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鬼畜王ランス アフターストーリー

颱風娘の大騒動 その19

 承前

 一瞬驚いて、その声の方を見た魔物達は、すぐに下卑た笑いを浮かべた。
「女だぜ」
「ああ、女だぁ〜」
「げへへっ、俺のもんだ!」
「てめぇ、抜け駆けするなっ!」
 口々に叫びながら、その女性に向かって飛びかかっていく魔物達。
 彼女は、ふっと唇をゆがめた。
「下郎どもが。私の身体は、貴様らに触れさせるためのものではないっ!」
 そう叫びながら、背中に手を回し、背負っていた巨大な弓を、あたかも子供用のおもちゃの弓のように軽々と構えた。
 その弓には、既に矢がつがえられていた。それも一度に十数本まとめて。
「鳴け、疾風丸っ!!」
 ギュゴウッ
 うなりを上げて放たれた矢は、瞬時に彼女に向かって飛びかかっていた魔物を残らず射抜いていた。
 このような技を使えるものは、世界広しといえどただ一人。
「ば、ばか……な」
 ドサッ
 呻きを上げて地面に倒れ、息絶えた魔物に片足をかけ、彼女は高らかに叫んだ。
「我が名は山本五十六! 我と、我が一族の精鋭、我らが同朋を救うためまかり越したっ!!」
 おおおーーーーっ
 彼女の背後から、鬨の声が上がる。リーザスの軽装鎧とも、ヘルマンの重厚な鎧とも異なった、板金を巧みに縫い合わせた鎧、そしてやや反り返った刀。それは、剽悍さでは大陸でも一、二を争うと言われる、JAPANの侍軍団だった。
 その侍軍団を束ねる黒髪の女性こそ、JAPANの女大将、そしてランスの子を産んだ2人の女性のうちの1人、山本五十六である。

 JAPANは大陸の東にある島国で、大陸本土とはまったく違う文化が栄えていた。
 この国で長く続いた内戦を制し、JAPANを統一したのは織田信長。実は魔人である彼は、日本を制した後大陸にその狙いを定めたのだが、ちょうどその時大陸で勢力を伸ばしつつあったのが、ランス率いるリーザス王国であった。
 当初は、友好条約を結ぼうかという動きもあった両国だが、信長がその証としてレイラを要求し、ランスがそれをあっさりと蹴ったために、全面戦争へと突入していくことになる。
 余談だが、後に信長が実は魔人だったことが知られ、レイラを渡さなかったランスが賞賛を浴びることになるのだが、彼自身としては言うまでもなく「美人はみんな俺のもの」論理で動いただけだった。
 閑話休題。
 こうして激突したJAPANとリーザスの両軍だが、残忍で知られる信長は、それまでの国内を制圧する過程において、有能無能に関わらず敵対する者を全て殺してきた。その結果、JAPANには有能な武将の数が限られる状態になってしまっていた。それに対するリーザスは、ランスの「敵でも可愛い女の子は殺さない」という方針と、さらに知恵袋のマリスの優れた人材登用によって、有能な武将が多くいた。
 最終的にはそれがJAPANとリーザスの勝敗を分け、さしもの魔人信長も、大阪城での決闘で、ランスの魔剣カオスの前に散り、ランスはJAPANをもその配下に組み込んだ。

