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それはそよ風のごとく 第23話
ちからの理由
「あ、浩之ちゃん、そこ右っ!」
「右か!」
後ろから指示をするあかりの言うとおりにハンドルを切って角を曲がると、正面に大きな病院が見えた。
「あれかっ!」
「うん。あ、駐輪場は左の方だよ」
「オッケイ」
正面から入ると、左に曲がる。すると、自転車置き場が見えた。
そこに自転車を止めると、あかりがすっと降りるのを待って、俺も降りてスタンドを立てる。
鍵をかけてポケットに入れて、待っていたあかりと一緒に駆け出す。
正面の自動ドアをくぐってロビーに入ると、独特の消毒薬の匂いがつんと鼻についた。
「あっ、ヒロ、あかり! こっちこっち」
さすがに遠慮してるのか、いつもよりは小声で志保が叫びながら駆け寄ってきた。まだ制服姿のままだ。
「志保、雅史ちゃんは?」
あかりが訊ねると、志保はいつになく真面目な顔であかりの腕を取って引っ張った。
「こっちよっ!」
「あ、志保っ! ちょ、ちょっと」
そう言いながら、半ば引きずられていくあかり。
俺もその後を追いかけた。
廊下の突き当たりの、両開きの扉の上には「手術中」の赤いランプが灯っていた。
そして、廊下にあるベンチには……。
「……琴音ちゃん?」
俺の声に、座って俯いていた琴音ちゃんが、はっと顔を上げた。俺の顔を見て、その表情がくしゃっと歪む。
「藤田……さん……。ひろゆきさぁん!」
そのまま立ち上がると、琴音ちゃんは俺に駆け寄ってきた。そして、その勢いのまま俺の胸にすがりついて泣きじゃくる。
「わたっ、私っ、もういやっ! こんな力っ!」
「力? もしかして、琴音ちゃん……?」
「うわぁぁぁぁぁぁん」
俺のシャツを硬く握りしめ、大声を上げて泣く琴音ちゃん。
ピシッ、パシッ
微かに、何かが弾けるような音。
……ま、まさか……、琴音ちゃんの超能力?
俺は慌てて、琴音ちゃんの肩に手を置いた。
「落ち着け、琴音ちゃんっ!」
「で、でもっ、でもわたしっ! わたしもうっっ!!」
「琴音ちゃんっ!」
俺は叫んだ。びくっとすると、琴音ちゃんはゆっくりと顔を上げた。
「……藤田……さん?」
涙に濡れた瞳に、焦点が次第に戻ってくる。
俺は優しく訊ねた。
「もう、大丈夫かい?」
「……は、はい……」
琴音ちゃんは大きく息をついて、俺から離れた。
「ご、ごめんなさい……」
と、そこに紙コップが差し出された。
「どうぞ、姫川さん」
紙コップを差し出したのは、あかりだった。どうやら、近くの自販機で買ってきたらしい。
「あ……。神岸……先輩……」
琴音ちゃんは、複雑な表情を浮かべながら、その紙コップを受け取った。
「まぁ、立ち話もなんだから、座ろうよ。ね? あ、ちょっと待ってね」
そう言って、あかりはポケットからハンカチを出して、琴音ちゃんに差し出した。
「はい、ハンカチ」
「あ、すみません……」
そう言いながらも、困る琴音ちゃん。何しろ、両手で熱い紙コップを持ってる状況だ。
あかりもそれに気付いて、俺に視線を向けた。
「浩之ちゃん、お願い」
「なるほど、俺に琴音ちゃんの顔を拭けと言うんだな?」
「ちっ、違うよ〜。紙コップの方だよ」
「なに、紙コップを拭け、と?」
「あんたら、漫才してる場合じゃないでしょ」
志保がツッコミを入れた。確かに悔しいが志保の言うとおりなので、俺は琴音ちゃんから紙コップを受け取った。
とりあえず皆がソファに座ったところで、俺は琴音ちゃんと志保から事故の概要をやっと聞くことが出来た。
「今日は、久しぶりに部活に出たんです」
