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その ずっと忘れない
《続く》
キラメキ王国の王都キラメキ。
王女シオリ姫が魔王に誘拐されてからというもの、人々は言い様のない不安に襲われていた。そしてそれは、魔王討伐とシオリ姫救出のために、魔王の住むという北の島に向かったキラメキ騎士団が無惨な姿で帰都してきたことにより、さらに高まっていた。
キラメキ騎士団は、実にその3割の騎士を失っていた。なかでも、精鋭である『赤の部隊』は、他の部隊の退却を助けるため、甚大な被害を被っていた。リュウ・フジサキ隊長、従軍僧カジ・フライドを含め、その8割までが王都キラメキに帰ることはなかったのだ。
もはや、人々は希望を失い、魔王がシオリ姫を生け贄にし、昔日の力を取り戻すのを手をこまねいて見ていることしかできなかった。
……ごく一部の人々を除いて。
キラメキ王国の総てがそこにある、といわれるその書庫の管理を任されているスペルフィールド・エイトもその希望を失っていない一人であった。
もっとも、彼の場合、希望の場所が多少違うようだったが。
その日も、彼は書庫の奥で一人本を整理していた。しかし、周囲の乱雑さをみると、あまりはかどってはいないようだ。
彼は一冊の本を棚に戻して、溜息をついた。
「今頃、どうしてるかなぁ……」
「どなたが、ですか?」
「ミオさんですよ。ミオ・キサラギさん」
「私……ですか?」
「ええ。……うわぁぁ!!」
思わず、スペルフィールドはその場で飛び上がった。その弾みに、乱雑に積み上げてあった本が一斉に崩れ、彼はその中に埋もれてしまった。
「キャッ」
もうもうと上がる埃の中で、スペルフィールドは思わず叫びを上げていた。
「ミオさん! どうしてここに?」
「あ、あのう、大丈夫ですか?」
ミオは心配そうに本に埋もれたスペルフィールドに訊ねた。彼はがばっと起き上がった。
「大丈夫ですっ!」
「元気な奴だなぁ」
別の声がして、一人の少女が本棚の影から現れた。
「あ、ノゾミさん。この人がここの管理人のスペルフィールドさんです」
ミオは、散らばった本を拾いながら言うと、その本をスペルフィールドに手渡した。
「はい」
「あ、すみません。そちらは?」
彼は受け取った本を本棚に押し込みながら訊ねた。
「あたしは、キラメキ騎士団のノゾミ・キヨカワ。君のことはミオから聞いてるよ。よろしくなっ」
ノゾミはバァンとスペルフィールドの肩を叩き、彼はまた、本の山の中に突っ込んだ。
ピオリックの迷宮で、首尾良く聖剣の“鍵”である“メモリアルスポット”のひとつを手に入れた一行であったが、ユミ・サオトメが古代の呪いにかかり、猫となってしまったのだ。
彼女の兄であるヨシオ・サオトメはキラメキ最強の魔術師である『チュオウの魔女』ことユイナ・ヒモオに解呪を頼んだ。一説によれば、妖しげな人体実験の実験体になることと引き替えだとも言われているが、両者ともそのことに関しては黙秘しているので詳細は不明である。
ともかく、一行は次の“メモリアルスポット”を探す前にユミ猫(まぎわらしいので、猫の姿をしている彼女のことをこう呼ぶ)の解呪をすることにし、ユイナの本拠地であるチュオウの村に戻った。
しかし、そこに古代の呪いに関する資料がなかったため、ユイナは『実験室』に探しに行くことにした。
『実験室』というのは、本来門外不出の禁断の書も数多く納められているここ、キラメキ王国の書庫の奥に、ユイナが勝手に作ったスペースのことである。本来は違法もいいところなのだが、先日の一件以来、管理人のスペルフィールドもやむなく黙認している。
ユイナがそこに行くことを知った一行は相談の上、一度全員で王都キラメキに戻ることにしたのだった。
ミオはにこっと微笑んだ。
スペルフィールドは頷いた。
「わかりました。みなさんは?」