 元々、JAPANでは、普通女が武器をもって戦うということはあり得ない。
 男尊女卑の傾向があるJAPANでは、女は常に男の影に控えるものと教えられており、男の晴れの場である戦場に出ることなど考えられないものである。
 そんなところで五十六が一軍を任せられていたのは、彼女が戦の才に恵まれていたという理由だけではなかった。
 元々、五十六の一族、山本家は勇猛な武士の一族として知られていた。しかし、五十六の父の代で、山本家の名は地に落ちた。
 一族の中でも穏やかな人柄だった五十六の父は、都の権力闘争に敗れ、臆病者の汚名を着せられて失意の内に世を去っていったのだ。
 皮肉にも、それによって我が世の春を謳歌した都の貴族達は、そのほんの数年後、信長によって全員惨めに殺されることになるのだが。
 それはともかく、残された五十六は、女の身でありながら一族郎党を養い、そして失われた山本家の名誉を取り戻すために、信長の配下となって戦い、JAPAN平定にも大きく貢献した。
 しかし、平和も山本家の復興も訪れず、JAPANはそのままリーザスとの戦争に突入していった。
 五十六が、リック率いる赤の軍に敗れたのは、その戦争の初期の頃だった。
 例によって「美女は俺のもの」と、一族郎党の命を盾にとってランスは五十六を自分の配下にした。そして当然のごとく彼女に伽を要求した。早い話、ハーレムに入れと言った訳だが、誇り高い侍でもある彼女は当然のごとく拒否し、無理強いすれば切腹も辞さずという彼女に、さしものランスも指をくわえることしか出来なかった。
 しかし、そんな関係が大きく変わったのは、信長が倒され、リーザスがJAPANをも属国とした後のことだった。
 リーザスの支配下になってしまった祖国。ヘルマンやゼス、そして数々の都市国家と異なり、JAPANとリーザスの文化は余りに違いすぎ、それ故に摩擦も激しかった。
 だが、それでもそれは、待ち望んだ平和でもあった。
 異文化の侵略を受け入れるか、それともまた戦乱に戻るのか。
 思い悩んだ末に、五十六はランスに申し出る。
 ランスの子供が欲しい、と。そして、その子にJAPANを治めさせて欲しい、と。

 結局、その願いは現在叶いつつある、と言ってもいいだろう。
 ランスの2人の子供のうちの1人、山本無敵は、現在2才で、すくすくと育っているところである。

 五十六は、手にした弓、疾風丸を大きく振って叫んだ。
「かかれーっ!!」
 その声とともに、侍達が鬨の声を上げながら、合戦場に突っ込んでいく。さしもの怪物達もその勢いに押され、後方に押し下げられていった。
 それを見やると、彼女はマジックの前に片膝を着いた。
「到着が遅れ、申し訳有りませんでした。ご無事で何より」
「五十六さん、どうしてここに?」
 マジックは訊ねたが、五十六は立ち上がって首を振った。
「それよりも、マジック殿、今は戦場の最中。魔物は我らがくい止めますゆえ、ゼスの方々は早く落ちのびられよ」
「でも……」
「マジック、ここは五十六さんの言うとおりにしよう」
 アレックスが言った。
「もうゼスの兵士も魔法将軍も、全力を出しきっている。これ以上ここに残っても、それは足手まといにしかならないよ」
「……そうね。わかったわ」
 マジックはこくりと頷くと、五十六に向き直って頭を下げた。
「お願いするわ」
「委細、承知した」
 五十六は頷いた。

 JAPANの侍たちのあげる鬨の声が、はっきりと聞こえてきた。
 リセットは、そちらを見ようともせずにふっとため息を付いた。
「JAPANの侍かぁ」
「あなたはともかく、魔物達の命運はもはやこれで尽きました。それでも、まだ続けますか?」
 ホーネットは静かな口調で訊ねた。だが、その周囲を回る五色の光の球は、ますます輝きを増している。
 だが、それには気付いていないのか、それとも気付いていても無視しているのか、リセットは無邪気な笑みを浮かべて答えた。
「魔物なんてどうでもいいんだもん。リセットは、リトルプリンセス、あなたの力が手に入れば、それでいいんだもんね」
「そうはさせない」
 健太郎は、美樹を背後にかばったまま、言い放った。
 ホーネットは言葉を続ける。
「リセット。あなたはどうして、リトルプリンセスの力、魔王の力を欲するのですか? 魔界を統べる王となるため?」
「そんなの興味ないよ。リセットはパーパに逢いたいだけだもん」
「……ランスに!?」
 腹に大きな穴を開けて倒れたガーディアン・シーザーの傍らに屈み込んでいたサテラが、リセットの方に視線を向けた。
 穏やかに言葉を続けるホーネット。
「リセット。ランス殿に逢いたいのは判ります。でも、それに魔王の力が必要なのですか?」
「だって、魔王の力があれば、なんでもできるんだもん」
 リセットは、腰に手を当てて言った。
「だから、リセットは……」
「嘘よ!」
 悲鳴のような声が上がった。全員が、その声の方に視線を向けた。
「そんなの、嘘よっ!」
 美樹が、その双眸から涙を溢れさせながら、叫んでいた。
「魔王の力なんてあっても、わたし、自分の一番やりたいことができないんだよ。わたしは、わたしは……自分のいた世界に戻りたい……それだけなのに……」
「美樹ちゃん……」
 健太郎は、そっと美樹を抱きしめた。
「健太郎くん……。うっ、うぇぇ」
 そのまま、美樹は健太郎の胸にすがりついて、泣き崩れた。
 ホーネットが、あっけに取られたようにそんな2人を見ていたリセットに、静かに声をかけた。
「リセット。魔王の力は、そのように便利なものじゃないのです。むしろ……」
「うるさい、うるさいうるさいっ! リセット騙されないもんっ!」
 リセットは大きく首を振った。そして、両手を上げた。
 カァッ
 その手の間に、光の球が生まれる。
「みんな、うるさいーっ!!」
「いけないっ!」
 ホーネットが小さく叫ぶと同時に、その光が炸裂した。

