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それはそよ風のごとく 第15話
 琴音ちゃんと、屋上と、告白の言葉

 昼休みになり、俺は雅史と並んで廊下を走っていた。
「でも、なんだか浩之と一緒に学食に行くのも久しぶりだね」
「そうだな。なんだかんだで、ここんとこあかりの弁当ばっかりだったしな」
 今日は、あかりは風邪を引いたとかで学校を休んでいる。あとで見舞いに行ってやるかな。
「あっ!」
 そんな事を考えながら全力疾走していると、いきなり、雅史が急ブレーキを掛けた。俺も慌てて立ち止まると、振り返る。
「どうした、雅史?」
「ごめん。今日は姉さんが弁当を作ってくれてたんだ」
 雅史は例によって害のない笑顔で言うと、「それじゃ」と立ち去っていった。
 おいおい。
 俺は仕方なく、一人寂しく飯を食う覚悟を決めた。
 と。
 不意に視界が暗転した。目の回りには、しっとりと柔らかな感触。そして、後ろからは可愛い声がした。
「だぁれだ?」
 むぅ。この俺に向かってこんな攻撃を掛けてくるのは志保くらいなもんだと思ってたが(あかりは、俺がその報復措置として一週間だんまり無視を決め込んで以来、この攻撃をかけてきたことはない)。
 だが、今の可愛い声は、少なくとも志保のあのキンキンくる声じゃない。
 俺は、とりあえずこの攻撃を掛けてきそうなほど親しい娘(すくなくとも男の作り声ではないことは確かだ)を頭の中でリストアップしていた。
 あかりは、前述の理由でパス。第一今日は休みだ。
 志保は声が違う。
 レミィだったら口調が違う。委員長はそもそもこんなことはしないだろうし。芹香先輩も別の意味でこんなことはしないだろう。マルチや葵ちゃんや理緒ちゃんは異常なまでに礼儀正しいから、俺にいきなりこんなことはしてこないだろう。綾香は、いかにもやりそうだが、まさか昼休みに寺女からうちの高校に遊びには来ないだろう。とすれば……だ。
「……まさか、琴音ちゃんか?」
「正解です」
 柔らかな目隠しが外された。俺が振り返ると、琴音ちゃんがちょっと恥ずかしげに笑っていた。
「どうした?」
「ごめんなさい。ちょっとやってみたくって」
 そう言って照れたようにまた微笑む琴音ちゃん。入学した頃に較べると、本当に明るくなったって感じがするなぁ。よきかなよきかな。
「今からお昼?」
「はい」
 コクンとうなずく琴音ちゃん。食堂に行く途中に、俺の側を通りかかったってところか。
「それじゃ、一緒に行くか? 俺も食堂に行く途中だったんだ」
「はい」
 笑ってうなずく琴音ちゃん。例の志保ちゃんニュースによると、1年生のみならず、2年や3年の間でも、入学当時の影が消えた琴音ちゃんは人気赤丸急上昇らしい。この笑顔じゃさもありなん。ま、志保ちゃんニュースの正解率は20%だが。
「どうしたんですか?」
 小首を傾げて訊ねる琴音ちゃんに、俺は「何でもないよ」と答えて、一緒に歩き出した。