最初に口を開いたのは琴音ちゃんだった。ちなみに琴音ちゃんは、正式に部員というわけではないのだが、美術部によく行って絵を描いている。
「それで、その帰りにちょうど佐藤先輩と逢って、佐藤先輩の方から一緒に帰らないかって誘われて……」
「私とですか? でも……」
琴音は俯いた。
雅史は笑顔で言った。
「姫川さんが迷惑ならいいんだけど」
「そんなこと! ……ありませんけど……」
自分が悪い意味で有名なのは、嫌になるほど知っている。それに雅史は女の子に人気が高い。自分と一緒にいるところを見られるだけでも雅史に迷惑がかかるんじゃないか、と思って琴音はさらに俯く。
現に、そこを通りかかった生徒達は、例外なく、二人をちらっと見ては、なにやらぼそぼそと話しているのが判った。
琴音は思いきって言った。
「私と一緒に帰ったりしたら、変な噂になっちゃいますよ」
「え?」
「そうなったら、佐藤先輩も嫌でしょう? それじゃ、失礼しま……」
「僕は、構わないけどな」
雅史は笑顔のままで答えた。
「佐藤先輩? で、でも……」
「それに、ここでずっと立ち止まって話しててもしょうがないし」
考えてみればその通りなのだが。
琴音は迷った末に頷いた。
「わかりました」
「それじゃ、行こうか」
雅史は頷いて、坂道を降り始めた。そして振り返る。
「どうしたの?」
「……何でもないですよ」
琴音はくすっと笑って、雅史の隣りに並んだ。
とりとめもない雑談を交わしながら、二人は商店街を通りかかった。
「でも、ちょっと意外だったな」
不意に雅史が言う。
「え? 何がですか?」
「いや……。姫川さんって、すごくいい笑顔するんだなって」
何気なくさらっとこういう歯の浮くようなセリフが出てくるのが雅史の雅史らしいところなのだが、案の定琴音は真っ赤になって俯いた。
「そ、そんなことないですよ」
「気に障ったんなら、ごめん。だけど、普段学校じゃそんな顔しないじゃない。浩之じゃないけど、もったいないと思うよ」
「そんなこと言われても……」
と、その刹那だった。
琴音の脳裏に、いくつかの映像がフラッシュバックした。
「……っ!!」
その場に硬直する琴音。それに気付かずに行き過ぎかけた雅史が振り返る。
「どうしたの、姫川さん?」
「……佐藤先輩……」
琴音は、その場に鞄を取り落とした。それを拾おうともせずに、自分で自分を抱きしめるように震える。
「姫川さん?」
慌てて駆け戻る雅史。その足音に気付いた琴音は顔を上げて叫ぶ。
「来ないでっ!」
「えっ?」
戸惑ったように立ち止まる雅史。
と。
キキキーーーッ
「うわーっ!!」
「きゃーーーっ!!」
けたたましいブレーキ音と、ただならぬ怒号や悲鳴が沸き上がった。
そっちを見ると、商店街にダンプカーが突っ込んできた。
「なっ!!」
買い物客達が慌てて逃げまどう中を、ダンプカーは真っ直ぐに走ってくる。
こちらに向かって。
立ち尽くす琴音に向かって。
それを知ったとき、雅史は躊躇なくダッシュした。
「姫川さんっ!!」
「いやぁーーーっ!!」
琴音の身体を横抱きにして、飛ぶ。
ダンプカーが迫る。
そして……。
「そして……うっ、ぐすっ」
そこまで言って、琴音ちゃんはしゃくり上げるように泣き出してしまった。慌ててあかりが背中をぽんぽん三和土ながら慰める。
「大丈夫だよ、姫川さん。ね?」
「で、でも、私っ……」
「大丈夫だって……」
「ちょうどあたしもその時ヤックにいたんだけど、びっくりしたわよ、ほんと」
志保が話を引き継ぐ。
「なんか、ドーンってすごい音がして、こりゃ事件だって志保ちゃん感覚にぴーんときたあたしは、とりあえず外に出てみたのよ。そしたら、ブティックにダンプカーが突っ込んでたのよ。もうその時はさすがの志保ちゃんもくりびつてんぎょーだったわ〜」
