。
 それは、高校3年間、いえ、それ以上に繰り返して来た行動だった。
 だから私も、それを見送っていたのだけど。
「あ」
 声を上げたときには既に遅く、みさきはそのままの勢いで校門の門柱に激突していた。
「……」
「ちょ、ちょっとみさき!」
 慌てて道路を横断して駆け寄ると、その場にしゃがみ込んでいたみさきは、おでこを押さえて涙目になって私を見上げる。
「う〜っ、痛いよ雪ちゃん」
「ちょっと、見せてみなさいよ」
 慌ててみさきの手をどけておでこを見てみる。
「……赤くなってるだけみたいね。もう、なにしてんのよ?」
「う〜っ。雪ちゃん、もしかして、校門、移動してる?」
「え?」
 言われて校門を見直してみるけれど、別に新しくなったようには見えない。
「そんなことはないみたいだけど……」
「……そっか。そうなんだ……」
 みさきは、何かに納得したようにこくりと頷いた。そして立ち上がる。
「雪ちゃん、わたし、お腹が空いたよ〜」
「お腹って、あのね……」
 私が言い返そうとしたとき、チャイムの音が鳴るのが聞こえてきた。腕時計を見ると、ちょうど4時間目の終わったところだ。
「ほらっ」
 得意げなみさき。
 私は苦笑した。
「はいはい。それじゃ食堂……」
 言いかけて気付いた。4時間目が終わったところ、となると、食堂には生徒達が殺到するはず。
「……に行くのは、少し遅らせた方がいいかもね」
「そんなぁ〜〜」
 情けない声を上げるみさき。
「雪ちゃん、極悪人だよ〜」
「……そんなことくらいで極悪人呼ばわりされたくないものだわ」
「だって〜っ、わたし、食堂のカツカレー楽しみにしてたのに〜〜」
 放っておくと地団駄を踏みかねないみさきに、私は苦笑した。
「わかったわよ。それじゃ行こうか」
 考えてみれば、もう学年末で授業もあまり行われていないはずだし、そんな時期に食堂がそう混雑してるわけもないか。
 そう思って、私はみさきの手を引いて、歩き出した。

 甘かった。
 というか……。
「なんで、こんな時期にこんなに人がいるのよっ!」
 思わず声を上げてしまうくらい、食堂は混雑していた。
「雪ちゃん、お腹空いたよ〜」
 後ろから、のんびりとしたみさきの声がして、私は我に返った。
「あ〜、もう。とりあえず、ここに座って待ってて」
 そう言いながら、みさきを空いていた椅子に座らせる。
「うん。それじゃ、この席は死守するよ」
 笑顔で頷くみさき。
 でも、ここにみさきを一人残していくのも……。
 そう思っていると、ちょうど知り合いが通りかかったので、声をかける。
「あら、折原くん。ちょうどよかったわ。ちょっと……」
「あ、悪い。ちょっと急いでるんだ」
 そう言い残して、折原くんはそのまま小走りに通り過ぎていく。
 私はため息をついた。
「まったく、変わらないんだから……」
「……雪ちゃん」
 みさきの声に振り返る。
「いまの……、ほんと……?」
 そう尋ねる声が震えていた。そして、何かを探るように伸ばす手も、同じように震えている。
「……みさき?」
 思わず、私はその手を握っていた。そして呼びかける。
「どうしたの、みさき?」
「雪ちゃん、今、折原くんって……。浩平くんの、こと?」
「ええ、そうだけど……」
 そう答えてから、私ははっとして、慌てて振り返った。
 そうだった。みさきは折原くんのことを……。
 と、そのときだった。
 ガッシャァン
 派手な音が鳴り響く。
 その音の方に視線を向けると、そこには、頭から派手にラーメンを被って座り込んでいる折原くんと、その折原くんにしがみついて泣きじゃくっている上月さんの姿があった。
 練習からそのまま来たのか、上月さんは舞台衣装のままで、その側にはもう一人、舞台衣装を着た2年生が、困ったように辺りの野次馬達に視線を向けていた。
「上月さん、なにやってるのよ、もう」
 苦笑気味に呟いた私の言葉に、みさきが声を上げる。
「澪ちゃんもいるの?」
 ……つくづく、自分が情けなくなる。
 私はため息混じりに振り返った。
「……そっか。逢えたんだね……。よかったよ……」
「みさき?」
 みさきは、ぽろぽろと涙を零していた。
 私は慌てて屈み込む。
「みさき、大丈夫?」
「……うん」
 みさきは、袖で涙を拭って、それから私に尋ねた。
「浩平くんと澪ちゃんは、どうしてるのかな?」
「えっ? あ、うん……」
 一瞬迷ったけど……。
 でも、みさきの笑顔は、私が思わず見とれてしまうくらい、晴れやかだったから。
「……幸せそうよ。ええ、こっちが妬けちゃうくらい、ね」
「そっかぁ……。ね、雪ちゃん」
 みさきは、もう一度袖で顔を拭うと、私に言った。
「私、お腹空いたよ。カツカレーがいいな」
「……ええ」
 多分、私が注文している間に、みさきは泣くのだろう。そして、私が戻ってきたときには、いつもの笑顔を見せてくれるんだろう。
 そう思って、だから私は、カウンターに向かってゆっくりと歩いていった。

