喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  末尾へ

ときめきファンタジー
外伝 カウント・ダウン

「……あれから、もう三ヶ月もたっちゃったね」
 シオリ姫は、テラスの手すりにもたれ掛かって溜息をついた。
 満月の光が、辺りを照らし出していた。
 緋色の髪が、折からのそよ風になびく。
 桜色の唇が、小さな呟きを漏らす。
「……逢いたいな……コウくん……」

 メモリアル大陸西方随一の大国、キラメキ王国。
 王都キラメキの片隅で普通の騎士の娘として暮らしていた、シオリ・フジサキの運命が急変したのは、今からちょうど三ヶ月前だった。
 その日、シオリはいつもより早く目を覚ましていた。隣の家の少年と街に買い物に行く約束をしていたからだ。
 鏡に向かって、つやのある長い髪をとかすと、ピンクのリップを手に取る。
「つけてみようかな? でも、コウくん、こういうことに気が付いてくれそうにないから……。どうしよう?」
 悩んでいると、不意にノックの音がした。
「起きてる?」
「あ、お母さん? はい」
 シオリは立ち上がると、ドアを開けた。そして驚いた。
 いつも明るく微笑んでいる母親が、すっかり憔悴しきった様子でそこに立っていたからだ。
「お、お母さん、どうしたの?」
 思わずそう訊ねたシオリに、母親は弱々しく微笑んだ。
「そう呼ばれるのも、終わりなのね」
「え? あ、お父さん!」
 ここしばらく城に上がりっぱなしだった騎士隊長のリュウ・フジサキが、母親の後ろに立っていた。
 お帰りなさいと挨拶しようとして、彼女は父親の様子も、いつもと違っているのに気づいた。
「お父さん……?」
「シオリ……」
 リュウは、突然その場に片膝を突き、頭を下げた。まるで、それは騎士が国王に対して取るような臣下の礼だった。
「ちょ、ちょっと、お父さん。どうしたの?」
「本当のことを、告げねばなりません」
 リュウは言った。
「本当のこと……?」
「あなたの本名は、プリンセス・シオリ・フォン・キラメキ。今の国王マイト・キラメキ陛下のご息女にして、我がキラメキ王国の正当なる第一位王位継承者であらせられます」
「や、やだ。何を言ってるのよ、もう」
 シオリは微笑んだ。
「お父さんったら、からかわないでよ。こんな朝早くから。お母さんまで……」
「ううっ」
 母親が、顔を手に埋めた。その肩が小刻みに震える。
 リュウが、言葉を継いだ。
「何もかも、お話ししましょう。あれは、14年前のことでした。私は当時、マイト陛下の親衛隊の隊員でした……」
「リュウ! 貴様は陛下と姫をお守りしろ!」
「シーン隊長!」
「俺は、ここで奴等をくい止める。いいか、絶対に……」
 親衛隊長が何を言いかけたのか、リュウには判らなかった。そのとき、反乱軍の兵士達がそこに乱入してきたからだ。
「ちっ!」
 リュウはくるりと振り向くと、乱戦の場から駆け出した。そして、奥の間に飛び込んだ。
「陛下! 早くお逃げ下さい!」
 今までじっと玉座に座っていたマイト王は、その時初めて呟いた。
「シンタめ。そこまでして王権が欲しいというのか……?」
 数カ月前に勃発した王弟シンタの起こした内乱は、当初すぐさま鎮圧されるものと思われていた。
 しかし、鎮圧に向かった筈のキラメキ騎士団の寝返りにより、国王派は一転危機に瀕していた。反乱軍は、王都キラメキを攻撃、一気に政権を握ろうとしていた。
「陛下!!」
「余は、逃げぬ」
 マイト王は言った。そして、リュウに言った。
「リュウ・フジサキよ」
「はっ!」
「お主を見込んで頼みがある。シオリ姫のことだ」
「え? しかし……」
 リュウの視線は、国王の傍らの小さなベッドに移された。
 その中では、緋色の髪をした赤ん坊がすやすやと眠っている。
「リュウよ。シオリ姫を、平和な世になるまで預かっていてくれぬか?」
 マイト王は、そう言った。
 リュウに、考える時間は残されていなかった。背後からは、剣戟の音が、次第に近づきつつあった。
 彼は頭を下げた。
「御意」
「頼むぞ」
 王は静かに言うと、立ち上がり、傍らの侍従が捧げ持っていた剣を取った。
「さらばだ、シオリ」
 王はそう言い残し、ドアを開けて戦いの中に消えていった。
「……嘘」
 シオリは後ずさった。
 トン
 その背中が壁に当たる。
「本当のことです。シオリ姫」
 膝をついたまま、リュウは言った。
「先日、反乱軍の最後の残党が降伏し、内乱はついにすべて終わりました。シオリ姫が王宮にお戻りになられる日が来たのです」
「……嘘よ、そんなの……、嘘よ!!」
 シオリは激しく頭を振った。
「シオリ姫!」
 リュウは顔を上げ、シオリをじっと見つめた。そして、一転口調を和らげた。
「……この14年の間、楽しかったです。私はあなたを実の娘と思い、育てて参りました」
「お父さん……」
 シオリは、リュウに駆け寄ると、抱きついて泣き出した。
 数時間後、馬車が迎えに来たとき、シオリはリュウの持ってきた白いドレスに着替えていた。
 ドアを開けて出てきたシオリに、リュウは微笑んで言った。
「よくお似合いです、シオリ姫」
「……」
 シオリは無言でこくんと頷いた。リュウも頷いた。
「そう、あなたは今日からはシオリ姫です。そのことを、お忘れないように」
「……わかっています」
 彼女は硬い声で答えた。
 と、表の方から騒がしい音が聞こえてきた。
「お迎えが参ったようです」
 リュウは言うと、一礼した。
「お元気で……」
「……」
 シオリとリュウはしばし、見つめあった。
 そして、シオリは踵を返し、廊下を歩きだした。
「どうぞ」
 立派な礼服に身を包んだ御者が馬車のドアを開ける。
 シオリは、無言で馬車に乗ろうとした。その時、叫び声が聞こえた。
「シ、シオリ!!」
(コウくん!?)
 シオリは、隣の家の方に視線を走らせた。
 そこに、一人の黒髪の少年が立っていた。荒い息をつきながら、こっちを見つめている。
 思わず声を出しかけたとき、彼女はリュウが静かに首を振っているのに気づいた。
 彼の視線が語っている。

『あなたは、シオリ姫なのです』

(……そう、私は……)
 彼女はぎゅっと拳を握り、少年の方に視線を向ける。
(……ごめんね、コウくん。一緒に買い物、行けなくなっちゃったね)
 シオリは寂しげに微笑み、馬車に乗り込んだ。
 御者がドアをバタンと閉め、そして馬車が走り出す。
 彼女は、じっと俯いていた。その膝の上で握りしめられた手に、ポタッ、ポタッと滴が落ちる。
(さよなら、お父さん、お母さん。そして……コウくん)

 それから、早3ヶ月が過ぎ去っていた。
「はぁ」
 シオリは何度目かの溜息をつくと、ふと視線を庭に移した。
 そこに、一人の青年がいる。道に迷った様子で、キョロキョロと辺りを見回していた。
 彼女は思わず声をかけていた。
「コウくん!?」
「え?」
 青年は顔を上げた。
(違う。コウくんじゃない)
 シオリは内心で落胆の溜息をついた。
 一方、青年はホッとしたように声をかけてきた。
「よかった。道に迷っちゃって困ってたんだ。君、この辺り詳しいの?」
「え? うん、少しなら」
 青年の呼びかけ方は、まるで親しい友達に対するそれのようだった。しばらくそんな口調で話しかけられた事がなかったシオリは、少し嬉しくなった。
「ちょっと待ってね。今降りて行くから」
「ああ」
 シオリは、テラスから中に引っ込むと、カーディガンを肩に掛けて中庭に出た。
 青年は、そのシオリを見て、軽く手を挙げた。
「あ、こっちこっち」
「どうしたの? こんな所に来たりして」
 シオリが訊ねると、彼は照れたように笑った。
「いやぁ、俺、今日初めてお城に上がったばっかりで……。ちょっとトイレに行ったら帰り道がわかんなくなっちゃってさぁ。君、ここの女官かなにかなの?」
「え?」
 シオリは青年を見て、思わずくすっと笑った。
「まぁ、そんなところよ。あなたのお名前は?」
「あ、ごめん。俺、カツマ。カツマ・セリザワって言うんだ。君は?」
「……」
 シオリは悪戯っぽく微笑んだ。
「な・い・しょ」
「あ、ひどいな」
 カツマは笑った。
「で、何処に行きたいの?」
「ああ、騎士団の宿舎に戻りたいんだけど」
「それなら、こっちよ」
 シオリは歩き出した。
 しばらく歩いているうちに、どうやらカツマの見覚えのあるところに出たようだった。
「あ、ここからならわかるよ。ありがと」
 カツマは立ち止まった。
 シオリは微笑んだ。
「まだ、カツマくんは正式に騎士になったわけじゃないんでしょ?」
「ああ。叙勲は明日だしね」
「じゃあ、叙勲式で逢いましょう」
 そう言うと、彼女はくるりと振り向いて歩き出した。
 カツマはそれを見送りながら、鼻の頭をポリポリと掻いた。
「可愛い娘だったな。王宮にはあんな娘もいるんだ……」
「よ、カツ」
 不意に後ろから肩を叩かれて、カツマは振り返った。
「ジュンか、おどかすなよ」
「何処へ行ってたんだよ」
「ちょっとな」
 そう答えると、カツマはジュンに訊ねた。
「しかし、いいのかよ」
「何が?」
「何がって、おまえ修行中なんだろう? こんなにふらふら出歩いて……」
「いいんだよ。それよりカツ、お前明日の朝、大丈夫か?」
「何が?」
「ナツエちゃんは起こしてくれないんだぜ」
 からかうように言ったジュンを、カツマは睨んだ。
「ほっとけよ」
「くしゅん」
 大神殿の奥にある聖堂。
 その中で跪いて祈りを捧げていた黒髪の少女が、不意にくしゃみをした。
 隣で同じように祈っていた青い髪の少女が、目を開けて訊ねる。
「どうしたの? 風邪?」
「ううん。誰かがきっと噂してるのね」
 彼女はそう答えると立ち上がった。
「さて、夕べのお勤めも終わったし、寝るとしますか」
「ナツエさん、ちょっとは気になってるんじゃない?」
「何よ、サキ」
 ナツエと呼ばれた黒髪の少女は、聖堂のドアの所で振り返った。
「あたしは、せいせいしてるのよ。明日からあんにゃろを毎日起こさなくっても済むんだからね」
「そっかな? そうは、見えないけど」
 サキはじっとナツエを見つめた。ナツエは少し赤くなって喚いた。
「サキ!」
「あははっ。じゃ、また明日ね。おやすみなさい」
 サキはするっとナツエの脇を抜けて、出ていった。
 ナツエは、大聖堂の奥にある神像をちらっと見て、呟いた。
「ほんとに、気になんかしてないわよ。あいつのことなんか……」
「へっくしょん」
 カツマは大きなくしゃみをした。ジュンがからかう。
「ほれ、きっとナツエちゃんだぜ」
「莫迦言うなよ」
 彼は言い返すと、宿舎の方に歩き出した。
 ジュンは肩をすくめてそれを見送っていたが、やがて別な方向に歩き出した。
「さってと、今夜はミユキちゃんと、カズコちゃんと、マリナちゃんだったよな。あー、忙しい忙しい」
 難儀な男である。
 その頃、一人の男が狭い室内をうろうろとうろつき回っていた。
 口から呟きが漏れる。
「シオリ姫だ。あの小娘さえいなくなれば」
 控えている男が遠慮がちに声をかける。
「ご心中、お察しします。シンタ殿下」
「貴様ごときに、儂の気持ちがわかるものか!」
 男は振り向きざまに怒鳴りつけた。控えていた男はよりいっそう頭を下げる。
「申し訳ありません。出すぎたことを申しました」
「しかし、儂がこのようなところに潜んでいるとは、兄上も思うまいな」
 彼は窓から外を見た。
 大きな湖に、月が写っている。
「元正規軍の砦に身を潜めるとは、流石は王弟殿下。私のような凡才の思い付くところではありません」
 明らかな追従なのだが、男は単純に受け取ったようで笑み崩れた。
「そうだろう、そうだろう。で、例の連中は、キラメキに着いたのか?」
「は。もうそろそろ着いたはずでございます」
「高い金を払ったのだ。是非とも成功してもらわねばな」
 彼は東のほうを見つめて呟いた。
「やっと、あの忌々しいリュウ・フジサキを見当違いの方向におびき出せたのだ。奴が王都にいない今しか、チャンスはない」
 その目に、ぎらりと残忍な光がかすめる。
「あの忌々しいプリンセス・シオリの暗殺のチャンスは、な」
 彼等のいる砦。その中庭から、月に照らし出された砦の建物を見上げる人影があることに、彼等は全く気づいていなかった。
「ここが、チュオウの砦……」
 その人影から、呟き声が漏れた。かと思うと、その姿はかき消えていた。
 翌朝。
「あー、寝坊しちまったぜ」
 カツマは慌てて廊下を走っていた。
 騎士団の叙勲式に遅れそうになって慌てていたのだ。
「カツマ!」
「え?」
 聞き慣れた声で、彼は急ブレーキをかけた。
 横の方から駆け寄ってくる少女がいた。
 彼女はカツマの前に来ると、いきなり怒鳴りつけた。
「やっぱり遅刻してるじゃないの!」
「うるさいなぁ、ナツエ。こんな所までそんなこと言いに来たのかよ」
「違うわよ。あたしは、たまたま通りかかっただけよ」
 そう言うと、彼女はカツマの手を取って駆け出した。
「ほら、はやく、来るの!」
「判ったから、離せよ!」
 そう言いながら、カツマはナツエの横顔を見て不意にドキッとした。
(こいつ、こんなに……綺麗だったかな?)