「!!」
 空中でにらみ合っていた志津香とナギは、同時に視線を地表に向けた。
 そこに、不意に白く輝く球が生まれ、一瞬にして広がる。
「大規模破壊呪文!? くっ!」
 とっさに障壁を張る志津香。一拍置いて、衝撃波と爆風がそこに襲いかかる。
 それに弾かれるように飛ばされながら、志津香は落ち着いて内側から障壁を強化し、嵐が過ぎ去るのを待つ。
(今の魔力、私やナギの魔力を遙かに越えてた……。ということは、おそらくリセット……)
 と、不意に、障壁がきしんだ。
 無論、目に見えない魔法障壁が実際にきしむようなことはない。だが、志津香にはそれが感じられた。
「ナギ!?」
 叫ぶと同時に、障壁が砕け散る。
「魔想の娘っ!!」
 叫びながら、ナギが砕けた障壁の隙間から突っ込んでくる。
 どうやら、爆風の中、自分は障壁を張らずに志津香の隙をうかがっていたらしい。その肌のあちこちから、血が流れていた。
「ナギ、いい加減にしなさいっ!」
 志津香は、魔法弾を連射した。それをかわしながら、ナギは呪文の詠唱を始める。
「あの呪文っ! まずい、止めないと……」
 志津香は、素早く右手を掲げた。そして短く呪文を詠唱して、振り下ろす。
「ファイヤーレーザーっ!」
 ヴン
 4本の閃光が弧を描いて走る。だが、ナギはそれをよけようともしなかった。
「嘘!」
 おそらく回避のために、呪文の詠唱を中断するはずと思っていた志津香は、息をのんだ。白い閃光は、ナギの腹を貫いていたのだ。
 だが、ナギは詠唱を続ける。
「効いてない? そんなはずは……。でも……」
 一瞬の隙を、ナギは見逃さなかった。
「黒色破壊光線!」
「しまっ……」
 ナギの放った黒い光に、志津香は呑み込まれた。そしてその黒い光が急速に収束し、消えたあとには、志津香の姿はなかった。
「……勝った」
 ナギは呟いた。
 その体が、ぐらっと姿勢を崩した。
 志津香の放ったファイヤーレーザーの直撃を受けたナギのお腹は黒く炭化していた。どう見ても助かりそうにない重傷だった。
 それでも、ナギは満足げな笑みを浮かべていた。
「私は、勝ったよ……。父様……」
 最後にそう呟き、ナギは目を閉じた。その身体は、そのまま大地に向かって落下していき、見えなくなった。

 サバサバの街。
 ゼス王宮からは北東に位置し、街道が交わる場所にある交通の要所だが、それ以上にこの街を有名たらしめているのは、“料理の鉄人”マルチナ・カレーの経営する料理の殿堂“サクラ&パスタ”の存在である。
 マジック達がこの街にたどり着いたのは、ゼス宮殿を脱出してから2日目の夕方であった。