 少々出遅れたのが幸いして、食堂は多少空いていた。もっとも、メニューの方も、人気のある定食は完売状態である。
「しょうがねぇ、Bランチにするかな。琴音ちゃんは?」
「私は、きつねうどんでいいです」
「そっか。じゃ、俺が買ってくるから、琴音ちゃんは席を確保しておいてくれ」
「はい」
 にこっと笑うと、琴音ちゃんはちょうどいい席を捜してキョロキョロし始めた。俺は、食券を買いに自販機の方に走った。食堂では特に迅速な行動が必要なのだ。
 俺がBランチときつねうどんを両手で持って、机の間を歩いていると、声が聞こえた。
「すみません。人を待ってるんです」
「そんなこと言わずに、俺達とランチしようぜ」
 俺は、自分の迂闊さに、内心で舌打ちした。琴音ちゃんが一人で待ってりゃ、そりゃ声も掛けられるわな。
「はい、ちょっとごめんよ」
 そう声をかけて、俺は肩から人垣の中に割り込んだ。わざと大声で言う。
「琴音ちゃん、お待たせっ!」
「あ、藤田さん!」
 琴音ちゃんの明るい声と、野郎共の殺気すら隠っていそうな視線が、俺を出迎える。もっとも、俺の方も、セバスチャンの相手をしてるうちに、その程度の殺気など気にもならなくなっている。
 俺はその野郎共をかき分けるようにして、琴音ちゃんの前に、きつねうどんとBランチを乗せたトレイを置いた。それから、低い声で言った。
「琴音ちゃん、ちょっと耳を塞いでてくれない?」
「こうですか?」
 両手で耳を押さえる琴音ちゃん。俺は親指を立ててOKサインを送ってから、野郎共に向き直った。
 あんまり使いたくはなかったが、仕方ない。
「喝〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 窓ガラスがビリビリと震え、納まった。俺は深呼吸してから、辺りに累々と横たわる野郎共を見回して、肩をすくめた。
「だらしのねぇ」
「でも、やりすぎです」
 耳から手を離すと、琴音ちゃんは多少非難の混じった視線を俺に向けた。
「そっか? こういう連中は……」
「他の人のことです」
 そう言われてみると、平和に昼食を楽しんでいた一般生徒達まで巻き込まれてしまっているのが見える。
 まずい。
 俺は、琴音ちゃんの手を掴んだ。
「琴音ちゃん、すまんが昼飯は後だ」
「え?」
「この場は逃げるぞ!」
 そう言って、俺はいささか強引に琴音ちゃんの手を引いて駆け出した。
「はぁはぁはぁはぁ」
 一気に屋上まで駆け上がり、俺達はそこで息を整えていた。といっても、俺はすぐに立ち直ったが、流石に琴音ちゃんはなかなか荒い息が収まらない様子だ。
「大丈夫か、琴音ちゃん?」
「い、いきなり、全力疾走して、大丈夫かも、ないです」
 律儀に答えてくれる琴音ちゃん。額の汗を拭こうとして手を上げた。
 ……なぜ俺の手も上がる? って、まだ握ったままだったっけ。
「あ、ごめん」
「……いえ」
 琴音ちゃんは、離そうとした俺の手を、きゅっと握り締めた。結局額の汗は、反対側の手で拭う。
「さて、このまま昼抜きってのもなんだし、俺、パンでも買ってくるよ。琴音ちゃんはここで待っててくれ」
「はい」
 こくんと頷くと、琴音ちゃんは俺の手を離した。
 食堂に戻ってみると、どうやら騒ぎは収まっていた。
「あれ? 浩之、どうしたの?」
「あれ、じゃないだろ、雅史。おまえこそ、弁当じゃなかったのか?」
 俺は、何故かテーブルでBランチを食べている雅史に近寄った。雅史は照れたように笑う。
「あー、うん。勘違いだったみたい。あはは」
「あのな……」
「それより、浩之こそ、姫川さんと食事してたんじゃないの?」
 俺はピンときた。こいつ、廊下で琴音ちゃんがいるのを見て、俺達に気を使ったな。
「ま、色々あってな」
「色々ね……。なんか、さっきここでも騒ぎがあったみたいだけど……」
「騒ぎ?」
 しらじらしく訊ねると、雅史はコロッケをぱくつきながら答えた。
「うん。僕が来たときにはもうおさまってたけど……。あの、来栖川先輩のところの執事さん、何て言ったっけ?」
「セバスチャン?」
「そうそう。その人がなにかやったとかやってないとか」
 どうやら、セバスチャンのせいになっているらしい。あいつには悪いが、これも俺と琴音ちゃんが平穏な学園生活を送るためだ。我慢してもらおう。
 おっと、琴音ちゃんが待っている。
 俺は、雅史との話をそこそこに切り上げて、パンを買いに行った。
 屋上のドアを開けて、声をかけようとすると、話し声が聞こえた。
「そやなぁ。ま、悪い奴やないとは思うで。ええ奴……とも言えへんけどなぁ」
「そうですね」
 あとの相づちを打った声は琴音ちゃんだが、最初のは……委員長だな。そういえば、委員長はこの時間に屋上で弁当を食うのが日課だったっけ。