 バタン
 大広間のドアを開け、二人が中に駆け込んだとき、ちょうど式が始まろうとしていた。
 サキが駆け寄ってきた。
「ナツエさん、ご苦労様」
「そんなんじゃないってば。たまたま見かけたから……」
 慌てて手を振りかけて、ナツエはまだカツマの手をしっかりと握っているのに気づいた。パッと手を離し、言う。
「ほら、いつまでぐずぐずしてるのよ! あっちでしょ、あっち!」
「あ、ああ」
 カツマは言われた方向に向かって駆け出した。それを見送るナツエに、サキが近づいた。
「でも、ほんとにタイミング良くお手洗いに行ったよね、ナツエさんって」
「サキ!」
「あー、こわぁい」
 サキは笑って身を引いた。ナツエは膨れた。
「そんなんじゃないってのに」
「でも……ちょっと羨ましいな」
 サキは小声で呟いた。
 騎士見習い達の最後尾についたカツマはそこでほうっと一息をついた。
 と、周りの騎士達がざわめいた。
「お、来たぞ」
「あれが、そうなのかぁ」
「うわぁ、可愛いなぁ」
「おい、しっ!」
「……なんだ?」
 カツマは首を伸ばして、前の方を見た。
 中央の玉座に座っている老人が、マイト王である。カツマも以前、見かけたことはあった。
 そして、その隣に座っている少女は……。
(う、嘘だろ、おい!)
 カツマは度肝を抜かれた。
(……まいったなぁ。昨日のあの娘が、噂のシオリ姫だっただなんて……)
「次、カツマ・セリザワ」
 自分の名前が侍従から告げられ、カツマは国王の前に出た。
 国王が厳かに言う。
「汝、カツマ・セリザワは、余のために身命を賭す事を誓うか?」
「……」
 カツマは、じっとシオリ姫の方を見つめていた。
「ん? どうした、カツマ?」
 国王が訊ね、カツマははっと我に返った。
「は、はい。誓います!」
 シオリは、そんなカツマを見てくすっと笑った。
「んもう、あのバカ、何ぼーーっとしてるのよ!」
 ずっと後ろの方で見ていたナツエは地団駄踏んだ。
「ナツエさん」
「何よ、サキ?」
 サキは顔を赤くして小声で言った。
「目立ってるよ、ナツエさん」
「あ」
 周りの注目を浴びてることに気づいて、ナツエは赤くなって下を向いた。
 さて、その頃やっと、ジュンは自分の部屋に戻ってきた。
「はぁ、疲れた。ジュリアったら、なかなか離してくれないんだもんなぁ」
「フーイズシー? 誰なの、それは?」
「わぁっ!!」
 思わず飛び上がると、ジュンは初めて自分の部屋の中に人がいるのに気づいた。
『光よ』
 ぽわっ、と光の玉が浮き上がり、薄暗かった部屋を照らし出す。
 奥の椅子に、藍色の髪を結い上げた少女が座っていた。
「ソーレイト、遅かったわね、ジュン」
「なんだ、アヤコか。脅かすなよ」
 ジュンはそのままベッドに横になった。
「ずいぶんねぇ」
 アヤコは立ち上がると、ベッドに歩み寄ってきた。
「ねぇ、ジュン。今夜のパーティーは出るの?」
「今夜? ああ、叙勲式典のあれか」
 ジュンは大あくびをすると、頷いた。
「そうだな。綺麗どころも揃うだろうし、ふわぁ〜、一眠りしてから行くよ」
「ザッツライ、判ったわ。それじゃ」
 アヤコはにこにこしながら出ていった。ジュンはそのまま泥のような眠りに沈んでいった。
 その夜の王宮の大広間。
「どーも、こういう服は、ちょっとなぁ」
 カツマはいわゆる第一級礼装を着込んで、人混みの中をうろうろとしていた。
「あら、馬子にも衣装って感じね」
 そのカツマに、不意に後ろから声がかけられた。
「その声は、ナツエか?」
「大当たりぃ」
 振り向いて、カツマはぎょっとした表情になった。
「な、な、なんなんだよそれは!」
「え? 変、かな?」
 ナツエは、黄色いドレスのスカートの裾を摘んでみた。
「似合ってない?」
「あ。そ、そのぉ」
「……そっか」
 彼女は、がっかりしたような口調で呟いた。反射的にカツマは腕を上げて自分をかばった。
「……あれ?」
 予想された攻撃が来なかったので、腕を降ろすカツマ。
「ナツエ?」
「……なんでもないわよっ!」
 ナツエは、そのまま駆け出していった。呆然とその場に取り残されるカツマ。
「……なんだってんだ?」
「カツマくん、そんなこと言ったらナツエさんでなくても傷つくと思うな」
 声が聞こえて、カツマは振り向いた。そこには、サキともう一人の少女がそれぞれドレスに身を包んで佇んでいた。
「ああ、サキさん。そちらは?」
「あ、あたしの友達の……」
「ミオ・キサラギといいます」
 サキの隣にいた緑色の髪の少女が頭を下げた。
「あ、こりゃどうも。カツマ・セリザワです」
 カツマが頭を下げたところで、サキが言葉を続けた。
「ナツエさん、ずっと前から今夜を楽しみにしてたのよ」
「今夜のパーティーを?」
「ううん、パーティーじゃなくって……」
 サキは首を振って言いかけた。と、その肩をミオが叩く。
「なに?」
「サキさん……」
 ミオは、サキの目を見て、静かに首を振った。
「でも……」
「私たちが教えていい事じゃないと思います。ナツエさんが言わなかったことなんですから」
 静かに言うミオ。
 サキは、少し考えて頷いた。
「そうか。そうよね」
「あの……」
 声をかけたカツマに、サキは振り返って謝った。
「ごめんね。でも、これはカツマくんが自分で考えなくちゃいけないことなのよね」
「え?」
 サキとミオはそれぞれカツマに頭を下げて、スグに人混みの中に消えていった。
 訳が分からない、という顔をしたまま、カツマは一人、そこに残されていた。
「ジュンくん!」
 女の子に声をかけながら歩いていたジュンに、甲高い声がかけられた。
 高価そうな服をピシッと着こなし、一見趣味のいい貴族の息子風の出で立ちのジュンは、声の方を見た。
 大きなリボンを頭に飾った少女が駆け寄ってくる。
 途中で何回か他の人にぶつかっては「ごめんなさい」と頭を下げ、2分後にやっとジュンの前にたどり着いた少女は、はぁはぁと荒い息をついていた。
「おいおい、大丈夫か?」
「う、うん」
 彼女は顔を上げると、にこっと笑った。
「久しぶりだね、ジュンくん」
「そうだっけ、メグミ」
「うん。でも、今日は逢えるって思ってた。だって占いだと、今日の運勢はハッピーだったんだもの」
 そう言って、メグミと呼ばれた少女はにこっと微笑んだ。
「まいったなぁ。ナツエのやつ、何処に行きやがったんだ?」
 カツマは立ち止まると、ぶつぶつ言った。
 サキ達と別れて、カツマはナツエを捜していたのだが、人混みの何処にまぎれたのか、彼女の姿は見付からなかったのだ。
 と、
「カツマくん!」
「え?」
 呼ばれて振り向くと、白いドレスの少女が駆け寄ってきた。緋色の髪に、宝石を散りばめたティアラがよく似合っている。
「やっぱり来てたね」
「シ、シオリ姫?」
 カツマは慌てて向き直った。そして、昨日のことを謝ろうとした。
「昨日は……」
「ダメ」
 シオリは、カツマの唇に白魚のような指をぴたりと当てた。そしてにこっと笑いかけた。
「ちょっとお話ししたいんだけど、いいかな?」
「え? あ、はい」
 カツマはかくかくと頷いた。
 カツマとシオリは、大広間からテラスに移動した。
 昨日と同じように、そこは月の光が照らし出していた。
 シオリは、先にテラスに出るとくるっと振り向いた。
「昨日は、ちょっと嬉しかったの」
「え?」
「カツマくん……って呼んでもいい?」
 彼女は訊ねた。カツマは頷いた。
「あ、はい」
「カツマくん、昨日私に、普通の女の子と話すみたいに話してくれたよね」
「すいません。女官の一人だって思い込んでしまってて……」
「ううん」
 シオリは首を振った。
「嬉しかったな」
「え?」
「だって、お城に上がってから、ずっとみんな私に敬語ばっかり使うんですもの。息が詰まっちゃう」
 彼女はにこっと笑うと、カツマに言った。
「時々でいいから、カツマくんとお話ししたいな」
「お、俺、じゃない。私とですか?」
「迷惑? だったらいいんだけど……」
「い、いやぁ、そんなことはないです」
「それと、ひとつお願い。私と話すときは、普通の女の子と話すみたいに話して欲しいの。昨日みたいにね」
「は、はい、わかりました」
 思わず答えるカツマに、シオリは指を軽く振った。
「違うでしょう?」
「あ、そうか。それじゃ……、いいよ。わかった」
「うん。よろしい」
 そう言って、シオリは微笑んだ。
「四ヶ月ぶりだよね、ジュンくんとお話しできるの」
 メグミは微笑んだ。
 ジュンは肩をすくめた。
「しょうがないさ。俺はしがない魔術師見習いだし、かたやメグミは、キラメキ王国の名門ジュウイチヤ家の一人娘だもんな」
「うん……」
 メグミは浮かない顔になった。敏感にそれを察知したジュンはまじめな顔になると訊ねた。
「どうかしたのか?」
「あの……」
 メグミは何か言いかけ、また俯いた。
「……なんでもないよ」
「そうか? 心配事があったら、何でも相談してくれていいんだぞ」
 ジュンは笑って言った。
(言えるわけ、無いよね。そのジュンくんのことなんだもん)
 メグミは心の中で呟いた。
 と、それまで流れていた曲が、優雅なワルツに変わった。
 ジュンは、メグミの手を取ると、片膝ついた。
「お嬢さん、踊っていただけませんか?」
「え? あ、うん」
 メグミは少し赤くなって頷いた。
「では」
 ジュンはメグミをリードしながら、大広間の中央に進み出ていった。
「それじゃ、お大事に」
 サキはそう言ってドアを閉めようとした。
 ベッドに横になったミオが、か細い声で謝る。
「ごめんなさい、サキさん」
「ううん。あたしの方こそ、引っ張り回しちゃって……。ゆっくり休んでね。後で迎えに来るから」
 人混みの中を歩き回っているうちに、ミオが目を回して倒れてしまったのだ。仕方なくサキは奥の部屋を借りて彼女を休ませることにした。
 本当はサキもずっとミオについているつもりだったが、意識を回復したミオが「私は休んでいれば大丈夫ですから、サキさんは楽しんできて下さい」と何度も言うので、それならと出てきたのだった。
 ドアを閉めた彼女に、いきなり横から声がかけられた。
「あ! ハァイ、サキ!」
 藍色のロングヘアの少女が手を振って、駆け寄ってくる。
 サキの顔が、彼女の姿を認めて、ぱっと明るくなった。
「アヤちゃん! アヤちゃんでしょ?」
「ザッツライ、そうよ。お久しぶりぃ」
 アヤコはにこっと笑った。
 いつもは結い上げている髪を解いて、肩まで垂らしているその姿はドレスと相まってずいぶんシックな印象を与える。
 サキは溜息をついた。
「アヤちゃんはいいなぁ。ドレスも似合うんだもの」
「ノンノン。サキもなかなかプリティ、かわいいわよ」
「そっかなぁ」
 サキは自分の姿を見下ろした。それから、アヤコに向き直る。
「元気そうね。魔術師の修行はどう?」
「イッツソーファン、なかなか楽しいわよ。あたしのクリエイターとしての気質に合ってるのかもね」
 アヤコはウィンクした。それから聞き返す。
「サキの方はどうなの?」
「うん、あたしも頑張ってるから」
 サキは頷いた。
「周りもみんな優しい人だし、それに他人のためにって考え方、あたしは好きだから」
「そうね。でも、サキはもうちょっと、自分のことを考えてもいいんじゃない?」
 アヤコは肩をすくめた。
「そうかなぁ?」
「そうよ。ま、そこがサキのいいとこかもねー」
 アヤコは笑うと、サキの肩をポンと叩いた。
「じゃあ、あたし、友達がいるから」
