《終わり》
暑いよぉぉぉ。
あたしは、タンクトップの胸元をぱたぱたやりながら、部屋の隅にかけてある温度計を見たの。
34℃
どーして、こんなに暑いのかなぁ。
ホントに、もー。
……だめだぁ。
あたし、椅子から立ち上がった。
こんな、殺人的に暑い日に、お勉強なんか出来るわけないよね。
うーっ。よりによって、こんな日にクーラー壊れなくたっていいのにぃ。
あたしの部屋のクーラー。10年くらい前のやつで、結構うるさかったんだけど、それなりに涼しい風が出てたのに……。昨日、とうとう煙吹いて壊れちゃったの。
このところ暑かったから、酷使し過ぎちゃったのよね。ごめんね。
でも、それはともかく、暑いのぉ。
扇風機ないの? ってお母さんに聞いたら、あっさり「ないわよ」って。
ちょっと、あんまりよねぇ。
あー。だめ。もう耐えらんない。
そーだ! 「Mute」に行こうっと!
あ、「Mute」っていうのはねぇ、ひなちゃんの叔父さんの経営してる喫茶店なの。あたしもよくその人にお料理教えて貰ってるんだ。
だうー。
あたしは、学校に行く途中にある「Mute」の前で脱力してた。
ドアには紙が張ってあったの。
『都合により、3日ほど休業します 店主』
「ますたぁぁぁ。どぉしてよぉぉ」
「あれ? 沙希ちゃん?」
どきん 心臓がびっくりして、大きく鳴ったの。
振り向いてみたら、やっぱり。
「や!」
「公くん?」
自転車に跨った公くんが笑ってたの。
あたしは駆け寄った。
「公くん、どうしたの?」
「ああ、ちょっとお使いがてら、こいつの試運転」
そう言って、公くんは自転車のハンドルをポンと叩いた。
青い、スポーツサイクルっていうのかな。細身の自転車。ホントに新しいみたいで、ピカピカなの。
「あたしは……、実はね、涼みに来たんだけど、「Mute」が閉まっちゃってて……」
あたしは、ドアに視線をやりながら言ったの。
公くんは自転車のスタンドを立てて、わざわざ見に行った。
「ホントだ。あれ? でも、沙希ちゃんち、クーラーあったでしょ?」
「それが、壊れちゃって」
肩をすくめて、あたしは言った。
「そっかぁ。図書館は?」
「あ・の・ね。公くん図書館行ってないんでしょ? 今日は休館日なのよ」
あたしがじろっと睨むと、公くん決まり悪げに頭を掻いてた。
なんて、あたしも先月図書館に行ったら閉まってて、それではじめて知ったんだけどね。
と、公くんポンと手を打ったの。
「じゃあさ、市民プールは?」
「プール!?」
そーよ、沙希、その手があるじゃない!
「実はさ、これから俺、好雄でも誘って行こうかなって思ってた所なんだけどさ、何なら一緒に行かない?」
「うん。いいわよ。じゃ、家に帰って水着取ってくるね」
あたし、くるっと振り向いて、走りだそうとした。
「あ、沙希ちゃん。よかったら送っていくよ」
「え? でも、なんだか悪いし……、それに……」
あたし、自転車の荷台を見て口ごもっちゃった。だって、ごつごつしてて痛そうなんだもん。
あ、でも、もしかして、公くんと二人っきり……?
「沙希ちゃん、どうしたの? 顔赤いよ」
「え? そ、そんなことないよ。あ、それじゃあ、乗せてもらっちゃおうかなぁ?」
あたしは、荷台に横に座ると、公くんの言うとおりに足を浮かせた。
「こう?」
「うん、ここに足おいてね。巻き込んじゃったら危ないからさ」
そう言って、公くんは自転車に跨ったの。
「あ、ちょっと。どこ持ってればいいの?」
「俺に掴まっててよ。じゃ、行くよ」
「あーん、まってぇ」
掴まってて、って、もしかして、公くんに抱きついてないといけないの?
そ、それって……え?