「あっ! み、深山先輩じゃないですかっ! た、助けてくださいよっ!」
 迂闊だった。
 制服の中で私服がどれくらい浮き上がるか、そしてカウンターに向かうと必然的に騒ぎの近くを通ることになるのを、私は失念していた。
 それだけ、背後のみさきに気を取られていたわけなのだが。
 そして、そんな私に助けを求めてきたのは、上月さんと同じく舞台衣装を着た演劇部の娘だった。
「あら、えっと……」
「あ、すみません。お久しぶりです、秋山です。それで、どうしたらいいんでしょう?」
 半ばパニックになっているその娘は、私にしがみつくようにして言った。
 まぁ、ラーメンを頭から被ったまま座り込んでいる折原くんと、それにしがみついている上月さんは、それでなくても注目の的である。おまけに上月さんも秋山さんも舞台衣装のままだから、目立つことこの上ない。
 私は、肩をすくめて、パンパンと手を叩いた。
「はい、それくらいでいいわよ。なかなか演技も上手くなったじゃない」
 えぐっ、としゃくり上げてから、顔を上げる上月さん。
 私はハンカチを出して、屈み込むとその顔を拭ってあげる。それから折原くんに声を掛けた。
「でも、折原くんも、なにも本当にラーメン被ってあげることないでしょう? 演技でいいって言ったのに」
「へっ? あ、美人の深山部長」
 折原くんが言うと、上月さんがむっと膨れて、ぽかぽかと折原くんの胸を叩く。
「いててっ、やめろ澪っ」
 そう言いながら上月さんの腕を掴んで止める折原くん。
 私はため息をつきながら、秋山さんに声をかけた。
「秋山さん、とりあえずロッカーからモップを取ってきてくれないかしら? それから、食堂での練習はもういいってみんなにも伝えて」
「あっ、はい」
 頷いて走っていく秋山さん。
 私は続いて、野次馬達に笑顔で頭を下げた。
「おさわがせしました。そんなわけで、卒業公演はぜひ、見に来てくださいね」
 とりあえず、その言葉で、この騒ぎが演劇部のデモンストレーションだと思ってくれたらしく、野次馬達は三々五々と離れていった。