「そうね。それじゃ」
 二人は軽く手を振りあって、廊下を左右に別れた。
 ふと、シオリはカツマの首に黒い紐が掛かっているのに気づいた。
「カツマくん、その首の紐は?」
「え? ああ、これ?」
 カツマは紐を外して、胸元からペンダントを取り出した。
 はめ込まれている水晶が、月の光を反射してきらっと光った。
「綺麗ね。あ、誰かからのプレゼントなの?」
 シオリは笑みを浮かべてカツマを見つめた。
 カツマは首を振った。
「そんなんじゃないよ。これは親父達の形見さ」
「かた……み?」
「ああ」
 カツマはテラスの手すりにもたれ、月を見上げた。
「俺は、王都の近くにあった農村の生まれなんだ。両親も農民だった。おれも、あのままだったら、今頃は畑を耕してた筈だよ。……そう、あの戦争がなけりゃ」
「……」
 シオリは黙りこくった。
 カツマは独り言のように言葉を続けた。
「3年前、俺達の村の近くで正規軍と反乱軍の戦いがあった。何の関係もない筈の俺達の村は、その戦いに巻き込まれて……。大勢、死んだよ」
「……カツマくん」
「もう、よそうぜ、こんな話」
 カツマはペンダントをもて遊んだ。
「これは、その何日か前に親父が俺達にくれたんだ。なんでも、ピオリックの大迷宮から発掘されたんだって。幸運のお守りって言ってたな」
「……ごめんね、カツマくん」
 シオリは謝った。カツマはペンダントをしまいながら笑った。
「いいって」
「ほんとに、ごめんなさい」
 もう一度謝ってから、シオリは彼に訊ねた。
「でも、そんなに大事に持ってるってことは、カツマくんも信じてるの? そういうこと」
「うーん、信じちゃいないけど、まぁ、癖みたいになってるんでね」
 カツマは頭を掻いた。
「それじゃ、またね」
「ああ」
 カツマは軽く手を振ってシオリに別れを告げると、先に大広間に戻っていった。
 いつしか、曲はワルツに変わり、人々が踊っている。
 彼は中央で踊るジュンを見つけて苦笑した。
「相変わらずだな、ジュンのやつ」
「カツマくんは踊らないの?」
 後ろから声がかかって、カツマは振り返った。
「あ、サキさん。いやぁ、俺は農民だから」
「ダメよ、そんなのじゃ。もうキラメキ騎士団の騎士、なんでしょ?」
 サキは笑って言うと、カツマの顔を覗き込んだ。
「何なら、あたしとじゃ、ダメ?」
「サキさんと? いや、遠慮するよ」
 カツマは軽く手を振った。
「そう。あ、カツマくんは気にしないでね。別にあたし、なんとも思ってないし。あ、神殿のお友達がいるから、悪いけど、いいかな?」
「いいよ、気にしないで。それじゃ、また」
 サキは笑って手を振ると、そのまま歩いていった。
 ちょうどその時、曲が終わった。カツマは、ジュンの所に歩み寄った。
「や、ジュン」
「お、カツ。あ、紹介するよ。この娘はメグミ・ジュウイチヤ。メグミ、こいつは俺のダチでカツマ・セリザワってんだ。こう見えても、キラメキ騎士団の騎士なんだぜ」
「カツマです。よろしく」
 カツマは頭を下げ、ぎょっとした。
 メグミが大きな目をキラキラさせながら彼の顔を覗き込んでいたのだ。
「ねぇ、カツマくん。誕生日は?」
「11月28日」
「ふぅん。射手座かぁ。じゃあ、相性は悪くないね。よろしくね、カツマくん」
 彼女はにこっと微笑んだ。
「ただいまぁ。ナツエさん、帰ってるんでしょ」
 サキは声をかけながら、部屋のドアを開けた。そして、思わず鼻を摘んだ。
「うわぁ、お酒くさいなぁ」
「なによぉ」
 部屋の隅でうずくまっていたナツエが顔を上げた。
「ちょっと、ナツエさん、お酒はよくないわよ」
 サキは部屋に入ってくると、窓を大きく開けた。
「ほっといてよ。どうせあたしは男っぽいですよ」
「そんなこと誰も言ってないわよ」
 彼女はナツエの方に向き直ると、言った。
「ナツエさん、カツマくんのことが好きなんでしょ?」
「なっ!」
 ナツエは立ち上がると、サキに詰め寄った。
「そんなことあるわけないじゃない! 誰があんなぐうたらで、ひとりよがりなやつのことなんか!」
 半ばその勢いに押されつつ、サキは聞き返した。
「じゃあ、どうしてあんなに世話を焼いてるの?」
「それは、成りゆきって言うか……。だってそうでしょ? あたしとカツマの関係って単なる幼なじみってだけだし……」
「……ナツエさん」
 ナツエは、ベッドに座ると、呟いた。
「そうよ。あいつなんて、単なる幼なじみ以外の何者でもないのよ」
 その頃……。
「うふふふ、カツマくぅん、まだなのぉ?」
「メグミちゃん、頼むからもう少しまともに歩いてくれよぉ」
 カツマはメグミを連れて歩いていた。
 あの後、メグミが何気なくウェイターからもらったグラスにどうやら強力な酒が入っていたらしい。彼女は一発で酔っぱらってしまい、ふらふらになったので、カツマが彼女の家まで送り届けることになったのだ。
「カツ、頼む。メグミを送っていってくれ!」
「どうして、俺なんだよ。お前の連れだろうが!」
「俺はメグミの親父に目を付けられてるからやばいんだよ。その点、カツならキラメキ騎士団の騎士様だからな、バッチリってわけだ。頼む、この通り!」
 というやり取りの末、結局こうなったのだ。
「あ!」
 不意にメグミが立ち止まった。
「なんだよ、一体」
「忘れ物しちゃった。取りにもどらなくっちゃ!」
 メグミはくるっと振り返ると、王宮の方に戻り始めた。
「……勘弁してくれよ、おい」
 仕方なく、カツマもその後に付いて戻っていった。
 再び大広間に戻ると、かなり時刻も遅くなってきたこともあり、人もまばらになっていた。
「あ!」
 メグミは立ち止まった。
「こんどは……あれ?」
 カツマはメグミの様子に気づいた。がたがた震えている。
「ど、どうしたんだ?」
「あ、あれ……」
 メグミは震える手で指さした。その先には、ジュンが女の子と踊っていた。
「ジュンくん……、そんなぁ……」
「あのバカ……」
 カツマは小声で呟き、額を押さえた。
「そんな格好してるから、見違えちゃったよ」
 ジュンは、巧みに彼女をリードしながら囁いた。
「またぁ。ストップフラッタリング、お世辞はよしなさいよ」
「そんなのじゃないさ」
 彼はそう言うと、アヤコをぐいっと抱き寄せた。
「今夜はお暇ですか?」
「イエス、オフコース」
 アヤコは微笑むと、ジュンの頬にキスした。
「じゃあ、いつもの場所で」
「オッケイ」
「くっ」
 メグミはくるっと振り向くと、駆け出した。
「メグミ!」
 カツマはそれを追いかけた。
 王宮前の広い階段で、カツマはメグミに追いついて、その手を掴んだ。
「離して!」
「おちついて、メグミ!」
「嫌い、もう……」
 メグミは振り向いて叫んだ。
「大っ嫌い!!」
 ゴウッ
「え?」
 カツマは、一瞬我が身に何が起こったのか判らなかった。そして、次の瞬間、石造りの階段に身体を打ちつけられた。
 そのまま意識が薄れていく。
「サキさん、ナツエさん!」
 ミオがナツエの部屋に飛び込んできた。そして、ドアで身を支えて荒い息をつく。
「ミオさん、どうしたの?」
 驚いて、サキが聞き返す。ミオは、呼吸を整えつつ、懸命に言葉を絞り出した。
「カツマさんが、大怪我を……」
「!!」
 ベッドに座っていたナツエが飛び起きた。ミオに駆け寄る。
「それ、どういうこと!?」
「詳しいことは、わからないんですが。私が帰ろうとしていたとき、王宮正面の大階段で騒ぎがあって……、カツマさんが大怪我をしたって……」
 それだけを聞くと、ナツエはものも言わずに飛び出していった。
 サキは、ミオの額に手を当てた。
「全能なる神に我、希う。かの者を癒す力を我に貸し賜え」
 サキの手がぼうっと光る。
 ミオは、深呼吸すると、サキに微笑みかけた。
「ありがとうございます。だいぶ楽になりました」
「よかった。それじゃ、あたし達も行きましょう!」
 彼女は立ち上がった。
 王宮正面の広い階段の中程に人だかりが出来ていた。
 ナツエはそれをかき分けるように前に出て、息を呑んだ。
 その部分の石段が、完全に壊れ、その中心に一人の青年が横たわっていた。
「カツマ!!」
 ナツエは駆け寄ると、その場に膝をついた。そして、彼の胸に耳を押し当てる。
 微かに、鼓動が聞こえた。ナツエはほっと息をついた。
「よかったぁ」
「ごめんなさい、私が……」
 後ろからメグミが声をかけるが、ナツエは無視してカツマの額に手を翳した。
「神よ……」
「ん……、ナツエ、か?」
 カツマはうっすらと目を開けた。
 その目の中に、黒髪の少女の姿が映る。
「なにが、ナツエか? よ。まったく、カツマにはあたしがついてないとやっぱりダメね」
 ナツエは腰に手を当てて言った。
 後ろで、ナツエが治療をしている間に追いついてきたサキとミオが、顔を見合わせてくすっと笑った。
 カツマは半身を起こした。
「ててっ」
「ごめんなさい、カツマくん」
 メグミが頭を下げた。
 カツマは改めて辺りを見回し、思わず口笛を吹いた。
「これ、メグミがやったのか?」
「うん。でも、どうやってやったのか自分でも判らないの……」
 メグミは、自分の身体を抱くように、その場にうずくまった。
 サキが声をかける。
「大丈夫よ。ミオさん、何か判る?」
「カツマさん、メグミさん、その場の様子を聞かせていただけませんか?」
 ミオがかがみ込みながら訊ねた。一瞬、眼鏡の奥の深緑の瞳がキラッと光った。
 本来なら王宮警備隊に厳しい詮議をされるところであったが、彼等はキサラギ家とジュウイチヤ家の名前を出すとあっさりと引っ込んだ。
 そのため、一同は神殿の食堂に場所を移して、ゆっくりと事情を聞くことが出来た。
 二人の話を聞き終わると、ミオは眼鏡の位置を直して言った。
「精霊ですね」
「せいれい?」
 皆が一斉にミオを見た。
「今の話を総合すると、どうやらメグミさんが、風の精霊の力でカツマさんを階段に叩きつけたと思われます」
「そんな……だってあたし、精霊なんて使ったことないのに……」
「精霊使いは、血で決まります。メグミさんの血の中に、精霊使いの血が流れている。その力が今日たまたま出た。そういうことかも知れません」
「あたしの中に……」
 メグミは呟いた。それからミオに訊ねた。
「ってことは、あたしも魔法使いなの?」
「はい」
 ミオは微笑んで頷いた。
「そうかぁ。あたしもジュンくんと同じ魔法使いだったんだね」
 彼女はにこっと笑った。そして、不意に黙り込む。
「メグミ?」
 ナツエがその顔を覗き込んだ。
 メグミは目に涙を溜めていた。
「ジュンくん、あたしのこと、好きじゃないんだ……」
「え?」
「だって、他にも女の子と付き合ってるし……」
「そうなの?」
 ナツエはカツマに視線を向けた。カツマは肩をすくめた。
「ああ。あいつの女癖は知ってるだろ?」
「まぁ、そうだけど……。でも……」
「あんな綺麗な人が相手じゃ、……勝ち目ないもん」
 メグミはぼそっと呟いた。
 それから数週間が過ぎた。
「カツマ、いる?」
 朝早く、騎士団の宿舎のカツマの部屋を、ナツエは訪れていた。ドアを叩くが返事がない。
「んもう、入るわよ!」
 声をかけて、彼女はドアを開けた。とたんにぷぅんと酒の匂いが鼻をつく。
「なによ、これ?」
 思わず鼻をつまんでナツエは叫んだ。
「ん? ナツエか?」
 奥の方で何やらごそごそっと動いた。
「カツマ! 一体どうしたってのよ、これは?」
「んー、昨日ジュンとちょっと飲んだんだよ」
