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暑い日 見晴編


 暑いよぉぉ。
 私は、額を流れる汗をぐいっと拭いながら、空を見上げました。
 雲一つない青空。白い太陽が燦々と照っています。
 時折私の後れ毛をそっと撫でてくれるそよ風も、気温37度じゃドライヤーです。
 私は、そっと電柱にもたれかかります。
「あちちーーーー!!」
 えへ、失敗失敗。
 電柱も陽に焼けていて、すごく熱くなってました。
 目の前に広がるビーチでは、波に戯れる人々。あー、涼しそう。
 でも、私は負けません。だって、もうすぐ……。
 あ! 来た来た。
 きらめき海岸の駅から、大勢の人に混じって、黒いリュックをちょっといなせに肩に掛けたあの人が降りてきました。
 そうです。私、ちゃんと調べてあるんですよ。
 今日、夏休みに入って最初の日曜日は、あの人がこの海岸に来るって。
 他の女の子とでぇとっていうのが、ちょっと気に入らないけど。
 でも、これはきっと千載一遇のチャンス! 夏の海で私のことをばっちり印象づけちゃえば、きっと……。
 駅から出れば、もうそこはビーチサイド。海の家がそこかしこにあるの。
 あの人は、そのうちの一軒に入っていったの。あそこで待ち合わせしてるのよね。
 よぉし。
 見晴、ファイト!!

「ごめぇぇーん。待ったぁ?」
「え?」
「あ、ごめんなさい。人違いでした」

 うう。どうしてこうなっちゃうんだろう? 見晴ってば情けなや。
 今日こそはちゃんとお話しして、あわよくばそのままーとか思ってたのに。
 だって、せっかくの海なのよ。水着だって、ちょっと恥ずかしいけどばっちり悩殺的なのを着てきた……って、ああー! ジャケット来たままだった!
 で、でも顔はちゃんと覚えてもらって……。サ、サングラスかけたままだった。
 ええーい、このまま引き下がる私じゃないわ! こうなったら見張り続けてあわよくば隙を見てまずはお友達から始めましょうラブラブ大作戦を決行よ!!

「あ、公くん、待ったぁ!?」
「あ、詩織! こっちこっち」
 どうやら、お相手の藤崎さんも来たみたいね。
「今日は暑いね」
「本当に暑い季節の到来だね。それじゃ、泳ごうか」
「うん。それじゃ、着替えてくるね!」
 すたたっと藤崎さんは荷物を持って更衣室の方に走って行っちゃった。
 よぉし、今がチャンス!

 ごぉぉん
「ん? 何の音だ?」
 公くん、辺りを見回してるみたい。でも、私はそれどころじゃなくて、その場に頭を抱えてうずくまってた。
 なにがあったのかって? うん、あのね、海の家って床下に簡単に潜り込めるじゃない。だから、私も床下で公くん達の会話を聞いてたのよ。
 で、チャンスって立ち上がったから……。もう、そんなに笑うことないじゃない。ちょっとした失敗よ。
 あ……。
「お待たせ!」
 もう、来ちゃったの? 早すぎるわよ藤崎詩織っ!
 こ、ここは我慢よ館林見晴! 耐えていればきっとチャンスは来るわ。
「ねぇ、この水着どうかな?」
「うん、可愛いよ」
「よかった。でも、ちょっと恥ずかしいな」
 くぅぅーーーー。
 だんだんだん
「そ、それじゃ、泳ぎましょう」
「そうだね」
 私が海の家の床下でじだんだ踏んでる間に、公くん達は手に手を取ってビーチの方に駆けて行ったの。

 パシャ
「きゃ!」
「あはは。それそれぇ」
「やったなぁ。それじゃこっちも、えいえい!」
 バシャバシャ
「あはははは」
 水を掛け合ってふざけあってる公くんと他一名。
 このままじゃいけないわ。あの二人、どんどん親密になってしまふ。考えなくちゃ。
 でも……。そ、そうだわ。
 要は藤崎さんが公くんを嫌いになればいいのよね。
 よぉーし。

 私は、更衣室に入ると、自分の鞄を引っぱり出した。それから、髪留めを外して、丁寧にブラッシング。見よ、つややかなみどりの黒髪。
 ちょっと濃いめのリップを塗って、鏡に向かってパチンとウィンク。よし、決まったね。
 小さなコアラのイヤリングをつけて、ジャケットを脱いだら、ほらビーチのエンジェル出来上がり。

「あはは。ちょっと疲れたな。詩織、ちょっと休もうか?」
「そうね」
「アイスでも食べようか? おごるよ」
 和やかに話しながらこっちに近づいてくる二人。よぉーし。
 ドン
「あ、ごめんなさい」
 いつもなら、「それじゃ」でバイバイだけど、今日の私はひと味違う!
 公くんの顔を見て、はっとする美少女(私)。
「あ、あなたは……」
「え?」
 怪訝そうな公くん。そりゃそうよ。今の私は変装完璧!
 ここからがポイントね。
 私は、ぎゅっと公くんに抱きつくの。
「公くん! 主人公くんよね! やっと逢えた!」
「は? あ。あの、どなた……」
 狼狽えてる、狼狽えてる。
 私は、人差し指で公くんの胸をくりくりしながら、甘えた声で訴えるの。
「そんなぁ。あんなに愛し合った仲じゃない。今更とぼけちゃってもム・ダ・よ」
「ふぅん、そういう人がいたんだぁ」
 藤崎さんがじろぉーっと公くんをにらんでる。うふふ、計画通り。
「し、詩織まで! 違うって! 人違いだよ!!」
「ひ、ひどい! あなたのことを信じてずっと待ってたのにぃ!!」
 私、その場にペタンと座り込んで顔を手で覆う。
「ひっくひっく」
「ちょ、ちょっと」
「そうなのね。あなたは私の身体を弄んだだけだったのね。あんなことやあ〜〜んなことまでさせたくせに〜。ひどいわ! 一生恨んでやるぅぅぅ!!」
 ダッシュ一番、そのまま海に消える美少女(私)。
「ちょ、ちょっと、待って!」
「そうね、ちゃんと追いかけてあげなさいね。それじゃ、私帰るから」
 藤崎さんはくるっと振り返った。
「お、おい、詩織!」
「何かしら、主人くん」
 お、呼び方が変わってるな。しめしめ。
「待てって。誤解に決まってるだろ!!」
「知りません。プンだ」
「し、詩織ぃぃぃぃ」
 ちょっと可愛そうかな。でも、この私を差し置いて他の女の子と仲良くなんてさせないからね。えへへ。

 翌日。
「痛いぃぃぃ」
 一日中炎天下で公くんを追いかけ続けてたんだけど、よく考えたらサンスクリーン塗るのを忘れてたのよ。
 おかげで今日は動くに動けない私。冷たいシャワーにうたれてるのでありました。
 こういうの、人を呪わば穴二つって言うのね。
 しくしく。

《終わり》

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