「にしても、あんなのに惚れるとは、あんたも苦労すんなぁ、姫川はん」
「……はい」
 照れたように、琴音ちゃんは小さな声で答えた。
「あ、でも、皆さんが言うほど悪い人じゃないですよ」
 フォローを入れてくれる辺りが偉い。
「んで、姫川はんは、あいつのどこがええの?」
「どこって……」
 少し口ごもってから、琴音ちゃんはゆっくりと言葉を継いだ。
「藤田さんって、不思議な人ですよね。私がずっと、心の奥底に閉じ込めていたものを、いきなり外に引っ張り出すことができるんですもの」
「……そやな。いきなり人の心の奥底にずかずかと土足で入り込もうとする失礼なやっちゃ」
 委員長の言葉にくすっと笑ってから、琴音ちゃんは訊ねた。
「私の超能力のことは、御存じですよね」
「ああ、聞いたことはあるで。でも、そう言えば最近は聞かへんなぁ。使えへんようなったん?」
 委員長もダイレクトなやつだ。もっとも、琴音ちゃんが実は予知能力者ではなくて念力が使えるんだ、なんて、大々的に公表したわけでもないから、知らないのも無理はないな。
「そうじゃないんです。私、本当は予知能力なんてなかったんです」
 琴音ちゃんは、自分のことを不幸を呼ぶ予知能力者だと思い込んでいたのだ。そのために、周囲に疫病神扱いされ、いつしか自分で殻を作ってその中に閉じこもっていた。
 俺には、それが許せなかった。……なんていうと偉そうだが、俺は単に琴音ちゃんにはあの冷たい仮面のような表情よりは、笑顔が似合うと思っただけだ。
「そういや、長岡はんがそんなこと言っとったなぁ。でも、そんなに違うことやの?」
「ええ。私にとっては。……藤田さんが言ってくれたんです。超能力で人を不幸にできるなら、幸せにだってできるはずだろっ!! って」
 カシャン
 金属製のフェンスの揺れる音が聞こえた。
「そして、私は藤田さんを助けることができました」
「そやったんか」
 委員長の、いつになく優しい声。
「でも、……辛いやろ?」
「……そうですね」
「神岸はんが言っとった。あいつの口癖は「しょうがねーなぁ」だって」
「……わかってます。……でも、好きです」
「そっか……」
 俺は、屋上に出るドアに背中をもたれかけさせ、心の中で呟いていた。
 ……ごめん、琴音ちゃん。
 バタン
「悪りぃ! 食堂でばったり雅史に会って、話し込んじまった。お、委員長もいたのか」
 ドアを開けて、声をかけながら二人に駆け寄る。
「遅い! 姫川はん、ずっと待っとったんやで」
「いえ、私は……」
「悪い。この通り」
 俺は、琴音ちゃんの前で両手を合わせて頭を下げた。
「それじゃ、山海堂のワッフルで許してあげますね」
「お、おう」
「ほな、うちはそろそろ退散するわ。ごゆっくりなぁ」
 委員長は、食べ終わった弁当を片手に、屋上から降りていった。それを見送って、琴音ちゃんは俺に言った。
「保科先輩って、いい人ですね」
「ああ。ちょっと見はあの通りの関西系だから取っつき難いけど、中身はいい奴だぜ」
「はい。そう思います」
 にっこりと笑うと、琴音ちゃんは俺に言った。
「それよりも、早く食べましょう。お昼休み、終わっちゃいますよ」
「あ、そうだな」
 俺達は、並んで腰を下ろした。俺はメロンパンの袋を琴音ちゃんに渡して、自分はカレーパンの袋を開ける。
 うーん。さっきの会話を聞いてるから、なんとなく気まずい。
「どうかしたんですか? さっきから黙り込んで」
「え?」
 我に返ると、琴音ちゃんが俺の顔を覗き込んでいた。
「私とじゃ、楽しくないですか?」
「あ、いや、そういうことはないけど……」
「……」
「……」
 何となく、沈黙が流れる。
 と、メロンパンを食べ終わった琴音ちゃんが、袋を丁寧に畳んで立ち上がった。
「先輩」
「はい?」
「私……」
 琴音ちゃんはそう言うと、俺の正面に回った。そして、じっと俺の目を見つめた。
「琴音ちゃん?」
「私、えっと、いい天気ですね」
「……そうだね」
 俺が、なんとなく相づちを打つと、琴音ちゃんは自分の頭をぽかぽか叩き始めた。
「違うのに違うのにっ!」
「あの、琴音ちゃん?」
「先輩っ!」
「はいっ」
 思わず背筋を伸ばしてしまう俺。
 琴音ちゃんは、じっと俺を見つめた後、言った。
「判ってるんです。かなわないって」
「……は?」
「今までの関係が壊れてしまうってこともわかってます。でも、もう私、自分を押さえておけないんです……」
 琴音ちゃんは、俺を見つめたまま、静かに言った。

「好きです。藤田さん……。あなたが、好きです」

《続く》

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