「そゆこと」
 もう一つの声がした。ナツエは呆れ返ってため息をついた。
「ったくぅ。ほらほら二人とも起きなさい! カツマ、今朝は早朝練習があったはずでしょ?」
「そうだっけぇ?」
「そうよ。ジュンくんも、さぼってないでちゃんと魔術の練習しないと」
「ふわぁい」
 二人はまだもうろうとしつつも立ち上がった。ナツエは肩をすくめ、呟く。
「神よ、哀れな子羊達に祝福を……」
「あんだって?」
 聞き返しかけたカツマと、ついでにジュンがいきなり吹っ飛ばされた。そのまましりもちをつく。
「何なんだよ今のは?」
「発剄よ。目が覚めたでしょ?」
 ナツエはにっと笑った。そして手をパンパンと叩く。
「はいはい、二人とも顔洗ってらっしゃい!」
 顔を洗って二人が戻ってくると、ナツエは手ぬぐいを姉さんかぶりにして、部屋の掃除を鼻歌混じりにやっていた。
 思わず顔を見合わせる二人。
 ジュンはにやっと笑い、小声でカツマに囁く。
「お前、将来尻に敷かれるぜ」
「るせい」
 こっちも小声でそう返すと、カツマは声をかけた。
「あの、ナツエさん? 一つお聞きしたいんですけど」
「あ、カツマ、戻ってきたの? ちょっと待ってなさいよ。もうすぐ片づくから。よいしょっと」
 彼女は器用に転がっていた酒瓶を何本かまとめて拾い上げると、棚の上に並べた。それから振り返る。
「んで、なに?」
「どうして今日早朝練習だって知ってたんだ?」
「それくらい知ってるわよ」
 ナツエはそう言うと、ベッド脇に丸めてあったシャツを引っぱり出す。
「これは洗濯物ね?」
「ああ。あ、いいよ。自分でやるから」
「何言ってんの。この様子じゃ、どれだけ洗濯物ためてるんだか」
 彼女は肩をすくめ、不意に振り返った。
「ちょっとカツマ、早く練習に行きなさいよ!」
「へいへい」
 カツマは肩をすくめると、言った。
「じゃあ、行ってくるよ。えっと、俺の剣は……」
「はい」
 ナツエがベッド脇に立てかけてあった長剣を渡す。カツマはそれを受け取ると、そのまま出ていった。
「ふぅ」
 彼女はため息を一つつくと、ドアに寄り掛かって彼女を見ているジュンに気づいた。
「どうしたの?」
「いや、ナツエって将来、いい奥さんになるなって思ってさ」
「や、やだぁ。何言ってんのよ」
 ナツエは赤くなるとジュンを睨んだ。
「おっと。退散しますか」
 ジュンは肩をすくめ、歩き去った。
 一人残されたナツエは、ベッドに座って呟いた。
「いい奥さん、かぁ。なれたらいいんだけどね……。やだ、あたしったら何言ってるのかしら」
 彼女は自分の頭をこつんと叩くと、洗濯物をまとめ始めた。
 ジュンが街路を歩いていると、後ろの方から声が聞こえた。
「ジュンくーん!!」
「え? あ、メグミ……」
 メグミが懸命に走って来る。と、不意に敷石に躓いたのか、転んだ。
 ズデェン
「いったぁい!」
「ったく、ドジだなぁ」
 ジュンは笑いながら歩み寄ると、右手を引っ張って彼女を起こした。
「やだぁ、鼻の頭擦りむいちゃったよぉ」
「どれどれ? なんだ、大したこと無いよ」
 彼は、メグミの鼻をぺろっとなめた。
「これでよし」
「やだぁ、ジュンくんったら、こんな朝からぁ」
 メグミは真っ赤になって呟いた。
「で、どうしたんだ?」
「あのね、あの……、やっぱり、いい」
 メグミは俯いた。
「なんだよ、それは?」
「何でも、無いよ……。ごめんね」
 そう言うと、彼女は駆け出して行こうとした。その手を、ジュンが掴む。
「おい……」
 不意に風が巻き起こった。かと思うと、ジュンの身体が宙に飛ばされる。
「きゃあ! ジュンくんっ!!」
 メグミが悲鳴を上げた。
 咄嗟に彼は呪文を唱える。
『我が魔力よ、我を守る風となれ!』
 ゴウッ
 ジュンの身体を風が覆い、そして彼はすっと街路に降り立った。
「メグミ、今の……」
「ごめんなさい! さよなら」
 メグミは駆け出していった。ジュンはその後ろ姿を見送りながら、呟いた。
「今のは風の精霊……、まさか、メグミが?」
 パァン
「ふぅ、これで全部ね。それにしても、どうやったらこんなに溜められるんだか……」
 騎士団の宿舎の中庭。
 ナツエはカツマの服を全部洗濯して干し終わったところだった。
「さってと、一度神殿に帰らないとダメね。結局朝のお祈りはさぼっちゃったし」
 彼女はそう呟くと、宿舎から出た。
 王宮の敷地に隣接している騎士団の宿舎から、その隣にある神殿までは、歩いて10分程の距離である。
 ナツエは、神殿の前で立ち止まった。
 入り口の階段のところにしょんぼりと腰を下ろしている、見知った人影があったのだ。
「メグミ? メグミじゃないの?」
 彼女の声に、その人影は顔を上げた。
「ナツエちゃん……」
「どうしたの、こんな所で……」
「ナツエちゃぁぁぁーん!!」
 メグミはナツエに駆け寄ると、彼女に抱きついて泣き始めた。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、メグミ?」
「ふぇぇぇーーん」
 なだめようとして、ナツエははっと気づいた。神殿に参拝に来た善男善女たちが何事かと二人をじっと見ているのだ。
「と、とにかく、中にはいろ。ね?」
 そう言うと、ナツエはメグミを半ば抱えるようにして、神殿の中に連れ込んだ。
 ちょうど、サキは外出していた。実はちょっと手助けをあてにしていたナツエは、がっかりしながらも、メグミを自分の部屋に通した。
「散らかってるけど、その辺りに座ってくれる?」
「う、うん」
 まだ鼻をぐずぐずさせながらも、メグミは椅子にちょこんと腰を下ろした。
「ちょっと待っててね、着替えちゃうからさ」
 そう言うと、ナツエはクローゼットを開いて神官服を出した。今まで来ていたサマーセーターを無造作に脱ぎ捨てる。
 その意外に豊かな胸の谷間に光る物を見て、メグミは訊ねた。
「あれ? ナツエちゃん。そのペンダント……なぁに?」
「え? ああ、これ?」
 ナツエは水晶のペンダントを手に取った。
「これは……大事なお守りってところかなぁ。ふふっ」
「?」
 メグミは首を傾げた。ナツエはゆったりとした神官服をまとうと、メグミの正面に座った。
「で、何があったの?」
「うん……」
 途端にメグミはしょんぼりとしてしまった。
「あのね、今朝ジュンくんに逢ったんだけど……」
(そっか、カツマの所から帰る途中でばったり逢ったのね)
 ナツエは独り合点しながら先を促した。
「で?」
「う、うわぁぁぁぁん」
 突然、メグミは泣きながらナツエに抱きついてきた。
「ナツエちゃぁぁーん、また、またやっちゃったよぉぉ」
「また? もしかして、今度はジュンくんに?」
 聞き返すナツエに、メグミは泣きながらこくこくと頷いた。
「ジュンくんは怪我しなかったけど、でも……。もう逢わない方がいいよね。だって、今度逢ったときには怪我させちゃうかもしれないし……」
「メグミ……」
「あた、あたし、こんな力なんていらないのに……、普通の、普通の女の子でいたいのに……」
 メグミはしゃくりあげながら言った。ナツエは微笑んだ。
「違うよ、メグミ」
「……ナツエちゃん?」
 ナツエは、メグミの髪を撫でながら、微笑んだ。
「メグミにそういう力があるって事は、きっとメグミのためになるはずだよ」
「……」
「それにさ、問題はメグミがそういう力を持っているって事じゃないでしょ? 問題は、メグミがその力をちゃんと制御できないっていうところじゃないの?」
「ちゃんと、制御?」
「ええ」
 ナツエは大きく頷いた。そして手をポンと打った。
「そうだ! あの人に相談してみましょうよ」
「?」
 メグミは、ナツエをきょとんとして見つめた。
 その頃、早朝練習が終わり、カツマは王宮の中庭をのたのたと歩いていた。
「……眠い。ひたすら眠いぞ……。畜生、ナツエのやつ、人が寝てるところを叩き起こしやがって……」
 中庭には木が植えられ、心地よさそうな木陰を作り出していた。
 カツマはその木陰にごろりと寝ころんだ。数分後、その辺りからは規則正しい寝息が聞こえてきた。
「ヘイ、ジュン。ワットハプン、何をぼーっとしてるの?」
「え? ああ、アヤコか」
 ジュンは、開いていた魔道書を閉じた。そして訊ねた。
「アヤコは、精霊魔法に詳しいか?」
「サイレントスピリッツ、精霊魔法? うーん、ジュンとそう変わらない知識しか持ってないと思うけど」
「そっか」
「それがどうしたの?」
「……いや」
 彼は立ち上がった。そして部屋の扉に手をかける。
「あ、またさぼる気ね? 怒られちゃうわよぉ」
「今更気にしちゃいないよ」
 笑って、彼はそのまま出ていった。
 アヤコは、今まで浮かべていた微笑を消して、音もなく閉じる扉を見つめていた。
「ジュン……」
「……くしゅん」
 カツマはくしゃみをして目を覚ました。目を開けると、緋色の髪が飛び込んできた。
「うふふ。お目覚め?」
「シオリ……」
 “姫”とつけかけて、カツマは約束を思い出して口をつぐんだ。その代わりに上半身を起こす。
「よく寝てたね」
「ああ。今朝は早かったからね。ふわぁ」
 彼は生欠伸をした。それを見て、シオリは微笑んだ。
「男の子ってみんなお寝坊さんなのかな?」
「え?」
「ううん、なんでもないの」
 彼女は首を振った。それから、カツマに訊ねる。
「ねぇ、時間、空いてるかな?」
「ああ。とりあえず今日はもうやることないし」
「よかった。それじゃ、しばらくお話ししましょう」
 彼女はにこっと笑った。
「ミオさん、いる?」
 ミオは、自分を呼ぶ声に顔を上げた。
 そこは王宮内の庭園の一角にもうけられたあずまやだった。もちろん、ある程度以上の身分を持つ者でないと入ることすら許されない場所である。
 一般の世界と隔離されたような静けさのあるここは、彼女のお気に入りの場所でもあった。
 彼女は読みかけの本から目を上げ、見知った顔を見つけた。
「あら、ナツエさん、でしたね」
「よかった。お家の方に行ったら、多分ここだろうって言われたから」
 ナツエは、庭園を横切って近づいてくると、挨拶した。
「この間はお世話様」
「それはお互い様ですよ。ところで、何か御用ですか?」
「ええ。ちょっとメグミのことで」
 そう言われて、ミオはナツエの背に隠れるようにしている小柄な少女に気づいた。
 メグミは恥ずかしげにお辞儀する。
「あの、こんにちわ」
 ナツエは、ざっとあらましを説明した。
「……ってワケなの。で、ミオさんなら精霊を制御する方法を知ってるかなって思って……」
「精霊を制御する方法、ですか」
 ミオは、眼鏡の位置をつっと直し、答えた。
「精霊使いは、心で精霊を操る、と言われます」
「心?」
「ええ」
 彼女は頷いて話を続けた。
「精霊は、精霊使いの心に敏感に反応します。ですから、精霊使いはまず、徹底的に自らの感情を制御する術を学ぶ、といいます」
「感情……。いわゆる喜怒哀楽ってやつのこと?」
 ナツエは聞き返した。
「そうですね」
 ミオは相づちを打つと、メグミの方に向き直って、静かに言った。
「精霊魔法は、ジュンさんの黒魔法とも、ナツエさんの白魔法とも異なる魔法です。きっと、役に立つ時が来ますよ」
 ミオと別れ、二人は回廊を歩いていた。
 メグミがナツエに話しかける。
「ねぇ、ナツエちゃん。ミオさん、心を鍛えろって言ってたんだよね」
「そういうことになるかなぁ?」