 臨時ゼス王宮としてサバサバの街の市役所を接収したマジック達は、疲労の極にありながらも、早速活動を再開した。
 その最初の公務は、まさに風前の灯火となっていた彼女達の命を、紙一重のところで救ったJAPANの侍軍団に対して公式に感謝を表明することだった。
 とりあえず、マルチナの精力料理を食べて体力を回復させた千鶴子が、ゼス王国国王代理としてその行事を行なった後、マジックは“サクラ&パスタ”で一席を設けた。
 “サクラ&パスタ”の奧にある個室に、ゼス側からはマジック、アレックスが、JAPAN側からは五十六が、そしてリーザス側の代表として、未だに指揮官のままだったラファリア、そしてアールコートが出席していた。
 慣れない椅子にやっとのことで座った五十六に、まずマジックが頭を下げる。
「ありがとう、五十六さん。あなた達が来てくれなかったら、私たちもあそこで死んでいたわ」
「いえ」
 五十六は首を振り、説明した。
「我らが動いたのは、マリス殿の要請によるものなのです」
「マリスさんの?」
「はい」
 頷いて、五十六は説明した。
 リーザス軍のなかで唯一動ける緑軍を援軍に送った以上、リーザス自体にはもう余力はなかった。だが、ゼスからの知らせによると、戦況は至って芳しくない。それどころか、落城も目の前というところまで追いつめられている。
 その状況下でマリスが打った手が、JAPANの侍軍団をゼスに派遣することだった。
 このマリスの策には、反対する者も多かった。中でもリーザス軍を統轄するバレスは、「侍を戦いに送るなど、狼を野に放つようなもの」と強硬に反対したという。
 だがマリスは「JAPANの侍が強いのは、侍だからです」と、JAPANの者のみによる軍勢を編成させ、五十六にその指揮を任せたのだった。
 先に述べたように、JAPANの文化は、大陸の文化とはかなり異なっている。文化の違う者同士の混成部隊は時としてその文化の違いによって混乱し、烏合の衆と化すことがある。そうマリスに言われ、バレスも納得して引き下がったのだ。
「それにしても……」
 マジックは眉を曇らせた。
「被害は大きかった……」
「生きて帰れただけで、幸運でした」
 五十六も頷いた。
 ゼス宮殿から脱出した者のうち、このサバサバの街にたどり着いた者は約半数だった。つまり、半分があの峡谷での戦いで命を落としたことになる。
 後から援軍に駆けつけた五十六配下の侍も、その5人に1人は異国の地でその最後を遂げることとなってしまった。
「あなた方にはなんとお詫びすればよいのか……」
「戦に生き、戦に死すのが我ら侍。心構えはいつでも出来ております故」
 アレックスの言葉に、五十六は首を振った。
 マジックは、次いでアールコートとラファリアにも視線を向けた。
「リーザスの皆さんにも感謝してる。本当にありがとう」
「……いえ」
 ラファリアは首を振り、アールコートは唇を噛んで俯いていた。
「私たちに、もっと力があったら……」
 と、不意に五十六が、袂に手を入れ、鋭く振った。
 トスッ
 軽い音を立てて、天井に何かが突き刺さった。五十六が袂から取り出し、手首のスナップだけで投げつけた小刀だ。
「くせ者!」
 そう叫びながら、五十六はドアの脇に置いてあった太刀を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 そう言いながら、すたっと床に降り立ったのは、猫に似た奇妙な生き物を肩に乗せた女性だった。全身を動きやすそうなボディスーツに包んでいる。
 その姿を見て、ラファリアはふんと鼻を鳴らした。
「あんた、確か忍者のフレイヤね」
「あらあら、ラファリアお嬢さんが憶えていてくださるとはね〜」
「どういうつもりだ?」
 太刀を元のとおりドアの脇に立てかけさせながら、五十六が訊ねる。
「あら、なんのことでしょ、山本様?」
「本気で隠れようとした忍者が、私に気配を悟られるなどあり得ぬ。わざと気配をさらしたのはどういうつもりなのか、と聞いているのだ」
 フレイヤは、無言で肩をすくめた。その肩に乗っている猫に似た生物――ノリマキが、ため息をつく。
「だから、言っただろ? 五十六がいるからやめろって。JAPANの侍は忍者に詳しいんだからさ〜」
「ま、まぁそうとも言うわね」
「で、何のつもりだ? すまぬが私はそんなに気の長い方ではない」
 そう言うと、五十六は射るような視線をフレイヤとノリマキに向けた。
 フレイヤは肩をすくめた。
「ちょっと教えてあげたいことがあってね」

