喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  末尾へ  次回へ続く

それはそよ風のごとく 第4話
幽霊の正体

 翌日の朝。
 ピンポーン
「おはよ、浩之ちゃん」
 チャイムの音にドアを開けると、そこではあかりがにこっと笑っていた。
「おす。それじゃ行くか」
 オレは鞄を担いで、外に出た。
 朝日が眩しいぜ。
「浩之ちゃん、昨日の志保の話なんだけど……」
 オレの隣を歩きながら、あかりは、言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「私、嘘でもないんじゃないのかなって思うんだけど……」
「志保の話って、幽霊のあれか?」
「うん……」
 あかりは頷いた。
「どうだろうな?」
 オレはとぼけた。昨日の葵ちゃんの話からしても、何らかの怪奇現象が起こってるのは間違いないんだが、それにあかりまで巻き込むわけにもいかないだろ。
 オレが顔をつっこんでるのが判れば、あかりも絶対に絡んでくるからなぁ。
「浩之ちゃん……」
「ま、心配するなって」
 オレが笑顔でそう言うと、あかりも「うん」と頷いて笑顔を見せた。
 と、
「おっはよぉー、あかりぃ!」
 うるさいのが来た。オレは振り返った。
「朝から大声出すなよ。頭にひびく」
「うっさいわね。あんたにゃ言ってないでしょ」
「おはよう、志保」
 ワンテンポ遅れてあかりが挨拶を返す。
「でね、あかり、ニュースなのよ、ニュース」
「今度はどんなでたらめだ?」
 オレがツッコミを入れたが、志保は無視してあかりに話しかけている。このぉ。
「なんでもさ、昨日も幽霊が出たらしいのよ」
「昨日も出たの? やだぁ、怖いね」
 オレはそっぽを向きながら耳をそばだてた。
 昨日も出た、だと? オレが葵ちゃんや綾香と逢ってる間に、また出たってのか?
「しかも、昨日幽霊に逢ったのは、あの噂の1年の超能力少女、姫川さんだったんだって」
 姫川……琴音ちゃん!?
「あかり! オレ用事を思いだしたから、先に行くぜ」
「えっ? あ、浩之ちゃん!」
 オレはあかりの声を背に、駆けだした。

 げた箱から上履きを出すと、靴を乱暴に放り込んで履き替える。その時間も惜しく、オレは上履きをつっかけたままで、廊下に飛びだした。
「きゃ!」
 ドシン
 出会い頭に、誰かと衝突……と思いきや、オレの身体は空気の壁にでも当たったかのように跳ね返された。そのまましたたか腰を打つオレ。
「つぅ〜〜〜〜」
 冗談抜きに一瞬目の前が白くなったぞ。
「だ、だいじょうぶですか!?」
 その声に、オレの意識が戻る。
 考えてみれば、うちの高校広しと言えど、こんなまねが出来るのは一人しかいない。
「こ、琴音ちゃん」
「ああっ、私ったらなんてことを……。本当にごめんなさい」
 琴音ちゃんはぺこぺこと頭を下げ、オレの手を掴んで引っ張り起こそうとする。
 オレは身体を起こして立ち上がった。腰がまだ悲鳴を上げるけど、当然無視して笑って見せる。
「大丈夫、大丈夫」
 琴音ちゃんは甲斐甲斐しく、ズボンをパンパンと叩いてほこりをとってくれた。それから、ぐすっと涙ぐむ。
「私、やっぱり……」
