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沙希ちゃんとクリスマス


 さぁて、と。プレゼント交換も終わったし、そろそろ帰ろうかな。
 俺は皿を手近なテーブルに置くと、辺りを見回した。
 少しずつ人の数も減っているようだ。
 一応、伊集院の奴に挨拶して帰るかな。
 そう思って探したんだけど、目に入る範囲にはいなかった。
 ま、いいかな。
 俺は一つ頷いて、それからツリーを見上げた。さすがと言うか何というか、ばかでかいツリーだよなぁ。
 と、
 ドシン
「きゃっ」
 俺の背中に誰かがぶつかった。俺は振り返った。
「あれ? 虹野さん」
「ご、ごめんなさい。ちょっとよそ見してて」
 沙希ちゃんはぺこぺこと頭を下げた。慌てて俺はそれを止める。
「そんな。俺もぼーっとしてたんだし」
「う、うん。あ、もう帰るの?」
 俺がもうコートを着ているのに気付いて、沙希ちゃんは訊ねた。俺は頷いた。
「ああ。そろそろね」
「それだったら、良かったら一緒に帰らない?」
 沙希ちゃんは言った。俺は気軽に頷いた。
「いいよ」
「よかったぁ。それじゃ、コート取ってくるからちょっと待っててね」
 沙希ちゃんはクロークの方に走っていった。
 さてと、それじゃ……食べるのは無理にしても、なにか一口二口飲んでいくかな。
 そんなことを思いながら、近くのテーブルに歩み寄ると、ワイングラスがひっくり返してある。その横にはシャンパンとおぼしき瓶があった。
 ま、いいかな。
 俺はその瓶を開けて、中のシャンパンをグラスに注いだ。
「あ、公くん。お待たせ」
 沙希ちゃんの声が聞こえた。
「今行くよ」
 そう応えて、俺は一気にそのグラスを飲み干した。
 かぁーっと喉が焼ける。
 え? 今の、酒か?
 まぁ、1杯くらい、いいか。
 俺は振り返った。
「じゃ、帰ろうか」
「う、うん……。大丈夫?」
 沙希ちゃんは気遣わしげに俺の顔を見た。
「何が?」
「だって、公くん顔赤いわよ。なにかあったの?」
「んにゃ。なんにも」
「そう? なら、いいんだけど……。あ、それ……」
 沙希ちゃんは俺の手元をみた。そう、俺は沙希ちゃんの手作りクッキーを引き当てたのだ。
 俺はクッキーの袋を掲げて言った。
「ありがたくいただきました」
「よかったぁ、公くんにもらってもらって……」
「え?」
「なんでもない。なんでも……」
 あれ? 沙希ちゃんも顔赤いなぁ。お酒飲んだのかな?
 沙希ちゃんは顔を上げて笑って言った。
「さ、帰ろ!」
「お、おう」
 俺は頷いた。

「楽しいパーティーだったね」
「そうだねぇ」
 火照った顔に、冷たい空気が心地いい。
 俺と沙希ちゃんは、いつもよりもゆっくりと、道を歩いていた。
 沙希ちゃんは空を見上げた。
「今日は曇っちゃって星が見えないね」
「そうだね……」
 俺もつられて空を見上げた。
「いつまでも……こうしていたいな」
「そうだね……」
「え?」
 沙希ちゃんはびっくりしたように俺を見た。
 俺は笑った。
「なんだい? 俺だって、いつも聞き逃してるわけじゃないよ」
「や、やだぁ。もう」
 沙希ちゃんはマフラーに顔を埋めてしまった。
 可愛い。
 俺はその脇のあたりをチョンチョンとつついた。
「やんやん」
 くすぐったがって身をよじるのがまた可愛い。
 チョンチョン
「やんやん」
 チョンチョンチョン
「やんやんやん」
「おう、楽しそうじゃねぇかよぉ」
 いきなり後ろから声をかけられて、俺達は振り返った。
「きゃっ」
 沙希ちゃんは悲鳴を上げて俺の後ろに隠れた。
 見るからに不良という感じの奴等が、俺達の周りを囲む。その数3人。
 その一人が、笑いながら言う。
「ぜひとも、その楽しさを分けて欲しいもんだぜ」
「俺達、寂しいクリスマスを過ごしてるもんなぁ」
 顔を見合わせてへっへっへと笑う。そして、俺を通り越して、沙希ちゃんにその視線を注いだ。
「や、やだぁ……」
 その視線を感じて、怯えたように俺の背中で縮こまる沙希ちゃん。
 あー、困ったねぇ。
 俺は、沙希ちゃんにクッキーの袋を渡した。そして、ジャケットを脱ぐ。
「公くん……」
「ちょっと預かってて」
 ジャケットも渡して、ファイティングポーズを取る。
「さぁ、掛かってこいよ」
「いきがりやがって!」
 そいつらは、顔を見合わせて、一斉に飛びかかってくる。
 俺は一歩飛び退いた。と……。
 う……。
「でぁぁ!」
 一人がさらに掛かってきた。俺はその頭をがしっと掴んだ。
「超必殺! リバースアターック!!」