 サバサバの街の一角にある宿屋。
「……ったく。遅いぜ、志津香の奴」
 ミリはいらいらと歩き回りながら、爪を噛んでいた。
「……考えたくないけど、やっぱり……」
「おっと、ラン。それ以上は口に出すな」
 立ち止まると、ミリはランに視線を向けた。それから、ベッドにこしかけて足をぶらぶらさせているミルに視線を移す。
 ランは無言で頷いた。それから、かなみに声をかける。
「かなみさんも心配でしょうけど。でも、メナドさんも、きっと無事ですよ」
「……そうね」
 かなみはこくりと頷いた。
「そう思いたい……けど」
 この中でも一番戦場を良く知るかなみは、唇を噛んだ。
(判ってるのは、メナドが最後に女官達を逃がそうとしていた、ってことだけ。あたしがそばを離れなかったら、こんなことには……)

「……わかりました。ご苦労様」
「は。それでは失礼します」
 ゼス軍が、JAPANの援軍でかろうじてサバサバの街に逃れた、という報告を受けたマリスは、伝令をさがらせると、執務机に頬杖をついて考え込んだ。
「事実上、ゼス王国は再度瓦解した、と考えた方が良さそうね。とすると、次にどこに向かうのか……」
 そう呟いて、マリスは机の上に広げられた、大陸の地図を眺めた。それから、手を叩く。
 すぐにドアが開いて、すずめが顔を出した。
「お呼びでしょうか? マリス様」
「ええ。すぐに呼んできて欲しいのよ。……クリーム将軍を」
「クリーム様ですね。わかりました。他の方は?」
「……そうね。バレス将軍も呼んでちょうだい。あの人は呼ばないと、後で怒られそうだから」
「そうですね。わかりました」
 くすっと微笑むと、すずめは一礼してドアを閉めた。
「……さて、次の手も考えないとね」
 そう呟くと、マリスは再び考え込んだ。

「と、とにかく座ってください」
 アールコートが立ち上がると、フレイヤに今まで座っていた自分の椅子を勧めた。だが、フレイヤは首を振った。
「あ、いいのいいの。あなたに背中を向けるほど油断してるわけじゃないしね」
「そ、そんなつもりじゃ……」
 口ごもるアールコート。フレイヤはくすっと笑った。
「ごめんね。でも、リーザスでも有名な智将相手じゃ、勘ぐりたくもなるの。忍者のさがって奴だから、あんまり気にしないで」
 そう言いながら、フレイヤの視線はそれとなくラファリアを探っていたが、ラファリアの方は一瞬眉をつり上げたものの、何も言わなかった。
(ふぅん、前なら「何が智将よ」とか言って突っかかってきたところだけど。ちょっとはアールコートを認めたってところかな)
 頭の中で、マリスに提出する報告書を下書きしながら、フレイヤは話を続けた。
「そもそもゼスには別件で来てたんだけどね、こんな騒ぎになったんでそれどころじゃなくて」
「別件とは?」
「忍者が任務を漏らすと思う?」
 フレイヤに言われて、五十六は肩をすくめた。
「JAPANの忍者ならば、任務を漏らすことは死を意味する。だが、ヘルマンの忍者は知らぬのでな」
「ヘルマンだって同じよ」
 とは言うが、フレイヤはかつてヘルマン帝国から受けた任務をランスに漏らしてしまい、結果としてヘルマンに戻れなくなってリーザスに寝返ったという前歴の持ち主である。もっとも、その辺りの事情をを詳しく知っているものはここにいなかったが。
「まぁ、いいだろう。それで?」
 先を促す五十六。
 フレイヤは頷いた。
「ま、ともかく戦いに巻き込まれたんだけど、戦争はあたしの本業じゃないしね。高見の見物を決め込ませてもらってたんだけど……、途中で変なことになったのよ」