 何がやっぱりなのかよくわからないが、オレは取りあえずその手を取って言った。
「それはともかく、逢いたかったんだ、琴音ちゃん」
「え?」
 一瞬きょとんとする琴音ちゃん。それから、かぁっと赤くなって俯いた。
「そんな……」
 いや、別にそう言う意味じゃなかったんだけどなぁ。
 などと思っていると、不意に後ろから声が聞こえてきた。
「だから、あかりももっと積極的にしないとだめだってば」
「そうかなぁ?」
 やばい。あかりはともかく、志保にこんな所を見られると何を言われるかわからんぞ。
 オレは、琴音ちゃんの手をきゅっと握った。
「琴音ちゃん、来てくれ」
「はい」
 こくっと頷く琴音ちゃん。まだどうも誤解しているらしいが、それを解くのは後にして、オレは琴音ちゃんを引っ張って走った。
「このあたりでいいかな」
 オレは人気のないところまで来て、足を止めた。時計をちらっと見る。
 まだ、授業が始まるまで時間はあるな。
「琴音ちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「はぁはぁ、な、なんですか?」
 まだ動悸が収まらないのか、胸に手を当てて荒い息をしながらも、建気に答える琴音ちゃん。
 いかん、最近葵ちゃんとよく一緒にいたから、彼女を基準にして考えてた。彼女なら、この程度走ったって、息も切らさないからなぁ。
「ごめんごめん。取りあえず落ちつくまでいいよ」
 オレはそう言うと、辺りを見た。
 ありゃ。オカルト研の前じゃないか。
 と。
 カチャ
 不意にオカルト研の部室のドアが開いて、芹香先輩が顔を出した。
「あ、先輩、おはようございます」
 先輩は、オレと琴音ちゃんを見比べて、じっとオレを見た。
「…………」
「あ、この娘は姫川琴音ちゃん、1年生です。琴音ちゃん、こちらは3年の来栖川芹香先輩。オレの……まぁ、知り合いってところかな」
「おはようございます、先輩」
 やっと息を整えて、琴音ちゃんは挨拶した。先輩はぺこっと頭を下げると、オレの方に向きなおった。
「…………」
「え? 幽霊の話が判ったんですか?」
「!」
 幽霊という言葉に、琴音ちゃんはぴくっと反応した。
 そうだ、琴音ちゃんの話も聞かないと……。
 オレは少し考えて、先輩に言った。
「先輩、一寸待っててくれます? いい? ありがとうございます」
 そのまま部室に戻るかと思いきや、先輩はそのままオレをじっと見ていた。
 まぁ、いいや。
 オレは琴音ちゃんに向きなおった。
「聞きたいのは他でもない。昨日琴音ちゃんが幽霊に襲われたって聞いたから、心配してたんだ」
「……」
 琴音ちゃんは、くすっと笑った。
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「本当に襲われたの?」
「っていうか……」
 琴音ちゃんの話を総合すると、おおむね葵ちゃんの話と同じだった。もっとも、幽霊は琴音ちゃんに襲いかかろうとしたとたん、琴音ちゃんの念動力で吹っ飛ばされたらしい。
 うーむ、さすがというかなんというか。
「……ですから、私は大丈夫ですよ」
「そっかぁ。いやぁ、よかった。心配したんだぜ」
「あ、ありがとうございます」
 ぽっと赤くなる琴音ちゃん。
 オレは先輩に向きなおった。……あれ?