「きゃっ」
突然、公くんったら自転車を走らせだしちゃって……。
あたし、思わず公くんの腰にしがみついてた。
「こっ、公くん!?」
「なんだい?」
公くん、自転車を走らせながら、何食わぬ顔で振り返ったの。
「……意地悪ぅ」
家に帰って、あたし自分の部屋に飛んで帰った。だって、公くん待たせちゃってるんだもん。
えーっと、えーっと、どの水着にしよっか。ああーっ、もっと可愛いの買っておけばよかったよぉぉ。
先週ひなちゃんがパレオつきのビキニ買うって言ったから、お金貸してあげたんだよねぇ。ああーっ、あの時貸さなかったら、あたしも自分の水着買ったのにぃ。
しょうがないなぁ。いつものしかないもの。
で、でも、去年公くん可愛いって誉めてくれたもんね。
去年……ずしーん。
ああっ、落ち込んでる暇ないわっ! 早く行かなくっちゃ。
その後、公くんの家に寄ってから、あたし達はプールに行ったの。え? どうやってって? 勿論、公くんの自転車に乗せてもらってよ。うふっ。
でも、流石に公くん疲れちゃったみたいね。プールに来たはいいけど、プールサイドに座り込んじゃって。
「公くん、泳がないの?」
あたし、聞いてみたら、公くん顔上げて。
「いいよ。先に泳いでて。俺後から行くから」
「んもう、根性ないなぁ」
あたしは笑ってそう言うと、立ち上がった。
「じゃ、後で来てね」
今は、休ませてあげるね。
あたしは、プールサイドを走って行ったの。
あ、あそこがすいてるね。
流石に、どのプールも芋を洗うような混雑なんだもの。あ、お芋を洗うときは土を落とすだけにするのがポイントよね。って違うか。あはは。
ところが、何故かすいてるプールがあったのよ。
あたし、そこに飛び込んだの。
つっめたーい。気持ちいいなぁ。……あれ?
足が、つかないの。
嘘! どうなってるの!?
その瞬間、あたし、パニックになってた。思わずもがいちゃって、その弾みで水を思いっきり飲んじゃって……。
息が苦しい……。
やだぁ、こんな所で、あたし……。
自分の身体が、沈んでいくのがわかる。どんどん、どんどん。深く、深く。
公……くん……。
あたし、その後何があったのか、わかんなかった。
「ん……?」
あたし、ジリジリと身体を焼く感覚で、目が覚めたの。
「沙希ちゃん!? よかったぁ」
こう……くん?
「あ、あたし……どうしちゃったの?」
なんだか、ちょっと気怠いんだけど……。
「プールで溺れたんだよ」
公くんがあたしを覗き込みながら言った。
あたしは辺りを見回して、自分がプールサイドに寝転がってるのに気がついた。
あ、そうか。あたし、溺れちゃったんだ……。
「公くんが……助けてくれたの?」
「ああ。まぁね。でも、焦ったよ。なかなか気がつかないから、人工呼吸を……」
「じっ! 人工呼吸!? し、しちゃったのぉ!?」
かぁっと顔が真っ赤になっちゃうのが自分でもわかったの。
だって、人工呼吸って、マウストゥマウスよねぇ。ってことは、あれだからぁ。
や、やだぁ。あ、やじゃないんだけど。って違うの、そうじゃなくって。
ああっ、頭の中がぱにっくになっちゃってるよぉ。ひなちゃん言うところのめたぱに状態ってやつ?
なんて、冷静に突っ込んでる場合じゃないの!
「いや。しようかと思ってたら、気がついたから……」
「え? それじゃ、してないの?」
「してないって」
公くん、肩をすくめた。
あたし、なんだかがっかりしちゃった。ドキドキしたのにな。
「……もうすこし、気絶してたらよかったかな?」
「え?」
「あ、ううん。なんでもない。ありがとう、公くん」
「どういたしまして。でも、どうしてこんなプールで泳ごうなんてしたの?」
「え?」
言われて、あたし気がついた。
ここって、もしかして飛び込み用のプール? 深さが5メートルあるっていう?
「あは、あは、あはは」
あたし、ちょっとうつろな笑いをあげちゃった。
長い一日も、終わりを告げようとしてる。西の空が赤く染まり、並んで歩くあたし達の影が、長く伸びている。
カラカラカラカラ 公くんが押す自転車のチェーンが、軽い音をたててる。
「でも、無事でよかったよ。沙希ちゃんが溺れたって聞いたときは、どうしようかと思ったもんなぁ」
あたし、黙って歩いてたけど、思い切って聞いてみた。
「ねぇ、公くん。一つだけ聞いても、いいかな?」
「何を?」
「あのね。あたし以外の女の子が溺れてても、公くんは助けるわよね」
「え? ああ、勿論」
公くん、頷いた。あたし、笑って見せたの。
「あはは。そうよね。あたし、何言ってるのかしら」
「でも、人工呼吸しよう、なんて考えるのは沙希ちゃんだけだよ」
そうよね。人工呼吸しようなんて……え?
公くん?
あたし、その場に立ち止まった。
胸がどきどきしてるのが、押さえた手にも伝わってくる。
公くんが自転車を止めて振り返る。
「どうしたの? 沙希ちゃん」
あたし、公くんに駆け寄った。そして、ドロップハンドルを握る公くんの手の上に、あたしの手を置いて、ウィンクした。
「あのね、公くん。明日、またプールに行かない?」