 数日前。
「まいったわねぇ」
 フレイヤは、木の上から荒野と化した戦場を見回した。
 あちこちに、人や魔物の死体が転がり、死肉をあさる獣や鳥達が群れている。
「さすがに、名のある武将は倒れてないか……。これじゃ骨折り損のくたびれ儲けだわ」
「お前の計画がそもそも無茶苦茶なんだ」
 ノリマキが言った。
「名のある武将の形見を持ち帰って謝礼をもらおうなんて、せこいぞ」
「うるさいわね。兵隊の持ち物漁るよりも効率いいでしょ?」
「どっちもどっちだ。ほれ、もういいだろ? 諦めてそろそろ行くぞ。任務があること忘れるな」
「そうね」
 気怠げに答えて、木から降りようとしたフレイヤの動きがピタリと止まった。
「……なに、この気配?」
「魔の気配だな。それも、かなりでけぇ。……まずいぜ」
 ノリマキも緊張した声で答える。
 次の瞬間、彼女の姿はそこから消えていた。……というのは正確ではない。彼女の姿は依然としてそこにあるのだが、誰もそこにいるのに気付かないのだ。
 普段どんなにおちゃらけて見えていても、フレイヤは激動の戦乱を乗り切った一流の忍者である。その彼女の持つ忍びの技の一つが、この『穏伏の術』である。要するに、木や石ころになりきり、敵にその存在を知られなくする技だ。
 今、フレイヤの姿は完全に木と同化していた。依然として彼女の姿は木の上に見えるのだが、誰もがその彼女を木の一部としか見ないだろう。
 そのまま、フレイヤは下を観察していた。
 魔の気配がだんだん大きくなるにつれ、その空間が歪み、亀裂が入るのが判った。
 そして、その裂け目から水色の髪の少女が現れた。
「……ふぅ、ひどい目にあった」
(……あれは!)
 実際に見たことこそなかったが、話にはさんざん聞いていたので、フレイヤにはすぐに判った。
(リセット・ケッセルリンク……)
「でも、あきらめないんだからね」
 そう言って笑う彼女の口元からは、間違いなく伸びた犬歯が見えた。
 フレイヤは観念した。いかに忍びの技とて、魔人相手に通用するとは思えない。
(……いろいろやりたいこと、まだあったのになぁ)
 と、リセットは辺りを見回した。それから、パチンと指を鳴らす。
 不意に、右の方でものすごい爆発音がした。
 そして、そちらから何かが飛んでくる。
 リセットは、それを抱き留めた。
 それは、下半身が焼けただれた金髪の少女の死体だった。
(あれは、確か……ナギ?)
「んもう、しょうがないんだから」
 そう言うと、リセットはその死体の首筋にそっと口付けた。
 確かに死んでいると見えたその手が、ぴくりと動く。
 見る間に、焼けただれていた下半身が再生していく。
 そして、ナギはゆっくりと目を開けた。
「……私は……?」
「おはよ、ナギちゃん」
 ナギの首筋から唇を離すと、リセットはにこっと笑った。
「……なぜ、私を甦らせた?」
 ナギは、リセットから離れて、首筋を撫でた。そこには、2つの傷痕が残っていた。
「だって、このまま死んだら、ナギちゃんの目的も果たせないよ」
「何?」
「とりあえず、リトルプリンセスもいなくなっちゃったし、もうここには用無いよね」
 リセットはそう言うと、不意に顔を上げた。フレイヤと目を合わせる。
「お姉ちゃん……」
(やっぱり、気付いてた!)
 フレイヤは覚悟を決めた。術を解いて、地面に降り立つ。
「貴様、リーザスの!」
 ナギが呪文を放とうとする。が、リセットはすっと手を上げてそれを止めた。
「ただ殺してもつまんないじゃない」
「……拷問でもする?」
 震える声で、フレイヤは聞き返した。フレイヤだから、まだ聞き返すことができたと言えるだろう。普通の人間なら、とっくに金縛りにあって一言もしゃべれなかったに違いない。
 無邪気な声でリセットは笑った。
「そんなことしないよ。お姉ちゃん、リーザスに伝えて。リトルプリンセスを渡せ。さもないと、リーザスを滅ぼすって」
「……」
 無言で頷いたフレイヤに「お願いだからね」と念を押して、リセットとナギは姿を消した。
 フレイヤは、その場にぺたんと膝を落とした。それから大きく深呼吸する。
「……あたし、まだ生きてる?」
「それ、俺も聞こうと思ってたところだ」
 肩のノリマキも答え、1人と1匹は顔を見合わせた。