「ぎょえぇえ〜〜〜、きたねぇえぇ!」
「こ、こいつ、とんでもねぇ!」
「畜生! 覚えてやがれ!!」
 そいつ等は慌てふためいて逃げていった。
 俺は口元を拭いながらへっと笑った。
「口ほどにもねぇ」
「ねぇ、公くん、大丈夫?」
 心配そうに沙希ちゃんが聞いた。
「え? どうして?」
「だってぇ……」
「大丈夫。出すもの出したらすっきりしたし」
「……そう? なら、いいんだけど……」

 俺は公園の水道で口をゆすいでいた。後ろで、沙希ちゃんが待っている。
 ぺっぺっと水を吐いてから、俺は振り返った。
「ごめんね、すっかり寄り道させちゃって」
「ううん。いいの」
 沙希ちゃんは、笑って答えた。それから、俺をじっと見る。
「……ん?」
「一つ、お願いしていいかな?」
「ああ」
 こっちが迷惑かけてるんだもんな。どんなお願いでも聞いてあげなくっちゃ。
 沙希ちゃんは恥ずかしそうに首をすくめながら、言った。
「あのね、ぶらんこに乗らない?」
「ぶらんこって、あれ?」
 俺は街灯に照らされたぶらんこを指した。公園の隅にある、どこにでもあるような小さなぶらんこ。
 沙希ちゃんはこくんと頷いた。
 俺に異議のあるはずなし。

 沙希ちゃんは、軽くぶらんこを揺らしながら、微笑んだ。
「なんだか、幸せ……」
「なに、が?」
 俺はぶらんこを立ち漕ぎで大きく揺らしながら訊ねた。
「うん。あたしね……ずっとぶらんこに乗りたかったんだ」
「え?」
「小さいときは、ぶらんこに乗るのが好きだったの。でも、大きくなって、いつかぶらんこに乗らなくなっちゃって……。いつか、また乗りたいなって思ってたんだけど、なかなか乗る機会がなくって、ね」
「ふぅーん。よっと!」
 俺は大きくジャンプして、すたっと降り立った。そのままポーズを決める。
 後ろで沙希ちゃんがパチパチと拍手してくれる。
 振り返って訊ねる。
「今の点数は? 審査員殿」
「10点満点!」
「ばっちり、だな」
 と、俺の頬に何か冷たいものが触れた。
 俺は手を広げた。黒い手袋に、白い結晶が落ちて、溶けて消える。
「……雪?」
「ほんと……」
 沙希ちゃんも、ぶらんこに腰掛けたまま、手を広げて雪を受けとめている。
「素敵……。ホワイト・クリスマスね」
「そうだね」
 俺は空を見上げながら、頷いた。それから、沙希ちゃんに手をさしのべる。
「さ、そろそろ……」
「うん、そうよね。あんまり遅くなってもいけないしね」
 沙希ちゃんは俺の手を掴んで、立ち上がった。
 俺は、沙希ちゃんに囁いた。
「ちょっと、気障なことしてもいい?」
「え? う、うん……」
 頷いた沙希ちゃんを、俺はそっと抱きしめた。そして、静かに言う。
「メリー・クリスマス」
「……ありがと、公くん」
 俺は、腕を解くと、笑った。
「気障すぎた?」
「ううん」
 沙希ちゃんは首を振った。そして、微笑む。
「静かな夜ね」
「Silent Night,Holly Night、か」
「え?」
「なーんでもない」
 俺は笑いながら歩き出した。
「ねぇ、なんて言ったの?」
「何でもないってばぁ」
「教えてよぉ」
「あはは……」
「教えてってばぁ」
「教えてあーげない」
「もう! 公くんっ、ちょっと待ってよぉ」

 −聖なる夜を、すべての人へ……

《終わり》

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