 ミオが結構持って回った言い方をしたせいで、ナツエは実の所余りよくわからなかったのだが、そう答えるわけにもいかずに頷いてみせた。
 メグミは小首を傾げた。
「でも、どうやって鍛えればいいのかなぁ?」
「うーん。そうだ、メグミ、神官の修行してみる?」
「え……」
 メグミの顔がひきつった。
 今王都の若者100人に「今一番やりたくないことはなに?」というアンケートを採れば、多分「神官の修行」が堂々のトップを飾るだろう。それほど過酷な修行なのだ。
「あ、あの、ええーーっと。あ、そうだ。ナツエちゃん、カツマくんのことはどう思ってるの?」
 メグミは慌てて話題を逸らそうとした。
「え? カツマ? や、やっだぁ。あいつはただの幼なじみよ」
 ナツエは笑いながら答えた。
「えー? そうかなぁ。あ、カツマくん!」
「何言ってるのよ。その手は食わないわよ」
「ううん、ちがうよ。ほら、あそこ!」
 メグミは、回廊から見える中庭の方を指した。
「え?」
 彼女の指す方を見ると、確かにカツマが木にもたれて何か笑いながら話をしている。
「あんにゃろ、こんな所で何をしてるんだか」
 ナツエは唸ると、そのまま彼に向かって歩み寄ろうとした。
「ナツエちゃん!」
 メグミがその袖を引っ張った。
「なによ、メグミ?」
「ほら、カツマくんこっちに来るよ。隠れなきゃ」
「なんであたしが隠れなきゃならないのよ」
「いいからいいからぁ」
 メグミはそのままナツエを柱の影に引っぱり込んだ。なおも何か言おうとするナツエにピシッと指を突きつける。
「ナツエちゃん。こういうときは、柱の影から見つからないように見守らないといけないんだよ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
 そう言って、メグミはカツマの方を見て、目を丸くした。
「嘘……。ねぇ、ナツエちゃん、カツマくんと話してる人……」
 カツマは笑いながらこっちに歩いてくる。そして、そのすぐ後ろで同じように楽しそうに笑っている少女は……。
「シオリ姫? どうして……?」
 ナツエは呟いた。
 二人は、ナツエ達が隠れていることには気づかず、その柱のすぐ側を通った。
 カツマの声が聞こえてくる。
「だから、あいつはただの幼なじみだってば。恋人とか、そんなもんじゃないって」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、私、カツマくんの恋人に立候補しちゃおうかな?」
「莫迦言ってんじゃないよ」
 そう言って、二人は顔を見合わせて笑った。そのまま奥の方に歩いていく。
「……ナツエちゃん、カツマくん、シオリ姫と随分親しそうだったね……。ナツエちゃん?」
 ナツエは、柱に背中を預けて呟いた。
「そうよね。カツマは……あたしの恋人でも何でもない、ただの幼なじみだものね」
 その頬を、つぅっと光るものが流れ落ちた。
「……ナツエちゃん……」
「っ!!」
 彼女は背を向けて走り出した。慌ててメグミはその後を追いかけた。
「ちょっと、待ってよ! ナツエちゃん!!」
「え?」
 カツマは振り向いた。シオリが訊ねる。
「どうかしたの? カツマくん」
「……いや、空耳みたいだ」
 カツマはシオリの方に向き直った。そして呟く。
「そうだよな。あいつがこんな所にいるはずないもんなぁ」
「あいつって?」
 シオリが耳ざとくそれを聞きつけて訊ねた。カツマは首を振った。
「なんでもないよ。それより、渡したいものって?」
「うん。ちょっとしたお守りなんだけどね。私が持っているよりも、カツマくんみたいに危険にあう人が持っている方がいいと思って」
 彼女はにこっと笑った。
「ちょっと、ここで待っててね」
 シオリはカツマにそう言うと、部屋の中に駆け込んでいった。そしてしばらくして戻ってきた。
「お待たせ。ちょっと、探すのに手間取っちゃって。はい」
 彼女は小さな箱をカツマに手渡した。促されてカツマが開けてみると、中には小さなアミュレットが入っていた。
「これが、そのお守り?」
「うん、そうよ。お父さ……、フジサキさんが昔私にくれたの」
「いいのかい? そんな大事なものを」
「うん。私が持ってると、思い出しちゃうもの」
 彼女は一瞬、目を伏せた。
「……あの頃のことを」
「シオリ姫……」
「本当は、……くんに渡すつもりだったんだけど」
 微かに、本当に微かにシオリは呟いた。
「え?」
「ううん、なんでもないの」
 彼女は頭を軽く振ると、にこっと微笑んだ。
 カツマにはその微笑みがとても寂しげなものに感じられた。
 それから数日後、神殿の中庭。
「♪出会えてよかった〜   今 あなた〜に〜」
 気分良さそうに歌いながら、サキが洗濯物を干していると、後ろから声がかけられた。
「あ、サキ」
「え? ああ、カツマくんじゃない。どうしたの?」
「いや」
 カツマはちょっとためらってから、彼女に訊ねた。
「ナツエ、いる?」
「ナツエさん? いるけど……」
 そう言うと、彼女は洗濯かごを下げてカツマの方に歩み寄ってきた。
「ねぇ、カツマくん。ナツエさんと何かあったの?」
「どうして?」
「だって……、ここ何日か、ナツエさんちょっと変なのよ」
 サキは俯き加減になって爪を噛んだ。
「変? ナツエが?」
「うん。なんだかぼうっとしちゃって。昨日も聖水と葡萄酒間違えて怒られてたし……」
「いや、俺には心当たり無いけどなぁ」
「そう? それならいいんだけど……。あ、ごめんね、変な話しちゃって。ちょっと待っててね。呼んでくるから」
 サキはそう言い残して、かごを下げたまま走って行った。
 その後ろ姿を見送りながら、カツマは壁にもたれ掛かった。
(確かに、なんかおかしいんだ。今まで毎日のように起こしに来てたくせに、ここ何日か全然来ないし……。あれ? でも俺、どうしてそんなことが気になってんだろう?)
「カツマが?」
 自室でぼうっと頬杖をついていたナツエは、サキの言葉を聞いてがばっと立ち上がった。
 そのままずだだっとサキの所に駆け寄る。
「いるって言っちゃったの?」
「う、うん」
 思わず後ろにさがりながら答えるサキ。
 ナツエは、ふっと溜息をついて、ベッドに腰掛けた。
「逢いたくないって、伝えて」
「ナツエさん?」
 サキはナツエを見つめ、こくんと頷いた。
「わかったわ」
 中庭に戻ったサキは、カツマにナツエの言葉を伝えた。
 カツマは、むっとした。
「なんだよ、それは。人が心配して来てやったのに」
「カツマくん……」
「あ、ごめん。サキに当たってもしょうがないよな」
「……ううん」
 サキは首を振ると、カツマに訊ねた。
「カツマくん、何か心当たりはないの?」
「……いや、別に……」
 カツマは首を振った。そしてもたれていた壁から身を起こした。
「じゃ、今日は俺帰るわ」
「ごめんね、せっかくこんな所まで来てもらったのに」
「いいって。それじゃ」
 カツマは背を向けて帰っていった。
 メグミは、ジュウイチヤ家、つまり自分の家の庭にいた。
 目を閉じ、一見ぼうっと立ったまま眠っているようにも見える。呼吸も深呼吸してるように深い。
 そのメグミの後ろには、ミオがいた。折り畳みの椅子を広げて座っているところを見ると、かなり長い時間そこにいることが判る。
 ミオは静かに訊ねた。
「メグミさん、感じられますか? 風の息吹を」
「……うん、感じる」
 メグミは微かに頷いた。
「海からの風、山からの風、いろんな所から、ここにやってきた旅人達……」
 譫言とも取られかねない言葉がメグミの口をついて流れる。
 ミオは満足げに頷いた。
 結局、メグミはミオに精霊使いとして鍛えて欲しいと頼んだのだった。勿論、ミオは魔法使いでも何でもないが、幸い英雄伝が好きな彼女は、その手の本を読み漁っていた。最初は断っていたミオだったが、とうとうメグミの熱意にほだされて、指導を買ってでたのだ。
 そして、特訓が始まって数日。ミオの指導がいいのか、メグミの素質がいいのか、メグミの技量はぐんぐんと上がっていったのだ。
 ミオは、メグミを見て、心の中で呟いた。
(そろそろ、いいでしょうか……)
「メグミさん」
 ミオは呼びかけた。
「風の精霊に呼びかけてみて下さい」
「……風の精霊さん」
 メグミは、そっと呼びかけた。
 そのとき、不意にメグミの耳に、風の音が流れ込んできた。しかし、その音には『声』が感じられた。
『俺を呼んだかい』
「!?」
 思わず、メグミは目を見開いた。
「ミオさん、今、今、風が……」
「風の声が聞こえましたか?」
 ミオは微笑した。メグミは目を丸くしたまま頷いた。
「うん」
「そうですか。では、続けて下さい。風の精霊とお友達になるんです」
「う、うん」
 メグミは再び目を閉じると、呼びかけた。
「風の精霊さん……」
「精霊は、世界を構成する要素であり、自然に存在する総てのものに精霊は宿っている。それらの精霊を自在に操る者、それが精霊使いである……かぁ」
 ジュンは本から目を上げた。そして、半開きになったドアにアヤコがもたれているのに気づいた。
「おや? アヤコ、何時からそこにいるんだ?」
「アフィルタイム。少し前よ」
 アヤコは嘘をついた。彼女がそこに来てから、すでに数時間が過ぎていた。
「ジュン、最近頑張ってるね」
「そうか? ふわぁーっ」
 ジュンは大きく伸びをして身体をほぐした。肩がすっかり凝っているのに初めて気づく。
「で、どうしたんだ?」
「あたしね、修行の旅に出ることになったの」
 アヤコは向き直った。
 黒魔術を極めようとする者は、必ず一度は修行の旅に出なくてはならない。言い換えれば、修行の旅に出ることを許された者は、それなりのレベルに達していると言える。
「おめでとう、アヤコ。これで君も一人前だね」
「ワッツセイ、何言ってるんだかぁ。ジュン、あなたも旅に出るのよ」
「俺も?」
 思わずジュンは自分を指した。
 アヤコは頷いた。
「イエス・オフコース。でね、あのね……」
 彼女にしては、珍しくもじもじしている。ジュンはにっと笑った。
「俺に、一緒に旅に出て欲しいって?」
「そ、そうよ。旅は道連れ世は情け、枯れ木も山の賑わいかなって言うじゃない」
 アヤコは頬を染め、早口になって言った。
 ジュンは肩をすくめた。
「オーケイ、いいぜ」
「リアリー、本当?」
 彼女の顔に笑みが広がった。ジュンは頷く。
「ああ。アヤコと一緒だと、俺も何かと心強いしな」
「サンクス、ありがとう! 大好きよ!」
 アヤコはジュンの首に手を巻き付けると、唇を重ねた。そしてくるっと身を翻し、部屋を出て行きざまに言う。
「出発は1週間後よ。ちゃんと用意しておいてね」
「わかってるって」
 ジュンが答えると、アヤコはにこにこしながら歩き去っていった。
 彼は、広げたままの本に目を落とした。
「……1週間後、か」
「1週間後?」
「そうよ」
 王宮の中庭で、シオリ姫は満面の笑みをたたえてカツマに言った。
「私の誕生日っていうことで、王様が小さなパーティーを催して下さるんですって。カツマくんも来てくれないかな?」
「でも、俺なんかが行っても……」
「ダメ?」
 シオリはちょっと切なげな表情をして見せた。もっとも、計算してやったわけでもないのだが。
 しかし、その表情を見て断れる男はおよそいないだろう。カツマは慌てて答えた。
「い、いや、行かせてもらうよ」
「よかった」
 彼女はにっこりと微笑んだ。
 二人は、その会話をこっそりと聞いている人影に気づかなかった。