「先輩……、どうかしました?」
「…………」
 先輩は、なんでもありませんと首を振った。でも、いつもとちょっと雰囲気が違うような……。
 考えてると、先輩は部室のドアを開けた。そして、どうぞ、とオレに言う。
「う、うん。あ、琴音ちゃんも来る? 先輩にその幽霊の正体について調べてもらってたんだけど」
 琴音ちゃんはちょっと考えて、こくんとうなずいた。
 あいかわらず薄暗い部室の中で、芹香先輩は、オレ達に椅子を勧めた。
 そして、静かに話しはじめた。
 話は、戦争中に遡る。
 今、この学校がある場所は、当時は軍の士官学校とやらがあったらしい。その士官学校に在籍していた生徒の一人に、桂という士官候補生がいた。
 その桂は見目麗しい美青年だったそうであり、そうなると当然のごとくロマンスが生まれることになる。
 その御相手は、その近くの女学校に通っていた、これまた容姿端麗で評判の美少女、藤嬢だったそうだ。
 平和な時代なら、特にどうということもない平穏なラブロマンスで終わっただろう二人。だが、時代は狂気に突入していた。戦争はいよいよ左前になっており、特に軍上層部は、もうだめだぁと叫んでいた頃、その事件が起こった。
 藤嬢は、愛しの桂君に一目でも会いたい、と、毎日のように士官学校の校門前に来ていた。しかし、まだ「男女7歳にして席を同じくせず」の戦前教育の時代、しかも軍の学校である。二人はなかなか会うことができなかった。
 その日も、彼女は校門の前で桂君を待っていた。そこをたまたま通りかかった校長先生は、彼女に、ついてくれば桂君に逢わせてやると言葉巧みに誘い、校長室に連れ込んだ。
 あとは、まぁお決まりのパターンってやつだ。しかし、校長はさらに悪質だった。
 手込めにしても藤嬢が桂一筋なのに嫉妬して、彼は桂を特攻隊に行くようにしてしまい、哀れ彼は若い命を無意味に散らしてしまった。
 それに絶望して、桂嬢は自殺した。
 時に、昭和20年8月。戦争が終わるほんの数日前のことだったという……。
 先輩が口を閉じると、重苦しい沈黙が部室の中を満たした。
 オレは、渇ききった喉に唾を飲み込んで、口を開いた。
「それじゃ、葵ちゃんや琴音ちゃんが見た女生徒って……その人なの?」
「…………」
 先輩はこくんとうなずいた。オレはちらっと琴音ちゃんを見た。
 琴音ちゃんも顔色を悪くしていた。俯いて、何かに耐えるようにぎゅっと拳を握っている。
 オレは安心させようと、その手をそっと握ってあげた。
 それにしても、どうしてその女生徒が葵ちゃんや琴音ちゃんを襲うんだ? 気が狂って見境なくしてるのか?
 たしかに、その藤さんには気の毒なことだけど、とは言っても、そのせいで、葵ちゃんや琴音ちゃんが危険にさらされるのも、これまた理不尽な話ではある。
 オレは芹香先輩に尋ねた。
「なぁ、その幽霊を成仏させるか、あるいはまた封印する方法ってないのか? え? 調べてみますって? うん、頼むよ。でも、危ないことはしないでくれよ」
 オレがそう言った時、ちょうど予鈴の音が聞こえてきた。
 キーンコーンカーンコーン
「おっと、予鈴だ。それじゃ!」
 オレと琴音ちゃんは部室を出た。オレは琴音ちゃんにも別れを告げると、慌てて階段を駆け登っていった。2−Bの教室は、ここからだと遠いのだ。
 午前中はさしたることもなく、昼休みになった。
 今日はあかりのデリバリーサービスもなく、オレは雅史と食堂に向かって走っていた。
「……というわけで、幽霊の正体は、戦時中の女子学生なんだと」
「へぇ、そうだったんだ」
 雅史はオレと階段を駆け下りながら相づちを打つ。
「でもさ、それもかわいそうな話だよね」
「かもしれねぇな」
 頷きながら、角を曲がる。
 しかし、朝は忙しくて概要しか聞いてないからなぁ。後でもっと詳しく聞かないといけないな。
 と。
「あ、先輩!」
 急に声を掛けられて、オレは振り返った。
「あれ? 葵ちゃん」
「これからお昼ですか、先輩」
 葵ちゃんは、ちらっと雅史を見て、オレに視線を戻す。
「そうだけど……」
 そう言ってから、葵ちゃんが後ろ手にスポーツバッグを提げているのに気づいて、オレは了解した。