「間違いなく、リセットは、次はリーザスだって言ったのね?」
「ええ」
 マジックの問いに、フレイヤは答えた。マジックは頷いて、隣りに視線を向けた。
「アレックス……」
「判ってる。すぐに伝令を飛ばすよ」
 マジックの腕をぽんと叩いて、アレックスはドアを開けた。と、向こうから兵士が飛び込んできた。
「おっと」
 とっさに飛び退いたアレックスに一礼して、兵士は叫んだ。
「マジック殿! 魔物がサバサバの街に接近してきます!」
「何ですって!?」
 思わず立ち上がるマジック。
 と、アールコートが訊ねた。
「魔物の数は? それから、誰が指揮しているか判りますか?」
「数は約5000。指揮しているのは魔物将軍と思われます」
 魔物将軍とは、魔物の中でもそこそこの知力体力を持つ者である。基本的には力押ししかできないのだが、率いる魔物の数で押してくるので、特にこのような時には厄介な相手である。
「まずいわね」
 マジックが唇を噛む。
「サバサバの街の警備兵を足しても、今動員できる兵力は500がいいところ……。10倍の敵相手じゃ……」
「大丈夫です、それくらいの敵なら」
 アールコートは微笑んだ。
「ここには、彼がいるのでしょう?」

 サバサバの街に迫る魔物の前に、のっそりと独りの大男が立ちはだかった。
「おめぇらよ、俺の飯の邪魔するんじゃねぇよ」
 魔物達は、その前で立ち止まった。
 彼は、腰から長大な半月刀を抜いた。普通の人間なら持ち上げることもできないだろうそれを頭上に掲げ、にやりと笑う。
「さて、一仕事して食う飯は美味いってマルチナも言ってたしな」

「敵が撤退していきます」
 兵士の報告に、アールコートは頷いた。
「よかった」
「そっか。ここにはあいつがいたんだっけ」
 マジックは呟いた。
「魔人ガルティアが……」

「ふぅ、腹減ったぜ」
 大男は、半月刀を一振りして、魔物の血を払い飛ばすと、それを担いでサバサバの街に戻ってきた。
 門のところで彼を待っていた、コックコート姿の女性は、笑顔で彼を出迎えた。
「お帰りなさい。ご苦労様。カレー作って置いたわよ」
「おおっ、判ってるじゃねぇか! よし、すぐ行こうぜ」
 大男は彼女を抱き上げて走り出した。
「きゃっ、もう。急がなくても料理は逃げないわよ」
「いや、逃げるかもしれねぇぞ」
 この大男こそ、24人の魔人の1人、ガルティアである。
 腹部全てが亜空間になっており、どんなに食べても決して満たされることがないこの魔人は、元々、ただ食うためにケイブリスについていた。
 さしものランスも、毒餌をも消化してしまうガルティアの攻撃に頭を痛めていた。自分がカオスを持っていけば倒せたところだが、当時ケッセルリンクやパイアールも同時に攻撃を掛けてきており、ガルティア相手に自分が迂闊に出ていけば、その隙にリーザスが落とされかねない状況だった。
 そのガルティアを手なずけてしまったのが、大陸一との呼び声も高い料理人、マルチナ・カレーであり、ガルティアは彼女の料理が食えるなら、という条件でリーザス側に組みすることになったのである。