「まだ『実験室』で待っていると思います。だって、ここの中はうかつに歩き回ると迷ってしまいますものね」
ミオがそう言うと、スペルフィールドも頷いた。
「ええ。私でも時々迷いますからねぇ。ここを迷わずに走り回れるのはシーナだけですよ」
「あ……」
ミオの表情が翳った。そして、彼女は胸元のロケットを握りしめた。
“メモリアルスポット”のひとつであるそのロケットを彼女に渡すために、命を投げ出した少年がいたのだ。
彼女の表情に気づいたスペルフィールドが、声をかけた。
「あの、ミオさん……」
「私……、シーナさんにはすまないことをしてしまいました」
ミオは目を伏せた。
ノゾミが、ミオの肩をポンと叩く。
「昔のことより、先のことを考えようぜ」
「……そうですね」
彼女は頷くと、スペルフィールドに言った。
「とにかく、よろしくお願いします」
「ええ」
彼は歩き出した。二人はその後に従った。
とはいえ、ヨシオは元々、某貴族の娘に手を出したせいで王都から逃げ出したようなものであり、あまりおおっぴらに歩き回れるわけでもない。
結局、一同は、昔ノゾミがよく行ったという酒場に身を落ち着けることになった。
最初はそこで雑談をしていた皆であったが、いつの間にか話は、次の“メモリアルスポット”の事になってしまった。
ヨシオが言う。
「今のところ、俺達の手にある“メモリアルスポット”は、ノゾミさんの剣、ミオちゃんのロケット、そしてメグミちゃんのムクの3つだろ」
「そうだね」
ノゾミは、腰の剣の柄をそっと撫でながら答えた。
実は彼女が一番王都に戻ることを厭がっていたのだ。キヨカワ家に代々伝わっていた名剣“アルペン・フィオラ”を折ってしまった事を結構気にしているらしく、「親父に顔をあわせられないよ」とぼやいていた。
閑話休題。
サキが言う。
「残ってる“メモリアルスポット”のある場所は、判ってるのよね」
「ああ」
ヨシオは指を折った。
「カイズリア湖、ノウレニック島、ドーメイストの大穴の3カ所だ」
「王都からだと、一番近いのはドーメイストの大穴だな」
ノゾミが呟いた。
「にゃ?」
ユミ猫が首を傾げた。ヨシオは溜息をつく。
「ったく、ものを知らん奴だなぁ。ドーメイストの大穴ってのは、1000年前に空から降ってきた星が地面にあけた大きな穴のことだよ。差し渡し20キロ、深さは一番深いところで、縁から600メートルはあるって話だぜ」
「1000年前、かぁ」
サキは頬杖をついた。
「その1000年前に降ってきたっていう星が、きっと“メモリアルスポット”なのね」
「ああ、そうだろうな」
ノゾミは頷き、メグミの方を見た。
メグミは、テーブルの下にちょこんと座ったムクに、ソーセージを食べさせていた。
「ムク、お行儀よく食べるのよ」
ワンワン
ムクは嬉しそうに吠えると、ソーセージをむしゃむしゃと食べていた。
メグミは、嬉しそうにその頭を撫でた。
「いい子、いい子」
ワンッ
「……なんか、信じられないなぁ」
ノゾミは呟いた。
一見ただの子犬に見えるのだが、このムク、実は古代魔法で作られた魔法生物なのである。彼女達の前に初めてその姿を見せたときは魔獣ケルベロスの姿をし、ユイナを危機に陥れたほどの力を彼女らに見せつけたのだ。ノゾミの呟きもわかろうというものだ。
彼女の視線に気づいたのか、メグミが顔を上げた。
「あの……、なんでしょうか?」
「あ、いや。なんでもない。それじゃ、次はドーメイストの大穴に行くって事で、いいな?」
ノゾミは一同の顔を見回して訊ねた。誰も異議を唱える者はなかった。
床には魔法陣が描かれ、その中心にユミ猫がちょこんと座っていた。
ユイナは静かに、呪文を唱えていた。
『万物の始源なる魔力よ、我が力となりて、古の呪いを打ち破らんことを』
ぼうっと魔法陣が青い光に彩られる。
その青い光に照らされ、ユミ猫は不安そうに、周りで固唾を呑む一同を見回した。
その時、ユイナは声を上げた。