 そういうことかぁ。でも、雅史に悪いなぁ……。
 なんて思ってると、雅史が気を利かせたのか、オレに言った。
「それじゃ、ボクは急ぐから。松原さん、それじゃ」
「あ、はい。佐藤先輩、すみません」
 ぺこっと頭を下げる葵ちゃんとオレに手を振って、雅史は階段を駆け下りていった。
 それを見送ってから、葵ちゃんはオレをちらっと見ると、顔を伏せた。
「あ、あの、今日、ちょっとお弁当を作り過ぎちゃって……。よかったら、先輩、食べていただけませんか?」
「そっかぁ、オレって残飯処理かぁ」
 わざとらしく嘆くと、葵ちゃんは大慌て。
「そ、そうじゃありませんよ! 本当はちゃんと心を込めて作りましたから! ……あっ、そ、そのぉ」
 途中で気づいて、真っ赤になって、もじもじする葵ちゃん。
 オレはその頭をぽんと叩いた。
「ありがとう。嬉しいよ」
「え?」
「屋上で食べようか」
 オレが言うと、葵ちゃんはたちまち笑顔になって「はい」と大きくうなずいた。
 今日もいい天気だ。
 オレは葵ちゃんのお弁当を平らげると、大きく息をついた。
 今日のは、あかりのお弁当とくらべても遜色ない、いい出来だと思う。
「ふぅ、うまかった。ありがとな」
「いいえ。いつも先輩にはお世話になってますから……」
 そう言ってから、その「お世話」の内容を思い出したのか、葵ちゃんはまた赤くなって、オレにお茶を勧めた。
 そうだ、例の幽霊のこと、葵ちゃんにも話しておいた方がいいな。
「葵ちゃん、例の幽霊のことなんだけど」
 そう言うと、葵ちゃんはぴくりと身をこわばらせた。ゆっくりとこちらを向く。
「は、はい」
「ある程度のことは判ってきたんだ」
 そう言って、オレは芹香先輩に聞いたことを葵ちゃんに向かって話しはじめた。
「……というわけで、葵ちゃんに恨みを持ってるとか、そういうヤツじゃない。自縛霊っていうから、多分あの辺りを通らない限り、もう出てこないと思うよ」
「そうですか……」
 葵ちゃんは、なにやら考え込んでいる。
「どうしたの?」
「……え? あ、なんでもないんです」
 オレが声を掛けると、我に返った葵ちゃんは、慌てて返事をした。
 オレは尋ねた。
「まさか、葵ちゃん何かよからぬ事を考えてないだろうね?」
「そんなことないですよ。あ、もう一杯お茶飲みます?」
 葵ちゃんはとってつけたような笑顔で答えた。うーむ、嘘のつけない娘だなぁ。
 オレは、葵ちゃんの両肩をがしっと掴んだ。
「きゃ」
「葵ちゃん、オレの目を見ろ!」
「は、はいっ」
 じっとオレの目を見つめ返す葵ちゃん。
 オレは言った。
「約束してくれ。無茶はしないって」
「先輩……」
「何度も言うようだけど、オレ、葵ちゃんの専属トレーナーなんだからね」
 葵ちゃんはぽっと顔を赤らめると、こくっとうなずいた。
「はい」
「葵ちゃんには、目標があるな?」
「はい」
「その目標を達成するためには、他のことに目を向けているような余裕はないはずだ。そうだよな?」
「それは……」
 口ごもる葵ちゃん。
「それとも、片手間に出来ると思ってるのか? 綾香を倒すことが」
「そっ、そんなことはありません」
「なら、葵ちゃん。君のやることは解ってるな?」
 葵ちゃんは、ぎゅっと拳を握りしめ、俺を見返した。よし、いつもの真っ直ぐ目標を見据えてる、葵ちゃんの目になってる。
「はいっ!」
「よぉし」
 オレは葵ちゃんの両肩をバンと、ちょっと強めに叩いた。
「なら、今日もいつもの通り、神社で練習だ」
「はいっ!」
 溌剌と答える葵ちゃん。よし、どうやら吹っ切れたようだな。よかったよかった。
 キーンコーンカーンコーン
 折良く、予鈴が鳴った。オレはもう一度、今度は軽く肩を叩いた。
「それじゃ、放課後にな」
「はい。先輩……」
「ん?」
「ありがとうございました!」
 ぺこっと頭を下げる葵ちゃん。オレは笑って片手を上げると、階段を下りていった。

《続く》

 喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  前回に戻る  先頭へ  次回へ続く