 その頃。
「……やっぱり、あたしもう一度あそこに戻ってメナドや志津香さんを捜してみるわ」
 かなみは立ち上がった。
「それじゃ、俺達も……」
「ううん、みんなはここに残ってて」
 ミリにそう言うと、かなみは肩をすくめた。
「忍者には忍者のやり方があるの」
「でも……」
「ミリ……」
 ランがミリの腕を引いた。
「かなみさんにお任せしましょう」
「……ああ、判ったよ」
 ランの顔を見て、ミリは不承不承頷いた。
 かなみは微笑んだ。
「大丈夫。朗報を持って帰るわよ」
 そう言って、かなみは部屋を飛び出していった。

 トントン
 ノックの音がして、マリスは執務机から顔を上げた。
「はい」
「失礼いたします」
 ドアが開き、金髪に眼鏡をかけ、軍服をまとった女性が入ってきた。扉の前で一礼する。
「クリーム・ガノブレード、参りました」
「どうぞ、座ってちょうだい」
「はい」
 頷き、示されたソファに腰掛けたその女性こそ、元ヘルマン軍一の知将、クリーム・ガノブレード将軍である。
 彼女は眼鏡の位置を直すと、言った。
「マリス殿。自分もマリス殿に申し上げたい事がございます」
「それじゃ、そちらからどうぞ」
 マリスは微笑みを浮かべて、促した。
 クリームは、静かに告げた。
「マリス殿。今までお世話になりました。自分は、ここを去ろうと思っております」
「あら、待遇に不満でもあるのかしら?」
「いえ。自分は……」
 クリームは、ぎゅっと膝の上に置いた拳を握りしめた。
「ランス王とマリス殿のおかげで、世界は平和になりました。それは確かに素晴らしい事かもしれません。でも……、私にとっては……」
「クリーム将軍……」
「今の自分は、ただの無駄飯食いです。そのような処遇には耐えられません」
 クリームは、顔を上げて言い切った。
 マリスの表情が和らぐ。
「そうだろうと思いましたよ、クリーム将軍」
「では、失礼します」
 立ち上がると、クリームはぴしっと敬礼した。
 と、ノックの音がして、バレスが顔を出す。
「遅くなりまして申し訳ございませぬ。……おや、クリーム将軍ではないか」
「バレス将軍……」
「ちょうど良かったわ」
 マリスはそう言って、立ち上がった。
「クリーム将軍。先ほどの辞意、撤回するつもりはないのですね?」
「辞意?」
 バレスの眉がぴくりと動いた。そしてクリーム将軍に視線を向ける。
「クリーム、おぬし……」
「申し訳ありませんが」
 バレスの方は見ようとせず、クリームはマリスに答えた。そして回れ右をして、部屋を出ていこうとする。
 その背中から、マリスの声が聞こえた。
「それでは、この度の決戦は、他の者に任せるとしましょうか」
「……!?」
 もう一度回れ右をするクリーム。
「なんとおっしゃいましたか? 決戦とはどういうことです?」
 ようやく状況を飲み込んだバレスは、内心で苦笑した。
(やれやれ。マリス殿もお人が悪い……)

 その頃。
「どういうことだ?」
 ナギはリセットに語気荒く訊ねていた。
「え?」
「とぼけるんじゃない。私はもう目的は果たしたっ! 魔想の娘はこの手で倒したのだからなっ!」
 リセットは一瞬きょとんとして、それからくすくす笑いだした。
「何が可笑しい!?」
「だって、ナギちゃんったら……あははっ」
 ひとしきり笑うと、リセットは言った。
「志津香……だっけ? まだ生きてるよ」
「何っ!?」
 ナギは目を見開いた。
 リセットは繰り返した。
「魔想志津香は、まだ生きてるよ」

《続く》

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あとがき
 颱風娘の大騒動 その19 00/01/25 Up

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