「これは、チャンスだな」
 そう呟きを残し、その人影はふっと消えた。
 それから数日がたった。
 メグミは、精霊使いとしての腕をさらに上げていた。そしてこの日、ミオに言われて、初めて術を使おうとしていた。
 精霊使いの術とは、すなわち精霊の協力を得ること。レベルが上がっていけば、精霊を無理矢理にでも従わせて働かせることもできるが、最初は精霊にお願いして仕事をしてもらうことになる。
 メグミは静かに言った。
「風の精霊さん、お願いがあるの。遠くの言葉を私の所に届けてちょうだい」
『いいよ。それくらい、おやすい御用さ』
 数日の間でずいぶん親しくなった風の精霊が答えると同時に、ずっと離れた所にある筈の商店街のざわめきがメグミの耳に聞こえてきた。
 メグミは思わず、後ろのミオを振り返った。
「ミオちゃん! 聞こえたよ! 商店街の音が!!」
「そうですか。良かったですね」
 ミオはにっこりと微笑んだ。
 メグミは気をよくして言った。
「じゃあね、風の精霊さん、今度は倉庫街の音をお願いね」
 ミオは内心、舌を巻いていた。
(これだけの早さで術を修得できるなんて。メグミさんってもしかしたら何万人に一人という素質の持ち主なのかも知れませんね)
 と、不意にメグミが顔色を変えた。
 ミオが驚いて訊ねる。
「どうかしましたか?」
「ちょっと待って」
 ミオは耳を澄ませた。彼女の耳に声が聞こえてくる。
「それは確かか?」
「間違いないぜ。そのパーティーにはお忍びでシオリ姫も来る」
「しかも、いつもは付いて回る親衛隊も、その日はいない、か。絶好の暗殺のチャンスだな」
「ああ。我らがシンタ王弟殿下の復権のときだな」
「しっ、その名を口に出すな」
「しかし、騎士が一人来るって言ってたぜ」
「なぁに、騎士って言っても、こないだ叙勲されたばっかりのひよっこだぜ。こっちは剣士が5人に魔術師もいる」
「その騎士って、なんでも、シオリ姫の恋人って噂の奴だろ? そいつも消せれば一石二鳥だな」
「うまくすれば、身分違いの恋の果てって演出もできそうだな」
「なんだよ、それは」
「バッカだなぁ。かなわぬ恋心に身を焼いたその騎士が、思いあまって『この世で良い遂げられないなら、いっそあの世で』と姫を惨殺し、自分も死んだ。どうだ? なかなかのシナリオだろう?」
「はっはっはっは。そりゃいいや」
「……ちょっと待て! 風の様子が変だぞ」
「聞かれたのか!?」
 メグミは慌てて叫んだ。
「風の精霊さん、もういいよ!」
 音がぱたりと消えた。メグミは青い顔で立ち尽くしていた。
「メグミさん?」
「ミオちゃん、どうしよう。大変なこと聞いちゃったよぉ」
 メグミは、駆け寄ってきたミオに呟いた。
「……王弟派の残党、ですか」
 場所を念のためにメグミの私室に移して、話を聞いたミオは額に指を当てて呟いた。
「困りましたね」
「ねぇ、その騎士ってカツマくんのことでしょう? 何とかしないと。どうしよう!?」
「すぐに騎士団に通報して、警戒を厳重にしてもらうべきなんでしょうけど……、信じてもらえるかどうか」
「え? どうして?」
 ミオは説明した。
「精霊魔法というものは、知名度が低くてほとんど知られていません。メグミさんが王宮で精霊魔法を使ったのに何のおとがめもなかったのは、そのためもあるんですよ。黒魔法ならあっという間にキラメキ魔術師団に捕まってしまってたと思います」
 キラメキ王国の影の戦闘兵団と言われる名前を聞いて、思わずメグミは生唾を呑んだ。
 ミオは言葉を続けた。
「その精霊魔法で知ったと言っても信用されないと思います。それと、政治的な問題もありますし」
 政治的、と聞いて、メグミは追求をあっさりと断念した。
 ミオの言いたいことはこうである。
 王弟派は、内乱の終結を宣言した時点で壊滅していなくてはならないのだ。それが今王女の暗殺を企てていたということが公になるのは、下手をすると騎士団や王室の威信にも関わる。
 その威信を守るために、「秘密を知った者は消せ」的な論理がまかり通る危険をミオは考えたのだ。たとえ王族といえども、この大前提の前に暗殺された事例を彼女は数多く知っていたから。
 メグミは焦ったようにミオに聞いた。
「じゃ、じゃあ、どうすればいいのぉ?」
「それに、もう一つ問題が」
 ミオは言った。
「え?」
「あなた、ですよ。メグミさん」
「あたしぃ?」
 メグミは思わず自分を指した。ミオは頷いた。
「最後の話だと、相手はこちらが聞いていたことに気が付いた、と言ってましたね」
「……うん」
「つまり、相手も精霊使いのことを知っている。ということは、とりもなおさず、メグミさんがその精霊を操っていたことも知ってる可能性があるという事です」
「え? え?」
「つまりですね、メグミさんが話を聞いてしまったことを向こうも知っているかも知れない。とすれば、メグミさん、あなたも危ないということです」
 ミオはぴしっとメグミの胸を指した。
 彼女は真っ青になった。
「ミ、ミオちゃん、どうしよう」
「とりあえず、この屋敷から出ないことですね。名門ジュウイチヤ家の屋敷で騒ぎを起こすなんて事は向こうも避けたいはずですし。少なくとも、王女の暗殺を狙うなら、それまでは、警備が厳重になるような派手な動きはしないでしょうし」
 そう言うと、ミオはもう一度聞き返した。
「で、メグミさん。相手は5人の剣士と魔術師、そう言ったんですね?」
「うん。間違いないよ」
 メグミは頷いた。ミオは立ち上がった。
「私、今日は帰ります」
「ええ? 一緒にいてくれないのぉ?」
「すみません。でも、向こうも今は私がここにいることを知らないはずです。私がずっとここに残っていると、私も自由に動けなくなってしまいますから」
 彼女はにこっと微笑んだ。
「クィーンは、動かせるうちに最大の効果を発揮させないといけませんから」
 ミオが王都キラメキのチェス大会で最年少チャンピオンに輝いていたのをメグミが思いだしたのは、彼女がジュウイチヤ邸を辞した後だった。
「……しかし、困りましたね」
 キサラギ邸の自室に戻ったミオは考え込んだ。情報が足りないのだ。
 ちなみに、この時期まだ彼女は自分の家に住んでいた。彼女が大神官シナモン・マクシスに師事して大神殿で暮らすようになるのは1年ほど後のことになる。
 閑話休題。
 彼女は少し考え、机に向かうとペンを取った。ペン先をインクに浸し、羊皮紙にさらさらっと走らせる。
 最後に署名をし、インクが乾くのを待ってから封筒に入れると、ミオは召使いを呼んだ。そしてその召使いに言う。
「これを、盗賊ギルドのヨシオ・サオトメさんに。それから、キラメキ騎士団のリュウ・フジサキさんの所在を確認したいのですが」
「かしこまりました」
 召使いは恭しく封筒を受け取ると、一礼して退出した。
「ふぅ」
 夕日の射す街路を、ナツエは袋を下げて歩いていた。神殿の使いで下町に行った帰りである。
「まったく、嫌な夕陽よねぇ」
 直接目に飛び込んでくる赤い夕陽を避けようと、目の前に手を翳して、ナツエは立ち止まった。
 神殿の前に、見慣れた人影があったのだ。
「……カツマ」
「ナツエ、待ってたぜ」
 カツマは歩み寄ってきた。
「ナツエ、最近おかしいぜ。どうしたんだよ」
 ナツエはそのままそっぽを向いた。
「どうもしやしないわよ」
「それが、どうもしやしない奴の態度かよ!」
 カツマはナツエの腕を掴んだ。
「ちょっと、離してよ!」
「何が気に入らないってんだよ」
 カツマは聞き返した。
「何でもないわよ!」
「いい加減にしろよ!」
 カツマは大声を出した。
 ナツエは初めて顔を上げた。その瞳に涙が溜まっているのを見て、カツマはたじろいだ。
「ナツエ、お前……」
「カツマには、シオリ姫がいるじゃないの! あたしよりも、シオリ姫の所に行けばいいでしょう!!」
 ナツエは叫ぶと、カツマの手を強引にもぎ離して、神殿の中に駆け込んでいった。
 カツマは呆然と、それを見送った。
「ナツエ……」
「よ」
 酒場で飲んでいたジュンの肩がポンと叩かれた。ジュンは振り向いた。
「なんだ、ヨシオか」
「しばらくだったな」
 盗賊ギルドのギルドマスターの息子は、ジュンの隣に座った。そして低い声で言う。
「メグミちゃん、厄介ごとに巻き込まれちまったぜ」
「なんだって?」
 ジュンは聞き返した。
 ヨシオはミオから受け取った手紙のことを詳しく話して聞かせた。
「……ってわけだな」
「マジかよ」
 頭を抱えるジュン。その彼にヨシオは言った。
「そう言えば、お前旅に出るんだって?」
「相変わらず情報が早いな。何処から仕入れたんだ?」
「アヤコちゃんが、サキちゃんに別れを告げに神殿に行ったんだよ。そこで、お前と一緒に行くんだって話をしてたらしいぜ」
 ジュンは黙って肩をすくめた。
「3日後だ」
「ほうほう。チェックだチェック」
 素早くメモ帳を出してメモするヨシオ。
 ジュンは訊ねた。
「で、メグミを狙ってる連中のことは判ったのか?」
「気になるか?」
 にっと笑うヨシオ。ジュンは黙って右手をヨシオに向け、何事か呟く。
 その手のひらに光が集まり始めるのを見て、ヨシオは慌てて答えた。
「まだハッキリしねえんだ。向こうもプロだしな。ハッキリするのは、多分時間的にギリギリになってから。つまり、向こうが多少尻尾を見せても大丈夫って判断してからだぜ」
「そうか」
 ジュンはグラスを煽った。
 コンコン
 ノックの音がして、ミオは読んでいた本から顔を上げた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
 召使いが顔を出すと、彼女に言った。
「お手紙は、確かにヨシオ・サオトメ様にお渡しいたしました。それとフジサキ殿でございますが、現在陛下の特命で、キラメキ騎士団従軍僧カジ・フライド殿と共に王都を離れております。何でも、東の辺境の地に反乱討伐に赴いているとか」
「そうですか……」
 ミオは少し考え込み、召使いに礼を言った。
「御苦労さまでした。少し考え事をしたいので……」
「わかりました。それでは失礼いたします」
 召使いは一礼して、静かにドアを閉めた。
 ジュンにヨシオは訊ねた。
「で、聞きたいんだけど……」
「あーっ! お兄ちゃん、こんな所にいるしぃ!!」
 突然酒場中に声が響きわたった。ヨシオは振り向いてぎょっとした。
「ユミ!?」
「おにーちゃん、ユミと組み手の練習してくれるって言ってたじゃないのぉ」
 オレンジがかった栗色のポニーテイルを揺らしながら、少女が駆け寄ってきた。言わずと知れたヨシオの妹のユミである。
「よ、ユミちゃん」
 ジュンが軽く手を挙げて挨拶した。
「あ、ジュンさんもいたんですね。こんにちわ」
 ユミはぺこんとお辞儀すると、逃げだそうとしたヨシオの肩をガシィッと掴んだ。
「じゃ、お兄ちゃん、行こっ!」
「ちょ、ちょっと待て! 俺は今ジュンと話を……」
「あ、俺の方はもう終わったから、そいつはユミちゃんにやるよ」
 ジュンはにやっと笑って言った。ユミが喜色満面といった感じで頷く。
「うん。もらうねー」
「勝手に決めるなぁぁっ!」
 ヨシオの悲痛な叫びが、酒場中に響きわたったが、彼を救おうという奇特な者は誰もいなかった。
「そぉれ、スリーパーホールドだぁ!」
「ぎょぇぇぇぇ」
 合掌。
 それから、表面的には何事もなく数日が過ぎていった。
 そして、いよいよパーティーの当日がやってきた。