「おめーの話し方だと肝心のことがわかんねーじゃないか。もっとわかりやすくしゃべれっ」
「うっさいわね、黙って聞きなさいよっ! で、あたしが行ったときにはもう警察とか救急車とか来てたんだけど、ちょうどその救急車に運び込まれてた担架に雅史が乗ってるじゃないの。あの時はさすがの志保ちゃんも……」
「それはもういいっつーてんだろ!」
「んもう、話の腰を折らないでよね〜。んで、その隣で噂の超能力少女がぐずぐず泣いてるじゃない。これはニュースだってピンときたのよ」
「お前は友達が事故に遭ったってのに、ニュースだって騒いでたのか?」
俺は呆れ半分怒り半分で聞き返した。志保はじろっと俺を睨んだ。
「あんたあたしを何だって思ってるのよ。ジャーナリズムの基本は正確な情報の把握からなのよ。雅史の横で一緒に泣いててもしょうがないでしょ? とりあえず、そこにいたお巡りさんに事情を話してどういうことか聞いたのよ」
「で、どういう状況だったんだ?」
「姫川さんを抱いてダンプの正面からは逃げたんだけど、崩れたブティックの瓦礫に当たったんだって言ってた。あたしが見たときは頭に怪我してたみたいだし、それに足の方も……」
そのとき、だだだっと足音がして、雅史のおじさんとおばさんが走ってきた。
「あっ、おじさん、おばさん!」
「藤田くん、それに神岸さんも来てくれてたのか。雅史は……?」
「まだ手術中で……」
あかりが言いかけたとき、琴音ちゃんが頭を下げた。
「ごめんなさい、私のせいで……」
「キミは……?」
「姫川……、姫川琴音です。私のせいで、佐藤先輩が……」
「あなたのせい? どういうこと?」
おばさんに聞かれて、琴音ちゃんはぽろぽろと涙をこぼしながら答えた。
「私の力が……」
「すみません、まだ琴音ちゃん、興奮してて。あかり、琴音ちゃんを頼む」
俺が割って入った。
「藤田さん! 私が、私が……」
「いいから、あっちに行こう。ね?」
俺の意を悟ったあかりが、琴音ちゃんを引っ張っていく。それを見送ってから、俺は琴音ちゃんの力のことは伏せて事故のことを話した。
「……そうだったんですか」
「琴音ちゃん、責任感じて、今ちょっと錯乱気味なんです」
俺はそうまとめて、振り返った。
「で、志保。事故の原因は?」
「お巡りさんの話だと、なんかダンプのブレーキが壊れてたって。整備不良じゃないかって言ってたわよ」
肩をすくめる志保。
と、そのとき、手術室のドアが開いた。
ストレッチャーに乗せられた雅史が出てくる。その表情は、まるで眠っているようだった。
おじさんとおばさんが、その後から出てきた医者に駆け寄る。
「雅史は!?」
「ご両親ですか?」
医者は、マスクを外しながら、沈痛な面もちで答えた。
「手は尽くしたのですが、残念ながら……」
空気が凍り付いた。
「午後6時28分、ご子息の心臓停止を確認いたしました。力及ばず、申し訳有りません……」
おじさんの息をのむ音、そしておばさんの悲鳴が、静かな廊下に響いた。
そのすぐ後、琴音ちゃんが屋上に飛び出したことを、あかりが知らせに来た。
タンタンタンタンッ
雅史の両親には志保についていてもらい、俺は階段を駆け上がった。
俺と並んで階段を駆け上がりながら、あかりは言った。
「姫川さん、なんだか……覚悟を決めたみたいだったよ。それも……悪い覚悟を……」
「……ああ」
俺は、屋上に通じる扉を押し開ける。
病院の屋上からは、この街の夜景を見渡すことが出来た。
そして、そのなかにぽつりと佇む少女。
「琴音ちゃん……」
「……わかってます」
