その日も、朝から猛烈に暑かった……。
《終わり》
「あついぃぃ」
ゴロン 夕子はベッドの上で寝返りを打った。
寝間着代わりのタンクトップの肩紐がだらしなくずれているが、そんなことを気にしている余裕もないようだ。
「ったくぅ、夏は暑いなんて誰が決めたのよぉぉ。神様って、絶対にへそ曲がりだわぁぁ」
そう呟くと、彼女はむっくりと起きあがった。
「シャワーでも浴びっかなぁ……」
と、不意に部屋に備え付けてあるコードレスホンが鳴りだした。
トルルル、トルルル、トルルル 面倒なのか、夕子はぼうっとそれを見ているだけで動こうとしない。
やがて、留守番電話に切り替わった。
『はい、朝日奈です。ごっめーん、今留守にしてるのぉ。用があったら、サクッと言ってね』
「あ、もしもし。主人ですが。えっと、今日暇だったらどこかに遊びに行こうかなって思ったんだけど。よかったら、10時までに連絡くれない? じゃ」
「わぁお。超ラッキー!」
夕子はベッドの上に跪いて、両手を逢わせて目をウルウルさせた。
「きっと、涼しいとこよねっ!! 神さま、ありがとーっ!」
さっき自分の言ったことは、都合よく忘れているようだ。
「ふぁー、なんとか人心地ついたっと。電話々々〜っと」
シャワーから出てくると、髪をタオルで拭きながら、夕子はコードレスホンを取った。いくつかボタンを押すと、耳に付けて顔をしかめる。
「げぇー。熱くなってるぅ。さいってぇ〜。冷蔵庫に入れておけば良かったかな?」
無茶苦茶な事を言いながら、別のボタンを押して机の上におく。彼女の電話はいわゆる“手ぶらコードレス”なやつで、離れててもオッケイなのだ。
「もしもし、主人ですが」
「あん、公くん? あたしぃ」
夕子は、髪を拭き終わると、タンスの引き出しを開けながら言った。
「え? あ、もしかして朝日奈さん?」
「あによぉ、誰だと思ったわけぇ?」
言いながら、ブラを選ぶ夕子。
ペパーミントグリーンのシンプルな奴に決めたようだ。
「う。ちょっときついか?」
「え? 何?」
「なーんもない。で、どこに行くの?」
「はぁ?」
「はぁ、じゃないっしょ? 女の子にはいろいろと用意があるんだからぁ」
そう言いながら、夕子はタンスを閉める。
「じゃ、お誘いはオッケイ?」
「涼しーとこならね」
「そうだねぇ、じゃあ、図書館は?」
「……ふ・ざ・け・ろ・よ」
滅多に聞けない、夕子の低い声に、電話線の向こうの公は慌てたらしい。スグに返答してきた。
「『アクシア』の試写会のチケットがあるんだけど」
「バッチグー」
答えながら、クローゼットを開け、服を選び始める。
「んじゃ、駅前に11時でいい?」
「わかったわ。それじゃね!」
ピッ ボタンを押して電話を切ると、夕子はベッドに並べた服を見て、考え込んだ。
「どれ、着ていこっか?」
「ひゃぁー。遅れた遅れたぁ!」
叫びながら走る夕子。時計の針は、もう11時半を指している。
まぁ、服を選ぶのに30分、それから靴下やら帽子やらイヤリングやらのコーディネートをああでもないこうでもないとやっていれば無理もないのだが。
「公くん、怒ってるかなぁ?」
呟いて、ぶんぶんと首を振る。
「んなことないよね?」
「ごっめーん。電車がモロ混みでさぁ!」
走りながら、公の前に駆け寄ってくる夕子。
公は、寄り掛かっていた柱から身を起こした。
「もう、来ないのかと思ったよ」
夕子は、一瞬にこっと笑うと、肩をすくめた。
「そんなこと、あるわけないでしょ? あなたが誘ってくれたんですもの」
「それにしては遅かったね」
公はふっとため息をついた。
「君にはステキな彼氏がいっぱいいるんだし、そいつらの所に行ったのかと……」
「違うわ。……公くん、あたしがそんなにふしだらな女だと思ってたの!?」
夕子は、拳を口元に引きつけてウルウルした。
「あたしが、あたしが好きなのは……」
「夕子……」
そっと近づくと、彼女の肩に手を置く公。
夕子は顔を上げて、公の顔を見上げた。
見詰め合う二人。
「ぷっ」
「あははは」
二人は同時に笑いだした。お互いに肩を叩きあって笑い転げる。
「あははは、もう公くんってば、さいっこう!」
「朝日奈さんだってなかなか。こないだの映画、よく覚えてたね」
「そりゃ、初めて公くんと見た映画だもんね」
「え?」
「あ、なんでもないってば。それより、試写会の時間は?」
言われて、公は慌てて腕時計を覗き込んだ。
「やべ。あと15分だ!」
「ほらほらぁ、サクッと行こう!」
夕子は先に走り出した。その頬が微かに赤らんでいたのを、公に気づかれないように。
「面白かったね」
「そうだな。特に、ラストシーンはマジにはらはらしたぜ」
試写会も終わり、会場から出た公と夕子はそんな話をしながら街路を歩いていた。
と、不意に彼女は立ち止まった。
「喉乾いたね。サテンに寄って行こっか?」
「いいね。あ、そこの店は?」
公は、通りかかった店を指した。
「アイスコーヒー」
「レモンスカッシュね!」
「アイスにレスカですね。しばらくお待ち下さい」
ウェイトレスは注文を取ると、カウンターの方に歩いていった。
公は、出された水をごくごくと飲み干して、ぷはぁっと息を吐いた。
「冷てぇ」
夕子はくすっと笑った。
「なんか、親父っぽいぞぉ」
「そっかな?」
小首を傾げる公。
そこに、ウェイトレスが水差しを持ってやってきた。
「お冷や、お注ぎしましょうか?」
「あ、お願いします」
「では、失礼します」
ウェイトレスは手を伸ばした。偶然、公の眼前にウェイトレスの胸の谷間が露になる。
「失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスはそう言うと、次のテーブルの方に歩いていった。思わずその後ろ姿を視線で追いかける公。
と、はっと気づくと、夕子が頬杖をつきながら目を細めて公を睨んでいた。
「ふぅーん。公くん、ああいうのが好みなんだぁ」
「え? いや、そんなわけじゃ……」
「すいませんねぇ、どーせあたしは胸も大きくないですよぉだ」
「ばっ、莫迦っ。そんな大声で恥ずかしいこと言うなよ!」
公は慌てて辺りを見回しながら小声になって言った。
夕子はじろっと公を睨んだ。
「じゃ、言ってよ」
「え?」
「公くん、あたしのことどう思ってるのか、言ってよ」
(お、おい、マジかよ!?)
公は仰天したが、夕子はじっと彼の瞳を見つめている。
彼は覚悟を決めた。
(……さよなら、俺の気楽な高校生活よ……)
「じゃ、言うよ。俺は、朝日奈さんのことが……」
ピタ
不意に、公の口が白い手で押さえられた。
夕子はそのままくすくすと笑う。
「やっだぁ。何マジになってんのよ、公ってば」
「ふぇ?」
「ジョークよ、ジョークに決まってるっしょ?」
彼女はそう言って、手を離した。
「な、なんだ、冗談かよ」
「ロンモチィ」
ちょうどそこに、注文のアイスコーヒーとレモンスカッシュが運ばれてきた。
「あ、来た来たぁ」
夕子はストローをくわえて、レモンスカッシュを一口飲んだ。
「つめたぁい。でも、甘くて美味しいねっ!」