 大神殿の入り口では、今日旅立つアヤコとサキが別れを惜しんでいた。
「元気でね、アヤちゃん」
「サキもね。あなたは人のことばっかり考えてるんだから、たまには自分のことも考えた方がいいわよ」
「……うん」
 サキは涙を袖で拭くと、にこっと笑った。
「アヤちゃんも、根性で頑張ってね。あたし、応援してるから」
「サンキュー、サキ」
 アヤコはサキを抱きしめた。
 と、
「すいません」
「え? あら、ミオさん」
 ここまで走りづめだったらしく、ミオははぁはぁと息を弾ませていたが、多少呼吸を整えるとサキに訊ねた。
「ナツエさんは?」
「部屋にいると思うけど……」
「どうも」
 そう言うと、ミオはそのまま神殿の中に駆け込んでいった。
「?」
 二人は顔を見合わせた。
 その頃、ジュウイチヤ邸。
 ミオに言われたとおり、ずっと家の中で大人しくしていたメグミの部屋に、召使いがやってきた。ドア越しに言う。
「メグミ様、お客様ですが」
「御免なさい。帰っていただいて……」
「ジュン・エビスタニ様とおっしゃっておりますが」
「ジュンくん!?」
 本当は、ここで妙に思わなければならなかったのかも知れない。父親がハッキリと交際を禁じた相手を召使いが取り次ごうとしたことに。
 それに、注意深く観察すれば、その召使いが何処となくうつろな雰囲気を漂わせていることにも気づいたかも知れない。
 しかし、ジュンの名前を聞いてすっかり舞い上がってしまったメグミにそれを要求するのは酷だった。
 メグミは勢いよくドアを開けて、召使いに訊ねた。
「ね、ジュンくんはどこにいるの?」
「はい。裏門の所でお待ちになっておられます」
「裏門ね!」
 メグミはそのまま駆け出していった。彼女が廊下を曲がって、召使いの視界から消えたとき、不意にその召使いは我に返って辺りを見回した。
「あら? あたし、こんな所で何をしてるのかしら?」
 メグミは勢いよく裏門を飛び出した。
「ジュンくん、ジュンくん、どこ? どこにいるの!?」
『眠りをもたらす安らかな雲よ』
 不意に、メグミの膝がかくんと折れ、彼女はその場に倒れ伏した。
「ちょろいものだな」
「これで、人質が出来たな。軍資金の資金源は多いにこしたことはないしな」
 物陰から数人の男達が現れると、囁きかわし、ぐったりとしたメグミを担ぎ上げると足早にその場から立ち去った。
「行かないわ」
 ナツエはきっぱり言った。
 ミオは、彼女にしては珍しく、厳しい顔をしていた。
「どうしても、ですか?」
「……」
 ナツエは無言で頷いた。
「判りました。一応、私からはお伝えしましたから」
 そう言うと、ミオは出て行きかけ、最後に一度振り向いた。
「ナツエさん、自分の心を偽っているようでは、神の教えを説く資格なんか、ありませんよ」
 彼女はそっとドアを閉めた。足音が遠ざかって行く。
 ナツエは、ベッドに座り、両膝に顔を埋めた。
 その唇から呟きが漏れる。
「カツマなんて……どうにでもなっちゃえばいいのよ……。カツマなんて……」
 夜になって、パーティーが始まった。小さなパーティーとシオリが言ったとおり、中庭に面した小さなホールには、貴族の娘や息子とおぼしき青年淑女達が十数人いるだけだった。
 騎士の第一級礼装を着込み、壁際に立っていたカツマの所に、彼等の挨拶を一通りこなしたシオリ姫が歩み寄ってくる。
「カツマくん、楽しくないの?」
「え? いや、そんなことないよ」
「そうは見えないけどな」
 シオリはそう呟くと、カツマを見つめた。そして小声で呟く。
「コウくんも、騎士になったらこんな感じなのかな?」
「え?」
「ううん、なんでもないの。ねぇ、踊らない?」
「お、俺?」
 思わず自分を指すカツマ。シオリは頷いた。
「で、でも、俺、踊りは……」
「大丈夫よ、きっと」
 そう言うと、シオリはスカートを摘んで優雅に一礼した。
「よろしくね」
「あ、ああ」
 カツマは仕方なく頷いた。
 ジュンは、自分の荷物を担いで、街の北門に向かっていた。
「おーい、ジュン!!」
「え?」
 彼は振り返った。
 ヨシオが走ってくると、彼の肩を掴んだ。そのまま息を整える。
「どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「メ、メグミちゃんが……」
 ヨシオは顔を上げ、言った。
「メグミちゃんが誘拐された!」
「なんだって!?」
 ジュンは叫んだ。ヨシオの肩を掴み返す。
「どうして!? いや、そんなことより、今どこに?」
「わからねぇ。奴等、魔法を使って誘拐したみたいだ。手際もいいし、間違いなく例の連中だぜ」
「なんてこった」
 ジュンは両手をパンと打ち合わせた。と、不意に顔を上げた。
「どうした?」
「今、メグミの声がしたんだ」
 ヨシオも顔を上げた。
 よそ風が吹き、二人の髪を揺らす。その風に混じってかすかに、しかしはっきりと声が聞こえた。
「ジュンくん、助けて……」
「!?」
 二人は顔を見合わせた。
「確かに聞こえたな」
「風の精霊だ」
 ジュンは呟き、そして虚空に視線をさまよわせた。
「どこだ、メグミ……」
 ガシャン
 何かが割れる音がした。その音に、カツマとシオリが視線を向けた。
 窓ガラスを割って、数人の黒い鎧に覆面姿の男達が飛び込んでくる。
「きゃぁーっ!!」
 悲鳴が上がり、ホールにいた青年淑女達が慌てて出口に殺到していく。
 その男達は、彼等には拘泥せず、真っ直ぐにシオリ姫めがけて駆け寄っていく。その手には、抜き身の剣が妖しい光を放っている。
「何者だ!?」
 とっさにカツマはシオリを背後にかばいながら腰に手をやり、はっとする。
「しまった、剣は……」
 礼装のために、剣は身につけていなかったのだ。
「死ねっ!!」
 先頭の男が、カツマの頭めがけて、剣を振り下ろした。
「くっ!」
「カツマ!!」
 ゴウン
 鈍い音がした。カツマは目を開け、正面の男が倒れているのに気づいた。
 その鎧の腹の部分が、丸く陥没している。
「カツマ、大丈夫!?」
 その声に、カツマは振り向いた。
「ナツエか!?」
 ホールの入り口に、ナツエが立っていた。こちらに手のひらを向けている。
 手から衝撃波を放つ、いわゆる発剄は、僧侶の中でも格闘術に優れた、いわゆる僧兵の得意技である。マスターレベルになると、その衝撃波は岩をも砕くという。
 ナツエの腕はそこまではいかないものの、当座の敵の戦闘力を奪うには十分だった。
「カツマ、これ!!」
 次いで、ナツエは鞘に納まった剣をカツマに投げた。
 カツマはそれを受け取ると、鞘を払った。
「よし、来いっ!!」
「笑わせるな、小僧!!」
「覇翔斬!」
 うちかかった一人が、そのまま倒れた。鋼鉄の鎧が見事な切れ口を見せて裂けている。
 カツマの剣技である。彼とて、だてにキラメキ騎士団の騎士を名乗っているわけではない。
「おのれぇ!!」
 残る男達はカツマを囲むように剣を構えた。
 と、
 ゴウッ
 突然、炎が幾つも飛んできた。そのまま部屋のあちこちに突き刺さる。
 一瞬にして部屋の中は炎に包まれた。
「魔法使いもいるのか!?」
「きゃぁっ!」
 シオリが悲鳴を上げた。
「姫、俺の後ろへ!」
 とっさにかばうカツマ。
 それを見るナツエの瞳に、複雑な想いが揺れた。
(カツマ、あんたやっぱり……)
『精霊の息吹よ、我に道を指し示せ』
 ジュンは呪文を唱えた。本来は目に見えない風の精霊を視覚で捉える特殊呪文だ。
 彼の視界に、風の精霊の姿が映し出される。
 それらの精霊は、同じ方角から流れてくる。
「倉庫街の方か」
 ジュンは呟くと、走りだそうとした。その袖を、ヨシオが掴む。
「なんだよ、ヨシオ」
「アヤコちゃんはどうするんだ?」
「!?」
 ジュンは立ち止まった。そして、少し考え、言った。
「……ヨシオ、頼まれてくれるか?」
「わかったよ」
 二人は、左右に別れて走り出した。
「いいざまだな」
 黒衣の魔術師がせせら笑った。
「畜生!」
 カツマは目で魔術師との距離を測るが、遠すぎる。それに、魔術師に打ちかかっている間に、男達がシオリ姫に危害を加えてしまうだろう。
「まずは目障りな男からだ」
「!」
 ナツエがその言葉に顔を上げた。
「死ね!」
 魔術師が雷を放つ。
「カツマ!」
 ナツエが、魔術師とカツマの間に飛び込んだのはその瞬間だった。
 カツマは叫んでいた。
「ナツエ!!」
 雷はナツエの身体に絡み付いた。そして、ナツエの首に掛かっていたペンダントの紐が、ちぎれて飛んだ。
 カツーン
 ペンダントが床に落ちる音が、響いた。
「……ここだな」
 ジュンは大きな倉庫を見上げ、呟いた。そして呪文を唱え始める。
『我が魔力、魔界と繋がりし扉を形作り、我が友をこの現世に招き入れん』
 彼の言葉と共に動く指が、空中に五芒星を形作る。その軌跡が妖しく光った。
『出でよ、魔界の者達よ!!』
 その言葉と共に、五芒星から異形の者達が吐き出される。
 ジュンはにやりと笑うと、言った。
「行け!」
 異形の者達は、そのまま倉庫に突っ込んでいった。
 金で雇われ、見張りをしていたごろつき達が半狂乱になって飛び出してきたのは、それから3分もたたないうちだった。
 彼等は、ジュンに気付いて、ぎょっとして立ち止まる。
 ジュンは笑みを浮かべた。いつもの女の子を相手にしているときの笑みではなく、見る者をぞくっとさせる笑みだった。
「お前らに恨みはないんだけどな。だけどよ、メグミを怖い目に遭わせた償いはしてもらうぜ」
 カツマはナツエに駆け寄った。
「なんでこんな莫迦なことをしたんだよ!」
「なんで、かしらね。あたしにも、判らないわ」
 ナツエは激痛に耐えながら、笑顔をつくった。
「カツマ……」
「見せつけてくれるな」
 魔術師がせせら笑った。
「シオリ姫の恋人には、別の愛人がいたってか」
「黙れ!!」
 カツマが叫んだ。一瞬、魔術師がひるむ。
 彼は立ち上がった。その背後に、赤いオーラがたちのぼるのを、シオリは感じとった。
 それは、怒りのオーラ。
「カツマ……くん、そんなに……ナツエさんのことを」
「ダ、ダメ……、カツマ」
 ナツエがうめき声を上げる。
「ま、まさか、貴様……」
 魔術師は後ずさった。その口から呟きが漏れる。
「狂戦士(バーサーカー)なのか?」
「がぁぁっ!!」
 叫びを上げて、カツマは突進した。その瞳が真紅に染まっているのを見て、魔術師は恐怖した。
「なっ!」
 呪文を唱える暇もなく、彼の首が宙に飛んだ。
 残った騎士達が慌てて剣を構える。しかし、カツマは躊躇いなど微塵も見せずに彼等の中に突っ込んでいく。
 シオリは、そのカツマを見て、言い伝えを思い出していた。
 狂戦士の言い伝え。総ての生けとし生きるものを破壊し尽くし、最後は自らをも破壊するという地獄の使者。その対象は敵味方を問わない。
 ある記録では、千人を越える人口の街が、たった一人の狂戦士に破壊し尽くされたこともあるという。
 みるみるうちに、残る騎士達がなで切りにされ、次々と倒れる。その攻撃は、流麗な騎士というよりも、あたかも密林で奮闘する樵のようだった。
 最後の一人を鎧ごと叩き切った瞬間、カツマの剣が酷使に耐えかねたか折れ飛んだ。その破片が自分の腕を傷つけるが、それには頓着せずに、彼は真紅に染まったままの瞳で屋の中を見回す。
 その目が、シオリ姫を捉えた。
「カ、カツマくん……」
「がぁぁぁぁっ!!」
 カツマは咆哮し、シオリ姫に向かって突っ込んでいった!