琴音ちゃんは、顔を上げて、寂しげな笑みを見せた。
「佐藤先輩、……だめだったって……。やっぱり、私のせい……ですね」
あかりがおろおろしながら俺の腕を掴む。
「ど、どうしよう、浩之ちゃん。やっぱり、姫川さん……」
俺にもそう見えた。
琴音ちゃんは認識した。やはり、自分はいてはいけないんだと。
でも。
「まだ行くな」
俺は、一歩踏み出した。
「まだ、やることが残ってる」
琴音ちゃんは力無く首を振ると、自嘲するように呟いた。
「もう、なにも……」
「祈ってくれ」
「……え?」
その言葉に、虚をつかれたように顔を上げる琴音ちゃん。
「雅史が、また元気になるように」
「浩之ちゃん?」
あかりが、戸惑った声をあげた。
もう一歩踏み出す。
「また、笑ってくれるように」
「また、一緒にふざけて遊べるように」
「……藤田……さん……」
カシャン
琴音ちゃんが、屋上のフェンスに背中を押しつけた。
「私が……ですか?」
「琴音ちゃんは前に俺の命を助けてくれた。同じように、雅史の命も助けられる。それが、琴音ちゃんがその力を持って産まれた、その理由だからだ……」
「私の産まれた……理由……」
琴音ちゃんは、袖で涙を拭くと、大きく深呼吸した。
「……藤田さん、私……」
「それで、花畑でお婆さんが手を振ってたりしたの?」
「うーん、何も憶えてないんだ」
そう言って、雅史は困ったように笑った。
志保が膨れる。
「なんだ、つまんない。せっかく臨死体験の貴重な証言取って、明日の志保ちゃんニュースはこれで決まりぃって思ってたのに〜」
「もう、志保。莫迦なこと言わないで。あ、雅史ちゃん、これおみやげ」
あかりが、果物の入った籠を脇のテーブルに置く。
俺は勝手にベッド脇の椅子に座って訊ねた。
「で、あとどれくらいかかりそうなんだ?」
「うーん。まだ検査とかしないといけないから、退院は一週間くらい先だって」
「そっか。でも、合法的に学校さぼれていいよなぁ」
「こら、浩之ちゃんまでそんなこと言わないの」
あかりに怒られてしまった。
「あかりちゃんも、毎日ノートありがと。本当に助かってるよ」
「いえいえ、どういたしまして」
えへん、と胸を張るあかり。
と、ノックの音がした。雅史が声をあげる。
「はい?」
「失礼します」
ドアを開けて、琴音ちゃんが入ってきた。
「佐藤先輩、どうですか?」
「あ、姫川さん。ちょうどあかりちゃんがリンゴ持ってきてくれたんだ。良かったら食べる?」
「それだったら、私が剥きますよ」
琴音ちゃんはそう言って、俺の隣りに椅子を置いて座ると、籠からリンゴを取った。
志保が囃す。
「なんてゆーか、ラブラブじゃん、二人とも」
「やめろよ、志保。僕達は、そういうんじゃ……」
「そうかもしれませんね」
慌てて手を振って否定しようとする雅史と、平然と答える琴音ちゃん。
「おおっ、姫川琴音、熱愛宣言かぁっ!?」
「やめろって、志保っ!」
「でも、あんまり噂にすると……」
琴音ちゃんは、リンゴを手のひらに乗せた。と、いきなりそのリンゴがぱかっと割れた。
「……ってことになっちゃうかも」
慌てて口にチャックのゼスチャーをする志保。
俺達は顔を見合わせて、笑い出した。
《続く》
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あとがき
なんか雅史と琴音ちゃんがいい雰囲気になってますが、それはそれとして次はいよいよ葵ちゃんVS綾香の試合……になる予定です。
「葵ちゃんは強いっ!」浩之の叫びが再びこだまするのか? 待て次号!
それはそよ風のごとく 第23話 00/2/15 Up 00/4/5 Update