「しまった!」
「え?」
ヨシオが聞き返そうとしたとき、不意に魔法陣の中央にボワンと煙が上がった。
みんな、一斉に煙を吸い込んでしまって咳込む。
「ケホケホ。ユ、ユミ……」
ヨシオは煙を手で払いながら、魔法陣の方に足を踏み出そうとした。そのとき、何かが彼にぶつかってきた。
「うわぁーん、お兄ちゃーん!」
「その声は、ユミ!? 人間に戻れたのか?」
「うんっ! そうみたい。やったぁ」
煙が晴れていく。ヨシオは自分に抱きついているのが見慣れたポニーテイルであることを確認した。
「ユミ……。79・59・82」
「え?」
言われて、ユミは自分の姿に気づいた。一糸纏わぬあられもない姿。
「おにーちゃんのエッチィ!!」
綺麗な回し蹴り。ヨシオはそのまま床に倒れた。
サキが服を持って駆け寄ってくる。
「よかったね、ユミち……あれ?」
不意に彼女は立ち止まった。目をこする。
「あの、サキさん?」
「ねぇ、ユミちゃん。それ、尻尾?」
「え?」
言われてユミは、後ろに手をやる。そして、掴んだ物を前に回してみた。
茶色の毛に覆われた、間違いない尻尾。
「ふぇぇ」
「耳も……出てますねぇ」
ミオが静かに指摘した。
「ええ!?」
ユミは自分の頭を触ってみた。確かに、毛に覆われた耳がぴょこんと突き出している。
「ふえぇぇ」
彼女はその場にぺたんと座り込んだ。
「変なのになっちゃったよぉぉ」
サキが、その肩に服を掛けながら優しく言った。
「そんなこと、ないと思うな。結構可愛いんじゃない?」
「……ほんと、れすか?」
「うん」
サキが頷くと、ユミはにこっと笑った。
「なら、いいんだ。コウさんもきっと喜んでくれるよね!」
「そ、それはどうかわからないけどね」
思わず冷や汗をかくサキだった。
一方、ヨシオはユイナに詰め寄った。
「どういうことなんだよ、あれは?」
「いいじゃないの。人間に戻れたでしょう?」
「戻れてないじゃないか! 尻尾と耳も元に戻せよ」
「うるさいわね」
ユイナはヨシオを睨み付けた。
「あんまり喧しいとあなたをカッパにするわよ」
「だけど、あれは……」
「お兄ちゃん!」
ユミがつんつんとヨシオを後ろからつついた。素早くもうブラウスとスカートに着替えている。
「ユミ、このままでもいいよぉ」
「だけど……」
「だって、コウさんもきっとこっちの方が気に入るってサキさんも言ってくれたし。ねっ!」
「う、うん……」
頷いてしまうサキだった。
南にあるドーメイストの大穴までは10日ほどかかるという。
「もう、行くんですか?」
南門まで見送りに来たスペルフィールドは、ミオに訊ねた。
「ええ。日を無駄にするわけにはいきませんから」
ミオはにこっと微笑んだ。
スペルフィールドは溜息をつくと、一冊の本をミオに渡した。
「ミオさん、荷物が重くなって申し訳ないんですが、これを差し上げます」
「この本は?」
「古の大賢者、サジョックの著した本です」
「サジョック? でも、彼は生涯一冊も本を書かなかったのでは?」
ミオは記憶をたどりながら、聞き返した。
彼は頷いた。
「正史では、そうなっています。サジョックは、過去のいかなる魔法とも異なる魔法を使った、偉大な魔導師でもあります。その彼が、この世に一冊だけ残した書、それは『サジョックの魔導書』とよばれるものです」
「『サジョックの魔導書』……」
「何故それが正史から抹消されたのか。それは、あなたが判断して下さい。でも、僕は、あなたなら使いこなせると信じています」
「使いこなせる? もしかして、この本は……」
聞きかけたとき、ノゾミが声をかけてきた。
「ミオ! そろそろ行こうぜ!!」
「じゃ。また、逢える日を楽しみにしてます。その時は、もっとゆっくりとお話ししましょう」
スペルフィールドは、右手を差し出した。ミオはその手を握り、微笑んだ。
「ありがとうございます、スペルフィールドさん。また、お逢いしましょう」