 呆然とする無防備なシオリ姫に向かってカツマは突っ込んでいった。その手に剣はないが、知性の制御を離れた肉体は、それ自体が凶器と化していた。
「ダメ、カツマ!!」
 ナツエがよろよろと立ち上がり、両手を広げてシオリ姫の前に立ちふさがる。
 カツマはそのままナツエに体当たりした。あっけなく床に倒れた彼女の喉に、手をかける。
 ナツエは、首を絞められてるとは思えないほど安らかな表情で、囁いた。
「あんたは……昔っからそうだったよね。すぐに見境無くして……あたしはいつも、その後始末ばっかり、してたよね……」
「がぁぁっ!」
 さらに咆哮し、手に力を加えるカツマ。
 ナツエの顔色が、土気色に変わってゆく。
 その黒い瞳から、涙が一筋こぼれ落ち、床に落ちていた水晶に当たって弾けた。
「カツマ、……ごめんね」
 床に落ちた水晶から、柔らかな光が溢れ出す。
 それに呼応するように、カツマの服の胸の一点がぼうっと光った。
「……ナ……ツエ……か?」
 カツマの手の力が緩み、彼の唇から、微かな呟きが漏れる。
 次の瞬間、彼は頭を押さえて仰け反った。破壊の衝動が、再び彼を支配せんと荒れ狂う。
 カツマは叫びを上げた。
「やめろぉぉっ!!」
「カツマ!」
 解放されたナツエは咳込みながらもそのカツマの額に手を当てた。
 唇から、祈りの言葉が漏れる。
「神よ、猛き心に安らぎを、与えたまえ」
 みるみる、カツマの目から狂気の赤が薄れていく。そして、彼はがっくりとナツエの上に突っ伏した。
 ナツエはほっと息を付き、カツマの頭を叩いた。
「こら、カツマ! 何時まで寝てるのよ!」
「え? ……あれ? ナツエ、どうして?」
「さっさとあたしの上から退きなさいよ!!」
 その二人のやり取りを聞きながら、シオリは複雑な表情を浮かべていた。
 その時になって、やっと兵士達が部屋に駆け込んできた。
 バタン
 ごろつき達に火炎球をお見舞いして始末してから、ジュンは倉庫のドアを開けた。
 大声で叫ぶ。
「メグミ! どこにいる!?」
「ジュンくん? ジュンくんなの!?」
 声が聞こえたかと思うと、メグミが後ろ手に縛られたまま駆け寄ってきた。そのままの勢いでジュンに体当たりする。
「おおっと」
 ジュンが受けとめると、彼女はそのまま泣き出した。
「ええーん、怖かったよぉ、ジュンくぅーん」
「もう大丈夫だよ、もう」
 彼はそう言いながら、彼女を縛っていた縄を切った。彼女は自由になった両手でジュンにしがみつくと、よりいっそう大声で泣き出した。
 メグミをジュウイチヤ家に送り届けてから、ジュンは街の北門に駆けつけた。
 しかし、そこに待っていたのはヨシオだけだった。
「ヨシオ、アヤコは!?」
「俺がここに来たとき、もういなかったぜ」
 ヨシオは肩をすくめ、足下を指した。
「これだけが、残っていた」
 ジュンは地面を見下ろした。そこには、魔法文字が浮き上がっていた。

Good-bye So long

「……しょうがねぇな」
 ジュンは苦笑した。それは、妙にさっぱりとした顔だった。

 翌日、カツマとナツエは国王に呼び出されていた。
 国王は静かに言った。
「カツマ・セリザワよ。お主の余に対する誓い、よもや忘れたわけではあるまいな」
「いいえ」
 カツマは片膝をつき、床を見つめたまま答えた。
「ならば、お主のしたことは判っておろうな。シオリ姫を守ることが王国騎士の務め。しかしお主はシオリ姫よりそこな僧侶の方を守ろうとし、あまつさえシオリ姫をあやめようとしたこと、反逆罪に問われ、即刻処刑されてもおかしくはない」
「しかし、王様!」
 反論しかけたナツエを、カツマは手で制した。そのまま硬い声で答える。
「申し開きはいたしません。ご処分を」
 王は一つ頷き、言った。
「カツマ・セリザワ。お主からキラメキ騎士団の騎士の座を剥奪する」
「な!」
 今度こそたまりかねたナツエが叫ぼうとするのを、カツマはまた手で制し、深々と頭を下げた。
「謹んで、御処分をお受けいたします。王様のお慈悲に感謝いたします」
「行くがいい」
 王は、柔らかな微笑を浮かべ、言った。カツマは最敬礼し、退出した。
 ナツエは一瞬、きつい視線を国王に向け、無言でカツマを追った。
「カツマ! カツマってば!!」
 回廊で、ナツエはカツマに追いついた。
「なんだい」
「何をのほほんとしてんのよ、カツマは! 悔しくないの!?」
「どうして?」
「どうしてって、あんた判ってるの?」
「わかってるよ。俺は騎士には向かないってことが」
 カツマは頭の後ろで腕を組み、ナツエに向かって笑いかけた。
「俺には、ナツエが必要なんだ」
「なっ!」
 ナツエは真っ赤になった。
 と、カツマは自分たちの前にいる人影に気づいて立ち止まった。
「シオリ姫……」
 ナツエが呟く。
 シオリは、駆け寄ってきた。
「カツマくん、聞いたよ。……私のせいだね」
「シオリ……。いや、シオリ姫」
 カツマは目に涙を溜めた彼女の肩を叩いた。
「これでいいんだ」
「だって……」
「シオリ姫、俺にはナツエがいる。そして、シオリ姫にも……」
 彼は微笑んだ。
「カツマ……くん」
「もっと、自分の気持ちに素直にならなくっちゃ」
「自分の……気持ち?」
 シオリは目を見開いた。
「俺はカツマ・セリザワだよ。それ以外の何者でもない。シオリ姫の想い人の代わりにはなれないし、なるつもりもない。それはシオリ姫だって判ってるはずだ」
「……うん」
 シオリはこくんと頷き、微笑んだ。
「そうだね。……ありがとう、カツマくん」
「失敗しただと!?」
 シンタは報告した男の胸ぐらを掴み上げた。
「は、はい。申し訳、ありません」
「ちっ、バカ者めが!」
 彼はその男を床に放り出し、怒鳴りつけた。
「すぐに次の手を打つんだ! シオリ姫を何としても亡き者にせねば、儂に王位は巡ってこないんだぞ!」
 それにその男が答えようとしたとき、何の予告もなくドアが開いた。
「誰……だ?」
 誰何の声が尻すぼみに消えた。
 そこには、濃紺の髪の少女が佇んでいた。その右の目は、前髪に隠れて見えない。その身体を紺の長衣とマントに包んでいる所を見ると、一見魔術士風だが、魔術師にしては年が若すぎるようにも見える。
 彼女は二人を無視して部屋に入ってくると、くるりと辺りを見回した。
「ふぅん。なかなかいい所ね。気に入ったわ」
「だ、誰だ?」
 やっと我に返ったシンタが訊ねたが、彼女は彼等などまるで存在していないかのように、窓から外を眺めたり、壁をこつこつと叩いたりしている。
「誰だと……」
「うるさいわね。黙っていなさい。……永遠にね」
 彼女はじろりとシンタを一瞥し、一言だけ言った。
 パキパキッ
 微かな音がした。シンタは、足が妙に冷たいことに気づき、見下ろして悲鳴を上げた。
「わ、儂の、足が!!」
「ひええっ」
 もう一人の男が腰を抜かした。
 シンタの足が、石になっていくのだ。
 見る見るうちにシンタの身体が石になって行く。そして、最後に泣きわめく石像が出来上がったとき、彼女はもう一人をじろっと見た。
「ひ、ひえぇぇぇぇぇ!」
 その男は脱兎のごとく逃げ出した。彼女はフンと鼻を鳴らした。
「しかし、ここに巣くってる盗賊団というのが、実は反乱軍の首謀者シンタ王弟殿下だったとはね。まぁ、私の世界征服計画の第一歩としては、こんなものかしらね」
 後にこの地の名を取って『チュオウの魔女』と異名をとることになるユイナ・ヒモオは満足げに石像を見て頷いた。
 反乱軍首謀者である王弟シンタは現在に至るも、公式記録上は「逃亡中」である。
 その夜。
 シオリはテラスから月を見上げていた。
「……自分の気持ちに正直に、かぁ」
 彼女は一つ頷いた。
「カツマくん、私、がんばってみるね」
 そう呟き、彼女は身を翻した。
 中庭を、召使いの服に身を包んだ、緋色の髪の少女が駆けて行く。
 城の塔に設けられた窓から、それを見下ろしながら、国王は訊ねた。
「これでよかったのかな、大神官よ」
 大神官シナモン・マクシスは重々しく頷いた。
「左様。いかに国王陛下といえど、人の心までは操れませぬ。シオリ姫は聡明な姫君です。恋にかまけて政務を蔑ろにするような方ではありますまい。なればこそ、息抜きも必要かと」
「そうだな」
 国王は頷いた。
「儂は、シオリに親らしいことはなにもしてやれなかった。これくらいはしてやらねばな」
 その頃、街の西門。
 カツマはずだ袋を肩にさげて、キラメキの街を振り返っていた。
「こことももう、お別れだな。ナツエの奴とも」
「誰とお別れするんですって?」
「え?」
 その声に、カツマは目を丸くした。
 門の影から、すっかり旅支度を整えたナツエが姿を現した。
「ナツエ! どうして!?」
「どうしては、こっちの台詞よ。誰でしょうね、『俺にはナツエが必要なんだ』なんて言ってたのは、どこの誰でしたっけね?」
 ナツエはからかうような口調で、カツマの背中をどんとどやしつけた。
「いてぇな、この……」
「なによ!」
 口げんかが始まりかけたところに、タイミング良く声がかかった。
「あ、本当にいたなぁ」
「ねっ! あたしが言ったとおりでしょう?」
「ジュンくん! メグミ! どうして!?」
 さっきのカツマと同じ台詞を今度はナツエが口走った。
「いや、それは、その……」
 口ごもるジュンの腕に、自分の腕を絡ませてメグミがにこっと笑った。
「あたしたち、駆け落ちするの」
「へ?」
 目を丸くするカツマとナツエ。
 ジュンが慌てて手を振る。
「違うって」
「何よぉ」
 メグミがぷうっと膨れた。ジュンは言う。
「俺はただ、メグミに一緒に修行の旅に行かないかって誘っただけだよ」
「それって十分、『当方に下心あり』って言ってるぞ、ジュン」
 カツマが白い目で言う。
 メグミは一転、にこっと笑った。
「じゃ、みんな行こう!」
「み、みんな?」
 思わずのけぞるジュン。二人っきりの甘い旅を予定していた彼にとっては予想外の展開だった。
 ナツエが腕を組んで頷く。
「そうね。あたしも異議はないわ。ねっ、カツマ!」
「……はい」
 カツマは渋々頷いた。
 メグミが元気良く右手を挙げた。
「じゃ、出発!!」
 女の子二人は元気良く、男二人は仕方なく、王都キラメキを後にしたのだった。
 カツマは、最後に一目、王都を振り向き、呟いた。
「返しそびれちまったな、シオリ姫からもらったお守り……。まぁ、いいか」
 城壁の上から、遠ざかっていく4人を見ながら、サキは呟いた。
「みんな行っちゃうのね。寂しくなるね」
 涼しい夜風に髪を委ねながら、ミオは微笑んだ。
「サキさん。そのうちに、私たちも旅に出ることになる、そんな気がします」
「私たちも? まさかぁ」
 サキは肩をすくめた。
 ミオは、もう米粒ほどになった4人を見つめ、言った。
「これで終わりじゃない。いえ、これが始まりなのかもしれません」
「ミオ、ちょっとサーガの読みすぎじゃない?」
「そうかもしれませんね」
 二人は顔を見合わせ、くすっと笑った。
 と、下から声が聞こえた。
「ちょっと、そこのお二人さん!」
「え?」
 サキが下を見下ろすと、門の所に男の子と見間違いそうな緑のショートカットの女の子がいた。
「どうしたの?」
「あのさ、あたし、ノゾミ・キヨカワっていうんだけど、あなた達、王都の人だよね」
「ええ、そうだけど」
「ちょっと王宮まで案内してくれないかな。あたし、久しぶりだから道忘れちゃってさ」
 彼女はそう言うと、頭を掻いた。
 サキはミオと顔を見合わせた。
「去る人あれば、来る人あり、ですね」
「そうね」
 サキは笑うと、下に向かって言った。
「ちょっと待ってて! 今そこに降りて行くから」
「ああ。頼むよ」
 ノゾミはそう言うと、街を眺めて呟いた。
「久しぶりの、王都だな。腕が鳴るぜ!」
 後に、カツマ等4人組は「マーセナリーカルテット」という名で知られるようになり、魔王との戦いのサーガの一節にその名をとどめることになるのだが、それはまた別の物語である。
 その物語は、シオリ姫と勇者コウ、そして勇者を取り巻きし12人の乙女の物語。
 ときめきファンタジーの物語。

《本編に続く》

 メニューに戻る  目次に戻る  先頭へ