「へぇ、雪ちゃんなかなか戻ってこないからどうしたのかって思ってたら、そんなに大活躍してたんだ〜」
「ああ、みさき先輩にも見せたかったぜ。周りを取り囲んだ野次馬を、こう、ちぎっては投げちぎっては投げ……」
「ううっ、やっぱり雪ちゃん極悪人だったんだね〜」
「なんでよ。まったく……」
 ため息をついて、私は、隣でそんなやりとりをおっとりと見ていた秋山さんの方に向き直った。
「秋山さんも、あれくらいのトラブルは、アドリブでどうにかできるようにならないとダメよ。来年は最上級生になるんだからね」
「はい、済みません。……でも、やっぱり深山先輩はすごいです。私、感心しちゃいました」
 私は苦笑して、指を立てる。
「あ、もう一つ。もう私も卒業して1年もたつんだから、先輩は止めてね」
「ええっと、それじゃ……、深山さん、でいいんですか?」
「ええ。折原くんや上月さんも、そう呼んでくれるとありがたいけどね」
「深山さん、私、おかわり欲しいな〜」
「……みさきは、今更呼び変えなくてもいいの」
 どうにか、野次馬を解散させてから、結局私は3人を連れてみさきのところに戻ることになってしまった。
 みさきに折原くんを逢わせる……それも、上月さんと一緒に、だ……というのは、みさきにとっては酷だと判ってはいたけれど、お礼にお昼を一緒にしたいという3人をどうにも断れなかったわけで。
 ……いや、違う。
 判ってる。
 上月さんと折原くんが仲良くしているのをみさきに見せたいんだ。私は。
 だって……。
「こ、こら、澪。そんなにひっつくんじゃないっ。飯が食えないだろうがっ」
『や』
「や、って。お前なぁ……」
「……なんだか大変そうだね、浩平くん」
 スプーンをくわえて言うみさきに、折原くんが答える。
「ああ、大変だぞ。何しろ澪がすごいテクニックで俺を責めるんだ」
 ばしばしばしっ
「あいててて! こら澪、スケッチブックで叩くのはやめろって!!」
「もう、いい加減にしなさいよね。ホントに……」
 それでも、この2人を見てると、本当に仲が良いのが判る。
 秋山さんも同じ思いらしく、にこにこしながらそんな2人を眺めていた。
 そして、みさきも……。
「やっぱり大変そうだね、浩平くん」
「まぁな。でも……」
 その瞬間だけ、折原くんが真面目な表情になったのに気付いたのは、私だけだろうか。
「このどうしようもなく手のかかるヤツをほっとけなかったんだな、きっと……」
「浩平くん、ひどいこと言ってるよ。ね、澪ちゃん?」
 みさきが上月さんの方に顔を向ける。
「……」
「お、照れてるのか、澪?」
 ばしばしばしっ
「あいててててっ」
「はいはい。ずっとやってなさい。さて、と」
 私は立ち上がった。
 音でそれとわかったのか、みさきが私に視線を向ける。
「あれ? 雪ちゃん帰っちゃうの?」
「いつまでも長居はできないでしょう? みさき、帰るわよ」
「え〜っ? わたし、まだ全部食べてないのに〜」
 ちなみに、既にテーブルに並んでいる皿は全てからになっている。
「お、久し振りに全メニュー制覇を狙っているのか。それでこそみさき先輩だ」
「えっへん」
「胸張ってるんじゃないわよ。ほら帰るわよ」
 私はみさきの腕を引っ張る。
「うわぁん、雪ちゃんやっぱり極悪人だよ〜っ」
「泣き叫ばないでよ。悲しくなるから」
「まぁまぁ。それより、俺、久し振りに演劇部に寄ってみようと思ってるんだけど、2人も一緒にどうだい?」
「そうですよね。折原先輩、すぐに演劇部辞めちゃいましたもんね」
 秋山さんが頷く。
 と。
「あ〜っ、浩平ったら、こんなとこにいたぁ」
 不意に声が聞こえた。思わず振り返ると、長森さんが腰に手を当てて折原くんに視線を向けていた。
 軽く手を上げる折原くん。
「よう、長森」
「もう。よう、じゃないよ〜。先生が捜してたよ。出席日数のことで。……あれっ? 深山先輩?」
 つかつかと近づいてきたところで私に気付いて、長森さんは慌てて頭を下げた。
「お久しぶりですっ。ええっと、お元気そうですね」
「そちらこそ、相変わらずみたいね」
 笑顔で返すと、長森さんはかぁっと赤くなって、あたふたと手を振った。
「ええと、これは違うんです。浩平が、その、ずっと休んでたから、出席日数が足りなくなって、それで、そのっ」
「長森さんが奔走してるってわけね。折原くん、ダメよ。長森さんの手を煩わせちゃ」
 私が言うと、みさきが笑顔で口を挟んだ。
「これからは、大丈夫だよ。ね、浩平くん?」
「まぁ、そうかもな。これからは、面倒を見る立場になるわけだし」
「え、そうなの?」
 長森さんがきょとんとしていると、折原くんは立ち上がった。
「さて、それじゃちょっくら髭の説教でもくらってくるかな。……って、澪、離してくれないと、行けないんだが?」
 ふるふると首を振って、ぎゅっと折原くんの袖を掴む上月さん。
 折原くんは苦笑して、屈み込むと、上月さんと視線を合わせた。そして……。
「わわっ、こっ、こっこっ」
「長森、お前はニワトリか」
 顔を上げて、呆れたように言う折原くん。
「だってだってぇ」
 真っ赤になってあたふたする長森さんと、同じような状態の秋山さん。
「わっ、私っ、初めて見ましたっ」
「もう、秋山さんまで……」
 私はため息をついた。
「キスシーンの一つや二つでおたおたしないの。みっともない」
「あ、キスしてたんだ……」
 しまった。
 慌ててみさきの方を見る。
 みさきは、微笑んでいた。
「よかったね、澪ちゃん」
「……」
 はぅ〜っ、という感じで、耳まで赤くなって俯いてしまう上月さん。
「お、まだ足りないか? それじゃ後でじっくりと……」
 ばきゃっ
「……おーのー」
「澪ちゃん、スケッチブックの角はやめた方がいいと思うな。なんとなくね」
『知らないの』
 開いたスケッチブックにそう書くと、上月さんはぷいっとそっぽを向いた。……まぁ、首まで赤くなってる状態じゃ、あまり効果はなさそうだけど。
 折原くんは、その頭を撫でると、「それじゃ」と言い残して食堂を飛び出していった。
 と、秋山さんがはっとしたように腕時計を見る。
「わ、こんな時間! 上月さん、授業が始まっちゃうよっ! ……上月さ〜ん?」
 上月さんは、ぽや〜んとしていた。というか、にへら〜っとしているというか。よく言えば、心ここにあらずという感じ。
 私は苦笑して、秋山さんに言った。
「上月さんは私たちが見てるから、秋山さんだけでも授業に行きなさい」
「はい。それじゃ上月さんのこと、お願いします」
 ぺこりと頭を下げて、秋山さんは食堂を出ていった。
 私は長森さんに視線を向けた。
「長森さんは、授業は?」
「あ、わたしはもう授業は無いですから」
 手を振る長森さん。
 ああそうか、長森さんや折原くんも、もうすぐ卒業なんだ。……もっとも、折原くんはさっきの様子だと危なそうだけど。
 と、みさきが口を挟む。
「それじゃ、浩平くんが戻ってくるまでお喋りしていよっか」
「そうですね」
 頷いて、椅子に腰掛ける長森さん。
 みさきは、嬉しそうに私に言った。
「それじゃ雪ちゃん、カツカレーのおかわり〜」

「今日は、楽しかったね」
 家に帰り着くと、みさきはベッドに身体を投げ出しながら、そう言った。
「……本当に?」
「うん。久し振りに浩平くんにも逢えたしね」
「……みさき、あなた……」
「あ、大丈夫だよ。もう、澪ちゃんから浩平くんを取ろうなんて思ってないから」
 みさきは、身体を起こすと、私の方に顔を向けた。
「わたし、浩平くんのことは、今でも好きなんだって思う。でも、それよりも、浩平くんと澪ちゃんを見てたいなって思うんだ。……見えないけどね」
 ぺろっと舌を出すみさき。
「それに、わたしには、雪ちゃんがいるからね」
「……莫迦」
 そう言いながら、私はそっと、みさきを抱きしめた。
「そんなこと言ったら……」
 ずっと、離さないわよ。
 最後のセリフを、口の中だけで呟いて。
 わたしは、ずっと、みさきを抱きしめていた。

 その数日後。
 卒業式の翌日に行われる、演劇部恒例の卒業公演。その開演を10分後に控え、体育館には大勢の人が詰めかけていた。
 その客席の片隅に、私とみさきもいた。
「それにしても、また校門に体当たりして。なにしてんのよ、ほんとに」
 私は、水道で濡らしてきたハンカチをみさきのおでこに当てながら、ため息混じりに言った。
 先日に続いてまたしても、みさきは校門の門柱に激突してしまったのだ。……まぁ、2度もやらないだろうと思って、黙って見ていた私も、悪かったとは思うけど。
「それなんだけど……。あのね、雪ちゃん……」
 みさきは、ぺろっと舌を出した。
「わたしね、門柱の位置を、忘れちゃったみたいなんだよ」
「忘れたって……、学校でしょ?」
 驚いて聞き返す私。なにしろ、みさきは、学校内なら全力疾走できるくらい、全てを知っていたはずなのだから。
 みさきは何故か嬉しそうに笑った。
「うん、忘れちゃった」
「……そのわりには、嬉しそうね」
「だって、それはね……」
 みさきは、私の手に自分の手を重ねた。
「それだけ、私の世界が広がったってことだよ」
「……」
「私、頭もあんまり良くないから、憶えられる量は限界があるんだよ。だから、新しい世界が増えたら、その分古い世界は忘れちゃってるんだよ、きっと」
 あ、いけない。
「……雪ちゃん?」
 言葉を返さない私を不思議に思ったらしく、みさきは私の顔に触れた。それから、くすっと笑う。
「あ、雪ちゃん、泣いてる?」
「もう、莫迦ね」
 その時、ブザーの音が鳴り響いた。続いて、客席のライトが落とされる。
「ほら、始まるよ、雪ちゃん」
「ええ」

 ゆっくりと幕が上がり、スポットライトに照らされた真っ白な舞台が、私たちの前に広がった。

Fin

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あとがき
 そんなわけで、雪ちゃん○8歳のお話もなんとか最終回を迎えることができました。
 まぁ、いろいろと話したいこともありますが、それは後日、機会があればということで。
 とりあえずしばらくなごんでいます。

 雪のように白く その20(最終回) 2002/1/16 Up 02/1/17 Update

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